エイリアスはルカ国と同じ大陸内、東の森にいるらしい。ルカ大陸のみを記した地図を見せてもらったけれど、ディザイアが示した先はそう城から遠くなく、竜の翼でではあるけど一時間もしない場所にあった。
 そんなに近くにいるだなんて思ってもみなくて。まるで嘲笑われているかのようにさえ感じてあまりいい気はしない。でも近場であることもおれたちにとっては多少なりともありがたい話でもあった。
 移動時間が長ければ長いほど竜体となって飛ぶ岳里の体力も少しとはいえども削られるし、十五さんと一戦を交えるのならできるだけ力は温存していた方がいい。それにいざという時すぐに撤退できるだろうし、たとえ追われてもある程度城へ近づくことができれば城からの援護が見込める。おれたちが何もできず逃げたとしてもエイリアスの手に落ちてしまう確率は随分減るだろう。
 移動中、ずっとおれはこれからを案じて気が休まることはなかった。それどころか籠の中でじっとしているから余計なことばかり考えてしまう。
 兄ちゃんは、十五さんは本当に無事なのか。二人を助け出すことができるか。誰も怪我せず終わるなんてできないだろう、でも少しでも痛みがないようにことは運んでくれるか。――不安ばかりが胸を巡る。
 エイリアスとは、戦わなくちゃならないんだろうか。そんなことさえ考えていると、ついに予定していた場所に到着した。
 静かに下された籠の中で、用意された必要なものを持って外に出る。その間に竜体から人の姿に戻った岳里に、両手で持っても重たく感じる一本の剣を手渡した。
 本来であれば、岳里の武器は武玉という魔導具によって小さな玉の姿になっている。それを装飾品なんかにして身につければ、肌身離さず持ち運べるし、どんな時にも迅速に武器を取り出すことができるから武人には重宝している品物だ。
 けれどそんな便利な武玉は、エイリアスの結界の中に入り込んだ時から玉の姿を保てなくなってしまって、本来の形である剣になっている。それは武玉というものは魔術を用いて武器から玉へ変えていたからだ。
 エイリアスの張った結界内はどうやら、話で聞いていた通り魔力、治癒力といった力が一切認められない空間になっているようだった。だから魔術を使う武玉は結界の効果によって強制的に玉から剣の形に戻されてしまう。他にも魔導具のような魔術がかけられた道具は一様に使用不可となるし、現におれも何度か治癒術を発動しようとしてもできなかった。
 だから、初めから剣を背負うことにしたんだ。今回ものはいつも岳里が好んで使う大剣に入る部類には変わりないけれど、刀身が細身のもの。岳里の持つ、神ディザイアから隊長たちにそれぞれ贈られる神武玉というものから生まれた、岳里だけの剣、クラティオルに似たものだ。刀身は長いけれど細身でそこまで厚みはなく、だからおれでも持ち上げることができた。
 いくら長身の岳里といえども腰に下げるにはあまりに長いその剣を担いで、すぐに辺りを自由に生えた木に囲われた森の中を歩き出す。おれも後に続いて、先を歩く岳里についていった。
 誰も人が通ることがないのか、一切手の加わってないこの森に道なんてなく、自然の中を歩くのに慣れていないおれはそれだけで一苦労だ。けれど岳里がなるべく歩きやすいような場所を選んで進んでくれているだけ、十分助かる。
 二人で黙々と歩いていると、しばらくして急に森が開けそして、目的としていた場所が現れた。
 それは以前おれが行ったことのある、エイリアスたちが根城としていたところよりもさらに古い洋館だった。建てられたばかりは、大きいし立派なものだったんだろうけれど。今では壁は剥がれかけ、一面に下から生えた蔓が巻きついている。屋根も一部ではあるけれど陥没しているところも見られるし、窓にはばってんを作るように二つの板が釘で打ちつけられて開けられないようになっていた。そんな守られている窓さえガラスが割れて、中からはみ出た白いカーテンが風に揺れている。
 本当にここにエイリアスたちが、人が住んでるとは思えないくらいの荒れようだった。それにいくら洋館の周りを見ても道らしい道はなくて、本当にぽつりと、森の中に家が建っているような感じで。それも森という環境に適するようなものじゃなくて、まるで街中に建てられているもののような造りで。森に明らかに不釣り合いなそれがなおさら不気味な雰囲気を生んでいた。

