11

 

 ふと目覚めた誠士郎は、ゆっくりと目を開けた。それに気がついたルフィシアンが顔を覗き込む。

「ああ、セイ。起きたんだね」

 安堵したように息をつくルフィシアンを、まだ意識のはっきりしていない誠士郎はぼうっと見つめた。

「――ルフィシアン……?」
「少し熱が出ているから無理はしないで。もう少し眠る?」

 どうりで身体が気怠いわけだと、ルフィシアンの言葉で事情を察した誠士郎は、優しくかけられる声にふにゃりと笑った。

「セイ?」
「よかった。言葉、またわかんなくなっちまったら、どうしようかなって……」

 ルフィシアンと言葉が通じたことは夢ではなかった。それが嬉しくて素直に喜びを伝える。

「――それについても、これまでのことも、きちんと話すよ。もしセイが大丈夫というなら、寝たままでもいいから聞いてほしい。いいかな」
「ああ。おれだって、たくさん聞きたいことあっから、いいよ」
「ありがとう。そのまえになにか欲しいものはある?」
「水」
「わかった」

 すぐ脇に用意していたらしい杯が差し出される。受け取るため身体を起こそうとすると、ぴきんと痛みが走った。

「……ってて」

 下半身がやけに重たく、浮かしかけた背中は再び寝台に沈み込む。
 股関節も腰も痛くて、あらぬ場所に違和感があった。なぜこんなことになっているんだという疑問は、気を失う直前のことを思い出したことにより解決する。

(そうだ、ルフィシアンと――っ)

 魔法が誘った熱に浮かされていたそのときの記憶ははっきりしないが、だからと言って覚えていないわけではない。喘ぐしかできなかった激しい情交が蘇れば、全身の気だるさが熱だけのせいでないことに気づいてしまう。

「セイ、起きられそう?」
「……大丈夫」

 いつもであれば助け起こしてくれそうなところを、ルフィシアンも遠慮したのだろう。誠士郎がなにを考えたのか、真っ赤になった顔で察したようで、ただ気遣わしげに声をかけるだけだった。
 どうにか一人で身体を起こし、杯を受け取る。
 口に含んで初めて、自分が思っていたよりも喉が渇いていたことを知った。身体に沁み渡る水はほんのりレモンのような酸味のある果実のさわやかな味がする。疲れ切っている誠士郎のため、ルフィシアンが果実水を用意したのだろうか。
 一気に飲みきって、ルフィシアンに杯を返した。

「もっといる?」
「いや、もういい」

 ルフィシアンは寝台脇の卓上に杯を置いて、一度深呼吸をしてから誠士郎に向き直った。

「まずは身体の事から話そうか。ガヴィの魔法のことだ」

 こんなことになってしまった元凶である赤髪の男を思い出し、憎らしさを堪えるためにぎゅっと毛布を握る。
 ルフィシアンの友人であるし屈託なく笑う姿はからりとしていたので、悪い人ではないのだろうなと思っていたが、とんだ悪党である。もしまた会うことがあれば掴みかかってしまいそうな気もするが、明らかにガヴィのほうが体格はよかったので、さすがに無謀な喧嘩を売るつもりはないが苛立ちはいつか晴らさせてほしいと思う。

「もう、身体はなんともない?」

 浅い頷きで答える。
 身体が熱を持っていると感じてはいるが、それはあの身の内から焦がすようなうねる熱ではない。

「――ガヴィが勝手をして、本当にすまなかった。彼がセイにかけた魔法は、性欲を高め身体を興奮させるものだ。そして魔法をとくには、他人の手で射精しなければならないというもので、だからセイには申し訳ないけれど触れさせてもらったんだ」

 激しく抵抗をする誠士郎に引き下がることなく、手伝いだと説得してまで協力をしてくれた理由がこれでわかった。やはりルフィシアンは誠士郎を助ける以外の他意はなかったのだ。

「……でもおれ、その……あんたに何度もイかされたけど、収まんなかったぜ」

 魔法がとかれたと実感できたのは、ルフィシアンと深く交わってからである。それまでに口にと手にと彼の大きな手に翻弄されたはずだが、燻る熱はそのままだった。
 終わりの見えなかった苦しみを思い出し、悪いのはルフィシアンではないと理解しつつ気恥ずかしさも相まってつい尖った声になる。

