どんなに踏ん張って力を入れても、オンディヌはぐらぐらと揺れるだけで決して持ち上がらなかった。顔を真っ赤にしながら力の限り歯を食いしばって格闘するも、浮かぶ気配すら見えない。
「無理無理、持ち上がんねえよ。だっておれも持てないぐらいだしな」
「えっ、レードゥも持てないの?」
剣士であり絶対的におれよりも体力も力も格段にあるレードゥ。そのレードゥが持てないのに、非力な一般の高校生であるおれ如きが持てるわけもなく。
素直に諦めて、おれはオンディヌから手を離した。
「オンディヌはその大きさに見合った重さしてんだよ。そんな馬鹿でかいの持てるの、世界広しといえど人間じゃヴィルだけじゃないか?」
「うむ、獣人とて顔をしかますからのう」
「本当、おまえって化け物だよな」
「……褒め言葉か?」
「おいおい、妄想はよしてくれよ」
またも嘘泣きをするヴィルではなく、おれはレードゥに質問した。
「ヴィルって、そんなに力強いのか?」
「強いなんて可愛いもんじゃないな。さっきも言ったように、こいつの腕力は化け物なみだよ。真司も触ってみてわかったろ? あのオンディヌをあいつは軽々持てちまうんだよ」
その言葉に、おれは頷いた。
「なんか、こんなでっかい剣で戦えるなんて、なんだか格好いいな」
オンディヌは持ちあげることすらできないぐらいにとてつもなく重たかったんだ。それなのにヴィルは、そのオンディヌの重さも感じさせずにひょいと持って見せた。
いくらこの世界の人たちについてあまり知らないおれでも、その異常さは十分わかる。格好いい、だんなんて呟きながらも、少し、寒気を感じた。
――あれ? そういうえばこの寒気、前もどこかで感じた気が……?
いつだっけ、と頭をひねらすおれに、レードゥが肩を叩いてきた。いつの間にか傍に来たらしいレードゥに振り返れば、やけに真剣な顔がそこにあった。けれど、おれのほうを見てはいない。
「――真司」
「ん?」
「ひとつ、訂正するわ」
「何を?」
「ヴィルだけじゃなかった」
「……?」
いったい何のことを言いたいのか困惑するおれに、レードゥも戸惑った様子で、指差した。
「化け物は、ヴィルだけじゃなかったってことをだよ」
おれは目に映った光景に、レードゥのように我が目を疑うでもなく、なんでだか納得してしまった。
ヴィルが軽々と大剣を持った姿に感じた寒気の正体を思い出したからだ。そして、今はそれ以上の恐怖に近い何かを感じる。
岳里が、オンディヌを空へ掲げていた。おれが持てないどころか、レードゥにすらどうにもできないそれを、持ち上げていた。
人間で持てるのはヴィルだけじゃないか、って言っていたレードゥの言葉を頭の中で再生する。獣人とて顔をしかめる、って言ったヴィルの言葉を思い出す。
「ははは、おまえの世界って、岳里みたいなやつばっかなのか?」
「そんなわけないだろ……むしろ、おれが基準って思ってもらってくれても構わないぐらいだけど」
レードゥとふたりして、しげしげとオンディヌを眺める岳里から目をそらずに話す。
「岳里も、本当に化け物みたいだ」
おれの呟きがレードゥに届いたかはわからなかった。
「ほほう、岳里よ、おぬしオンディヌが持てるか」
「――ああ」
いつの間か嘘泣きをやめたヴィルが岳里の傍に歩み寄っていた。岳里は近づいてきたヴィルに視線を向けると、すっと手にしていた大剣の持ち手を差し出す。
受け取ったヴィルは、自分の傍らにオンディヌを突き刺し、それに寄りかかりながら岳里へ口を開く。
「わしは化け物と呼ばれるが、同じ化け物に出会ったことはなかったのう」
「……」
「ふふ、おもしろい。岳里、わしと手合わせしてみぬか」
その言葉に反応を示したのはそう申しだされた岳里ではなく、おれの傍に立っていたレードゥだった。
「ヴィル! 何言ってんだ? そんなつもりでここに来たわけじゃねえぞ」
足早にヴィルの元へ向かうと、腕を組み凄む。離れた場所になったおれでも、その瞳の鋭さに息を飲んだ。
