モンフレ!

1/27トプステ14のエア新刊のつもりです。
モンナギ・モンつなと龍ナギのお話。モンナギとつなしさんの遭遇から、モンフレに至るまで

! イベントのコットンと連立しているモンとは別もの
! 手のひらサイズ



 IDOLiSH7が、あけぼのTVの別番組収録で同じくらいの時間帯に楽屋入りするのだと三月から聞いて、もし彼らに会えたらいいなと思っていた。
 そんなささやかな願いは叶い、龍之介は楽屋に向かう途中で、衣装に身を包んだ七人の姿を見かける。ちょうど角を曲ったところで、最後尾にいた人物の名を呼びながら慌てて駆け寄った。

「ナギくん!」


 歩みを止めて振り返ったナギは、はじめから声色で龍之介だとわかっていたのだろう。いつも見せる無感情な眼差しで傍にきた龍之介を捉えると、一拍置いて極上の笑みを浮かべた。


「Hi、十氏。それでは、See you」

 一瞬で表情は消えてしまったものの、あまりに美しいものを見た衝撃の余韻から抜け出せず惚けているうちに、すっとナギが先へ向かう。その腕を掴み制止をかけたのは三月だ。

「おいこらナギ、十さんに失礼だろうが!」

「NO! 挨拶、ちゃんとしました!」

 三月と触れ合った途端にこれまで見せていた怜悧な表情は崩れて、ナギは拗ねたように抗議する。その脇からわらわらと他のメンバーも顔を出し、龍之介を見て挨拶をした。


「おはようございます! 今日はTRIGGERも収録なんですよね」

「おはよう、陸くん。そうなんだ。天と楽も一緒だよ」

 双子の兄の名が出ると、陸は溌剌とした明るさを少しおとなしくさせた。

「そ、その……天にぃ、もう来てますか?」
「ああ。もう楽屋にいるみたい。俺たちの出番までまだ時間があるから、もし時間があったらぜひ寄っていって。天もきっと喜ぶよ」
「はい……っ!」

 えへへと顔を見合わせ笑い合う龍之介たちの隣で、まだ三月とナギは言い争いを続けていた。それを他のメンバーは苦笑したり、呆れたり、戸惑ったりして眺めている。


「ただ挨拶すればいいもんじゃないだろ! 先輩になんて態度とってんだ」

「ちゃんとスマイルつけました」

 しれっと答えるナギの様子に怒るの肩に手を置けば、三月は申し訳なさそうに振り返った。


「いつもすみません十さん。このわからず屋には後で言い聞かせておくんで」

「ナギくんの言う通り、挨拶させてもらえたし、それで十分だよ。それよりもみんなでどこか行くところだったんだろ?」
「はい。今から共演者に挨拶に向かうところです」

 一織からの回答を聞き、龍之介は腕時計を見る。挨拶だけに留めるつもりだったが、会ってから五分近く話しをしていたようだ。


「引き留めてごめんね」

「いや、俺たちも一通り回ったらTRIGGERのところにも顔出そうと思ってたんで。また改めて行くんでよろしくお願いします。――ほらミツ、ナギへの説教はひとまず後にして、仕事すんぞ」

 三月はまだなにか言いたそうにしていたものの、大和に促され、渋々言葉を飲み込んだ。


「そんじゃーまたなー、リュウ兄貴」

「後で楽屋にお伺いしますね」

 手を振る環と小さく頭を下げる壮五やそれぞれ別れの言葉を口にする彼らに応えて、龍之介も片手を上げた。

 相変わらずにぎやかなグループだなと微笑ましく見送っていると、ちらりと一度だけ、ナギが振り返る。目があったことに喜ぶよりも先に、すぐに視線は前に戻されてしまった。




 零時を少し過ぎた頃、疲れた体を引きずるように龍之介は自宅に辿り着いた。
 来週から楽が主役を演じる刑事ドラマが始まるのだが、その第一話に天が出演する。それだけではなく、まだ視聴者には発表されていないが、最終話には龍之介が特別出演することになっていた。そのためTRIGGERの三人でそのドラマの番宣を目的としたバラエティ番組の収録に臨んだのだが、それまでは良かった。問題は他のドラマの番宣に来ていたとある大物女優が、収録外でやたらと龍之介に絡んできたことだ。
 国民的大女優の彼女の機嫌を損ねるわけにはいかず、かといって流れされるわけにもいかず。芸能界を長年渡り歩いてきた女性は強かで、戸惑う龍之介のその様子に気づきながらもすっかり翻弄されて弄ばれてしまった。まだ彼女が本気で龍之介を口説きにきてこなかったことだけは救いであったが、精神的疲労は溜まるものだ。
 ――だがそれよりも、彼女の手のひらで転がされている間も気をとられる考え事があり、集中できなかったというのも大きいだろう。
 靴を脱ぎながら、龍之介は一人溜息をつく。

(今日も、まともに話せなかったな……)


 思い返すのは、龍之介の思考を奪うような美しい顔と青い瞳の男、IDOLiSH7のメンバーである六弥ナギのことだ。

 これまで龍之介から話かけても薄い反応ばかりで、つんと顔を背けられてはすぐに離れていく彼と、どうにか楽しい時間が共有できないものかとなにかと手を尽くしていた。
 仕事では、うまくいっていると思う。よきライバルとして高め合い、ときに助け合い、ときに戦い、そして同じステージに立てたときには最高値の周囲の熱気とともに心ひとつにして歌い踊った。そのときばかりはナギも龍之介に対して偽りのない、メンバーに向けているような素直な感情で笑ってくれたのだ。あとは例外として、ナギが自分の好きなものを語るときくらいか。
 龍之介としては、もっと個人的な面で彼との仲を深めたい。トリガーの十龍之介としてだけでなく、ただの十龍之介を知ってもらいたいし、ナギのことも知りたい。そして、彼の瞳をもっと深くまで覗き込みたいのだ。あの海のような瞳が、作り物のようにきれいな顔がメンバーの傍では鮮やかに色を変えていく。それを遠くから眺めるばかりだが、もし、自分の近くでも見せてくれたなら。
 そこまでは過ぎる望みだとしても、もう少しナギが気楽に話しに応じてくれる仲になれたら嬉しいと思う。だがそこまでの道のりは遠く、ライバル事務所ということもあり、個人的な繋がりがなければそう会うことも、話かける機会もない。互いに多忙で、顔を合わせることさえも今日みたいに三月と龍之介が情報を共有した上で、それぞれが意識しなければ難しいことなのだ。
 ナギ以外のメンバーであれば、わりとドラマなどの仕事での接点もあるのだが。セクシーワイルドが売りの龍之介と、セクシーでエレガントなナギは少し路線が似ているところもあるからか、共演することはそうそうない。
 次にナギと会えるのはいつになることやら、と肩を落としながらダイニングに向かう。
 明かりをつけ、少しソファで休もうと足を向けたとき、テーブルの上で動くものを見つけて歩みを止めた。
 朝に忙しくてテーブルに出しっぱなしにしていたミネラルウォーターの入ったペットボトルに、必死に飛びかかる生き物がいたのだ。

「え、っと……」


 思わず漏れた龍之介の声に、ぴょんぴょんと跳ねていた生き物が振り返る。

 龍之介を見るなり素早くペットボトルの裏に隠れてしまった。しかし、中身が水のペットボトルでは体が透けて見えるし、そろりと顔を出してこちらを伺っているのでしっかりと認識できた。
 明らかにこちらを警戒している生き物は、手のひらに乗るくらいでそれほど大きくはない。体の幅もペットボトルに完全に隠れてしまえるほどだ。金色の毛に覆われた体は丸みを帯びていて、短い尻尾がちょこんと尖り飛び出している。背骨沿ってあるまるで恐竜にあるような青い骨板も体のサイズに見合うもので、龍之介の爪先よりも小さいだろう。
 不思議なことに、顔がはっきりとわからない。人間の顔立ちに見えるような、そうでないような、ぬいぐるみのような――顔がふたつあるような。実際はしっかりと見えているはずなのだが、うまく説明ができそうにない。だが、曖昧ながらもとてもきれいな造形だということだけは理解できた。そして、粒のような小さな青い瞳になにかを感じるが、それがなんであるのか思い出せない。
 見たこともない生き物だ。大きさでいえば鼠に近いのだろうが、明らかにそれではないことはわかる。

「君、どこから入ってきたんだ?」


 声をかけると、顔が完全に引っ込んでしまった。それでもペットボトルを挟んでやや歪んだ姿はしっかりと見えている。

 一番近くの窓を見るがとくに開いている様子はない。他の窓はまだ確認していないが、朝のチェックではしっかり戸締まりはできていたはずだから、そこからの進入ではないだろう。なにより、階数から考えて外から上って来たとは考えにくい。玄関から一緒に入ってきたかもしれないと想定もしたが、謎の生き物がテーブルにいたときの様子を思い起こせばそれもないだろう。だとすれば、どこか壁に隙間でも空いてしまっているのだろうか。
 龍之介が考え込んでいるうちに、またペットボトルを壁にして謎の生き物がこちらを覗いていた。
 しばし逡巡した後、龍之介はテーブルの傍らに膝をつく。

「こんばんは。こっちにおいで」


 睨むようにして動かずにいるその子に手を伸ばす。後少しで触れるというところで、くるりと身を翻した生き物の短い尻尾に手の甲を叩かれた。

 対して痛みはなかったが、驚いて思わず手を引いた隙に、謎の生き物は近くに置いてあったリモコンの影に逃げ込む。しかし大して厚みのないテレビのリモコンで隠れきるほどの大きさではなく、丸く黄色い小さな小山がしっかり見えていた。

「ご、ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだけど」


 視線から、非難されているような気がする。いきなり触れようとしたのは完全に間違いだったと気づいたがすでに後の祭りで、生き物の警戒心はより上がってしまったようだ。

 どうしたものかと考えて、発見時ペットボトルに飛びかかっていたことを思い出す。

「もしかして、喉が乾いてるの?」


 わずかに顔を上げるものの、当然返事などあるわけがない。それでも龍之介はペットボトルを手に取り、逆さにしたキャップの中に水を注いで、謎の生き物の傍に置いてやる。

 水を気にする様子を見せながらも、なかなか近づこうとはしないので、ひとまず龍之介は席を外すことにした。
 その間に開いている窓がないか、外へ繋がる隙間がないか家を見て回るが、やはり小動物が通れそうな隙間は見当たらなかった。
 龍之介がリビングに戻ると、あの生き物はリモコンから離れ、ペットボトルの蓋を小さな両手で器用に持ち上げて水を飲んでいた。やはり喉が乾き、飲み物の入った容器に飛びかかっていたようだ。
 余程乾いていたのか、生き物は一気に飲み干し蓋をテーブルに置いた。

「もっと飲む?」


 驚かせないように、なるべく優しい声音で離れた位置から問う。また逃げ出されてしまうかと思ったが、じっと青い瞳でこちらを見つめた生き物は、慎重に浅く頷いた。

 龍之介が傍に行くとさっとまたリモコンの影に戻ってしまうが、同じように水を用意してやれば、そろそろと出てきてまた喉を潤す。今度は半分ほど残していたが、杯代わりの蓋を置いた生き物は、満足そうに口元を拭った。
 その様子を眺めていた龍之介に振り返ると、三歩ほど前に出て、渋る素振りを見せながらも頭を下げる。まるで、お礼をしているようだ。

「礼儀正しい子だね、君は」


 つい口元がゆるみ、ついでに気も抜けてしまって性懲りもなくまた手を伸ばしてしまい、指先が触れる前に逃げられてしまった。



 龍之介が傍にいては落ち着けないだろうからと、いつまでも眺めるのは止めてソファその端に腰を下ろした。
 こちらをじっと伺う視線を感じながら、スマートフォンを取り出し、この生き物がなんであるかを検索しようと試みる。しかし情報を探そうにもまずどのようなワードを入れて検索をすればいいかわらない。骨板がある姿はどことなく恐竜を彷彿とさせるが、いくらなんでも正体はそれではないだろう。
 動かなければまるでぬいぐるみのようだが、実際は動くし、短い足では予想がつかないくらいのジャンプ力がある。水も飲むし、龍之介を警戒する意識もある。さらにはまるでこちらの言葉が通じているかのように、頷いたりお礼をしたり、どこか人間じみた動きをすることもあるので、とても賢い生き物であるのではないだろうか。
 ひとまず特徴などを入れて検索をしてみるが、やはり求める情報を得られそうにはなかった。
 どうしたものかと内心で頭を抱えた龍之介は、ふとスマートフォンに表示される時間に気がつきはっと画面から顔を上げた。

「ごめんね、リモコンを借りるよ」


 ペットボトルの裏にいた生き物に断りを入れてから、リモコンを手に取りテレビをつける。目当ての番組にチャンネルを変えて、映し出される映像に間に合ったことを知り安堵した。


『テレビを見るときは、部屋を明るくして離れて見てね!』


 明るい少女の声が部屋に響く。驚いた生き物は振り返り、華やかな色どりの画面を見つめた。


「これはね、まじかる★ここなって言って、今勉強中のアニメなんだ」


 ナギが最も愛している作品である。彼がそこまで想い入れるものが気になり、二ヶ月ほど前から龍之介も観るようになったのだ。実際の番組は夕方に放送されているが、今は第一期の再放送が深夜に流されている。録画はしているが、可能であればこうしてリアルタイムで視聴していた。


(きっと、今ナギくんもここなちゃんを観ているんだろうな)


 離れていても同じ瞬間を共有していると思うと、少しだけ心が浮かれる。

 ここなを知ることで、ナギと少しでも近づけるのではないかという下心がないわけではない。だが、今では純粋に龍之介もまじ★こなを追いかけるファンとなっていた。
 はじめは女児向けのアニメだと、多少の気後れはあった。いや、正直侮っていたのだろう。そんなつもりはなかったが、自分は成人している男であって、兄弟も男ばかりで触れたことのない分野だったし、子供向けだからそこまで深い作りはしていないだろうと心の底では思っていたのかもしれない。だからこそ、実際に観たまじかる★こころにより心惹かれたのだ。
 愛らしい絵柄ではあるが、重みのある熱いストーリー展開。各話ごとにしっかりとテーマがあり、それらもまた作品の根本に置かれた主題にしっかりと関わる伏線となっていたのだ。何気ないキャラクターの発言がときに様々な人生を経験した大人の胸に突き刺さる。かといえば、子供でも楽しめるような笑いがあったり、まっすぐで一途な気持ちがあったり。確かに子供をメインに作られた作品なのかもしれないが、そこに込められた情熱は大人だろうが、男だろうが、胸うつものがあったのだ。
 すでにレンタル配信されているものは一通り観終わっているのだが、ストーリーを知っていてもいつの間にか息をのんで前のめりになっているほどに真剣に作品にのめりこまさせられて、様々なものに立ち向かっているここなを応援し、思わずうるっときてしまうときもあるのだから、ナギが愛してやまない理由がよくわかる。
 すっかり龍之介もまじ★こなの世界に魅了された。近いうちこの家に、第一期のDVDBOXが届く予定なほどに。
 謎の生き物もまじかる★ここなが気になるのか、テレビを見つめながらじりじりとテーブルの端までにじり寄った。落ちないかと心配したが、生き物は龍之介の杞憂など知らずに食い入るように画面を見つめる。先ほどまでは警戒して視界から逸らさないようにしていたのに、龍之介に背を見せる姿はあまりに無防備で、ふと既視感を覚えるが、なにと似ているのか思い出すことはできなかった。
 一緒になってまじ★こなを観ていると、不意に小さく声が聞こえた。

「ナッ……ナナ……」


 自分の他にいるのは謎の生き物しかいない。テレビ画面から目を離して視線を机の上に落とせば、生き物がぷるぷる身を振るわせていた。時々、その子から声が漏れていることに気がつく。後ろ姿しか見えないので表情は窺えないが、とても熱心に鑑賞しているようだ。


「ナナ……ナナーナッ!」


 がんばれここな、とでも言っているのだろうか。

 どこかいじらしいその姿に、龍之介はゆるみそうになる頬をかみしめた。



 一緒になってまじ★こなの鑑賞をしたから、少しは心が近づいたのではという気持ちになっていた龍之介だが、おもしろかったかと声をかけながら近づいたらまた逃げられてしまった。
 その後台本を読み、シャワーを浴びて寝る準備を整える。その間にも生き物はテーブルの上から離れることもなく、龍之介の動向をなにかしらのものの影からじっと観察していた。
 もう寝る時間となり、龍之介は以前フルーツの盛り合わせが入っていたバスケットを用意した。そこに、なるべくふわふわとした柔らかいタオルを何枚か詰めこみ、生き物の隣にそっと置く。
 怪訝そうに向けられる眼差しに龍之介は微笑みかけた。

