11

 

 

 身体を横にしてもなかなか眠気はやってこず、気がつけば朝日が顔を出し始めていた。そうなればいつまでも冴える目に苛立っているわけにもいかず、リアリムはリューデルトを手伝い朝餉の準備をする。
 朝の鍛錬にと離れていた勇者とラディアを交え、朝食をとるが、四人は終始無言だった。それは皆が昨夜の出来事を引きずっていたからだろう。勇者がいつも以上に、他を拒絶する雰囲気を放っていたからかもしれない。
 いざ旅路の続きを進もうとしたところで、それぞれの愛馬のもとへ身を寄せたとき、ラディアがひとつの提案をした。
 どうせ勇者はリアリムに触れることができるとわかったのだから、手綱を引いてやるのではなく、ともにシュナンカに騎乗してみてはどうだろうか、と。そう言うのだ。
 そのほうが馬を走らせることができるし、リアリムの経験にもなる。勇者自身が足を使わなくてもいいのだから、一石二鳥ではないか、というのがラディアの意見で、リューデルトも賛同していた。
 リアリムに決定権はないため、それを持つ勇者を煩わしく思われないように伏せ目がちに窺う。これまでのことを思えば彼は首を振るかと想定したが、実際に勇者が見せた反応は違った。彼は浅くながらに頷いて見せたのだった。
 ラディアの出した提案通り、勇者の後ろにリアリムが並び、彼がシュナンカの手綱を握る。
 安定しない馬上でリアリムが縋るものは勇者しかおらず、彼の腹に腕を回せば否応なしに二人は密着する。彼の体温が伝わるほどに近い。
 リアリムが走らせるよりも滑らかにシュナンカは大地を駆けて、その後にディッシュとレイナラに乗るラディアとリューデルトか続いた。
 リアリム一人のときは、少しでもシュナンカが大きな動きをすればすぐに均衡を崩し、落ちそうになることも多々あったが、勇者にはそれがまるでなかった。身体の芯がしっかりと保たれているからだろう。勇者の腹に回した腕の下、布越しでも感じる鍛えられた腹筋は、まさしく戦士のものだった。
 勇者が騎手となったため、次の町には予定よりもいくらか早く到着することができた。
 まず町の長たる者に会いにゆき、魔族による被害はないか、魔王についての情報を尋ね、他には今宵泊まる宿の手配などを頼む。
 勇者一行が町に滞在することを周囲に知れ渡れば騒ぎなりかねないため、ここに訪れていることは念のため伏せてもらう。用意してもらう宿も必要以上の贅沢がないようにと、一介の旅人でも気兼ねなく泊まれる場所にしてもらった。魔王討伐を目的とする勇者だからこそ行く先々で最高のもてなしを受けることはできるのだが、当の勇者がそれを求めないのだから仕方ない。リアリムはただの一般人にほかならず、特別な対応がないことに安堵した。
 町長のもとを去り、四人は指定された宿屋にまず身を落ち着かせた。部屋数も一人一部屋などせず、二部屋だけを取り、話し合いのためまずその片方に集まる。
 次の行動を、リューデルトによって説明を受けた。

「わたしどもは主に人づてに話を、噂を聞き、それで魔族らの情報や魔王の居場所を探しております。もしもそのとき救いを求める声があれば、そちらに手助けに向かいます。魔王との決着は勿論我らにとって最重要ですが、人々を助けるのもまた勇者の務めですから」

 助けるとはいっても、自分たちの力が及ぶまでですが、とリューデルトは小さな苦笑とともに付け足す。

「わたしどもとて人の身、限度はあります。そしてこの世に人間は溢れるほどおります。そのすべての声を聞くなど到底不可能です。目の前に現れた者にのみ、手を貸すのですよ」
「たまにいんだよな。戦争に力を貸してくれだとか、自分で金をすっちまったのに恵んでくれだとか。そんな理由、呆れちまうだろう」

