12

 

 今すぐユールを自分のものにしたい。早くすべてを味わいたいと、自らの欲望に身体が焼け焦げてしまいそうだ。しかし衝動に身を任せればユールが傷ついてしまう。無意識に伸びようとした手を理性で抑えつけ、少しでも身を巡る熱を逃がそうと息を吐き出す。
 一度頭を振りどうにか冷静を取り戻し、デクは今度こそ己の意思でユールに手を伸ばした。
 すでに一本の指を入れたところへ、二本に増やして中へ押し込む。これまで腕で視界を覆っていたユールは、突然身体に侵入してきたデクの指に息をのんだ。だが抵抗はしないまま唇を噛み締める。
 浅く抜き差しを繰り返すうちに、ユールの呼吸が早くなっていく。目の前で薄く上下する胸を見つめていたデクは、誘われるようそこに顔を落とした。
 つんと立った胸の突起の片方を口に含む。驚いたユールが身体を跳ねさせたが、デクは気にしないまま口内のそれを吸い上げた。

「てめ……っ」

 デクの口には小さい豆のようなそれを、舌先で押し潰す。びくりと肩を震わせたユールが身体を起こそうとするのをデクが押さえ込み、芯を持ち始めたそれをやんわりと唇で挟み込む。もうひとつの尖りには手を這わせて周りを撫でた。あえて直接触れずにくすぐれば、ユールは唇を噛んだ。
 差し入れた二本の指も忘れず中を揉みながら、頭上のユールに目を向けてみれば、まるで信じられないものを見るかのように、どこか悔しげに歪む顔と視線がぶつかる。すぐに腕に目元は隠されてしまったが、その一瞬を知れただけでもデクには十分だった。
 触れずにいた左のほうを親指で押し潰し、円を描くようにこねる。やめろとユールに命じられるも、デクは声の震えが押し殺されていることにも気がつかぬ振りをして、今度は左右の相手を交換した。ときに強く吸い上げられ赤くなった右を指先で突き、もう片側には唾液を塗りつけていく。
 しばらくして白旗を上げたのは、当然ユールである。

「も、しつけえ……っ」

 耐え切れなくなったユールは、胸に吸いつくデクの髪に指を差し入れながら頭を押し返す。あまり力が入っていない抵抗に従い、デクはあっさりと胸から頭を起こした。
 ユールが安堵に顔を緩めたのもつかの間、すぐにそれは慌てたものに姿を変える。その変化を悟りはすれども、実際目にはしないままデクは頭を下していく。
胸から臍を通り、曝け出された無防備なユールもの前で止まる。ゆっくり口を開いてそれを咥え込んだ。

「――ば、ばか、やろっ」

 引き攣った声を聞きながら、口内に収まったものの形を舌でなぞり上げる。根元に唇を当て強めに吸い上げると、ユールは小さく悲鳴を上げた。

「い、てえ、っ、加減、しろ!」

 どうやら痛みを覚えたらしく、そのおかげで正気を取り戻したのか、普段のような強い視線で睨まれる。だが謝罪の意味を込めてまた舌で撫でてやれば、ユールは息を詰めて口を噤んだ。
 少しでもユールが快楽を得られるよう、デクは人よりも広い口内を存分に駆使する。先程のように痛みを与えぬよう優しく舐る。今度こそ加減は間違えていなかったようで、ユールは熱を帯びた息を吐き出した。
 直接的な快楽にユールのものは蜜を零し始める。それの一滴も逃さぬようにと飲み込めば、喉の動きに頭を抑える指先に力が籠った。
 咥えると同時に動きを止めていた、後ろに差し込んだ指をそろりと動かせば、左手を置いた太腿が強張る。慰めにとデクは頭をわずかに持ち上げ、ユールのものの先端にある小さな穴を舌先で抉った。
 ぎゅうっと指を締めつける力は強くなるも、ユールも懸命にデクを受け入れようとしているのか、少しずつ緩まっていく。
 指の腹を上にしてゆっくりと抜き差しをしていると、不意に大きくユールの身体が跳ねた。

「――ぁあっ」

 抑えきれなかった声が切なげに部屋に響く。喉を曝け出し仰け反るユールの姿に、デクは咥えたものの先端からさらに溢れ出した体液ごと唾を飲み込んだ。
 指を折り曲げ、ややかたくしこりがあるような中を押してみる。するとユールは身の内からうねるなにかを逃すよう小さく腰を揺らした。

