騎士と巨人の物語

 

 とある森に、木々よりも背の高い大きな身体を持った巨人族の男がひとりやってきました。
 巨人族は皆、空色の肌をしています。それはそれはきれいな色なのですが、その顔はとても恐ろしいものでした。
 目はひとつだけで、ぎょろりとしています。耳は長くとがっていて、額からは太陽に向かって一本角が生えています。口はなんでもひとのみできてしまいそうに大きくて、その姿を見た者は皆、恐ろしさのあまり逃げていくのです。
 けれどもこの巨人、赤子も泣き出すような恐ろしい外見とはちがって、その心根は真っ直ぐで優しい、とてもおおらかな者でした。
 そもそも巨人族の顔は誰しも怖いものでして、けれども皆ひなたぼっこをするのが好きな、のんびり屋さんの一族なのです。
 動物たちは初めのうちはその山のような巨体と顔にびっくりして逃げ出します。そうっと木の陰から巨人を警戒しますが、なにせ巨人はのんびり屋さんです。ずっと空を見たまま惚けていることが多く、口を半分開いたままでいることなんてしょっちゅうです。
 大きな身体は鈍感で、ちょっと触られたくらいでは気がつきません。そのため動物たちは巨人がぼうっとしている間に近づいてみたり、においを嗅いだり、ちょんちょんつついて安全を確認します。そして巨人が無害であることを認めると、大きな彼の身体を遊び場にして走り回ったり、暖をとったり、思い思いに一緒に過ごします。
 小さくて可愛らしいものが好きな巨人は、動物たちに囲まれるようになると、いつもはぼうっと空を見上げていた視線を下に向けて、半開きにしていた口で笑顔にするようになりました。
 ひとつ目の巨人が、すっかり森になじんだ頃です。
 とある日に、人間に見つかってしまいました。人間は巨人を見るなり逃げ出してしまったので、巨人はそのことに気がつきませんでした。
 いいえ、もし気がついたとしても、人間がいたなあ、くらいにしか思わなかったでしょう。

 

 


 ひとつ目巨人の噂は、瞬く間に広まりました。
 本来巨人は魔界と呼ばれる場所に住んでおります。そこは、人間たちが住んでいる大陸の海を挟んだ隣にある大陸です。そこには邪悪で凶悪な者が沢山住んでされているとされており、その者たちと人間とは住処が分かたれておりました。そのため、人間は巨人のような魔界の者、つまりは魔族をほとんど見たことがないのです。
 巨人を見たことがあったとしても、なにせ人間をぷちんとつぶせるほどの大きな足、樹齢百年を越す木よりも太い腕、ぎろりとした不気味な目、歩くだけで地面が揺れそうな巨体は、人間にはとてつもなく恐ろしいものに見えます。そのため、大抵の巨人は駆逐される対象となっておりました。
 人間を食らう者だと、思いこまれているからでもあります。しかし巨人は、人間を食らうどころか、肉を食べません。彼らが食べるのは草と土なのです。そのため、歯だって草食動物のように平たくできているのです。
 巨人はその巨体から、天敵と呼ばれるほどの存在がおりません。そのため、危機感が薄く、いつだってのんびりしています。よほどの事がない限り怒りませんから、危害を加えなければ人に手を出すことはありません。
 しかしそうとは知らない人間たちは巨人に恐怖し、いつ自分たちの住処を壊されてしまうのか、勝手に想像して不安がりました。
 森から一番近い町の人たちは皆、震えました。町を去る者もおりました。絶望する者ばかりでした。そこで町長は、国に巨人の存在を報告したのです。
 そうして、国は巨人を討伐する隊を編成することを決めました。人間たちの間で巨人は、その力は大地を割り、その身体は頑丈で刃を通さず、その声は世界を呪うという噂まであるとても恐ろしく強い存在とされています。そんな巨人を倒したとなると、国の誉れとなるのです。
 選ばれたのは老練の大将軍でした。彼の指揮のもと、隊には多くの真面目で勇敢な騎士たちが参加しました。その中には、将軍の孫もおりました。
 その青年もまた品行方正で、正義を心に持った清い騎士でした。大将軍の孫であるという周囲の期待を重荷とせず、祖父が積み重ねた数ある名誉の上にあぐらをかくこともせず、その堅実さを持って着実に周囲の信頼を得ており、大将軍にとっても自慢の家族でありました。
 巨人討伐隊は粛々と敵との距離を詰めていきました。しかしいざ巨人が住む森が目前と迫ったとき、不幸なことに大変な嵐に遭遇してしまいました。
 それは年に一度あるかないかのとても激しいものでした。木々は真横に凪ぐように揺れて、人間の身体まで吹き飛ばしてしまいそうです。一歩進んでも、風に半歩分押し返されてしまって、ちっとも前に進みません。視界はまったくないにも等しく、討伐隊はいったん町へ引き返すことに決めました。
 そんななか、ひとりはぐれてしまった騎士がおりました。大将軍の孫である青年です。
 嵐に足を取られ転んでしまった仲間を助け、足をくじいた彼を他の仲間に預けるところまではよかったのですが、その後彼が落としてしまったという荷物を取りに行き、隊に戻ろうとした頃には自分がどこへ行けばいいか、さっぱりわからなくなってしまったのです。
 顔に打ち付ける雨はもはや石つぶてのように痛いです。はぐれたことを知った騎士は、ひとまず雨をしのげる場所を探すことにしました。
 しかし激しい雨風に視界は奪われます。分厚い雲が太陽をかくしてしまい、時折落ちる稲光を頼りにするしかありません。それだってほんの一瞬で、道を照らし続けてくれるような陽光の暖かさはありません。
 視界の悪さと背中を押す風に、騎士は足を滑らせ転んでしまいました。その際に足を捻り、移動はさらに困難なものとなってしまいました。
 服も靴も髪もすべてがぐっしょり濡れ、ただでさえ重たい鎧がさらに身体に負担をかけます。足だって痛いです。身体は冷え、疲れ切ってしまいました。
 ついに騎士が足を止めようとした、そのときです。突然目の前に大きな壁が現れました。
 岩かと思いました。しかし触れてみると、妙に弾力があるような気がします。壁の色も心なしか青い気がします。そして、ほんのり暖かいような気までしました。
 何度かぽんぽんと触って、へんな岩があったものだなあ、と思ったのを最後に、限界をむかえていた騎士はぷっつり気を失ってしまいました。

