……まあ、その反対で岳里は顔にも声にも出さなかったけれど、少ししょげているようだ。おれがいなくても部屋には岳里がいるというのに、それなのにりゅうはおれを探しだす。けれど岳里が近くにいなくなっても別に探そうとする素振りは見せなかった。ただ少し寂しそうに一度鳴くだけで、それだけ。
 岳里なりに、どうしても表情は乏しいままけれどしっかりと我が子であるりゅうを可愛がっている。普段傍にいれない分夜はりゅうにべったりだし、なんでもかんでもひたすら甘やかそうとして、おれが目を離した好きにひたすらお菓子を与えていたということもあったくらいだ。だからこそ、岳里が傍らにいるにも関わらずおれの姿ばかり求めるりゅうに寂しい思いをさせられているらしい。
 でも、りゅうにしてみれば岳里もおれも同じく大切な親だと思ってくれているみたいだ。その証拠に、夜になって岳里と一緒にいられる時間になれば、ずっと岳里の傍にいて甘えてる。くるると喉を鳴らすように鳴いては大きな身体をよじ登ったり、手にじゃれついたりして。おれが近くにいるとわかっていれば、あとはもうなかなか一緒にはいられない時間を取り戻すようにひたすらに岳里の傍にいた。
 だから岳里も、時にはしょげることはあって寂しく思っても、りゅうに親として甘えられているのはわかっているから心配はしてないようだ。
 そんな風に、とにかく夜は家族団らんの時間になっている。そして今まさに遊び疲れたりゅうは、しっかりと尾を岳里の腕に絡ませながらもうとうととし始めていた。

「眠ければ寝ろ」
「ぴぃ、う……」

 声をかけられたりゅうはこの前ようやく開いた、岳里と同じ竜人特有の金色の瞳で船を漕いでいて。それなのにまだ起きていたいと、伏せていた頭を一度は持ち上げるけれど、すぐにそれはベッドに落ちてしまう。
 重たそうに瞼を持ち上げようと頑張っている間にも、岳里が背中を優しく叩けば、りゅうは伸びた体勢のまますうっと眠りについていった。
 目が完全に閉じられてからしばらく、穏やかな寝息を確認してから、おれはそっと声を出す。

「寝たか?」
「ああ」

 岳里は横たわる小さな身体を片手で抱え上げ、おれたちがそれぞれ使うために並べてある枕の間にそっと下してやった。そこは小さなりゅう専用の空間にしてあって、それ用に柔らかな毛布も敷いてある。
 りゅうが生まれてからおれたちは一緒のベッドで眠るようになっていた。少し狭いけれど、身を寄せ合えばいいだけの話だし何より温かい。それに二人でりゅうを見守れるからちょうどいい、っていうのもあるからだ。
 目覚めさせることなく無事りゅうを寝かせた岳里は、胡坐を掻いておれに身体を向けた。けれどその視線はまだ小さな姿を捕えていて、おれも同じように健やかな寝顔を見つめる。
 小さい、といってもりゅうは日々成長を続けている。生まれたばかりの時は片手に収まるほどだった身体が、今では両手を並べてもはみ出そうになっていた。

「まだ三週間しか経ってないのに、随分大きくなったな」
「成体の竜を考えればそう早いものでもないだろう」

 そう言われて思い出すのは、竜の姿になった岳里だ。確かに片手程しかない小さな身体が、おれが見上げるほど大きく成長してしまうんだ、それを考えると別にそこまで早くないのかもしれない。
 岳里が言うには、りゅうが今竜の姿であるから成長を早く感じてしまうだけであって、人の姿をとることができるようになればそこまで大きくはなってないとわかるだろう、とのことだった。
 竜の姿をしているから今でこそそこそこ動き回れているけれど、人の姿であれば当然首もまだ座ってないし、視力だってはっきりしていないような時期だ。はいはいができるようになるまでなんてまだ遠い話で。
 人間の姿と竜の姿では成長速度がまったく違うようで、そのこともおれには不安のひとつだった。