「そこ、さわ、んじゃ、ねえ……っ」

 自身の短い呼吸に言葉を遮られ、ユールは薄らと涙を滲ます。
 明らかに快感を得ている様子に、触るなと言われて頷けるほどデクは人がいいわけではなかった。
 浅く咥えていたものをまたずるずると奥まで含んで、触るなと言われた身体の奥にある一点を押し上げれば、ユールの身体が跳ね上がる。しつこくそこを刺激してやれば、ユールは身を捩り敷布に横顔を押しつけた。

「はぁ、あ……くっ」

 前も舌で包みながら吸い上げれば、左手を置いていた内腿が震え、指を入れている場所がぎゅうっと締めつけられた。

「――で、る、から、はな、せっ」
「だふぇ」
「っ、しゃべ、んな!」

 最後まで抵抗しようと、ユールは力がまるで入らない掌でデクの頭を押し返すが、やがてその頭を両足で挟み込みながら、ついに半巨人の広い口内に精を放った。
 喉の奥で受けたそれを飲み込み、ようやくデクはユールのものを解放してやる。身体を起こし、口の端から零れそうになっていた涎を腕で拭った。
 見下ろしたユールは、達したばかりの余韻に深く目を閉じ、懸命に呼吸を整えようとしていた。デクの頭を抑えていた両手を顔の脇に投げ無防備な姿を晒らし、寝台脇に灯した火に唾液にまみれた胸や下半身のものがちらちらと照らされる。自分が作り出した状況だが、ひどく艶めかしく欲を誘う姿にデクは目を細めた。

「――かわいいな」

 正直言えば色っぽい、だが、そんな言葉をぽつりと漏らせば、ユールの目がかっと開いてデクを睨んだ。

「うるせえ! おまえみたいなのについた化け物並のデカブツと一緒にすんな、おれのは可愛くもない普通のでかさなんだよ!」

 色の含んだ表情は一瞬にして消え去り、ユールは低い声音で噛みついてきた。
 どうやら自分が放った言葉を履き違えているらしいことに気がつき、デクは思わず吹き出す。それにますますユールの表情は険しくなるが、デクの表情は引き締まることはなかった。

「違う。そうじゃない。おまえのことだ」
「はあ? じゃあおまえおれのこと可愛いだなんて、おも――お、男に使う言葉じゃねえだろ、馬鹿か!」

 どうやら言葉の途中でようやく真意を察したユールは、まるで熱湯に放りこまれたかのようにさあっと肌を赤くした。
 おまえがややこしく言うのが悪いんだと悪態をつき、再び顔を逸らしてしまったユールを眺めながら、デクは後ろにもう一本指を差し入れる。さらに照れ隠しを積み重ねようとしていたユールは口を噤んだ。

「――くそっ、卑怯、もん、め……ッ」
「知っているだろう」

 ユールの前髪に口を落としながら、デクは止めていた手をゆっくりと動かす。きつく閉じた唇に触れようとして、デクは止まる。先程自分の口がなにをしていたか思い出したからだ。
 口づけたい気持ちは溢れんばかりにあったが、ユールのためを思い止めておこうと頭を持ち上げようとする。しかし目の前から離れようとしたデクの唇に、ユールから噛みついた。
 そんなことされてしまえば自制心などすぐに彼方へ飛んでいく。
 唇がふやけるほど、舌が痺れるほどに交わり合い、その間にもユールの身体を解していく。デクが顔を上げると、蕩けたようにやや焦点が朧になったユールと目が合った。
 指をすべて引き抜けば、これまで熱に包まれていたそれが外気に冷やされる。それがよりいっそう離れ難くデクに思わせた。
 投げ出していた腕をユールが持ち上げ、デクに手を伸ばす。頬に触れて、さらに持ち上がった指先は、前髪を摘まんでからデクの髪を掻き上げる。
 初めてデクは、髪の毛の一本にも遮られることなくユールを見た。これまではどんなときであっても他人を恐れ長く伸ばしていた前髪が視界をまだらに通っていたが、今ではユールの手にしっかりと押さえられている。
 汗ばんだ肌。呼吸はやや早く、平たい胸が忙しそうに上下する。赤く染まる頬に涙が滲む目元、そのどれもが艶やかだ。だがなにより目を奪うのは、薄らと浮かぶ口元の笑みに、優しげな緑の瞳だった。
 腹の筋力だけで身体を起こしたユールは、デクの額をまじまじと見つめる。

