「まさに神より授けられし武玉は個々が光る。岳里は、どんなものになるのだろうな」

 小さく笑う王さまに、けれど岳里は相変わらず愛想笑いすらせず口を開いた。

「だが、おれには魔力などない」
「ああ、そうだった。まだ説明していなかったな。獣人や、岳里のように竜人。つまりは混血はそういった特別な力は持たない。だからきみたちのような存在の場合は、心血の契約者である主から力を借りるんだ。岳里の場合は盟約者である真司になるな」
「おれの力?」

 今まで盟約者で試したことがないが、契約者とは相違ないから恐らく問題はないだろうと、王さまは続けた。

「だからたとえ岳里が魔力を持っていなかったとしても問題はない。他の獣人である隊長たちもそうして主から力を借りているのだ」
「おれも魔力なんざ持ってねえからなあ。王から借りてんだあよ」

 そう言ってネルはすっと胸の前に左手を翳した。それに合わせて王さまも同じように左手を上げると、二人のその薬指には紫水晶(アメジスト)みたいな石がはめ込まれている。
 きっとあれは、ネルの神武玉なんだろう。なんでふたつあるかはわからないし、大きさも岳里が手にしているものよりうんと小さいけど。
 王さまは手を下すと、岳里の持つ透明な武玉に目を向けた。

「まず、武玉に岳里が主であることを教えよう。今透明なのは、武玉の主が定まっていないことを示している。それに口づけてみてくれ」

 口づけ、つまりキスだ。思わず無関係のおれが多少の照れを感じたというのに、当の本人は躊躇いもなく小さなそれに唇を落とす。
 岳里の顔が上がった頃、武玉は突然光を放った。岳里の手の中で徐々に膨れるように大きくなると、やがてそれは大剣の形になる。とはいっても、刀身はやや細く、薄い。岳里の握り拳ひとつ分くらいの幅しかない。けれど岳里の背ほども長い。ヴィルから借りていたあの黒い大剣も同じくらいの長さだったけど、それに見合ったくらいの、拳ふたつ分の幅はあったのに、やっぱりそれぞれで形は違うみたいだ。
 レードゥのイグニィスは赤だったり、ヴィルから借りたユラティオは黒だったり、以前見せてもらったオンディヌという剣は薄青い色だったのに、岳里の剣は半透明に白い刃をしていた。まるで硝子みたいで、それで何か叩けば逆に剣が折れてしまいそうに思えるほどだ。
 岳里の剣、という割には、あまりにも頼りなさそうな気がした。

「ふむ、なかなか変わった形状だな……よし、次は真司の魔力を糧とするよう作り変えるぞ。真司、こちらに来てくれ」

 手招かれるまま、おれは岳里の隣に立った。

「さっき岳里がしたように、真司も武玉に口づけをしてやってくれ」
「えっ、おれも、ですか?」

 どうするんだろう、と考えていたら、思わぬ王さまの言葉につい聞き返してしまう。けれどそれに力強く頷きを返され、岳里からは剣を差し出された。おれじゃきっと持てないだろうからと、支えてくれた。
 いつまでも渋っていると逆にネルにからかわれるだろうと思って、おれは目を瞑ってそっと、剣の柄にある武玉にキスをする。少しひやりとしたそれは、硝子に触れたような感触だ。
 顔を離すと、神武玉が大きく輝きを放つ。そこから何かが出てくると、岳里が躊躇いもなく掴んでそれを引き抜く。するとすぐに光は霧散して、代わりに岳里の大剣の似た形をした短剣が姿を現す。

「それの短剣は真司のものだ。護身用にもなるから持っておくといいだろう。ただし、肌身離さず持つよう。これを介し、岳里の剣へ真司の力が注がれるからな」

 そう言った後、王さまはもう一度ネルとお揃いの指輪を見せてくれた。なんでも、さっきの岳里の剣から短剣が出てきたように、王さまが持つそれもネルの武玉から出てきたものらしい。
 その短剣を魔力の提供者である主が所有することで、それを通じて武玉にその力が流れる仕組みなんだそうだ。