「寒いだろうから、よかったらこれを使ってね」


 バスケットから少し離れた場所に水を入れた小皿も用意してやる。


「それじゃあおやすみ」


 立ち去った龍之介の背を、丸い生き物は見えないところにいくまでじっと見つめ続けた。



 目が覚めた龍之介は真っ先にリビングへと向かう。忍び足でテーブルに近づき、籠の中を覗き込み頬を緩ませた。
 バスケットに詰められたタオルは黄色のためわかりづらいが、ふわふわとした真ん中で小山がゆっくり上下している。どうやら、昨日の出来事は夢ではなかったし、ちゃんと用意したものを使用してくれているようだ。
 小皿の水も量が減っている。新しく水を入れ直して、同じ場所に置いてやった。どうしてもたってしまう物音にいつ目が覚めてしまうかとはらはらしたものだが、龍之介の心配をよそに、謎の生き物はすやすやとぬくいタオルの中で眠り続けた。
 龍之介がランニングウェアに着替え終えてもそのままだったので、なるべく音を立てないように玄関の扉を閉めて家を後にする。
 日が上り始めたばかりの時間帯で辺りは薄暗く、人気も少ない。少し肌寒い空気を吸い込み走りながら、龍之介は今後のことを考えた。
 やはり、黄色いあの生き物はどんな動物なのかさえわからない。しかし昨日のうちに出ていかなかったということは、他に行く宛がないのではないだろうか。
 やや土埃で体が薄汚れていたし人慣れしていない様子から、野生なのではないかと思うが、今朝は龍之介の気配に起き出そうともしなかったのをみると、よほど疲れていたのかもしれない。最初に会ったときは水を飲みたがっていたし、もしかしたら腹もすいているのではないだろうか。

(――なにか食べられそうなもの、あったかな)


 動物によって食べられるものは異なる。人間にはなんともなくとも、食べるだけで害になり、最悪少量でも死に至ることもあり得るので、与えるのであれば注意が必要だろう。

 ジョギングから帰ってすぐに生き物の様子を見に行ったが、なんらかわりなく眠り続けていた。
 龍之介がシャワーを浴び終えてもまだタオルに埋もれたままだ。それほどまでに疲れ果てていたのか、それとも夜行性で朝には弱いのか。どちらにしてもまたも寝顔が観られなかったことを少し残念に思う。
 いつまでも背中を眺めているわけには行かず、仕事に向かうために着替えた龍之介は、家を出る前に戸棚から貰いもののビスケットを取り出す。
 昨日ここなを観ながら必死に叫ぶ謎の生き物を眺めているときに、鋭い牙を見つけたので、肉食かもしくは雑食であることはわかっている。ビスケットはとくに塩などは振っていないシンプルなもので、これならば謎の生き物でも食べても問題がなさそうと判断したのだ。
 皿に並べて、水と一緒に置いておく。
 本当なら目が覚めて、食べる様子まで見守っていたいが、仕事に遅れるわけにはいかない。後ろ髪引かれつつも、龍之介は家を後にした。



 はやる気持ちを抑えながら家の扉を開ける。

「た、ただいまっ」


 いつもは一人だからと、自然と出てこなくなった帰りを知らせる言葉が口から出てくる。それは、あの生き物がまだいる可能性があることと、それを願ってのことだった。

 靴を脱ぎ大股でリビングに向かえば、飲み水を入れた小皿に隠れるあの生き物がいた。明らかにこちらを警戒して睨んできているのだが、まだいることに無意識に顔が綻ぶ。そして相変わらず隠れていない体に気づいていない様子が愛らしい。
 今朝用意して置いたビスケットは、五枚のうち三枚が減っていた。側には食べかすが落ちているので、この生き物が食べたのだろう。水の嵩も下がっていることにも安堵する。

「ビスケット、おいしかった? それともあまり気に入らなかったかな」


 残っている二枚が気にかかる。単に腹が膨れただけならいいが、好みに合わず残したのならきっと腹を好かしていることだろう。

 訪ねたところで睨むようにきつい眼差しがゆるむこともなく、悩んだ龍之介は皿を下げようとした。
 そこへ、慌てたように黄色いかたまりが皿に飛びついてくる。

「ナ……ナナッ!」

「わっ」

 油断していた龍之介は思わず皿を手放してしまう。

 幸い少し持ち上げただけですぐ下は机があったので割れることはなかったが、ガラステーブルと陶器は派手な音を鳴らす。それに驚いたのか、生き物は飛び跳ねて、ビスケット二枚を抱えてリモコンの影に行ってしまった。

「ご、ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだ」


 心なしか黄色い毛並みが膨れている。逆毛立っているのかもしれない。責めるような眼差しに困り果てながら、そっと声をかけた。


「……ビスケット、気に入ってくれていたの?」


 答えはないまま、二枚のビスケットを背に隠してしまう。その様子はまるでとられたくないと言っているようだ。先ほども皿を下げようとしてあの子のほうから近づいてきたし、嫌ったわけではないのだろう。

 ならどうして二枚を残していたのだろう、と龍之介が内心で首を捻ったところで、くうう、と小さな音が鳴った。何の音だろうと思う間もなく、やや俯いた生き物の様子に、直感が働いた。

「お腹、すいてるの?」


 先ほど鳴いたのは、小さい生き物の腹の虫だ。少なくとも昨日の夜からなにも食べず、今日もビスケット三枚と水だけでは腹を満たすことはできなかったのだろう。

 腹はすかせているし、ビスケットも嫌いなわけではない。それでも残していたし、しかし取り上げられるのは困るようだ。
 小さな体の後ろに隠された菓子にちらりと視線を向ければ、それに気がついたのかじりじり後退していく。ビスケットをとられまいとする、まるで守ろうとするような仕草に、ふと思い当たった。

「――もしかして、とっておいたの?」


 腹が鳴るほど空腹なのに食べずに我慢していたのだから、自分の蓄えではないだろう。かといって、まさか龍之介に分けてやろうというつもりでもないはずだ。ともすれば、他にあげたい何者かがいるのではないだろうか。


「そっか。気に入ってくれたんだね。それならいつでもあげるから、今ある分は君が食べて大丈夫だよ」

「ナッ……ナ……」

 やはり龍之介の言葉を理解しているのか、青い瞳が一瞬揺れる。背後にある菓子をちらりと見ては、どうしたものかと悩んでいるようだ。

 自分の言葉を証明するため、龍之介がまだ残っていたビスケットを持ってきて皿に足してやる。それを見てようやく信用したのか、謎の生き物は隠していたビスケットを両手で掴んで頬張った。
 やはり腹が減っていたのだろう。無心で食べて、ぽろぽろ食べかすを落としている。自分の体にも振りまいている姿に思わず手が伸びかけるが、そうすれば逃げられてしまうとわかっているのでぐっと堪える。
 警戒心が強く、それなのに時折とても無防備で。夢中になってここなを見る姿に、仲間想いなところ。そして澄んだ青い瞳――どことなく誰かに似ているなと思っていたが、ようやくそれが誰であるのかがわかり、そして気がつけば声をかけていた。

「もしかして、行くところがなかったりする?」


 菓子にかじり付いていた顔を上げて、じっと探るような眼差しが向けられる。安心させるためだとか、そんなことを思うよりも先に自然と笑みがこぼれた。


「もうそうなら、しばらくここにいてくれていいからね。仲間を探しているのなら俺もできる限りの協力はするしさ」


 なんとなく、放っては置けなかった。はじめて姿を見たときに、一生懸命ペットボトルに飛びついていたからだろうか。それとも、まじかる★ここなを一心に観ていたからか、仲間のために空腹をこらえていたところか。それとも、彼に似ているからか。

 なんにせよ、助けてあげたいと思ったのだ。もっとおいしいものを食べさせてあげたいし、気に入ったらしいまじ★こなの他の回も一緒に鑑賞したい。安心して寝かせてあげたい。

「あ……でもここってペット可だったか、あいたっ」


 いつの間にか距離を詰めていた謎の生き物に指先をかじり付かれ、咄嗟に掴んで引き剥がす。血は出ていないものの、薄らと小さな歯形が肌に後を残していた。

 突然噛まれた理由を探して、ひとつだけ思い当たる。もしかしたら、ペット、と言ったことに怒ったのではないだろうか。自分はおまえのペットなどではないぞと。
 今までも言葉の意志疎通が成立していると思っているし、もし本当に龍之介の言葉を理解しているのなら相当に賢い。また迂闊な言動をすればすぐに不服を訴えられそうだ。
 はっきりと自分なりの意志を態度で示してくるが、今はこちらを睨んでくるばかりで、小さな存在は龍之介の手から逃れようとはしない。龍之介の言い方こそ気にくわなかったが、その提案には乗ってやろうということだと解釈することにした。

「よし、決まりだね。これからよろしく。なにかあれば遠慮なく教えてくれ」


 そっと机に置いて、握手を求めるが、背を向けた生き物は中指の先端に軽く尻尾を当てただけで食べかけのままだったビスケットの場所まで戻っていく。

 つれない態度だし、まだまだ慣れてくれたわけではないが、少しの信頼関係は結べたことを実感して龍之介は胸を撫で下ろした。
 やはり龍之介の意志はきちんと伝えることができるようなので、ちゃんと言い聞かせれば悪さもしないだろう。悪戯せずおとなしくしてくれているのなら、管理人に相談せずともこっそりここにいさせてやれるだろうこともにも安堵する。
 仲間は探してやるという気持ちは本当だ。しかしなんの生き物かわからない以上、この子のことを誰かに話すのはもう少し先にしたほうがいいだろうと考えていた。もし珍しい生き物で、それが元で妙な騒ぎを起こして居心地悪くさせてしまうのは本意でないのだ。

「――さて。一緒に暮らすなら、君の名前を考えないとね。ないと不便だし……それと、お風呂も入らないと。体を綺麗にするのは好き?」


 土埃に薄汚れた体はそのままにはしておけない。動物によっては水を嫌うものもいるので、念のためこの生き物はどうだろうと尋ねれば、きらきら輝く瞳が向けられた。



 湯を恐がりはしないが、熱いのは苦手らしい。
 嫌がらない程々の温度にした湯で全身を濡らす。人間用のボディーソープしかないので、口や目に入らないように小さな体を慎重に洗ってやった。幸い泡を舐めるような素振りもない。おとなしく龍之介に身を任せる姿はなんだか心地よさそうで、つい嬉して頬が緩んでいった。
 自分の体を扱うようにガシガシと拭わぬよう、やわやわ揉み込むようにタオルで水気を取り、ドライヤーも近づけすぎないように十分に注意をして乾かす。
 とにかく丁寧に扱い、それに満足したのか生き物からの抗議もいっさいなく無事に一仕事終えた龍之介は、最後にブラッシングをしてやり、そっと櫛を置いて口を開いた。

「すごい……もとからきれいな子だろうなとは思っていたけれど、ますます素敵になったね!」


 汚れは茶色に染まった泡とともにすべて洗い落とされ、全身の毛は艶やかに文字通り輝いて見える。よくわからない生き物であるはずなのに、心から美しいものだと思えた。

 清められたことに生き物の気分も高まったのか、ほめちぎる龍之介に胸を張る姿がなんとも愛らしい。写真を撮らせてほしいとお願いすれば、最初は渋る様子を見せたものの頷いてくれた。
 乗り気じゃなかったはずなのに、カメラを前にしたらポーズを決めるものだから、興奮した龍之介は何枚も撮影してしまう。
 数分したら疲れたか、もしくは飽たのか。生き物がポーズを止めて座り込んだので、撮影会は終了となった。撮れたものを早速確認しようと龍之介がスマートフォンを操作すると、生き物がちょこちょこと寄ってくる。撮影したものが気になったのだろう。
 一緒に見ようと机にスマートフォンを置いて操作を続け、映し出された画面に龍之介は首を捻る。

「あれ……ぜ、全部ブレてる……」


 気配を感じ、はっと振り返れば、ぷっくり頬を膨らせてた生き物がいて、龍之介は平謝りした。

 機嫌を悪くして膨れてしまった生き物はなかなか許してはくれず、龍之介は慌てて夕食の準備に取りかかる。
 今朝は急なことでクッキーしか用意できなかったが、夜は食べられそうなものを見極め、作ってやろうと思っていたのだ。そしてそれで機嫌を持ち直してくれればいいなという期待も込める。

「これ、お肉だけど、食べる?」


 まずは買ってきた薄切りの牛肉をパックから小皿に入れ替え、差し出してみる。他にも生野菜をいくつか並べて様子を見るが、生き物は一瞥しただけでぷいっと顔を背けてしまった。

 それならばと、肉を焼いてもう一度出してみる。すると今度は皿を覗き込みに来たが、やはり食べない。
 肉は嫌いなのだろうかと悩んだところで、生き物はとことこ歩いた。

「ナッ」


 辿り着いた先には調味料が並べられていて、まるでこれを使いなさいと指示をしているようだ。


「味付けをすればいいの?」


 促されるまま、軽く塩を振ってやる。食べたそうに皿の側まで来るが、なにを訴えているのか鳴いて肉を指さす。


「もっと塩を振る?」

「ナナッ」
「……違う味付けがいいの?」
「ナナッ」

 どれも違うと首を振られる。


「うーん……ああ、もしかして」


 ひらめき、龍之介にとっての一口サイズの牛肉を、生き物の口の大きさに合わせてカットしてやる。箸で口元まで寄せてやれば、待っていたとでも言わんばかりに飛びついた。

 どことなく喜んでいるようにもぐもぐと口を動かす姿に、感動した龍之介は小さくガッツポーズをする。

「よし、食べた! 君はちゃんと調理をして、味を付けたやつがいいんだね」

「ナッ!」

 その通り、と生き物はおかわりを求めて口を開いた。

 求められるまま肉を与えながら、今度は薄く味付けした野菜炒めを差し出してみる。はじめは匂いを嗅ぎ、次に龍之介にカットをしろとせがむ。また小さく刻んで差し出せば、生き物は自ら口を開いて野菜を食べた。
 もりもりと食べていく姿に、自然と龍之介の頬は綻んでいく。
 今後の食事は様子を見つつになるが、なるべく龍之介と似たものを用意してやろう。念のため薄味にして、一口大にしてやればきっと食べてくれるはずだ。それに、駄目だと思えば先ほど生肉を食わなかったようにそっぽを向いてくれるだろう。

「おいしい?」

「ナッ」

 すっかり撮影会のときの機嫌は直ったらしい。もっとほしいとねだる様子に、いそいそ口元にご飯を運ぶ自分が親鳥にでもなった気分だ。

 どうやら生肉や生野菜は食べず、かじりつくということもしないようだ。ビスケットのときは掴んでいたのに、なにか違いがあるのかもしれない。もしくは、ビスケットは手掴みで食べても問題ないものだと知っていたのか。

(……もしそうなら、上品な子なんだろうなあ)


 どうやら手先は器用なようだから、もしかしたら食器も扱えるかもしれない。この生き物用の小さなナイフやフォークを用意してやるのもいいなと思った。

 今度からは一緒に食事ができそうだと、今からそのときを楽しみにしながら、次の問題を片付けにかかる。

「ここにいる間の君の名前なんだけれどね」


 もぐもぐと口を動かしながら、青い瞳が龍之介を捉える。


「モンナギくんって、呼んでいい? 君に似ている人からとった名前なんだけど、どう?」


 どことなくこの生き物が、六弥ナギに似ている気がする。実はそう気がついたときから、龍之介も無意識のうちに内心でナギくんと呼んでいた。だがそのままではナギ本人とこの生き物を混同しかねないので、謎の生き物、モンスターのほうのナギを略してモンナギというわけだ。


「嫌かな?」


 生き物――モンナギは、怒ることもなく、早く食事の続きをしますよと言わんばかりにくわりと口を開く。小さな牙がきらりと光った。

 どうやらモンナギのほうは、口の中を見せることは恥ずかしくはないらしい。さっそく見つけた彼との違いに、龍之介は箸を運びながら忍んで笑った。



 音楽番組の収録のためテレビ局を訪れた龍之介は、用意された楽屋にそろりと入る。

「よう、龍。お疲れ」
「が、楽……お疲れさま」

 声をかけられ、びくんと大きく肩が揺れた。

 振り返ると、どうやら先に楽屋行りしていたらしい楽が怪訝そうな表情を浮かべている。

「なにそんなビビってんだ?」

「え? そ、そんなことないよ!」

 あはは、とわざとらしく笑いながら、追いかけてくる楽の視線から逃げるように隅にいく。


「なあ、龍」

「な、なに!?」
「そのでっかい籠、なんだ?」
「籠!? あ、うん! ちょっとね、あはは、は……」
「ふーん」

 確実にうまく誤魔化せたわけでないとわかっていたが、どうやら楽は深くは追求しないことにしてくれたようだ。その気遣いに感謝していると、楽はスタッフに呼ばれて楽屋を後にした。