「――やっぱ、もう痕は残ってねえか」

 ぽつりと呟いて、ユールは眺めていたデクの額に口づける。髪を抑えていた手を離し、そのまま首を腕に絡ませた。

「さっさと入れろよ。このまんまぐだぐだやられりゃ寝ちまうぞ」
「それは――困る」
「だろ。なら……ほら」

 背中から倒れ込んだユールに引き寄せられるまま、デクはその上に覆い被さる。
 こうしてユールに寝台の上で導かれるのは今日で二度目だ。気がつけばデクはいつもユールに手を引かれている、そんな気がした。
 口づけを交わしながら、デクはユールの腰を抱え上げる。
 それまで散々指で解したところに自身を宛がい、そっと腰を押し進めた。

「――っ、ふ」

 熱くも柔らかいユールの中から受ける圧迫は痛みを覚えるほどで、そこはデクにとってあまりに狭かった。拒まれているのがわかる。受け入れようとするユールの意思があったとしても、デクよりも小さな身体は無理にこじ開けられていた。
 苦しみも、きっと痛みもあるのだろう。ユールは挿入されるものに息を詰め、デクの肌に爪を立てたそうに指の先端で強く掴む。
 腰を止めて頬を撫でてやれば、苦悶に顔を歪めていたユールの表情がわずかに緩んだ。きつく閉じていた目が薄らと開く。
 今日はやめよう、そう言おうと思った。なにも無理に進める必要などない。ゆっくりと自分たちに合った速度で、ひとつひとつ進んでいけばいいのだ。身体の興奮など、たとえ繋がらずともいくらでも収める方法はあるのだから。なによりこのままではユールの身体を傷つけてしまう。それはデクの本意ではない。
 掴んでいた腰を下せば、デクの意図を悟ったユールが首に回していた手で、デクの伸びた襟足を緩く引っ張った。

「いい、から。大丈夫だ」

 掠れた声に促されたところで、デクは応えるつもりはない。そのまま浅く挿入しただけの自身を引き抜こうとしたとき、デクの腰はユールの足に絡め取られた。ユール自ら腰をすり寄せ、己の中へとデクを招き入れていく。

「おまえに合わせてたら年老いるほうが先にくる。そこまでおれが待っていられると思うなよ」
「――本当に、いいのか」
「いいっつってんだろ。しつけえぞ。もし今やらねえんだったら、おれに恥かかせんだ、一生させてもらえると思うなよ」
「それ、は……とても、困る」

 ぐだぐだやって寝られてしまう以上に、とデクが薄らと苦笑をすれば、ユールは頬に添えられていたデクの手に口を寄せ、一番近くにあった親指に甘く噛みついた。

「こいよ。おれはそんなやわじゃねえ」

 ユールにはきっと生涯敵うことはないだろう。そんな確信を抱きながら、デクは細い腰を抱え直し、再び自らを沈めていった。
 ゆっくりと時間をかけ、ようやく半分と少しをのみ込ませたところでデクは動きを止める。デクのものをすべて収めることなどできそうもなく、これ以上進めば本当に裂けてしまう気がしたからだ。そうでなくとも縁は張り詰めた糸のように思えって、今にもぷつりと切れてしまいそうで恐ろしかった。
 ユールもすべてが入りきっていないことはわかっているだろうが、それでも十分に身体の埋め込まれたものは大きい。息をするのが精一杯といった表情で、内から押し出された空気を吐き出していた。
 顔を寄せ、なにも告げぬままデクは舌を出す。繋がった場所から動きを察したユールは、薄ら目を開けると、伸ばされた舌に自らも差し出した舌先を触れ合わせた。
 唇を重ねながら、その下でそっと喉を撫でる。ひくりと動いたユールの喉仏の感触も確かめながら首筋を撫で、並ぶ鎖骨の間を通り胸まで下りていく。右にある突起を摘まみ上げれば、ユールの身体は小さく跳ねた。吸い上げる舌まで震えが伝わる。
 すぐに摘まんだそれを手放して、肌をなぞりながらさらに下に向かい、勃ちあがったままのユールのものを掴んだ。先端からとろりと溢れる蜜を押し返すように親指の腹を宛て、ぬるぬると小さく円を描くように動かす。
 上顎を舐めればようやく、強張っていたユールの身体からゆるりと力が抜けていった。
 鼻から抜ける息遣いが強くなり、重ね合った唇の隙間から声が漏れ出す。
 そうっとデクは腰を引いてみた。

