次会うときにはもう、と幾度心の中で唱えては繰り返してきただろう。しかしデクの考えに反し、ユールに魔法の矢を突き立ててからすでに二か月ほどが経とうとしていた。
 これまで仕事現場の昼時にふらりと現れる程度だったユールだが、魔女の魔法の効果か、デクの休日には毎回のように家に訪れるようになったのだ。
 どうせ暇だろう、と半ば強引に家に押し入っては自由に寛ぎ、デクとなにかするということもなく、夕方になる前には帰っていく。持参した本を読むのがほとんどだったが、稀に仕事道具を持ってきてはそれを掃除したり、なにかを紙に書き込んでいたり、自身が身に着けるらしい装飾品を細々と作ったりと、デクにはよくわからないこともしている。
 家に上げない理由も思い浮かばず、デクはユールの好きなようにさせていた。だが他人がいる以上家を空けるわけにもいかず、結局魔女のもとへ行けないままになってしまっている。次もしユールが来なければ、と彼が帰る度に己が立てた誓いを確認するも、なかなか実行できない。
 来てしまったからには仕方がないと、ユールが顔を見せればまずお茶を淹れ、後は構うことなくデク自身も昼寝をしたり、同じように仕事道具を整備したりと気ままに過ごす。ユールがいるとしてもなにかをするわけでもなく、茶が飲み干されれば足して、時折ふと思いつた内容で互いに会話をする程度だ。
 ユールは積極的に関わろうとはしてこず、最初は身構えていたデクも今ではすっかり肩の力を抜いている。沈黙だからと苦痛はなく、気まずさも感じない。ユールの存在が気になり落ち着かないこともあったが、今ではそれも大分落ち着いた。
 同じ場所にいても思い思いのことをしている二人だが、これまでに二度ほど、デクがユールに協力することもあった。理髪師を生業とするユールが、デクの肩につくほどの髪を練習台にするのだ。
 店に訪れる女性客のなかには、髪を自分に似合うよう結んでほしい、自分でやるには難しい髪型にしてほしいと要望する者もおり、そのときそつなくこなせるようにしておきたいらしい。髪を切られるわけでないのならばと、前髪だけは触れないことを条件にデクはユールの申し出に了承したのだ。
 とはいってもあくまで練習台のため、デクのいかつい顔には到底似合わない髪型にされるのがほとんどだ。兄ユールにくっつき遊びに来ることがある弟のテイルにその姿を見られたときには、似合わないと腹を抱えられてまで笑われた。そうなれば髪を結っている最中は工夫を凝らして真剣に取り組んでいたユールでさえ、声を上げて笑い出す始末だ。そのおかげでデクは一度もいじられた自分の頭を鏡で見る気にはなれなかった。ユールが満足し外したきらびやかな髪飾りや、鮮やかな色合いの紐たちを見るだけでぞっとする。なにをどう考えても、自分に桃色など似合うわけがない。
 明日、デクは休みである。昨日テイルと道で顔を合わせた際、明日は自分も兄と行くからと言われているため、いつものように二人でやってくることは間違いないだろう。
 また魔女の家に行けそうにはないと思いつつ、焼き菓子のひとつでも仕事帰りに買って帰ろうか、とデクは考える。ユールは甘いものはそれほど得意ではないとテイルが言っていたことを思い起こしているところへ、ふらりと親方のグンジがやってきた。

「えらく楽しそうだな、デク」
「――顔に、出てますか?」

 それまで木の枝を落としていたデクは作業を中断させ、額から流れた汗を腕で拭いながら振り返る。
 焼けた黒い肌に映える真っ白な歯を見せながらにかりと笑ったグンジに、同じく外に出ている仕事にもかかわらず、やや青白い肌を持つデクは、口元を最低限に動かして目を細めた。 

「いいや、まったく。でも仕事の調子がすこぶるいいじゃねえか。それで、なんとなくそうなんじゃないかって思ってな。な、当たってるだろう」

 あくまで自分は今まで通りに仕事をしているだけである。確かにいつもよりも身体が軽く動いていたようにも思えたが、別段楽しんでやっているわけではない。むしろ普段通り淡々とこなしていただろう。
 当たっている、とは言い難げなデクの反応に、グンジは苦笑した。