「見た目に変化はないが、今岳里の剣には真司の力が流れているはずだ。わかるか、岳里」
「――ああ。真司に触れているようだ」
「ばっ、そんなわけないだろっ!」

 どこか満足げに言う岳里に否定させようとするも、ネルがにやにやとしながらおれの肩に凭れかかる。

「いいやあ、そんな感じなんだあよう。おれも王の魔力を流してもらった時、おんなじこおを思ったもんでえ」

 なあ、岳里ィ? と普段はつっかかってばかりのネルが、今は何故か岳里と仲良く頷いて見せる。
 絶対、おれをからかってるんだ。
 反応したらさらにネルに何か言われると思って、一度ネルを睨んでからおれはそっぽ向く。けれどにゃははは、と笑い声があがった。

「こら、ネル。あまりいじめるな、また口をきいてもらえなくなるぞ」
「ちぇ、仕方ねえなあ」

 口をきいてもらえなくなるって、ネルがおれたちの関係について大声で話すもんだから周りに知れ渡ってしまったあの時のことか? 王さまの口ぶりはまるで、ネルがわざとやっておれを怒らせたみたいに言ってるけど――ネルなら、ありえない話じゃない。
 頬を膨らますおれに王さまは微笑んだ。

「どんな力があるかは、今後ゆっくり見つけていけばいい。さあ、これで最後だ。その剣に名を与えてくれ」

 岳里はじっと、手にした白の大剣を見つめた。端から端までを目で追っているのを、おれは隣で見守る。
 不意に腕を動かし、それを天井に届きそうなほど高く掲げ、口を開いた。

「クラティオル――この剣の名は、クラティオルだ」

 確かめるようにもう一度、名付けたものを口にして、岳里は掲げていた剣を下げる。するとクラティオルは光を放ち、やがて玉の姿に戻ってしまった。
 岳里の掌で、ころりと白い揺らめきが閉じ込められた玉が転がる。

「うむ、いい名だ。これから、大切にしてやってくれ」

 岳里は穏やかな笑顔を見せる王さまを一瞥すると、それに応えるように、深く頷いた。
 それから岳里は手にしていた短剣の方も武玉の姿に戻し、おれに渡す。岳里のクラティオルとまったく同じ色、大きさの玉を受け取ったおれは、それがほのかに熱を放っていることに気づく。
 それはこの武玉が、神さまの力が入った特別なものだからなんだろうか。それとも、岳里を主と据えた喜びからの熱なんだろうか。
 おれはまじまじとその玉を見つめてから、ぎゅっと握りしめた。

「――それで、これのこと以外に、おれたちに話があるんだろう」

 おれの様子を見届けた岳里は、改めて王さまと向き合う。その姿に王さまもネルも苦笑しながら、けれどすぐに顔つきを変えて真剣な眼差しになった。

「話したいことというのは、選択の時についてだ」

 おれは思わずその言葉に目を伏せる。
 目の前にいる二人だけじゃなくて、隣にいる岳里もそのことには気づいただろう。きっと、気持ちは同じだから。

「きみたちはまだ選択の時が訪れていないのにこの世界に来てしまった。だが、もしその時だったとして、やはりこの世界に呼ばれたのはきみたちであったろう。これから話すことで、まず禍のことはおいて、話を聞いてくれ」