「ここに、本当に……」

 一切人気の感じない洋館を見つめ、呟きながら岳里に振り返ると、その目が金色になっていた。
 気が高ぶってるんだろうか。前を見る眼差しは険しくて、迂闊に声をかけるのも躊躇われるほどだ。
 ただ不気味としかとれなかったおれとは違って、岳里は確かに何かを感じ取っているようだった。
 どうしても不安を感じて横顔を見つめていれば、振り返ることなく岳里は口を開く。

「決しておれから離れるな。何があるかわからない」
「――ああ」

 おれが頷けば、それを確認した岳里はまた歩きだし、洋館の入り口である扉の前に立った。その後ろで足を止めれば、一度目だけでこっちをみた岳里はそのまま取っ手に手をかける。そして、ゆっくりと押して扉を開けた。
 老朽し損傷も激しい扉はぎいぎいと音を立てながら、中へと続く道を生みだす。
 岳里は一歩踏み出し中に入った。その影に隠れ何も見えないけれど、おれも息を飲みながらも後に続く。
 中もやっぱり痛みが目立ち、埃もすごかった。岳里が歩く度に煙が立ち、思わず咳き込みそうになるのをどうにか堪える。
 壁にはいくつもの蝋燭が灯されていて、まだ昼間だけれど真っ暗な洋館の中は炎に照らされ、まるで夜のよう。窓はあっても厚い布に遮られ、そこから差し込む光がないせいだ。
 岳里は五歩ぐらい進んで足を止めた。おれもそれに合わせて動きを止めて、そろりと岳里の影からようやく抜け出る。そしてそこで初めて、正面でおれたちと向かい合う十五さんと目があった。
 相変わらず岳里そっくりな顔で、ほとんど同じ背格好で。違うところがあるとすれば左目の怪我や首に何重にも巻かれた包帯。それと腰に届きそうなくらいに長い紺の髪くらいだ。
 双子と言われても信じられるくらいそっくりな、岳里の兄ちゃん。出会ったばかりの岳里のようにまったく感情の読めない金の瞳で、静かにおれたちを見つめていた。
 玄関から入ってすぐに広い吹き抜けになっているこの部屋から、二階へ続く階段をその背に負って。階段の中段ぐらいで悠々とおれたちを見下ろしている兄ちゃん――エイリアスを守るように、立ちはだかっている。
 おれたちがやつに近づこうとすれば、きっと十五さんはそれを阻止しようと動くだろう。それを兄ちゃんの顔で薄く笑うエイリアスが教えてくる。
 目の前にいる兄ちゃん。けれどその中身は別人で。その身体自体は兄ちゃんのものなのに、今顔に浮かぶ笑みは見たことのない表情で。

「にい、ちゃん……」

 耐えきれず呟いたこの声も、兄ちゃんには届かない。それを証明するようにエイリアスの歪んだ笑みが深まった。

「たった二人でお出ましとは、自らその身を捧げにきたのか」
「違う。おまえを倒しにきた」

 まるで嘲るようなその態度に、岳里は話すことなんてないとでも言うように、背にした剣に手をかける。それとほぼ同時に、十五さんもまた、背負っていたものを握った。
 二人が抜き取ったのは手合せに使うような木刀じゃなく、相手に傷を負わすことを目的として作られた真剣で。部屋を照らす蝋燭の火がそれぞれ磨き上げられた鋭い刀身の中で揺らめく。
 驚くべきことに十五さんの剣も岳里のものと似たような形のものだった。細身だが長い刃を持つそれは、まったく同じものでないにしろ扱いにくいこともあってあまり一般的な武器じゃない。
 あえてエイリアスがその剣を持たせたのか。それとも単なる偶然で、岳里と似た形の剣を手にしているのか。そればかりは計りかねたけれど、今はどうでもいいことだ。
 刀身を抜いた二人は、互いにその切っ先を向けあう。その動きに一切躊躇いは見えなくて。