 勇者は魔王の対となる存在である。魔族を束ねるのが魔王とするなら、人々を救うのが勇者とされており、彼の使命は人間に害なす魔族の殲滅ではあるが、窮地に立たされる者に手を差し伸べるのもまた勇者たるもののなすべきことになる。
 魔王を目指す旅の最中、かつての勇者たちも多くの人々を救っていったという。そして現勇者もまた、同じように人助けをしながら道を進んでいるのだろう。だからこそリアリムも崩壊した集落から救出され、こうして勇者たちの旅の仲間に組み込まれることになったのだ。
 ときに人間は、救世主たる勇者の存在を思い違いしている者も少なくない。勇者がまるで万能の神であるかのように無理難題を申しつける者もいれば、救いの声を出せば必ずしもそれに応えなければならないであろうと高を括っている者もいる。
 勇者はあくまで一際優れた人間であり、誰もが及ばぬ魔を打ち払う力を持ってはいるが、神でもなければすべてを受け入れる聖人でもない。邪な救出を望む声には耳を貸さないし、必ずしも救い出せるとも限らないのだ。
 力ある者だからこそ人々は彼に祈り、願いを託し、救いを求めるが、勇者とて人の身である。だからこそ情報を他人から授からねばならないし、たとえ窮地を聞きつけたとして、間に合うと約束もできない。結局は、命運に身を委ねるしかないのだろう。
 目を閉じればすぐにでも思い浮かぶ、集落の惨状。魔獣に蹂躙されたささやかな平穏が戻ってくることは二度とない。
 集落に魔獣に対抗する力がなかったのだから、仕方ないことだった。しかしほんのわずかにでも悔やんでしまう自分がいる。あと少し、勇者たちの到着が早ければ。自分の他に、数名でも助かる命はあったのではないか、と。
 己の身勝手は重々承知していた。たった一人生き残ったとはいえ、それは勇者がいてこそだ。彼がリアリムを保護してくれなければ、皆を食らっていった魔獣に同じく命をのみこまれていただろう。しかし思わずにはいられない。少しでも勇者を恨みたくなる自分があまりにも情けなく、そして危険と知ってもなおリアリムたちのもとに救うべくして訪れてくれた勇者たちに申し訳がなかった。
 自分の無力を棚に上げ、なぜ間に合ってくれなかったのか、など。考えるだけでも愚かだというのに。
 己の胸に抱く暗闇にリアリムがわずかに目を伏せたとき、見計らったようにラディアは席から立ち上がった。

「さあて、ちょっくら情報収集でもしてくるかな」
「わたしも行きましょう」
「おれも行くよ」

 続いて立ち上がったリューデルトにリアリムも追いかけるように身体を起こした。

「こんなときしか手伝えないし、少しでも役にたちたいんだ」
「そうですね、ならお願いしましょうか。でも無理はなさらないでくださいね。なにかあったらすぐにここへ戻ってくるように」
「――その、おれはリュドウと一緒に行かなくていいのか?」

 リューデルトの後についていくつもりだったリアリムは、戸惑いに表情を曇らせる。その理由を察したらしいリューデルトは、宥めるような穏やかな笑みを浮かべた。

「力のことを心配しているのですね。ご安心ください。いくらわたしから離れてはいけないといえども、この町の端から端までであれば十分に繋がっている距離にあたりますし、もしも魔術が届かなくなったとしても、三日程度なら効力が持続するようにはしてあります。それほど不自由をする必要がありませんよ。魔術が効果をはっきりしているうちは周囲に影響が出ることもないので、心配いりません」

 リアリムの抱いていた不安を晴らすよう、リューデルトは丁寧に説明をした。
 魔を呼ぶ者として、その力を魔術で抑え込んでいるリューデルトから決して離れてはならないとだと思っていた。不用意に距離を空けすぎてしまえば、魔獣だけでなく、再び魔物までもが現れてしまうのではないかと恐れていたのだ。
 なにが現れたとしても人が暮らす町を襲撃されたのであれば被害は免れない。いくら勇者たちがいようとも、迷惑をかけることは確実なことだった。死傷者が出てしまえば、リアリム自身ひどく苦しめられるであろうこともわかっている。
 しかしリアリムが予想していたよりも制限はないようだ。リューデルト自身を縛ることもなく、今後の旅の気がかりがひとつ減ったことに安堵する。
 話を終えたところで、それじゃあと、改めて立ち上がった三人は部屋を後にした。
 ぱたりと自分で閉めた扉にじっと目を向け、それから歩き出す。
 階段を下りながら、先頭を進むラディアがちらりと後方のリアリムに視線を寄越した。