けれどヴィルはそんなレードゥに慣れているのか態度は変わらない。それどころか、薄らと笑顔を浮かべた。
「うむ、わかっておる。しかし、おしいとは思わんか? わしと同じ化け物であるなら、岳里は十分な素質があると言えよう」
化け物。それは今、ヴィル自身だけでなくて、岳里のことも示している。おれも岳里を化け物だと思ったし、レードゥもそう感じていたけど、ヴィルにそう言葉に出されると何故か苦しいものがあった。
今までと何ら変わらないヴィルに見えるのに、何だが言葉の節々がところどころ冷たく感じるは気のせいななだろうか。
「この世界の秤でこいつらを計るな。別の世界のやつらなんだぞ。こいつらの世界には剣はいらなかったんだ、なのに教え込む必要はない」
「これまでに見てきたが、環境の違いはあれど人体の違いはそうないと思うが? それに単なる試しだ、そう心配することもあるまい」
「だがっ」
「それにやるかやらぬかは本人が決めることよ。なあ、岳里。おぬしも興味がないわけではあるまい? わしと一度で構わんから、遊びのつもりで相手をしてみぬか」
「別に興味など……」
向かい合った身体をレードゥから逸らし、ヴィルは岳里へ視線を向ける。そして、数歩の距離を埋めると、岳里の肩を叩き、耳元で何かを囁いた。
驚いたように、見開く岳里の瞳。そして、はっきりとした強い感情をこめて身体を離したヴィルを睨んだ。けれど、それもすぐにいつもの岳里に戻り、表情も消える。
「――わかった。やってみる」
「うむ、そうこなくてはな」
意見を変えた岳里と、変えさせたヴィルに、レードゥはまだ何か言いたげに口を開きかけた。けれど何も告げることなく一度ヴィルを強く睨む。それから岳里のほうへ近づいていって、口調を少し荒くしながらまずは柔軟するよう指導をはじめた。
――本当に、ヴィルと岳里が戦うんだ。試しの簡単なものなんだってわかるけど、その様子をまったく想像できない。
おれはただただ不安を募らせていった。
自分の武器を回収し、小さなピアスの姿に戻すヴィルへ歩み寄り、おれは尋ねる。
「ヴィル」
「どうした真司」
「さっき、岳里になんて言ったんだ?」
別に興味はないと言いかけた岳里に囁いたその一言を知りたくて、おれは直球で尋ねる。けれどヴィルは変わらず笑顔を浮かべたまま、立てた人差し指を口に持っていき、答える。
「秘密だ」
「いいか、無茶すんなよ。おまえは基礎も習ってない素人なんだから。けど相手は玄人みたいなもんだから、遠慮はすんな、全力で斬りにいけ」
ヴィルがすぐ後ろに控えているにも関わらず、レードゥはそう告げる。
そんなレードゥに、健気に震えながらもヴィルは声をかけた。
「レードゥよ、そう怒るものでもないぞ……? わしとて岳里相手に本気を出そうと思うておらん」
「いいか、危ないと判断したらおれが間に入ってあの馬鹿をやってやるから、無茶はすんなよ。いくら木刀だからって、おまえらみたいな腕力のやつらが手にしちゃ凶器なんだからな」
「れ、レードゥ……」
けれど振りむきもされず、岳里の相手ばかりをするレードゥに、ヴィルから出る声音はどこか切なげだ。
今回ばかりはなんだかおれもレードゥの味方だ。けど、決して自業自得なんて思ったりすることもないわけじゃないが、少しだけヴィルが可哀想に思えてきた。
地面に両手両膝をつき打ちひしがれるヴィルの肩を、ぽんと優しく叩いてやった。
「ていうか、本当にその武器でいいのか? もっと他の、使いやすいものを選べば……」
「これでいい」
「そうか、なら気をつけて使うんだぞ」
「ああ」
岳里は手にした木刀、とは言っても、特殊な加工のしてあるそれを手にして、中央へ歩いて行った。
遅れながらヴィルもその手に木刀を持ち、レードゥに尻を蹴られながら向かう。