「そういうのって、もどかしく思ったりしないのか?」

 動けていたのに動けなくなる、というのは自由から不自由になるわけだ。竜の姿では動けても、人の姿ではまだ動けないりゅうはそれに苦しんだりしないだろうか。

「いや、幼いうちは基本的に皆竜体で過ごす。それが成長するにつれ少しずつ人の姿でいる時間が伸びていくから、差ほど苦労はないはずだ」
「そっか」

 岳里の答えに安心し、改めて目を閉じ深く眠るりゅうを眺めた。
 おれたちに見つめられながら穏やかに眠る姿もまた、日毎に成長している。だからこそ、今しか見れない今を焼きつけていく。
 お互い口を閉ざして二人の間にいる存在を見守っていると、不意に岳里が沈黙を破った。

「恐らく、もう間もなく空を飛ぶようになるだろう」
「――ん、わかった」

 その言葉が意味するものを理解しているおれは、ただ頷くしかできない。
 りゅうが空を飛べるようになったら、もういつ人化できてもおかしくない。そして人の姿をとれるようになったら、おれは今みたく気を許したままりゅうに触れることはできなくなってしまうんだ。
 思わず手が伸びて、静かに眠るりゅうの頭を撫でた。くうくうと穏やかな寝息をたてたまま、起きることなく眠り続ける。その姿を見つめながら、おれはもうひとつの心配事を口にした。

「ディザイアの方はどうだ?」
「明日にも居場所を突き止められるだろう、とのことだ」
「明日、か……」

 ディザイアがエイリアスの居場所を探し出してから、りゅうが育ったのと同じく三週間くらいが過ぎていたけれど、神の力をもってしてもなかなかやつを見つけることができなかった。というのもエイリアスがどうやら目くらましの魔術をかけているみたいだったからだ。それが昨日ついに進展があり、もうすぐわかるだろう、とディザイアは言っていた。
 もしも明日わからなかったとして、少なからず近いうちにはエイリアスの居場所がわかる。それはつまり、兄ちゃんがそこにいるということ。
 いよいよ目前に迫ったその時に、おれの胸は不安で溢れていた。
 兄ちゃんは本当に無事なのか。十五さんも傍にいるんだろうか。ちゃんと二人をエイリアスの手から救い出せるのか。一体そのために何をすればいいのか。手ごわい相手に、誰も怪我せず何もかもが終わるのか。――本当に、決着がつくのか。
 やつの居場所がわかれば、誰かがそこに乗り込み直接対峙する予定になっている。みんなは兄ちゃんを助けいたいというおれの願いを聞き入れてくれて、最優先事項として兄ちゃんと十五さんの救出がある。けれど兄ちゃんはエイリアスに身体を乗っ取られていて、まだそれを引き離す術は見つかってない。
 ディザイアによれば、エイリアスが憑依している人間が死ぬか、もしくはエイリアス自らが離れるしか方法はないらしい。けれど他に打開策はないかと、今アロゥさんとその弟子のフロゥとで様々な資料を読み漁ってくれている最中だ。でも未だ、めぼしい答えは見つかってない。
 王さまたちからは、最善は尽くす、という言葉をもらっている。けれどそれは裏を返せば、もしもの時は諦めてくれという意味もあった。兄ちゃんを取り戻せないと判断した場合、優先事項が変わると。
 ――しかたないこと、なんだ。エイリアスが望むのはこの世界の人たちの命で、今まで使ってきた身体をそうやすやすと手放すことはないだろう。
 ディザイアによればエイリアスは実体を持たない存在だから、だから人に憑りつき操るんだと言っていた。神の影であったやつは本体が影であり、傷つけることはできない。だから、兄ちゃんから引きはがす方法と一緒に、エイリアスをこの世から消滅させる手段も調べられていた。
 本来力を持っていなかったエイリアスは自然と消えるはずだった存在。だからまた力をないも同然まで奪って自然消滅を待つ、というのがひとつの方法にあった。けれど人間に憑依できる以上、人間は誰かしら魔力治癒力といった力を少なからず持っているから、それを用いて存命することは可能だろう、と。さらにエイリアスは他人からその特殊な力を奪う術まで持っているから、力を回復することは容易で、自然消滅はまずないと思えとディザイアから言われていた。
 あともうひとつの手段として、やっぱりまずエイリアスの力を極限まで減らし、それから一旦封印を施す、というものがある。けれどそれは一度ディザイアがやって、それが綻んでしまったから再びエイリアスが蘇ってしまった。そのこともあって、封印は絶対のものなんかじゃなくその場しのぎの一時的なものでしかないから、根本的解決には至らない。
 恐らく、次にまたエイリアスと対峙した時、決着がつくんだろう。もうあいつの存在がわかってから随分と時間が経っているし、人から奪って蓄えた力も強大になっているだろうとアロゥさんは言っていた。それにエイリアスならばディザイアが目覚めたことを感知しててもおかしくないとも。
 そんなやつが望むのは人間たちの命で、それをどう奪おうというのかは未だわかっていない。今の状況が追い詰められているのかさえ、まだ猶予はあるのかさえおれたちはわからなくて、いつエイリアスから行動されるかもわからない。なにも不明なまま事情を知るみんなは不安に今を過ごしている。
 先が見えないから、一時の気の緩みさえ許されない。もしかしらたその一瞬を狙われるかもしれない。精神を削られながらもおれたちは相手の動向をひたすらに窺うしかできなかった。
 それが、ようやくおれたちから一歩踏み出せるところまできたんだ。ディザイアが目を覚ましたから、状況が変わったから、防戦一方がついに攻撃に転じることができるようになった。
 でもそれでも、やっぱりわからないことが多すぎる。このまま本当にあいつに挑んで、いいんだろうか。それで兄ちゃんが救えるんだろうか。
 消えることなく胸に渦巻き続ける不安に、耐え切れなくなって岳里に肩を預けた。おれの心中を知ってなのか、岳里はただ受け入れてくれて。
 りゅうに触れながらそっと目を閉じる。身体を預ける岳里は揺らぎなく、しっかりとおれを支えてくれた。それがどうしようもなく頼もしくて思えて、不安は消えるわけじゃないけれどひっそりと荒波を立てなくなっていく。
 気づけばおれは、岳里に寄りかかりながら寝息をたてていた。

