赤月の夜

三周年記念企画にて、菜月さまのリクエスト
・【Desire】の岳里×真司
・甘めで、月夜で、ちょっとした非日常


 

 今夜は年に一度の、赤月(かげつ)が見れる日なんだ。岳里と一緒に見たらどうだ――そう、レードゥに朝言われたおれは、部屋で岳里の帰りを待っていた。今の時間なら月は部屋からも見えるだろうけど、窓にはカーテンを引いて外が見えないようにしてある。
 読みかけの本を手にして岳里を待っていても、気持ちはついつい片方に傾いてしまう。それを自覚ししつつ、そわそわと顔を扉と本の間を何度も彷徨わせた。
 そろそろ、帰ってくる時間のはず。岳里が帰ってきたら、一緒に風呂についてって――
 結局、開いた本なんてただ眺めてるだけで、おれはどう行動しようか頭をめぐらす。誰もいないのがわかってるから、部屋に一人だけでも頬が緩む。
 手にした本を口元まで持っていき、ついつい声を出して笑ってしまった。

「にしし……」
「何を、笑っている」
「――ぅえっ!?」

 完全に誰もいないと思っていたはずの部屋に、いつの間にか入り込んでいた岳里がいて。不審な眼差しでベッドの脇からおれを見下ろしていた。

「ばっ――ま、また気配消して入ってきたな! やめろよ心臓に悪いっ」
「……何を笑っ」
「と、ところでさあ岳里!」

 岳里の言葉を遮って、おれは慌てて今まであぐらを掻いていたベッドから立ち上がる。

「あのさ、今から風呂行くだろ? おれも一緒に行く」
「――おまえはここで待っていろ」

 予想通りの返事に、おれは首を振って見せた。
 訓練終わり、いつも岳里は泥まみれで汗もたくさん掻いて、ぼろぼろになる。だからすぐに風呂に入るんだけど、訓練場から風呂に直行したほうが早いのに必ずこの部屋に顔を出してから浴室へ向かっていた。
 はじめの頃は一緒に風呂に入ってたけど、今は別々に入ることにしている。だから、駄目だっていう返事は、何を考えているかわからない岳里が相手でも安易に想像はついてた。

「おれはいつもの時間に入るよ。だけどちょっと用があってさ。ついでだし、岳里と一緒に行こうと思ったんだけど……無理なら別にひとりで――」
「勝手にしろ」

 そう言うと岳里はすぐにおれに背を向け、部屋から出て行こうとする。おれもあとを小走りになりつつ追いかけてながら、うまくいったと内心ではほくそ笑んだ。
 レードゥが、おれひとりで行くって言えば必ず岳里は一緒に行くことを許してくれるだろうって、計画を一緒になって考えてくれたんだ。
 ようやく岳里に追いつき、おれは隣を歩く。
 別に、そんな計画練るようなことでもないし、素直に理由を話せばいいだけだ。でも、おれたちの元いた世界にはない赤い月を見せて、岳里が驚く顔が見たい。この世界特有のものだし、この世界でも貴重な夜らしいし、きっと岳里も見てびっくりすると思うんだ。
 ――正確には、元のいた世界でも、赤っぽい月がなかったわけではないけど。でもレードゥの話によると燃えているように赤いらしいし、きっとあの岳里だって……。

「……今度はどうした」
「え?」
「ひとり笑っていたと思ったら、今度は浮かない顔をしている」

 足を止めた岳里にじっと目を覗き込まれて、思わずおれは顔ごと逸らしてしまう。
 ――おれは赤月の話を聞いて凄いなあと思って、岳里にも知らせようと思ったけど、よく考えてみれば岳里も同じく凄いだなんて思うかわからない。興味を持ってくれるだろうか。
 またその考えが顔に現れそうになったところで、おれは内心で大きく首を振る。

「何でもない。ほら、行こうぜ」

 岳里よりも少し進める足を速め前に出る。このままおれが先に歩くことがポイントなんだ。
 しばらくおれが一歩前を歩く状態で進んでいき、何食わぬ顔で角を曲がろうとすればすぐに岳里が気付く。

