19

 

 勇者として名乗り出て、町の混乱とスーリからの難民たちを落ち着けることができたリアリムたちは、その後三日ほどツェルの町に滞在し、人々の心に寄り添うことにした。
 他にも魔族襲来を警戒していたが、闇の眷属らが現れることはなく、中断させていた旅を再開させる。
 陸路を進みスーリの町に起きた悲劇を目に収め、その惨状を心に刻む。決して魔王を許してはおけないと、リューデルトは今回の被害者たちへの祈りを捧げながらきつく手を握り締めていた。
 それから海沿いを行き、漁村の次に立ち寄った町、ファルスでラディアが体調不良を訴えたのだった。
 四人はまず初めに宿屋へ立ち寄ったのだが、今回はすぐに情報収集に移ることもできずに、寝台で横になり真っ青な顔をするラディアを取り囲む。
 勇者はいつものように一人壁際にいたが、リアリムと勇者に割り当てられた部屋でなく、わざわざラディアとリューデルトの部屋にいるのだから、少なからず仲間を心配しているのだろう。
 まだそれほどともにいた日数を重ねたわけではないが、なんとなく勇者の人となりを掴み始めているリアリムはそう考える。
 意識をほんのわずかに勇者に傾けている間に、腕を組んだリューデルトの尖った声がラディアを突いた。

「それで? あなたはあれほどわたしとリアムが注意して選別をしたものでなく、そこらに実っていた果実を、小腹がすいたからといってつまんだと」
「だから悪いって言ってんだろ……反省してるって。まさか毒性があるとは思わなかったんだよ」

 いつもは軽やかに聞き流すリューデルトの小言も、流石に今は突き刺さるのだろう。ラディアは力なく深い溜息をついた。
 ラディアの体調不良の原因は、人間にとって有毒な成分を含む種を有するサラナンの木の果実を食べてしまったことにあった。
 実のほうにも若干の毒性はあるが、そちらは多少腹を下すこともある程度で大した問題にはならない。しかし種が強烈で、胃液によって溶かされることで中毒症状を引き起こし、最悪死に至る。
 とはいってもラディアが摂取したのはサラナンの果実ふたつなので、命に別状はない。しかし症状は表れているためにひどく青い顔をしていた。道中は堪えていたが、宿屋についた途端に吐いたせいもあるだろう。
 激しい頭痛にも襲われているようで、ここに来るまでに時折ふらつくこともあり、危なっかしくてリアリムが支えてやった。さすがにこれは手に負えないと医者を呼んだ結果、毒が抜けきるのには二日かかるだろうと診断されたのだった。
 確かにサラナンの種は毒があるし、死すらも有り得る油断ならないものではあるが、それは大量に摂取したときに起こるものだ。ラディアは種を六粒から食べねばならぬ症状の程度を見せていた。二粒しか食べていないと言えば、医者も珍しい症例だと不思議がっていた。
 医者に処方された薬を飲ませてようやく落ち着くことができたラディアに、リューデルトがサラナンの実を食べる経緯を尋ねて今に至る。
 ラディアはまだ回復しきっていないのだし、話はまた後でにしようと言うまで、リューデルトの説教はくどくど続いていた。

「――確かにリアムの言う通りですね。それに、今聞かせたところで頭に入らないでしょう」

 ようやく区切りをつけたリューデルトは、それでも言い足りなさげにラディアを見下ろした。

「今日と明日はわたしが見張っていますので、大人しくしていてくださいね」
「なにかする元気もないっての」

 もう小言は沢山だ、とでも言いたげにラディアは毛布を頭から被る。
 ようやく眼光を和らげたリューデルトは、普段の表情に戻って勇者とリアリムに振り返った。

「ライアの面倒はわたしにお任せください。お二人は気にせず、どうぞご自由に」
「おれはいつもみたく町の人に色々と聞いてくるよ。他にやることもないし」
「わかりました。ちゃんと夕飯までには帰ってきてくださいね」