「壁際まで離れていろ。エイリアスに注意することを怠るな」

 岳里は前だけを見たまま小声で指示をする。その言葉通り壁に走り、おれは階段上でその様子を眺めていたエイリアスを視界に入れつつも、向き合う二人を見つめた。
 ――やっぱり十五さんは、おれたちと戦うつもりなんだ。
 正直、おれはわからないでいた。十五さんのことを。本当に兄ちゃんが大切だから、エイリアスに手を貸してるんだろうか。それとももしかしたらエイリアスが大切だから、守ってるんだろうか。
 十五さんの盟約者は兄ちゃんだ。でも、兄ちゃんがいつからエイリアスに身体を乗っ取られているかわからない以上、二人がいつ盟約を交わしたかもわからない。そこに兄ちゃん自身の意思が汲まれていない可能性もまだ残ってるんだ。
 そして何よりおれたちはまだ十五さんの意図を聞けていない。ほとんどその意思がわからないまま憶測で物事を進めて、とにかく十五さんは仕方なしにエイリアスに従っているということにした。でも自分たちの望む方へばかりに予想して、あとで辛い思いなんてしたくない。もし万が一、それとは反対の事実だったとしたら。そう、おれは岳里の兄ちゃんを疑ってしまっていた。
 ――でも、信じたい気持ちは確かにあった。十五さんは兄ちゃんのために、今弟である岳里と戦おうとしているんだと。エイリアスに共感し動いてるなんてこと、ないんだって。
 ここにくる間、ずっとぐるぐると考えていたんだ。今回の“鍵”となる十五さんのことを。本当であればおれたちの味方なんだろうかと、決してエイリアス側の人じゃないだろうな、と。信じようとしては疑って、その繰り返し。それは実際十五さんを目にした今になっても続いている。
 けど、おれは見てしまった。
 岳里と対峙する、十五さん。いつもの動じない無表情をどこかへやり険しい顔になる岳里を見つめる、そっくりな顔はなんの色も見せなくて。そこから窺えるものは一切なくて。
 でも確かに、剣を握る手は力を込めすぎるあまり指の先が白くなっていた。あんなに力んでいたらうまく剣が振るえないのは、まったく知識のないおれでもわかる。そのことを実際武器を手にする十五さんがわからないわけがない。
 そしてその姿を見て、ふとおれは思い出す。忘れていた、大切なことを。
 おれが兄ちゃんと信じて疑わなかった存在が、実はエイリアスという禍の者だったとわかった時。助けに来てくれた岳里と逃げ出そうとしたおれに、十五さんは手を貸してくれた。そして、最後に悲しげに微笑んだんだ。
 兄ちゃんが兄ちゃんと気づけたのも十五さんの働きかけがあったからで、仲違いしていた岳里と向き合うきっかけをくれたのも十五さんで。
 なんでこんな大切なこと、忘れてたんだろう。お礼を言おうって思ってたのに、なんて疑ったりなんてしたんだ。これまでに色々なことがあった。多忙な日も続いて、十五さんと会ってからもう随分と日は過ぎていた。でもだからといって、岳里と同じ見えづらい優しさを持つ人を、なんでおれは。

「とうご、さん……」

 思わずその名を呼べば、岳里と向かい合いながらもおれへ目を向ける十五さん。その目を見て確信する。
 十五さん自身に戦う意思がないことを。それでもエイリアスに従うのはやっぱり兄ちゃんのためなんだ。兄ちゃんを守るために、十五さんは剣を握っている。だからこそおれもふらついていた心を地に足つける。
 信じたい、じゃない。信じてる。おれは十五さんを、信じる。