「おい、どこへ行く」
「ん? こっちこっち。いいからついてきてくれよ」

 風呂場への道を逸れたおれに声をかけてくるが、それに構わずおれは道を進む。岳里は黙っておれの後についてきた。
 しばらく歩いてようやく、目的の場所に着いておれは足を止めた。それに倣い岳里も立ち止る。

「ここは……」
「あーっと……一花(いちか)の庭だっけ、かな。レードゥに道を教えてもらったんだ」

 この城には四つの中庭があって、そのうちの一つがこの場所だ。レードゥから、岳里が風呂に向かう時間帯に一番綺麗に月が見えるところとして教えてもらった。
 後ろに振り返り、立ち止ったままおれを見ていた岳里の腕を取って、渡り廊下から足を出して中庭に踏み出す。
 岳里も腕を引かれるまま、中庭へ出た。
 数歩進んだところで足を止めて、おれは岳里の隣に移動してから、空を見上げる。
 そして、そこに浮かぶものに思わず感嘆の息を漏らした。おれのその姿を隣で見てから、岳里も同じく空を見る。

「本当に、赤い」
「……そうだな」

 真っ赤な、下弦の月。赤みがかったとか、オレンジっぽい色じゃなくて、月が燃えているように、レードゥの鮮やかな髪色のように、本当に赤かった。
 おれがぽつりと呟いた言葉に、寄り添うように返ってくる岳里の声はどこか優しくて。
 でも、そこに驚いた様子はなかった。

「やっぱり。今日が赤月の日だって知ってたのか?」
「赤月の日があるのは本で読んで知っていた。だが今日だと言うのは忘れていた」

 おれが岳里へ視線を映せば、まだ岳里はじっと月を見上げていた。
 相変わらずの無表情のはずなのに、おれの願いがそうさせるのか、岳里の顔がほんの少しだけ笑んでいるように見える。少なくともこの月のためにここに連れてこられたことに対する苛立ちなんてものは窺えず、おれは内心でそっと安堵の息をつく。
 それからもう一度岳里の顔を見て、それからおれも月を見上げる。

「――この世界で、赤という色は、縁の色とされている」
「えにしの、いろ?」
「ああ。特に、恋のな」

 それはレードゥから聞いていなくて、おれはへえ、と声を漏らしながら月を見つめた。
 不意に視界の端で、今度は岳里がおれの方へ向いた。おれも岳里へ再び視線を送ると、突然手を取られる。
 それに反応する間もなく、岳里はおれの手を持ったままその場に片膝をついた。

「が、岳里……?」
「『たとえこの身打ち砕かれようとも、我が魂は決して潰えず。そなたが心と共にあり』」

 まっすぐにおれを見つめそう言うと、不意に岳里の頭が下がる。そしてそのまま、おれの指先にキスをした。

「――っ!?」

 思わず手を引っ込めようとすると、その前にぎゅっと岳里に握られた手を掴まれる。けれどすぐに離して、おれはそのまま、岳里の唇が触れた指先を丸めて開いていた左手を重ね自分の身体に寄せる。

「っな、え、んでっ……!?」
「赤月の下で恋人たちが行う誓いだ」

 突然のことに動揺するおれを余所に、岳里は至って平然とした様子のまま立ちあがる。膝についた土を軽く払いながら、そう言った。

「ち、かい……?」
「ああ。この赤月に関する逸話から広まったものらしい」

 それも岳里が本で読んだらしいんだけど、大昔、まだ魔物がいなくて、男女の出生に差がなくて、各国で争いがあった時代。
 大戦を目前に控え、その最前線に立つことが決まった一人の騎士が恋人へ誓った言葉らしい。最前線に立って生き残れる確率は限りなく低く、死を覚悟したその騎士。
 たとえ、自分が死んでしまっても。自分の心までは死にはしない。そしてもしその時が訪れたとしたら、自分の心はあなたの心と共にいます――そう、縁の色である赤月の下で誓いを立てたそうだ。

