ネルの一日

三周年記念企画にて、youさまのリクエスト
・【Desire】のネルの1日



 朝日が顔をのぞかしてからそう間もなく、辺りが薄明るくなってきたころにネルは目覚めた。
 昨夜は眠りにつくのが遅かったからか、まだ多少瞼が重く無意識にあくびが出る。素直に大きく口を上開け欠伸をしてから、ようやくベッドの中から身体を起こした。
 外気に肌が触れ、ネルはぶるりと身を震わす。用意しておいた上着を羽織り、ベッドから抜け出しそのまま窓辺へ向かった。

「おうい、ツァルナ」

 ネルが離れたベッドで眠る男を気遣い、吐息に近い小声で窓の外へ呼びかける。すると待っていたかのように一羽の小鳥が顔を出した。
 彼女は王の私室の近くの木に住んでいる、美しい空色をした鳥だ。毎日ネルへ餌をもらいに来ては、お返しと言わんばかりに時々愛らしい歌声を披露してくれる。ネルだけでなく、シュヴァルからも十分な愛情を受けていた。

「おはようさあん」

 小さな姿を確認したネルは、やはり小声で語りかけると、それまで固く閉ざされていた窓を開け放つ。ツァルナはすっと中へ入ってくると、部屋の中をぐるりと一度周り、その後ネルの肩へ羽を休める。
 身体に見合った大きさの愛らしい嘴で、ネルの頬をついばむように軽くつついてきた。

「へいへい、今用意するから待ってろよう」

 彼女を肩に止めたままネルは彼女のために用意してあるえさをとりに、寝台の傍らに備え付けられている机の引き出しから目的のものをとりだす。麻の小袋に入れられており、口を解き手の平に開ければ、すぐにツァルナは肩から腕へ下り、そのまま手首のあたりに移動した。
 一度ちらりとネルにつぶらな黒く丸い瞳を向けてから、手の平にある餌をつつき始めた。
 しばらくして、食べ終えたツァルナはまたネルの肩まで飛び上がると、お礼と言わんばかりに小さな、澄んだ鳴き声をひとつあげる。
 ネルがそれに答え頭を指先で撫でてやれば、ツァルナは窓の外へ飛び立った。
 小さな姿を見送ってから、ネルは振り返りベッドに歩み寄る。

「おうい、シュヴァル、そろそろ起きろお」
「……ん、もう、時間か……」

 上から毛布に埋まるシュヴァルを見下ろし声をかければ、うっすらと開く青い瞳。けれどすぐに下がりそうになる姿を見て、ネルは小さく笑った。

「ほうら起きた起きた、今日もお仕事溜まってんでえ? 王さまあ」
「――そうだな、早く片付けねばならんな」

 口元を覆う毛布を剥がせば、ネルに振り返ったシュヴァルが微笑んでいた。

 

 

 
 身を清め衣服を整えたシュヴァルの朝食を見届けた後、ネルは共にその姿を見守ったアロゥと共に朝食をとった。
 その後王とネルとアロゥの三人は執務に取り掛かるも、そう経たぬうちにネルは立ち上がる。

「んじゃあちょっくら行ってくらあ」
「ああ、気を付けてな」
「あまり兵をからかってはいけないよ」
「わかってらあ!」

 王、アロゥがそれぞれネルに声をかけ、彼女は苦笑いを浮かべながらするりと王の執務室から抜け出た。
 鼻歌混じりでネルが廊下を歩いていると、すれ違う兵たちが見な壁際に寄り道を空けながら頭を下げた。

「おはようございます、ネル隊長」
「おう、おはよう。今日も色々頼むでえ」

 かけられる声ひとつひとつに返事をしながら、ネルは軽快に足を進めた。
 途中、見慣れた顔を見つけ、ネルは首の後ろで組んでいた腕を解き手を挙げた。

「おうヤマト! おまえがこの時間ここにいるだなんて珍しいなあ!」
「ああ、ネル。実はコガネさんのお使いでね。ネルはいつもの見回り?」
「そうでえ、城はおれの縄張りだんもよう」

