サプライズは当日に

・ナギ誕お祝い作品
・『七日前の日常で』とリンクした内容ですが、読んでなくても大丈夫です。
・ナギの『うさ耳パーカー』『誕生日日和』のラビチャネタ含みます。


 

「ナギ、誕生日おめでとう!」

 玄関の扉を開けるなり重なった六つの声音と、軽快に鳴ったクラッカーの音に出迎えられたナギは、ぱちくりと瞬く。だがすぐに状況を理解して、満面の笑みになって待っていた六人へ飛び込んだ。


「みなさん、サンクスですっ!」
「ばっ、危ないだろ!」

 両手を広げるナギの体をみんなの手がそれぞれ支える。とくに、中心にいた三月がナギに押しつぶされそうになりながら、いきなりダイブするやつがあるか! と顎の下から怒った。しかしナギは反省することもなく、三月に頬擦りすれば、頭や肩にかかったクラッカーから飛び出した紙テープなどかぱらぱら床に落ちていく。

「やっぱりワタシは世界イチの幸せ者です!」

 今日はナギの誕生日だ。
 恒例の誕生会があるのははじめからわかっていたことだが、メンバーがすでに全員揃っていることも、準備も万端になっていることは知らなかったのだ。
 メンバーのちょっとしたサプライズに、ナギのテンションは開始早々すでに最高潮まで高まった。

「ったく、大袈裟なやつだな」
「ふふ、こんなに喜んでもらえると、早く帰ってきた甲斐があるよ」

 遅くなると言っていたはずの大和はナギの喜びように照れ隠しの苦笑を浮かべ、壮五はいつもの穏やかさで受け入れてくれる。

「ちゃんと立ってくださいよ。ほら、兄さんから離れて」

 一織はまるで仕方のない人だなとでも言いたげな顔だが、まんざらでもなさそうだ。三月と引き剥がそうとするので、構ってほしいのだと思ってお尻を揉めば怒られた。

「ナギっち、飯用意してあんよ。早く食おうぜ」
「環ってば、自分が腹減ったんだろー」
「だって、ずっと動いてて疲れた」
「主役はナギなんだから、がっついちゃだめだぞ! ナギ、今回はオレも少し手伝ったんだよ。失敗せずできたから、環に全部食べられちゃう前に食べて!」

 腕を引く環は相変わらずマイペースで、陸の笑顔は癒してくれる。
 今日を祝う場を用意してくれているとわかっていたのに、やはり嬉しいものは嬉しい。胸の底から湧き出る温かなものに心を満たされたナギは、折角のそれが溢れてしまわないように、ぎゅうっと自分を抱くように三月を抱きしめる腕の力を強くした。

「ナギ、苦しいって! いつまでもこんなとこいないで行くぞ。せっかく用意した飯が冷めちまうだろ」
「OH、それは困ります。Let’s go!」
「のわ……っ、オレを放せー!」
「に、兄さんっ」

 三月を引きずりながら飛び込んだリビングを見たナギは、カラフルに飾り付けられた様子に宝石のような青い瞳をきらきら輝かせた。

「ワオ……! マーベラス! 素晴らしいです!」

 ナギのカラーである黄色を基調としつつ、メンバーそれぞれのカラーもアクセントがわりに取り入れて壁一面が生誕を祝い彩られている。『HAPPY BIRTHDAY!!』の文字に向けて、切り抜かれたクラッカーからパンッと紙ふぶきが舞い祝福をするよう壁に貼られている。
 天井からは七色のガーランドが垂れ下がり、風船も付いていて、今日の日付を示す大きめの金色のナンバーバルーンまであった。ナギの瞳はいまにも零れ落ちそうなほど見開かれ、このときのために姿を変えた室内に感動を覚える。
 ナギの様子に、環がふふんと胸を張った。

「どうよ、ナギっち。今回もばっちしだろ」
「イエス! パーフェクトです、ばっちしです!」
「今回はね、環くんがほとんど一人でやってくれたんだ」
「俺、今日オフだったし。ナギっち喜ばせたかったし、こんくらい楽勝ー」

 施設で毎月あった誕生会の飾り付けなどをして慣れている環は、こうしたことを率先してくれるし、手慣れたものだ。ナギも別のメンバーの誕生日に飾りつけをしたとき、環に色々な技術を教わったが、ペーパーフラワーはただ紙を捲っていくだけだというのに案外難しいことを学んだ。
 天井からつるされているガーランドのところどころに王様プリンが覗いているあたり、環らしさが出ていた。この前ファンから貰ったという王様プリンの折り紙を使用したようだ。