「戦争に向かった男は、敵国の騎士に斬られて瀕死の重傷を負いながらも帰還した。三日三晩傷の痛みと高熱にうなされながら、最期は恋人に看取られ息を引き取ったそうだ」
「恋人のもとに帰れたのに、亡くなったのか……」
「――その恋人はその騎士の子を身ごもっていた。そして生まれてきた子が赤月と同じ髪色を持っていたことから、月の加護を受けた子だと言われたそうだ。また、騎士の守護を受けている証という説もある。だからこの誓いが赤月の下で交わされることになったそうだ」

 そして恋人の女性とその生まれてきた子は生涯平穏な日々を過ごした。と、岳里は最後を締めくくった。
 何か、言おうと思った。けど何も言葉が出てこなくて。
反対に口を閉ざすと、突然岳里がその場にしゃがみ込んだ。そしてそのままごろりと、地面に寝転がる。
 それを見ておれも、同じように直接そこに寝転がった。
 目の前をまっすぐ見るだけで映る赤い月。いったいあの月に、どれだけの人たちが誓ったんだろう。
 ほんの少しだけ、さっきとは赤い月が違うように見えた。騎士とその恋人の話を聞いたからなんだろうけど、不思議と、赤い色が重たくなった気がする。

「――……岳里は、さ。岳里はこの先危ない場所にいくなんて、ないよな?」

 騎士が戦争に向かったように。そんな場所に、行かないよな?
 さっき岳里がやった誓いが単なる冗談だとしても、何故かわからないけど急に不安になった。だから、聞かずにはいられなかった。
 岳里は平気で何でもやるから。この世界には、この国にも、命を懸けることはいくらでもあるから。だから、なんだろうか。
 ごろりと寝返り、隣で空を見つめたままの岳里へ身体を向ける。すると岳里もおれの方へ身体を向けた。
 そのまま伸ばされる手に逃げないでいると、地面についてない右の頬を撫でられる。そのまま手は後ろに下がって、そう長くないおれの髪をすくように撫でる。
 ずっとそうするだけで、岳里からの返事はなかった。それが何を意味するか、わからないほどおれは岳里を知らないわけじゃない。
 おれも岳里へ手を伸ばして、頬に触れて、そのまま手を後ろに滑らせて、少し長い岳里の髪を軽く引いたりして遊ぶ。岳里もそれを真似してるのか、おれの髪を軽く引いたりし始めた。
 最終的におれは両手を伸ばして、岳里の頬を引っ張ったりして変な顔をさせる。相変わらずの無表情は変わらずで、それがなぜかいびつに歪んだ顔を真面目な表情のように見せて、おれは思わず声を上げて笑う。
 すると岳里も仕返しと言わんばかりにおれの顔で遊んで、小さく口元を緩ました。
 一花の庭の周りには光玉の光はほとんどなくて、ただ月光だけが辺りを照らす。おれも岳里も、年に一度、今日だけ見ることができる特別な赤い月の下で、ただじゃれあう。
 岳里に触りながら、おれは胸の中でひとつ、赤月に願った。
 この縁が絶えませんように、と。
 答えを出さなかった岳里との間に結ばれた縁というものを、なくしたくない。
 今触れている、この温もりにずっと消えてほしくない。
 だから、かつての誓いじゃなくて、おれの願いを。
 赤い色の、縁の色をするこの月に。おれたちの縁を生んだこの世界の月に。
 ――この縁が絶えませんように。

 おしまい

岳里岳人の一日 main はじめての手料理



リクエストは甘々だったのに、最終的にシリアス方面に向かってしまい申し訳ありません!
最後に余談ですが、縁の色=赤色というのはのちに本編に軽く絡んでくるお話なので、頭の片隅にでも覚えてくださると嬉しいです

菜月さま、今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします

2012/10/17