 王さまはそう前置きしてから、おれたちに話したかったということについて語り出した。
 なんにせよ、おれと兄ちゃんがこの世界に来てしまったように、岳里が戻ってきたように、“役割”を持った人物としてこの世界に呼びだされたことに間違いはない。だからおれたち三人の背中には、それぞれの役割の証が刻まれている。
 今回の選択の時は神さまが定めたものでなかったとして、おれたちという存在がいる以上選択を下す時がくるかもしれない。その時、おれは選択者として、選択を迫られることになる。この世界を分かつ、重要な判断を。それは、十分あり得る話なんだ。
 だから王さまは、その“もしもの時”を考えて、おれに覚悟をしておいてほしいと思っているそうだ。
 ある意味選択の時の重責は、選択者がすべて背負ってるって言っても過言じゃない。選択者が導き出した答えで、世界の在り方が大きく変わってしまう。そしてそれはつまり、選択者が大きく苦しむことを示している。
 ――ふと、王さまの話を聞きながら、おれは前に見つけた、ハートという人物が書いた赤い本を思い出した。少ししか読むことができなかったけど、今なら確信を持って言える。
 ハートは、おれと同じ異世界から来た人間で、同じ選択者の立場だったんだ。そして、選択を下しもした。目にした部分だけでも、ハートの選択者としての苦悩がよく書かれていたものだ。
 選択を下した後、もとの世界で平和に暮らしてもよかったのか、とも――
 あの本の存在は今まで忘れていたっていうのに、思い出した急に読みたくなった。同じ選択者として、同じ異世界からの来訪者として、果たしてハートがどう感じたのか。そして、どんな答えを選んだのか。
 たったふたつの選択。けれど、答えなんて永遠に見つからないような選択。
 おれは、選ぶことができるんだろうか。

「選択者である真司に課せられたものは、あまりにも大きい。だから、もしかしたら起こるかもしれぬ選択の時に備え、今からでも心の準備をしておいてほしいのだ。杞憂に終わればいいが、正直、選択の時が起こる可能性は高い――禍のことは岳里や、我らが取り組む。そちらも真司には十分関係のあることだが、しかしきみは選択の時についてを思ってほしい」

 王さまは厳しい表情を最後まで変えることはない。まっすぐにおれを見据え、その青い瞳が逸らされることもなかった。
 ――きっと王さまも、このことを話すか悩んだだろう。それで、選択したんだ。
 選択は、日常に多く存在している。どんな小さいことにも、どんな大きいことにも。どこにでもある。そのひとつひとつを選んで、今ここに存在しているんだ。
 だから、選択することに慣れているはずなのに。けれどいつまで経っても選ぶということには不安がつきまとう。

「真司、少しずつでいい。我らのことは踏まえず、この世界だけを見て、選択をしてくれ」

 王さまの優しさに、おれは堪らず俯いた。

「――もしなにかあれば、わたしよりもヴィルハートに話を聞くといい。彼は何度も選択の時に立ち会っているし、これまでの選択者を見守ってきたことだろう。だからヴィルハートを頼るといい、負担も少しは軽くなるやもしれん。……真司がどれほどの苦難を背負うのか、わたしには想像できない。まだ若いきみに、この世界の命運を委ねてしまって申し訳ない」

 そっと顔を上げると、やっぱりおれを見つめていた王さまと目があう。視線が重なると王さまは、苦しそうな、悲しそうな、そんな顔のまま無理矢理笑っていた。

「どんな結果になろうと真司を恨むことはないし、我らはただ受け入れよう。それだけは覚えておいてくれ」

 王さまは微笑みを崩さないまま、おれたちが部屋を後にするまで、その優しさで無意識におれを苦しめた。

 

 

 

 話を終えれば、忙しい王さまは中断していた執務を再開し、おれたちは部屋に戻ることになった。
 お互い同じ大きさ、同じ色の神武玉を手にして、黙々と部屋への道のりを歩く。
 口を開く気分にはなれなかった。
 おれたちが呼ばれたのは、本来の選択の時じゃない。けれど、もしかしたら選択をしなければならないかもしれない。その結果次第では、おれはこの世界に不幸をもたらすことになる。
 それなのに、答えを出すことができるんだろうか。
 そんな考えがぐるぐると廻る。何度も、何度も同じことを繰り返す。岳里はきっとそのことに気づいてるだろう。だからこそ、何も言わずに隣を歩いてくれているんだと思う。
 しばらく進んでいき、もうすぐ部屋にたどり着くというところで、見知った顔が駆け寄ってきた。