 けらけらと笑うネルに、ヤマトは苦笑した。その通りはあるのだろうがあまりにも直球なそれが彼女らしい言葉だ。
 ネルが今行っているのは、単なる見回りだ。ただ城内を歩き回り、最後には王の執務室へ戻るだけの。猫が縄張りを回るのと同じようなものである。毎日ネルがかかさず行っている習慣だ。
 見回っている最中、兵の仕事具合を見るのは勿論、ひとりひとりの振る舞いやネルを見た時の表情や声音の変化等を確認しているし、城自体の様子も確認している。異変があればすぐさま調査をし、もし、王に対する不穏な空気がある場合は即刻排除することも裏ではしていた。
 城での公にできない事柄は、裏の事は大抵がネルの仕事である。王を陰で支える大きな柱だ。
 重要な役割を担うネルだが、だが彼女はそれを感じさせることのない、裏など一切見えない笑みを振りまく。

「んじゃあ、コガネの奴隷頑張れよう」
「奴隷じゃないけど……まあ、コガネさんのためならね」

 ネルもお仕事頑張って、と加えて、ヤマトは去っていった。ネルもまた歩みを再開する。
 城中をくまなく瞳に収めれば、時間は随分と消費される。ネルが執務室に戻る頃にはすでに太陽は真上にまで昇っていた。
 たでえまあ、といつもの間延びした声で返ってきたネルに、王とアロゥはそれぞれ応えてから手を止めた。
 ネルが習慣である城内の見回りを終え返ってきたら、昼食の合図だ。
 本来王は場を移し食事をとるが、シュヴァルは歴代の王とは異なり、そのまま執務室に食事を運ばせ、ネルとアロゥと共に食べる。

「おっ、今日はおれのだあいすきな料理長特製卵焼きでねえか!」
「よかったな、ネル」
「おうよ! んーんまあい!」

 早速頬張ったネルは至福気に目を細める。その姿を愛おしげに見ていた王だったが、次の瞬間に自身の分を奪われる。お返しと言わんばかりにネルの皿から自分の好物を奪えば、アロゥに行儀がわるいと二人そろって注意を受けた。
 昼食を終えた三人は腹を休める間もなく執務を再開させる。
 この時ネルは自身に割り当てられた仕事をこなしながら、四番隊の部下から定期の報告を受けるのだ。手を休めることなく聞くのは他国の動向、街の情報など。
 諜報に活躍する優秀な部下は、途中ネルが問いかけても大抵の事は答えられるように周到に情報を集めている。
 報告を聞き終え初めてネルは手を止めた。
 後ろで跪き待機する諜報員に振り返り、二三言で次の指示をし、再び机に向き直る。言葉数は少なかったが、それでも有能な部下は頷くと、そっと闇に姿を消す。
 それからしばらくした後、ネルは大きく背伸びをした。

「さあてと、そろそろ行ってくっかあなあ」
「もうそんな時間か。あまり迷惑をかけるなよ」
「わあってるよう! んじゃってくんでえ」

 席を立ち扉に手をかけたネルは、一度振り返り王にべーっと舌をだしてから、彼の反応を見るまでもなく部屋を後にした。
 それから鼻歌混じりでネルが向かった先は、ライミィに与えられた〈6〉の部屋だ。
 ノックもなしに部屋へ飛び込めば、この部屋の主であるライミィと、それともう一人、真司が振り返る。
 彼と目を合わせた瞬間に、ネルは真司に飛びついた。

「真司ィ!」
「わっ、ネル! 吃驚するだろ」

 首に巻きついたネルの腕に、毎度のことにも関わらず真司はなかなか慣れることがなく、いつもびくりと身体を跳ねさせる。それが面白くてやめられないと言うことは、勿論伝える気はない。
 適当に謝りながら、ネルは机に四つ並んだ椅子の一つに腰かける。