「――ん……は、ぁ」

 塞がれた口に代わり、逃げるな、と言いたげにユールはデクの首を引き寄せ、自分の中にある厚い舌をやんわりと噛む。
 口を離せば銀の糸が二人の間に伝った。

「おく、まで。入れろよ。全部入ってねえだろ」
「できない」

 濡れたユールの唇を指で拭いながら、デクは静かな声音ながらもはっきりと拒否した。

「おれがいいって言ってんだよ。気にせず動けよ。おまえみたいにでかくはねえが、ひ弱な身体ってわけでもねえんだ。女相手にするみたいに優しくなんてしなくていいんだよ」

 不機嫌になるユールに、けれどもデクは首を振る。

「おまえが相手だから優しくしたい。傷つけたくはない。それに――また、相手をしてくれるのだろう?」

 今回でおしまいだと言われてしまえば、流石にデクとてこうも理性は働かないだろう。だが次もあると思えば少しだけ心にゆとりができる。まだ開き切っていないユールの身体をもっと奥まで解してやり、デクを受け入れられるようにして。そうなってから、奥深くまでこの身体を堪能すればいい。
 腰を掴んで思いのままに揺さぶって、もっとユールの余裕を崩してやって。ぐずぐずに溶かし、呼吸がままならなくなるほどの交わりは、今後していけばいいのだ。
 目を眇めたユールは、返事の代わりに背を浮かせ、ちゅっと音を立てて口づける。デクの首に回していた腕を解いて、寝台の上に身を投げ出し、好きにしろ勝手にしろとでも言うよう両手を顔の脇に置いた。
 掴んでいたままのユールのものをそっと擦り上げる。デクを包む内壁が収縮し、ありありとユールが得る感触を教えてくれていた。
 腰をただ揺らし、抽挿を伴わない動きで中を刺激する。指を入れていたときにユールが身体を跳ねあげさせたところを意識し、押しつけてみた。

「っ、あ……」

 指のように強く押し上げることはできないが、ユールは耐え切れない声を漏らした。
 自分が出した嬌声が恥ずかしいのか、手の甲で口元を塞ぐ。もう片方の手で敷布を握り締めるが、余程強く力を込めているらしく爪の先が真っ白になっていた。
 もう一度揺すればユールは身を捩る。右手で掴んでいたものを扱き、先端から滲み出る蜜をユールのものへと塗りこんでいく。

「はぁ、あ……っあ」

 次第に大きくなっていくユールの声に、強い快楽を感じる度にきゅうきゅうと締めつける後ろの狭い場所に、激しく動いているわけでもないのにデクのこめかみからは汗が伝った。
 頬に流れた汗は顎から落ちて、ユールの喉にぽたりと垂れる。
 雫を目で追っていたデクは、手の甲の下から漏れ出る嬌声に震えるそこに食らいつきたくなる衝動に耐え、けれども抗いきれずに歯の代わりに唇を落として痕を残す。
 本当ならば、欲望に赴くままに腰を振りたくりたかった。ユールの腰を押さえつけ、それこそ根元までのみ込ませて。今の締めつけだけではもどかしく、しかし体格に大きな差が開くユール相手では、ましてや初めて身体を重ねる今日はどうしても無理をさせられない。だが今の刺激だけデクも達することはできそうになかった。
 デクはユールのものを掴む手を彼の腰に添えていた左手に代え、空いた右手で、中に収まれぬままでいる自身のものを擦った。ユールの出した先走りに濡れた掌は滑りがよく、到底埋め込んだ部分の心地よさには敵いはしないが、快感だけは与えてくれる。
 力加減が曖昧な左手で扱われるユールは、時折力を込めすぎても、今はそれを痛みでなく悦楽に変えデクの下で身悶える。
 強すぎる快楽に飲み込めなくなった唾液が伝ったユールの顎を舐め上げ、口を塞ぐ邪魔な手を鼻先で追いやり唇を重ねた。