「それなんだけど、あの後ガヴィに連絡をとって確かめた。そしたら、リィリィの実にかけた魔法の効果に偽りはないと言っていた。確かに周りの迷惑を考えない自分本位なところはあるが、こんなときに嘘をつくやつではないから、そこは信じてやってほしい」
「でも……だったらなんで、あんなことになったんだよ」
「セイはこの世界の人間ではないからか、魔法に対する抵抗力が皆無だったんだ。この世界での魔力が最低値の者であっても、今回のガヴィの魔法は、ガヴィの目論見通りにしか作用しないはずだった。だがセイは魔力がまったくないからガヴィの魔法をまともに受けてしまい、そのせいで予想外の効果を出してしまったようなんだ」

 魔力があれば少なからず魔法の影響を和らげることができるが、誠士郎はそのための魔力を一切持ち得なかったせいで、あれほどまでに乱れてしまったというわけらしい。

「ガヴィはぼくの手でセイを一度吐精させれば収まると言っていた。でもセイは苦しくなるくらい身体が高ぶってしまっていたし、一度出しても収まらなかった。だから、条件が変わったと思ったんだ」
「条件? その、他のやつの手でイかなきゃならないってやつじゃなくなってたってことか……?」
「そう。だからこれまでガヴィがつけたことのある条件を試してみたんだ」

 今回誠士郎がつけられた条件というのは、実はガヴィの魔法のなかではとても優しいものであったのだと話を聞いて知る。
 場合によっては、性交をしなければならなかったり、中に精を受けなければならなかったり。それだけではなく、前には一切触れず後ろの刺激だけで達さなければならなかったり、乳首だけでだったりとか、中出しの回数が定められていたりとか、初めてでは条件達成が難しいものまで実際にあったそうだ。

「じゃ、じゃあ、あんたがおれにいれたのは……」
「そう。もしかしたらそれが条件なんじゃないかと思ったんだ。だから断りも得ずにセイを抱いた。でも、いれるだけじゃ解放された様子がなかったから――だから、中に出した。そうしたら魔法の効果が切れたようだったから、それが条件だったんだろう」

 はっきりと言葉にして現実を告げたルフィシアンに、受け入れることが初めての隘路を容赦なく擦り上げ、散々に泣かされた記憶が蘇る。自分が自分でなかったような痴態を晒したという実感はあまりないが、ルフィシアンにはしっかり見られていたのは間違いようのない事実だと突きつけられる。

「――っ」
「ごめんね、セイ。嫌な思いをたくさんさせてしまった」
「あ、謝んなよ……」

 否定する言葉は思いの外小さく出てしまい、やっぱり嫌だったろうと勝手に決めつけるルフィシアンに強く首を振って見せた。

「そりゃ、わけわかんなかったし、苦しかったし、自分の身体がおかしくなっちまって怖かったけど……でも、あんたはおれを助けてくれたんだ。その……あんま、痛かったわけじゃねえし。それどころか、すっげえよかったって、いうか……と、とにかく嫌ってわけじゃなかったから!」

 考えがまとまらないまま口にしているので、たどたどしくなってしまう。そのせいで余計なことまで口にしている気もするが、それだって誠士郎の本心であることは嘘ではない。
 驚いたし、突然のことで拒絶もしたが、それでもルフィシアンは誠士郎を傷つけないように、ただ快感だけを与えようとしてくれた。
 触られることが嫌だ、とは確かに思った。だがそれはルフィシアンに触れられること自体が嫌だったわけではなく、自分の情けない姿を見せるのが耐えられなかっただけだ。熱に浮かされた身体は肌を指先で撫でるだけで過敏に反応した。それがつらかったというのもある。
 尻をいじられることも挿入も許した覚えもないが、それだってすべて誠士郎のためだ。ルフィシアンが行動してくれなければ、きっと今だってあの切ない熱を抱えたままであっただろう。

「それにあのときのおれは正気じゃなかった。ルフィシアンはただそれを助けてくれただけ、それだけだ。それが事実だろ」

 ルフィシアンが謝ることはないと必死になって訴える。
 沈黙から、ルフィシアンがまだ納得ができていないことがわかる。だが誠士郎はもう早くこの話から離れたかった。なによりあの痴態を忘れてほしいのだ。

「な、この話はこれで終わりにしようぜ。あとでガヴィに注意してくれれば、それでおれはいいから」
「だが……」
「いいんだってば! これ以上話を長引かせたって気まずくなんだけだろ……殴るのだってしねえからなっ」
「――セイ、ありがとう」

 もうおしまいだとそっぽを向けば、ぽつりと呟くようなルフィシアンの声に、誠士郎は苦い気持ちになる。

(それはこっちの台詞だっての)

 誠士郎のほうこそ伝えなければいけない言葉だが、不可抗力だったとしても抱かれてしまったことを思えば素直にお礼を伝えることができない。
 その申し訳なさもあり、ルフィシアンに顔を戻した誠士郎は別の話題を切り出す。

