「暑いです! このままではワタシ溶けてしまいます」
それまでぐったりしていたナギが唐突に叫んだのは、六月も終わりの頃だった。
洗濯物を取り込み戻ってきた龍之介は、机に突っ伏してうなるナギに苦笑する。
「今日は暑いよね。でもまだ湿度が高くない分、いくらか過ごしやすいよ」
「ノー! 言わないでください! あのじっとりとしたまとわりつく熱……思い浮かべただけでゆでダコになってしまいます!」
ひとまず洗濯物を椅子の上において、なにか冷たいのみものでも用意してやろうとキッチンへ向かおうとした龍之介だが、こそこそ動くナギに気がつき大股で歩み寄り、その手にあったものを取り上げた。
「こら! 駄目だって言っただろ!」
「返してください!」
ナギから取り上げたリモコンを高く掲げるが、立ち上がったナギがそれを奪おうと龍之介の肩に手をかけぴょんぴょん跳ねるので、とられないように精一杯背を伸ばす。
人波から頭が飛びでる長身の龍之介であるが、ナギも背が高いので、油断すれば危うく、また寄りかかってきているのでバランスをとるのが難しい。
やがて動いたことで体に熱をためてしまったナギは離れていく。諦めてくれたのかと思ったら、別のリモコンを取り出したものだからまた争奪戦を繰り返す。
龍之介が洗濯物を取り込む前に空調をつけようとしていたので、家のなかのエアコンのリモコンはすべて隠していたはずだった。
龍之介が目を離している隙にいつの間にか探しだしたのだろう。すべてのリモコンを一ヶ所にまとめて隠しておくのはまずかったようだ。
しばらくすったもんだしたすえに、リモコンはすべて回収することに成功する。その頃にはナギはすっかり赤くなってしまっていた。
「……Cheap」
ケチ、とナギはぽそりとつぶやく。
「聞こえてるよ。なんと言われようと、ナギくんの快適に任せると温度を下げすぎるからだめだ。もしどうしてもって言うなら俺に調整させてくれるならいいよ」
「それではかける意味がありません。アナタの適温は灼熱でしょう」
「そこまで高くないよ」
「ワタシにとってはヘブンかヘルしかありません。今はヘルです!」
すっかり機嫌を損ねてしまったナギはぷいと顔を背けて再びテーブルに突っ伏してしまう。
「……日本の夏はクレイジーです。熱いし、べたべたします」
弱りきった声に、少し厳しくしすぎたかなと龍之介の良心は罪悪感につつかれる。
それでも今回甘やかすことはナギのためにならないと心を鬼にしようとしたとき、ちょん、と裾を引かれた。
振り返れば、龍之介をうるんだ瞳でみつめるナギと目があってしまう。
「ねえ、リュウノスケ?」
甘えた声に何か企んでいるとわかっているものの、濡れた青い瞳の上目遣いに心奪われずにはいられない。
「少し肌寒いくらいじゃないと、アナタの傍にいけませんよ……?」
白い指先が、リモコンを握る龍之介の手の甲をつう、と撫でた。
思わず飛びかかりそうになる衝動をぐっとこらえて、腹の底から声を絞り出す。
「…………っ、だめ、です……そんな顔してもリモコンは渡さないよ……」
理性と欲望の狭間で激しく葛藤し、かろうじて踏みとどまって首をふる。
途端におねだりする眼差しは恨めしそうな視線に変わり、龍之介は内心で助かったと安堵すした。
自分の顔のよさを知っていて、かつそれがどれだけ龍之介に効果があるかもわかってやっているので性質が悪い。
「まだ六月だろう。今からつけてたら、これからもっとつらくなるよ」
うっすら汗ばんでいるのはエロ……可哀想ではあるが、ナギに空調調整を任せてしまえば長袖を着なければならないほどにさせられてしまう。
これからを思えば今から冷房に慣れてしまうのはよくないと言い聞かせつつ、龍之介は冷蔵庫に向かった。
「せっかくアナタの家ならば自由に過ごせると思ったのに」
ぽそりとそんな言葉が聞こえてくる。オフが重なったから龍之介に会いに来てくれたのだと思ったら、そんな理由だったらしい。相変わらずつれない恋人に龍之介は苦笑した。
寮では陸の体調を考慮し、あまりエアコンをつけることがないと以前にナギは言っていた。
体を冷やしたり、外との寒暖差や乾燥が負担になるのを恐れてのことだという。そのことに関してナギに不満はないし、むしろ積極的に陸のため協力しているようだが、ナギ自身は暑さに弱いので思い遣りがあるだけではどうしようもないこともある。
去年も同じように温度設定でよく揉めたので、龍之介もあまり譲らないことを知っているはずだが、それでもここに来てくれるのは自惚れてもいいだろうか。