「やあ真司、岳里」
「ジャス」

 片手を振り上げて傍に来たのはジャスだった。おれは応えるようにジャスの名前を呼んだけど、その声は思った以上に沈んでいて、慌てて次の言葉を口にした。

「これからまた実験でもするのか?」
「ああ、そうなんだよ! いや、そんなことよりもさっきの試合、すごかったよ。わたしは武の方はからきしでね、多少弓を扱えるくらいだから……だから、本業の方を頑張ろうと、意欲をもらえたよ。もう隊長就任は確定なんだろう? 気が早いかもしれないが、おめでとう」

 岳里の方に向けられた笑顔に対し、当の本人はただ頷いただけだった。それでもジャスは気を害した様子もなく、ふとおれたちの手が握られているのに気づいたみたいだ。
 そこにじっと視線が注がれるのを感じて、ジャスに手を開いて中にある神武玉を見せる。
 白い玉を見たジャスは、嬉しそうに声を上げた。

「王さまから早速もらったのかい? それはいい、今は何かと物騒だからね。ああ、そうそう。実はその神の力を授かった武玉を見て作った薬があるんだ!」
「この武玉を見て?」
「ああ。それは持ち主の魔力といった力を糧とし特殊な能力を発揮するだろう? そして力を持たない獣人の場合、その主の力を用いる、と、この説明はもう受けたかな?」

 ジャスの問いかけにおれは頷く。

「そこでわたしが思いついたのが、そもそも剣に主の力を注ぐのではなく、直接獣人に主の力を移すということなんだ! つまり、獣人だがその身に魔力を持つことになると言うことさ! 勿論一度に移せる量や許容量は個体差があるだろうし、所詮は薬を使うからそう多くは渡すことができないだろう。しかし、もしこれが可能となれば魔術を扱える獣人も夢ではないということだ! それにだね、獣人の肉体はそもそも主と相性がいいものだから力の反発は起きにくいだろうし――」

 スイッチが入っちゃったのか、ジャスは嬉々としてその、獣人に主の魔力を移す薬の利点や今後にどう影響するか、副作用や肉体的変化について等をすらすらと滞りなく語り出す。
 しばらくはそれを大人しく聞いていたけど、次第におれの頭の容量がいっぱいになった頃、さすがにまずいとジャスの勢いを止めた。

「わ、わかった! とにかく色々な可能性の広がる薬ができたんだな!」
無理矢理まとめたけど、ジャスはそれに楽しげに頷く。
「そうなんだ! もう実験も済んでいて、薬も完成しててね。ただまだ微力しか移すことができないから改良が必要だが、わたしとしては楽しくて仕方ないんだ! …………そこで、なんだがね。獣人はもう試したんだ。だから、その、竜人のきみたちにも効果があるか、ぜひ調査したいのだけれど……」

 ああ、おれたちに近づいてきたのはそういう目論みもあったのか。
 それが全部じゃないだろうけど、きっとおれたちを見てジャスはその薬のことをすぐに思い出したに違いない。でもそれはジャスらしいと、思わずおれは笑ってしまった。
 でも、その申し出をはいとすぐに頷くわけにはいかない。以前の岳里の一件もあるし、何よりジャスの薬はまったくいい噂を聞かないからな。
 断ろうとおれが口を開いた時、先に岳里が声を発した。

「おれだけならまだいいが、真司を巻き込むのであれば協力はできない」
「まあ、そういうと思ったよ。まだ竜人とその主――じゃないんだっけね。確か盟約だったかな? 盟約者とのものは副作用がどんなものが起きるかはわかっていない。でも、もし安全性が確証できたら、その時は付き合ってくれるかい?」

 きっぱりと言い切った岳里に、ジャスは言葉通り初めから返ってくる答えがわかっていたみたいで、小さく苦笑する。けれどすぐにまた力強く瞳を輝かすもんだから、やっぱりジャスは研究が好きなんだってことが窺えた。

