明け方近くになって瞳の宝玉はミヒトの体外へと排出された。
 生まれて初めてのしかも同性との性行の後に、産卵まがいの異物をひねり出す作業は、初心者の身と精神にはいささか辛いものがあった。しかし必要なことであるからこそ、あの男のためを思えばこそ一人で耐え抜いてみせたのだ。
 ぽとりと乱れた敷妙の上に落とされた丸いそれを見て安堵する。琥珀混じりの空色の玉が無事できていたからだ。
 まさにレイストルの瞳をそのまま形にしたような透明さがあり、これならばきっと魔女とて認めざるをえないだろう。これまでに見てきた歴代の瞳の宝玉に引けをとらないほどに、今回のそれはとても美しかった。玉のもとになった男の瞳がそもそもよかったからだろう。
 瞳の宝玉を予定通り手に入れたが、嬉しい誤算が一つあった。
 親指と人差し指をくっつけ輪を作ったほどの大きさより少しだけ小さな姿で生まれた瞳の宝玉よりさらに一回り小さい、しかしながらまったく同じ色合いを持つ美しいものがもうひとつ出てきたのだ。さすがに中の琥珀の揺らめきは多少異なるが、小さなそれもまた瞳の宝玉に違いなかった。
 レイストルの精を尻に受けたのは一度だけである。だがそれの前に彼の精を飲み込んでいた。もしかしたらばそれが小さな玉へと姿を変えたのかもしれない。
 飲んだ精で玉ができたなど聞いたことはなかったが、特殊な体質を持つ一族の者であるミヒトとてそのすべてを知っているわけではない。こんなこともあるのだろうと、深くは考えないようにした。
 ふたつの瞳の宝玉を丁寧に幾度も洗い、用意しておいた小袋に入れ朝のうちに父に渡した。予定外にできたもうひとつは、誰にも告げぬままにミヒトが持ったままだ。すでにレイストルに対価は望んでしまっているが、これくらい許されるだろうと思ってのことだった。
 まだ休みは残されているのだからゆっくりすればいい、という父の言葉に頷いてみせながらも、ミヒトは重たい身体を引きずり工房へと顔を出す。
 同僚に仕事の進み具合や依頼状況を聞き、自分のところに来ているそれらも確認してから自室へと戻った。
 僅かに乱れた寝台を整えそこに寝転がれば、やがて訪れた眠気にうとうとと瞼を下げ始める。その手に紺と、そして空色と琥珀を握り締めながら、ようやくミヒトは眠りについた。

 後日仕事場にて作業を再開させていたミヒトのもとに、父とレイストルの弟であるレーアトルが訪れた。
 レーアトルが泣きじゃくっていたためまさか交渉は決裂したのかと顔を青ざめるも、ミヒトの様子を見た父が慌てて説明に入り少年の涙の理由を知る。
 どうやら、瞳の宝玉によって無事レイアトルたちは魔女から許しを得たらしい。
なんでも彼女は渡されたそれを大層気に入ったそうだ。そしてレーアトルの罪を許すばかりか、むしろ玉のことで感謝された挙句に四本の花を渡されたらしかったのだ。
 そこまで魔女があれを気にいるとは。ミヒトは驚くと同時に、ようやく自らの罪を肩から下ろすことができ、その安堵から泣いてしまったレーアトルに笑いかけ、その頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
 まさか瞳の宝玉が男の尻から出されたものだとは彼女は知るまい。もし知られたならば怒られるかな、とレーアトルに気づかれぬよう父と目線で会話し笑いあう。
 ようやく涙が収まった少年は、ミヒトに魔女から貰った花を受け取ってほしいと言ってきた。枯れては困るとすぐに自宅の花瓶に活けたものの、涙のせいですっかり家に忘れてきてしまったと言うのだ。
 ミヒトは少し考え、彼に答えた。

「なら一本だけくれ。おれはまめな性格じゃないからすぐに枯らすかもしれないし、そうしちまうぐらいだったら残り三本はおまえが渡したかった相手にあげてやれ」

 そもそもの発端はレーアトルの幼い恋心だ。好きな女の子に花を贈るためだったのだから、魔女が丹精込めて育てたものであれば相手も喜んでくれるに違いない。

「でも、おれには……」
「――いいか、レーアトル。今回おまえがしたことを決して忘れるな。してはならないことをして、おまえは兄を巻き込み、あの右目を失わせるところだったんだ。わかっているな」

 しゃがみこみ少年と目を合わせれば、兄の空の瞳とは重ならない緑の目が苦しげに伏せられながら頷いた。

「そう、そのことを理解して、忘れるな。二度と同じ過ちを犯すんじゃないぞ。レーアトル、おまえはちゃんと学べる。だから今回のことを糧に、おまえの兄さんのような立派なやつになるんだ」
「ミヒト……」

 再び重なった視線に、にっと歯を見せ笑ってやる。ぐしゃりと頭をかき乱すように撫でてやりながら立ち上がった。

「花はやっぱりおまえにやるよ。惚れた女に贈り物するなんて格好いいじゃないか。おれだってやったことないよ。その代わり、ちゃんと成功させろよ?」
「――うん! ありがとうミヒト!」

 ようやくいつもの笑顔を見せてくれたレーアトルに安堵しながら、花をとってくる、と走り去り小さくなっていく背を見送る。
 残されたミヒトと父は互いに顔を合わせた。

「おまえはもう大丈夫なのか?」
「なんのことだよ。それよりほら、仕事の邪魔だからあっちいった。じゃんじゃん作るからじゃんじゃん売ってってくれよ」

 一週間の休みから復帰してからというもの、ミヒトは仕事ばかりに打ち込んでいる。
 背を向け持ち場に戻るミヒトを、父は寂しげな瞳でしばらく見つめていた。

 