「ここまで意思が強いとは恐れ入ります。さすがあの喧嘩早いお二人をなだめられるだけありますね」
「あはは、ありがとう」
「誉めているわけではありませんよ」
テーブルに戻った龍之介は、つんと鼻先を反対方向に向けるナギに声をかけた。
「ナギくん」
返事はないので、そのまま傍に持っていたグラスをことりと置いた。
音に気がついたナギがようやく振り返り、龍之介が置いた麦茶を見つける。
「どうぞ。冷えてるよ」
「……サンクス」
ナギも暴れて喉が乾いていたのだろう、グラスを手に取り一口含んで、わずかに目を見開いた。
「これは……」
「あ、気づいた? 砂糖が入ってるんだ。うちは昔からこれで、俺も麦茶を作る時は入れてるんだ」
もう一口飲んだナギは、よく味わうためか目を閉じる。
「Hm……濃く麦茶を出しているのですね。面白い風味です。初めての味わいではありますがなかなかよいもよですね」
グラスを傾けるナギの表情は柔らかくなっていて、ようやく機嫌が戻ったようで龍之介は安堵する。
機嫌を損ねたまま、涼しくなれる場所にいきます、何て言われて出ていかれたら敵わない。折角今日は泊まれないにしても遅くまで居てくれると言っていたのだから、出きる限りは一緒にいたいのだ。
「そっちのほうではレモンを入れるんだって?」
「イエス。ミツキが作ってくれます。そちらもおすすめですよ」
「一手間でも、こんな夏の楽しみ方もいいよね。今度試してみるよ」
「ぜひ」
龍之介も自分の分の麦茶を飲んでいるうちに、ふと思い付いてナギに訪ねる。
「そうだナギくん。せっかくだからあれ観ない? ここなちゃんが南極に飛ばされて、ペンギンたちと協力して戦う回」
「イエス! ナイスチョイスですね。ここなパワーで涼しくなりましょう」
ぱっと立ち上がったナギは、すぐにテレビの前で膝を折る。
龍之介が集めたまじ★こなのDVDボックスから該当回の納められたディスクを取りだし、機器にセットする。
はしゃぐその様子を見守りながら、放置していた洗濯物を畳もうとしていた龍之介に、ソファに腰を下ろしたナギが振り返った。
「リュウノスケ、Hurry up! 始まりますよ!」
パンパンとナギは空いている自分の隣にくるように促す。
洗濯物とナギ、どっちをとるかは決まっている。
「ああ、今いくよ」
きらきら輝く瞳に吸い込まれるよう、龍之介は自分を待つナギのもとへ歩み寄った。
いつの間にかソファで寝てしまっていたらしい。
ナギは寝起きでまだすっきりしない頭を持ち上げた。下敷きにしていた龍之介はナギが動いてもまだ起きる気配はなく、腰に緩く片腕が絡まったままだ。
肩から落ちかけたここなのブランケットを引き寄せながら、それが眠る前に近くになかったものであることを思い出す。龍之介に乗った記憶もないので、彼が整えた体勢なのかもしれない。
ナギは決して軽くはないのに、上に乗せたままで息苦しくはなかったのだろうか。
ぼんやりしたまま外を見る。
日は傾き、空いた窓からゆるやかに入る風は昼間の熱をすっかりなくし、やや肌寒く思えるものになっていた。橙色に染まりつつある雲はやけに色が濃く、端のほうでは厚く空に広がっている。外気も冷えているので、もしかしたら雨が降るのかもしれない。
寒さに強いナギにとってすれば、暑いよりも断然過ごしやすいが、反対にすこぶる寒さに弱い龍之介にとってはいささか冷え込みが強く思える。
その証拠に、ナギが胸をわずかに浮かせたことでできた双方の間の隙間が寒いのか、寝ながら顔をしかめている。
起き出そうと思っていたナギだが、その顔をしばらく眺めて、再び龍之介に沈みこむ。
じわりと滲むナギの体温を感じた龍之介の表情が和らいだ。
規則正しく上下する胸に耳を当て、寝息と鼓動を直に感じる。
ナギの呼吸も、鼓動も、ひとつになるように彼に合わさっていく。
心地よい一時に、昼間の苛立ちが報われていくような気がした。
「――ワタシが、アナタに触れたかったのですよ」
ぽそりと呟いたナギの言葉は、誰の耳に受け止められるでもなく、砂糖が溶けていくように静寂のなかに消えていった。
おしまい
2018.6.27
(本当はリモコン取り合いのとき、ナギくんと顔が近くになってついキスしちゃう十さん書きたかった。そしてめっちゃ怒られる)
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