「まあしっかり仕事やってくれる分には構わないがな。それよりもデク、今日はおれたちと一緒に休憩とれや。昼飯食いに行くぞ」
「……飯、ですか」
「おう。たまには奢ってやるよ。おまえには一度も食わせてやったことはないからな、遠慮すんなや」

 デクが身体に見合うだけの量を腹に収めるとグンジは知っているはずだ。ならばそれなりの金額はすでに準備してあるのだろう。
 身体が資本の仕事だ。昼食を遠慮から軽く済ますなどとは考えられず、ましてや上司が代金を払ってくれると言うのだから、本来部下は大いに感謝し尻尾を振ってついていくだろう。しかしデクは集るつもりで頷くどころか、戸惑いにわずかに眉を寄せて首を振った。

「おれは、いいです」

 これまでデクは、仲間ととる昼休憩の時間をずらしてまで過ごしてきた。グンジはその理由を察しているはずだ。だからこそその身勝手は黙認されてきた。それなのに何故、今頃になって誘われているのかがわからない。
 いつもであれば、それならそうかとグンジはすぐに立ち去るはずだった。しかし今日は何故だか食い下がる。

「そう言うな。上司の誘いを無下にするもんじゃないぞ。というよりこれは命令だ、おまえも来い」
「……ですが、おれは」
「いいな、おれはちゃんと伝えておいたからな? ちゃんと一緒に昼行く準備しとけよ。してなかったら今月の給与はなしだから」

 今までのグンジらしくもない強引な言葉。あまりの横暴さに困惑するデクを置いて、グンジは背を向けて手を振りながら、軽い足取りで去っていった。


 親方と仲間たちと一緒に向かったのは、町の中心にある食堂で、デクは皆に囲まれて一時を過ごした。
 これまでも時折デクに声をかけていたグンジを筆頭に、今日は何故か、普段は目も合わせないような仲間たちにも話しかけられる。驚きつつもデクなりに精一杯に応えた。
 初めは恐々とした様子の男たちだったが、不器用なりにデクが言葉を重ねていけば、ようやくこの半巨人はただの口下手なのだと悟っていく。一見不機嫌そうだった顔もよくよく知ればただ戸惑っているだけだとわかったらしい。次第に強張りは溶けていき、最後にはひとつひとつの言葉に対応しようとする生真面目なデクの肩を叩いて、周囲は大笑いをした。
 デクの予想とは大きく異なり、久方ぶりとなる仲間との昼食は大いに賑わったまま過ぎていった。以前の気まずげな様子はなく、デクの周りだけ暗澹たる雰囲気が漂っていることもなく、それどころかむさくるしくもある男たちの笑顔が溢れている。デクは相変わらず口数は少なかったが、仲間たちはまるで酒を舐めたように上機嫌で饒舌な者が多く、相槌を打つ間もなく言葉が溢れていたからかもしれない。
 デクに向けられた言葉は様々だった。口の重たいデクの謎めいた私生活に皆もとより興味があったらしい。背が高いとどれほどの不便があるのか、重たい荷物は一体どの程度のものまで持てるのかなど、それくらいの質問ならばまだよかったが、あっちのほうもでかいのか、などと周りに関係のない他の客もいるなかで尋ねたにやけ顔のおやじもいた。
 あっちとはどっちだと初めデクは首を捻らせたが、そりゃあ下の話さと続けられようやくどこの事情を尋ねられているのか把握する。デクがそれに馬鹿正直に答える前に、流石にこれにはグンジをはじめとした場を弁えている者がそれとなく諭したおかげで、雰囲気が壊れることもなく、また世間にデクの下半身事情が晒されることなく済んだ。
 時間はあっという間に経ち、デクたちは休憩時間のほとんどを馴染の食堂で過ごした。
 休憩は終わりだ、と代表者のグンジの掛け声により、職人たちは仕事を再開すべく各々腰を持ち上げぞろぞろと食堂から出ていく。
 邪魔にならないようにと端に避け最後に店から出たデクは、そのまま陽気な足取りで前を歩く集団の後ろについて行こうと、外に一歩を踏み出した。
 店から顔を出すと、出てすぐ脇に避けていたらしいグンジに名を呼ばれる。振り返れば、人のいい笑みを見せたグンジが、立ち止ったデクの背を軽く叩いた。

