ただいま、おかえり。いただきます!

10月13日トプステ18で発行予定だった無配本です。



 あけぼのテレビでナギに会えるとは思わなかった。誰もが行き交う廊下の真ん中ということもあり触れることは叶わないが、愛しい相手とのつかの間の逢瀬に、龍之介の口元はついついほころぶ。

 ナギも同じ局で別番組の収録が入っていると事前に聞いていたので、もしかしたら会えるのではという淡い期待を抱いていた。最近は互いに多忙で、仕事の隙間に電話で数分程度の会話をするくらいの時間をしかとれなかったので、偶然とはいえ直接顔を見られたことがとても嬉しい。
 他愛のない会話をしていると、ふとナギが切り出した。

「そういえば、アナタは今日の収録、二十時には終わるのでしょう?」
「そうなんだ。よく知ってるね。天から聞いたの?」

 ナギが自分のスケジュールを気にかけてくれていたのが嬉しくて、それだけのことでもついつい浮かれそうになる。
 つい昨日、天がナギと朝の情報番組で共演したので、そのときにでも龍之介を話の肴にしたのだろうと推測をしたのだが、ナギは小さく首を振った。

「いいえ。アナタのマネージャーからお聞きしまして」
「姉鷺さんから?」
「ええ。快く教えてくださいました。彼女は本当に素敵な方ですね」
「ありがとう。ナギくんがそう言っていたって知ったら、きっと姉鷺さん喜んでくれると思うよ」

 誉められていやな気になることはないはずだから、あとで伝えてやろう。龍之介としても、頼りになる自分たちの自慢のマネージャーを素敵と言ってもらえてとても誇らしかった。

「ワタシは十八時には終わるので、アナタの家に先に入ってもよろしいですか?」
「お、俺の家に? もちろんいいよ! その……この間渡した合い鍵は持ってきてる?」
「ええ。ではそれを使わせていただきますね」

 つまりナギに渡していた龍之介の家の合鍵は、今日初めて使われるということだ。
 龍之介のいない家の中に、ナギが鍵を使って入るというただそれだけなのに、それも今すぐのことでないのに、妙に胸が高鳴りつい声音が大きくなる。

「ど、どうぞ! 自由に使ってもらっていいから。あ、冷蔵庫にプリンがあるから、よかったら食べて!」

 そろそろナギが泊まりにくるのではないかと思い、以前に二人でテレビを見ていたときにナギが食べたいと言っていたプリンを買っておいたのだ。
 明日は久方ぶりに互いのオフが被る日だ。まだ話には出ていないが、今日家に来るということはそのまま泊まっていくのではないだろうか、と龍之介はこっそり期待をしている。
 実はナギが来たときのおやつにと、賞味期限がたいして保たないプリンを買ってきては、期限が来る前に自分で食べて処分するということを繰り返していた。用意しておいたらナギが家に来てくれる、そんな願掛けをしていたためだ。毎回買い直していては意味がないのかもしれないが、ナギが来てプリンを食べてくれればそれだけですべてが報われるので問題はない。
 真相を伝えるつもりはないが、もしナギがこのことを知ったなら、無意味な行いだと呆れるのだろうか。それとももてなすのは当たり前だと受け取るだろうか。そんなことを龍之介は考えたが、知らぬナギは夕飯のデザートですね、と素直に聞き入れる。

「寄り道などせず、まっすぐに帰ってきてくださいね?」
「もっ、もちろん! 走っていくよ!」
「走らなくてもいいです」

 帰ったらナギが家にいる。自分を待ってくれている。その姿を想像するだけで胸が心地よいもので膨らみ上がるが、浮かれるなとぷすりと針を一突きされた。

「あ、ナギくん、ちょっと待って」

 反省に落ち込む龍之介を置いて、それでは夜に、と去ろうとしたナギを咄嗟に引き留めた。

「なんです?」

 振り返ったナギに、隠し持っていたあめ玉をひとつ手渡しする。
 白い手のなかに、龍之介が置いた黄色い包装紙に包まれたそれがころんと転がった。
 ナギと会った後の天から、疲れている様子だと聞いて、念のため用意をしていたものだ。実際に会ってみたナギは確かに、少し疲労がたまっているように見えたので、気持ちばかりでも渡さずにはいられなかった。

「がんばってね」
「――アナタも。ではワタシは行きますね」
「またね」

 去っていくナギに手を振って見送る。

「さて、俺もがんばろう!」

 なにせ帰ったらナギがいるのだから、やる気も溢れ出てくるというものだ。
 ナギの姿が見えなくなって、龍之介も自分の楽屋へと戻る道を辿った。
 だから、別れたナギがぽつりとつぶやいた言葉など知る由もない。

