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「勇者とて人間、そして男です。けれども魔力を狂わせる力のせいで触れられる相手は限られています。つまり、一般人の女性とは性欲を発散させることができないのです。そこでわたしです」

 魔術師であるリューデルトであれば、勇者の魔力にあてられて、己の魔力を暴走させる、ということもないのだという。魔力の流れを知り、そして制御できるだけの力量があるからだ。
 もし暴走を抑える能力のない人間が勇者に触れれば、魔力を熱湯のように沸騰させ、身体を蒸発させて死にゆくとされている。実際リアリムはその現実を目の当たりにしたことはないが、勇者の素肌を覆う服装や、いかなるときでも他人を避ける姿、そして供であるリューデルトたちの言葉に、騙されている、と疑うつもりはない。なにより、勇者たる者がそんな嘘をついてどうするというのだ。
 いくら勇者といえども人を狂い死なせる力があるなど、印象があまりにも悪くなる。だからこそリューデルトたちも初めのうちは出来得る限り、このことをリアリムに伏せようとしていたのだろう。気軽に触れ回れるほど生易しい現実ではない。勇者でなければ迫害に遭う立場になるほど、重要な真実だ。
 その力のせいで、勇者は気軽に他人に触れられない。しかし勇者もまだ若い青年だ。いくら使命のある旅をしているとしていても溜まるものは溜まっていくものだ。その蓄積されたものを溶かしていくのが、リューデルトの役割だという。
 リューデルトは勇者と同じく男であるが、その美貌は同性であろうとも魅了する。町を歩いてすれ違う女よりも美しいのだから、他に目を向ける気も失せ、なにより“触れてもいい”のだから、勇者はリューデルトを利用するのだろう。
 まだ浅い付き合いだからこそ、二人にまさか肉体関係があるとは思わなかったリアリムは、どう反応していいかわからず素直に困惑の表情を浮かべた。
 当然のように周囲に溢れる男女の恋愛のなかで、同性同士の性行為がまったく引っかからなかったわけではない。だがそれは未知なるものに触れた恐れのようなもので、戸惑ってしまったのは勇者とリューデルトの関係のほうだった。
 なんと声をかけたらよいのか悩むリアリムをしばし眺めたリューデルトは、やはり穏やかに微笑んで見せた。

「ふふ、安心してください。確かに周囲の思惑ではありますが、わたしどもは身体を重ねたことなどありません。それどころか同じ寝台に並ぶことすらありませんでしたよ。勇者さまはわたしを、ちゃんと仲間として評価してくださっているんです」
「あ……そう、なんだ」

 知らず知らずのうちに力が入っていたらしい肩から、脱力するように気が抜けていった。

「まったく、勇者さまが見境なく人を襲うなど、あるわけがないでしょうに。それでは自分たちが若い頃、理性を欠いたけだものであったと暴露しているようなものだとは思いませんか?」

 リューデルトは勇者の供に“選ばれた”と言っていた。選出する機会があり、それには恐らく、リューデルトの顔立ちで勇者に推した者たちがいたのだろう。
 しかし勇者は周囲の思惑ではなく、純粋にリューデルトの魔術師としての腕を買ったのだ。リューデルト自身己の力に自信があり、だからこそ下卑な思考で供にさせようとした者たちを嫌っているのだろう。
 リアリムはなんと応えていいかわからず、曖昧な表情で笑うしかなかった。
 珍しく嫌悪をわずかながらに覗かせたリューデルトは、取り繕うように再びまとまって置かれた荷物に振り返った。そこからリアリムの荷物を手に取って、渡してくる。
 なぜ自分の荷物を渡されたのかわからないリアリムは頭上に多くの疑問符を浮かべながらも、素直に受け取った。

「ではリアム、あなたの部屋はこちらではないので、移動してくださいね」
「……えっ?」

 四人いる勇者一行は二部屋ずつしかとってはいない。それぞれの場所に寝台はふたつずつあるため、二人一組になってそれぞれの部屋に泊まるのだが、片方にはすでに勇者がいるはずだ。
 勇者の同室には、リューデルトか、もしくはラディアがなるものだと思っていた。嫌われているわけではないらしいが、好かれているわけでもなく、ましてや同行者となって日が浅い自分がなるわけがないと決めつけていたところもある。
 しかし荷物を渡され、もう一室へと追いやられようとしている今、勇者の同室者はリアリムであることを示していた。

「で、でも、おれが一緒じゃ、勇者さまは気が休まらないんじゃ……」

 一気に表情を曇らせたリアリムに、リューデルトは首を振った。

「これは、勇者さまたっての希望なのです」
「勇者さまの……?」

 ますます広がる困惑を、リューデルトとて理解しているのだろう。
 彼はいつものようにその口元にささやかな笑みを浮かべ、けれどもリアリムからは目を逸らして己の手を見下ろした。

「――リアム。あなたは無条件で勇者に触れられる、唯一の存在です。ですから人肌の温もりを、安らぎを、あの方に教えてはいただけませんか」
「おれ、が……?」
「ええ。あなたさえ、よろしければ」