「ちょっと話しながら戻ろうぜ」

 先に歩き出したグンジに、一拍遅れてデクは足を踏み出した。そのまま半歩後ろを進めば、それに気がついたグンジが歩幅を緩めて隣に並ぶ。
 グンジは小柄で、背はそこいらにいる町の女とそれほど代わり映えはしない。しかし土木仕事をする職人らしく、初老の年齢とは思えぬほどがっしりとした体格である。背は並にあるユールは細身のせいか、存在感はグンジのほうがあるような気がした。
 以前隣を歩いた男のことを考えていると、不意にグンジが前を行く仲間の集団を眺めながら口を開いた。

「――とあるやつがよ。おまえが本音では寂しがっているから、無理矢理にでも昼誘ってやってくれっておれに言ってきたんだよ」

 思わぬ言葉にデクの無表情がわずかに崩れる。
 あいつとは誰なのか、気にかかるものの聞き返す勇気もないデクは、続くのであろう言葉を待ち、横目でグンジを見下ろした。

「おれたちはてっきり、おまえは一人が好きなんだとばかり思ってたんだ」

 グンジたちが話しかけても、デクは反応が薄く目も合わせようともしないため、関わり合いたくないのだとこれまで仲間たちは解釈していた。デクが皆と時間をずらして一人で休憩をとりたいと言ったときには、誰もそれを疑問に思うことなく、むしろやはりそうなのかと納得したものだ。それほどまでにデクは友好的には見えず、猫背で俯きがちな姿勢は拒絶されているようにも周囲に感じ取らせていた。
 だがいざ向かい合って話してみれば、いかにデクが実直な男で、そして哀れなほどに不器用であるか。グンジたちはようやく知ったのだ。
 何故皆と休憩をとらないのか、と仲間が今日デクに尋ねた。素直な言葉しか返せないデクは、和気藹々としている輪に加わることが苦手で、それを避けたいから時間をずらしたのだと正直に答えた。本来のデクならそこで言葉を止めていたが、今日はグンジにそれだけか、と促され続きを口にしたのだ。
 デクは、自分がいないほうがきっと皆も休まるだろうと思ったと、これまた真っ直ぐに自身の考えを周囲に伝えた。そしてその言葉こそが仲間たちの目を覚まさせたのだ。

「あいつの言った通りだったな――おまえさんはよ、愛想がないっつうよりも笑い方を知らないんだな。餓鬼の頃からそんだけ苦労してりゃ、そりゃそうなっちまうかもしれない。気づかず悪かったよ」

 なんと応えていいかわからないまま、デクは緩慢に首を振った。
 グンジはデクの父ユグの仕事仲間であり、親友でもあったそうだ。両親を相次いで失くしたデクを亡き友の息子というよしみで自身の職場に招き、そこで雇ってくれた。
 デクは巨人族の血を引くおかげで、子供ながらに大人ほどの背も膂力もあり、寡黙で表情も乏しく一見落ちついた少年であったが、それでも中身は未熟である。子供を雇う場所は限られ、独りで暮らしていけるような満足な給与がもらえるわけもなく、グンジが声をかけてくれなければ途方に暮れていたことだろう。
 だからこそ彼には感謝していた。グンジの身になにかあったのならば全力で力を貸すことを誓い、大人になった今も彼のもとで働き続けているのだ。謝られる理由などどこにもない。
 デクが彼のもとで働き出してから十数年が経つ。デクがまだ幼い頃には一緒になって遊んだこともあったのに、それなのにどうしてここまでくるのにこんなにもかかったのだろうと、グンジは遠い目をして呟いた。

「これからはおまえもおれたちと昼飯食うんだからな。一人だけ休憩時間ずらすなんざもう認めん。これは上司命令だ。違えたら一銭たりとも給料はないと思え」

 傍から聞けばグンジの言葉はとんでもない横暴な命令だろう。だがそれは、こういうときだけ素直には頷かないデクに先手を打つためだ。
 強い声音とは裏腹に、それを発するグンジの横顔は実に穏やかなものである。グンジが命じたいことは、言いたいことは別にあると気がついたデクは、一度ゆっくりと瞬き、拳を握った。

