16

 

 宿屋の脇に併設された食堂に、勇者とリアリム、リューデルトは朝食をとりにきていた。
 用意された料理が机に出揃った頃に、リューデルトは正面にリアリムと並んで座る勇者に苦笑する。

「いい加減、許していただけませんか。あながち間違いではないでしょうに」

 むすりとした勇者は堪えないまま、黙って肉叉に手を伸ばし、ちぎられた葉野菜を突き刺していた。リューデルトは肩を竦めながら、淹れたてて熱いくらいのお茶に息を吹きかけ、杯を傾ける。
 揺らぐ勇者の怒気を脇から感じながら、リアリムはそろそろと自分の食事を開始した。
 リアリムはリューデルトに、“勇者たっての希望なのだ”と言われて部屋を移ったのだったが、それは魔術師による虚言であったらしい。
 明け方の二度寝ということもあり、リアリムたちは寝過ごしてしまった。そして起きてこない二人の様子を確認しに入室したリューデルトに、抱き合って眠っているところを見られてしまったのだ。
 狼狽えるリアリムと、これといって動揺は見られない勇者を眺めながらリューデルトは、自分の計らいは正しかったようだと発言してしまったがために、リアリムよりも先に状況を把握した勇者が反応した。
 そして彼はリューデルトに直接問うのではなく、リアリムを問い詰めたのだった。なんと言われたのかと。
 整った顔立ちに凄まれるのは迫力があり、ましてや勇者である彼を誤魔化すことなどできるはずもない。これまで以上の威圧を感じながら、リューデルトが叱られることを予感しながらも白状してしまった。そこでついに、リューデルトがリアリムに告げた勇者の言葉は、実際彼が発言したものでないと判明したのだ。
 それ以降勇者は一言も口を利いていない。もとより寡黙ではあったが、尋ねられることがあれば必ず素っ気なくとも答えてはいたのに、それすらもなくなってしまった。
 リアリムは不機嫌な勇者に不安を覚えた。いくらリューデルトに謀られたとはいえ、自分が部屋を訪れてしまったのはやはり余計なことであったのだろうと。強く否定していれば、リューデルトも嘘を認めていてくれたかもしれない。だが悔いたところで過去は覆らない。
 先に食堂に下りた勇者の後を、肩を落としながらも続こうとしたとき、部屋を出る前にリューデルトが教えてくれた。
 きっと、口には出さなかっただけで、本当に勇者はリアリムのことが気になっているはずだ。付き合いが長いから、なんとなく自分にはわかるのだと。
 もし本当にリアリムの存在を煩わしく思っていたのならば、一緒に眠るわけがない。勇者は嫌なものをはっきり告げはしない代わりに、そういったものはまるきり無視するきらいがあるのだという。
 むしろリアリムに興味を持ち、リアリム自身を知りたいと思っているからこそ、勇者からの接触があったのだと、そうリューデルトは説明をした。
 初めは勇者自らが、寝台をともにすることを望んでいた。寝台はふたつあるのだから、余程の理由がない限り、わざわざひとつの狭い場所で眠ることもなかっただろう。
 だとするならば、リューデルトの予想はやはり当たっているのだろうか。勇者自身がリアリムとの同室を実は望んでいたのかもしれない。
 だが、たとえリアリムに興味があったとしても、あのときひどくうなされていたとしても、その後に男二人で抱きしめあって眠るものだろうか。
 無意識であっても引き留めたのは自分であるが、毛布のなかに入り込んできたのは勇者だ。そしてリアリムを抱きしめてきたのも彼からである。少なくとも嫌っている人物にはしない行動ではあるが、相手が弱っていたとしても、やはり恋人や家族などの親しい間柄でなければそうするものでもないように思える。リアリム自身考えてみたが、同じ行動が赤の他人にできるかどうかは予想がつかなかった。
 だが勇者のおかげでその後悪夢を繰り返さなかったのも事実である。リアーナと似た体温は心地よく、リアリムは差し込む朝日にも気がつかないほどに熟睡してしまっていたのだった。
 リューデルトが登場した影響で、夜のことはどちらも触れずに終わってしまったが、勇者ははたしてあのときのことをどう思っているのだろうか。
 自分自身にも同じ問いを投げかける。だが、はっきりとした答えは出てこなかった。守られているような安堵に浸かり、うなされるほどの恐ろしい悪夢も遠ざかった。だからきっと、いやではなかったのだと思う。だがそれ以上の言葉が見つからない。
 自分は勇者という男を、どう思っているのだろう。少なくとももう初めて出会ったときのような得体の知れぬ恐ろしさはなくなった。勇者という立場にひれ伏さねばならぬという概念も、捨てた。確かにリアリムは彼らにとって邪魔な荷物であろうが、それでも彼らから“仲間”と呼ばれているのだし、なにより勇者の供から必要以上に畏れないでほしいとも頼まれている。
 勇者は人類の希望たる者であるが、それでもその中身は一人の人間だ。人々の期待を一身に背負う立場を持つだけの、魔を払う力があるだけの人間なのだ。焦ることもあるし、怒ることもあるし、恐れることだってある。指先を緊張に冷たくさせることも、子供のような体温を持つことも知っている。
 勇者の名ばかりを見てしまっていたが、当初に比べれば今のほうが勇者自身を見つめられている気がするし、そうであってほしいと思うのだ。
 リアリムは彼を知りたいと思った。今後の仲間ということもあるが、勇者自身を知り、理解したいと。夜の出来事は、その一歩を踏み出すきっかけになったのだろうか。
 リューデルトの穏やかな視線に、思考に耽るリアリムが気づくことなかった。
 その後は食事処で、すでに席を陣取っていた勇者のもとに辿り着き、三人は朝食を注文したのだった。
 リアリムたちが食事を始めてからほんの少しの間を置き、大欠伸とともに一人の男が来店する。男はいかにも気だるげに勇者たちの席に近づき、空いているリューデルトの隣の椅子に腰を下した。
 もう一度欠伸をして薄らと目尻に涙を溜めた男、ラディアは後ろ頭を掻いてへらりと笑う。