 

 

 

 真司が眠りについたのを見届け、腰かけていたベッドから立ち上がり扉へと向かう。
 辿り着き間を置くことなく取っ手に手をかけ開ければ、外にいたユユが面を食らった表情でおれの顔を見る。まさか扉が先に開けられるとは思っていたかったのだろう。
 しかしすぐに我を取り戻し、顔つきを変えて用件を述べた。

「が、岳里隊長。王の準備が整いましたのでお呼びにあがりました。神もご一緒です」
「今向かう。執務室でいいか」
「はい、そちらでお待ちです。あの、それで真司さんの方は」

 おれの肩ごしに中を窺うように目を向けたユユに、一歩前に踏み出し後ろ手で扉を閉めた。
 音を立てないように気遣かえば、中の光ごと静寂を閉じ込められる。

「あいつは眠った。話し合ったことはあとでおれの方から話すから問題はない」
「わかりました。では向かいましょう。部屋の外までお供します」

 歩き出したおれにユユが二歩下がり後に続く。別に供などいらないが、こいつはどうせ話し合いを終えたディザイアを待つために、結局のところは執務室の傍らで控えてなければならないのだろう。
 そういう星の下で生まれたのか。真司が不運で哀れと嘆き同情を寄せる相手は、随分と厄介なやつに気に入られたものだ。
 しかしおれには関係ない。ディザイアが誰を望もうとも、ユユという男が哀れであろうと、おれの胸にいるのはただ一人。――いや、もう二人になったのか。
 今部屋の中で健やかに眠るあいつらの寝顔を思い出しながら、禍の者エイリアスの居場所を特定したのであろうディザイアのもとへ、苦い思いを抱きながら向かった。

 

 

 王、アロゥ、ネル、そしてディザイア。禍の者の居場所が知れたらまずこの面子だけ話があると、おれが集めた顔ぶれを確認する。
 そして四人の顔を認め、おれはずっと胸に抱いていた己の考えに口を開く。

