瞳の宝玉

 美しい花の園の中心で泣きじゃくる弟を抱えたレイストルは、人の身で在りながらもその場を浮遊し憤怒の表情を浮かべる女を睨んだ。
 弟のレーアトルはもはや恐怖に言葉も紡げぬ有様で、必死に兄の身体にしがみつく。かたかたと震えているのが抱え上げた小さな身体から伝わってきていた。
 憐れなほどに怯える少年。しかし彼女の美しい顔に張り付く凍てついた表情が崩されることはない。

「もう一度言いましょう、レイストル。あなたの弟をわたしに差し出しなさい。その子はわたしが大切にする花を摘んでしまったのです」

 血が通っているかもわからぬ真白の肌には強烈な、真紅で彩られた唇が微かに動いて言葉を紡ぐ。その口調こそ丁寧だが、声音もまた表情と同じく怒りに滲んでいた。
 周りを囲う木々に遮られ風はないにも関わらずひらりとスカートが膨れ、豊かに波打つ女の長い黒髪が女の肩から零れ落ちる。

「あなたの育てられた花を摘んでしまったレーアトルは確かに愚かでした。申し訳ないと思っている。だが、見ての通り弟はまだ幼い。今回のことは許してやってはいただけませんか」
「幼いとはいっても幼児ではないのです。分別はつくでしょう。不可侵の誓いがなされた領域と知って足を踏み入れ、そして命を摘み取った。この罪に老いも若きも関係ありません」

 真っ当な返しにレイストルは苦い顔をする。彼女の告げる通りだからだ。
 八歳ともなれば、少なくとも入るなと言われていた土地に入ってはいけないことだとわかるだろう。しかし少年は足を踏み入れ、その土地の主である女を怒らせることをしてしまった。
 女は森に一人住む魔女である。町に自らが処方した薬を分けてくれる代わりに、彼女が手入れをする森の花園には足を踏み入れてはならないという誓いが交わされていたのだ。それをレーアトルは破り不可侵の領域に足を踏み入れただけでなく、そこに咲く一輪の花を折ってしまった。
 弟が魔女の花園に向かったと彼の友人から聞き、レイストルが慌てて追いかけここにたどり着いた時にはすでに遅く。あとは死にゆくだけの運命を背負わされた花を握り締め震える弟と、目が覚めるような美女が険しい顔で彼に詰め寄っているところだった。
 女は決してレーアトルを許そうとはしない。たかが花一輪、されど花一輪。勝手に花園を踏み荒らしただけでなく、彼女が丹精込めて育ててきた花を奪おうとしたのだ。その怒りはもっともだろう。

「今回のことは弟に非がある。本当に申し訳なかった。だがそれでもどうかこれを許してもらいたい。レーアトルの代わりに、このわたしが出来得る限りのお詫びをあなたに致します」

 それでは駄目だろうかと、そう臆することなく向き合えば、不意に女は紅に染まった唇と同じ色をした目を閉じた。浮遊していた身体を静かに戻し地面に足をつけると、重たげなまつ毛を持ち上げ、レイストルたちの方へと歩み寄ってくる。
 豊満な胸が当たりそうになるほど傍らまで訪れると、じっと、レイストルの瞳を覗き込んだ。

「――わかりました。では、あなたのその右の瞳をわたしにくだされば、弟のことは許して差し上げましょう」

 それまで浮かべていたものを一切消し去り、魔女は薄く妖艶に笑む。
 己の瞳か弟の身か。どちらから選べと、冷酷な選択を提示して。

 

 


「ははあ、それで瞳は無理だ、他のものにしてくれってなったわけだ。でもそれは却下されちまったと」
「そうなんだよ。それで魔女は、それならばレイストルの瞳と限りなく近しい別のものを用意しろとね」
「つまり、端から許す気はないってことだろ、それ」