「いやあ、わりいな。すっかり遅くなっちまったよ」
「いつものことでしょうに」
「そんなにむくれんなって。ところでおれの分は?」

 前を向いたままのリューデルトを気にした風もなく、無視をされても苦笑するだけだった。
 ラディアは片手を上げて店員を呼ぶと、水と酔いにやさしい薬草のスープを注文する。

「それで、なにか情報はあったのですか? まさかただ一夜を過ごしてきただけというわけではありませんよね。もしそうなら、渡したお金を返してもらいますよ」
「そう怖い顔すんなって。ちゃんと掴んできたさ」

 勇者一行の財政を管理しているのはリューデルトであり、町につくごとにそれぞれに相応しい分の金を渡しているそうだ。今回はリアリムも受け取り、それで飲み食いを自由にいいとしていいと言われていたし、必要なものがあれば一言声をかけてくれればその分は別に出す、ともリューデルトから言い渡されていた。
 話しぶりからして、ラディアの夜の時間は勇者たる者に差し出された金品で賄われたのだろう。これまでのリューデルトの性格を考えれば、それで十分な成果が上がることがあるからこそ、許したと思われる。だがただ飲み歩いた、誰かと寝台をともにしたとなれば怒りに触れることもあるらしい。
 これまでの雰囲気を一変させてつんと尖らせるリューデルトに、肩を竦めたラディアだったが、ふと正面に並ぶリアリムと勇者を見て幾度か瞬いた。それからなにか意味ありげに口元をにやつかせる。

「な、なんだよ……?」
「いやあ、べつに。少しは進展があったんだなあって思っただけだ」

 なにも言うことができず、リアリムは誤魔化すように手に取っていたサンドイッチを齧った。
 ラディアは帰ってきたばかりで、まだあの夜の事情などなにひとつ知らないし、リアリムと勇者が成り行きで偶然隣同士に座っただけであって、まさかそれでなにかあったなどと勘繰っているわけではないだろう。あんなことがあった後で、単に自分が過剰に反応しているだけなのだと言い聞かせるが、交互にリアリムと勇者を見ているラディアの視線がどうも気にかかった。その隣ではリューデルトが、不機嫌そうな表情だったはずなのに、どこか笑みを噛みしめているようにも思える。
 見られている居心地の悪さを感じているところに、ラディアが注文したものが届いた。
 さあ食べるかー、と手を伸ばしたラディアだったが、指先は匙に向うではなく、隣に向けられる。
 杯を傾けるリューデルトの死角を忍んだ手は、こっそりとパンを抜き取った。リューデルトが悪事に気づいた頃には、半分ほどに減っていたパンがさらにその身を裂かれて同じ大きさふたつに分けられた。
 片方をリューデルトの皿に戻して、もう片方は一口で頬張ってしまう。