 

 

 ひどく身体が重たいです。頭も内側から拳に殴られているようにがんがん痛くて、息苦しいです。熱があることも感じていました。
 どうやら風邪を引いてしまったようです。嵐に襲われた濡れた身体のままいたのですから、当然です。
 しばらく騎士はうんうん唸ることになりました。時折目を開けると、青空が見えます。けれども、熱に浮かされ、ぼんやりとしていて、はっきりしません。いつ見ても快晴だな、と嵐の過ぎ去った後の晴れやかな天気を思います。
 見ていた青空が本当は巨人の肌であったと気づける頃には、体調がようやく回復してきたころでした。
 あるとき、騎士ははっとはっきりと意識を取り戻しました。

「ここは……わたしは、いったい――そうだ、ひどい嵐に遭って、それで皆とはぐれてしまって……」

 騎士は長い目覚めから醒めた後のようなかすれた声を出しました。ずっと熱に浮かされ、そして眠り続けていたからです。喉はからからでした。
 巨大な洞穴らしい辺りを見回すと、頭上に大木をくり抜いたかのような無骨な水入れがありました。
 騎士はそこまで這って、なんとか重たい身体を起こして水入れを覗き込みました。
 水は入れたばかりなのか、くり抜かれた底もはっきりと見えます。逡巡した騎士は、その水を飲むことにしました。
 まずは片手でこくんと一口。次に両手で掬って、ごくごくと、何度も何度も水を飲みました。
 やがて満足した騎士は、濡れた口元を拭ってもう一度辺りを見渡しました。
 ここはいったいどこなのでしょう。まるで山の中をくり抜いたかのように広いです。天井は見上げる程で、首が痛くなりそうです。何者かの手が加えられている事は明らかでした。穴が崩れ落ちないように木で補強されていますし、自然にできた洞穴にしては形が整い過ぎています。かといって、動物ではないでしょう。穴はあまりに大きいです。
 騎士がこれまで寝かされていた場所には、たくさんの葉っぱが敷き詰められていました。それも、とっても広範囲に、騎士が何十人と眠れるほどです。
 騎士の頭にはひとつの予感が浮かんでおりました。
 巨大な洞穴、巨大な水入れ、穴を補強する知恵、技術。木をくり抜ける器用さ。
 すべてが大きいともなれば、それを使用する者もそれだけ大きいのです。
 その知識は人間にも匹敵していて、けれども人間よりも遙かに大きい――巨人に思い当たるのは容易なことでした。
 どうやら自分は巨人のねぐらにいるようです。
 嵐の夜、気を失った後のことはまったく覚えておりませんが、雨風しのげる場所を探して、自力でここまできたのでしょうか。そこまで考えて内心で首を振ります。雨粒があたる中で気を失ったのは覚えております。
 騎士は無意識に、腰に手を伸ばしました。そこには長年連れ添った相棒がおります。相棒である剣は、自分の半身です。彼を撫でてやることで、自分の心もなだめてやります。
 静かな混乱が落ち着いてきた頃、騎士は出入り口の穴に振り返りました。