「エイリアスとは一度で決着をつけることはしない」

 少なくとも王とネルは最初で最後と思ってきたようで、瞠目した二人を一瞥する。しかし何故、と聞き返されることなく、その二対の瞳は説明に続くおれの言葉を待った。
 だからこそおれも、告げた言葉の意味を求められるがままに口にする。
 第一に、一度禍の者と一戦を交え、ある程度の情報を掌握する必要があると考えた。初めから相手の戦力を一切知らずに討ち果たそうなど無謀な話。相手を知ってこそ勝利は見えてくるというものだ。
 人から奪ってきたという力はどれほど溜まっているか。その力で何を成そうとしているか、古の魔術まで用いることが可能なその腕は果たしていかほどのものなのか。やつは乗っ取った人間の肉体を強化することができるか。少しでも多く情報を集めなければならない。
 一度目の襲撃の際にやつの情報を集め、そして真司の兄である悟史(さとし)と十五(とうご)を救い出す。それを無事完了するとともに速やかに撤退し、手にした成果を城へ持ち帰る。そして次にある二度目の襲撃の時、その時エイリアスとは決着をつけるつもりだ。
 それが、おれが今回目論む一連の流れだった。
 恐らく禍の者が悟史を使っていたのには理由があるだろう。それが異世界の人間であるからなのか、それとも闇の者からか、はたまた悟史が持っているのであろう“力”か――それは、わからない。だが多くいる人間の中で、恐らくあえて真司の兄を選んだのだ。
 真司を攫った時、禍の者はあいつの兄を騙り前に現れた。あいつが絶対的な信頼を置く兄を使えば事はすんなりと運ぶだろうし、実際兄と疑わず真司はついていった。まずはそのために悟史の身体を用いる必要があったと考えられる。
 真司には、他を圧倒する絶大な力が秘められている。それを自身の意思で引き出すことはできず扱えるのはほんの末端だが、禍の者はそれを知りあいつを捕えようとしたのは間違いない。何より、力を集めていたのだから見逃す手立てはなかったのだろう。
 ともあれ、あいつは結果おれのもとへ戻ってきた。兄が別人に奪われたと知った今、悟史を騙る必要は禍の者にありはしない。もし不要であれば、真司の心に大きく揺さぶりをかけるためにも見せしめに惨殺し、晒すこともできただろう。だが、それはなされなかった。
 ――もしくは、十五を利用するためにあの身体に留まっているのか。
 確信はないが、竜人が一人の人間の傍に居続けるのはつまり、盟約を交わしたことを示しているに等しい。
 竜人の力は絶大であり、一人でも手元にいれば余程強い手札となるだろう。十五は己の盟約者であろう悟史を人質として取られている以上、禍の者に従わざるをえない。竜人にとって盟約者は、己が命よりも貴き者であるからだ。
 禍の者と対峙する以上、十五もやつの命に従いおれの前に立ちふさがるだろう。たとえ血縁者であるおれ相手としても手を抜くことはしないはずだ。盟約者の命がかかっているのであれば、おれだってそうする。
 何にせよ、悟史の身体を使うことで何らかの利点が禍の者に生じているとみていいだろう。だからこそそれを取り戻すことで、やつが不利に立つことは十分あり得る。もしも意味はなかったとしても、悟史をやつから奪い返すだけでも大きな成果だ。悟史さえ戻ってくれば十五も自らこちらへ来るだろうし、成果が出た以上皆の士気も上がると思われる。
 そう、すべての考えを包み隠さず話し終えれば、常に笑みを絶やさぬディザイアが口の端を持ち上げたままに淡々と事実を述べた。

「どうやらエイリアスは我らの襲撃を警戒し、結界を張っていたようだ。それもさほど広くない範囲に限定し、制限まで用いられた強力なものだ。己を含めた一切の魔術、治癒術の発動を許さないという条件がかけられている」

 その結界こそが、禍の者の居場所を特定するのを遅らせた原因でもある、とディザイアは言った。
 つまりは力を封ずる結界の中にいる、禍の者。強力なそれは神の力さえも域に踏み込めば無効にしてしまうそうだ。故に探知するために気配を世界全土に巡らせていた神の目を欺き、ここまで発見を遅らせた。

「まったく、困らせてくれる。その結界のおかげで居場所を特定していても転移魔術も使えない。精々近場に行けるくらいで、最後は竜の姿を借りるより他ないだろう」

 笑顔ながらも息をついたディザイアに、アロゥが言葉を重ねる。

「わしのような魔術師は足手まといにしかならぬようだな。治癒術師の助力さえも受けられまい。そして、そう多くの者を連れていくこともできないだろう」
「城の守りもあるからな。最近の魔物は特に凶暴化していて、そう多くの猛者を連れて行かれては本末転倒になりかねない」