「――すみません」
「馬鹿野郎、こういうときはありがとうって言うんだぞ」
「ありがとう、ございます」

 俯きたくなるのを堪え、じんと痺れるように熱くなる胸を張ってデクは歩き続けた。その顔を隣から見上げていたグンジは目を細める。

「そういやおまえ、ちゃんと背筋伸ばすようにしたんだな。前はずっと丸めてたってのに」

 猫背を直したことに触れられたのは初めてだった。どこかおかしいだろうかと、不安に影を落としたデクのわずかな表情の変化に気がついたのか、グンジはそうではないと口角を上げる。

「おれはそっちのほうがいいと思うぞ。それだけでかいと見える景色も違うんだろうな。羨ましいよ。おれは高いところが好きなんだ」
「――いい、眺めですよ」

 もっぱら相槌が多いデクからの返しに、グンジは嫌味か、と言いながらもますます顔を緩めていた。
 それからはしばらく仕事に関連する雑談に近い内容を話していると、ふと前を歩いていた仲間の職人たちを避け歩いてくる人物を見つける。これまでのようにただの通行人かと思って大して気にせずグンジの話に耳を傾けていたデクだが、ふと目を向け、その姿を見て思わず足を止めた。
 グンジも足を止め不思議そうにデクの視線を辿り、その先にいたユールを見つけ手を上げた。
 欠伸をしながら歩いていたユールは、グンジに名を呼ばれてようやくデクたちに気がついたようだ。
 互いに歩み寄り、挨拶もそこそこに済ませると、ユールはグンジとデクを見やり不敵に笑った。

「へえ、今日はおやっさんたちと食ってきたのかよ」

 ユールの視線はデクへと向けられているが、デクは石像のように固まって動かない。顔に出ていないその動揺を感じ取ったのか、グンジが代わりに頷いた。

「おうよ、おかげでこいつのこと誤解してたってのがようくわかった。いい機会だったよ。今後は強制連行するつもりだ」
「へえ、そりゃいいんじゃねえの。声かけやすくなりゃ仕事もしやすくなんだろ。こいつ人がいいから頼み事は断れねえ性質だし、せいぜい懐柔してこき使ってやってくれよ」
「そうだな、いつも帰り際も大して疲れてなさそうだし、もうちょい頑張ってもらうか」

 二対の瞳が向けられ、ようやくデクは瞬いた。ゆるりと口から息を吐き、それに溶かした言葉で、出来る範囲なら、といつもの平坦な声で応える。
 気の利いた返事でないというのにグンジは頼りにしていると笑う。それがなんだが眩しく思えてデクは目を眇めた。
 グンジの笑顔は然程珍しいものであるわけではない。今も道すがら幾度も口元を緩めてはそれをデクへと向けてきていたし、日頃仕事の最中もまるで機嫌がいいような表情で指示を飛ばしている。むしろよく目にしているもののはずなのに、今見せられたものはなんだか頬でも掻きたくなった。居心地が悪いわけではないが、デクは自身が抱えた感覚の答えを知らず、ただ内心でばかり戸惑う。
 デクが面映ゆげな顔をしていることに気がつかないまま、グンジはユールに目を向けた。

「こうなれたのも誰かさんのおかげだな、ユール」

 苦笑したユールは肩を竦める。その反応はまるでグンジが示す誰かを知っているようだ。
 グンジに助言したという人物を結局知らぬままでいるデクは、躊躇いがちに問いかける。

「――その誰かを、おまえは知っているのか?」
「さあ、知らねえな」

 あっさりと返された否定にデクは人知れず肩を落とした。
 なんの意図を持ち、その人物はグンジにデクのことを伝えたのだろう。真意はまるで察することができないが、その人物のおかげで今日、デクと仲間たちとの間柄が確かに変化した。それもデクにとってとても良いほうへと。
 もしその人を知れたのならば、怖がらせないように気をつけながら、一言でいいからお礼を伝えたい。これからは苦手だからと避けず、自分からも仲間たちに話しかけていけるよう努めると、その人に誓いを立てたかった。
 ちらりとグンジに目を向けてみるも、グンジの視線はユールへ流され苦笑される。デクが知りたがっているのには気がついているのだろうが、答えを教えてくれるつもりはないようだ。
 今よりもグンジの信頼を得られれば、いつかその人を教えてもらえるだろうか。そんなことを考えているとユールが後ろ頭を掻いた。