 部屋に一人になった龍之介はほっと胸をなで下ろし、手にしていたバスケットをそっと机の上に置く。
 蓋を開けて中を覗き込み、そこにるモンナギに小声で話しかけた。

「大丈夫だった?」

「ナッ」

 モンナギも周りを気にしてか、いつもよりも声を控えているものの、疲れた様子もなく元気そうだ。

 運ぶときに揺らさぬよう、細心の注意を払った甲斐があったと龍之介は安堵する。
 ライブツアーとドラマの撮影が重なり、泊まりがけで出ることが多くなった龍之介は、モンナギを家に置いていくわけにもいかず、ホテルに連れて行くことにした。いつもは仕事中おとなしく一匹で待ってくれているのだが、今日はどうしてもついて行くと聞かず、無理についてきて迷子になっては大変だと龍之介が折れる形でつれてきてやったのだ。
 モンナギをホテルにつれていく際の手籠をそのまま使用し、中にタオルを敷き詰め、水分も食べ物も用意してなるべく不自由のない環境を用意したつもりだ。しかし移動時間はもちろんのこと、楽屋でもいつ人が来るかわからないため、たとえ龍之介が一人しかいなかったとしても外に出してやることはできず、せいぜい蓋を開けてやれるくらいだ。モンナギも人目につくのはよくないと理解しておとなしくしてくれているが、一日中狭い籠の中に押し込んだままでかわいそうに思う。

「――やっぱり、楽や天にだけでも、君のことを話そうかな……」


 彼らに打ち明けることができれば、もしかしたらモンナギのような生き物を知っているかもしれないし、こうして窮屈な思いをさせるのも少しはましになるのではないかと思う。そうわかっているのに、なんとなくまだモンナギのことを話せずにいた。二人を信用していないわけではない。むしろまず先に打ち明けるなら仲間たちにと思うが、どう切り出してよいものかよくわからないのだ。

 モンナギが龍之介の家にやってきてから一ヶ月になる。モンナギは無理に出て行こうとはしないが、時々なにかを探すように部屋をうろついていることも、一人で隠れて寂しそうに鳴いていることもある。きっと仲間を求めているのだろう。龍之介もモンナギがなんの生き物であるか調べたり、近くに仲間が来ていないか下を向いて歩くようにはなかったが未だ成果は得られていない。
 切り出し方など気にせず、早いところ楽と天に相談して知恵を借りるべきだ。もう少し様子を見ることにはするが、それでもなにも変わらなければ近いうち二人に話そうと心に決める。
 ――だがもし、それでもなんの進展もなかったら。

「そうだ。飲み物買ってきてあげるね。水ばっかりじゃ飽きちゃうだろう。オレンジジュースでいい?」


 一瞬心に影を落とした不安を振り払うよう、龍之介は屈めていた体を起こす。

 籠の縁から身を乗り出し興味深そうに楽屋を眺めるモンナギは、高い位置にある龍之介を見上げると、片手で体を支えながら器用に右手を伸ばしてきた。
 肯定は短くナッ、否定はナナッとモンナギは鳴く。そのどちらでもなく手を伸ばすという行動の意味を考える。

「もしかして、一緒に行きたいの?」

「ナッ!」

 勢いのある明るい返事に逡巡した後、龍之介は目尻を下げた。


「いいよ。そのかわり、大人しくしててね」


 今日は朝から籠の中に閉じこめたままであるし、モンナギにも窮屈な思いをしていたことだろう。気分転換させてやるためにも一緒に出歩くことも決めた。自動販売機までそれほど距離はないし、もし万が一見られてもぬいぐるみと誤魔化す約束をしている。そのときはなんとかするしかない。

 そっと両手でモンナギの体を持ち上げて、シャツの胸ポケットに入れる。モンナギ自身は軽いが毛が豊かなためか、ポケットはもっこりと膨れてずいぶん不格好になってしまった。しかも外を覗きたいモンナギの黄色い頭がちょこんと出てしまっているが、まあ仕方がない。

「落ちないようにね」


 天や姉鷺に見つかったら、まずTRIGGERの十龍之介のイメージにそぐわないぬいぐるみを胸ポケットにいれていることを注意されるだろうから、特にあの二人に見つかるわけにはいかないなと苦笑する。

 思いの外人通りがなく、すれ違うことがあっても忙しそうで、軽い挨拶程度で足早に通り過ぎていく。誰も目の前の仕事に追われ、モンナギの姿にすら気がついていないようだった。

「折角だから、売店のほうにも行ってみる? お菓子も買ってあげるよ」


 顔を前に向けたまま、小声で話しかける。

 いくら待てども返事はなく、龍之介は足を止めた。

「――モンナギくん?」


 返事はやはりない。もしかして狭いポケットの中が苦しいのかと思い、様子を確認しようと視線を下げたそのとき、ぎょっとする。

 もぞもぞと胸元でモンナギが動いたかと思ったら、ためらいもなくポケットから飛び降りたのだ。咄嗟に手を伸ばすも間に合わない。このままではモンナギの身が床に打ち付けられてしまうと血の気が引いたが、龍之介が予想したような事態は起こらなかった。
 モンナギは猫のように身軽に着地をして、そのままさあっと廊下を駆け出す。

「ちょ、モンナギくん!?」


 体が小さく二足歩行のわりには素早いモンナギはあっという間に手の届かない場所までいってしまい、慌てて追いかける。

 こんなところで走り回るのは危険だ。動いているところを見られてしまえばぬいぐるみでは通らなくなる。もし見つかり、珍しい生き物だと断定でもされてしまえばどんな目に遭わされるかわかったものではない。しかもここはよりにもよってテレビ局なのだ。誰の目に触れても大きな騒ぎになりかねない。
 龍之介も本気を出して走り、さすがに体格の差もあり一気に距離が縮まっていく。もう少しで捕まえられる、というところで、突然モンナギは角を曲がった。

「ナーナナッ! ナー!」


 慌てて減速する龍之介の耳に、姿が見えなくなったモンナギの声が届く。それは明らかに嫌がっているときのもので、最悪の事態が頭の中を駆けめぐった。


「モンナギくんっ」


 体勢を崩しながらも龍之介も角を曲がった。しかしその先でいると思っていた人間の姿はなく、床で絡み合う黄色と深い青の毛玉に気がついた。

 モンナギがなにかに引っ付かれて嫌がっているということだけを理解し、青い毛玉ごと持ち上げて二つを引き剥がした。

「ナナナッ!」

「リュ、リュリュ……」

 興奮して毛を逆立てるモンナギと、そしてもう片方のしゅんと三角の耳を下げるそれに、龍之介は驚く。


「もしかして、君はーー」


 言い掛けて、途中で足音が聞こえて咄嗟にモンナギと青い毛玉を抱きしめ懐に隠す。しかしそれ以上どうすればよいかわからず、右往左往した龍之介はその場から去ることもなく、角を飛び込んできた人物とはち合わせた。


「モンつなっ」

「え……な、ナギくん!?」

 謎の言葉を叫んで姿を現したのは、紛れもなくIDOLiSH7の六弥ナギだった。



 二人と二匹はひとまず近くの無人の楽屋に忍び込み、中から鍵をかけてようやく一息つくことができた。
 モンナギは膝に置かれた手のひらの上で龍之介に縋るように身を寄せ警戒し、そして先ほどの青い毛玉は同じようにナギの手で寂しそうにしてモンナギを眺めていた。
 その頭上でそれぞれの保護者である龍之介とナギは、互いにこれまでの経緯を話し終える。

「それで、アナタのところにもこの謎の生命体がいるのですね」
「そうなんだ。でもまさかナギくんのところにもいると思わなかったよ!」

 どうやらナギも同様に、一ヶ月ほど前にいつの間にか部屋に迷い込んでいたという謎の生き物を保護したようだ。そして龍之介と同じようにそれが図鑑にも載っていないような非常に珍しい生き物だと判断し、騒ぎにならないうちに仲間を見つけ帰してやろうとしていたらしい。

 そしてナギに保護されたのが、青い毛玉ことモンつなである。モンナギとよく似ている姿をしているが、恐竜のような見た目にも見えるモンナギとは異なり、モンつなはどこか狼のような印象を持つ。モンナギにはないぴんとした三角耳に、尻尾も獣のように毛が豊かだ。モンつなは、リュ、と鳴き、その声はモンナギよりも低く、じっとナギの手にいるところを見ると大人しい性格のようだ。
 ナギの見解では、おそらく同じ種であり、容姿の違いは個体差によるものだろうとのことだった。

「てっきりモンつなくんがモンナギくんの仲間かと思ったんだけど、違うみたいだね」

「それどころか、あまり仲はよろしくないようですね」

 ちらりとお互いの手元に目線を落としてみれば、ナギの手から一歩踏み出そうとしたモンつなを見ただけで、モンナギはその分一歩後退して睨むような眼差しを向けていた。

 モンつなは出会い頭に抱きつくほどに嬉しそうだったのに、モンナギのほうは随分と嫌がっていた。そのときのことがよほど腹に据えかねたのか、近づこうとする気配はまるでない。
 肩を落として寂しそうにするモンつなが少しだけ可哀想に思える。なんとなく、ナギにつれなくされる自分と重なるからなおさらだ。

「モンナギくん、すごい勢いでモンつなくんのほうに向かったのに、どうしてなんだろう?」

「もしかしたら仲間の匂いと勘違いしたのかもしれませんね。彼らは嗅覚が優れているようですし」
「そうだったの?」
「ナ……」

 力ない返事に、龍之介はそっと頭を撫でてやる。普段は気安く触れないで、とでも言うようにすぐに尻尾に叩き落とされるところだが、今は甘んじて受け入れられた。

 もしかしたら、仲間の匂いをどこかで嗅ぎとっていたのだろうか。だから一緒に行きたがったのかもしれない。だがいたのが望んでいた相手ではなく、一瞬でも期待したモンナギの落胆の様子は哀れだった。

「早く、あの絵の子たちに会えるといいね……」

「絵?」

 ぽつりと呟いた言葉に、ナギが反応する。


「そう。仲間の話をしたときに、モンナギくんに描いてもらったんだ。すごいんだよ!」


 取り出したスマートフォンを操作し、そのときに取った絵の写真を画面に映す。スマートフォンごとナギに手渡し、ナギに見せやった。

 モンナギが全身を使って懸命に描いてくれたのは、モンナギを含めた七匹の毛玉のような生き物だった。それぞれ色が異なり、赤、青、緑と橙と、水色と紫と、そしてモンナギの黄色だ。モンナギとモンつなのようにそれぞれ多少見た目が違っているところがあり、完成した仲間の絵を見たとき、思ったことがある。

「色合いといい、数といい、眼鏡をかけているように見える子までいるし、まるでIDOLiSH7のみんなみたいだよね」

「――ふふ、そうですね」

 ナギがふわりと笑う。不意のことに心構えなどしていなかった龍之介の胸に飛び込んだその優しい笑顔にきゅうっと胸が締め付けられた。

 メンバーのことが大好きなんだなあ、と思ったが、なによりとにかく愛らしく見えたからだ。そんなことを口に出せばすぐに龍之介に向けるあの冷ややな表情に戻ってしまうのでぐっと堪え、少しだけ柔らかな余韻の残るナギの眼差しがモンナギに向けられるのを見守る。

「なるほど、とても知能が高いことはわかっていましたが、器用でもありますね。モンつな、今度アナタもトライしてみましょう」


 まるで返事をするように、モンつなは片手を挙げてナギに応えた。


「――九条氏たちはこのことを?」


 片手でモンつなを構いながら、じっとナギたちの様子を伺っているモンナギに目を向ける。


「それが……まだ、話せてないんだ。どう言えばいいかわからないし、今は仕事が立て込んでいてゆっくり顔を合わせることもできていないし」

「ワタシもです。ワタシたちの寮、動物NGです。かと言って追い出すわけにも行きませんから保護しましたが。――話せば、きっと彼らは一緒に悩んでくれることでしょう。だからこそ打ち明けるにはなおさらタイミングをみないといけません」

 IDOLiSH7もまた、トップアイドルとして多忙を極めている。TRIGGER同様にグループだけでなく個々の活躍があり、ナギもまたモデル業で忙しないのだと、先日陸が楽屋に挨拶に来たときに言っていた。

 謎の生き物を保護していることもそうだが、周囲の様子を伺っているのもまた同じのようだ。

「――ナギくん。これも何かの縁だと思うし、この子たちについてのお互いの情報、共有しないか? そのほうがこの子たちの面倒も見やすくなると思うし、相談相手がいるっていうのも、少しは気が楽になると思うんだ」


 仲間を見つける間、彼らと暮らしていくことになる。しかし図鑑にも載っていないような生態のわからない生き物のため、手探りの状態なのだ。それでも今はなんとかなっているが、たとえば体調不良になったときなど、なにかの際に備えて龍之介自身の仲間を増やしておくことは大切なことだと考えた。


「Hm……そうですね。それがベストでしょう」


 ナギもなにが有益になるか判断し、頷いた。


「ほ、本当!?」

「YES。これはワタシたちだけの秘密ですよ。いずれはメンバーに話す日がきますが、それまでトップシークレットです。約束できますか?」
「もちろんだよ!」

 心強い仲間ができたことや、一歩前進したモンナギの状況、そしてナギと近づくことができたことを龍之介は手放しに喜んだ。

 ふと、龍之介のスマートフォンが鳴る。一言ナギに断りを入れて確認すれば、天からどこにいるのかとラビチャが入っていた。
 画面の右上の時間を見て、思っていたよりも話し込んでしまっていたことにようやく気がつく。

「ごめん、もう行かなくちゃ」

「OH、こんな時間ですか。ワタシも戻らないといけません。モンつな」
「リュ」

 モンつなが上着のポケットに自ら収まったのを確認してから、ナギは立ち上がる。

 すぐにでも去ろうとするナギを龍之介は咄嗟に腕を掴んで引き留めた。
 振り返ったナギが、じろりと捕まれた自分の腕に目を向けるので、慌てて手放す。

「ご、ごめん」

「まだ何か用ですか?」
「その……外じゃ落ち着いて話もできないし、よければ今度、家に来ない?」

 考えるような素振りを見せたナギだが、すぐに浅く頷いた。


「――そうですね。後でラビチャを送ります。そこで都合の合う日取りを決めましょう」

「わ、わかった!」
「それでは」

 それ以上ナギは振り返ることもなく、先に部屋を後にした。

 扉が閉まる間際、モンつながポケットから顔を出して手を振っているのが見えたが、手を振り返してやることはできなかった。それどころか扉が閉まってもまだ龍之介はかちんとかたまっていて、ナギの足音が聞こえなくなった頃にようやく息を吐いて肩の力を抜いた。

「ナナ?」


 いつもと様子の違う龍之介が気にかかったのか、モンナギが袖を小さく引いた。小首を傾げる姿を可愛いな、と思い、頭を指先でちょんちょん撫でる。


「……ナギくんが、俺の家に来るって」


 ふりゃりと笑った龍之介に、モンナギは一度は逃げようとしていた体を仕方なく預ける。しかしいつまでも撫でくり回され、さすがに煩わしかっただろう。モンナギには指先を噛まれ、スマートフォンは天からのスタンプの連投に通知が鳴り響き、龍之介は慌てて部屋を飛び出した。



 モンつなの存在を知って数日後、タイミングよく互いのオフが重なる日があり、龍之介はナギたちを自宅に招いた。
 この日のために慌てて新調したスリッパを履いたナギは、モンつなのように辺りを見回すこともなく落ち着いた様子でソファに腰を下ろす。一方龍之介はといえば、自宅にナギがいる光景がまるで夢のようでつい頬が緩みそうだ。

「なにか飲む? この前もらった美味しいハーブティがあるんだけれど、どうかな?」

「では、それを」
「わかった。いま用意するね」

 実は返答を予想してすでにある程度の準備は済ませていたので、そう待たせることもなくハーブティの用意を終えて、人数分をトレーに乗せて運んだ。


「はい、どうぞ」


 ナギの手前には人間用のサイズのカップを、机上に用意した専用の椅子に座るモンたちの前には、彼らの大きさに見合う小さなカップを差し出す。


「モンつなくんの分もあるけれど、もし合わなかったらジュースも用意してあるから遠慮なく教えてね」


 カップの中から漂う香りにすんすんと鼻を動かし、嗅ぎ慣れないそれに首を傾げるモンつなに一言足せば、嬉しそうに頷いていた。その隣に並んで、モンナギはふうふうと懸命にハーブティに息を吹きかける。どうやら猫舌らしいのだ。いつもは龍之介に冷ます役目をやらせるのだが、今回はモンつなの手前で見栄を張ったのだろう。


「モンナギも飲むのですか?」

「ああ、とても気に入ったみたい。はじめはこの子のほうからねだられちゃって。ハーブとかあげていいのかわからなかったけれど、大丈夫だったみたい。モンつなくんも気に入ってくれるといいな」