「なっ……ご自分で頼めばいいでしょうに!」
「わふれひまっはんだほ。ゆふへ」
「ものを入れたまま喋らないでください!」

 もう口に入ってしまったものは取り返しようがない。それをわかっていて一口には少し多き量を咥え込んだラディアは、少し息苦しそうにしながら、パンをスープで流し込んでいた。
 隣から険しい視線を受けながらも、動きはあくまで気の向くまま。様子を傍から眺めるリアリムのほうがうろたえてしまいそうだった。

「へへ、注文するの忘れちまったもんで、ついな。一口くらい許せよ」
「……まったく、あなたって人は」

 歯を見せにかりと笑ったラディアに、リューデルトは脱力したかのように肩を落とす。半端に残されたパンをラディアに押し返してやっていた。

「お、いいのか?」
「どうせそれだけでは足りないでしょう。もっと欲しければご自分で注文なさってください。くれぐれもリアムからはとらないように」

 わかっている、といって、ラディアは今度こそ無茶のない大きさにパンを齧って腹に収めた。
 ふとリアリムが隣を見てみれば、すでに勇者は食事を終えたらしく、腕を組んで目を閉じている。少食だったリューデルトも残っていたパンをラディアに渡してしまったものだから、先に席を着いていたものの一人であるリアリムと後から来たラディアだけがまだ食事を済ませていない。そしてまるで水でも飲むかのように匙など使わず、直接皿の縁に口を着けスープを口にするラディアは、すぐに食べ終えてしまうだろう。
 リアリムも少し手を早めて残る料理を口にする。

「それで、情報はなんですか」
「んあ? ああ。ここから西の村のやつが魔獣を見かけたんだと。それで討伐の依頼が来ているらしい」
「どなたかが行く気配はありましたか?」
「いいや。その村貧乏らしくてな。見かけるだけでまだそれほど警戒すべき段階でないから報酬も抑えているみたいで、その低さに誰も行こうとはしねえ。みんな、もうちょっと値が上がるのを待ってんだろうよ」

 見かけた魔獣というのは猪型のスルフェドらしく、一度暴れ出したのならば手のつけられないことで有名だ。野生の猪であっても十分な人間の脅威になりかねないが、スルフェドはさらに二回りほど大きく、突進されて直撃されようものならばひとたまりもない。石造の家でさえ揺すぶられ、ときとして大穴を開けられてしまうこともあるのだという。
 ただしヘルバウルにように群ではなく、大体はつがいか、もしくは親子で行動していて数が少なく、なおかつ破壊力は凄まじいがそれほど利口ではないために対処がしやすい。また一度走り出すと小回りが利かないこともあり、避けやすい相手でもある。鼻が利かないという点もあって、見つかっても身を潜めればやり過ごせてしまえた。
 そのため、たとえスルフェドが村を襲ったとしても、それほどの大きな被害がでることはないだろうし、いざとなれば逃げだせるということもあって、依頼主も、そして依頼を受けるか悩む周囲もそれほど逼迫した状況とは思っていないのだろう。だからこそ報酬も始めは低く設定して、それから危険が増えてきた段階で徐々に上げていくことで、出費を抑えることを狙っていると思われる。
 魔族に関する知識が薄いリアリムに、リューデルトがそう説明してくれた。

「そうなのか。じゃあ、報酬が上がれば、他の人が依頼を受けることもあるみたいだし、今すぐに危ないってわけでもないみたいだし。その……やっぱり、スルフェドは放っておくのか?」
「いえ、受けますよ」

 話の流れからして、わざわざ勇者一行が出向くほどの依頼ではないとするのかと思っていた。しかしリューデルトは予想に反し、頷く。

「念のためですが、見に行きます。そのまま村の周囲から離れるであればそれでよし、危害を加える可能性が高いのであれば、我々で撃退、もしくは討伐します」
「それほど切羽詰まった状況でもないのにか?」
「ああ。なにか起こってからじゃ遅いし、おれたちは目に見える救いには手を差し伸べるようにしてるんでな」
「そっか」