「……アナタは、偶然に会えて嬉しいくらいにのんきに思っているのでしょうね。まったく――誰のために疲れていると思っているのでしょう」

 もらったばかりのレモン味のあめ玉を口の中で転がしながら、ナギはひとりほくそ笑んだ。





 自宅の鍵を開けて中に入ると、なにやらとても美味しそうな匂いがふわりと香る。部屋の奥にも明かりがついていて、どことなく温もりがある空間は誰かがいることを、相手の姿が見えなくても教えてくれた。
 家で誰かが待ってくれているなど、いつぶりだろう。
 楽と天とのルームシェアも終わり、龍之介がまた一人の暮らしに戻って久しい。一歩でも家を出れば誰かと関わる生活が待っているから寂しくないが、やはり近所も家族のような場所で多くの人々に囲まれ育った龍之介にとっては、一人きりの家というものはあまりに静かだ。人の気配がするほうが心は落ち着く。
 靴を脱ぎ揃えているところで、扉の音に気がついたナギが家の奥からやってきた。

「おかえりなさい」
「ただいま、ナギくん」
「ちゃんとまっすぐ帰ってきましたね」
「ナギくんが待ってくれているからね」

 これから飲みに行こうと何人にも声をかけてもらったが、先約があるからとすべて断った。一刻も早く帰ってナギに迎えてもらいたかったのだ。ただいまも、おかえりも、ただの日常の挨拶のひとつに過ぎないが、ナギに言ってもらいたかったし、言いたかった。
 走らなくてもいいと言われたが、少しだけ本当に走ってしまうくらい、実は慌ただしい帰路だった。
 家で待っていると約束をしたナギが勝手にいなくなることを心配したのではない。あまりに幸福なことに、実はあの約束がナギ恋しさに自分が見た夢か幻だったという可能性があり得たので、早く会って現実だったのだと実感したかったのだ。
 息を乱して帰れば、走らなくていいと言ったのに、とナギにちくりと刺されてしまうことは容易に予想がついたため、マンションの近くから歩いてなんとか汗も引かせたのだった。
 二人は肩を並べてリビングに向かう。
 変装のためにかけていた眼鏡を外しながら、龍之介はすんと匂いを嗅いだ。

「いい匂いだね。なんだか懐かしい気がする。なにか買ってきてくれたの?」

 ナギを家に招いたときは、いつも龍之介が手ずから調理をして食事を提供していたが、今日はナギよりも後に帰ってきているのでなんの用意もない。
 仕事上がりの自分を気遣ってくれたのだろうかと考えていたところに、ふとナギが足を止めたので、龍之介も立ち止まった。

「ナギくん?」
「喜びなさい、リュウノスケ。今日はワタシがディナーを作って差し上げましたよ!」
「えっ、ナギくんが!?」

 得意げに胸を張る姿にきゅんとしながらも、頭を過ぎったのは、以前IDRiSH7とTRIGGERが料理対決をするという番組企画だ。
 あのときナギが作ったものを龍之介が思い出すと、途端にナギからの鋭い眼差しが突き刺さる。

「なにか問題でも?」
「あ、いや、楽しみだな! とっても楽しみです!」
「それはよかったです。折角作ったディナー、二人で楽しめるようで」

 龍之介の反応次第では一人お預けを食らいかねなかったことを知り、内心でそっと安堵する。
 あのナギが作ってくれたのだ。なんとしてもその料理を食べたいと願わないわけがない。
 奉仕されることに慣れていて、自分が料理をする、それを誰かに振る舞うという概念が薄いナギが、自らの意志で龍之介に作ってくれたことがとても嬉しかった。たとえそれがかつての番組のようなトンデモが出ても、喜んでいただこう。それに明日は休みで、胃薬のストックもちゃんとあるので仕事にも支障はないから安心だ。

「なにを作ってくれたの?」

 匂いからして和食系ではないかと予測する龍之介に、ナギはウィンクをひとつ投げ寄越す。

「もう用意はできていますので、見ればわかりますよ。さあ、あちらへ参りましょう」

 上機嫌なナギは、まるで龍之介をエスコートでもするように手をとり、リビングへ導く。
 料理への期待やら、喜びやら、触れられたことへの緊張や興奮やら。自分がない交ぜな感情で浮き足立っているのがわかり、手を引かれていたことに安堵する。そうでなければスキップでもしてしまいそうだった。
すでにほとんどのセッティングが済んだテーブルを見て、龍之介は瞳を輝かせた。

「沖縄の料理だ!」

 並ぶのは龍之介の郷土料理の数々。匂いを懐かしいと感じたのは正しかったようで、定番のゴーヤチャンプルーをはじめとして、ラフターやにんじんしりしりなど、昔よく食べていたものが並んでいる。他にも種類が用意されていて、いくら大柄な男が二人いても食べきれそうにないほど豪勢な内容だった。