 龍之介の言葉に促されるよう、モンつなはそろりと一口含む。尻尾がぶわっと膨れたので、口に合わなかっただろうかと不安になったが、すぐにぱたぱたと揺れる尾に安堵する。


「リュ!」

「どうやら、彼も気に入ったようですね。嬉しいときの反応です」
「よかった! おかわりもあるからね。ああそうだ、焼き菓子もあるんだった。モンつなくん好きかな」

 事前に用意していたのにすっかり忘れていたと、慌てて取りにいく。

 今日の仕事終わりに買っておいた焼き菓子の詰め合わせを並べた皿を差し出すと、モンナギもモンつなも喜んで食べ始める。
 自分の体とそう大差ないマドレーヌをぱくぱく頬張るモンナギの姿は愛らしいと思うものの、その体のどこにそんなに入るのか、いつ見ても謎である。モンつなもよく食べるようで、パウンドケーキの食べかすで口の周りを汚しながらも幸せそうに短い尻尾をぱたぱた振っていた。
 隣に腰を下ろした龍之介が落ち着く頃合いを見計らい、ナギは問いかける。

「アナタのところではなにを食べさせているのですか?」

「生とかそのままだと食べないけれど、調理したものならだいたい食べてくれるから、俺の食事と似たようなものを用意してるよ。念のためモンナギくんの分は薄味にしているし、一般的に動物によくないものは避けているけどね。特にハンバーグが今のお気に入りみたい」
「ナッ!」

 自分の話だということをわかっているのだろう。その通りだと返事がきて、龍之介だけではなくナギも、元気な子ですねと笑う。


「モンナギくんはすごくいい子なんだ! そういえば、モンナギくんもここなちゃんが好きなんだよ」

「ワオ、まじ★こな!?」

 これまでつんと澄ましていたナギの表情が、途端に崩れて幼くなる。きらきらと輝く瞳に、陽光を反射し輝く水面を見たときのようなまぶしさを覚えて龍之介は目を眇めた。


「そうなんだ。テレビ操作も覚えたみたいで、今は一人でDVDまでつけられるんだ。この間なんて一人でまじかる★ここなのオール鑑賞してたみたいで、本当に好きみたい」

「ナッ」

 まるで誇らしげにモンナギは胸を張る。まじかる★ここなが好きであることを伝えられたことが嬉しいのか、その頬は興奮したように紅潮していた。


「アナタとは趣味が合いそうですね。まじ★こなの素晴らしさはもちろん、良い作品は他にもたくさんあります。今度教えてあげましょう」

「ナッ! ナナナッ!」

 まじかる★ここなの話が出たときのナギが見せたきらめきを、モンナギも青い瞳に映す。ナギも気合いが入っているようで、微笑ましい彼らの様子を見守りながら、いつか自分も混ぜてほしいと言えたらいいなと思う。

 今はまだ自分もまじかる★ここなが好きなんだよ、と伝える勇気が出なかった。そうですか、とつれない一言で終わってしまう可能性がないわけでもないので、もう少し親しくなってから、楽しくナギと話ができればと思う。

「ところで、何故モンナギなのです?」


 やはりきたかと、わかっていたはずの質問であるのに龍之介は言葉を詰まらせた。自分の名前が一部入っているので、きっと気にするとは思っていたのだ。


「――お、怒らないで聞いてくれる?」

「内容次第ですね」
「その……この子が、どことなくナギくんに似ていると思ったんだ。きれいだし、ここなちゃんも大好きだし、なによりすごく仲間想いのいい子で。それで、モンスターのナギくんってことで、モンナギくんって呼んでるんだ」
「Hm……」

 気分を害した様子はないが、ナギは自分に似ていると言われたモンナギをじっと見つめた。モンナギも視線に気がつき、口を止めて顔を上げる。

 しばし言葉もなく彼らは見つめ合うと、ナギがすっと手を差し出した。モンナギは心得たように食べかけの菓子を皿に戻し、手のひらに上る。
 目の高さまで持ち上げた黄色の生き物を眺めて、形の良い唇の端がそっと持ち上がった。

「謎のモンスターながらに美しいですね。毛艶も良く、確かにワタシに似て華やかです。きれいなものは好きですよ」

「ナッ」

 喜んでいるのか、どこか誇らしげにモンナギは胸を張って軽やかに鳴いた。そんな彼らの様子に微笑みながら、名付けの一件は許しを得られたことにも安堵する。

 モンナギの存在が今回のようになんらかの事情で明るみになる可能性がないこともないが、深く考えずにモンナギと名付けていた。それがまさかの名付けのもとであるナギ本人にバレてしまうとは思わなかったが、すでに名前は定着してしまっているし、今更変えるつもりもない。それでもナギが嫌がるようであればなんかしらの対応を考えなければならなかったが、受け入れてもらえて良かった。

「ところで、モンつなくんはなんでその名前になったの?」


 モンナギ、とどこか似た響きの名に龍之介も興味があったのだ。話の流れで切り出せば、ナギはくすりと笑う。


「アナタと同じ理由です」

「あ――もしかして、つなっていうのは俺の十の?」
「誰かさんのように隙あらば瞳を覗き込もうとするもので」
「それは……」

 なるほど確かに、似ていると言われても仕方がない。今では落ち着いたが、龍之介もナギの瞳をじっくり見せてもらいたいあまりに追いかけていた時期があるからだ。本音を言えば、今だっていつだって眺めたいのだが、ナギの機嫌を損ねたくないのでぐっと堪えている。

 龍之介自身も、モンナギとの関係を見てモンつなの不憫さに自分を重ねたこともあるので、異論はなかった。

「俺たち似ているんだって」


 モンつなに声をかければ、まるで笑ってくれたかのように頷いてくれた。


「モンナギくんはナギくんに似ているし、なんだか不思議だね」


 さらにはモンナギの仲間はまるでIDOLiSH7のメンバーに似ているし、こんな偶然もあるとは世の中まだまだ驚かされることがたくさんあるようだ。

 しばしモンたちの話を続けて、ナギのカップが空になった頃、ハーブティを継ぎ足し席を立った龍之介は、併せて色鉛筆と白紙を用意した。
 モンつなに渡して、仲間の似顔絵を描いてくれるようにお願いをするためだ。彼も仲間を探しているので、少しでも手がかりになればいいと願ってのことだった。
 自分の背丈よりも高い色鉛筆を掴み、踊るように滑らせて描いてゆく。ご機嫌な様子を微笑ましく眺めながら、ナギにモンナギが描いた仲間の絵を見せた。
 一度画面越しに見せたことはあるが、改めてなにか知っていることがないか確認をしてもらうためだ。それとは別に、上手に描けたモンナギの絵をナギに披露したかったのもある。

「やはり、ワタシのメンバーにどことなく似ていますね」

「見かけたこととかない?」
「残念ながら、モンつなの他に知るのはモンナギくらいです」

 七匹のモンたちが描かれた用紙を返しながら、ナギは肩を竦める。


「アナタのほうは、他の子を見かけたことはないのですか?」

「おれもモンつなくんの他には見たことがないんだよね。そもそも、なんの生き物かさえわからないし、正直見つけられるのか……」

 モンの保護者二人が集まっても、手がかりが増えたわけではなさそうだ。


「ナナナ……」


 龍之介の膝の上にいたモンナギは、自分が描いた仲間の絵を見て力なく鳴いた。きっと仲間を思い出して寂しくなったのだろう。いつも龍之介に隠れて涙を堪えていたモンナギを思い出し、龍之介はそっと小さな頭を撫でてやる。


「――早く、会いたいんだね」

「ナァ」

 いつもの元気はない肯定の声音に、胸が締め付けられる。それほどまでにモンナギにとって仲間の存在は大きいのだ。それなら、彼らがどうしているかもわからない現状はよほど心細いことだろう。

 悠長にしている暇はない。早く見つけて安心させてやらければならない。そう思う反面、探し求めるものが見つかったときも想像して淡い寂寥を感じた。
 きっとモンナギは大喜びで仲間のもとに帰って行く。自分はそれを、良かったねと見送るしかない。そしてそれが、モンナギとの別れの瞬間なのだろう。
 仲間が見つかるのは龍之介だって嬉しいし、見つかるまで全力で探し続けるつもりだ。それが仲間を恋しがるモンナギのためでもある。それでも別れの寂しさというのはまた別ものなのだ。
 まだ確定していない未来をつい想像して、もの悲しさを覚える龍之介は、その様子を見つめるナギに気がつくことなかった。
 溜まり込む二人に、あまり声を上げないモンつなが気づいてほしくて短く鳴いた。

「リュ」

「ああ、ごめんね。描き終わった?」

 顔を合わせると、まるで微笑むようにモンつなの瞳が細まる。それを見た龍之介は、もしかしたら気を使って鳴いてくれたのかもしれないな、と思った。


「見せてください」


 器用に紙を持っていたモンつなからそれを受けとり、紙面を目にしたナギは小さく噴き出した。


「どうしたの?」

「見てください、これを」

 ナギから手渡された紙を覗き込み、龍之介は、あ、と声を上げた。


「これは……TRIGGERだ!」


 モンナギよりも大胆なタッチで描かれていたのは、三匹のモンだ。

 角やら触覚のようなものがあったモンナギの仲間とは異なり、モンつなの仲間たちはみな動物のような耳を頭に生やしている。
 描かれた三匹のうち一匹はモンつな本人で、残る二匹は桃色と灰色で、その顔つきは、立ち位置やその色合いも相まって、どことなく龍之介の仲間である天と楽を連想させた。
 モンナギの仲間に続き、モンつなの仲間も既視感ある者たちで、度重なる偶然をまるで奇跡のように龍之介は喜んだ。
 モンたちにもナギの龍之介の仲間をそれぞれ紹介し、その延長でIDOLiSH7のライブDVDを鑑賞した。
 モンナギもモンつなも熱心にそれを見ては、画面の彼らに手を振り返したり、ぴょんぴょん跳ねてともにライブを楽しんでいた。時折二匹が振り返った時、ナギがウインクをしてくれるのもだから大はしゃぎである。画面の中のアイドルが振り向けば実物がいて、それもファンサービスをしてくれるのだからテンションも絶好調だろう。
 ナギのファンサを受ける二匹を羨ましみながらも、TRIGGERのライブDVDを見せたときも今のように喜んでくれたらいいなと思う。IDOLiSH7のライブは楽しいし最高だが、自分たちTRIGGERだって負けていないくらい熱くなれるのだ。
 あっと言う間に時間は過ぎ、ライブは七人の揃ったお礼の言葉とともに終了を迎える。
 最後まで惜しみない拍手を浴びながら捌けていく姿から目を離して、壁掛けの時計を見た。
 龍之介は気づかれないようそうっと深呼吸をする。
 さりげなくを装うのだと自分に言い聞かせ、覚悟を決めてクレジットを眺めるナギに声をかけた。

「あの、ナギくん。よろければ夜ご飯、食べていかない!?」


 思いの外大きく出てしまった自分の声に自身が面を食らう。それはもちろん話しかけられたナギものようで、何度か目をしばたかせた。


「いえ、ワタシは――」

「今日はね、ハンバーグの予定で! その、モンナギくんも好きで!」
「ナッ」

 帰ります、と言われてしまう前に慌てて言葉を被せる。ありがたいことにハンバーグに反応したモンナギが、そんなつもりはないだろうが援護のように喜びの声を上げた。

 ナギの好物はリサーチ済みだ。三月から聞いたし、ナギの好物かぼやいたとき、何故か天もハンバーグを推していた。そのときプリンメーターやナポリタンがなんとか言っていたが、よくわからないままだ。

「温めるだけだから、すぐできるよ!」


 後はアピールするのみである。時間としても夕食時であるし、好物でもあるし、提案に乗ってきてくれと心の中で強く祈る。

 ナギは思わず握り拳を作っていた龍之介を見やり、考える様子を見せたものの、小さく頷く。
 一気に緊張から解放され喜びに顔を綻ばせた龍之介は、勢いよく立ち上がった。
 実はナギが来るとわかってから、必死に練っていた計画が無事遂行できることになり、内心で天を衝くガッツポーズをする。

「い、今すぐ作るから、ゆっくりしてて!」


 明らかに浮き足立ちながらキッチンに向かった龍之介を見送ったナギは、ぽそりと呟く。


「――まったく、わかりやすい男ですね」

「ナッ」
「おや、アナタもそう思いますか?」

 ナギとモンナギの会話を聞いていたモンつなは、自分に似ていると言われた龍之介に哀れみとエールをこっそり送った。



「ナナッ! ナナナーナ!」
「リュッ、リュリュ!」

 感情豊かに鳴くモンナギはもちろんのこと、あまり鳴くことのないモンつなも声を上げて運ばれたハンバーグに喜んでいた。テーブルの上に乗っている彼らの前に皿を並べてやると、全身で高まった興奮を露わす。そんなモンたちの背後で、ナギはぴしゃりと言った。


「動かないでください。結べないです」


 食事の際は、万が一こぼしてもいいように首にナプキンを巻いてやることにしている。ソースなどが垂れたとき、モンたちの場合は体にかかってしまう。そうなると全身を洗う必要が出てくるので手間がかかるのだ。食事の度に風呂に入らせるわけにはいかないための予防だった。


「あ、モンナギくんのほうは俺がやるよ」

「お願いします」

 ナプキンをつけなければ目の前のハンバーグにありつけないことを知るモンたちは、ナギに注意をされてから、うずうずと体を揺らすものの大人しくしている。

 順番待ちしているモンナギに布を巻き、首と思われるあたりの後ろで結んでやった。モンつなのほうも終わったようで、龍之介とナギも向かい合わせの席に腰を下ろす。
 準備が整ったところで、互いに目配りし、手を合わせた。

「いただきます」

「ナナナ」
「リュリュリュ」

 言葉が終わるや否や、早速モンナギとモンつなは皿の前に仁王立ちをする。その両手にはおもちゃではあるが、彼らの大きさに見合ったナイフとフォークが握られていた。

 モンたちは二足歩行であるし、よく手を使いなにかをしているところを見た龍之介が、ふと思い当たって用意してやったところ、彼らは実に器用に食器を操って見せた。さすがに箸を扱うことはできなかったが、スプーンやフォークのように握るだけで良いものなら今ではすっかり手慣れたものだ。もふもふの手がどうやって食器を握っているのかはよくわからないのだが、落としたことはないので、毛で滑るということもないのだろう。
 モンナギはハンバーグにナイフを入れて、一口サイズに細かく切って上品に口に運ぶのだが、はふはふと熱そうにしつつ一心に食べてくれる様子は微笑ましい。一方のモンつなはワイルドに切りかかり、口に押し込むように食べていた。早速口の周りはべったりソースで汚れているが、背後でぱたぱた揺れる尻尾も、緩んだその表情もとても幸せそうでどうも注意する気にはなれそうもない。
 二匹の夢中になって食べる姿を見れば、人間用とは別にタマネギや香辛料を減らしたりして別に食事を作ることなど、手間が増えても少しも苦にならない。それどころか美味しそうに食べてくれる姿は作り甲斐があるので、多忙の合間を縫って自炊することが以前よりも増えていた。自分一人ならどうとでもなるが、腹をすかせ待っているモンナギに買ってきたコンビニ弁当を与える気になれないというのもあるからだ。
 二匹の前に置かれたハンバーグは、彼らと同じくらいの大きさをしている。自分と同等のサイズを食べきることなど、よほどの大食いでも難しいと思うものだが、モンたちはペロリと平らげてしまうし、なんならおかわりもする。いつも食べ終われば腹はぱんぱんに膨れているが、本来なら破裂していいような量なので、モンたちの胃袋は彼らの謎の生態のひとつだ。あの小さい体のどこに食料は仕舞われていくのだろう。
 それに、モンたちは毎度人間の幼児と同じくらい食べているのに、不思議と太ることもないのだ。そこは少し羨ましいかもしれない。