 かつて神に匹敵するほどの力を持っていた禍の者に、すぐなくとも一人の竜人に立ち向かうとして、戦力は多いにこしたことはない。
 しかし王の告げた通り、日々魔物が城の周囲に数を、力を増しうごめいている。国周辺の守護に当たる獣人を主軸とした、戦闘に特化した面子を集めた八、九、十の三部隊でさえ多くのけが人を抱えている有様だ。そこに一、二、十三番隊が加勢し守りを固めているが兵どもの疲弊が激しく、見えぬ終わりに士気も下がりつつある。
 治癒部隊である七番隊の治癒術を施せば傷はある程度癒えるが、今はその七番隊でさえ多忙を極めており、力の使い過ぎて倒れる隊員が続出しているという。そう、手伝いに行く真司も最近は疲れを色濃く残しながら、夜顔を合わせた時に話していた。
 危機迫る最中、たとえ将を射ようと動くとしても裂ける人員は限られてしまっている。やつに立ち向かっている間に拠点である城が落ちては話にならない。

「力が使えねえのは相手さんも一緒みてえだけどよう、抜け目を用意してるとも限らねえ」

 畜生、と忌々しげに吐き捨てたネルを王がたしなめるが、へそを曲げたように唇を噛みしめていた。
 アロゥも思案の最中のようで、深く目を閉じ解決策を考えあぐねいているようだ。
 そしてディザイアは、閉じた瞳でおれを見ていた。瞼の下にある、すべてを見通す神の目。それに言いしれぬ圧力を覚えた。
 きっと、やつは知っているのだろう。おれが胸に抱く、この事態を破る苦し紛れの打開策の存在を。
 本当ならば、他により良い案が浮かぶことを願っていた。しかし状況は思いの外悪く、智将であるネルとアロゥの二人が揃ったとしても何も言葉は出てこない。
 待ってはみたが、これ以上悠長にしている時間さえおれたちにはなかった。

「――おれにひとつ、考えがある。できる限り避けたいが、他に策がないのであれば」
「なんだ、言ってみろ」

 自分でも珍しいと思うほどに歯切れ悪く紡がれた言葉に、王が身を乗り出し続きを急く。
 それに一度、やはりと躊躇うも、切実な思いを抱き向けられたそれぞれの目に、隠された瞳でこちらを見据える神に。
 おれは、重たい口を開きその策を告げた。
 重ねられていく言葉とともに、暗くなっていく各々の顔。おれの顔色さえ沈む中、唯一ディザイアだけは常と違わぬ笑みを小さく残したままだった。
 己でも苦肉の策と称したすべてを話し終え、ようやく口を閉ざすことを許される。
 この策は、できることなら使いたくない。まさしく最後の手段としておきたいものだった。その上成功の確率は低く、それに失敗すれば想定していた最悪の事態を上回る苦しみに襲われるだろう。
 だが、これ以上に有力な策はあがらない。

「もし、それを決行するとして。真司には、どう……」
「おれから話す。すべてはおれの提案であるし、無断ではできない。それに今回のものはあいつの力なしには成し得ない」

 自分でおかしく思えるほど、平常を装う己の声に。けれど今はこの場にいる者は、皆同じく振る舞う。

「それに、かけるしかねえってことかあよ」

 再び吐き捨てられたネルの言葉に、ただディザイアだけが変わらず笑みを浮かべ、おれたちを見守っていた。

 

 

 