「OH……タマキ、愛しています……」

 三月を手放し環にハグをすると、そのまま引きずられて椅子まで連れて行かれた。

「はい、主役席」

 いつもは大和が座っている端の席に座らされた。ここは、誕生日の時は主役の場所となるのだ。
 陸がナギに手作りの王冠を被せて、一織は首に鮮やかな青と白の花でできたレイを首にかけ、主役として飾り付けられていく。

「サンクス、リク、イオリ。愛していますよ」

 二人にお礼のキスを頬に送れば、予想通りにそれぞれが浮かべた表情がなんとも愛らしい。

「……知っていますよ」
「やった! ナギから愛してるって言って貰えた!」
「ちなみに、その輪っか作ったのそーちゃんな」
「ソウゴ、愛しています」
「ふふ、似合ってるよ、ナギくん」

 自分の席に座った壮五に手は届かないので、かわりにウィンクを贈れば、愛らしいはにかみ顔にまみえた。

「ナギ、飯を頑張ったオレはどう?」

 すでに机に並ぶ料理の数々は、ナギの好物ばかりである。しかも愛情たっぷりであることは食べる前からわかっているし、何より最高に美味しいのだ。

「ミツキ、I love you」

 ちゅっ、とリップ音付きのキスを飛ばせば、三月に当たる前に横から大和がキャッチした。

「お兄さんも、仕事終わりにダッシュして帰ってきたけど?」
「OH、そうでしたか。ですが、そんなに慌てずともワタシのヤマトへの愛は薄れませんよ」
「ならこれはミツに返してやろう」

 自分で振っておきながら照れる大和は、少しだけぶっきらぼうに言いながら握った拳を解いて、ナギの投げキスを三月に渡した。――が、今度はそれを脇から環が強奪してぱくんと食べてしまう。
 わーわーと騒ぐメンバーを眺め、最終的には全員にキスを贈る。何やってんだか、と自ら呆れる大和に、それをからかう三月。今日はいくつナギからのキスをゲットできるかと競い合おうとする陸と環。それに呆れる一織に、見守る壮五。なかなか食事が始まらないが、相変わらずの脱線具合はとても心地よい。
 この時期になると、仕事で向かった局や撮影先等、各方面から祝われる。祖国からもやっぱり帰ってこないのか、と催促もある。それらももちろん嬉しいが、やはり仲間とのものはまた別格なのだ。
 彼らと出会ってからの年月の分だけともに過ごしてきた誕生日であるが、幾度繰り返そうともこうも幸福に満たされ翼が生えるような心地になれるのは、祝ってくれているのがやはり愛すべきメンバーであるからなのだろう。きっと、この先どれだけ歳を重ねようとも、この日を指折り数えてしまうのは止められそうにない。
 今はメンバーだけであるが、このあとにマネージャーと万理、社長だって仕事を終わらせてから合流する予定だ。どうしても抜けることの出来ない処理があるとのことで、先に始めてほしいと事前に言われていたこともあり、彼らを待たずして、まずはメンバーだけのナギの誕生会が始まった。
 三月が調理しリクが手伝った美味な食事に舌つづみをうち、酒を飲む面子はほろ酔いとなる。カロリーに厳しい一織も、誰かの誕生日の日だけは夜中の脂っこい食事だって、その後に待つ甘いケーキだっていくらでも許してくれるのでお小言だって飛んでこない。
 RKY月間ということもあって連日のパーティに付き合ってもらっているが、盛り上がり疲れもなく、ソロでの仕事も増えた今となっては七人揃うのは稀なことなので、ナギはいつも以上にはじけた笑顔を浮かべる。そろそろ年齢的にも落ち着けよ、と大和に苦笑されたってそんなの気にならない。
 嬉しいことは嬉しいし、そんな気持ちにしてくれた感謝を全身全霊で伝えたいのだ。
 マネージャーたちの分の夕食を残しつつ、全員の腹が満たされたところで勢いよく三月が立ち上がった。

「よし! そろそろアレの準備すっか!」
「いえーい!」

 三月の言葉だけでなんのことか理解し、みなで声をそろえて拳を振り上げる。

「ちらっと見せてもらったけど、すごかったよ! きっとナギ喜ぶと思う!」
「どんなものでしょうか!」
「ナギっち、見るのは反則」
「これから出てくるんですから、大人しく待っていてくださいよ」