 わかっているよ、とつい頬を緩ませながら頷いた。まるで母に心配される子のようだ。
 あれほどねちねちと小言でなじっていたリューデルトだが、彼も彼なりにラディアを心配しているのだろう。
 宿屋に辿り着く途中で購入した、さっぱりとした甘さとほどよい酸味を感じるまだ少し青いものを取り出し、切り始めた。恐らく気分が悪くろくに食べ物を受けつけられないラディアのためだろう。
 二人に行ってきます、と言ってリアリムは部屋を後にした。荷物を取りに自分に割り振られたほうの部屋に向かえば、そのあとから勇者がついてくる。
 寝台の上に置いておいた荷の中から持ち運びに便利な小型の鞄を取り出して、そこに財布となにかがあったときに使うリューデルトから渡されていた綿に似た魔導具、それと水筒を入れて、腰に巻く。ヴェルも胸に縫われた衣嚢のなかに入り込んだのを確認して、身体を起こした。
 窓際の寝台の上で胡坐を掻く勇者に振り返る。

「なにか買ってくるものはありますか?」
「ない」

 これから剣の手入れでもするつもりなのだろう。そのための道具を広げて抜き身の刀身を見せている勇者が目を向けることはなかった。それでも口だけは動いて、いつも通りの返事を聞いてから、リアリムは部屋を出る。
 一階に下りる階段の手前で、ふと扉が開く音がした。
 振り向くとのろりと扉から顔をだしたラディアと顔を合わせる。

「厠に行こうと思ってな」
「手を貸そうか?」
「いや、そこまでじゃ……っとと」

 歩き出したラディアは覇気のない笑みを浮かべていたが、途中でうまく足が動かなかったのか蹴躓いた。咄嗟にリアリムが手を差し伸べて事なきを得たが、もしいなければ倒れ込んでいただろう。
 自分よりも体格のいい男を支えるのにリアリムは非力であったが、どうにか潰れずに済んだことに安堵する。

「大丈夫か?」
「悪いな。思ったより力が入んねえみたいだ。やっぱり下まで降りるの、手伝ってくれるか?」
「もちろん。それじゃあ腕回してくれるか?」

 肩を貸してやりながら、一段一段注意して慎重に階段を下りていく。無事平面に両足をつけられたときには、安堵に肩の力を抜いた。
 身体に寄りかかっていた重みを退けて、ラディアは自分の足で立つ。

「悪かったな。そんじゃあおれの分までしっかりと聞いてきてくれな」
「また上がるだろ? それまでいるよ」
「それくらいなら一人でできるさ。――そんじゃ、いってらっしゃい」