 目が覚めて朝食を食べ終えた後に、岳里からエイリアスの居場所をつきとめたことを知らされた。
 どうやらおれが眠っているうちにいつの間にか王さまとの話しあいがあったようで、その末に決まったという二度の進攻について説明される。
 そして第一の襲撃は明後日に決まったことや、その時に兄ちゃんと十五さんを救い出すこと。その、“救出方法”についても聞かされる。そうして岳里が語ったのは、あんまりにも気楽に頷けるものでなくて。
 他に方法はないのか。すべてを聞き終えたおれは半ば縋るように岳里に尋ねてしまった。でも他になかったから、できれば最終手段として、決してつかいたくはなかっただろう策を、これしかなかったものを伝えてきたんだ。
 はじめからひとつしかない答え。それを岳里は首を振るだけで示した。そしてその上でおれに、返す。
 兄ちゃんたちを助けるのを許してくれるか、と。手を貸してくれるかと。
りゅうがこの世に誕生するかどうかの瀬戸際、儀式をするかしないかを問われた時のように。明後日へと迫るそれに悩む時間なんてない。
 そうして短い時間で決断した答えを胸に抱きおれは、あっという間に訪れてしまった“明後日”の中、岳里と一緒に城の中庭に立っていた。
 腕の中にいたりゅうの脇を持ち上げ、そのまま前に立つディザイアへ手渡す。おれの手から別の腕に抱えられたりゅうは、不安そうにつぶらな瞳で離れて立つおれたちを見つめていた。
 その視線からどうにか顔を背け、改めて慈しみの笑みを浮かべるディザイアへ向き直る。

「りゅうを頼むな」
「ああ、任せてくれ。だが早く帰ってきてやるといい、この子はおまえたちにべったりのようだからな。残念なことにわたしでは代わりは務まらぬようだ」

 つい表情を崩しながら頷きを返せば、穏やかだった笑顔が深まる。その絶えず浮かぶ笑みを見ていると不思議と安心するのは、やっぱりディザイアが神だからなんだろうか。
 そんなことを考えていると、その腕に抱えられたりゅうが頼りなさげに鳴いた。その顔を隣に立つネルが覗き込む。

「りゅうよう、ちょおっとの間我慢してろよう? 真司たちがいなくて寂しいだろうがあよ、その間おれたちがいっぱあい遊んでやっかんなあ」
「なに、すぐに帰ってくるさ。そう心配せずとも大丈夫だよ」

 アロゥさんにも優しく声をかけてもらっても、それでりゅうの顔は浮かない。その表情はまるで、おれたちがこれからすることを悟っているようにも見えた。
 おれと岳里は今から、ディザイアがつきとめたエイリアスのもとへと向かう。そしてそこでやつと対峙し、できるだけ情報を集めた上で兄ちゃんたちを救い出すことになっている。そしてそれが、おれの下した決断の答えだった。
 岳里の問いかけに頷き、唯一用意された手段で兄ちゃんと十五さんをエイリアスから取り戻すことにしたんだ。
 でも、りゅうの前でその話をしたことはなかったはず。そもそもエイリアスの名を出すことはあっても、念のためりゅうが耳にしてもなんのことかわからない程度には事情を伏せていたし、兄ちゃんたちが今やつの下に捕らわれていることなんてまず口にしてない。
 というのも竜人は知識の量も膨大に集めることのできる一族だ。岳里なんて辞書で読書をしてその上それを丸暗記したような逸話の持ち主だし、そこまでとはいかないけれど他の竜族も記憶力やら理解力も相当高い。それにまだ生まれたばかりではあるけれど、人の雰囲気に聡いらしいりゅうは、おれたちが目の前で暗い雰囲気をすれば機敏にそれを察知して、不安げな顔をすることもよくあった。
 だからこそおれたちはりゅうの前で迂闊に余計なことで口を滑らせないよう注意していたんだ。エイリアスのことを話すのもできるだけ耳に入れないようにして、りゅうが寝入った後やもしくは離れてから声にしていた。
 でもやっぱり、気をつけてもりゅうには隠しきれてなかったのかもしれない。おれたちの落ち着かない雰囲気や、ふとどうしても考え込んでしまう一時を、見逃さなかったんだろう。
 一度は離したりゅうに手を伸ばし、その頭をゆっくりと撫でる。おれの隣からは岳里の手も伸びて、同じように小さな身体に触れた。

「いい子にして待っていろ」
「おれたちが帰ってきたら、会わせたい人がいるんだ。だから楽しみにしてろよ」

 岳里は相変わらずの無表情だったけれど、おれは笑いながら声をかける。するとりゅうはわかってくれたのか、一度ぱちりと瞬くと、次にはいつものように一鳴きした。

「ぴぃう! ぴう、ぴっ!」

 その身体に触れるおれたちの手にそれぞれ顔を押し付けたり、舐めたりして言葉に応えてくれる。
 実際のところりゅうがどれほどわかって行動してるのかはわからない。生まれたばかりだからただ単に偶然が重なって、ちょうどよくその動きが反応のようになってるだけなのかもしれない。
 でも、そのりゅうの見せてくれたものにおれたちは安心し、手を離した。
 その時になってこれまで見守るだけだった王さまが口を開く。