「さあな」

 ふいっと目を逸らしてしまった岳里に、ジャスはただ笑顔を浮かべただけだった。それからふと思い出したように、皺の目立つ白衣のポケットに手を差し入れ、中に入っていたらしいものを取り出す。

「そうだ、これをあげるよ。きみたちは耳に穴が開いてないようだからね、もしこれから開けようと思っても、すぐにそこにはとりつけられないだろうから。それに、きみたちの場合ならお互いいつでも目に入るような場所に身に着けていた方がいいだろう」

 そういってジャスが差し出した手の上には、同じ長さの暗い色をした二本の紐だった。暗い色、と言ってもよくよくそれを見てみれば、黒というより青に近いみたいだ。それよりも若干色の明るいもう一本を捩じってひとつに纏めているらしく、それとまったく同じものが並んでいる。

「その武玉をこの紐に通すといい。とりあえず、失くしては大変だろうし」
「でも、これには穴なんてないけど、空けても大丈夫なのか?」
「ああ、そうかそれはまだ教わってなかったんだね」

 二本の紐、たぶんおれと岳里のそれぞれの分を受け取りながら首を傾げれば、すぐにジャスは説明してくれた。

「簡単さ。ただその武玉を握りしめ、紐を通すことを想像すればいい。貫通させるでもいいが、その方が楽だと思うよ。さあ、まずはやってごらん」

 ジャスに促されるまま、おれも岳里も手にしていた武玉を握りしめる。
 想像しやすいよう、目を閉じた。ジャスの言われた通りのものを思い浮かべてからゆっくり目を開けて掌を開く。
 ころりと転がった武玉には、それまでなかったはずの穴が、確かに開いていた。岳里の方を見てみると、そっちも同じように紐が通るだけの穴ができている。

「すごい、穴が……」
「それは神武玉がきみたちの望みに合わせ形状を変えたからだ。だから他にも、もっと小さくもできるし、反対に大きくすることも可能だ。丸に近い形であれば多少の変化もできるし、色々試してみるといいよ。大切なのは、しっかり想像することだ」
「教えてくれてありがと。早速この紐も使わせてもらうな」

 岳里にもう一本を渡してから、おれは自分の武玉にその紐を通す。それを腕に巻こうと思ったけど自分じゃできなくて、岳里に頼んだ。代わりに岳里のも同じように結んでやり、お互い左の手首に、紐をつける。

「似合ってるね! 武玉は失くさないように気を付けるんだよ」
「ああ、ありがと。そういえばジャスの武玉は?」
「……はは、今度見せるよ、今度」

 曖昧に笑って目を逸らすジャスに、おれは思わず声を出して笑ってしまう。その時左手が少し動いて、身に着け慣れてない武玉が通った紐が揺れた。
 そっと視線を下げてみると、岳里にも同じものがついている。
 胸にあったもやもやはいつの間にか消えていて、おれはひっそりと心の中でジャスに感謝した。

 

 

 

 王より武玉を授かり、三日が経った。隊長就任式までまだ時間があり、おれはそれまでこれまでと変わらずヴィルハートのもとで剣の修行を積んでいるが、武玉を得たことにより今は基本のおさらいとなっている。
 これまで使用していた木刀はやめ、おれの剣となったクラティオルを手にし、今日もまた素振りをする。いち早く自らの剣の形に慣れ、扱えるようになるためだ。
 鍛錬場の隅でクラティオルを縦に振っていると、不意に見知った気配が背後から近づいてきた。

「やあ、岳里。もう剣を授かったと聞いたが、本当だったらしいな」

 振り返れば、相変わらずの穏やかな笑みを浮かべたコガネがいた。こいつと出会う時は大抵傍らにいるヤマトは、今日はいないらしく、珍しくひとりでおれのもとに訪れたようだ。
 素振りを止め、腕で流れた汗を拭う。するとコガネは剣を覗き込んだ。