 オープンキッチンのため、そちらに目を向ければ三月が準備している様子が見えそうになる。手元は隠れているため実際には見えないのだが、もしもの時のために覗こうするナギの目を環が塞いだ。

「壮五、悪いけど電気消してくれ。環はそのままナギ押さえとけー」
「はい」
「うす」

 準備が整った三月が声をかけ、天井のライトが消える。
 フットライトのほのかな明かりを頼りに歩いた三月は、ナギの手前にそっと運んだものを置いた。

「タマ、もう放してやっていいぞ」

 ヤマトの声とともに解放された瞳は、蝋燭の炎に照らされ静かに輝いた。
 陸がハッピーバースデートゥーユーを歌い始め、みながそれに声を重ねていく。美しいハーモニーに包まれたナギは、手元に置かれるケーキをじっと見つめた。

「ナギ、誕生日おめでとう」

 やがて歌い終え、優しい大和の声色に導かれるよう、蝋燭の火を吹き消す。一瞬部屋は暗くなるが、すぐについた天井の明かりに視界は開けた。
 明るい光の下でケーキを見たナギは、俯き、ぶるぶると肩を震わせる。

「……ナギくん?」

 照明係をしていた壮五が、席に戻ろうとしてナギの変化に気がつき肩に手をかける。それでも顔を上げようとしないので、下から覗き込んでぎょっとした。

「えっ、泣いてる……」

 ようやく顔を上げることができたナギの深い海のような瞳から、ぽろりと涙が零れた。
 壮五と同じく仰天するメンバーを見つめながら、ナギは両手の拳を強く握った。

「素晴らしいです、ミツキ、イオリ……。ワタシは深く感動しました。この喜びが溢れるあまりに、言葉を忘れるほどでした。今のワタシはタマキ並の言葉しか並べられないでしょう……」
「なあそれ俺のことディスってね?」
「そ、そんなに嬉しかったか?」

 環の言葉は無視しつつ、若干引き気味になる三月にナギは身を乗り出しくわりと口を開いた。

「そんなにです! マイフェイバリットここな……アイラブここな!!」

 ナギが思わず感涙するほどのケーキは、和泉兄弟特製、まじかる★ここなのデザインケーキだったのだ。
 ピンクと白のクリームを基準として、アイシングクッキーとなったマジカルスティックや、マジパンで出来た妖精などが乗っている。そして中央にはプレートがあり、ナギの誕生日を祝う文字は勿論あるのだが、その楕円系の右端にはちょこんとここながチョコプリントされているではないか。しかも吹きだし風になっているので、まるでここなもナギを祝ってくれているようだった。

「アニメのスタッフさんに色々相談して作ってみたんだよ。そしたら、そのチョコレートプレートくれたんだぜ」

 ナギの視線の先に気が付いた三月が教えてくれる。これまで声優の件では妬ましい気持ちばかりだったが、今回ばかりは三月がその役でよかったと心の底から神に感謝した。

「ありがとうございます、ミツキ、イオリ! アナタ方は神です!」
「はは、そりゃどうも。そんだけ喜んでもらえりゃ試行錯誤した甲斐があったよ。な、イオリ」
「ええ、まあ。少々大袈裟すぎる気はしますがね」

 人としての言葉も忘れ、興奮に鼻を膨らませながら、ナギはひたすらにあらゆる方向からケーキの写真を撮り、さらには全体を録画する。
 撮影しながら、ふと、先日まじ★こなのキャラ弁を作ってくれた男が頭を掠めた。
 手作りここなから連想したのだろう。一人でここなの弁当を食べ終えた後、ラビチャで簡単にしかお礼を伝えられていない。勿論自分が抱いた熱量を語ったが、あれだけの文章でどれだけ実際の想いが渡せているというのだろう。直接会った時に改めて感謝を伝え、キャラ弁を見た時の感動と興奮をすべて伝えるつもりではあるが、彼はどのようにしてナギの気持ちを受け止めてくれるだろうか。
 三月や一織のように素直に受け取ってくれて、そしてできることなら、また作ってはくれないだろうか。
 なにか特別な日でもいいし、なんでもない日常だっていい。いつでもいいし、なんならここなでなくてもいいから。今度は彼とともにお弁当を食べたいなんて思うのだ。
 彼はナギがキャラ弁に憧れていたことを知り、まじ★こなで作ってくれたが、もともとナギがお弁当に惹かれていたのは、みんなで広げて食べるものだという認識もあったからだ。素晴らしいまじ★こな弁当は見た目で楽しませるだけでなく、味付けもよく、とても美味しかった。だがあのとき生憎ナギは一人で、そのときの感動も喜びも分かち合うことができなくて少しさみしくもあったのだ。だから、できることなら今度は二人で食べて、そして感謝をその場で伝えたいと思う。
 でもやはり、どうせならまたまじ★こな弁当を、そしてできるなら別バージョンのものを作ってほしい、と欲張るナギに三月が声をかける。