「以前いただいた煮込みハンバーグも美味しかったですが、こちらも良いですね。気に入りました」

「本当? 良かった! おかわりあるから、言ってね。もちろんモンくんたちのもあるよ」
「ナーナ!」

 ナギとモンつなにハンバーグを振る舞うのはこれで二度めだ。そして、龍之介の家で食事をするのは両手の指では足りないくらい、ともに過ごしていた。

 互いが謎の生き物を保護していることがわかり、そしてそのことを話すために龍之介の家にナギたちを招いてから、不思議な生き物を交えたナギとの交流は始まった。互いに知るモンの生態を報告して、彼らの仲間の情報も協力し合った。残念ながら仲間探しは一向に進んでいないものの、これまで仕事でしか顔を合わせることのなかったナギと定期的に私生活で会い、たとえば仕事の都合でモンの世話が見られないとき、相手に預けたりと協力をして、個人的な関係は深まった――と、龍之介は思っている。
 これまではせいぜい挨拶をしてくれる程度で、龍之介が近づけばあからさまに逃げられていた。しかし今では、人前では相変わらずつれないものの、主にモンたちのことではあるがラビチャをするようになったし、人目がなければ多少の立ち話にも付き合ってくれる。なにより嫌なことは嫌だとはっきり言うナギが、モンつなのためとは言え頻繁に龍之介の自宅に足を運んでくれているのだから、以前の関係よりはだいぶ進歩したと思いたい。
 仲間とはぐれたモンたちは可哀想だと思うし、一刻も早く見つけて安心させてやりたい。しかし彼らがいなければ、ナギとこうして関わる日は来なかったかもしれない。それを思うと、申し訳なく感じる反面、彼らの存在に感謝した。なにせ今こうして食事をできているのも、モンナギがきっかけだったからだ。
 ナギが寮住まいということもあり、一人暮らしで気兼ねない龍之介のほうがモンつなを預かる機会が多かった。その際には必ずナギが龍之介の家までモンつなを迎えに来るのだが、きっと龍之介だけならばそのまま帰してしまっていただろう。もしくは勇気を振り絞って夕食に誘っても、すげなく断られて諦めるか。しかしここでモンナギの存在が輝く。
 どうやらモンナギは、いつのまにか龍之介のスマートフォンを操作し、ラビチャでナギに連絡を取っているようなのだ。そしてまじかる★ここなをはじめとした、アニメを観ようと誘う。
 職業柄、個人情報の管理には注意しているつもりだが、いつのまにかかけていたロックも外してしまえるようになっていたらしく、操作方法を教えてもいないのに使いこなし、そして間違いなく宛先をナギにラビチャを使う。さすがに文字は打ち込まないようだが、スタンプでやりとりをするのだ。
 龍之介が購入した覚えのないまじかる★ここなのスタンプだけが送られることで、ナギはラビチャの相手がモンナギと悟るらしい。ナギの返事の文字を読解できているのかは謎だが、ナギはモンナギのためにわかりやすいスタンプも付け足しているので、OKを出せば喜んでいるし、仕事でいけないと断ればしょんぼりしているので、内容自体は理解できているようだ。
 今日は龍之介に預けていたモンつなを回収しにナギが家に寄ったのだが、これまでのごとく龍之介のラビチャを使用し、いつのまにかモンナギとナギが一緒にここなを見る約束をしていたらしい。
 もともとナギに夕食振る舞うつもりであったので少しは一緒に過ごせるとは思っていたが、予定していたよりもそれが延びたことは素直に嬉しくて、後でモンナギにはなにか貢ごうと考えている。最近発売された、まじ★こなウエハースのテレビコマーシャルを食い入るように観ているので、それがいいだろうか。



 食事を終えた二人は、どこかへ行ってしまったモンたちをそのままに、ソファに並びテレビに映し出されたアニメーションに集中していた。視線の先では、腰まで伸ばした黒髪を海風に靡かせながら、女性がひとりで砂浜を歩いている。
 以前アニメ化もされ人気を得た有名な少女漫画の、今度は実写ドラマが撮られることが決まった。そこで主人公の相手役に龍之介が抜擢されたのだが、なんとナギも出演するのだ。
 借金を理由に一家で夜逃げをした主人公が十年ぶりに故郷を訪れた際、とある雑貨屋に心惹かれる。そこの店主は美しい異国の男で、彼は不思議なまじないの品を扱っており、手放さなければならなかった過去を取り戻そうとする主人公に協力をするのだ。彼女は店主の力を借りて、別れの挨拶もなく去っていった幼なじみの男に会いにいく――といったストーリーだ。幼なじみこそが、龍之介が演じる借金取りになった男であり、美しいまじない屋の店主がナギである。
 本当ならモンナギとナギがまじかる★ここなを観ることになっていたのだが、龍之介が借りていたドラマ化するアニメDVDを見つけたナギが自分も観たかったと言って、モンナギとの約束は次回にすることで今回は龍之介と観ることになった。
 モンナギは不服だろうと思ったが、ナギの説明を聞くとすんなり受け入れ、その後モンつなを伴いどこかへ消えたままである。きっと家のどこかで二匹で遊んでいるのだろう。
 次の回を観るため、ディスクを交換しようと龍之介が腰を浮かしかけたとき、足下から声がした。

「ナナーッ」

「あれ、モンナギくん?」

 龍之介の肩越しにナギも足下を覗き込んだようで、ふわりと降り注いだ柔らかいナギの香りに一瞬胸が高鳴った。

 ナギのほうからここまで近づいてくることは珍しい。というより、はじめてではないだろうか。ソファに座っている間も互いに両端に寄っていたし、ナギはまるでいつでも逃げ出せるように自ら距離をとっていたと思う。親しげな場所まで近づけるのは女性か、もしくはメンバーだけであるはずなのに、突然の事態に目が回るように体温が上がる。
 そんな龍之介に気づいた様子はなく、未だ鳴き続けているモンナギを見たナギは片眉を上げた。

「なにやら怒っているようですね」

「み、みたいだね。あれ、なにを引きずって……って、モンつなくん!?」

 ソファの角に隠れて見えなかったが、そこにいたもう一匹の姿を認めて目を見張る。モンつなの尾を握っていたモンナギは死角から引きずり出すと、ぺいっと龍之介たちの前に放り出した。


「ナッナッ、ナナ!」


 モンつなはぺちゃりと床に転がったまま起きあがろうとしない。モンナギはそんなモンつなを示しながら唇を尖らせるが、声をかけても一向に突っ伏したままのモンつなに、龍之介は慌てて側に膝をついた。


「も、モンつなくん、どうしたんだ!? ――うわ、酒くさい!」


 反応がなく、なにかあったのかと心配した龍之介が両手で抱え上げると、ぷんとアルコールの匂いに顔をしかめる。


「リュ~」


 ようやく龍之介の声が届いたのか、モンつなは真っ赤な顔を上げてへらりと笑った。普段あまり鳴かないモンつなは、龍之介になにかを語りかけるかのように機嫌良く声を上げている。


「Hm……まごうことなきヨッパライですね。まともに会話が成立しないほど飲んでいるのですから、モンナギが怒って当然です」

「ナッ! ナナ、ナッナッ!」

 大きく頷くモンナギは、相当怒っているようだ。ナギにモンつなを預けてキッチンへ向かった龍之介は、床に広がる惨状に頭を抱えた。

 片づけるよりも先にまず急ぎ戻り、ナギに事情を説明する。

「どうやら、俺が仕舞っていた泡盛を飲んじゃったみたいで……それも、一升まるまる」

「OH……」

 匂いから飲酒したことは明白であったが、まさかその小さな体でそこまで飲むとは、ナギも想定外だったのだろう。言葉を失い、床にいるモンつなに目を向ける。


「リュリュ、リュリュリュ~」


 まともに立っていられないのか、それとも踊っているのか。ふらふらとしながら、モンつなはなにやら気分よさそうに声を上げていた。まるで歌っているようである。そのリズムはどこどなく、TRIGGERの曲に似ている気がした。

 千鳥足でモンナギのもとに向かい、なにやら絡もうとしているが、全力で拒絶されている。そのことで少しは酔いがさめたのか一瞬悲しそうな顔をするものの、ふと視線に気がついたのか、ナギに振り返り垂れていたしっぽをぴんと立てた。

「リュリュ」


 覚束ない足取りで歩み寄り、床に膝を付き様子を眺めていたナギの脚にをよじ登る。さらに服を伝い腹を登ろうとするも、酔った体ではままならなかったのか中腹まで登りきることなくずり落ちる。そしてそのままそこで寝てしまった。


「……その、ごめん。まさかお酒を飲むなんて」

「どこかの誰かさんに似ているのなら、仕方ありませんね。これからは彼らの手の届かないところに隠しておいてください」

 気をつけるよ、とナギに答えたが、龍之介はどうしたものかと内心でうなる。なにせモンたちは小さいその体でどうやってたどり着いたかわからない高所にいたり、隠していてもそれを見つけだす知恵もあったりする。しかも好奇心旺盛なので、すでに家のなかは網羅されている気がしているのに、どこか適当な場所はあるものだろうか。

 今回モンつなが飲んだ酒は、わざわざ故郷から取り寄せていたもので、なにか記念になるようなことがあれば開けるつもりだったものだけに、龍之介自身の落胆も大きかった。しかし今は、すっかり寝入ってしまったモンつなのことである。

「こんなにのんで大丈夫かな。ただ、酔っているだけのようには見えるけれど」

「今夜は様子を見るしかないですね。自衛意識のある彼が自ら飲んだということは、とくに害はないでしょうが……」
「量が、ね……。夕食もしっかり食べていたのに、この体のどこに一升も収まったんだろう……」

 ふっくら腹は膨れているものの、その体で泳げるほどの酒を飲んだとは到底理解しがたいが、なにせモンだ。深く考えるのはやめて、モンつなを包むためのタオルをナギに渡す。

 タオルを巻くために体を動かしても、モンつなが目覚める様子はなかった。あれだけ酔っていたのだから、しばらく起きることはないだろう。
 ナギの腕の中、幸せそうに柔らかな布地に顔を埋めるモンつなの様子を見つめた龍之介は、意を決して顔を上げた。

「な、ナギくんっ。モンつなくんはこんな状態だしさ、帰り道でなにかあっても大変だし、よければ泊まってかない?」


 上擦りそうになる声を必死に押さえて、平然を装いナギを誘う。

 小さなモンつなの体は、たとえ酔っぱらっていても運ぶのはたやすい。眠ってしまった今の様子を見れば、おそらく揺すっても寮までぐっすり眠っていることと思うし、途中目が覚めたとしても多少飲み過ぎで気分が悪くなる程度だろう。それに、本当にモンつなを心配しているだけなら、モンつなは龍之介が預かり、ナギだけ帰してやればいい。聡いナギがそこに気がつかないとは思えないからこそ、龍之介はたどたどしく言葉を重ねていく。

「ほら、明日の午前中は仕事ないって言ってたし、まだ、DVD観終わってもいないし、せっかくならと思って!」


 レンタルDVDの借り主は龍之介であるからナギが帰っても観る時間はあるし、いざとなればネット配信しているサイトもあるため、ナギも一人でゆっくり鑑賞できる。引き留める言葉を渡すほどに空回りしている気がしてならないが、もう引っ込めることもできない。

 次の台詞を探して焦る龍之介に、ナギは顎に手を添えた。

「お泊まりグッズ、ありません」

「俺のを貸すよ! 新品の下着もあるし」

 思わず食い気味に答えると、ナギは顎にあった手を持ち上げ口元を隠す。


「――ふふ、必死ですね」

「そ、そうかな……」

 気がつけば前のめりになっていた体を戻して、龍之介は誤魔化すように後ろ頭を掻く。


「いいですよ」

「え?」
「ですから、泊まると言っているんです。目覚めのカフェオレをよろしくお願いしますね」
「もちろん! 何杯でも用意するよ!」
「一杯で結構です」

 龍之介の喜びは一言にぴしゃりと叩かれるものの、無意識に綻ぶ口元を締めることはできそうにない。

 善は急げと、龍之介は勢い良く立ち上がった。

「今、お泊まりの準備してくるね! もし足りないものがあれば、近くのコンビニでよければ買いにいくから!」

「別に、そこまでしていただかなくても――」

 引き留めるナギの言葉は聞こえず、はりきった龍之介はゲストルームのベッドメイキングへ向かった。

 ナギがよく訪れるようになってから、もしかしたらこんな日が来るかもしれないと思っていた。そして待ちわびたその日が訪れた喜びに浮ついた龍之介は、新しいシーツを取り出しながら鼻歌を歌う。曲はなんとなく『NATSU☆しようぜ!』だ。ナギとはじめてまともに会話をしたときのことを、彼が手を伸ばし龍之介に笑いかけてくれたあの日を無意識に思い出したのかもしれない。
 別に、ナギが泊まるからと言って特別なにかをするわけではない。彼は未成年で酒盛りもできないし、ほどほどの時間にDVD鑑賞を切り上げて今宵のところは寝るだろう。ただ、着実にナギとの距離が縮まっているという実感が持つことができる。それが嬉しい。
 彼と出会い様々な姿を見てきた。この世の美しいものを集めて作った芸術品のような完璧な容姿が、女性の前では甘く微笑み、他の男性の前では玲瓏な美しさが際立つ。かと思えば好きなものには瞳を輝かせ、メンバーが側にいるだけで大きく表情は変わり、年相応にはしゃいで感情が露わになる。彼らには甘え、彼らのために必死になり、怒り、そして惜しげもない愛情で支えるのだ。
 今までも傍らからナギの様子は見てきたが、もっと彼の表情を見たいと思った。その青い瞳を覗きたいし、彼のことが知りたい。自分にも甘えて欲しいし、なにか困ったことがあれば頼ってもらいたい。ナギの新しい顔を見るほど、内面を知るほど、より深く彼を求めたくなる。そして、深く関わらせて欲しいとも願ってしまう。それほどにナギに惹かれている自分がいた。
 龍之介は、六弥ナギの友人になりたい――そう、以前抱いた願いは、あまりにつれない対応に諦めかけていたところもあった。しかし、決して手の届かないものではないのだと、モンナギのおかげ思えるようになったのだ。モンたちとい出会ったことで、ナギと龍之介には少し変わった形の、秘密を共有するものとしての絆が生まれたように思う。だがあくまでまだ、協力者だ。自分はナギの味方であることを知ってもらい、そしてゆくゆくは友人になれたらいいと思う。
 明日、おいしいカフェオレを淹れることができたら、ナギは褒めてくれるだろうか。

(そうなるといいな)


 寝る前にウェブでおいしいカフェオレの淹れ方を検索しておこうと、ナギのためにベッドを整えながら一人微笑んだ。



 ランニングウェアに着替えた龍之介は、忍び足で玄関に向かう。
 ナギが泊まっていることに高揚していたのか、いつも朝走り出る時間よりも早く目が覚めてしまったのだ。今日はナギがいるから早朝のトレーニングは止めておこうと思ったのだが、二度寝るにしては目が冴えてしまい、かといって時間も持て余していたのでいつも通り行うことに決めた。
 寝起きはあまりよくないと三月から聞いてので、おそらくナギが目覚めるより先に戻ってこれると思ってのことだ。昨日ナギはロケの都合で長距離の移動があり、その後龍之介の家で長いことアニメの鑑賞会をしていたのできっと疲れていることだろう。万が一のことを考えてダイニングテーブルに簡易的なメモも残して置く。
 しゃがみ込み靴ひもを結んでいた龍之介は、ふと気配を感じて振り返れば、とことこと歩み寄るモンつなを見つけた。

「おはよう、モンつなくん。早起きだね。もう酔いはすっかりさめた?」

「リュリュ」

 昨夜の失態を覚えているのだろうか、どこか気恥ずかしそうにうつむきモンつなは頷いた。

 あれほど飲んでいたというのに、二日酔いの気配はなくけろりとしている。羽目を外しすぎた翌日は悲惨な状態になっていることもある龍之介からすれば非常に羨ましかった。

「ああそうだ、良かったら、君も一緒に行く?」


 早朝であれば人目につきにしくいし、もし見られてもまずはぬいぐるみのふりをする約束をしている。

 自由に外出ができないモンつなのための提案に、嬉しそうに頷いた。



 夜が明けたばかりの空はまだ薄暗く、他のランナーもいつもよりは数が少ない。やや悩んだが、モンつなを肩に乗せて龍之介は走り出した。

「しっかり掴まっててね!」

「リュ!」

 小さなふたつの手がきゅっと肩を握る感覚が伝わってくる。平衡感覚にも優れているようで、龍之介の走りに振り落とされないよううまく呼吸を合わせてバランスをとっていた。

 今日のところは少しペースを落として置こうかと思ったが、平気そうなモンつなを見て止める。きっと、モンつなもそのほうが喜んでくれるだろう。
 流れゆく景色を置いて行きながら、ふと昨日のことを思い出す。
 泊まると言ったナギに、龍之介は寝間着に自分の服を貸してやったわけだが、実はあえて龍之介自身も少し大きいと思うものを選び渡してしまったのだ。
 もとより十センチの慎重の差がある二人なので、案の定ナギにそのスウェットは大きすぎた。普段は身にのサイズに合ったものを完璧に着こなしているナギが、布地を余らしている姿は始めて見たが、いつもの隙のなさがどこかゆるんでいるように見えたものだ。
 少し不服そうにしながら自分の姿を見下ろすナギを何度も彼を盗み見た。だぼつく服をまとうナギはなんだか無防備に見えて、無性に庇護欲をかき立てられる。もちろんただ服のサイズが大きいだけで中身はそのままなので、龍之介の守りが必要な者でないことはわかっているのだが、風呂上がりで髪が下りていることもあり、なんだか幼く見えたのだ。
 ただ、手足の裾がぴったりなのはさすがだ。そして、ナギはしっかりと龍之介の企みを見抜いていたらしい。