「弟と決着をつけてみせろ、十五」

 冷酷ながらもどこか楽しそうな色を滲ますエイリアスに、十五さんはおれから目を逸らし、目の前の岳里に再び集中する。
 岳里も同じように意識を研ぎ澄ませ、十五さんと対峙した。そんな二人から視線を外したおれは、階段の上で高みの見物を決め込むやつを睨む。けれどエイリアスはそんなもの気にしないというように涼しい顔をしたままだ。
 おれが拳を握っているうちに、剣同士がぶつかりあう激しい音が響いた。
 慌てて視線を二人へ戻すうちに、二度三度と鳴りあう金属音。残像を生みながら振るわれる二本の剣は重なっては互いに弾かれまた交じり。その動きが早すぎて、おれの目はうまく捕えてくれない。むしろ滅茶苦茶に刃を振るって偶然ぶつかり合っているだけのようにも見えた。
 でもそれは二人の表情を見ていればそうじゃないとよくわかる。確かに相手の剣の動きを見て、それに反応しているんだ。
 人間より強いと言われている獣人を遥かに凌ぐ肉体の持ち主である、竜人。そんな竜人同士の戦いはまさに逸脱したもので、互いの肌に細かな切り傷がついていくのに、その刃が肌を滑った瞬間が一度も確認できてない。
 それでも確かに剣を振るう二人は傷つけ合っていて。頬に腕に、足に髪に、斬撃の痕が刻まれていく。それは一進一退のようで、どちらが押されているともわからない。
 呆然と繰り広げられる、見ているはずなのに見えない戦いを見つめていれば、不意に高みからエイリアスが声をかけてきた。

「なあ、知っているか、選択者」

 傍らにいれば誰もが息を飲み見つめてしまう竜人の斬りあいを、エイリアスはまるで興味がないというように身体ごとそこから逸らしておれに目を向けていた。
 ぶつかり合う剣の音に、しかしやつの静かな声はしっかりと耳に届く。返事をすべきか迷ってから、なるべく感情を押し殺し、口を開いた。

「――何を」
「おまえの従える、その竜人についてだ」

 おれの従える竜人、つまりは岳里のことだ。一体何を告げようとしてるのか、思わず視線だけでなく顔ごとエイリアスに向ければ、やつは細くほくそ笑む。
 まさにやつの望む通りの行動をしてしまって後悔するけど、でもそれよりもエイリアスが告げようとしている言葉の続きを待った。
 おれのまだ知らない、岳里のことを知っているような口ぶり。気にせずにはいられない。そんなおれの心情さえも知るかのように、エイリアスは笑う。

「知らぬようだな。ならば教えてやろう。まずひとつ。おまえの竜人はそもそもが、他を凌駕する種族である竜族の中でもさらに異質な、仲間にさえ恐れられている者だ」
「っ、そいつの言葉に耳を貸すな!」

 十五さんとの激しい攻防の最中でもおれへと神経を裂く岳里は、その息も整えられないほどの剣戟を繰り広げながら声を張る。あの岳里が、明らかに余裕を失っている。やっぱり同じ竜人相手、その上血の繋がる実の兄との斬り合いは苦しいものなんだろう。
 おれは二人へ戻した視線も、エイリアスはそこへ見向きもせずただ前だけを見て続ける。

「力で言えば、十五では弟に敵わぬだろうよ。やつとてそう脆弱なわけではないが、光の者相手では分が悪い。しかし、素人目のおまえから見ても互角に渡り合っているように見えるだろう? それは、あの竜人の最たる弱点が今まさに責められているということだ」

 だから本来の、十五さんのことさえも圧倒する力を奮えずにいるのだと、エイリアスは耐えきれないといったようにくつくつと笑う。

「よく美談の中に語られるだろう、人は時に守るべき者がいて真に力を発揮できる者がいると。しかし反対に、守るべき者が足枷となり本来持つべき力を出し切れぬ者もいる。その後者は他を凌駕する力を持つ者こそなりやすく、強ければ強いほど足枷は重くなる。おまえの竜人はその後者に当たる、いざとなれば生物の頂点に立つことも不可能ではないであろう、強者だ」