「ナギ、もう切っていいか?」

 名前を呼ばれてはっとしたナギは、すでに包丁を構えている三月に大きく首を振った。

「ストップ、ミツキ! まだみんなと一緒に撮っていません!」
「まだ撮んのかよ」

 食事の最中から何度もカメラを回していたナギに大和は突っ込むが、それには知らん顔してみんなを手招く。

「みなさんほら、並んでください! ……ノーッ! タマキ、つまみ食いはいけません!」
「だって早く食いたい」
「えー。でも環、さっきは、もう食えねーっ! て言ってなかった?」
「あまいもんは別腹」
「なに女子みたいなこと言ってるんですか……」
「環くんは本当に甘いものが好きだね」
「一番は王様プリンだけど、みっきーたちの作んのもおんなじ好き」
「ありがとよ。ほら、さっさとナギに付き合わねえといつまで経っても食えねえぞ」

 壮五がセルフタイマーにしたスマホを置く場所を作るのを待っていると、ふとチャイムが鳴った。

「誰か来たな」
「これは多分つ――あっ、ナギ!」
「バンリたちですね! ナイスタイミング、ワタシ出ます!」

 きっと仕事が終わったマネージャたちに違いないと、撮影のためにみんなに取り囲まれる位置からさっと抜け出した。

「な、ナギ! ちょっと待って!」

 陸が引き留めようとするが、するりとその手から逃れたナギはすぐに玄関に辿り着く。
 かなり浮足立っていたナギは、誰かも確認しないまま、勢いよく扉を開けた。

「いらっしゃーい!」

 満面の笑みで出迎えたナギは、てっきり、そこにはマネージャーがいるのだと思っていた。しかし本来彼女の顔がある位置には広い胸板があり、目を瞬かせる。

「こんばんは」

 頭から降ってくるのは万理よりも低く、どこか甘さを孕む男の声で。
 そろそろと顔を上げ、自分よりも背の高い相手を見て驚く。

「なぜ、アナタが……」
「少し時間をもらって抜け出してきたんだ。またすぐ戻るよ」

 そう説明したのは、まごうことなき、TRIGGERの十龍之介であった。
 撮影用の髪型だろうか。普段と整え方が違っていて、それも様になっている。
 今日は仕事で会えないはずだったが、サプライズで登場した彼はにこりと微笑む。ナギもそれに淡く笑みを返すと、ふと青い瞳に気がついた龍之介が目元に手を伸ばした。

「――これ、どうしたんだい? 悲しいことでもあった?」

 親指がすっと目尻を撫でる。涙の跡を拭ったのだとすぐにわかった。これは先程流した感涙の、喜びから来るものであると説明してやり、その興奮を伝えてやれば、それはよかったね、と龍之介は安堵したように言った。
 みなと初めて迎える誕生日のとき、ナギはこの場所にいることができなかった。どうしても帰国しなければならないとわかったとき道端にも関わらず泣いてしまったことを知るからこそ、彼の中で誕生日とナギの涙は悲しいものに紐づけられてしまっているらしい。
 あれ以降誕生日に悲しみの涙など流したことがないというのに、それだけあの話を聞いた龍之介の心は痛んだのだろう。
 早くそんな印象がなくなってしまえばいいと思う。なぜなら、ナギはいつだって今の幸福に涙できるほどに満たされているのだから。

「三月くんも一織くんも、実家がケーキ屋さんなだけあって二人ともとても上手だものね」
「ええ、とても素晴らしい出来です! よろしければ見ていきますか?」
「折角だから見たいところだけど、ごめん。用が済んだらすぐ帰るから」