「な、それよりもどうしていきなり言葉がわかるようになったんだ? これまでずっと通じなかったのに、あんな丁度いいときになるなんて」
「ああ、それなんだけれど、セイがしているその腕輪のおかげなんだ」

 指差された自分の左手首を見れば、細い金の腕輪がついていた。それはルフィシアンがよく身に着けていた、同じ形をした三つの腕輪のうちのひとつである。

「腕輪にはぼくの魔力が宿ってる。腕輪にかけた魔法を蓄えたそれで維持し、ぼくの言葉を理解できる魔法具としたんだ。だから腕輪を身に着けている間だけは話ができるよ」

 試しに腕輪を外してみると、誠士郎の意図に気が付いたルフィシアンがなにかを話す。しかしそれはこれまで聞いていたふわふわとした発音のルフィシアンの国の言葉で、腕輪をつけるとまた言語を理解できるようになる。

「すげえ、本当だ……でも、こんなものがあるならなんでもっと早くにこれを出さなかったんだ?」

 そうすれば言葉が通じないことで苦労することはなかったし、この世界に来てすぐにでもきちんとルフィシアンと話ができたはずだ。
 意図的に隠しておいたのではないか、そんな疑いを向けられていることにルフィシアンはすぐに気がついたようだ。

「――ごめんね。きちんと話すけれど、それはこの後にしてもいい?」
「……なら先にひとつだけ聞かせてくれよ。あんたはよくこの腕輪をつけていたけど、そのときおれの言葉わかってたのか?」

 腕輪をつけるのは仕事をするあいだだけ、魔法装束に身を包むときだけだ。腕輪をつけただけで誠士郎がルフィシアンの言葉を理解できるのだから、逆も可能なはずである。

「いや、セイの言葉はずっとわからなかったよ。しようと思えばできたけれど、しなかった」
「なんでしなかったんだよ」
「ぼくがそれを望まなかったからだ。セイの言葉を聞きたくなかった。……あ、別にセイを嫌ってのことではないからね?」

 まるで自分を拒絶するかのような言葉に誠士郎が目を伏せると、慌ててルフィシアンは言葉を足した。

「ぼくがつけているのを見かけたと思うけれど、その金の腕輪だとか、耳飾りや帽子の飾りだとかの宝石類もすべて魔力を高める道具であるんだよ。ぼくはあまり魔力があるほうではなくてね。装備品はたくさんつける必要があったんだ」

 ルフィシアンはきらきらとする飾りものをたくさんつけていたが、同じく魔法を扱うガヴィは最低限しか身を飾るものをつけていなかったことを思い出す。つまりガヴィのほうが自身で保有している魔力が高いということなのだろう。

「その魔力とか、魔法だとかって、この世界では当たり前なのか?」
「そうだね。みな多かれ少なかれ魔力は持っているけれど、だいたいは魔法を発動できるほど持ち得てはいないんだ。だから誰しも魔法を扱えるわけではないんだよ。セイの世界では?」
「おれの世界では魔法なんか物語の世界だよ」

 誠士郎には魔力がないというが、むしろ誠士郎の世界ではそれがあたりまえではないだろうか。過去には魔女だとか、超常現象やら不可思議なことが起きていることもあったそうだが、眉唾ものであったり科学で証明できたりと、過去の奇跡は暴かれつつある。
 ときに霊力や超能力がある人がいるようだが、もしかしたらそれが魔力のようなものであるのかもしれない。
 少なくとも誠士郎やその周りでは特別な力を持つ者はおらず、魔法などとは無縁の生活であった。

「もう気づいているかと思うけれど、ぼくは魔法を取り扱う人間、魔法使いなんだ」
「やっぱり、そうだろうって思ってた。よく来るお客さんにしていたのも魔法だよな?」
「そう。召喚はぼくがもっとも得意とする魔法で、生業としているんだ」

 魔法使いによって扱う魔法の種類は異なり、同じ召喚であってもできることは違うことはよくあるそうだ。
 たとえば、契約をした魔獣なる獣を喚び出せるものや、異次元に仕舞った道具や指定の場所に置いたものを取り寄せたり、一定の条件を満たすものを出したりするのだという。
 ガヴィは人間の五感を操ることを得意とするが、人間以外にはかけられない。召喚魔法も使うことはできるが、せいぜい近場から片手程度の道具をとり出すくらいなのだという。それは召喚魔法の初級程度のものだそうだ。対してルフィシアンはガヴィの得意魔法を一切使用することができないが、召喚魔法にあたるものは大抵扱えるし、その範囲は世界中で、取り寄せられるものも家くらいの大きさのものまで可能なのだと言う。