『これ、アナタにも大きいですよね』


 ちらちら見ていた龍之介と目を合わせて、ナギはほくそ笑む。

 バレていたことに冷や汗を掻く龍之介に一言、いいご趣味をお持ちで、と皮肉を告げただけで、それ以上の咎められることはなかった。その後も服の替えを要求することもなく、龍之介が用意したホットミルクを何でもなかったかのように受け取ったので、どうやら一時の興として許してくれたようだ。
 何故素直に龍之介のちょっとした邪心に付き合ってくれたのかはわからないが、ゆるゆるとした着こなしのナギはやはり可愛かったとしみじみ思い返す。普段隙がない分、油断しているようなその姿は、まるで龍之介に心を許してくれていると錯覚してしまいそうだった。ナギは自らその格好をとったのではなく、あくまで龍之介が故意にさせただけなのを忘れてはいけない。
 寝る前に少しの雑談をした後、ナギはゲストルームに向かった。モンナギも一緒に寝たがったのでついて行ったが、しかし眠りこけているモンつなは拒絶されてしまい、そちらは龍之介の部屋で一緒に寝ることになった。
 ベッドに入り目を閉じても、しばらく寝付くことができなかった。楽しかった今日を振り返り、あまりにも満たされる幸福にふわふわと心が浮ついたままだったからだ。
 昨夜も思い描いた願いが、またむくむくと龍之介の心の中で膨らんでいく。
 もっと、ナギと親しくなりたいということだ。彼が成人したら、一緒に酒を酌み交わしたい。今回だけと言わず、いつだって泊まっていってほしいし、沖縄料理も振る舞いたい。龍之介が仕様のないことをしたら、アナタときたらと笑って欲しい。
 ナギを想いながら走り続け、再びナギにしてあげたいことや彼の笑顔について考えてしまっていたことにふと気がついた。
 これまで友達になってほしいと声をかけた人は多くいる。だが、ナギほどに求めた人はいただろうか。前々から気にかけてはいたが、最近は以前にも増してナギのことばかり考えている気がする。どうすれば笑ってくれるのか、どうすれば一緒にいてくれるのか。悩み実行しては失敗して、冷ややかな眼差しを受けて。それでも諦めきれずにいれば、モンナギが協力してくれた。たぶんきっと、モンナギにそんなつもりはないのだろうけれど、結果として龍之介の望むほうへと道を作ってくれるのだ。そして最後にはナギは、根負けするように笑ってくれるようになった。
 これほどまでに一心にその人だけを考えていたことがあっただろうか。
 酔っぱらいをこのまま帰すの危険だと思ったとき、半ば強引に泊まるよう勧めたことはあるが、今回のケースはモンつなだけを預かれば良かっただけなのにナギまで引き留めてしまった理由はなんだ。いつまでも彼の完璧な美貌を前に落ち着けずにいるが、はたしてナギの美しさのせいだけなのか。時折ふとした瞬間にナギが見せる切ない表情のわけを知りたいのは? 冷たく突き放されるたび、なぜか無性に甘やかしてやりたくなるのは何故? メンバーに囲まれ幸せそうにするか彼を見て、どうして自分の心まで満たされながら見守っている?

(俺がナギくんに求めているのは、本当に友人になることなのか……?)


 何か確信に迫りつつあった龍之介は、耳もとで聞こえたモンつなの声に足を止めた。

 モンナギと比べて、モンつなが鳴くことはあまりない。あったとしてもあまり大きくないはずのモンつながはっきりと声を上げたものだから、慌てて肩にいる小さな者へと顔を向けた。

「モンつなくん、どうかした?」

「リュ、リュリュ!」

 モンつなはなにかを訴えるように龍之介を見つめて、地面を指さしている。

 示されたほうへと視線を移せば、小脇の地面に小さな青い花が咲いていることに気がついた。

(――ああ、この花の色。ナギくんの瞳に似ている)


 きっとモンつなも、モンナギのことを思ったのだろう。そして龍之介を引き留めたのだ。似たもの同士とナギから指摘されるからこそそれがわかった。

 花を見て直感的にモンつなの意図を理解した龍之介は、その場にしゃがみ込む。
 ごめんね、と心の中で花に謝り、指先に摘んで手折る。ぷちっと音がして細い茎はあっさり切れた。それを何度か繰り返し、小さな花束となったものをまとめて肩にいるモンつなに差し出す。

「持っていられる?」

「リュ!」

 張り切った返事に、龍之介も頷いた。


「よし、じゃあペースを上げて帰ろうか! しっかり掴まっていてね」

「リュッ」

 帰ったら、本当に花束にしてやろう。きれいな紙の切れ端で包むとして、リボンはどうしようか。

 龍之介はモンつなのために頭を悩ませつつ、弾むような足取りで走り出した。



 かさばる葉はある程度切り落とし、濡らした新聞紙で根本をまとめる。モンつなが選んだ包装紙の切れ端で花を包み、バラバラにならないように輪の小さな輪ゴムでまとめた。龍之介すれば指先程度のものなので、さすがにリボンを結ぶほどの器用さはなく、仕方なくそれはあらかじめリボンを結んだものをテープを張り付け固定する。最後にモンつなにそれを渡してやり、少々不格好な野花の花束が完成した。


「喜んでくれるといいね」

「……リュ」

 花を見つけたときはあれほど興奮していたというのに、いざ渡せるようになって、少し不安になったのかもしれない。モンつなの返事はどこか心もとなく、龍之介はきっと大丈夫だよ、と声をかけて小さな肩をぽんと叩いた。

 それから龍之介がシャワーを浴びに行った。浴室から出てきた頃、起き出してきたらしいモンナギとそれを出迎えたモンつなが向かい合っている場面に遭遇して、咄嗟に壁の影に身を隠す。
 龍之介に背を向けるモンつなの表情は見えないが、その後ろ姿からでも彼の緊張が伝わってくるようだ。後ろ手に隠している花束を持つ手も、よくよく見ればぎゅっと力が籠もっているのが見てとれる。一方のモンナギはまだ寝ぼけ眼で、瞼は半分くらいしか開いていない。

「リュ……リュッ」


 モンつなが、隠していた花束をばっと差し出す。

 モンナギはしばらくぽうっと花束を見つめた。それからひどく緩慢な動きで緊張して両耳しっぽをぴんと立たせるモンつなを見て、そして再び花束に目を落として。何度かゆっくりと瞬きをした後、花束を受け取った。
 受け取った花束を抱き、そうっと顔を寄せると、モンナギは嬉しそうに微笑む。その姿を見て、龍之介も、そしてきっとモンつなも同じように、内心でガッツポーズをする。
 モンつなの顔は見えないながらに、とても喜んでいることはぶんぶん振られるしっぽやそわそわ動く耳でよくわかる。いつも龍之介に対するナギのように、モンつなにつれないモンナギの笑顔はプレゼントが成功した証だ。いつも楽しげに騒ぐモンナギとナギを寂しそうに眺めていることがよくあったモンつなの喜びように、思わず龍之介の目が潤んだ。

「よかったですね、うまくいって」


 よかった、よかったねモンつなくん、と涙ぐんでいるところに突然背後から声がかかり、龍之介は大きく肩を跳ね上げる。

 驚いて振り返ると、そこには龍之介を避けるようにして壁の向こう側を眺めるナギがいた。

「いっ――いつからそこにいたの?」


 いい雰囲気の続くモンたちの邪魔をしない程度に声を抑えるが、動揺は隠しきれない。


「アナタが隠れたあたりからですね」


 モンたちに注目するばかりで、まったく気づかなかった。はじめからともなると、モンたちを落ち着きなく見守っていた自分の姿も見られていたのだと知り、龍之介は気恥ずかしくなり俯いた。


「ところで、カフェオレを一杯いただけませんか」

「え、あ、ごめんね。いま淹れるよ」

 ふと壁掛けの時計を見れば、当初朝食づくりを予定していた時間を五分ほど過ぎてた。どうやら小さな花束づくり苦戦している間、思いの他時間が経っていたらしい。

 ケトルで手早くお湯を沸かして、ソファで待っていたナギに淹れたてのカフェオレを差し出す。

「お待たせ、どうぞ」

「サンクス」

 服装は龍之介のもので身に合っていないし、寝起きで髪の毛のセットもされていないし、器だってただのマグカップだ。しかしカップを受け取ったナギは、まるで映画のワンシーンのようによどみなく美しい所作で口にする。

 窓から差し込み朝の日差しに金色の髪はきらめき、いっそ神々しさすら覚えるその姿は完璧である。そこに一部の隙もない。三月は以前、気がつけばナギがソファでそのまま二度寝していることもあると言っていたが、話して聞いていた寝起きの悪さは一切見受けられない。
 ――もしくは、龍之介の家では心から休まることができなかったか。それなら無理に誘ってしまったことを申し訳なく思うと同時に、自分が思っていたよりもまだナギの心は閉ざされているのだと突きつけられた気がした。そしてそれがなぜだかとても切なく思えてしまう。

「すぐ朝食作るから、もうちょっと待っててね」


 ナギをずっと見ていたい。けれども今は彼を見ているのは、少し胸が苦しい。そんな曖昧な気持ちに区切りをつけて、龍之介はキッチンへ向かう。

 早速朝食作りに取りかかろうとして、カウンターテーブルに置きっぱなしになっていた小皿の中のものを見つけて足を止めた。そこには、モンつながモンナギへ送った花の残りが薄く張った水につけられてある。それは花束を作る時、龍之介がモンつなにお願いをして少しだけ分けてもらったものだった。
 たった一輪の、爪先よりも小さい淡い色の花。モンつながモンナギに喜んでもらうために用意したように、龍之介もまたナギにささやかながらに笑んでもらえたらと思ったのだ。
 水から掬い上げて、龍之介は来た道を戻る。
 龍之介に気がついたナギは、マグカップにつけていた口を離して小首を傾げた。

「もうできたのですか?」

「いや、これを、ナギくんにと思って」

 差し出された指先の青い花を見て、ナギは目をしばたかせた。


「モンつなくんに分けてもらったんだ。ほら、ナギくんの瞳の色に似ていると思って」


 自分の瞳に似ていると言われた花を受け取ったナギは、目の高さまで持ち上げてまじまじと眺める。その様子に龍之介は、近くにあるふたつの青を見比べて、やっぱり似ているなと思った。


「――花はよくいただきますが、これは初めてです」

「ご、ごめん……そうだよね。ナギくんなら、もっとすごいものばかりもらってるのに、そこらに生えているものなんて……」

 ナギは花など贈られ慣れてるだろう。龍之介自身もアイドルであるため、花束をもらう機会は一般人よりも多く、企業からのみならず、芸能業界の仲間やファンからもことあるごとに祝いだと花や物をプレゼントされてきた。それは同業者であるナギも同じことで、さらに彼の場合はその花のよく似合う華やかな美貌もあってか、とりわけメンバーのなかでも豪勢な花束を贈られることが多いと聞く。

 そんなナギに散歩中に目につくような花をわざわざ渡すのは、確かに龍之介くらいなものかもしれない。
 きっとナギも呆れていることだろう。考えなしの自分に恥じて肩を落とす龍之介に、ナギは小さく首を振る。

「いいえ。好きですよ、道端の花だとしても。アナタはこれを素敵だと思ったのでしょう?」

「――はじめは、モンつなくんが見つけたんだ。それで、花を見てすぐにモンナギくんの瞳の色だから気がついたんだってわかって、それならナギくんの瞳の色でもあるなと思って……小さいけれど、きれいだなって思えたんだ」
「心が籠もるプレゼントでしたら、それだけで価値あるものです。ありがとうございます、十氏」

 モンナギがモンつなに見せたあの柔らかな笑顔のように、優しい表情になるナギに龍之介の胸は静かに高鳴る。

 ざわざわと騒がしい胸を思わず押さえつけようとしたところで、ナギは小首をかしげた。

「ところで、アナタはこの花の名を知っていますか?」

「ごめん、そういうのには疎くて……」

 ナギの指先にある花は、子供の頃からよく見かけていた。沖縄にも咲いているもので、草むらや道ばたなど、どこにでもあったのを覚えている。東京に来てしばらくは忙しくて下を見て歩くこともあまりなくて気がつかなかったが、少しゆとりができた頃にふと下を見て、コンクリートの隙間から葉を延ばして咲く花を見かけたときは、どこどなく懐かしい気持ちになったものだ。

 それだけ昔から頻繁に見ていたし、今でもそれを覚えているほどであるが、名前は知らないし特別気にしたことすらない。
 ナギに指摘されてはじめて、どんな名の花なのだろうと興味を持つ。
 知りたい、という気持ちが顔に出ていたのだろうか。ナギはくすりと笑って答えを教えてくれた。

「和名で、オオイヌノフグリ、ですね」

「おお……? ナギくんは物知りだね!」

 よくよくその意味を考えずに感心する龍之介は、あとで楽と天にも教えてやることを決めた。

 その結果、言葉の意味をちゃんと考えてから発言してねと天から冷たく指摘されるとも知らずに、新しい知識に喜ぶ龍之介にナギはふっと眦をゆるめる。

「別名、星の瞳とも言います」


 野に咲く小さな淡い青は確かに、空に瞬く星のようである。

 ただ可愛い花だな、程度の印象しかなかった龍之介は、まるで詩のような美しい名も胸に刻んだ。それがナギから教えてもらったものであるなら、なおのこと大切な言葉のように思えるのだ。
 ナギは指先の小さな花弁に顔を寄せてキスをする。
 素敵な名前だね、と言い掛けた龍之介は、開きかけていた口元をそのままに目の前の光景にただただ目を奪われた。
 カフェオレを飲む姿に感じた洗練された美しさとは異なり、それよりももっと尊いなにかに思える。伏せられた眼差しは慈しみに溢れて、心より花を愛でるナギの気持ちが伝わってくるようだ。
 花への愛を、まるで自分の心に口づけられたような錯覚にとらわれる。くすぐったくて、心地よくて、とても暖かくて。とても、嬉しくて。
 気がつけば、無意識に声に出していた。

「ナギくん――」


 花の色よりも澄んだ青い瞳が龍之介を捉える。

 開けたままだった口が再度動きかけたとき、唐突にナギが立ち上がった。

「十氏」


 唇にナギの人差し指が押しつけられる。強制的に龍之介の口元を閉ざさせて、凪いだ海のような眼差しで彼は告げる。


「ストップです。それ以上は言ってはなりません」

「――……」
「いいですね」

 頷くと、ゆっくりとナギの指先が離れていく。

 感情の読めない瞳に見つめられ、龍之介は苦笑するように笑って見せた。

「――ごめんね。ご飯の続き、してくるよ。ゆっくりしていて」


 踵返してナギから離れる。その際にリビングにやってきたモンたちとすれ違った。

 モンナギは龍之介に向かって声を上げたが、気づいてやることができない。不安に陰る表情も知らないまま早足でキッチンに向かい、まず簡単なスープを作るために鍋に水を溜める。

(まずスープに入れる野菜をカットして、お湯が沸くのを待つ間におかずの準備をして、それから――)


 水道から流れた水がいっぱいになった鍋から溢れる。その様子を眺めながら、水を止めることができなかった。まるで溢れ出た龍之介の感情のように流れ出ては無駄なものとなって排水溝に飲み込まれていく。


(――ナギくんが、好きだ)


 言えなかった、伝えることすら許されなかった言葉を胸の内でぽつりと呟く。

 あの時、龍之介はナギに想いを告げようとした。しかしナギは聞くよりも先に蓋をした。溢れる想いのまま、龍之介自身ですらなにを口走ろうとしているのか気がつかなかったというのに、彼は察したのだ。
 もしかしたらナギは、龍之介が自分でも気がついていなかった彼へ向けていた想いの正体を、とうに見抜いていたのかもしれない。そしていつか龍之介が口を滑らす時がくることを悟り、決定的な言葉がこぼれないように気を張っていたのだろうか。そうであるならああもあっさりと他人の感情に気がつくことも、それを止めることもできはしないだろう。
 ナギと友人になりたいと思っていた。彼のまだ見ぬ表情をもっと見たくて、もっと笑いかけてほしくて。時折見せる憂いを払ってやりたくて、どうしようもなく甘やかしたくて、自分のもとでも安心して過ごして欲しくて。
 気がつけばナギのことばかり考えていた。彼の幸福を思うと同時に、自分のそばにいて欲しいと願っていた。その想いは強く、龍之介自身に違和感を覚えさせるほどだったのだ。
 本当に、ナギとは友達になりたいだけなのか、と。

(友達じゃ、足りなかったんだ)


 花にキスをするナギの唇を受け止めたいと思った。彼の指先が触れるのはこの身であって、彼の瞳の愛おしむ眼差しの先にいるのが自分であったらどんなに幸せことだろうか。龍之介から触れたら、どんな顔を見せてくれるのだろうかと想像した。

 それは決して友人に抱く感情ではない。もっと衝動的で、制御のきかない恐ろしいものだ。だからナギは取り返しのつかないことになる前に龍之介の口をふさいでしまったのだ。
 ようやく水底から掬い出された恋心は、けれども再び沈んでいく。深く深いところまで、沈めなければならないのだ。なぜならナギは、その感情を打ち明けられることを望んでいないのだから。だから心の奥深くに、もう出てこないように閉じこめなければならない。
 ……そう、わかっているのに。

(好きだよ。ナギくんが、好きだ)