 岳里がまた、聞くなとおれに向かって叫ぶ。けれどその瞬間に隙ができたのか、十五さんに大きく縦に斬りこまれた。辛うじて真っ二つにされてしまうような攻撃から身体を曲げて避けたものの、逃げ切れなかった胸が裂かれて血が噴き出る。
 飛び散る赤に、おれは思わずに声を上げた。

「岳里っ」

 その時、エイリアスの方から、ひゅんと風切る鋭い音が聞こえた。咄嗟に顔を向ければ、見えたのは兄ちゃんの顔で冷酷に笑うやつ。そして、空を滑りながらおれへと切っ先を向け迫る短剣。
 この状況に身構えてもいなかったおれは思考さえも停止して、頭が真っ白になって完全に動きを止めてしまう。そうしている間にも目前へと短剣はその刀身を光らせ、額目がけて流れてくる。

「――真司!」

 目をつぶることさえできずにいたおれに、叫ぶように名前を呼ぶ岳里。そこでようやく頭が逃げなくちゃ、と理解するも身体は動かなくて。
 ただ見開いた目で短剣を見ていれば、それはおれの額に突き刺さる寸前で、脇から放たれた岳里の剣に弾かれた。
 鋭い金属音を響かせながら短剣はあらぬ方へ飛ばされ、岳里の投げた剣はそのまま壁に音を立てて突き刺さる。そして二つの音を聞いて間髪開けずに、おれはいつの間にか傍らに来ていた岳里に抱え上げられその場から離れた。
 退くと同時に、それまでおれが立っていた場所に音を立てながら、さっき投げられたものと同じ型の短剣が二本床に突き刺さる。それを岳里に抱えられながら見つめ、そして剣を手に一気に跳躍しおれたちに迫る十五さんの姿も捕えた。
 岳里と同じその顔は、無表情なはずなのに苦しそうで。失われたはずの声は確かにすべてを払うように唸りをあげて、鋭い切っ先を振り上げる。すでに岳里の血で汚れた剣は赤く禍々しく、十五さんの手にはまったく馴染んでなくて。
 そんな顔してほしくない。十五さんにも、岳里にも、こんな顔似合わないのに。
 ぎゅっと唇を噛むと、突然岳里に抱えられていた身体が放り投げられ宙に浮かぶ。ろくに受け身も取れないまま埃まみれの床に転がり、その痛みに呻いた。けれどすぐに聞こえた金属の高鳴り咄嗟に顔を上げれば、壁から剣を抜き取った岳里がそれで十五さんの剣を受け止めているところで。
 そして横顔の見える、本来平たいはずの背には、深々と短剣が突き刺さっていた。

「っ、あ……」

 気づけば口から飛びだした小さない悲鳴は、繰り広げられる斬撃が鳴らす音に掻き消される。
 恐らく、おれに向かって投げられた三本と同じ型のもの。それが付け根まで入り込んでいる。それなのに岳里はこれまでと動きを一切変えることなく、そこを庇う素振りすらなく剣を振るい続けていた。壁際に追い詰められている岳里の背は今にもそこについてしまいそうで、飛び出た短剣の持ち手も動きに合わせて揺れ動く。
 たぶん、さっき投げられた短剣のひとつを避けきれず、岳里はおれを庇ってその身に受けたんだ。
 ことを理解し一気に青ざめたおれに、エイリアスは高みから告げる。