「っぅ、あ……っひ、うッ」
「……はっ」

 悲鳴のように上がる嬌声ののみ込みながら握った先端を強く抉れば、ユールは足の先をぎゅっと丸めながらデクの手に精を放った。その締めつけでデクも射精し、ユールの中に白濁を注ぎ込む。

「ん、はぁ……あっ……?」

 二度目となる吐精の余韻に浸かっていたユールは、半ば無意識に首を傾げてデクを見上げる。やがて異変に気がついたのか、覆い被さり、誤魔化すように口づけようとするデクの顎を押し退けた。

「お、まえっ、いつまで、出してんだよ……!? 抜けよっ!」
「――おれは巨人族の血を引いている。巨人族は、子沢山の種だ」

 それだけを伝え、押しつけられる掌を避けてユールの垂れた目尻に唇を落とした。
 デクの両親は人間と巨人の夫婦だったために、彼らの間に生まれてきたのはデクただ一人だった。しかし同じ巨人族同士番った者であれば、一度に生まれてくるのは平均で五人である。デクの父ユグも八つ子の一人として誕生していたそうだ。
 巨人族はデクの両親のように異種間恋愛する者や、独身を貫く者が多く、同種の夫婦の間でなければ子が生まれてくること自体稀である。そのためユグのような八つ子でもない限り、巨人族はこの世から消えてしまうのだ。巨人には子の数が二十を越える夫婦もいると、デクは父から聞かされたこともあった。
 つまるところ、巨人族という種は子をより多く産み落とすために放たれる精子の量が多いのだ。その分射精の時間も長く、ユールの身体は、人間では考えられない量を吐き出すデクのもので満たされていく。
 これでも自分は巨人の血は半分だから、生粋の巨人よりは少ないのだと伝えてはみるものの。ユールは首を振ってデクの頭を叩いた。
 逃げたそうに身を捩るユールの身体を押さえつけ、今度こそ唇を重ね合わせる。デクの下で悶えるユールを愛おしく想いながら、最後の一滴まで想い人の腹の中に出しきった。


 肘で頭を支えながら隣で横たわるユールを見つめていると、ふと瞼が震えて、ゆっくりと緑の瞳が現れた。

「――……ああ、わり。寝ちまってたのか」

 毛布の下で投げ出していた手を取り出して、ユールは瞼を擦る。小さな欠伸をするユールの目元にデクも手を伸ばして、目頭についていた目やにを取っやった。

「気にするな。それより、身体のほうはどうだ」
「全部掻き出せたんなら、腹が痛くなる心配はねえだろうよ」

 やや棘のある声音に、次は気をつけようと内心で反省をしながら、身じろいだことで顔を出したユールの肩が覆われるよう、デクは毛布を引き上げる。
 窓掛けをしないままにしていた窓に目を向けると、そこには夜の空が広がっていた。月が真上を過ぎて久しく、むしろ夜明けのほうが近い。間もなく今の夜空も、端から明るい色を滲ませていくことだろう。

「テイルは大丈夫なのか?」
「――今日は、おまえん家に泊まるかも、とは言っといたし。ちゃんと、誰が来ても家に入れないよう……ちゅうい、しとい、たし。あいつも来てえって、さわいでさ。なだめんの……大変、った」

 まだ眠たいのか、ユールの声はいつもよりも覇気がなく、呂律も言葉の後半から大分怪しくなっていく。ゆったりとした口調になり、まるで幼子を相手にしているようだとデクは思った。
 体力が著しく消耗されてしまったせいだろう。その原因の一端を担っている自覚が十分にあるデクは、毛布の上からユールの身体に背を回し、あやすよう優しくそこを叩いた。

「寝ていていい」
「……ん」

 返答なのか定かではない声を返しながら、ユールは顔をデクの顔をすり寄せてきた。思いがけない行動に驚いて全身を固めていると、胸板にユールの耳が押し当てられる。
 デクがユールの心臓の音を聞いたときのように、今度はユールがデクの鼓動を確かめているようだった。