「――まずは逃げよう」

 ここが巨人の家であることは間違いありません。そうであるなら、巨人は戻ってきます。その前にここから離れなければなりません。
 巨人は騎士を食べるつもりだったのでしょうか。いくら気を失っていたからといっても、手足を封じていなかったのは何故でしょう。
 真意はわかりません。ですから騎士もそれ以上考えることはやめました。
 幸運とも言えましょう。これで隊の仲間たちと合流できたならば、巨人の住処はわかったのですから叩くの容易いはずです。
 身体はまだ重たく、頭もぼうっとしてはっきりしません。けれども騎士は己を奮い立たせて、壁に手を突きながら立ち上がりました。
 息を潜めながら歩きます。
 もうすぐ出入り口を踏み出す足が越そうとした、そのときでした。
 どしん、どしんと、重たいなにかが地響きをならしながらこちらに来るのです。腹の底に振動が伝わります
 騎士は咄嗟に壁にぴたりと背をつけて、全身の神経を張りつめさせました。
 どしん、どしん。どしん、どしん。確実に重たい音はこちらにやってきます。
 音の正体は大きな身体を持つ巨人です。巨人の足音が聞こえているのです。
 騎士は必死に考えました。身を小さくして逃げ出せば気づかれないでしょうか。しかし、餌がなくなったことに気がついて追いかけてくるかもしれません。そうなれば騎士はあっさり捕まってしまうでしょう。ですが、うまく木の陰にでも隠れることができたのならば、巨人の追跡をまけるかもしれません。
 騎士は決意し、こそこそと巨人のねぐらを抜け出し、近くの木の陰にさっと入りました。まだ巨人との距離があることを音と振動を伝える地面とで感じて、少しずつ、敵と距離をあけていきます。
 巨人はねぐらに戻りました。騎士は離れた場所で身を潜め、どきどきしながら穴の様子を見守りました。そして巨人がのっそりと穴から顔を出したのを見て、絶望しました。
 やはり追いかけてきた、という気持ちはもちろんのこと、その巨人の大きさに、ひとつ目に鋭い牙、天をつく額の一角に、それらに恐怖したのです。
 巨人はきょろきょろと大きなひとつ目で辺りを見回します。きっと騎士を探しているのでしょう。騎士は木の陰に隠れ、息を殺して身を潜めます。
 こんな怪物が町に下りたら大変なことになります。巨人が腰に携えた荒削りの棍棒でさえ、騎士の身体よりも大きいのです。そんなものをぶつけられたらひとたまりもありません。巨人が歩いただけで地面が揺れるのですから、皆逃げることすらままならないかもしれません。
 騎士は隠れながらも、しっかりと巨人を見据えました。
 巨人はとても恐ろしいです。独りで挑める相手ではありません。しかし、彼を討伐するその決意は揺らぎませんでした。なぜなら騎士であるからです。皆を守る盾であり、矛であるからです。
 巨人は地面に顔を寄せると、すんすんとにおいを嗅ぎました。そして、地面のにおいを辿って騎士のほうへと向かい始めました。
 どうやら鼻がいいようです。騎士のにおいを嗅ぎ取っているのでしょう。
 そうであるならば、見つかるのは時間の問題です。なんとか巨人に見つからないうちにここを離れ、そして川にでも飛び込むしかないでしょう。この間の大嵐で川は溢れているでしょうが、水で臭いも消せますし、流れに乗って早く逃げることができるでしょう。
 作戦を立てた騎士は、巨人に気をつけながら動き出しました。
 しかし、すぐに巨人に見つかって、大きな手にあっさりと捕らえられてしまいました。
 地面から足が離れ、ぐわりと身体が持ち上がります。かさかさの掌に身体を握られたまま、巨人の顔の高さまで持ち上げられました。

「離せ、この化け物!」

 騎士は巨人を罵りました。しかし言葉は通じていないのでしょう。何事もないかのように、巨大な目が一度瞬きをします。
 暴れましたが、手の拘束はゆるみません。そこで騎士は、捕らえられる直前に抜いていた剣を巨人の手に突き刺しました。