「わかっただろう、おまえがその竜人の足枷にしかならぬだけの存在ということは」

 ようやく岳里へ向けたエイリアスの視線は、背中に突き刺さる短剣を見ていて。もう一度おれを見たその目は、笑っていて。

「恨むがいい、ひ弱な人間であるその身体を。何もできぬ、ただ守られているだけでさえ竜人を危機へと追いやるその身を。いずれはおまえの存在が、おまえの大切な竜人を死に至らしめるだろうよ。類まれなる力を持って生まれた竜人であったとしても、盟約者に恵まれなければ哀れなものよ」

 ――わかっていた、エイリアスが言いたかったこと。
 素直にやつが賞賛する強さを持つ岳里、その弱点がおれであること。おれがいるから岳里は十五さんに集中しきれず、本来の力を十二分に発揮できずにいることを。
 そして現に、岳里は今確かにおれを守って傷を負った。それが後々響いて勝敗を分けるかもしれない。そうしたら、岳里はただじゃ済まないはずだ。十五さんだってしたくないことをさせられるし、兄ちゃんを助けるなんてほど遠い話になってしまう。
 おれがいなかったら、岳里一人だったら、もう十五さんを伸してエイリアスに向き合っていたかもしれない。これまで負った傷も受けずにいたかもしれない。岳里の気を散らす存在でしかないおれがいなかったら、岳里はもっとうまく立ち回れていたかもしれない。
 でもそんなの、ずっと前から知っていた。言われるまでもなく、ずっと岳里に守られてきたからこそおれはわかってたんだ。

「――おれは、確かに弱い。剣を握ったこともなければ、人を殴ったことさえない」

 岳里に、みんなに守られていたから、おれの拳はまだ痛みを知らない。
 今だっておれができることなんてほとんどない。ただ見つめているだけで、岳里ばっかに剣を握らせ、実の兄と戦わせて。お互いを傷つけ合わせて。
 未だにその背には短剣がつき突き刺さったままだ。自分の身でさえろくに守れないおれを庇い、負った傷。
 いつもそうだった。岳里ばかりに辛いのを押し付けて、おれはそれをわかっているのに何もできない。自分にできることをせめて、と思ってやることがどれ程あいつのためになっているのか。
 支えてくれる岳里があまりにも揺るがなく、たくましくて。おれが何もできないことをより一層突きつめられているような気さえすることもあった。
 だからこそ岳里のその強さに憧れて、畏れ、時には妬ましくも思えたよ。おれには岳里が必要だけど、岳里には別におれなんていらないんじゃないかって。何度も悩んできた。

「岳里の足を引っ張るばっかり、なのかもしれない。それでさっきみたいに傷つけるかもしれないし、もっと危ない目に遭わせるかもしれない」

 岳里はきっとおれを守ろうとする。自分の身体をそっちのけで、時にはそれさえも盾にして。
 だからこそおれは岳里の“弱点”なんだ。
 竜人として凄まじいまでの力を持つ岳里とは違って、平和に暮らしてきたただの人間がおれだ。おれたちの力はかけ離れすぎていて、だから岳里の方に色んな制限が生まれてしまう。本当に足枷になるおれの存在がなければきっと、岳里はどこまでも自由なんだろう。
 でも、それでも。

「初めから足手まといのおれに、言ってくれたんだ。おれは岳里に色々なことを与えて、教えていたんだって。だから岳里は強くなれるって。恐れもしない、たとえ相手が危険なものだとしても立ち向かえる。剣を持てる――」

 いつか、初めて岳里が剣を手にした時のこと。城に入り込んだ魔物相手に剣を振るった後のことだ。
 岳里に、どうしてそんなに強いのかって、尋ねたことがあった。その時岳里は言ったんだ。

 “――おれは強いわけではないし、勇敢でもない。けど、おれにそれを与えてくれるやつがいるから、おれは強くなれるんだ。”

 “そいつはたくさんのことをおれに与え、教えてくれる。だからおれは強くなれる。恐れもしない。たとえ相手が危険なものだとしても立ち向かえる。剣を持てる。そいつがおれのすべてだからだ”

