同じ香りに

 

「はい、ナギくん」
「サンクス、リュウノスケ」

 差し出された暖かな湯気のたつここなのマグカップを受け取ろうとしたとき、ふと龍之介の指に小さなささくれを見つけた。
 カップをテーブルに置き、代わりに龍之介の手を取る。ただそれだけの接触に動揺して顔を赤くする男を無視してナギは、武骨な、けれども安心感を覚える彼の手をまじまじと見た。

「手が荒れているようですね」
「え? ……ああ、うん。最近乾燥してるから。気を付けてはいるんだけどね」

 手を見るために伏せたナギの目元に見とれていた龍之介は、視線が合ったそれだけで嬉しそうに笑う。

「ナギくんの手はいつでもきれいだよね」
「もちろんですとも。もともと美しいワタシは指先まで完璧……しかも!」

 ぱっと体を離したナギは、ソファの傍らに置いていた自分の鞄の中から一本のハンドクリームを取り出し、戦利品のように掲げて見せた。

「これはリクがくれたまじ★こなハンドクリーム! これがあるワタシは完全無欠なのです!」

 胸を張り、声高らかに宣言をしたナギに龍之介は微笑ましそうに拍手する。
 ここなちゃんはやっぱりすごいね、という愛する存在を褒められて鼻を高くするナギは、腕を下ろして龍之介にまじ★こなのハンドクリームを差し出した。

「ここなの良さがわかっているアナタには、特別にこのハンドクリームをお貸ししましょう。これさえつければアナタ手荒れも癒してもらえますよ」
「え、いいよ」

 ナギの厚意は拒否されてしまった。まさかそんなにもあっさりと首を振られると思っていなかったナギは、思わず目を瞬かせる。
 断られることは考えていた。しかし「ええ!? ナギくんのハンドクリーム!? そそそ、そんなの使えないよ……っ」くらいのノリでくると思っていたのだ。だからそのときは四の五の言わせずナギが手ずからクリームを出してやろうとまで考えていたのに、これでは拍子抜けだ。
 ナギの様子に気づかない龍之介は、自分の鞄からチューブを一本とり出す。華やかなナギのものとは違って、モノクロでシンプルなデザインのそれは小さく英字でハンドクリームの記載があるのが見えた。

「……アナタも持っていたのですね」
「実は今日、天にも手が荒れてるって指摘されちゃって。ちゃんと手入れしてって、これ貰ったんだ」

 ハンドクリームは半分ほど減っている。一日で消費できる量ではないので、恐らく天が使用していたものを貰ったのだろう。

「そうですか」
「ナギくんも貸そうとしてくれてありがとう。でも、大事なここなちゃんのハンドクリームだからおれに分けてくれるにはもったいないよ」

 悪気のない一言には答えず、ナギは足を組んでカフェラテを一口含む。
 大事なここなのハンドクリームであることは正しい。それにナギがまじ★こなが好きだからと見かけた陸がわざわざ買ってきてくれたものだから、なおのこと無駄なくしかししっかりと本来の使用目的通りに使っている。ナギだって無駄に分け与えるつもりなどない。
 無駄ではないと思ったから、大事なものであっても龍之介に貸してやろうと思ったのに。ささくれが痛そうだったから、ちょうどナギがハンドクリームを持っていたから、だから――
 そもそも仮にも恋人の差し出したものを断った上で、他人からもらったものを使うなど。本人の性格からして龍之介だからの一言で済ませてしまえるにしても、いくらなんでも鈍感がすぎる。
 もしナギが猫だったなら、尻尾を低くゆらゆらと振っていたことだろう。しかし静かな不機嫌に気づくような男でもなく、にこにことしたまま天から貰ったハンドクリームの蓋を開けた。

「あ」

 ぽろりと漏れた声にナギが顔を向ければ、目が合った龍之介が小さく苦笑する。

「いっぱい出ちゃった。いつも出し過ぎちゃうんだ」

 言葉通り、一度の量にしてはたっぷりのクリームが手の甲にあった。
 とりあえずは塗り広めてみるものの、やはり余ってしまったクリームに手がぬるぬるとしている。あれではふき取るしかないだろう。
 目に見えて困っている龍之介をしばし観察したナギは、溜め息をひとつ落として再びカップをテーブルに置いた。

「もらってあげます。手を出して」
「ありがとう」

 先にナギが手を出すと、龍之介の掌が包むように覆った。龍之介の体温で柔らかくなったクリームが彼の手によってナギに揉み込まれていく。
 天が使っていたものだけあって品質も良いものらしく、肌の馴染が良い。香りも爽やかなハーブでさっぱりとしていて、身も心もリラックスできそうだ。
 ついでに手のマッサージを始めた龍之介に身を預けていると、ふと視線に気がついた。

「……なにを嬉しそうにしているのです?」
「ナギくんと同じ香りだなって思ったら、なんだか嬉しいなって思えて」

 目が合っただけで、同じ匂いを纏うだけで。単純な男だと思いつつも、自分も人のことは言えないのだろうと重ねた肌の心地よさに心の中で苦笑する。

「こちらもなかなかですが、ここなのものも良い香りですよ」
「へえ、どんな香りなの?」
「ピーチです」
「ここなちゃんにぴったりだね!」
「ええ。伸びもよく、保湿もしっかりしているのでワタシのお気に入りです。でも、もうすぐ、なくなってしまいそうなんです」
「それは残念だね……」
「ですから、今度は自分で買いに行こうと思いまして。まじ★こなのハンドクリームは他の香りもあるので楽しみです。アナタのものも、すぐになくなってしまいそうですから、一緒に行きますか?」
「いいの?」

 確認をとりつつも、背後で全力で振られる尻尾の幻想が見えるようだ。

「だめなら初めから誘いません。もっとも、行きたくないのならそれで――」
「い、行くよ! 行きます! 行かせていただきます!」

 前のめりになってまで食らいつく姿はあまりに必死だ。龍之介自身もそう感じたのか、はっとしたように体を離したが、まだ喜びにはちきれんばかりに振られる尾の幻想が消えることはなく。
 とうとうナギもふきだし笑い、つられた龍之介も面映ゆそうにしながらはにかんだ。


おしまい

 

ただいま、おかえり。いただきます! top