 父から成り行きを聞いたミヒトは呆れて溜息をつく。
 弟の身代わりになるといったレイストルでさえ己の瞳を渡すのは躊躇うというのに、一体誰が好き好んで赤の他人に自らの瞳を差し出すと言うのか。
 目というのは日常の生活において重要な役割を担っている。片目だけでも生活はできるが、もし万が一それさえも失えば世界は暗闇に閉ざされてしまうのだ。生涯面倒を見てくれる用意がされるともなればまだ頷いてもいいだろうが、レイストルとてそうはいくまい。
 そもそもまず、レイストルの瞳に代わるものなど見つかるわけがないのだ。
 彼の瞳は晴れ渡った青空をそのまま映したような青い瞳である。それだけでも町の中どころか世界全土でも稀少にあたる色であるが、何より、彼の右の瞳はその色だけを持つわけではなかった。
 レイストルの右の瞳には、心さえも晴らすような空色の中に、まだらに琥珀色が混じっているのだ。彼の目を見た者は口を揃えて、このような瞳は見たことがないというほどである。
 魔女とて、レイストルの右目がどれほど稀少なものかを理解しているだろう。だからこそその瞳を寄越せと。いやなら代わりを用意するでもいいとなどと言ってのけたのだ。

「性格歪んでんな」

 見惚れるほどに美しい女だという噂しか知らぬミヒトは、とんでもないやつに捕まってしまったとあの生真面目な男を思い浮かべた。
 腕を組み、そうだねえと同じ男を案じている父にミヒトは目を向ける。

「それで。その話をおれにしたってことは、レイストルから依頼されたんだろう」
「……うん、まあ。そうなんだよね。ぜひ、自分の瞳の宝玉を作らせてほしいと」

 人のいい気弱な父は途端に気まずげに顔を逸らし、口先でもごもごと答えた。
 瞳の宝玉。それはミヒトたち一族が持つ特殊な力で作りだせる玉のことである。
 宝玉と呼ばれてはいるが、実際はただの硝子玉に過ぎない。しかしその美しさから宝玉と称してもいいとのことでいつからかそんな名が与えられていた。
 それの生成方法は、玉を作り出す力を持つ一族の者が受け身にまわり、抱かれるというもの。一族の体内で放たれた精により瞳の宝玉は生み出されるのだ。相手となった人物の瞳の色がそのまま玉の色となるため、それゆえに瞳の宝玉と名付けられたのだろう。
 相手の精を受け入れる、という点を守ってさえいれば女だけでなく男でも生成できる。しかし力を持った男が女を抱いても玉が生まれることはない。
 一族といってもその数は少なく、また必ずしも力を受け継ぐわけではないため、玉を作られる人物は限られる。現にミヒトは作ることが可能な身体であるらしいが、父は不可だそうだ。
 可能な身体であるらしい、というのは、まだミヒトが実際に瞳の宝玉を生み出したことがないからである。しかしながらなぜわかるかというと、それはミヒトの瞳に玉を生み出せる証があったからだ。
 力を持つ一族の瞳は総じて、まるで月のない夜を閉じ込めたように暗いのだ。瞳孔と混じってしまっているかのように黒く、それを持つ者だけが玉を生成できるといわれている。
 現在瞳の宝玉を生み出せるものは九人。しかし残念ながらうち六人は既婚者であり、うち一人は今ミヒトたちが立つ土地のちょうど正反対の場所にいた。文を送るだけでも相当の時間がかかるため、それほどまでに魔女は待ってくれないだろう。そしてもう一人はミヒトの妹であるが彼女はまだ八つ。初潮さえまだの幼女である。
 そうして数少ない候補を消していけば必然的にミヒトしか残らない。だからこそ父はミヒトに声をかけざるを得なかったのだ。そしてそういった一族の事情を把握していたレイストルは、父を介し間接的にミヒトへ願い出ていることになる。

「いや、おまえが駄目というのならそれでいいんだよ。レイストルには悪いができないものはできないし、その……」
「いいよ。引き受ける」

 あっさりと答えたミヒトに、父は愕然としたように瞠目した。

「――本当か?」
「ああ。おれが瞳の宝玉を作りだせれば誰も失うものもなく、丸く収まんだ。それならやらないわけにいかないだろう。赤の他人ならいざしらず、まあ、昔なじみとあっちゃあな」

 レイストルとミヒトは同い年で家も近かったことから幼い頃から仲が良かった。以前ほどではないが、互いに大人となった今も多少の距離はできたが親しい友のままである。
 つまりは友である男に抱かれるということではあるが、やつの目がつぶれず済むのなら安いもの。そう思い頷いたのも関わらず、父の顔は曇ってゆく。