 あの時、岳里はおれと盟約を交わしていたことを黙っていたどころか、名も知らないただの同級生の振りをしていた。だから岳里の示す誰かは、おれの知らない人なんだろうと思っていた。そして、本当に大切にしている人なんだろうと。その時見せた岳里の表情が、声が、その言葉は本当だって物語っていたから。
 おれは後々になって、ようやく真実を知らされてわかったんだ。あの時岳里が言っていたのはおれのことだっていうこと。そして、岳里の言葉に嘘はないっていうことを。
 岳里にとっておれはあいつのすべてで。おれが何を教えて与えたのかはわからないままだけど、でも何かがあったから岳里は強いんだ。
 身体的な話じゃなくて、精神が。岳里自身が、強くなれるんだ。
 たとえどんなに強靭的な身体をもって、尋常な力をみせたところで、結局それは扱う人の心に大きく左右される。それほど強い力を奮うには、それに見合う別の何かが必要になる。
 岳里は、その別の何かをおれで得た。だから今、“強い岳里”であれているんだと、教えてもらったんだ。
 だからもう、エイリアスの言葉になんか惑わされない。

「おれは岳里を信じてる。おれが傍にいることを願ってくれる、岳里を信じる!」

 今も十五さんとの激しい剣戟を重ねる岳里にも届くように、耳元で嘲笑う声を振り払うように、声を張り上げ高みにいるエイリアスをまっすぐ見つめた。
 おれが信じるのは他人の言葉じゃない。岳里が言ってくれた真実だ。あいつ自身が伝えてくれた想いだ。
 目を逸らすことないおれに、エイリアスは薄らと浮かべていた笑みを消し去る。そのまま一切の感情さえもなくした顔を未だ甲高い音を奏でる二人の竜人へと向けた。
 しばらくやつを見つめ、それからその視線を辿るように岳里と十五さんへ向ける。
 おれがエイリアスと言葉を交わしているうちにもさらに二人の身体に刻まれた傷は数を増やし、中には深く肉を裂いてるものもある。至る所から血を流しながらも、それでも二人は戦い続けていた。
 あれだけの傷を負えば動きは鈍ってもおかしくはないのに、状況は確かに変わってるのに、当の二人はなにも変わってないようで。
 けれどそれは、おれたちに見つめられたまま唐突に終わりを告げた。

「くっ――」
「が、岳里!?」

 それまで視線を鋭くさせるだけで表情を変えなかったはずの岳里が突然顔を歪め、足から崩れるように落ちて片膝を床につけた。剣を支えにするように突き立てるも、刀身は微かに揺れている。
 十五さんは前触れもなく崩れた岳里の頭を薙ぎかけた剣をぴたりと止めて、顔色を崩さないままそれを下した。
 それまで近づくことさえできそうになかったおれは、慌てて駆け寄ろうとする。けれどそれを岳里が厳しい声で制した。

「く、るな……!」

 その苦しげな声音に、頭で考えるより身体が反応し足を止める。その場に立ちすくんだまま、酷く混乱していた。
 一体、何が起きたんだ。なんで突然、岳里は蹲ったっていうんだ。
 確かに傷は多い。それでも、立てなくなるまでに深い傷は、見当たら――
 考えながら岳里の身体を懸命に見つめ、原因を探ろうとしていたおれは、ようやく事を悟り拳を握る。
 言葉さえ失っていると、エイリアスは再びくつくつと笑いながら悠然と階段を降りはじめた。

「気づいていなかったのか、その背の傷に」
「――っ」

 返す言葉はなく、握った拳にさらに力を込めるしかできなかった。
 大きな怪我はないと思っていた、岳里。あるとすれば背中に刺さる短剣だろうと。でも違った。
 おれの位置は岳里と十五さんが対峙する、真横。二人の横顔が見える場所だ。だからわからなかった。岳里の背に、斜めに裂かれた大きな切り傷があったということに。
 そこから大量に出血しているようで、ついた岳里の膝さえ飲み込むように流れた血が丸く広がっていく。じわじわと床を侵食する赤は止まらない。
 普段から岳里が黒色を好んで着ていて、今日も服は黒くて、だから気づけなかった。それに岳里はそんな、痛がる素振りすらなくて。
 一体いつの間にあんな怪我を、とおれが考える前にエイリアスが答えを告げる。