 俯かせていた視線を持ち上げたリューデルトは、その紫の瞳で真っ直ぐにリアリムを見据えた。
 以前、勇者の供である彼は、寂しげに言ったのだ。
 勇者とは、孤高でなければならないと。一人でなくてはいけないのだと。
 そのときのリアリムは、言葉の真意を悟ることができなかった。当然だろう。なにも聞かされてなどいなかったのだから、知る由もなかったのだ。しかし真実を知った今なら、あの表情の意味がわかる。
 勇者は誰も近づけさせない。それは彼が“勇者”であり、誰も並び立つことのできない惟一人の存在である驕りからきているのではないのだ。あくまで、他者を思ってのことだった。
 彼自身が望んで他人を拒絶している。そしてそれにこそ、リアリムを含めた人々は救われていたのだろう。
 もし勇者が気さくな若者で、纏う雰囲気も柔らかく声を掛けやすい存在であったのなら、人類の希望ということもあり、誰もが彼に惹かれていっただろう。しかし不用意に近づき触れてしまえば、他人の魔力を暴走させる力で苦しみ悶えながら死してしまう。
 狂わせの力を持つ勇者は、その力を悟るまで、幾人の者の命を奪っていったのだろうか。幾度の悲劇を招いてしまったのか。そこにどれだけの恐怖があったのか、リアリムには到底わからない。
 勇者の隠された真実を知ったところで、リアリムはまだ彼に出会って間もないことに変わりないのだ。会話もろくになく、目を合わせることもそうない相手だ。勇者がどんな性格で、どんなことを思って魔王討伐への旅をしているのかまったく知らない。実は彼の内がこれまでの振る舞い通りの男かもしれないし、もしかしたら正反対のものを秘めているかもしれない。
 これまでの短い旅のなかで、これから長い旅路をともにすることもあり、リューデルトとラディアとはそれなり会話をしてそれぞれの人となりを探りあっただろう。それをしなかった勇者は謎が多い。彼はこういう者だと、決めつけることさえもできないほどに、あまりにもリアリムは勇者自身に対して無知だ。
 だがひとつだけ、リアリムだけが知っていることがある。リューデルトも、ラディアも知らないこと。
 それは、リアリムを恐れながらも触れてきた指先。勇者たる自身の身体が、力が、これまでにどれだけ彼を苦しめていたのか、触れあった肌から教えるようだった。
 頑なに拒んでいた接触、けれども自ら伸ばした手。あのとき見ることができなかった勇者の表情。
 もしも、彼を知っていれば、あのときの自分は目を開けていただろうか。なにか、応えられたのではないか。
 もっと、彼を知ることができれば、なにかが変わるのではないか。

「……その。勇者さまの、その力は……ずっと、ああだったのか?」

 リューデルトの様子を窺いながら投げた問いは、自分でも驚くほどにひっそりしていた。
 きっと、恐れていたのだろう。勇者は孤高でなくてはならないと言ったリューデルトを。知らなくていいと、変えなくていいと、拒絶されることを。
 しかし少ない言葉を交わした程度で、リアリムはまだリューデルトのことも知れていなかったのだ。
 あのとき見せた悲しげな微笑み。寄り添ってほしいと願いを口にしたラディアを、彼は止めなかった。それだけでも十分に勇者の仲間の内なる祈りを教えているが、そもそも勇者を託そうとしているのは、他ならぬリューデルトだった。
 リアリムの問いに、彼は拒否ではない言葉を返した。

「ええ。幼い頃から――それどころか、母親の気を触れさせ、生まれてすぐに命を奪ったともされております。あくまで噂ですが」
「噂?」

 リューデルトの言葉のひとつひとつに衝撃を受けたリアリムだが、最後に付け足された言葉に引っかかりを覚える。

「勇者さまは出生が不明なのです。誰にも気がつかれぬうちに我が国の王座の前に寝かされていたとか」

 そんなことがあるのだろうか。警備が厳重な城の中で、一人の赤子が置き去りにされるなど。
 普通であれば疑いたくもなるような話ではあるが、リューデルトは真剣そのものだ。嘘を言っているようには到底思えず、リアリムは信じるより他になかった。

「この話は、内緒ですよ。我が国でも極一部の者しか知り得ないことなのです」

 それをリアリムに話すということは、仲間としての信頼が芽生えたから、というのであれば、それは陳腐な理由だろう。
 その裏にある思惑をリューデルトは隠すつもりなど微塵もないようだった。

「リアムにとっては迷惑な話かもしれませんが、わたしはあなたに希望を見出しました。勇者さまが人であれるよう、引き留めてくださる可能性を」
「人で、あれるよう……?」
「勇者さまに限らず、わたしでも、リアムでも、人は簡単に“人”でなくなれるものなのですよ。人としての形は失わないでしょう。しかし人それぞれが持つ心は呆気なく砕け散ることもある。一度砕けたものを直すことは至難の業です」