「――本当に、二人だけでいいんだな」

 その言葉に頷いたのは岳里だった。真剣な眼差しで問いかける王さまとは対照に、いつもと変わらない素っ気なさで答える。

「今回はエイリアスを討つことは目的ではない。おれたちだけで十分だ」

 これからエイリアスのもとへ向かうのは、おれと岳里の二人だけだった。というのも、作戦を実行させやすいために相手の油断を誘う必要があったからだ。
 二人だけで乗りこめばまず間違いなく、竜人同士である岳里と十五さんがぶつかる。そして残るはおれとエイリアスとなるわけだけれど、おれは戦うことは一切できない。他に仲間がいないことはきっと気配でもわかるだろうから、少なくとも向こうは余裕を見せることだろう。もしかしたらエイリアス側に他に誰かがついている可能性もありえなくもないし。
 とにかくどうにか生んだ隙をついて、兄ちゃんと十五さんをやつから奪還する。エイリアスの情報より何より、それが最優先の目標だった。
 ――正直、うまくいくかなんてまったくわからない。もしそこでしくじれば、兄ちゃんを、助けられない。でも他に手段がないおれは岳里と、そして今回の作戦で鍵になる十五さんを信じて行くしかないんだ。それは王さまたち城のみんなだって一緒のことで。

「わかった。おまえたちのことを信じているぞ」

 たった二人でエイリアスに挑むおれたちに不安を覚えずにはいられないだろう王さまは、けれど力強く頷きそれ以上はなかった。
 その代わりに今度は、後ろに控えていたセイミアが口を開く。

「帰ってきたあとのこともしっかりお任せください!」
「ありがとう、セイミア」

 笑顔を見せてくれながらも心配が混ざるその表情。さらには溜まった激務の疲れからかひどく顔色は悪くて。それでもおれたちを見送るためにわざわざこうして顔を出してくれたセイミアには、なんだか申し訳ない気持ちが浮かぶ反面、嬉しくも思えた。
 今回の、一度目のエイリアスへ進攻することを知るのは、今ここにいる面子だけだ。王さまにネルにアロゥさん。それにディザイアに、ずっとその後ろに静かに控えているユユさんに、セイミア。そしておれたちを含めた八人だけ。
 それは岳里が指示したことだった。今回の件はできるだけ最小限の人数しか知らせないようにするということ。それは隊長たちにでもあてはまることで、出来る限り削っていった結果、作戦のことを話しあった王さまたちに、三番隊副隊長の職務を果たす傍らディザイアの付き人を任されているというユユさん。そしてもしもの時に早急な処置を行えるようにと治療担当としてセイミアを。それ以外には一切話しておらず、未だみんなはディザイアがエイリアスの場所を特定している最中だと思っているだろう。
 何故そんなことをする必要があるのかわからなかったけれど、岳里があえてそうしたんだ。きっと何か理由があるに違いない。それに時がくれば話されるだろうから、おれはそれを待つことにした。

「さあ、そろそろ行くといい」
「――任せたぞ」
「はい」

 ディザイアの言葉に続き、王さまも静かにそう言った。それにおれだけが返事して、最後にりゅうを見やってからおれたちはみんなに背を向ける。
 おれは竜体が運びやすい籠の中に入り込み、岳里はその間に姿を変えていく。
 岳里が竜となって飛びてる状態になった頃、おれの準備も終わり、籠の中から顔を出して手を大きく振って合図を送る。それを確認した岳里は、ゆっくりと大きな翼を動かし始めた。
 巨体が飛び立つのに合わせて籠も持ち上がる。けれどアロゥさんの魔術がかかった中には一切の振動はなく、換気用にと作られた小窓から入り込む風だけが動き出したことを教えてくれる。
 おれは小さな窓から身を乗り出し、見送ってくれるみんなへ振り返った。
 ぐんと高度を上げる岳里に、小さくなっていく姿たち。その中でディザイアの腕に抱えられじっとおれたちを見つめていたはず息子が、もうここまでは届かない声をあげた。

 

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