「あいつはな、相手の魔力を暴走させちまうから、極人と関わんないようにしてんだよ。気をつけてはいるが、万が一、触れちまったら取り返しのつかないことになるからな」

 名前は出なかったが、彼が一体誰のことを伝えようとしているのか、昨夜のことを頭の隅に追いやるしかできなかったリアリムはすぐに察した。なにより一緒に外に出なかった勇者を気にかけていたこともあるのだろう。
 ラディアの言葉に引き寄せられるように思い出す。
 突き飛ばされた身体の痛みに、そっと触れてきた汗ばんだ掌と、おそろしく冷えた指先。
 最後にリアリムに触れた勇者は、はたしてどんな表情をしていたのだろう。閉じていた目を開いたときには、彼はどこかへ消えていこうとする背中しか見せはしなかった。
 夜明けとともに勇者は戻ってきたが、お互い顔を合わせることもなかったし、シュナンカの上で二人並んだが、抱きつくように密着していても彼の心の声など聞こえるわけもなくて。宿屋に到着してもそっぽを向くばかりで、彼があの夜の出来事をどう思っているのか、知る機会はまったくなかったのだ。
 人の魔力を狂わせるほどの力を秘めた身体。魔を呼び寄せてしまう体質のリアリムよりも厄介で、ましてや封じこめることさえできず、他人との接触を避けるしかなくて。
 リアリムに触れようとするだけで、緊張にあんなにも冷えて、微かに震えていた指先。頬に手を置くだけでも、壊れ物を扱うように危うげで。
 一人部屋に残った勇者は、はたしてなにを思っているのだろうか。

 

 

 

 夕刻を告げる鐘が鳴ったら各自宿に戻る、という約束を別れる前に交わしていたことから、リアリムはその通り鐘の音を聞き、情報収集を中断させて帰ってきた。
 同じく戻ってきたリューデルトと宿屋の軒先で出くわした。二人で中に入り、正面で店番をしている店主に軽く頭を下げてから脇の階段を上っていく。

「どうでした?」
「いや、あんまり」
「わたしもです。ではあとはライアを待つことにしますか」

 対面している扉のうちの右側に二人は入っていった。そちらに各々の主だった荷物がまとめて片方の部屋にしまわれている。左側の部屋には勇者がいるはずだ。
 盗難防止にと日中張っていた結界を解きつつ、リューデルトは途中で購入したらしい雑貨を荷の中に詰める。

「リアム、今日のところはもう寝てしまっても構いませんよ」
「え? でも、ライアを待つんじゃ」
「どうせあの人は今夜中には帰ってきませんから、話は明日です」

 整理を終えたリューデルトは振り返り、わざとらしい溜息をつく。それは今この場にいないラディアに向けられていた。
 なぜ今日は帰ってこないだろう、というリアリムの内心の疑問を悟ったのだろう。リューデルトはラディアに対する呆れ顔を崩さないまま教えてくれた。

「なにせ、やっているのは情報収集だけではないですからね。――気をつけてくださいね、リアム。あの人は男性だろうと女性だろうと、見境がないですから」

 リューデルトの言葉にようやく合点のいったリアリムは、そういうことかとさっと頬を赤らめた。ラディアが今なにをしているのか、咄嗟に想像してしまったからだ。
 リアリムの反応を見たリューデルトは、微笑む。

「おや、案外初心な反応ですね」
「……あんまり、そういうの、なくて」

 足の悪い母と、妹の面倒、家業の手伝いにと、あまり裕福な家庭でなかったリアリムの生活にゆとりがあったわけではない。まったく誘いがなかったわけではなかったが、他に優先したいものがあると断り続けてしまったがために、この年齢までまるで経験がないままになってしまったのだ。
 そろそろおまえも嫁さん候補を探せ、家のことはいいから、と両親から言われたのはつい先日のことだった。結局それどころではなくなってしまったが、たとえ悲劇に見舞われずとも、リアリムはあのままだったような気がする。
 よほど色事とは無縁そうな、聖人のような穏やかな笑みを浮かべるリューデルトだが、リアリムに向けるそのゆとりはむしろ経験者ならではのもののような気がして、気恥ずかしさから俯けていた顔をそろりと上げる。

「リュドウは慣れているのか?」

 いくら清廉な気配を纏っているとて、そこらの女など目ではない美しい顔立ちをしているとて、リューデルトも男である。年齢リアリムとそう変わらないはずだから、経験があることはむしろ当然のなりゆきに身を任せた結果だろう。

「ええ、まあ。なにせわたしが勇者さまの供に選ばれたのも、魔術の腕は勿論のこと、この顔もあってのことですから」
「え……?」

 一切想定していなかった返しに、リアリムは幾度か目を瞬かせた。

 

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