 たとえ口に出さなくても、どんなに深くまで沈めようとしても、もうこの想いを制御することはできない。――いや、気づいてしまったからには、もうなかったことにはできないのだ。

 たとえ、ナギに拒絶されたとしても。それでも龍之介は自分の心を捨てることはできないし、したいとも思えない。ナギを愛おしいと思うその自分の気持ちごと、とても大切なものになってしまっているから、手の届かない深くに落ちて仕舞う前に再び自らの手で彼への想いを掬い上げる。

(君が、好きだよ――)


 それを言ってはいけない、聞けはしないときっぱり拒絶された恋慕。だが、はいそうですかと素直に言うことを聞けるようなものであれば、そもそも禁じられることもないはずだ。自分の心ながらにままならないからこそ、自分にしか聞こえない声で何度でも呟く。

 伝えることができないのなら、心の中で言えば少しは軽くなるかもしれないと思ったのに。重ねれば重ねるほど、絡みつく重石のように心が苦しくなっていった。



 モンつなを手渡したナギは、ずり下がりかけた鞄を肩にかけ直す。

「それでは、仕事が終わったら迎えにきます」

「夜になるんだよね。なんなら寮まで送っていくけど」
「いえ、結構です。ではよろしくお願いします」
「任せて。気をつけてね」

 小さく頭を下げて、ナギは龍之介の家を後にした。

 部屋の外の足音が完全に聞こえなくなるまで、閉じた玄関の扉をじっと見つめる。
 ナギに口を塞がれたあの日から二週間が経つが、二人の関係はなにも変わっていない。仕事の都合でモンを預け合い、タイミングが合えば龍之介が食事に誘うし、モンナギとナギの鑑賞会もなくなったわけではない。ナギと会話やラビチャのやりとりがなくなったわけでもなし、けれど他人の目がある時はつれないのも相変わらずのことであるし、自分の興味のある話に関しては瞳を輝かせて接してくれる。
 変わったことがあるとするなら、目が合う頻度が少しだけ減った。彼の笑みがほんの少し小さくなった。それでも、避けられているというほどではなく、龍之介の気のせいかもしれない程度の差だ。それでも確かに変化があるのに気がついたとき、それだけ自分がナギをよく見ていて、そしてそんな小さな違いに気がついてしまうほど彼が好きだったということを思い知らされるだけだった。

「ナナッ」


 ナギの足音が聞こえなくなっても立ちっぱなしの龍之介のジーンズの裾を、モンナギが引く。その後ろではモンつなが心配そうに龍之介を見上げているが、しばらく反応することができなかった。

 それからどれほどの時間が経ったか。いよいよモンナギが動かない体に飛びつこうとしたとき、龍之介はその場にしゃがみ込んだ。

「――ごめん。もう少しだけ待っててくれ」


 かろうじて搾り出した声は震えた。

 両手を顔で覆い、きつく唇を結ぶ。それでも今にも口から飛び出そうになる言葉は、溢れ出す思いはとめどなく、今にも流れ出してしまいそうだった。
 たとえ完全になかったものにされても、ナギへの想いは間違いなくここにある。顔を合わせるたび、彼を愛おしく想うたび、何度声に出しそうになったかはわからない。だが向けられた冷静なナギの眼差しに口を噤むされてしまう。
 龍之介の気持ちをナギは知っているうえで、聞かされることを望んでいない。それでも伝えるのはただの想いを吐き出したいという自己満足でしかなく、モンたちが繋いでくれただけの薄い絆はすぐに切れてしまう可能性もある。
 片想いだとしても、今の立場を失うのは少し恐ろしい。モンのことに限ってはナギは龍之介を頼ってくれるし、話を聞いてくれる。だが言ってしまえばそれだけだ。食事もときどきするし、定期的にメッセージを送り合うが、友人ではないので一緒に出歩くことはない。メンバーも内緒の関係でもあるし、一度ふっつり途切れてしまえばあっさりとナギは龍之介のもとを離れていくだろう。それは予感ではなく、確信に近いものだ。
 いつからこんなに臆病になってしまったのだろうか。嫌われたくないからと言葉をのみ込んで、けれども諦めきれずに名残惜しく閉じた扉を見つめて。
 ただ苦しい時間が薄く引き延ばされるだけで、曖昧にしていたら望む結末は決して訪れない。気持ちを整理することも、一歩を踏み出すことも、なにひとつできずにただその場に立ち尽くすしかできないのに。

「ナギくん……」


 たった二文字が伝えられない。あの青い瞳が一切こちらを見なくなるのが恐ろしい。

 伝えたい。伝えられない。相反する気持ちはいつまでも胸中に渦巻き、龍之介を苛む。いっそ楽になりたいと思わないわけではないが、ナギを困らせたいわけではない。だからといって今のままだと、あまりに胸が苦しい。

「ナナナ……」

「リュ……」

 いつまでも顔を上げたない龍之介を心配する声に心の中で謝る。それでも弱り果てた心を動かすことはできない。

 ――きっと、楽や天の前ですら見せないこの姿をモンたちに見せるのは、心の中でどこか彼らを侮っていたのだろう。言葉は通じているような気がするだけで、理解などしていないと。きっと龍之介の気持ちなどわかるはずもないと。だからこんないつまでも身動きを取れない姿を晒し、傷つく自分を見せてしまっている。普段ならこんな弱った姿を人前では出さないのだから。
 そんなはずはないということは、モンナギたちの顔を見ればすぐに気がつけたはずなのに。龍之介は言葉が通じない彼らに甘えていることも知ることはなく、ぎゅっと拳を握った。



 モンたちに昼食をとらせ、片づけを終えた後にソファでぼうっとしているうちに、気づけば眠ってしまっていたらしい。
 ナギとのことがあってか、最近眠りが浅く疲労が溜まっていた自覚はあった。しかし目覚めたのはすっかり陽も暮れた頃で、カーテンの外が暗闇に塗りつぶされていたことに驚く。
 いつもモンナギとモンつなを一緒にすると、一方的にモンナギが怒っていてかなり賑やかになるので、これまでもうっかりうたた寝していたことがあったが、大体その騒音で目が覚めていた。それでも起き出さなかったということは、余程熟睡していたか、それとも珍しくモンたちが静かであったのか、それとも両方なのか。
 ひとまず肩肘をついて上半身を起こすと、肩にかかっていた毛布が腹までずり落ちた。寝るときにはなかったものなので、モンたちがわざわざかけてくれたのだろう。
 毛布を摘まみあげ、同居人の仕業であると理解した龍之介は暖かい気持ちになってくすりと笑った。
 眠る直前まで気落ちしていたが、睡眠をとったことで少し頭がすっきりしたのと、他人の優しさに触れていくらか心が軽くなっている。こんなときだからこそ、誰かの存在というのは心強い。
 毛布を畳んでソファの背もたれにひっかけて、龍之介は立ち上がり体を伸ばす。軽く肩を回して十分に目を覚まし、モンナギたちの姿を探して歩き出した。

「モンナギくん、モンつなくん。晩御飯は何が食べたい?」


 目覚めたとき近くにいなかったが、家のどこかにはいるはずなので、姿が確認できなまま声をかけた。

 最近は食事作りにも身が入っていなかったので、毛布の礼も兼ねてしっかりと作ってやりたい。なにを用意するればより喜んでくれるかを考えて、ふと以前にナギも交えてテレビを見ていたときのコマーシャルを思い出した。

「そうだ、お子様ランチを作ろうと思うんだけれど、どうかな? って、今の時間帯だとお子様ディナーかな」


 ファミリーレストランのコマーシャルで、両親とともに来ていた子供が出されたお子様ランチに瞳を輝かせる姿を見たモンたちも食い入るように画面を見ていた。そのとき龍之介は、食べに行こうか、と彼らに気軽に笑いかけたのだが、隣に座っていたナギからはできるわけないでしょうと素気無く却下されたことも思い出す。

 モンナギたちの存在は周囲には内緒なので、人目のつく外食などできない。うっかり気を持たすような発言をしてしまい龍之介も反省したものだ。
 だが今になり、出来なければ龍之介が用意してやればいいのだと気がついた。きっとこれなら彼らも喜んでくれるだろうから、かかる手間を考えても惜しいとは思えない。

「モンナギくん、モンつなくん」


 ダイニングを見回しても、寝室を見ても、よく遊び場にしている部屋を見ても、どこにも小さな二匹の姿は見当たらない。モンナギだけなら寝ていて気がつかないということもたまにあったが、モンつなは目覚めがいいので龍之介の声に起き出してくるはずだった。

 家のなかはしんと静まり返り、無意識に龍之介の足は速くなる。
 キッチンを覗いても、バスルームを見ても、クローゼットの中も玄関にも、やはりどこにも彼らの姿はない。

「……モンナギくん、モンつなくん。どこにいる?」


 返ってくる言葉はなく、ようやく事態を把握した龍之介はさあっと顔を青くした。

 家の中をひっくり返すようにしてモンたちを探すが、やはり反応もなく気配も感じられなかった。玄関の扉も締まっているし、窓が閉じていることも確認して、外には出ていないはずだと判断するが、しばらくしてモンナギが初めてこの家にやってきたことを思い出した。モンナギはいつの間にかしっかりと戸締りされていた部屋の中にいたのだ。つまり痕跡を残さずに出て行くことも十分に可能である。

(どこだ……もしかして家から出てしまった? でも、どうして。あれだけ勝手に出ちゃだめだって言ってあったのに……)


 龍之介と一緒に暮らし始めて、モンナギは一度として自分だけで外に出たことはない。龍之介の用意した籠に入り、そこから出るのも周囲の状況を確認してからだ。出てからも龍之介から離れることもなく、一人で出歩きたがることも、外に出たがることもそうなかった。

 今日の昼食後も、いつもより大人しい様子ではあったが普段とそう変わったことはなかった。外を出たそうにする素振りもなかったはずだ。
 これまでに悪戯してくることもあったが、基本的にはからかうようなものばかりである。今の龍之介の様子をどこかで見ているとしたら、その焦りようにすぐに顔を出してくれるだろう。
 やはり外に出たのだろうか。ならばどこを探せばいい。
 部屋に立ち尽くした龍之介が、上着を取り外に飛び出しかけた時、テーブルに放り出していたスマートフォンが鳴った。
 無視して家を出たい気持ちはあったが、もしかしたら仕事の連絡の可能性もあるため、前に踏み出す足をかろうじて止めてテーブルに向かう。
 画面を見ると、ラビチャが届いていた。相手の名を見て、龍之介は咄嗟に電話をかける。
 メッセージを送ったばかりで、相手もまたスマートフォンを操作していたのだろう。ワンコールですぐに電話は繋がった。

『――Hi、十氏』


 少し不機嫌そうな、ナギの声だ。


『今から局を出るとお伝えしたのに、一体なんのご用――』

「っ、モンナギくんたちがいないんだ!」

 ナギの言葉が終わるのを待てず、遮って龍之介は叫んだ。


「さっき起きたらどこにもいなくて、家の中を探しても見当たらないんだ。もしかしたら外に出たのかもしれない。今の時間はまだ車の通りが多いし、彼らになにかあったら……っ」


 早口で事情を説明する龍之介に、ナギが電話越しに溜息を一つ寄越した。


『落ち着きなさい』


 たった一言。それだけで、不安に揺れる龍之介はまるで冷水をかけられたようにはっと我に返る。


『ワタシは一度寮に戻って、モンつなの興味をひくものを用意してみます。十氏はもう一度、冷静になってから家の中を見てください。――たとえいなかったとしても、モンたちがいつ戻ってきてもいいようにアナタはそこにいてください』

「でも」
『アナタの家までの道中、ワタシもモンを探してみます。いいですね』

 有無言わせない言葉の圧力に、龍之介は再び踏み出しかけた足をどうにか踏み留める。


「……わかった」


 ナギは返事を聞くなり、それでは、と短い一言だけ告げて通話は途切れる。

 スマートフォンを握り締めたまま、龍之介は二度、深呼吸をした。

(ナギくんの言う通りだ。まずは、落ち着かないと)


 実はどこかにイタズラでモンたちが隠れていたとしても、龍之介の慌てようにバツが悪くなって出て来られなくなっただけかもしれない。もしかしたらどこかで荷物が雪崩を起こして出てこれない環境であったり、返事ができない状態の可能性もないわけではない。

 もう一度、家のなかを捜し歩いてみた。ひとつの物音も聞き逃さないよう耳を澄ませて、努めて冷静にモンたちの名を呼ぶ。
 ゆっくりと一周した結果、やはりモンたちの姿はどこにもなかった。
 焦燥は募るばかりだが、感情を押し留めて玄関を睨む。探しに出て行きたい気持ちは膨らむ一方だが、今はなにより冷静であることが大事だと自分に言い聞かせる。
 一度状況の報告をしようとスマートフォンの画面を見たところで、タイミングよくナギから電話がかかってきた。

「もしもし、ナギくん。モンくんたち家にはいないみたいで……やっぱり俺、近所だけでも探しに行こうかと思うんだけど」

『モンたちを見つけました』

 出るなり言葉を重ねる龍之介を遮ったナギの台詞に、一瞬理解が出来ず言葉を詰まらせる。しかしすぐに意味を知った龍之介は思わず声を荒げた。


「ど、どこにいたの!? モンくんたちは無事!?」

『ワタシたちの寮です。とりあえず、怪我はないようなのでご安心ください』
「それなら良かった……でも、なんでナギくんたちの寮に?」

 見つかったことにひとまず安堵しながらも、彼らの居所に疑念を抱く。龍之介の家からIDOLiSH7のメンバーが住まう寮まではそう時間はかからないが、それは電車などを利用すればの話だ。龍之介の足でも徒歩で行けばそれなりの距離がある場所までどう行ったのだというのだろう。


『それは、今から彼らに尋ねてみます』

「……今から迎えに行くから、そのまま面倒みてもらっていていいかな?」

 ナギから了承を得て、すぐに向かうと告げてから龍之介は通話を切る。音が途切れると同時に、押し寄せた安堵に緊張から解放された身体が潰されそうになりながら、肺に溜まった空気ごと深く息を吐き出す。

 モンナギとモンつなはやはり家にはいなかったようだ。昼食はともにしたので、その後に寝てしまった龍之介に毛布をかけてから、彼らは家を出たのだ。
 だがどうして、龍之介になにも言わずに家を出て行ったのだろう。賢い彼らのことだ、保護者たちが心配するとわからなかったわけではないはずだ。それなのになぜ。
 深く考えそうになり、頭を振るう。今は悠長に足を止めている場合ではない。
 外へ出る時は変装するが、今日は眼鏡と帽子だけを装着して龍之介は家を後にした。



 車を降りた龍之介は、道すがら帽子を取る。人通りもなく、完全に日が落ちて真っ暗なので誰かに気がつかれることはないだろう。
 どこからか夕飯の匂いが運ばれてくる。本当なら今頃、モンたちにお子様ディナーを振る舞っていたはずだというのに、なぜこんなことになったのだろうかと気を抜けばすぐに考えてしまいそうだ。
 龍之介が一人で考えたところで疑問が解決することはない。はっきりさせるには当人に問う以外はなく、無意識に足は急いた。
 これまでにも何度か訪れたことのある玄関の前に立ち、インターフォンを鳴らす。すぐにナギの声が聞こえて、龍之介が名乗ると扉はすぐに開いた。

「はやかったですね」

「ああ……車で、来たから」

 思わず言葉が詰まりかけたのは、顔を出したナギの両肩にあれほど探し回った姿があったからだ。

 モンたちはナギの首筋に寄りそうにように立ちながら、龍之介と目を合わせようとはしない。

「ここでは目立ちますから、中へ」

「あ……うん……」

 促されるまま寮に入った龍之介が周りを窺ってることに気がついたのか、スリッパを出しながらナギはわざとらしく肩を竦めてみせた。


「モンつなたちが寮にいたときには驚きましたが、幸いメンバーは出払っているので助かりました」

「みんなお仕事?」
「YES。ヤマトとミツキは収録で、帰りは深夜です。リクとイオリは遠方でのロケで泊まりがけで、MEZZO”も地方での撮影があるとのことで、今日は帰ってきません」

 今回はたまたま、この時間帯に寮にいるのはナギだけらしい。普段は深夜収録ができない陸と一織、時々MEZZO”として泊りがけで出ることもあるものの同じく未成年の環の三人が夜間は寮で大人しくしていることが多いと聞いていたが、そんな彼らも泊りがけというのなら、ナギがこうも堂々とモンたちを両肩に乗せていることにも納得だ。

 ダイニングに向かうナギを追いかけながら、どうしても青と黄色の塊に目を向けてしまう。歩くナギから転げ落ちてしまわないようにしがみつく姿は教えられていた通りに怪我はなく、そっと胸をなでおろす。ナギの言葉を信用していなかったわけではないが、やはり実際に自分の目で確認すると彼らの無事を実感できた。
 ソファに腰を下ろした龍之介は、隣に腰を下ろして足を組んだナギに振り返る。