 多忙な中、無理矢理時間を作ってきたのだろう。靴を脱ごうとする素振りもなく、入りたがる様子もないので、お茶の一服もする余裕すらないようだ。

「そうですか。ならばラビチャに送って差し上げましょう。動画もおつけしますよ」
「ありがとう、楽しみにしてるよ」
「どういたしまして。それで、用とはなんです?」

 時間がないわりには切り出そうとしないので助け船を出してやれば、龍之介は優しい表情になる。

「ナギくん、誕生日おめでとう」
「……まさか、わざわざそれを言うためにいらしたのですか?」
「俺にとっては大事なことだからね」
「……ありがとうございます」

 予定外の登場に驚きはしたものの、ナギは龍之介の祝福の言葉を素直に受け取った。
 当日は前から会えないと知っていたから、後日に二人だけで祝う日を設けていた。その日に改めて言うでもよかったし、別に直接会えなくたって、ラビチャなり、電話なりで伝えるでも十分だったのに。
 忙しい合間をぬい、顔を見て伝えてくれた彼の誠実さが胸にじんわり沁みる。
 無自覚なたらし男ではあるが、いくら龍之介といえどもただの友人のためにはそこまでしない。ナギを己の恋人として、特別に扱っているからこその行動だ。
 恋人としてナギの生誕した日を祝うのは当然だとしても、何が何でも優先しろとは言わないし、お互いの仕事を理解しあっているからこそ今日は会えないはずだったのだ。それなのに龍之介はサプライズで顔を出してくれた。
 それに不覚にもときめき、顔を見れたことを嬉しく思ってまったと少し悔しく思うナギに、そんな心中を知らない龍之介は口を開いた。

「ナギくん。それで、ね」

 言い淀むから、なにかと思って彼を見つめれば、龍之介が懐から取り出したものに気がつき、ナギは一瞬呼吸を忘れた。
 掌に収まる小さなケースを見ただけで中身を察したナギに微笑みかけた龍之介は、表情を引き締め、その場に片膝をついて跪く。

「これを、ナギくんに贈りたいんだ」

 龍之介の手にある小さな箱は開き、そのなかにある指輪が照明に照らされてきらりと光った。
 滑らかな輝きの金色のリングに、青が薄く混じった銀色のリングが重なるデザインだ。内側には今日の日付が刻まれて、ナギのイニシャルであろうR.Nも刻印されている。シンプルだが洗礼された美しさがあり、なにより、互いのイメージカラーを落とし込んかのような色合いの指輪だった。

「これ、は……」

 日本で恋人同士が気軽に指輪を贈り合う風習などないことは知っているし、もしあったとしても、簡単に渡すものにわざわざ跪いたりなどしない。
 とある予感を抱きながらも、そんなはずはないとそれを否定するナギに、龍之介は真っ直ぐな瞳で射抜いた。

「ナギくん。どうか、俺のパートナーになってください」

 獣のように力強い眼差しに見つめられ、ナギは小さく息をのむ。睨まれているわけではないとわかっているのに、すぐになにか行動することができず、ただ呆然と指輪を眺める。
 ナギのイニシャルだと思っていたR.Nとは、龍之介とナギの名前の頭文字をそれぞれ取ったものであったらしい。
 ナギがようやく口を開こうとした時、ばっと立ち上がった龍之介がナギの口を塞いだ。

「ま、待ってくれ!」
「んんんー!」

 なにするんですか! とくぐもる抗議の声を上げて龍之介を睨めば、先程の真摯で恐ろしくキマっていた表情は消え去り、いつものどこか抜けた顔になっていた。
 哀れなほど狼狽えているのが見てとれて、口を塞ぐのも咄嗟にとってしまった行動なのだとわかる。。

「その……返事がいますぐ欲しいわけじゃないんだ。しっかり考えて、それから答えを出してほしい」

 答えが出れば、それがどんなものであっても指輪はナギの好きなように扱っていいと龍之介は続けた。

「たとえイエスでなくても、もうそれはナギくんのものだよ。そのまま君のものになってもいいし、俺に返すでも、なんでもいい。でも返事がほしいから、だからそれまではそれを預かる形にしてほしんだ」

 ナギは改めて差し出されたケースをそっと受け取り、まじまじとそこに収まる指輪を見つめた。ナギの顔が反射して、銀輪のなかで瞳が宝石のようにきらめいている。

「――アタナがクローゼットに隠していたのは、これだったのですね」
「えっ、気づいてたの!?」

 存在が知られていることはまったくの予想外だったのか、立ち上がった龍之介は思いの外大きな声を上げるものだから、ナギは顔をしかめた。

「あんなにあからさまに遠ざけられれば、たとえリクやタマキであっても気がついたでしょうね」

 先日に龍之介の家に泊まった際の挙動不審ぶりで本気で隠せていたと思っていたことに驚きだ。ナギが指輪を隠していたクローゼットに近づくだけであからさまな妨害をしてきたのだから、何かあると勘づかないほうがおかしい。