「これ、ナギくんが作ってくれたの?」
「ええ。取り寄せたものもありますが、あとはワタシが作りましたよ。我ながらよいできだと思います」
「すごい! どれも美味しそうだ!」
「ふふん、そうでしょうとも。ミツキにティーチャーしてもらいましたので、味は保証しますよ。ワタシの腕では本場仕込みのアナタに敵いませんが、作ってもらうのはまた違うでしょう?」
「ぜんぜん違うよ! それに、ナギくんが俺のためにこうして用意してくれたものだから、なおのこと嬉しいよ。本当にありがとう、ナギくん」
「感謝は食べてからにしてください。ご飯よそいますね」

 口では相変わらずつれないながらも、まんざらでもない様子のナギはキッチンの奥へ向かう。
 龍之介は手を洗ってこいと指示を受けて一度洗面台に行った。
いそいそと戻ってくると、湯気の立つ炊き立てのご飯や汁もののほか、家になかった種類の泡盛まで机に置いてあった。それもわざわざ用意してくれたのだろう。
 普段は龍之介にエスコートさせているナギだが、今日はすべてやってくれるようだ。龍之介の席に行くと、ナギ自ら椅子を引き招いてくれる。
 感激しっぱなしの龍之介は吸い込まれるようにナギの傍にいき、腰を下ろす前に一度立ち止まった。

「せっかくのご飯が冷めちゃうからすぐに食べたいんだけど、その前にひとつだけいいかな?」
「なんです?」

 すぐに座るものだと思っていたナギは、早く味を確かめてほしかったのか、少し不満顔だ。
 ああ、そんな顔もやっぱり可愛い――なんて思いながら、顔を寄せて唇を重ね合わせた。
 軽く下唇を食むと、ほんのりと味がする。料理を作る過程で、味見もちゃんとしたのだろう。さっぱりとしていて、磯の味も感じるそれはアーサ汁だろう。
 顔を離すと、目を細めて薄く微笑むナギと目が合った。

「――問題ないでしょう?」
「うん。とても美味しいよ」
「ならもっと味わってくださいね」

 長い指先が、ちょんと龍之介の唇に触れた。
 無意識にのみ込んだ生唾で、ごくりと喉が鳴る。

「ナギくん……ご飯の後、ナギくんのことも味わっていい? デザートがほしいんだ」

 彼の青く澄んだ瞳を覗き込みながら、ささやくように尋ねる。
しばし無言で見つめ返していたナギは、自身の顎に手を添えてくすくすと笑った。

「どうせなら、照れずに言ってくれませんか? そう顔を赤くしては、エロエロビーストの名が泣きますよ」

 耳まで染まっていらっしゃいますよ、などと指摘された通り、赤くなった顔の朱をさらに強める。気障たらしい台詞を言っている自覚があるだけに、指摘されてしまうとより恥ずかしいように思えた。
 子供が背伸びをしたような、身の丈の合わなさを感じてしまうが、あえてからかってくるナギに遊ばれてばかりでは、それこそごちそうの後にある最上の甘味を味わうことはできない。

「だ、駄目かな……?」

 あくまで挑発的に、艶っぽく……などと思っていても実行できるわけもなく。TRIGGERの十龍之介ならなんとか様になるところであるが、プライベートで、特にナギ相手ではどうも締まらない。
 お預けを食らった犬が、目の前のごちそうを求めて鳴くような切なげな声を出しているとも気づかず、龍之介は駄目押しにこてんと小首を傾げてナギにねだる。
 ナギはふき出したい気持ちを抑え込み、龍之介の腹の底にいる欲を撫でるように微笑んだ。

「――ワタシの手料理を食べ終えて、まだそのお腹にゆとりがあったら、また口説いてみてください」

 デザートは別腹だ、という人がいるが。ナギを味わえるチャンスを逃すわけがない。別腹どころの話ではなく、たとえ満腹でもがっついてしまうことだろう。

「ああでも、ワタシにはプリンがありましたね。それに、ふたつあるようですから? アナタのデザートもそれでいいのではないですか?」
「えっ!? それは、また、別というか……っ」

 ここにきて、まさか自分自身の行動に妨害されるとは思っていなかった龍之介は、予想外の事態に慌てふためく。
 よい切り返しも浮かばず狼狽える龍之介を置いて、ナギはさっさと自分の席についた。
 龍之介もひとまず話は置いておき、急いで後に続いて椅子に腰を下ろす。
 視線を重ねた二人は、互いに手の平を合わせ、口を開いて声を揃えた。

「いただきます!」

おしまい

 

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