『岳里を呼びに行く』

◇選択肢・『岳里を呼びに行く』◇

 

借りた器や蒸しケーキの入った皿は意外と重く、一度は運ぼうと思ったおれもワゴンに移動させただけで諦めた。
それに。
食べ終えればまたこれらを下げなければならない。
それなら、この厨房の片隅を借りて此処に岳里を呼んだ方が早い気がした。
厨房の責任者は場所の提供を快諾してくれた。
ケイは折角だからと温かいお茶を淹れることを勧めてくれた。
動いた後だろうから、冷たい方が良いかも知れないと厨房内スタッフの善意で幾つかの飲み物も揃った。
その時点で岳里と2人きりと言うのは諦めていた。
でも。
ケイの一言で今は使われていない厨房近くの小部屋を責任者が貸してくれた。

「使い終わったら施錠して明日にでも返してくれ」

古めかしい鍵を開けた場所は使われていないとは言え清潔に保たれていた。
支度を終え、鍵を手に岳里を呼ぶ為に厨房を出た。

『真司だけでも注目されているのに、彼まで揃ったら厨房が回らなくなりますよ?』

それはついさっきのケイの言葉。
あの時は何も思わなかったけど…。
岳里が剣を扱い始めてから周りは前より注目している。
筋が良いのと岳里の意識の現れか、やる度に実力が付いていると聞いている。
今、岳里のいる場所へ向かうこの廊下でさえ…意識すれば岳里を噂する隊員達の話が聞こえてくる。

「今日も凄かったな」
「一体どんな反射神経してるんだろう」
「表情からじゃ次の動きは読み取れないしどうなってんだ…」

彼等をなんとなく見送った後、小さな息が漏れた。それと同時に足も止まる。
一緒にここDesireに来てずっと同室で。おれはずっと岳里を頼っていて…。
少しぼんやりしていたのかも知れない。
不意に頭に軽い衝撃がきた。

「こんな所でどうした?」

顔を上げると、おれの頭に手を乗せる岳里が居た。
暖かい岳里の手。
目線を上げていくと岳里がおれの髪をくしゃりと撫でた。
表情は変わらない。

「何かあったのか?」

だけど。
言葉は淡々としているけれど、髪に触れてる手はひどく優しい。
それだけでさっきの不安のような物が和らぐ。

「呼びに来たんだ。岳里を」
「そうか」

それだけ告げて岳里の隣に並んで歩き出す。
部屋ではなく厨房のある方角へ向かっても、岳里は何も言わず付いてきてくれた。
その間の会話は、特にない。
会話は無いんだけど流れる空気はとても穏やかだ。
借りた鍵で小さな部屋の扉を開ける。
おれに続いて入ってきた岳里は扉を閉めてから、部屋の中央へ置かれているそれに目線を向けた。

「最近岳里甘いもの食べてない気がしてさ。…厨房の人に色々聞いて作ってみた」
「お前が作ったのか?」

目線をおれに移して確認するように問われた。
真っ直ぐな眼差しに頷く。

「ちょっと日数は掛かったけど。これは全部岳里のだから」

運びこまれた長方形のテーブルにはシンプルな白い布が掛けられていて。
その上に、一番時間が掛かった青いゼリー。
それから、即席で作った蒸し器を使い何とか仕上げた蒸しケーキ。
以前、ミズキの所で流し込むように食べていた焼き菓子が量を競うように並べてある。
小さなパーティーでも出来るような量の菓子類だ。

「凄いな」

ポツリと呟いた岳里がゼリーを見た。中のフルーツに笑みが浮かぶ。

「これだけあれば、腹の足しにはなるだろ?」
「勿論。…お前が作ってくれただけでも特別なのに、覚えていたんだな。これ」

珍しく滑るように言葉を紡いだ岳里が、傍らに置かれたスプーンでゼリー中の果物を掬った。
火を通したりカットしたりして、岳里が採ってきた時とは大分変わっていたのに気が付いたらしい。
これには流石に驚いて岳里を見た。

「分かるのか?」
「お前に食わせた物を忘れる筈がない」
そう言った岳里が掬ったそれをおれの口元へ差し出した。
「これはお前と食いたい」

おれは。
珍しい岳里の、甘い言葉と眼差しに断る選択をせずに…口を開いて一口それを味わう。
何度も味見した筈なのにやたらと甘く感じるそれ。
すると岳里も直ぐに次を掬い口にする。

「美味いな。お前の作ってくれる物が一番口に合う」

ふっと空気が変わる。
口元で笑んだだけなのに岳里の機嫌の良さが隅々まで伝わってくる。
結局その日。岳里はゼリーだけを食べ、日持ちする菓子は綺麗に包んで部屋へと持ち帰った。
その時は一度限りのつもりだった。
…けれど。
それらが無くなる頃になると、眼差しで菓子作りを強請るようになる岳里に勝てる筈もなく。
菓子作りは恒例になりそうだった。

END

頂きもの after