「――デク……」

 それからデクが動き出せたのは、空に朝の色が溶け込み始めた頃になってからだった。
 眠りについたユールを抱きしめて、デクも枕に頭を預けて目を閉じる。
 体力がある程度回復したならば、ユールは一人にさせてしまった弟が待つ家に帰るだろう。そのとききっと、ユールはいつものように口にするだろう。またなと、再会を望む言葉を。今度こそそれにデクも同じ言葉を返したいと願う。
 枕が変われば眠れないはずで、他人には隙を見せないはずで。長年素直になれず、魔女にまじないを教えてもらいようやく真実を吐き出した、そんな本当は自分と同じくらいに不器用だった男を胸に抱き、デクは深く息を吸う。
 人の心は目に見えないものであり、本心を知る術は誰も持たない。できることがあるとすれば相手を信じるか否か、ただそれだけだ。
 もし心というものに形があったのならば、きっとユールとデクはすれ違いもなくすんなりまとまっていただろう。それどころかユールが荒れる原因など生まれず、デクもまた孤独を自ら選ぶこともなく、二人は接点もなく過ごしていたかもしれない。
 デクは腕の中の温もりに目を閉じたまま、唇を落とす。髪に口づけても気がつかず、身じろぎのひとつもしないほどにユールは熟睡していた。
 形なき人の心は目に見えない。どんなに望んでも、求めても、決して胸の内から姿を現すことはない。
 だが今、確かにデクの心はユールの心に触れ、寄り添っている。同じ温もりに染まり、まるでひとつになったかのように。
 じわりと瞼の裏で水分が溜まり、デクの目頭から流れていく。
 ユールに出会ってからデクは色々と変わることができたが、どうやら泣き虫にもなってしまったらしい。
 もう十数年間泣いていなかったはずなのに、人との関わりを持って温もりを思い出したからなのだろうか。心を凍りつかせていた氷が溶けて流れ出しているのかもしれない。ならばきっと、まだしばらくデクは泣き虫を続けることなのだろう。

「――ユール。ありがとう」

 本人の耳には届けぬままに、デクは涙しながらそっと微笑んだ。


 夕陽色の美しい紐で髪を後ろでひとつに結び、いつもの黒衣でなく紺色の服を纏ったデクは、今朝仕留めたばかりの大魚を肩に担いで目の前の扉を叩く。
 ばたばたと慌ただしい音が聞こえ、はーい、と明るい声が奥から響いた。それから間もなくして勢いよく扉が開かれる。

「デク……と魚!」

 予定にはなかった魚の姿に、顔を現したテイルはぱっと目を輝かせる。
デクがわずかに口元を緩めていれば、遅れてやってきたユールがテイルの頭を小突いた。

「礼儀のねえやつが食える飯は用意しねえぞ」
「あっ……デク、いらっしゃい!」

 ユールに促され、挨拶を忘れていたことをようやく思い出したテイルは、満面の笑みをそのままにデクに手を上げる。デクは魚を掴むのとは反対の手を出して、ぱんっ、とテイルと掌を叩き合う。次に後ろで腕を組み二人の姿を眺めていたユールに目を向けた。

「いらっしゃい。今日は随分な大物だな?」
「ああ。捕まえてみた」
「――まさか、素手で?」
「いや、流石にそれはできない。網でだ」
「すげえ! デクそんなこともできんの!?」

 兄たちの間から、自分も忘れるな、とでも言いたげに両手を突き上げたテイルがぴょんと跳ねる。
 持ってみたいというテイルに、デクは担いでいた魚を肩から下ろし、興奮する少年に差し出した。
 テイルは気合を入れてデクに支えてもらいながら魚の尾を掴むも、なにせ大男が肩に担ぐほどの身丈の魚だ。テイルの足先から胸まであるようなそれは、未熟な少年が到底持てるわけもなく、悔しげにしながらも早々に白旗を上げていた。

「ほら、いい加減中に入れよ。玄関先でいつまで遊んでんだ」
「兄貴も持ってみろよ、すげえ重たいぜあれ」
「おれはおまえみたいに無謀じゃないんでね」

 兄からの返答が気に入らなかったらしいテイルは、唇を尖らせながら家の奥に行く。その背に続き、デクも長躯を屈めて窮屈な玄関から中に入ろうとしたところで、不意に目の前にユールの顔が現れた。
 突然のことに状況の認識さえできずにいると、さっと唇になにかが掠める。そのなにかをデクが理解した頃には、ユールは背を向け歩き出していた。

「ほら、飯作るんだからさっさとその魚持って来い」
「――……ああ」

 赤く色づきながら遠ざかる耳を眺める。
 薄らと首まで朱に染まる肌に気がつき、デクは眉を垂らして歯を見せ笑った。


 おしまい