「モンくんたち、なんだかほかほかしていない?」

「汚れていましたので。おフロに入れました」

 昼間よりも毛艶が良くなったように見えるのは間違えてはなかったようだ。濡れた様子はないので、龍之介が来るまでにドライヤーまで済ませていたらしい。


「――本当に歩いて寮まできたの?」

「そのようですよ。モンつなにはもしもの時のために道を教えていましたし、モンナギにも一度説明だけはしておきました。とはいえ、実際に歩いたことはなかったので、ワタシもにわかに信じられませんでしたが、あの汚れ具合なら納得です」 

 人間の言葉を理解するほどの知能のあるモンのことだ。初めての道でも、ナギの説明を思い出して途中で道を誤ることもなく龍之介の家から寮まで辿り着くことができたのだろう。

 だが、小さな彼らの体では決して楽な道ではなかったはずだ。日中は人目も多く、ただでさえ人気の多い東京では身を隠して移動するだけで苦労したことだろう。さらには何時間も歩くような距離である。風呂上りで体こそ綺麗になっているが、どこか疲れた顔をしているようにも見えた。

「どうして、黙って家を出たりしたんだ?」


 いつまでも目を合わせようとしないモンたちに対し、龍之介は平坦な声で問うた。普段にこやかな姿勢を崩さない龍之介だからこそ、優しい色が一切滲まない表情は小さな者たちの無謀な行為を責めているのだということは充分に伝わる。


「ナ……ナナ……」

「モンナギくんたちは、黙って出て行って俺が心配しないと思った?」

 厳しい眼差しを受け、モンナギは小さくなる。モンつなも唇を引き結び、耳を垂らした。


「君たちにも事情があるから、家から出て行くというのなら引き留めることはできないよ。でも、何も言われないと不安になる。どこかで身動きが取れなくなっているじゃないかとか、もう二度と帰ってこないんじゃないかとか。もし助けが必要なことになっていても、どこ行ったかもわからなければどうしようもできないんだ」

「……ナ……」
「今回は無事だったから良かったけれど、外は危険が多いってことはモンナギくんたちも知っているだろ? 寮に来たかったのなら、俺に言ってくれば連れてきてあげたのに。どうして言わなかったんだ? なんでアイナナの寮に来たかったの?」

 聞きたいことは山ほどあったのに、いよいよモンナギは押し黙ってしまう。

 理由もなく、龍之介の家から出たわけでないことはわかっていた。だが龍之介に黙ってでも出たその理由が知りたいのに、モンたちは教えてくれようとしない。
 さらに言葉を重ねようとした龍之介を引き留めたのはナギだ。

「その辺でいいでしょう」


 玲瓏な青い瞳に見つめられ、龍之介は開きかけた口を思わず閉ざす。


「ワタシもたくさん注意しました。アナタのその様子も目の当たりにしたのですから、もう十分に反省しているでしょう。そうですね?」


 モンナギとモンつなはナギに導かれるように、今にも泣き出しそうに瞳を潤ましながらも浅く頷いた。


「それに、アナタにはモンたちを責める権利はありません」

「え?」

 思わぬ言葉に、龍之介は瞬いた。


「アナタのために、彼らはここに来たのですよ」

「俺のため……?」

 思わずモンたちを見れば、二対の瞳とようやく目が合った。しかしまだ龍之介の怒りを恐れているのか、様子を窺うように伏せ目がちだ。そんな彼らを庇うように、ナギは彼らの小さな頭をそれぞれ指先で撫でた。その指先の優しさは、心地よさげに細くなった目元が教えてくれる。


「このところアナタの元気がないことを心配した彼らは、どうすれば元気づけられるか考えたわけです。そこで、アナタがいつもデレデレとした様子で相手をするワタシと話すきっかけを作ることにした――というわけでいいんですね?」

「ナッ」
「リュッ」

 ナギの確認に、ここにきてようやく普段の調子を見せた彼らに、龍之介一人が面を食らう。


「デレデレって……」

「していなかったとでも?」
「い、いいえ……」

 これまでの身の振りを思えば、していないと否定することはできない。それにモンたち、とくにモンナギの前では、ナギと会う約束を取り付けるたびに大いに喜ぶ姿を見せていた。ナギが来るとなればいそいそと料理の下ごしらえをして、必要であればDVDを用意し、然程汚れていない部屋をピカピカに磨き上げる。その頃はまだ自分の恋心に気がついていなかったものの、しっかりと浮かれる様子をモンナギは毎回のように目にしていたはずだ。

 ナギと定期的に会えるようになり、モンたちを間にはさみながらも友人のように振る舞うことの出来た日々に幸福を抱いていた龍之介を知るモンナギたちは、龍之介が恋を自覚したあの日からすっかりしょぼくれてしまっていたことも知っている。モンたちにはっきりと何があったか教えたわけではないが、彼らの前でもぼうっとしてしまったり、考え込んだりしてすっかりふさぎ込む姿を晒していれば、龍之介が落ち込んでいるという事実だけは十分に伝わってしまったのだ。
 そしてモンナギたちは考えて、龍之介が元気を取り戻す方法を考えた。そして導き出した答えがナギだったのだろう。
 龍之介が喜ぶ方法は、なにもナギの存在ばかりではない。酒をのむでもいいし、思いきり体を動かすでもいい。仕事に全力で打ち込むこともいいし、ただ遊びに出るだけでもいい。その中でモンたちがナギを選んだのは、彼らの知る龍之介との世界は室内だけのもので外の姿をあまり知らないこともあるのだろう。
 龍之介の喜びの先にナギがいる、そう結論付けて、どうにかしてナギと会わせようとしたのだ。――と、龍之介とナギは推測したのだが、実のところ少し違う。表面上は取り繕っていた二人の気まずさを、モンナギとモンつなはしっかり見抜いていたのだ。ナギと龍之介の間に決定的な何かがあったことを悟ったモンナギたちは、どうすれば二人の仲が元に戻るか考えた。きっかけさえあれば、きっと二人が仲直りできる確信がモンたちにはあったからだ。そして彼らがなにかを協力して解決することで改めて仲が深まるよう仕向けるために、龍之介宅家出計画を実行したのだった。自分たちの姿がなければ必ず龍之介は探す。そしてきっと、ナギと連携するため連絡を取るはずだからだ。ただその事実を伝えるには言葉が足りず、最終的に龍之介を元気づけたかった、という結論に至ったナギに同意しただけなのを、二人が知ることはない。
 龍之介がそっと手を差し出すと、一瞬迷った様子をみせたものの、モンナギは掌に移動した。

「ごめんね、モンナギくん。モンつなくん。俺が落ち込んでいたから、助けようとしてくれていたんだね。ありがとう、その気持ちは嬉しいよ。でもやっぱり、黙っていなくなることだけはしないでほしい。本当に心配したんだ。今日みたいなことは、今回限りにしてね」

「ナ……」


 龍之介が笑いかければ、モンたちはようやく小さな笑顔を返して頷いてくれた。

 モンたちは自分たちが予想していたよりも龍之介もナギも心配したことを、十分に理解してくれただろう。きっともう二度と、勝手にいなくなることはないはずだ。その確信を抱ける笑顔を目にしながら、龍之介の胸には影が落ちる。
 突然龍之介のもとに現れたモンナギは、もしかしたらいなくなるのも突然のことになるのかもしれない。今回のようにふっと消えてしまうことはないとは思うが、明日にはもう会わなくなる可能性は十分にあるのだ。
 もとは仲間を探すモンナギを保護しているだけであって、仲間が見つかればきっとモンナギは彼らとともに行くのだろう。つまりそれは龍之介とモンナギの別れを意味する。はじめから仲間を探す目的であったモンナギを引き留めることはできないが、これまで一緒に過ごしてきた日々の分、別れはとてもつらいものになるであろうことは今回のことで随分と身に沁みた。モンナギがいる生活が当たり前になっているが、本来ならいつ別れることになってもおかしくはないのだ。
 だが、何もモンナギに限った話ではない。いつ何時、唐突に別れが訪れるかはわからない。きちんと挨拶ができることもあれば、なにもなく消えてしまうこともある。離れた後も会える者もいれば、二度と顔を合わせることがない者もいる。それは誰にでもあり得ることで、それはもっとも近しい場所にいる天や楽にさえ例外ではない。
 そしてナギも、突然いなくなるとも限らないのだ。IDOLiSH7のこともあるし、急にいなくなるとは思いたくない。だが、時折見せるナギの遠くを見る眼差しが龍之介の不安を掻きたてるのだ。
 別れはなにも本人の意思だけではない。外部からの圧力があったり、不慮の事故が起きたり、どうしようもない事態が起きることもあるのだ。漁のため海に出たきり帰って来なかった者を知っている。家族のため、愛する故郷を離れた自分がいる。龍之介だって突然、今すぐこの場から消えなければならない事態が起こるとも限らない。
 そんな大切なことを忘れていたなど、随分と平和に浸り過ぎていたのかもしれない。決して今の場所に来るまで楽だったとは思えないし、むしろ多くの波乱があっただろう。ここに来るまでに多くの別れだって経験した。だが失うことがあるという不安すら忘れてしまうほどに、それだけ今の自分は満たされ、幸せであったのだ。
 モンナギを撫でる手を止めた龍之介は、顔を上げる。目線の先では同じようにモンつなを撫でていたナギがいて、龍之介に気がつき視線を向けてきた。

「――ナギくん」


 はっとしたようにナギはすぐに反応しようとしたが、けれど以前と違って、両手はモンつなに塞がれている。

 揺れる青い瞳から逃れることなく、龍之介は告げた。

「君が好きだ」


 もしこの気持ちを伝えることができたのなら、きっと震えて情けない様を晒すことになるだろうと思っていた。だが思っていたよりもすんなりと言葉は出てきて、怯むことなくナギを見つめることができている。

 苦しくなるほど何度も胸の中で呟いていたから、それがいい練習になっていたのかもしれないと心の隅でそんなことを思う。

「ナギくんは言われるのを望んでいなかったから、好きだって伝えるのは本当にただの自己満足にしならないってわかってるんだ。ただ俺が気持ちを吐き出してすっきりするだけ。でも伝えずにはいられなかった」


 ナギは、なにも言わずに真意を探るようにじっと龍之介を見つめる。何故今になって、こんな話をしているのかと問いかけてきているように感じた。


「……今回モンナギくんたちがいなくなって、思い出したんだ。別れはいつだって起こり得るものであって、どうしようもないものなんだって。だからもし、今日帰ったらもうナギくんと会えないかもしれないとしたら――そう想像したら、伝えられないで後悔するよりも、しっかりとこの気持ちを伝えてたって思ったんだ。だから」


 きょろきょろと交互に見上げた二人の顔に目をやるモンナギを左手に乗せ、空いた右手でモンナギのいるナギの手をそっと下から支えた。

 ぴくりと反応したのを感じながら、龍之介はもう一度口にする。

「ナギくんが好きだ。また口を塞がれたって、本気で止められなければ何度だって伝えるよ」


 指先一本で押し留められるほど小さな想いなどではないのだ。それどころか、何十回、何百回叫んだところで決して色褪せることもなく、むしろ深まる感情ははっきりとした拒絶がない限りは止めることなどできはなしない。

 この口を本当に塞ぎたいのであれば、ただはっきり、応えることはできないと言ってくれればいい。それだけで龍之介は恋慕を伝える口を閉ざして、想いは自分の中だけに封じ込める。それならば、ただ一人きりで抱えてももう苦しく思うことはないだろう。

「ワタシ、は……」


 ナギは僅かに俯く。しかし龍之介の手を振り払わないままで、ぎゅっと手に力が入るのが重なる肌から伝わってくる。

 伏せられたナギの目線の先で、モンつなが両手を伸ばしてへにゃりと笑った。

「リュッ」

「ナーナナッ」

 モンつなに呼応するように、モンナギもいつもの得意げな笑みをナギに向かって見せる。

 それはまるで、言葉を押し留めようとしたナギの背を押しているようで。
 ナギ自身もそう思ったのだろうか、少し躊躇いながらも、小さく口を開いた。

「たとえ……どんなに情熱的に求められようとも、少なくとも今のワタシに、受け入れることはできません。ワタシの立場は不安定です。きっと、アナタも巻き込む」


 いつだって自信に溢れ、きっぱりとしているナギには珍しく歯切れ悪い言葉に龍之介は即座に答えた。


「ナギくんが今なにを抱えていて、俺にはわからないよ。でも、巻き込まれたって構わないんだ。今のナギくんが駄目だって言っても、これからのナギくんが変わらないっていうわけじゃないなら、俺はいつまでだって伝え続けるよ」

「……ワタシが好きだと?」
「そう。ナギくんが好きだって」

 大真面目に頷けば、ナギは堪えきれないように笑った。首を竦めるようにしてしばらく肩を震わせ、ひとしきり満足したのかほんのり潤んだ瞳で龍之介を見上げる。


「――待ちますか?」


 唐突な言葉に、理解が追いつかなかった龍之介は首を傾げる。ナギは気にした様子もなく、繰り返した。


「待ちますか? ワタシの準備ができるのを。そして、アナタにハートが傾くのを。いつになるのか、その日が訪れるかさえわかりませんが」

「ま、待つよ!」

 ナギの言葉の終わりに被り気味に龍之介は答えた。


「可能性があるのなら、振り向いてもらえるように頑張るから!」


 無意識に体を前に傾けながら、鼻息を荒くして訴える。その勢いにやや背を逸らせたナギは、何度が瞬いた後、ふはっと噴き出すように声を上げて笑い出した。

 次の言葉を待っている龍之介に、ナギは笑い過ぎか目尻に薄ら涙を浮かべて頷く。

「YES。ではまず、フレンドから始めましょう」

「え!? もう少し上にならない……? 仲間……モン仲間とか!」

 思いもよらない台詞に驚いた龍之介は思わず体を揺らす。その衝動に掌のモンナギは倒れそうになり、抗議の声を上げたので、慌てて宥めた。


「いいえ、ただのちょっとした知り合いからランクアップしただけの、ちょっとしたフレンドです。ああ、ですがモンナギとはずっと前からすでにフレンドでしたから、アナタとワタシはもうバディですね」

「ナッ」

 蜜の滴るような甘い眼差しとウィンクを送られたモンナギは、その通り! と胸を張る。その様子をモンつなは楽しそうに眺めて拍手していた。


「先は長そうだね……」

「諦めますか?」

 肩を落とす龍之介の顔を覗き込み、ナギは挑発的に目を細めて口元に弧を描く。魅惑的な表情に目を奪われながら、龍之介もまた微笑を浮かべた。


「いいや。可能性があるのなら俺は諦めないよ。ナギくんが好きだから」

「そうこなくては。せいぜい努力なさってください。楽しませていただきますので」

 これまでの甘い色香が溢れる雰囲気が一気に色を変え、まるで悪戯を考えている少年のような無邪気な笑顔を見せたナギに龍之介は思わず黙り込む。

 先程から見せられる御機嫌なナギの様々な表情。知り合いから友人へステップアップしただけでこれほどまでに破壊力ある愛らしい姿を見られるというのに、はたして恋人になれたときにはどんなナギが見られるというのだろう。
 うっかりあらぬ妄想をする龍之介は、それに気がついたナギの厳しい顔つきに気がつき慌てて緩んでいた頬を引き締める。しかし時すでに遅く、きっと飛んでくるであろう皮肉に耐えようとした龍之介の手の上から、モンナギが声を上げた。

「ナーナナ、ナナナ!」


 腹を擦り、おねだりするような眼差しを向けてくるモンナギは、どうやら腹が減ったらしい。ナギの手の上では、モンつながくううううと長く腹を鳴らして、恥ずかしそうに俯いた。


「今日はたくさん動きましたから、さぞお腹も減っているでしょうね。Hm……夕飯はなににしましょう」

「それなら、折角だから外食でもしようか? たまにはモンたちも一緒に」
「ですが、外は……」
「大丈夫。個室のところで食べればいいんだよ!」

 謎の生き物であるモンたちの安全を考慮し、人目のつく外を避けようとするナギに龍之介は自信を持って答える。実はついさっき思いついたばかりだが、自分でもいい考えだと思ったのだ。

 個室であれば、店員が顔を出すときだけモンナギとモンツナを隠せば後は自由に過ごすことが出来る。そうすれば、彼らも一緒に家では作ってやることができないものも味わえることができるし、なによりも龍之介がナギとのプライベートな時間もゆっくり過ごすことができるのだ。
 折角ナギと友達になれたのだし、これからさらにステップアップするためにも、龍之介自身のためにも、どうだろうと瞳を覗き込んだ龍之介に、ナギは頷いた。

「ナイスアイディアですね。それでは、行きましょうか」


 お互いモンたちを手に乗せたまま、ソファから立ち上がる。

 なにが食べたいか、どこの店にするか相談をしながら、二人と二匹は笑い声をあげながら部屋を後にした。


 おしまい

 2019.1.27

 

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