 リアリムは内心でそっと胸を撫で下ろした。いくら危機的状況にないとはいえども、周囲を魔獣が闊歩しているのは恐ろしいし、いつ襲われるかもわからない恐怖に晒される村人たちを心配していたのだ。だからこそリューデルトたちが行く気であることに安堵した。これならば被害が出ることはないだろう。
 このとき勇者たちの脳裏には、自分たちの手が届く寸前に魔獣に襲われ崩壊した、平穏だった集落があったのだが、それにリアリムが気がつくことなかった。

「わたしどもがいただく報酬は、提示された半額ですし、きっとそのほうが村も助かるでしょうしね」
「お金、貰わないのか?」
「おう。別に金に苦労してないおれたちが、貧乏が出し合った金もらうっつうのもな。それで生計立てているなら話は別だが、そういうわけじゃないし、だから半額で引き受けるんだよ。無償ってのにしちまうと、場合によっては相手が申し訳なく思ったりするし、もし他に依頼したいことができたとき、安く済まそうって魂胆で報酬を設定して、今回みたいにみんなに渋られるようでも困るからよ」

 単なる人助けといえどもその後のことを考えねば、それは相手の破滅への時を引き伸ばすだけだ。今ある危機を教訓にし、同じ事態に陥った際にはより望ましい解決をしてほしいのだと勇者の供らは語った。

「それに金がほしけりゃ、そこらの裕福層からもらえるからいいんだよ」
「だからといって無駄遣いは許しませんが。必要経費以外は自腹でお願いいたしますよ」
「……ま、そういうときのために自分らで魔族仕留めた報酬金とか貯めとくこともあるけどなー」

 ラディアは笑ながら明後日を見る。それは過去の金銭面に関するリューデルトとのやり取りを思い出しているのかもしれない。
 リアリムが残りの朝食を腹に収めている間にも、リューデルトが昨夜の様子をラディアに尋ねていた。どうやら昨日は酒場で飲み明かしただけらしく、必要経費として認められたようだ。
 この剣士は酒飲みだけでなく、ときとして男や女との一夜限りの関係を結ぶこともあるらしいが、はたしてそれも報告しているのだろうか。ともなれば、もしそれを聞いてしまったときに、リアリムは平常な顔で澄ましていられるだろうか。
 もし過剰な反応を見せれば十中八九ラディアはからかうだろう。もしかしたらリューデルトもそれに乗るかもしれない。清澄な雰囲気を纏っている風ではあるが、決して世間知らずな相手でないのをリアリムはもう知っている。
 ふと、漠然と自分の将来を思い描く。
 故郷を失い、魔を呼ぶ者として人の輪からは外れてしまった己は、はたしてこれまで当たり前のように思い浮かべていた未来などあるのだろうか。
 笑顔が優しい女性を娶り、子を作り、慎ましくも温かな家庭を築けたらと、そう凡な願いを持っていた。だが今は勇者一行に伴う旅の最中にあり、それについていきながらもリアリムは魔を呼ぶ者の体質を封じる術を探してはいるが、町でそれとなく聞きまわってみたが当然のように皆首を傾げていた。そもそも魔を呼ぶ者すら知らぬ者がほとんどだった。リアリムとて初めは知らなかったのだから、当然だと言えよう。
 力を封じてくれるリューデルトから離れられることができないからこそ、危険と隣合わせの勇者の旅に同行しているのだから、将来の伴侶となる女性を見つけるゆとりがあるわけもなく、ましてや望んでいた未来を描くことさえ今は儚いものとなっている。
 まだ始まったばかりの旅。はたしてこれがどれだけ続くのか、勇者も、供の二人も、リアリム自身も誰も知らない。終わるのかもわからないし、本懐である勇者の旅の障害になるかもしれないし、もしかしたら先に魔王との対峙があるかもしれない。
 そのとき、リアリムは一体どこにいるというのだろう。
 いつの前にやら手を止め考え込んでいたらしい。ふと隣から送られている勇者の視線に気がつき、リアリムは誤魔化すように皿を持ち、残りのスープを一気に流し込んだ。

 

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