「……ですが、まさかリングだったとは。それに――」

 顔を上げれば、龍之介と視線が交わる。緊張からか、びくりと彼の肩が跳ねた。
 騎士のように跪いていた男とは、まるで別人のようだった。

「先程の言葉は、プロポーズであると認識してよいですか?」

 ナギの口からはっきりと出た言葉に、龍之介はわずかに頬を赤らめた。

「ああ……さっきも言ったけど、返事はすぐにじゃなくていいんだ。俺にとっても、ナギくんのこれからにとっても大事なことだから、じっくり考えて」
「もしお断りすれば?」

 一瞬、龍之介の息が詰まるのをナギは見逃さなかった。だが彼はすぐに何事もなかったように平気な振りをする。

「パートナーになれなくても、ナギくんが嫌だと思わない限り、恋人であることにかわりはないよ。今まで通りの関係が続くだけだ」
「なら、もし受け入れたなら? ワタシたちはアイドルであるのですから、男女の結婚を打ち明けるよりも殊の外慎重にならざるを得ないでしょう。そもそもこの国では同性婚は認められておりません。パートナーになって、ワタシたちのなにが変わるというのです?」

 パートナーシップ制度が導入されつつあるが、それはまだ都心などの一部に限られているものだ。幸いなことにナギの周りは理解がある者ばかりであるし、世間も変わりつつあるが、まだ大半は批判的であったり、実際に同性同士というものが身近に感じられた途端拒絶をすることもある。そしてアイドルとして確固たる地位を築いたTRIGGERとIDOLiSH7であるからこそ、ファンに夢や希望を与える者としての立場も守らなければならないし、失いたくはない。
 たとえパートナーになったところで公表はしないだろうが、ならばなにが変わるというのだろう。法的に婚姻関係を結べるわけでもなく、ただこの関係が恋人からパートナーになるだけなら、わざわざ名前を変える必要があるというのか。
 ナギの探る眼差しに、龍之介は僅かに目を伏せた。

「――正直、俺にもよくわらかないんだ。なにが変わるのかって。でも、そうだな。受け入れてもらえるのなら結婚式を上げようよ。小さなものでいいから、身内だけのさ。内緒で二人っきりでもいいし。戸籍も動かしちゃおうか? あ、でもナギくんとの場合って養子縁組ってどうやるんだろう……」
「ワタシが十ナギになるのですか?」
「そう」

 自分の苗字になるナギの名前に、龍之介はくすぐったそうに頬を緩めた。

「Hm……それでは六がなくなってしまいます」
「あ、本当だ。おれも六弥龍之介になったら、十がなくなっちゃうな……」
「夫婦別姓というものがあるようですが、養子でも認められるものなのですか?」
「うーん、どうだろう?」
「アプローチするには色々勉強不足のようですね」

 指摘すれば、ごめん、と龍之介は笑った。
 そしてもう一度謝罪を口にする。

「……ごめん。本音を言えば、ずっと一緒に居てくれるって、誓いが欲しいんだ。おれも誓うし、ナギくんにそう言ってほしい。そして、堂々と君をここに引きめていいんだって、それができなくても、追いかけてもいいんだって権利がほしい。なにかあればすぐ傍に駆けつけて君を支えたいんだ」

 リングケースを両手で握るナギの手を、龍之介は下から包むように自分の掌を重ねて支えた。

「パートナーになってもなにも変わらないのかもしれない。でも、うまく説明はできないけれど、変わるものはきっとあるとオレは思う。だからナギくんに俺のパートナーになってほしいし、もし駄目だと言われてもこの気持ちは変わりない。どんな答えか返ってきても、これからも変わらず君を悲しませるものから守りたいと思うし、君の喜びを傍で見守らせてほしい」

 だから前向きに考えてくれれば嬉しい、と龍之介は言った。
 二人の間にある指輪を互いに見つめ、しばらく沈黙が降り立つ。
 それを破ったのはナギだった。

「Hm……これはワタシの誕生日プレゼントではないのですか? プロポーズのためのもの?」
「あ……いや、誕生日プレゼントのつもりだったんだけど、そっか。プロポーズでもあるから、誕生日のプレゼントにはならないのかな」