「レイストルと、瞳の宝玉を作れるのか――」

 悲しげな父の表情にミヒトは苦笑で応えた。

「ああ、作れるよ。だからレイストルに返事をしておいてくれ。準備もあるから五日後の夜、おれの部屋に訪れてくれと」
「すまない、ミヒト」
「いいんだよ。おれのことなんか気にするなって。それより将来有望な騎士さまの大事な瞳がつぶれちまわないことを喜んでやってくれよ」

 その方が気が楽だ、とミヒトは部屋の窓から覗ける空を見る。雲一つない快晴はまるであの男の瞳そのものだと思った。
 レイストルは王国に仕える騎士である。若いながらも功績をあげており、人柄もよく、聡くそして剣の腕は確か。さらには顔もいいため周囲からの評価は高かった。いずれは近衛兵になるだろうと噂されているほどだ。
 彼は長期の休暇をもらい、それを使って故郷であるこの町へと帰ってきていた。そして早々に弟のしでかしたことに巻き込まれてしまったのだ。
 片方とは言え、瞳の有無は男の将来を左右するほどのもの。期待を背負う騎士を自分の息子が救ってやるのだから誇らしくすればいいものを、しかし父の顔色が変わることはない。
 なにも、息子が男と身体を重ねることを憐れんでいるわけではないのだ。
 男女の恋愛が主流とは言え、同性愛も比較的許されているこの大陸である。父も恋愛は自由だと常日頃から言っており、実際彼のふたつ上の姉も同じ女性を伴侶と据えているため、そもそもがおおらかな父は偏見など持ってはない。
 同性と交わることではなく、瞳の宝玉を生み出せるというその事実こそが彼の良心を苛んでいるのだろう。
 一族にしか伝わっていない、玉を生み出すための秘密事。ミヒトの態度を目の当たりした父の反応を見れば、わざわざ釘を刺さずとも、まさかそれをレイストルに告げることはないだろう。
 窓から顔を逸らし、やはり寂しげに自分に目を向ける父へ笑って見せる。
 背を向け、ひらひらと手を振りながらその場を去った。

 


 ミヒトは硝子を加工する職人である。その手で生み出された主に装飾品を父の店で売り生計を立てていた。職人は皆一族の者で、代々そうして家を守ってきたのだ。客の依頼さえあれば皿でも花瓶でも窓硝子でも、作れるものであれば何でも作っているため、比較的町人にもミヒトたちの生みだしたものを愛用してくれる者は少なくはない。だがそれもやはり職人の腕あってのものだ。
 今でこそ硝子は一般に普及し庶民でも手を出しやすいものとなっているが、昔は宝石に並ぶほど高価なものだった。それこそただの硝子玉でさえ宝玉と呼ばれるほどである。そのため一族の祖たる男は自身の、玉を生み出せる己の体質を利用したのだ。
 ともに一族の礎を築くことになる男との間に当時は名もなき玉を生み出し、丸く美しい色合いをしたそれを高値で売りさばいて財を成し、そうして今にも続く硝子細工の店を作ったのだ。
 現在では瞳の宝玉の販売は一切なされていないが、それでも祖先が生み出した宝は今やこの町の誰もが知る歴史となりつつあるし、今では玉に頼らずとも腕の確かな職人たちが店を支えているため、経営が傾いたことはなく安泰した運営をなすことができている。
 数いる職人の中でも特にミヒトの腕前は、その細やかな加工技術から周囲からの評判も高く、自身も一流の腕前を持つと自負していた。だからこそ瞳の宝玉を作ると決めたその日から仕事場に顔を出せないようにしたのだ。請け負っていた仕事はあったが、どれも急ぎのものはないし、作り始めてもいないため何もミヒトがやらずともよい。運がよかった。
 玉を生み出すことになれば仕事に手がつかなくなることなど目に見えていたし、無理を押し通せば心を透かしたかのように濁った半端な硝子しか作れない。それを職人としての己が許すわけもなかった。
 一週間の休みを申し出れば父はすぐに許可を出した。無論、ミヒトが休みを欲しがる事情を知っているからだ。家族には体調を崩したということにして、その日から部屋に籠りきりになった。
 明かりもつけず、閉ざされた暗がりで一人、父に宣言した通り“準備”を着々と進める。そうしている間にもすぐに五日間は過ぎ、レイストルが部屋へと訪れる夜へとなってしまった。

 

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