「ギッ」

 巨人が短く鳴きました。立て付けの悪い扉が鳴るようなひどく耳障りな声でした。
 巨人の皮膚はかたかったですが、剣は半分ほど突き刺さりました。
 人間とて、裁縫針が指に深く突き刺さったら痛いです。巨人も剣が痛かったのでしょう。咄嗟に騎士を捕らえる手をゆるめました。ですから騎士は、巨人の顔ほどの位置から落ちることになりました。
 解放されることばかり考えていた騎士は、落ちゆく身体に死を覚悟しました。しかし地面にぶつかるよりも前に、青く大きな巨人の手が受け止めてくれました。
 ぎゅっと閉じていた目を開けると、そこには掌の中の騎士を覗き込む巨人の目がありました。このとき初めて、騎士はちゃんと巨人と向かいあいました。
 だから、わかったのです。ようやく気づいたのです。巨人の目が、とても穏やかなことに。
 彼の眼差しは獲物に向けるものでも、敵に向けるものでもありません。騎士は愕然としました。

「……助けて、くれたのか?」

 巨人はなにも言わずに騎士を掌に乗せたまま、のしりのしりと歩きました。ねぐらに戻りあぐらを掻くと、そうっと葉っぱが敷き詰められた地面の上に騎士を置いてくれました。
 騎士をじっと見つめた後、巨人はなにもせず、今度は自分の手に目を向けました。
 親指と人差し指の間に、騎士の剣が刺さったままでした。巨人は剣を摘むと、ゆっくりとそれを引き抜きました。

「ぎゅぅ……」

 剣を抜くとき、巨人は力なく鳴きました。真横に向いていた耳が、心なしか下がり、目を細めました。それはまるで、痛いなあ、と言っているようでした。
 剣を適当に放ると、肌よりも青い血が流れる傷跡をべろりと舐めました。
 騎士はこっそり剣を回収しました。剣の先には巨人の青い血が付いています。それをじっと見つめていると、ふと視線を感じて顔を上げました。
 騎士が剣を見つめていたように、巨人は騎士をじいっと見ていました。それも、地面に顎がつくほど身体を前に倒しております。
 数歩あるけば届く距離に来た大きな目玉に驚き、騎士は身体をこわばらせました。
 巨人を害した武器を再び手に持ったのですから、今度こそ怒り狂うかもしれません。しかし騎士の恐れはあっさり杞憂に終わります。
 やはり巨人はおだやかな眼差しだったのです。騎士は巨人を見たまま剣をその場に置いて、そうっと巨人に近づきました。
 巨人の目玉の前に立ちます。巨人は首を傾げました。
 そうっと、騎士は巨人に手を伸ばします。すると巨人は瞬きました。まばらに短く生えている睫毛に煽られ騎士の肩より長い髪がなびきます。
 巨人は三度瞬きをして、じいっと騎士の手を見つめた後、ゆっくりと目を閉じました。目玉は青い瞼に覆われます。

「――なんて、無防備なんだ」

 騎士は純粋に驚きました。だって、この巨人の目玉は、明らかに彼の弱点であるのです。人間の剣が致命傷にはならない巨人といえども、たったひとつの目玉を失えば見える世界はなくなります。瞼まで巨大であっても、それで目玉を覆っていても、しょせんは薄い皮膚です。人間の剣であっても傷つけることは容易いでしょう。
 ですが、巨人はそんな目玉を騎士に近づけ、そしてまるで差し出すように目を閉じてしまいました。これでは好きにしてくださいと言っているようなものです。
 いますぐ剣を拾って突き刺せば騎士は、騎士たちの勝利は確実に近づくでしょう。そうなれば、流れる血は少なくて済みます。
 騎士はたくさんのことを考えて、そして動き出します。
 青い瞼に、そうっと身を寄せました。ほんのり暖かくて、瞼の裏で目玉が僅かに動いたことを掌で感じます。

「ああ、これが巨人というものなのか――」
「ぎぎ、ギィ」

 騎士のつぶやきを理解したわけではないのでしょう。ですが巨人はまるで応えるように、喉の奥からあの耳障りな音を奏でました。
 さっきはしょげていた耳が、ぱたぱたと上下に動いておりました。

 

 