 プロポーズで贈る指輪は誓いの証であり、無償の愛で送られる誕生日プレゼントとは異なるものだ。
 ナギの指摘に龍之介も気がつき、頭を抱えてしまう。

「プロポーズが贈り物、でもないしな……むしろ俺の気持ちを押し付けてるだけだし。でもそれだとプレゼントが……」

 困る龍之介の様子をしばらく眺め、満足したナギはそろそろ許してやるかと微笑んだ。

「いいですよ、プロポーズが贈りものでも」
「え」
「受け入れれば、アナタのすべてをワタシのものとなるのでしょう? まあ、まだ答えは出ていませんが、もし実現すればなかなかよいプレゼントであるのは認めましょう。お断りのときは、そうですね、改めてなにか要求させていただきます」
「ありがとう、ナギくん!」

 まるで贈りものを貰ったかのように喜ぶ龍之介がなんだか眩しくて、ナギは目を眇めた。

「あ……もうこんな時間か……戻らなくちゃ」

 ふと腕時計を見た龍之介は、沈んだ声を出した。思いの外ゆっくりとしてしまったので、時間は押していることだろう。
 顔を上げた龍之介は、ナギの頭を撫でた。

「次のオフは、今回のことは置いといて楽しもう。その時に改めて祝わせてもらうね」

 ナギの前髪を掻き分け、露わになった白い額にキスをして離れようとした龍之介の胸元を掴み、引き留める。

「ナギくん……?」
「――リュウノスケ」

 名前を呼んだだけ。それだけなのに、龍之介はナギの求めたことを理解し、そっと顔を寄せた。

 

 

 

 リビングに戻ると、待ちわびていた陸たちの視線が一斉にナギに向いた。

「十さん、帰っちゃったのか?」
「来ることを知っていたのですか?」

 ビールを傾けながら、にやにやと下世話に笑う大和に冷たい視線を送れば、壮五が答えた。

「少しだけ邪魔してもいいかって、あらかじめ連絡をくれていたんだよ」
「なぜワタシに黙っていたのです」
「そりゃ、言っちまうほうが野暮ってもんだろ」
「そーそー。それに、来たのは十さんだって言ってやろうとしたのに飛び出したのはナギだろ」
「Um……」

 三月に指摘され、確かにチャイムが鳴ったときに何かを言いかけていたことを思い出す。

「なあなあ、それよりもさ、ナギ。十さんからなにもらったんだ?」
「覗いていたのではないのですか?」
「の、覗かないよ! だって来たのは十さんだってわかってたから」
「下手に覗いて熱いキスなんか見せられた日にゃ、寝込みそうだしな」

 大分酔いが回ってきているらしい大和を三月がしめる様子を眺めつつも、環までも賛同する。

「エアキス、だっけ。あれみたいに振りじゃないやつだろ。なんかイメージできねー」
「いまだに六弥さんと十さんが付き合っている実感がわきませんね」
「リュウ兄貴ばバレッバレだけどな」
「ナギくんは隠すの上手だよね」

 思い思いの発言にナギが溜息をつくと、大和からビールを取り上げることに成功した三月が、代わりにそれを飲みつつ、にっと笑う。

「――で、十さんからなにかもらったんだろ。なんだった?」
「預かっただけですよ」
「預かったって、なにを?」

 純粋な陸と問いかけとそのまなざしに、ナギは握り締めたままでいたリングケースをそっとみなに見せた。
 それを見た面々は目を瞠る。

「ゆび、わ……」
「え、ナギっちリュウ兄貴と結婚すんの?」
「けけけけっこん!?」

 環の言葉に、陸が勢いよくナギの顔を見る。

「四葉さんなに言ってるんですか!」
「だってそーだろ。指輪って、プロポーズじゃん」
「そ、そうなのナギくん!?」
「あっ、待ておっさんが息してないぞ!?」

 自分のほうへ倒れ込んでくる大和の異変に気がつき三月が叫ぶ。しかし、いつもなら真っ先にレスキューだと飛び出すナギは、ぼうっと指輪を眺めたままだ。
 誰よりも早く冷静を取り戻した一織が、ナギの様子に気がついた。

