火渡鳥の尾羽をひとつ。世界を見渡せるとされる空突山の頂上の土を一握り。土狼の鼻水少々と、月美花の葉から落ちた朝露。それに塩をひとつまみ。
それらを床に描かれた円の魔方陣の上に置く。術者になる己の毛髪を一本引き抜き、同じように並べた。
最後の仕上げとして、ルフィシアンは隣に立つ女の手をとる。
「それでは、指先に傷をつけますね。少々痛みますが、堪えてください」
片手に短剣を握ったルフィシアンが、不安にさせまいと優しく微笑む。やや緊張した面持ちのまま女は頷くと、一思いにやってくれ、と強く目を閉じた。
人差し指の先に短剣の刃を滑らせる。薄らと滲んだ血を用意していた布で拭い、赤色の染みたそれを広げ、魔方陣の上にあるものを覆う。
「では、これより召喚いたします。少し離れていてください」
女が一歩下がったのを確認し、ルフィシアンは新緑色の瞳を閉じ、意識を集中させる。
魔方陣が淡く光を放つ。窓は開いていないはずの室内に魔方陣を中心にした風が起こり、ルフィシアンの金の髪がそよぎ耳をくすぐる。
口先で留まる詠唱の声に呼応し、風はやがて熱を持つ。
「――さあ、来たれ」
特殊な言語で紡ぐ詠唱の後、ルフィシアン自身の言葉で呼びかける。
布の下が一度大きく膨らみ、すぐに収縮していった。
ルフィシアンがしゃがみ布をめくると、先ほどまで並べられていた素材はなく、代わりに一枚の紙切れが置かれていた。
ルフィシアンが手に取った紙を、背後から女が覗き込む。
「……読めませんわ。なんと書かれているのでしょう」
「これは火の地の文字ですね。ええと……『姪の誕生日──ケーキ、キキーラ予約。うさぎさん付きで』」
読み上げた内容の最後には、二週間後の日付と時間が書かれている。おそらくそれがケーキを予約している日だろう。つまり、その日に菓子屋キキーラに行けば、うさぎさん付きケーキを受け取りに来るのであろうメモの人物と出会えるはずということだ。
「これで、このメモの方にお会いできそうですね。無事成功してよかったです」
「ああ、ありがとうございます”結びの魔法使い”さま! おかげで運命の方に会えますわ!」
今にも跳び跳ねて喜びを表しそうな女性にルフィシアンも微笑む。
「では、約束しました報酬はその方と会えましたらお願いします」
「もちろんですとも! よい報告も合わせてお届けできるようにいたしますわ」
ただの紙切れを大事な宝物のように抱き締め、女は足取り軽やかに部屋から出ていった。相棒の黒狼が見送りについていく。
彼女らが退室して、ルフィシアンは一仕事終えた安堵に深く息をついた。
道具を片付けながら、ふと目についた魔方陣をそうっと撫でる。
白乳岩を砕き水に溶かしたもので、描いた線が指先について少し掠れる。うっかり足で踏んだだけでも消えてしまうこともあり、いつもであればすぐに描き直すのだが、今はそうはせず、目線を窓の外に向けた。
肉眼ではほぼまあるく見える月があるが、まだ完全ではない。待ちに待った満月は明日となる。
「――いよいよ、明日だ……今度こそ成功するだろうか」
白く染まる指先をきゅっと握ると、不意にその拳をぺろりと舐められる。驚いて下を見ると、ルフィシアンの使い魔である土狼がいた。
まだ幼い彼は、あるじの仕事が終わるまではきちんと待っていた。客が帰ったので会いにきてくれたのだろう。
「おいで、スィチ」
「わふっ」
両手を差し出すと、自らルフィシアンの胸に飛び込んでくる。短い尾をちぎれんばかりに振って顔を舐めようとしてくるスィチの舌から逃れつつ、ルフィシアン再び月を見上げた。
「きっと、成功する。させてみせる」
土色の毛に鼻先を埋め、小さな身体をぎゅっと抱きしめた。