「珍しい、白の剣か――今は馴染ませているところか?」
「ああ」
「そうか。なら、まだ誰ともその剣を交えていないということだな」

 何故か弾んだその声に、どうしておれのもとへ来たのか。なぜ普段は連れているヤマトがいないのか、ようやく察しがつく。
 おれの考えに気づいたのか、コガネは自身の耳にある緑の神武玉を外し、それを剣の姿に変化させ手に握った。

「岳里、おれと一度、勝負をしないか? 前々からおまえとは一度やりあってみたかった。それにまだ、その剣の能力はわかっていないのだろう? それを知るには実戦が一番だし、どうだろう」

 お相手願えないか、とコガネはおれに持ちかける。人間には珍しい金の瞳をじっと見てみるが、そこにはただ純粋に、おれとの試合を望んでいるのだとわかった。
 いいだろう、とおれはまず先に声を出す。

「ただしおまえの剣の力は使うな」
「そうだな、おれのシルフィスの力は特に傷を生みやすい。おまえに怪我をさせて真司に悲しまれるのはおれもいやだよ。まあ初めからそのつもりだったし、構わない」

 あっさりとおれの意志を見抜いた男はくすりと笑い、自身が手にする薄い緑色の刀身を撫でた。
 その時、ようやくコガネの存在に気がついたヴィルハートが他の兵の指導を一旦中断し、おれたちのもとへくる。

「なんだ、コガネ。来ておったのか。何か岳里に用でもあるのか?」
「ああ、丁度いい。ヴィル、おまえが審判をしてくれ」
「……む?」

 来たばかりで状況の飲み込めていないヴィルハートは、コガネの言葉にまず首を傾げた。

 

 

 

 それまで鍛錬場の中央で訓練に励んでいた兵どもには端に寄ってもらい、代わりにおれとコガネが向き合いそこに立つ。
 始めは邪魔だ退け、とのヴィルハートの言葉に不満を露わにしていたが、いざ剣を手にしたコガネを目にすると、これから何が起きるか勘付いたらしい。兵どもは自身に課した訓練を放棄し、じっとおれたちを木陰から見守っていた。

「試合は先に行ったアヴィルと岳里の見極め試合とほぼ同じ規則で行う。だが、岳里に関してのみ剣の力を発揮することを認める。ただしまだ何が宿っているのか、判明はしておらん。岳里もコガネも、決して油断せぬよう気をつけろ」

 ヴィルハートの言葉にコガネは頷く。そして、風の剣シルフィスを構えた。それに合わせ、おれもクラティオルを握る。
 今日はもうひとつの剣は用意してないため、クラティオルのみでの戦いなる。恐らく勝つことはできないだろうが、隊長である男と一戦交えるのだ。たとえ敗北だとしても得るものは多いだろう。
 ただその剣技を見るだけでもあるだろうが、コガネから持ち込んだこの好機を逃す手はない。自ら経験を吸収するつもりで、意識を研ぎ澄ます。

「始め!」

 高らかに響いたヴィルハートの声に、地を蹴りクラティオルを振り上げた。

 

 

 

 剣を重ねてしばらくして、途中から感じていた違和感が確かなものとなった。
 恐らくその違和感をコガネも抱いていたのだろう、お互い玉のような汗を滴らしながら、ほぼ同時に剣を下した。
 おれたちを見守っていた兵たちからは、なんだ、どうした、との声が上がるも、審判をするヴィルハートも邪魔にならないよう端に置いていた身体をゆっくりと歩み寄らせてくる。