「六弥さん、大丈夫ですか?」
「……さすがのワタシも予想外でした。まったく、読めない男です」

 いつものナギなら何かしら騒ぎそうなものの、随分と大人しい。指輪を持ったままふらふらと三月のもとまで行くと、大和を支えるほうとは反対の空いている背中に抱きついた。

「うう、ミツキ~……」
「っとと……はは、ナギも随分驚いたんだな」

 どうにか大の大人二人を支えつつ、ミツキは手を伸ばして甘えてくるナギの頭を撫でてやる。

「で、実際にプロポーズされたのか?」
「……イエス。パートナーになってほしい、言われました」

 ナギの返事に、大和以外のメンバーから各々感嘆の声が上がる。

「すげえなリュウ兄貴」
「それで、それで、ナギはなんて返事したの?」

 再び一同の視線を集めたナギは、緩く首を振った。

「返事、していません」
「……してないということは、保留ということですか?」
「ゆっくり考えてほしいと言われました。返事はすぐでなくてよいと」
「ふーん。それで、ナギっちはどうすんの?」

 実直な環の問いかけに答えずにいると、三月を間に挟んだまま、肩越しに大和が顔を覗き込んでくる。

「――ま、その顔を見れば返事なんてわかっちまうけどな」
「WHY?」
「なぜって……気づいてねえの。おまえさん、顔真っ赤だぞ」

 ようやく三月から体を起こした大和に呆れたように指摘され、ナギは素早くリングケースを懐に仕舞って両手で顔を隠した。
 三月の背中に隠れると、みんなに取り囲まれたのが気配でわかる。

「あはは! かわいい、ナギが照れてる!」
「ナギっちウケる、全然隠れられてねえ」
「環、それはオレに対する挑発か? ああ?」
「ナギくん、こっち向いて。折角だから記録しておこうよ」
「ノー! カメラNGです!」
「いいじゃないですか、本気で照れる六弥さんなんて珍しいんですから」

 亀のように背中を丸めて顔を隠したままでいれば、不意にぽんと頭に手が置かれた。

「おまえがどんな答えだそうが、俺たちがメンバーであることに変わりないし、ナギのことが大好きなままだよ。また来年も、再来年も、今日みたく俺たちが盛大に祝ってやるし、そんな風に俺たちの関係だって変わらないさ。だから、ナギの自由に答えを出せよ」
「……ヤマト」

 僅かに顔を上げれば、ヤマトはにっと笑った。

「まあ、結構振り回されてきたわけでもあるし、ちょっとくらい焦らしてやれって」
「それ以上に六弥さんは十さんを振り回してきたと思いますけど」
「身内贔屓はよくないぜ、ヤマさん」
「うっせー、贔屓がなんだってんだ」

 父親心というものなのか、なかなか素直に龍之介とナギの関係を認め切れない大和に野次が飛ぶが、三月から奪い返したビールを煽ってそっぽを向いてしまった。

「ナギくんも少し落ち着く時間が必要そうだし、十さんもすぐでなくていいって言ってくれているし、ゆっくり心の準備をすればいいいと思うよ」

 優しい壮五の笑みにナギが頷くと、玄関のチャイムが鳴った。

「あ、オレが出るね!」

 陸が小走りで玄関に向かう。それからすぐに、マネージャー、社長、万理の三人がリビングへとやってきた。

「遅くなりました! ナギさん、お誕生日おめでとうございます!」
「ナギくん、おめでとう。間に合ってよかったよ」
「おめでとう、ナギくん。遅くなっちゃってごめんね、って……あれ? どうしたの?」
「ナギさん……?」

 三月にひっついたままのナギに、三人は小首を傾げる。

「どうかされましたか?」
「さっきまでちょっと来客があってさ。それより、ケーキこれから切るところだったから丁度よかった」
「ご飯、社長たちの分もありますので、後で食べてください」
「本当? お腹空いていたから嬉しいな」

 深くは追究することなく、社長は上着を抜いてネクタイを緩める。それに万理たちも続いている間にナギから解放された三月は、包丁を持ってケーキの前に立った。
 今度は一織にひっついていたナギの肩を、ちょんちょんと環が突く。

「ナギっち、写真、撮んなくていーの?」
「OH! 撮ります! みなさん並んで、Hurry up!」

 先程よりも大人数での撮影に、その中心にいるナギの口元は自然とほころんでいく。けれど、頬の赤みが抜けきらなかったことだけは後悔が残りそうだ。
 どんな時でさえ完璧な美貌であるが、それとこれとはわけが違うことが時にはある。
 改めてみんなに、おめでとう! と声をかけられながら、髪をもみくちゃに撫でられながら、一人一人から投げキスを貰いながら。
 みなの中心で笑うナギは、いつか彼に今日という日の仕返しをしてやろうと胸に誓い、たくさんの愛を受け止めた。

 おしまい

 2018.6.20

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