ふと目を開けると、目の前にヨルドの顔があって驚いた。
動揺のわりには声も上げずに微動だにしなかったが、以前にノアの瞬きですら起きていたという男はゆっくりと瞼を持ち上げる。
「――まだ起きるには早いね。もうちょっと寝ていよう。身体もまだつらいだろう」
二人で同じベッドで寝るに至った経緯を思い出し、かあっと顔が熱くなる。
窓から薄く光が射し込んでいるとはいえまだ暗いので、頬の赤みには気づかれないと願いたい。
「ごめんね。きみを抱けるからって、ついがっついた」
「あ、謝られることでは……」
誘ったのはノアだ。合意の上の行為を謝られるいわれはない。
「でも、怯えさせちゃったみたいだし」
「は? 別に、怯えてなんて」
「腕輪が反応していたよ」
思わず自分の腕に着けられた金の輪を見てしまう。これにかけられた魔術により、装着者が身の危険を感じたらヨルドの腕輪が熱を持ちそれを報せるように仕組み作られている。
つまりヨルドの穏やかな顔に似合わずずしりとした凶悪な性器に慄いた瞬間など、口に出さずともしっかりとばれてしまっていたわけで――。
「本当は止めたほうがいいかなとも思ったけど、あんまりにもノアがいじらしすぎて止まれなかった。だから、ごめんね」
「な、なっ……」
「でも最後は気持ちよくなってくれたみたいでよかった」
口をわななかせながら言葉を紡げずにいるノアに、ヨルドは寝起きとは思えない爽やかさで笑んだ。
腕輪が恐怖を教えるというのなら、腕輪の熱が消えたその時は、ノアの中から恐れが消えて、ただひたすらにヨルドを求めていたことが伝わっていたということだ。
ヨルドが欲しいことを隠すつもりはなかったが、怖がっていたのが知られた上での変化を暴かれるのとは勝手が違う。ヨルドの手管にすっかり落とされたと言ってしまっているようなものなのだから。
しかもどうやらあの後ノアは失神してしまったらしい。もともと体力がないところに、ライル救出のために大量の魔力を消費して疲れ切っていたせいもあるが、ヨルドに情けないところをばかり見せてしまった恥を悔いる。
あれだけ汗を掻きべたついていた身体はすっかり綺麗にされて、肌はさらさらとしていた。ヨルドが後始末をつけてくれたのだろうが、素直に感謝を伝えるのはしないでおこうと決める。ぐちゃぐちゃのどろどろになった一因は彼にもあるのだから。
ただ意識のないところに触れられたという事実は受け入れがたい。変な顔をしてなければいいが、と思うが、それどころではないことをしてしまったことをまた思い出して頭を抱えたくなる。
ノア自身も望んでしたことだが、あんなに乱されるとは思ってなかった。
あの時は冷静でなかったし、勢いもあったが、だからってあんな声を上げて、あんな挑発じみた真似までして。
冷静になった自分に熱に浮かされていた時の記憶が鮮明に蘇り、身を捩りに捩って声を上げたくなる。だがそれも最後のほうを思い出すと、はっと我に返った。
不意打ちのように恋人になった男。その真意を考える。
そして至った答えに、ノアは意を決した。
気恥ずかしくて斜めに逸らしていた視線をヨルドに向けて、ぎっと音が鳴りそうなほど強く睨みつけた。
「ひとつ、言わせてもらうが――私は、脅しになんて屈するような軟弱者ではないからな」
毛布の中でもぞもぞと手を動かし、ヨルドの手を見つけるとそれを自分の口元に引き寄せる。
ヨルドの手首にあるそれに口づけると、すぐに手放してノアは背中を向けた。
自分がらしくないことをした自覚はある。だからこんなにも頬が燃えたように熱くなるわけだが、勢いでやってしまったことでも後悔するつもりはない。
全部、ヨルドが悪い。あんな最中に交際を申し込まれても頷くしかないし、ヨルドだってすべてがノアの意思による答えだとは思えないだろう。
ノアが素直でないことをわかっていてあえて逃げ道を作ってくれたのかもしれないが、そんなのは余計なお節介だ。
嫌なら嫌だとノアは言える。意にそぐわないことに流されてやるほどお人好しではない。
ヨルドもそれをわかっているはずだが、今言っておかないと、いつの日かどうせノアは流されただけだ、などと拗ねられても困る。
先手を打って対処をしたまでのことだと、羞恥に悶えて高鳴る心臓を宥めるノアの背後で、ヨルドが呟いた。
「――あの時の眼差しと、同じだ」
ノアに語りかけているというよりも自分に言い聞かせるような声音を不思議に思って振り返ると、ヨルドはじっと腕輪を見つめていた。
「ヨルド?」
ノアが呼びかけても、考え込んだヨルドは黙りこんだままだった。
――初めてヨルドが目にした幼き日のノアと、これからの職場となった塔を見上げていたノアの鋭い眼差し。開けた未来を前にしているのに、まるで運命を呪うような恐ろしい視線の意味をずっと知りたかった。
たった今、その頃と同じ睨むような視線を向けられたヨルドは、ついにその答えを知る。
正面から城や塔を睨んでいたのは、緊張だとか、怯えや恐怖からなどではない。
歓喜だったのだ。絶望から救われた幼いノアの、望みが叶って目指していた魔術師になれたノアの、安堵や興奮、これからの期待――表情が緩みそうになるほどの幸福感に、けれども捻くれた彼はそれを素直に表すことを自分に許すことができなかった。
きゅっと顔に力を入れるから強張ってしまって、不機嫌そうな顔になってしまって。
汚れた姿であっても、強い感情を感じさせたあの眼差し。ぴんと立つ幼子の姿は今でも強烈にヨルドの瞼の裏にいる。
あの日と同じ眼差しが今、ヨルドに向けられているというのなら。
「――ノア。きみが好きだ」
「なんだ、突然……」
「うん。どうしても今、言いたくなったんだ。きみが好きだって」
素直でないノアの代わりに、それならいくらでも自分が言葉を重ねていこう――そんな決意を新たにしたヨルドの胸中などノアが知る由もない。
自分も同じ気持ちだ、なんて愛らしく返せるような人間でもないノアだけれど、でももうヨルドに、信じられるものかと突っぱねることはしない。
「もう、知っているさ」
ノアはただ、一途に想いを告げるヨルドに笑いかけた。
おしまい
clap
↑ ご感想等いただけると励みになります! ↑
↑ ご感想等いただけると励みになります! ↑