「おぬしらが剣を収めたということは、やはりわしの見間違いではなかったよだな」
「ああ、そうみたいだ。まったく、感触はあるんだがな……」

 そういってコガネは、シルフィスを持たない左腕を目の高さまで上げる。その白い肌には傷のひとつもない。
 それを眺めながら、戸惑ったようにコガネはおれを見た。

「岳里も、切った感覚はあっただろう?」
「ああ。始めは思い違いと思ったが、何度も続けばさすがに疑いようがない」

 おれの身体には所々に浅い傷が刻まれている。それはコガネにつけられたものだ。避けきれず掠ったものだが、おれも同じようにコガネの身に傷痕を与えていたはず、だった。
 しかし、確かに傷を与えたと思ったコガネの身体にはどこにもそんな痕はない。切った感触はあった。実際服が切れている部分もある。しかし、傷痕だけはどこにも見当たらないのだ。コガネ自身も剣に触れた感触はあったようだ。しかし、実際は肌が切れていないため戸惑っているようだった。
 そしておれたちを見守っていたヴィルハートもその異変に気づき、こうして試合を中断して原因を探っているわけだが、なかなか答えはでない。
 ふとその時、ヴィルハートが何かに気が付いたようにおれが手にするクラティオルに目を向けた。

「もしや……これが、岳里の」

 途中止まった言葉に、しかしコガネもクラティオルへ視線を寄越す。

「――なるほど、それならば頷ける話だ」

 おれもクラティオルを見つめ、ゆっくりと切っ先を上げる。剣を手にしていない左腕を伸ばし、そのままクラティオルを自分の腕に振り下ろした。
 ひゅん、と風を切りながら剣は確かに、おれの腕を止められることなく断つ。

「ばっ――」

 どちらかの、咄嗟に出た声が耳に届く。
 さすがにおれの行動に二人はぎょっとしたように目を見開かしたが、すぐにおれの腕が何ともないことを理解すると、やはりと安堵の表情を浮かべた。
 おれも、まじまじと己の腕を眺め、そしてクラティオルへ目を向ける。確かに、肌に刃が触れた感覚があった。腕を通る不思議な感触もあったが、しかし痛みは感じなかった。
 おれは、クラティオルを自分の腕を切断する勢いで振り下ろしたはずだ。クラティオルが腕を通るのをはっきりとこの目で見たし、何よりヴィルハートもコガネもそう確認したからこそ、声を上げた。
 だがおれの腕は未だ、何の傷もなくくっついたままだった。

「恐らく――いや、間違いなく、これはクラティオルの力であろう。だが、解せんな」
「ああ、おれもそう思う。いくらなんでも、物体を通り抜けるだけの力なんてな」

 剣に宿る力は、その持ち主によって異なる。その力はまさに千差万別だ。戦いにおいて有利に運ぶものもあれば、大して影響がないものも存在する。しかし何かしらの利点が存在することが前提となっているため、決していらぬ力などない。
 物を通り抜ける力、というのも使い道はあるだろうが、だがおれにはこの剣に宿るものがそんな単純なものでない気がした。おれとは違う見方として、二人もそう感じているようだ。

「もう少し調べる必要があると思うな。岳里よ、おぬしは今その剣に力を送り込んでいるか? ――ああいや、力を送っているのは真司の方だったな。ううむ、ややこしい」
「岳里がその剣に真司の力を感じているのなら、今クラティオルに真司の力が流れていることになる、つまり特別な力を得た剣になるな。もし感じなければ今は魔力も何も流れていない、ただの切れ味のいい剣だということになるんだ。今はどう感じている?」

 肩をすくめたヴィルハートに苦笑しながら、改めてコガネが説明をした。
 その言葉にすぐおれは答えを返す。

「あいつの力は常に感じる。神武玉の姿になったとしても剣の姿になったとしても、それが途絶えたことは一度もない」
「さすが、七番隊期待の星だな。随分所有する力が多いとは聞いていたが、武玉の時でさえ流していることができるとは」