ふたりが持つ木刀は、その名の通り勿論木でできている。けれどこれにもまた魔術師アロゥの魔術が掛かっていて、その重さは到底木でできた剣ではないようなんだ。まるで、本物のようにその見た目の形通りの重さをしているらしい。それに加えて強度も上げているから、訓練にはもってこいのものに仕上がっているそうだ。
ヴィルが持っているのは、標準的な大きさの剣だ。使い慣れていて一番得意なのはやはり相棒であるオンディヌのような大剣らしいんだけど、そこは素人相手というわけで手加減するためにもそれを選んだそうだ。剣以外の特殊な武器、槍だったり鎌だったりにしなかったのは、それを相手にする岳里のことを考えてのことらしい。
対する岳里が選んだのは――様々な種類大きさのある木刀の中で、大剣の型のものだった。大きさはほとんどヴィルのオンディヌと変わらないものだ。勿論、木刀とは言え魔術がかかっていて重さは本物に近くなっている。
普段ここを多くの兵士の人たちが利用し修業をいそしんでいるそうだが、今岳里が手にしている大きな木刀を扱うのはヴィルぐらいで、他の誰も使っていないそうだ。
勿論重さのことが一番の理由だ。持てない武器を使う人はいない。けれど他にも大剣にはネックがあるらしい。
ひとつは重さによる、攻撃速度。どうしても振る動作が遅れるから。ふたつ目はその大きさ。俊敏に動かすことができず、動作がどうしても大ぶりになる。そう言った理由から、あまり人気のない武器らしい。
利点も勿論あるそうだ。その重さゆえの破壊力だったり、長さを生かした広範囲の攻撃が可能だったり。けれど扱いにくさが圧倒的すぎるらしい。
ヴィルにはそんな不利点があまり関係ないらしい。重さをほとんど感じずに扱えることからひらひらと動かすことができるからだそうだ。
だからヴィルと同じぐらい馬鹿力な岳里なら大剣を扱えるだろうと、レードゥは許可を出した。
本当は、癖がない普通の剣をレードゥは勧めたんだけど、岳里がこれでいいと頷かないもんだから仕方なくオーケーを出したっていう理由もある。
「ヴィル、確認するけどな、使うのは片手だけだからな。それと左手での使用。それとヴィルから攻撃はしかけないこと」
「うむ、わかっておる」
「あと、おまえが少しでも本気出したらおれがイグニィスで岳里の助太刀をする、それもいいんだな?」
「う、うむ……」
助太刀、つまりはヴィルを斬るという意味だということは、いくらなんでもおれにでもわかった。だってレードゥの顔は笑ってるのに目は笑ってないから。
いくらなんでも効き手じゃない手で剣を握れるのか、っていうのは思ったけど、どうやらヴィルは利き手は両方らしい。どちらかと言えば左手の方が反応とかが鈍いらしいから、そっちを使うことにしたそうだ。
「勝敗は、岳里の場合ヴィルに一本入れたら勝ち。ヴィルの場合は岳里の剣を手放させたら勝ち。場外に出た場合はヴィルのみ敗北。それでいいな?」
「ああ」
「うむ」
ふたりに確認をとり、最後までヴィルのほうへ注意をして、レードゥはその場から離れておれの隣に来た。
おれの今いる場所は、地面にはじめから四角く線を引かれていた場外だ。こうした模擬戦をよくやるらしく、それように仕切られた場所でふたりは手を合わせることになる。
本来なら場外に片方がなった時点でそのほうの負けが決まるけど、岳里は慣れてないと言うことと、ヴィルは隊長なんだから、という理由で岳里のみそれを免除された。
「岳里、本気で構わぬぞ。遠慮はいらぬ」
「……言われなくても」
明らかに余裕を見せるヴィルに対し、岳里はそれでもいつも通り冷静だった。
学校では体育なんかで様々な面で驚くような運動神経を見せてた岳里だけど、いくらなんでもいきなり剣を手にして戦いましょう、だなんて無理に決まってる。そうわかってておれは、それでも岳里を止めることはできなかった。
――目の前に、木刀ではあるけど剣を持つ岳里。その表情はいつもと変わらない。変わらないはずなんだけど、でもどこか、おれには違うように見えた。
