糸電話

106ワンライ
お題「電話」


 

「ハロー、ナギくん。俺の声聞こえる?」

 ぴんと張った糸に声の振動が伝わり、龍之介の家の広い部屋の端と端にいるのに、紙コップに囁いた龍之介の声はよくナギの耳に届いた。
 今度はナギが紙コップに口を添える。

「ハロー、龍之介。聞こえていますよ。糸電話というものはすごいですね。存在は知っていましたが、こうして使うのは初めてです」
「百メートルくらい離れていても聞こえるんだ。昔、弟たちと試して遊んだよ」
「Really!? 百メートルも離れていても聞こえるんですか!」
「っ、そこで叫ばないでくれ……」

 糸電話を通してなくても聞こえるほどの声量を紙コップのなかに吹き込まれ、龍之介は二重にして届いた声と振動に顔をしかめた。

「OH、ソーリー。ナイショ話でしたね」
「結構響くからね」

 うっかりしていたと肩を竦めて小声になったナギに龍之介は苦笑する。

「そうだ。今度、実験してみようか。百メートルよりもっと長くして、色んな糸を試したり、紙コップ以外でやるのも楽しいかもね」
「イエス! ぜひみなさんにも声をかけましょう。実験は大勢のアイディアと分かちあう失敗の悲しみ、成功の喜びが多いほど、より実りあるものになりますからね」
「Re:valeの二人にも声をかけてみよう。百さん、こういうの好きだしね。夜だったら人数が揃っていてもあんまり目立たないかな」
「ワタシ思い付いてしまいました。伝言ゲームはいかがです?」
「伝言か、いいね。次の人に言うときに、ちょっとずつ距離を伸ばしていくのもいいかもしれないな」

 楽しそうだと笑う龍之介の声も糸から伝わり、ナギのもとまで消えずに届いてくる。
 穏やかな笑みを耳元でしばし感じて、今度はナギが龍之介に微笑み混じりに伝えた。

「なんだか不思議ですね。アナタは傍にいないのに、まるで傍で耳元に囁かれているような気がします」

 どうして声が伝わるか、その単純な原理は理解していてもが、こうして体験するとまるで世界の理のごく一部を垣間見たような、言葉だけでは説明しきれないものに触れたような気になる。自分の身をもって見聞きし経験することで、すぐそこにある現象に感心したり、疑問が浮かんだり、心が踊るのだ。

「……ナギくん」
「なんです?」
「好きだよ」

 脈略のないような愛の言葉に、頭が理解するより早く、耳がじわっと熱を帯びる。
 不意打ちをする龍之介を責めるべくじろりと目を向けるが、、コップに耳を当てたままで、ナギからの返事を待っていた。

「……なにをいまさら。アナタは毎日のようにそう騒いでいるではないですか」
「騒いでる……つもりはないんだけどね。ああ、かわいいな、きれいだな、好きだなあって思ったら、言うようにしてるんだ」

 これまで龍之介にその言葉を送られた場面を、思い返すほどに、ナギは表情を険しくした。

「……タイミングが不可解であるときが多かったのですが? それに今もどこがアナタの琴線に触れたのかわかりかねます」

 これまでだったら、ナギがアニメ視聴に間に合いそうになくてびしょびしょのまま風呂から飛び出した際、見かねた龍之介が濡れた髪を拭いてくれていたときや、いわゆるぶさかわに部類される大福猫を見つけて撮影会をしているとき、メンバーと過ごした楽しい日々を語っているとき。そして糸電話をしていただけの今。ナギをかわいいと、きれいと思い、再度想いを確認するタイミングとして当てはまったときがどこにあったと言うのだろう?
 それにかわいいは認めかねるが、ナギの美貌はおはようからおやすみまで曇ることはないのだから、龍之介の主張ではそれこそ一時も欠かすことができないほど愛の言葉を口にしないこともおかしいのではとも思う。

「糸電話を一緒に作っていたときもそうだし、今もナギくんがすごく楽しそうにしてるからな」
「…………? 答えになっていないのでは?」
「糸電話って、子供が相手じゃない限り大人はそうそう作らないものだから。さすがにナギくんも興味ないかなって思ったけど、こんなに喜んでもらえてよかったなって。そうやって素直にはしゃくごとのできる、なんだって全力で楽しめるナギくんが好きだなって思ったんだ」
「Hm……」

 ナギが紙コップを口許に持っていったのを見て、龍之介はその反対に言葉を聞くため耳に当てる。

「そういうものは直にワタシに吹き込んでくださるべきでは?」
「……」
「ワタシなら、アナタに直接伝えたいです」
「……そっちに行ってもいいかな」
「ご自由に」

 紙コップを床に置いた龍之介は、自分を見つめる故郷の海を思わせるような青い瞳に吸い寄せられるよう、ナギの傍まで歩み寄った。

 おしまい

 2018.6.30

 

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