植物が張り巡らされた迷宮の中を移動するノノの気配が無事出口まで辿り着くのを見守りながら、シュロンは思った。
 あの勢いでは、もうノノがここに戻ってくることはないだろう。
 きっと、もう二度と。
 差し出してくれた手を取らなかったのはシュロンなのだから、それも仕方ないことだろう。
 なんにせよ今がノノと会う最後だと決めた時からわかっていたことだからそれはもういいのだ。
 ただ――
 司教に投げ捨てられた時、運悪く地面から張り出していた大樹の根の節に当たってしまったらしく、皿は細かく砕けてしまった。
 手の代わりに植物を伸ばして、そのひとつひとつを欠くことないよう慎重に拾い上げていく。
 けれども集めたところで割れてしまった皿が元に戻ることはない。

「……せっかく、ノノがくれたのに」

 独り言のようにつぶやいたシュロンの頭に、優しい声が届いた。

「――樹液で? かためる……うん。やってみる」

 シュロン以外の誰に聞こえるわけでもない身体に直接響いてくる声に頷きながら、拾い上げた皿の破片を元の円の形に組み立てていく。
 大樹から分けてもらった樹液を断面に薄く塗りつけ、欠片通しをくっつけていくと、何度も眺めているうちにすっかり頭に焼きついていた絵皿の天使が見えてきた。

「……できた」

 地面に置いた絵皿を眺めて、シュロンはほっと息を吐いた。
 出来る限り破片は集めたがあまりに小さいものはうまく継げなかったし、樹液が皿全体にひび割れのような線を走らせてしまっているけれど、どうにか形を戻すことはできた。
 少なくとも、あの割れたままの状態よりよほどいい。
 まだ樹液が乾き切っていないので持ち上げることはできそうにない。触れることもせずじっと視線を落としてそれを眺めていると「よかったね」とシュロンの心に寄り添いともに喜んでくれる声が聞こえた。

「うん」

 シュロンは頷き、小さな微笑を口元に浮かべたまま続ける。

「――ねえ。ぼくは本当に、あなたとひとつになることは嫌じゃないんだ。ずっとそうなるってわかっていたし、あなたはそれでも一緒にいさせてくれたし」

 大樹の枝がぐっと曲がって頭を撫でていく。シュロンの意思とは関係なく揺れ動く枝葉が頬を撫でるので、そっと顔を預けた。

「……ねえ。これ、一緒にあなたの中にいれてもいいかな。お皿じゃ、具合悪くなる?」

 頬を押し付けていた枝先が揺れる。
 心に直接届く大樹の声を聞いたシュロンは目を閉じる。

「――いいんだ。あなたもノノと同じことを言うけれど、ぼくはあなたの中になら行ってもいいと思ってるんだから。……でも、そうだな……」

 薄らと持ち上げた瞼の下で、澄んだ瞳がぼんやりと真っ青に色づく絵皿を捉える。
 目を閉じていたって思い出せる大事な宝物。それを思うたびにいつも浮かぶ男の顔。

「もう少しだけ、ノノといたかったかも」

 別れたばかりなのにもう会いたくなった。
 会うたびに焼きつかせるように見つめていた顔は容易く頭に描き出せるけれども、それだけじゃ足りない。
 けれどもう会うことはないのだから思い出だけで我慢するしかない。
 大樹の中では長い眠りにつくような感覚だと教えてもらった。その中で見られる夢がノノとの日々ならいいなと思う。
 シュロンの傍で猫のように丸くなって眠るノノがいるなら、また草のベッドと葉っぱの毛布を用意してやろう。寝癖があるなら丁寧に梳かそう。前に涎を拭ってやったらやりすぎだと怒られたので、それはしないように気をつけないと。
 ああでも、夢の中のノノなら許してくれるかもしれない。もしかしたら地面に丸くなるのじゃなくて、シュロンに寄りかかってくれるのかも。
 そこまで想像して、ふと思った。
 ノノが身体を預ける自分の姿は、大樹を纏うのだろうか。それとも――
 思考の途中、大樹に名を呼ばれて、シュロンは顔を上げた。
 そして告げられた思いもしない言葉にわずかに目を瞠る。

「いま、なんて……でも、ノノはもう……」

 動揺するシュロンを慰めるように、そして諭すように続く大樹の声に耳を傾けた。


 ―――――