 騎士は巨人を観察することに決めました。本当に駆逐する対象であるか調査することにしたからです。騎士を助けてくれた彼が、駆除されるべき敵かわからなくなったためでありました。それにまだ本調子でなく、捻った足は痛いですし、身体を動かすと気分が悪くなってしまうためでもありました。
 巨人とともに過ごした時間は短いですが、わかったことは沢山あります。
 まず、巨人は嵐で仲間とはぐれた騎士の介抱をしてくれていたということです。
 どうやらあの嵐の中で触れた、不思議な岩。それはきっと、この巨人の肌だったのでしょう。そう思えるほど巨人は甲斐甲斐しく騎士の世話をしようとしました。夜なんて寝かしつけようとしてきます。
 巨人は案外感情豊かであるようです
 悲しいときは半目になります。空が曇っていると悲しいらしく、耳がしょんぼり垂れ下がります。けれどなにかを食べているときなどは嬉しいのか、ぴょこぴょこと耳が上下します。まるでそれは犬が飼い主に撫でられ尾を振っているかのようです。
 巨人は草食、というべきなのでしょうか。大きな口はありますが、その中にそろった歯はすべて平たいです。枝を折ると、葉も枝も構わず口に放って、もしゃもちゃ、ぱきぱきと食べてしまいます。植物だけでなく、地面も抉って食べていました。ですが動物には見向きもしません。
 知能は洞穴を補強しながら掘れることからわかるように、決して低くはないのでしょう。騎士のために飯となる木の実を採ってきてくれるのですが、人間にとって害がある実を食べずにいると、次に用意するときはその実が抜かれているのです。きちんと種類を見定めているということで、騎士が食べないものを記憶しているということでもあります。
 それに、騎士の身振り手振りである程度意志の疎通もできるようです。表情も読みとるようでした。騎士が困った顔をすれば巨人もどうすればいいだろうと戸惑ったようになりますし、大きな身体の動きに慣れずにびっくりすれば、それに気づいた巨人はゆっくり動きます。
 言葉は通じませんが、いつも騎士を見ると巨人は大きな口をにこにことさせています。まあ、その顔つきは決して笑顔には見えないのですが、そんな顔にも三日も過ぎれば随分と慣れてしまいました。それどころか、人間の美醜で計るとなかなかに醜いはずの巨人の顔が、なんだか愛らしく見えてきてしまいました。おそらく、犬の尾のような耳のせいでもあるのでしょう。
 観察を始めて三日が経ち、騎士は巨人をギィと呼ぶことにしました。彼がギィギィといつも鳴くからです。まるで立て付けの悪い扉のような声で、初めは聞いていて心地よいものではありませんでしたが、慣れると案外その低音がくせになるので不思議です。
 巨人は騎士に何度かギィと呼ばれるうちに、それが自分のことであるとすぐに理解したようです。

「ギィ」
「ギ、ギ、ギィ、ギィ」

 騎士がギィを呼びます。すると、まるでなにかを語りかけるように、応えるように、ギィは扉の軋むような鳴き声を上げ、嬉しそうに耳を上下させるのでした。

「おまえはおとなしい巨人なのだな」

 四日目、日が落ちる頃にそう巨人に語りかけました。
 寝そべって騎士を見つめていた巨人は、不思議そうに喉の奥を鳴らしました。
 どうやら巨人はこの森の守護者となっているようでした。先日の雨で増水し氾濫しかけた川を整え水流を押さえたり、争う獣同士を宥めたり。
 なにごともない時にはのんびり日に当たって、心地よさそうにうっとり目を閉じます。騎士も膝の上に乗せられるぽかぽか日差しを浴びるので、いつもは我慢しておりましたが、今日はついに一緒にお昼寝をしてしまいました。起きたとき、じいっと巨人に見られていてとても恥ずかしかったのを覚えています。それと同時に、自分の無防備さに呆れました。
 いくら穏やかな巨人であると知っても、まだ彼と過ごした日々はちょっとだけです。すべてを知ったわけではないのに、油断をし過ぎています。けれども、騎士が目を覚ますなり、にこっと歯を見せ笑う巨人を見ていると、なんだか張りつめようとした気持ちもすぐにゆるんでしまうのです。
 騎士として、日々厳しい鍛錬を積んできました。礼節を身につけ、常に人々のしるべになれるよう厳格に振る舞っていました。もちろん巨人の前でもそうしていたのです。彼とともにいるのは調査のためであるのですから、騎士が騎士らしくあるのは当然です。しかし騎士でなければならいが故にかたくこりかたまっていた騎士の頭は、巨人とともに過ごすうちに、鎧を脱ぎ捨てていくように柔らかくなっていきました。
 社交辞令としての笑みをいつも張り付けていました。面白くなくても笑い、それ以外はいつもむっつり厳しい表情をしていました。でも今は、心から笑えているのです。

 

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