 リアリムの返事を待たずして、ラディアは背を向ける。ひらひらと手を振りながらゆっくり進んでいく後ろ姿を見送りながら、リアリムもゆるりと手を振り返した。

「……いってきます」

 まだ半年も経っていないというのに、ひどく懐かしい言葉のように思えた。
 胸の衣嚢に大人しく収まっていたヴェルであったが、宿屋を出た途端に抜け出して、どこかに行ってしまった。
 自由気ままな友人にはよくあることで、リアリムが帰って来る頃には宿の傍に必ずいるので、今更心配することなく自分も町の中心へと繰り出す。
 ラディアの静養も兼ねているため、閑静な場所を求めて今回の宿屋は少し奥まった場所でとったために、人通りが多いところまでに少し距離がある。
 人の気配の少ない道を通りながら、帰り際、ラディアになにか滋養のあるものでも買っていってやろうかと考える。もともと外に出るのが好きで、身体を動かすほうが合っている性分なのに、自業自得とはいえども今は寝台から離れられないことはラディアにとって苦痛であるだろうと思ったからだ。なにより、あそこで伏せる以上はリューデルトからの小言を延々と聞かされるのだろうから、鬱憤も溜まることだろう。せめてもの土産のひとつでも用意してやれば、慰められるかもしれない。
 とはいえ少々口うるさいところのある魔術師が心配してのことだということを、あの男も十分に理解しているので、甘んじてそれを受け入れてはいるのだが。
 甲斐甲斐しく世話を焼くのであろうリューデルトにもなにか食べ物を持ち帰ろうとも思った。そして、いつも留守番をする勇者にも。
 こうして町に情報収集に出る度に、リアリムは勇者に町の名物を持ち帰るようにしていた。荷物になっては困ると、食べやすい果物だったり、運びやすい食べ物だったりを選んでいる。無言といえどもすべて食べきってくれているのだから、嫌がられてはいないはずだ。
 自身の魔を呼ぶ力の封じ方、そして魔王城の場所はきっと今回も聞くことはできないだろうが、名物の料理くらいならばまさか教えてもらうことができるだろう。
 前回は漁村らしく小魚の串焼きを売っていたが、塩が振られたふっくらとした身を思い出すとつい涎が出そうになった。
 皮が少し焦げ気味だったが、その苦みも風味も、かぶりつくと溢れた熱い脂もおいしかった。できることなら、冷めてしまったものでなく、リアリムが口にしたのと同じ舌を火傷してしまいそうなほどに出来立てのものを食べさせてやりたかったと、勇者がもくもくと食する姿を見ながら思ったものだ。
 つい意識が一人の男に向いてしまって、リアリムは内心で苦笑する。相変わらず勇者との間に会話はなく、関係もそれほど変わってないのだが、それでもつい考えてしまうのは彼のことらしい。
 なかなか懐かぬ野良猫のように、思っているのかもしれない。
 勇者を慕う人々が聞けば怒るかもしれないが、リアリムにとって勇者はそれに近いように感じているのだと思う。
 リアリムに触れるとき、いつも彼は怯えていた。未だに肌に指先を伸ばそうとするとき、勇者が一瞬躊躇うのを知っている。そして触れあって、ああ大丈夫なのだと確認するようにほんのわずかに顔の力を抜いて。
 だがリアリムから手を伸ばせば、勇者はすぐに逃げていく。指先をかすめることすら許されないほど素早く遠くに。だがそれほどにまで他人との接触を恐れる理由を知ってしまったのだから、多少寂しい気持ちがあるだけだ。
 初めはあれほど、彼は勇者さまなのだからとやたらに畏怖してしまっていたが、今ではすっかり野良猫扱いできてしまうほどには気楽になった。勿論本人に直接言えるわけもないし、最低限の線引きを忘れはしないが、それでもより自然に接することができるようになっただろう。
 勇者に対して近づき過ぎかとも思ったことがあったが、彼の従者らは黙して見守ってくれているのだから、きっと許される範囲であると自分に言い聞かせている。
 ふと前方に人々が多く行き合う大通りが見えた。そこから三人組の男がリアリムの歩く小道に入ってくる。
 まずは彼らに情報を聞き出そうと思ったが、三人の人相を見て止めた。
 目がうつろで、覇気がなく、粗暴な雰囲気が滲んでいる。決めつけはよくないが、あえて彼らに声をかけずともよいだろう。
 どことなく危ういような印象を覚える男たちもリアリムに気がついたのだろう。不躾な視線を向けられリアリムはそれとなく下に目を落としたが、男たちのものが逸らされることはなく居心地の悪さを感じた。
 広まって歩く三人を避けようと、リアリムは端に寄る。
 脇を通り過ぎようとしたとき、不意に腕を掴まれた。

「……っ!?」

 咄嗟に振り払おうとしたが、強く力を籠められ、指が食い込むほどの痛みに言葉をのむ。
 すぐに我に返り離せと叫ぼうとしたところで、隣から伸びてきた手に丸められた布を口の中に押し込まれた。

「ん、ぐ……っ、うーっ!」

 暴れようにも先手を打たれ、三人がかりで押さえ込まれる。後ろで両手を拘束されて 血管に通う血が止まってしまいそうなほど強く、布かなにかできつく縛り上げられた。そうなってしまえばろくな抵抗などできはしない。
 それでも薄暗い小道から光溢れる大通りへ助けを求めようと抵抗し、男たちの手から逃れようともがいた。しかし踏ん張ることもできないまま三人がかりの力に負けて、さらに奥の細い路地へと引きずられていく。
 行き止まりに突きあたると、身体に纏わりついていた手が離れた。好機かとも思ったが、肩を押されて後ろから倒れ込んだ。
 均等に並べられた石畳みに頭を打ちつけ、痛みにのた打ち回る。
 ぐわりと響く脳に翻弄されているリアリムの上に、初めに腕を掴んだ男がのしかかった。

「――っふ、う」

 リアリムのことなどまったく考えていないのだろう。男の重みに圧迫される腹が、自身の身体の下敷きになる腕が、制限される呼吸が苦しい。
 何故こんなことを。恐怖と怒りが渦巻く心で腹に乗る男を睨みつければ、彼の濁った瞳の奥にある狂気に、全身が粟立った。
 一瞬、彼の目の仄暗さにすべてを持っていかれる。しかしすぐに振り払い、唯一自由な足で蹴り上げようとした。けれどもそれはもう一人によってあっさりと捕らわれてしまう。
 それでも何振り構わず暴れようとしたところで、頬にひたりと冷たいものが押し当てられた。

 

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