 この場にいないあいつに素直に感嘆するコガネは、改めてどうしておれにそれを問いかけたのか、今頭にある考えを話し始めた。
 まず、神武玉に所有者、もしくは所有者の代わりとなる人物の魔力、治癒力といった特殊な力を流し込むことにより、ただの剣でなく能力を得た剣が完成する。
 そこで、力を得た剣は二種類に部類されることになるらしい。
 神武玉から武器に姿を変えたところから分けられ、一種目は所有者の意識によって一時的に武器に魔力を送るものだ。ヴィルハートのイグニィス、コガネのシルフィスのようなものがそれにあたる。つまりは風の剣の異名を持つシルフィスは魔力さえ送り込まなければ普通の、何の力も持たないただの剣となる。力を送り込んで初めて刀身が風を纏う、まさに風の剣が生み出されるというわけだ。
 二種目は神武玉を武器に姿を変えた瞬間から、常時魔力が自動的に送りこまれるものだ。ヴィルハートのオンディヌはこれにあたる。武玉から剣の姿に変えたその時から、常に刀身は水を纏っているということで、ただの剣になる瞬間はない。たとえヴィルハートが意識してもそれが変わることはないのだ。
 その二種のうち、後者にクラティオルはあたるそうだ。たとえ他人から力を借りたとしても、それは持ち主の意志によって使用するか判断できるが、おれにはそれがなかった。そして常に感じるあいつの力から導き出された答えは必然的に、常に力を纏う方となる。
 そこまで話を聞けばさすがにヴィルハートたちが何を確認したがっていたのかがわかった。

「つまり、瞬時にただの剣に戻れないこの剣が物を通り抜ける力を持っているのはおかしいということだな」
「その通りだ。つまりは何も切れない剣ということ。それではあまりに無意味な力となる」
「うむ。だからきっと、他に何か力があると考えてよいだろうな。その通り抜けるというのは、ただのおまけと思った方がよいであろう」
「――それにしても、だとしたらいったいクラティオルの能力は何なんだろうな」

 それぞれ沈黙し、考え込む。
 不意に視界に、コガネのシルフィスによってつけられた傷が見えた。薄らとではあるが、右腕にある傷口からは血が滲んでいる。
 その時、クラティオルから色濃くあいつの気配を感じた。
 心地いい、ずっと傍にいたくなるような。安らかなもの――その気配に導かれるように、おれは剣を左手に持ちかえ、再び切っ先を上げた。
 それまで考え込み俯いていた二人の視線が集まる。それに構わずおれは右腕の傷を辿るようにクラティオルの刃を滑らせた。
 相変わらず肌は切れず、しかし触れた感触だけが残る。だが今回は、確かに異変が現れた。
 剣を握ったまま左袖でぐっと右腕に滲んでいる血を拭えば、あったはずの傷が跡形もなく塞がっていたのだ。それを見た二人は、ようやく納得したような表情を浮かべた。

「なるほど、そういうことだったのか」
「ううむ、初めて見る力だの。……だが、これで斬りつけた身をすり抜けてしまうことにも頷ける」

 おれはもう一度、傷のあった場所を見た。それからもう一か所、同じように怪我をした箇所にクラティオルを滑らすと、先程と同じように、すうっと開いた肌が塞がっていく。残ったのは流した血だけだ。
 改めて事実を確認し、それを覗き込んでいたコガネが言った。

「癒しの剣――それが、クラティオルの力だ。まさに、真司の力が宿った剣だな」

 誰も切れない。何も傷つけられない。それどころか、剣でありながら癒しを与える。
 コガネの言った通り、まさにあいつの力がこの力を生み出したような気がした。
 そっと、白い刀身に触れる。硝子細工のような、簡単に砕けてしまいそうな儚さを持つこれを、初めはおれの弱い心のようだと思ったが、今わかった。
 確かに、やはりいつ砕けるかわからない不安を掻きたてるようなものだった。だが、これにはあいつの力が宿っている。あいつの心が、寄り添っている。
 決して砕けることはない。誰かを悲しませもしない。それどころか、誰かを救うことができる、そんな剣。あいつ――真司と、おれの望みが混じり合って生まれた剣。
 それが、癒しの剣(クラティオル)だ。

 

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