「あー……休憩時間終わっちまうから、そろそろ行くわ」
「おう、気ィつけてな」
「んじゃ、またな。おやっさんも」

 いつものように挨拶を返せないまま、デクはすれ違い遠ざかる背を無言で見送る。声をかけても届かぬ場所にユールが行ってしまってから、それとなくグンジに促され、ようやくデクたちは歩き始めた。
 仲間はデクたちを置いて先に行ってしまったらしい。集団の姿は視線の先には見えない。立ち止まっていた時間を考えれば、すでに現場に辿り着いている頃だろうか。
 戻った後にどう作業を再開させようか考えようとしたデクの頭に、ふと積み立てられた丸木たちが思い浮かんだ。そしてそこに背を預けるユールの姿もあり、デクは別れたばかりの男を思い起こす。
 魔女の矢をその身に受けてからというもの、毎回でないにしろ、ユールはデクの仕事場に来て昼食をとる日が随分と増えた。これまでは気まぐれのようにやってきて規則性はなかったが、今では連日か、もしくは一日だけ空けてやってくる。相変わらず会話はなく、ときに辛辣な言葉をかけられるのも以前と変わりないが、ユールのこの行動も魔法の効果を実感させた。彼が訪れる度に魔女が頭を掠めるも、なかなか森に赴く時間はとれないままだ。
 先程ユールが歩いてきたのは、デクたちが向かっている現場のある方向だ。ユールの働く理髪店はその方角にはないし、住宅が固まっている地区のため食べに出ていたわけではないだろう。なによりユールの右手には、自身が作った手軽な昼食を包んでいるいつもの布が空になってぶら下がっていた。
 今日は一人で、デクも誰もいないあの場所で食べたのだろうか。
 どこか浮ついていた心が急に冷えていく。思わず足を緩めると、グンジが振り返った。

「どうかしたか、デク」
「――いや、なんでもないです」

 自分にも言い聞かせるよう首を振るも、デクはよくはわからない、焦燥にも似た想いに困惑し続けた。


 久方ぶりにグンジたちと昼食をとった次の休日、やはりユールは朝からデクの家を訪れた。宣言通り弟のテイルもついてきたようで、デクに手伝ってもらいたいのであろう宿題が背負われている。
 無言で二人を中に招き入れるも、当然の態度で入るユールはもとより、デクの強面にもすっかり慣れてしまったテイルも楽しげな表情を曇らすことはない。
 テイルは家に入って早々、勝手を知った室内を進み、居間に広げられている絨毯の上に靴を脱いで上がりこんだ。それに続きユールも乗り込み、早速端で寝転がり、持ってきていた本を読み出す。
 デクは三人分の茶を淹れて、買ってきておいた菓子まで準備してから、二人に続いて絨毯の上に行き、待ち構えていたテイルの宿題である工作を手伝うことにした。
 あくまでデクは補助程度に手を貸すだけだ。万が一手伝いの範疇を超えてしまったそのときは、本を読んでいるはずのユールが目敏く気がつき、弟だけでなくデクもろとも説教されてしまう。これまでに二度三度とあったため、いい加減デクも学習し、口の上手いテイルに乗せられ必要以上に手助けをしないよう気をつけるようにしている。場合によってはテイルが兄の拳骨を食らうこともあるためなおさらだ。自業自得と言われればそれまでだが、涙目になるあの姿はあまりにも哀れに見えた。そんなデクの気遣いも知らぬテイルは懲りる様子もなく、すぐに調子に乗ろうとしてはやはりユールに叱られていた。
 テイルは度々なにかをしてはユールの怒りを買ってはいるが、二人の仲は良好である。ときには反発したテイルと口論し、しまいには兄貴なんて大嫌いだ、と真っ赤に怒る顔で吐き捨てられることもある。その日の帰りまで目も合わせようとしない兄弟たちだが、しかし次の日会えばまるでなにもなかったかのように、罵声飛び交う喧嘩などデクの幻ともいうようにけろりとした表情で、普段通りに会話をしているのだった。
 兄であるユールは口も悪く、決して丁寧にテイルを扱っているわけではないが、その言動とは裏腹によく弟を見ている。間違ったことをすれば真正面から叱り、善いことをすればやればできるじゃないか、とささやかながらに笑みを見せる。だからこそテイルもよく兄に懐き、信頼もしているのだろう。
 しっかりと兄弟の絆を持つ二人に、デクはいつも傍から羨望の眼差しを向けていた。自分にも兄弟がいたらば、彼らのように騒がしく過ごせたのかもしれない。
 デクには上にも下にも子がいない一人っ子のためよくはわからないが、喧嘩してもすぐ仲直りしていて、声には出さないながらも信頼を寄せ。兄弟とはあんなものなのだろうかと彼らを見て考える。それと同時に、自分に兄弟がいてもユールたちとはまた違った関係なのだろうなとも思った。兄がいても弟がいてもデクの口数が変わることはそうないだろう。
 今回持ち込まれた宿題は、授業で習った方法で籠を編むことらしい。
 どうやらテイルはあまり器用ではないらしく、子供でも作れるようにと教わったはずの単純で単調な作業の繰り返しに、すぐに飽きては意識を逸らし、その度に失敗する。どうやらその点ではあまり兄のユールには似ていないらしく、自棄になり放り出そうとするのを宥めながら作業を見守った。
 籠が半分ほど出来上がった頃、それまで寝転がり読書に勤しんでいたユールが身体を起こし、両腕を持ち上げ背筋を伸ばした。何気なく目を向けてみるとふと視線が重なる。
 ユールは考え込んだように、デクを見つめたまま顎を撫で、よし、と一人頷き立ち上がった。
 もしやとデクが想像した通り、半巨人の背後に移動したユールは、自分の動きを追っていたデクの頭を掴み前に向けさせ、無言のまま髪を指で梳き始めた。
 どうやらまた網目が絡まってしまったらしく、忌々しげな表情で顔を上げたテイルが、デクの背後でその黒髪を撫でる兄に気がつき、ぱっと顔色を変える。