「ミズキはまだかあ?」
「いや、ついさっき来たけどお菓子を忘れたらしくてね。今取りにいってる」
「そんなら香茶はミズキが戻ってきてからだあな」

 ネルは懐に仕舞っていた茶葉だけを取り出し、机の上に置いた。
 いつもこの時間になるとライミィの部屋に集まり、小さな茶会をするのだ。面子はネル、ミズキ、ライミィ、そして真司の四人。場所の提供はライミィが、お菓子の用意はミズキ、香茶の準備はネルがそれぞれし、真司には三人のからかいの反応で癒しの提供だ。
 真司がこの世界に訪れる以前の茶会は、三人の都合が合った時しか行わなかったため、滅多に開かれることはなかった。しかし今はライミィが療養のため常時部屋にいて暇を持て余していることと、真司の存在からあるから、毎日のように開催される。
 ネルが部屋に到着してからほどなく、大皿を抱えたミズキが戻ってきた。皿には勿論、多種の菓子がたっぷり盛られている。
 ネルも香茶の準備を済まし、ようやく茶会は開かれた。
 内容はたわいない話だが、女が三人も集えば途切れることはなく、一つの話から十の話につなげることなど造作もない。ライミィはともかく、ましてやネルもミズキも話し好きということもあり、雰囲気は明るく続く。
 この中で唯一の男である真司は――といっても、彼はネルを男だと思っているため、真司自身は男がふたり、おんながふたりと思い込んでいるわけだが。彼は相槌を打っていることが多い。
 そして茶会の終わり頃になると、始まりの頃とそう変わらぬ三人に対し真司だけが少し疲れを見せる。内心では、よくもまあ話が途切れぬものだとでも思っているかもしれない。
 だが、真司が隣にいるだけでネルは気分が上がってついいつも以上に饒舌になってしまうのだからしかたないのだ。

「んにゃ、もうこんな時間でねえか」
「あら、本当ね。そろそろお開きにしましょうか」

 ふとネルが窓の外を見ると、太陽の位置が予定していた時刻分よりも傾いている。
 言葉につられミズキも窓の外に視線を移し、立ち上がった。
 手際よく見なで片づけを済ませ、ネルとミズキは二人で部屋を後にした。ライミィと真司はそのままこの世界の文化についての勉強に移るため、部屋に残る。
 途中までミズキと道を共にした後、しばらくして分かれ道で左右で別れた。
 そのまま執務室へ戻ろうと歩くネルの背後から、小さな声が呼び止める。

「ネル隊長」
「――んー? ハイルかあ。なんでえ?」

 周囲には誰もおらず、近くに人の気配すらない時に影から現れたのは、四番隊副隊長のハイルだ。
 目元に届きそうなほどの黒地の布で顔を覆い、目が隠れるほど伸ばされた黒髪。ネルとは違い完全に闇でのみ暗躍する彼は、声音すらも空気に溶けてしまいそうなほど低く小さく、ネルに情報を伝えた。

「サラ国に魔導具を密輸している人物を見つけました。恐らく彼が、以前からルカ国の情報を漏らしている人物である思われます」
「そうかあ、みつかったかあ」
「どうなさいますか。おれか、もしくは誰か手の空いたものでも――」
「いんや、おれが行ってくらあ。そいつにゃ他にも聞きてえこともあるしよう」

 片が付くまで他の奴には言いうな、とネルは付け足した。

「ああそうだあ、王さまに帰りはちょおっと遅れるって言っておいてくれい。そしたらお前は今日はもうお休みぃ、ゆっくり休めえ」
「承知致しました」

 ハイルは頷くと、ネルに一礼した後、その姿を消した。

「さあて、と」

 それまで彼に目を向けていたネルは再び前を向き、大きく背伸びをする。その後に右耳につけた耳飾りにそっと手を添えた。

「久しぶりによろしく頼むでえ、プリューム」

 つるりとした小粒の赤い石。愛剣の仮の姿を撫でると、応えるかのようにほのかな熱を発した。

 

 

 

 日は既に落ち、それからしばらくしてようやくネルは城へと戻ってきた。そのまま風呂へ直行し汚れを、纏う臭いさえ洗い流し、薄暗い廊下を足音も立てず歩んだ。
 頭からお湯を被った髪からはろくに拭われなかった水分が滴り落ち、廊下に垂れてはごわついた絨毯に吸い込まれていく。
 王の私室の前にたどり着くと、扉番をしている兵二人と目が合った。彼らはネルを見つけると、すぐに頭を下げる。
 普段ならご苦労、の一言でもかけるが、今日は何も告げることなく彼らが守護する扉を押し開き、中に入った。
 部屋ではすでに王がベッドへ座りこんでおり、本を読んでいた。だが扉の開く音と、ネルの気配を察知し顔を上げる。
 ネルの姿を見るなり、苦笑した。