 人の心。それは形無きものであるが、確かに誰しもの胸に抱えられているもので、輪郭を持たずとも壊れてしまうこともある。
 心が砕ける、という理由は様々だ。つらいこと、悲しいこと、苦しいこと。恐怖心に、緊張に。そして人それぞれ許容できるものも違う。ささやかな不幸で挫けてしまう者もいれば、どんな逆光でも耐え抜き折れぬ心を持つ者もいる。
 リューデルトの言葉に、リアリムは真っ先に集落の惨状を心に映した。つきりと胸が痛み、ふと、これまでどう呼吸をしていたのかわからなくなる。だがそれはまだ心が押し寄せる絶望に抗っているからこその苦しみであって、己を保っているからこそ感じることができるものなのだ。
 自分が自分であるために、もっとも大切なもの。一度それが粉々に砕けてしまったのなら、自分もまた同じく欠片となってしまうしかない。
 リューデルトはそれを“人でなくなる”、と言った。そして彼は、そうして人でなくならないよう、勇者を“引き留めてくれ”とも口にした。

「――勇者さまは、勇者であるが故に、多くの者から強さを求められ、慈悲を願われ、大きな希望を託されます。そして重荷は、勇者さまただお一人で背負わねばならないものなのです。わたしやライアが隣にいても、見守ることしかできないのです。それほどに勇者たる者は強く、貴く、孤独であるのです」

 もしその背に負った多くの荷物に耐えきれなくなったとき、そのとききっと勇者の心は押し潰されてしまうのだろう。心が本来の姿を失うのだから、勇者といえども己を保てなくなる。
 リューデルトは己の胸に手を置き、巻き込んだ服の皺を寄せながらぎゅっと拳を握った。
 きつく結ばれたそれに、一緒に握りこまれた想いが、微かに震える声音とともに吐き出される。

「でももしかしたら、あなたなら。勇者さまが自ら触れることが許されるあなたであれば、勇者さまの重荷を、支えてくださるのではないかと――……すみません、こんな話」

 一度ゆっくり瞬き、リューデルトは静かに拳を解いた。くしゃりと跡を残す服を軽く伸ばして、改めてリアリムに向き直る。そこに先程まで見せていた影はどこにも見当たらなかった。

「出会って間もないあなたにすべき話でないのはわかっています。それこそあなたに過度の負担を強いることになる。あなたは魔術師でもなく、戦士でもない。本来我々の旅に加わるはずのなかった一般人だというのに。ですが、じっとあなたと勇者さまが支え合う仲になるのを待つことができないほどに、昨夜の出来事は我々にとって大きなものだったのです」

 まっすぐに自分を見つめる瞳に、リアリムは彼の強さと、そして弱さを知った気がした。
 勇者を想うが、己の無力を認めざるを得なくて。本当は自分がそうしたいのに、それを突然現れた者に託すしかできなくて。けれども彼は歯噛みするでもなく、自身では成し遂げることのできない希望をリアリムに預けようとしている。リューデルト自身が理解しているように、これまで勇者の存在とは無縁だった小さな集落の青年に、託すにはあまりにも重たすぎる願いを。
 安易に頷くことはできなかった。それだけリューデルトが真摯であり、その想いを受け入れるだけ器がリアリムになかったからだ。

「いえ、なにも仲を深める必要もありません。ただ勇者さまに、教えていただきたいのです。人の、あなたの温もりを」
「――温もり……」

 自分でいいのか、などと聞き返す愚かな真似はしない。リアリムがいいのではない。リアリムしかいないのだ。
 己の魔力を制御できる魔術師は確かに勇者に触れられるが、それには精神の統一が必要で、緊張感を抜かすことはできない。それにもし万が一制御に失敗したのならば、いくら魔術師といえども待つのは惨い死だ。そんな危険を冒してまで勇者もあえて相手と触れあおうとは思えないだろう。
 しかしリアリムであれば、魔力を持たない者であれば、暴走するものがないのだから頭を空にしていたとてして問題ないのだ。なんの気兼ねもなく、唐突であろうとも。
 ただ触れあう、誰もが当然にできることであっても許されなくて。リアリムにとってもこれまで当たり前感じてきたものを知らない勇者に、はたして自分のような者が教えるなどと、あっていいことなのだろうか。
 たとえ勇者の仲間に願われても、自分しかいないとしても、それでもやはりリアリムはただの人なのだ。特別な力があるわけでもなく、特別な役職にあるわけでもなく、ただ魔力がないだけの、これまで平凡な人生を送ってきたどこにでもいる男だ。けれども勇者は違う。この世界に代わりのいない、神より導かれし光の使者。人々の救世主だ。
 そんな彼にのしかかる重しを、支えるよりも以前に、はたしてリアリムが触れていいものであるのか。そのせいで、どうにか保っている均衡を崩してはしまわないのか。もしも崩壊してしまえば、それこそリアリムはなにもできはしないだろう。
 けれど――

「……教えるなんて、おれはそんな大層なことはできないよ」

 顔を横に向けぽつりと零れたリアリムの言葉に、リューデルトは悟られぬように一度目を閉じた。

 

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