「なあ、ルフィシアンの仕事ってなんだ? 客のためになにか召喚してるってのはわかったけど、みんなすげえ嬉しそうだった」

 召喚されたものを受け取った客人たちはみな、年齢性別関係なく飛び跳ねそうなほど喜んでいだ。だが彼らが抱きしめるそれは、誠士郎から見ればがらくた同然のもので、どうしてあんなにも興奮していたのかがどうしてもわからなかったのだ。

「ああ……ぼくの召喚しているものはね、彼らの運命の相手のものなんだ」
「運命の、相手?」
「そう。愛し合う人――要は最良の相性の相手、ということなのだと思うが、みな運命と呼ぶから、ぼくもそうすることにしているんだ」

 夢見がちな言葉ではあるが、甘い容姿のルフィシアンが口にするだけでまるでそれがロマンチックな響きとなる。
 ルフィシアンが言えば真実味があり、運命など信じていなかった誠士郎でさえあっさりあるものだと心を改めそうにさえなる。それだけ彼は真摯に告げたのだ。

「いつもみな、召喚されたものを持ち帰っているだろう」
「あのがらくたみたいなやつだろ」

 はっきりとした誠士郎の物言いに、ルフィシアンは小さく笑った。

「そうだね。他の人から見れば価値がないものかもしれない。でもそれはね、運命の相手に通じるものなんだ。たとえばこのあいだ一緒に見た絵本を覚えている? あれは緑の国の子どもが読んでいるものでね。それに本の間には写生したものが挟まれていて、それが緑の国の観光地のものだったから、多分本の持ち主が住んでいるのはその辺りなのかもしれない」

 それを目印にして、みな自分の運命の相手に会いに行くのだと言う。

「でもそれって結構曖昧じゃないか? 観光地に行ったときに描いただけのもので、実際その近くに住んでいるわけじゃないと思うけど。それにあの本は随分古いように見えたし……」
「よく見ていたね、セイ。その通り。恐らくあの絵本は持ち主が幼い頃に手にしていたもので、写生されていた用紙も古かったから、ずっと前に描いてそのまま仕舞われていたものだと思う。持ち主でさえ、どこにあるかもわからなくなっていたかもしれない。ぼくが召喚できるのはそういう不要とされたものが多いんだ。なくなっても困らないようなものだね」
「そんなんで本当に会えるのかよ」

 恐らく出身はこの辺りだろうというのがわかるだけで、実際当人を探すとなればまさに藁の中から針を探すような作業である。
 いくらなんでも無謀すぎるのではないかと思うのを隠さない目を向ければ、ルフィシアンはあっさりと自分もそう思うんだ、と言った。

「召喚したものからどこに行けばいいかはっきりとわかるのは稀で、大体はぼんやりとした手がかりしかないんだよ。探さなければならない範囲は決して狭くはないんだ。でも不思議なことに、みんな出向いた先で運命と出会えたそうだよ」

 運命の相手に関連するものを召喚した報酬は、求める相手に出会えたら支払ってもらうようにしているらしく、報酬を受け取ると同時に結果も報告してくれるそうだが、ときには仲睦まじい様子で相手と一緒に来る人も多いのだという。
 大体の者は一か月ほどで出会えているのだそうだ。これまでルフィシアンの客となった者は、必ず成果を出しているという。

「おかげで〝結びの魔法使い〟と呼ばれるようになったけれど、自分でも不思議なんだ。なんでみな出会えるのだろうか、と。なぜそれが運命の相手だとわかるんだと」

 ルフィシアンは顔を俯かせ、いつも腕輪をつけている右の手首を撫でた。

「なかにはね、一度付き合っても別れちゃう場合もあったんだけど、数年後、復縁するなんてこともあるんだ。運命の相手であっても、そのときには必要なかったんだって、復縁した人たちは言っていたけど、そんなものなのかなと思うよ。その二人を結んだのはぼくだというのにね」

 ぼやくような言葉は、誠士郎に向けているというよりも、純粋に抱える己の疑問を口にしているようだった。
 運命などというが、それは目に見えるものではない。だからこそ自分が繋げた運命がただしくあるかわからず、しかし必ず結ばれる者たちがルフィシアンには不思議でならないのだ。

「だからぼくは、ぼくの魔法を証明したかったんだ。みなが得た幸せは偽りではないと。無理矢理結んでしまったものではないんだと」

 ルフィシアンは顔をあげ、誠士郎を真っ直ぐに見つめた。

「セイ、きみは――」

 なにかを言いかけたとき、部屋の扉がカリカリと引っ掻かれた。

 

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