「おいで」

 開いていた本を閉じ、それを脇に置いてネルに手招きをする。足音もなく静かに近づけば、ネルの姿にまた苦く笑う。

「なんだ、乾石(かっせき)を使わなかったのか?」
「ん」
「冷たくなっている。――夜は冷える、せめてよく拭いておけ」

 乾石とは水分を吸収する力をもつ魔導具の一つで、湯上りの濡れた髪に使えば髪は瞬時に乾く。本来はそれを使用するが、今日はそんな気にはなれず軽く布でかき乱すように拭っただけだ。
 王はネルの細く頼りない腕をつかむと、そのまま自分の胡坐を掻いた足の上に座らせた。
 それから肩にかかっていた布で、ネルの濡れた髪を拭く。

「――サラ国からの間者、見つけたあよ。もともとこの国の野郎だったが寝返って、他国に色んな物資やら情報やら流してやがった。まだ仲間がいないともかぎんねえから、明日からちょっくらおれが相手して聞き出してみる。今は地下牢に押し込んどいたあ」
「そうか。ご苦労だったな」
「ん。まだ終わったわけじゃねえ、これからだあ」

 王が手を止めると、ネルは自ら頭にかかる布とりはらう。背中を預けていた王の身体から身を浮かせ、振り返った。

「どうした?」
「おれぁ、おまえの役に立ててるか? おまえがよき王であれるように、おれは支えられている?」
「――ネル」

 ネルの言葉に、王はただ彼女を抱きしめるだけだった。それは彼女が答えを望んでいないことをしっているから。だから、ただ強く、その存在を求める。

「ありがとう、シュヴァル」

 もう一度言ったありがとう、はシュヴァルの胸に顔を埋めたせいでくぐもる。
 長年連れ添ってきた二人の心には、足りない言葉などない。声がなくても、ただ肌が触れ合い、互いの温もりを感じる、ただそれだけで。
 少しずつ凍えた心がとけていく。
 シュヴァルはネルの顔を僅かに上げさせ、流れる癖の強い髪を耳に掛ける。露わになった右の耳たぶに静かに煌めく赤い石に、そっと唇を落とした。

「プリューム、おまえもご苦労だったな。ありがとう」

 すぐに顔を離したシュヴァルは気づかなかったろうが、石は熱を発し彼の言葉に応えていた。

「今日はもう寝よう。ゆっくり休め」
「ん、そうだなあ。明日もお仕事頑張るでえ」

 ようやく笑顔を見せたネルに、シュヴァルもまた小さく微笑む。
 シュヴァルが先にベッドへ横になり体制を整えると、その後にネルがシュヴァルの腕の中にもぐりこむ。そのまま彼の腕を枕代わりに頭を落ち着かせ、瞳を閉じる。
 今日もまた、一日が終わる。そうすればまた新しい一日が始まる。
 これから幾千の今日をむかえたとて、決してこの温もりだけは手放さぬだろう。そして、この温もりが失われぬためにも。
 ネルが忠誠を誓ったこの優しき王のために。ただ、己にできることをするのみと、幾度も繰り返した決意を胸に刻んだ。

 おしまい

ちびパラ! main きみの、痛み


  
今回はネルを主役に物語を書かせていただきましたが、作中では一切触れられていないのですが実は王様、アロゥ、ネルの仕事量はほぼ同等です。
なのでネルは自身に割り振られた仕事をこなしたうえで午前の見回り、午後のお茶会参加をしております。
彼女は速読と優れた記憶力を持っているので、そんなことが可能となっています(笑)
ネルの一日、という割にはお茶会後はぶっとばしてしまいましたが……ネルの裏についての仕事は基本夕方頃なんです。(自分の中でのみ作っていた設定ではありますが)ですから今回はそんな場面を含ませていただきました

youさま、今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします

2012/12/21