「あ、今日はやるんだ?」
「おう。なんか思い浮かんだ」

 絡まってしまった籠をデクに押しつけて、テイルは身体を移動させて真横から兄の手つきを眺める体勢を取った。
 兄がデクの髪をいじり出すとき面白いことになると学んだテイルは、もとより気が向かなかった宿題など放り出し、傍らから身を乗り出すように、ユールが作り出す作品に今から心を奪われていた。その顔は以前のときのものでも思い出しているのか、すでににやけている。
 小さな溜息をひとつ落とし、デクはテイルに渡された籠の絡まりを解いていく。無意識に前屈みになればすぐさま髪を引かれ、理不尽にも動くな、とユールから一喝される。
 仕方なく頭を動かさないよう作業を続け無事解くも、デクの苦心も空しく、声をかけてもテイルは気のない返事ばかりだ。このときばかりはユールも集中しているのか、単に弟の輝く眼差しが心地いいのか、手を休めているテイルを叱ることなくデクの髪を編み込んでいく。
 多少身じろいだだけで容赦なく髪を引っ張られ元の位置に直されるが、大人しくしていればユールの手つきはとても優しい。根元から髪を寄せるときに、ユールの指の腹が頭皮を撫でていく。それがまるで頭を撫でられているようで、慣れない感覚にデクは内心で戸惑った。心地いい、のだが、胸の奥をその指先でくすぐられているような感覚がするのだ。
 隣ではユールの手が止まる度に、テイルは兄に邪魔にならないようにと忍び笑い、ときには声を上げてはしゃぐ。しかし自分の頭がどんな形にされているかを知る術はなく、やがて手持ち無沙汰になったデクが欠伸を噛みしめた頃、ようやくユールの手が離れていった。
 振り返れば膝立ちでデクの後ろに立っていたユールと目が合う。

「終わったのか」
「ああ。悪ぃな、助かったわ」

 顔を戻そうとすると、胡坐を掻いていたはずのテイルがいつの間に寝そべり、床を叩きながら笑っているのが見えた。以前にも増して激しい反応に、デクはつい自身の頭に手を伸ばす。
 髪に触れてみてようやく、いつものように後ろでひとつに結ぶ形になっていることに気がついた。

「流石にあれはねえと思ってな、戻しといたわ」

 デクの手の動きを見つめていたユールは答えると、立ち上がり身体を伸ばした後、自ら茶を淹れに家の奥へと向かっていった。
 これまでは声をかけてから作り上げた髪型を崩していたというのに、今日は余程奇抜なものに挑戦してみたのだろうか。
 思い出し笑いをし過ぎてついには咳き込むテイルを横目で見ながら、デクははたしてどんな髪型にされていたのだろうかと頭を捻るばかりだった。