 

 明るい声に名を呼ばれミヒトが振り返ると、そこには宣言通り四本の花を抱えたレーアトルがいた。

「はいこれ! ね、きれいでしょ?」

 手渡されたそれをつけていた手袋をとって素手で受け取った。掲げ、じっくりと見つめる。
 レーアトルが魔女からもらったという花。それは見たこともない青い薔薇だった。
 大輪で九分咲きほどであり、稀少な上に立派なものだ。たとえ比較的目にする赤い薔薇だったとしてもこれほどのものならば高値で売れ、誰からでも愛されるだろうと確信が持てるほどの。
 棘抜きも丁寧にされ、これならば幼い柔肌を傷つけることもない。
 青い薔薇など聞いたこともないと、思わずその珍しさと、そして花そのものがもつ美しさに見惚れてしまう。レーアトルに名を呼ばれようやく我に返ったほどだった。
 やっぱり四本全部あげようか、と尋ねるレーアトルに首を振り、手にした己の薔薇を彼へと返す。
 素直に小さな手で受け取った少年は不思議そうに首を傾げた。

「レーアトル。それをおまえの兄さんに渡してくれないか」
「えっ、レイ兄さんに? でもこれはミヒトのものだよ」

 驚きに瞠目したレーアトルに苦笑を返し、もう一度渡そうと差し向けられた薔薇を手で制す。

「いいんだ。おれみたいなのが持っているよりあいつの方が余程この薔薇に似合うし、渡す時にそれはお詫びだと言っておいてくれ」
「何でミヒトが兄さんにおわびしなくちゃいけないんだ? 瞳の宝玉をくれたのはミヒトなんだろ?」
「色々あるんだよ、大人には。だから頼む、レーアトル」

 まだ納得のいかないようだったが、ミヒトがもう一度お願いをするとしぶしぶながらも頷いてくれた。
 花を抱えたまま今度は兄のもとへと駆け出した後ろ姿を見つめ、その背が消えてからのそりと動き出す。
 周りで作業を続けるみなに一言残し工房から出る。出入り口を出てすぐ壁を伝い裏手の方へと周り、いつも休憩に場所を借りている一本の大樹の根元に腰を下した。
 広く伸びた枝が影を作り涼しい場所へと保ってくれている。幹に背を預け、立てた両膝に腕を置いてゆっくりと天を仰いで息を吐いた。
 目を瞑れば思い浮かぶのは、青い薔薇と、そして銀の髪。
 あの花を見た時、本当にレイストルに似合うと思ったからこそレーアトルに託したのだ。しかしよくよく考えてみれば、あの男が花など自ら身に纏うわけもなかった。
 瞳の宝玉をはじめとした綺麗なものは好きなようだが、ただ眺めるだけで満足してしまうのだ。ましてや己の美しさなど理解していない男だ、自分のことになれば最低限の身なりだけで他はとんと無頓着となる。
 植物に特に興味もないと思ったミヒトでさえ美しいと思った青薔薇。そんなものが手元に来たのなら、男であれば自らを飾るわけがなく、好いた女にでも渡すことだろう。それこそ、レーアトルがしようとしたように。
 あの銀の髪を彩ることなく、薔薇はミヒトが会ったこともない女に渡されるかもしれない。その時、あの男は歯の浮くような台詞でも吐くのだろうか。
 いるかどうかさえ定かではない存在に、しかし身勝手な妄想はとまらなかった。それどころか、嬉しいわ、などと言って幸せそうに花を受け取る女まで想像してしまう始末だ。
 自分の愚かさを十分に理解しているからこそ、深いため息がもう一度出た。
 今頃レイストルは弟から青薔薇を受け取ったところだろうか。きっと彼ならば伝言されたお詫びが示す意味を理解してくれるだろう。
 きっと、今でも気に病んでいるはずだ。ミヒトを抱いて瞳の宝玉を生み出したことに。
 ミヒトは男に、レイストルに抱かれることなど気にしてはいない。むしろ男を、友を抱かなければならない彼の方が精神的に辛かっただろう。だからこその詫びだった。そしてそれを差しだす余裕を見せることで、自分は平気だと暗に告げる意図もある。

「あいつも本当、お人よしだよなあ……」

 誰も周りにいないことを知った上で、一人呟き小さく笑う。しかしそれもすぐに歪み、ミヒトは身体を横にしてそのまま丸くなった。
 襟から手を突っ込み、中から首に下げていた小さな玉を取り出す。指先でそれを摘まみながら、ぼうっと眺めた。
 青空の中に揺らめく琥珀――あの夜、すでに魔女の手に渡っている瞳の宝玉とともに生まれた、ミヒトしか存在を知らぬもう一つの玉だ。それをレイストルが忘れていってしまった青い布を紐になるよう編み込み玉と絡め、首飾りにして持ち歩いていたのだ。誰にも知られぬよう隠し、しかし肌身離さずそっと服の下に仕舞いこんで。
 本当に、レイストルが気にすることなど何ひとつない。むしろミヒトは今回のことに感謝しているのだから。
 本当なら御礼にくれと望んだ硝子細工だって、あの美しい花だって、感謝の言葉だって何もいらない。
 欲しかったのは事実と、そして偶然にも手に入れてしまったこの空色琥珀の玉。
 木漏れ日を浴びきらりと輝く玉を見つめ、そっとそれに唇を落として目を閉じた。

 

back main next