「おまえを庇うため、十五と斬り合っているというにも関わらずそいつは身を守る道具にもなる武器を放り出した。……それだけでわかるだろう?」

 剣を投げて、おれへと向かってきていた短剣弾いた。そのおかげでおれは怪我ひとつしてないけど、でもかわりに無防備になった岳里は背中に、傷を負った――
 おれが岳里に与えた傷は、肩に突き刺さる短剣だけじゃなかったんだ。
 やつの言葉に状況をようやく理解し、呆然と岳里を見つめながらその場にへたり込む。その間にもついには身体を支えきれなくなった岳里は、自分が作った血だまりに重たい音を立てて倒れ込んだ。

「いい加減、仕込んだ痺れ薬も効いたようだな。まったく、手間をかけさせる」

 その台詞に初めて、恐らく短剣か十五さんの剣どちらかに何かが仕込まれていたことを知る。でもそれは何も、ありえない話じゃなかった。剣に毒を塗られていたところでそれは相手を倒すための手段のひとつであり、ここへ来る前にも懸念していたことでもある。
 幸いなことに、エイリアスは痺れ薬と言った。なら死に至るような毒ではないはず。それがせめてもの救いだった。
 エイリアスはゆったりとした足取りで、剣先を向けたまま傍らで岳里を見下ろす十五さんの隣に並ぶ。岳里が忌々しげに辛うじて動く頭で顔を向ければ、薄らと笑った。

「竜人、おまえには弱点がもうひとつあったな」

 もうひとつの、岳里の弱点。おれという存在以外にもまだ、あるっていうのか。
 見当もつかず困惑すると、その様子からおれの持つ情報を悟ったらしいエイリアスは、わざとらしく説明を始めた。

「力の強い獣人や、竜人ども。それらには自身の力が強ければ強いほど、何かが欠落していたりする。そうだな、たとえばおまえたちが世話になった城の、隊長ども。よく知る者に鳥の獣人と狼の獣人がいるだろう」

 エイリアスが示すその二人は恐らく、ハヤテとヤマトのことだ。二人とも獣人だし、それぞれの種に当てはまってる。
 おれが誰か特定したと判断したエイリアスは、こう続けた。
 ハヤテは“他者の気持ちに疎い”、ヤマトは“主に執着しすぎる”、とあり、そしてそれが、二人にとって戦いにおいて状況を不利へと振るものとなってしまうそうだ。
 それがどうして不利な状況へ導くというのかわからなかった。エイリアスはそんなおれの心を読み取り、さらに詳しく説明をする。
 例えば、ヤマトの場合。主であるコガネが万が一、戦いの最中ヤマトの目の届く場所で怪我を負ったとしよう。するとヤマトは主に執着し、大事にしすぎるあまりに怒りに捕らわれ我を忘れる可能性が出てくるそうだ。冷静を欠くのは戦いにおいてもっとも重要なこと。だからそれがヤマトにとっての弱点になりうるそうだ。
 そしてハヤテの場合も、他者の気持ちに疎いというのは、相手の心情に気づけない、わからないから共感を持てないということ。相手に対し同情心や憐れみも持たないからこそ他を顧みない行動が増える。それは輪を乱しては反感を生み、周りから孤立する可能性につながってしまう。いくら強いといっても独りでは限界がある。だからそれがハヤテを不利に陥れるものになるんだ。
 そうしたように、獣人の中でも特に能力が高い人が何かしらの短所となる特殊なものを抱えているそうだ。そして竜人である岳里もまた、岳里自身を危機に追い詰める欠点がある。

「おまえの竜人の持つもうひとつの弱点は、“痛覚に鈍い”ということだ」

 

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