その違うが、なんなのかわからない。けど岳里がヴィルに何か言われて、それから少しおかしいような気がした。わからない、わからないんだけど……いつもの余裕みたいなのが、一切ないように見えた。少し、どこか焦っているような。
多分おれの勘違いだと思うんだ。でも、その違和感みたいなのが拭えなくて、どこか居心地が悪かった。
はじめ! と凛と空へ響くレードゥの声を合図とし、それははじまる。
けれどどちらもすぐに動き出すことのなく、互いに見つめあう。
「どうした、来ぬのか? わしからはゆけぬのだから、おぬしから向かって来んとはじまりはせんぞ」
言葉で岳里を煽ろうとしているのか、余裕を滲ませた台詞を連ねながらヴィルは笑っう。
ヴィルは使用禁止の右腕を腰の後ろへ回し、左手で剣を構えていた。対する岳里は、ほぼ棒立ちに近いような状態で大剣の切っ先を下に構えヴィルをうかがう。
さっきヴィルの言った通り、ヴィルからの攻撃はレードゥによって禁止されている。だから、岳里が動かなければ何もはじまらないのも確かなんだけど、それでも岳里はぴくりとも動かなかった。
それに対して、ヴィルは更に煽る。
「何だ、やはり剣は恐ろしいか? 守る力はこと足りていると申すか」
その瞬間、ざっと地面を蹴る音が響き、岳里が走り出す。
突撃するような勢いでヴィルへ向かい、間近まで迫ると大剣を上へと振る。
がつんと、木で模した刃同士がぶつかり合った。岳里の手にある大剣の半分ほどしか幅のない木の刃で、ヴィルがそれを受け止めたんだ。
片手で握っていた持ち手を両手で掴み直して、岳里は力を込める。それにヴィルの刃は押されるけど、弾かれずに堪えていた。
あの岳里が両手を使ったとなれば、その力がどれ程のものになるかおれなんかじゃ想像できない。それを、ヴィルは片腕のみで受け入れている。しかも、右手は腰に縫われたまま。踏ん張りも大して効かないはずなのに。
いきなりの力のぶつかり合いにおれは見入っていると、ヴィルが何かを言っていた。ここまで届くことのないその声だけど、傍の岳里にははっきりと聞こえていたらしい。言い終え、笑うヴィルに、岳里が眼光を鋭くした。
一瞬、その瞳が黄金に輝く。
「――っ」
思わず瞬きをすれば、岳里の瞳は普段と変わらず、そして、場面は一転していた。
今までから押し上げる岳里と、上から抑えるヴィルだったが、するりとヴィルが抑えを外す。
力を込めていた岳里の剣は、何もない虚空を鋭く割き、その勢いにつられ腕は伸び、その脇腹はがら空きになった。そこへ、ヴィルがちょんと手を突く。
「ふふ、まずは一本」
すぐに片方の手を持ち手から離した岳里が、わき腹に触れたその手をめがけて肘を下ろすが、その前にヴィルは飛び退いた。
「はは、岳里のやつ初歩的な手にひっかっかったな」
隣で愉快にレードゥが笑っていたが、おれはそれよりもふたりの動きに見入っていた。
岳里は次に、剣を両手で持ち直しヴィルの足元めがけ、遠慮なしに叩きこむ。けれど動作の重いその思惑はすぐに気付かれ、さっと退かれてしまう。身代わりというように、大地に大剣がめり込んだ。
「加減を知らぬか」
それも煽るためなのか、それとも本心なのか、けらけらとどこか嘲るようにヴィルは笑んだ。
岳里は、地面に突き刺さる剣を抜く。木でできた切っ先にはその色よりも濃い地の色がへばりついている。
「何事も加減だ。そんなに全力でゆけば、いずれへばるぞ」
ヴィルの助言の途中、岳里はまたも斬りかかった。それを受け入れようとしたヴィルが剣を構えたところで、突然大剣の軌道は変わる。刃が交わる瞬間に、びたりと止まったんだ。
「ぐ……!」
どうして、とおれが思ったところで、ヴィルのうめき声が耳に届く。
慌てて、止まった岳里の剣から目を離しヴィルを見ると、その腹に膝をめり込ませる岳里がいた。そのはまり具合からいって、遠慮は微塵も見えない。容赦ない一撃が決まっていた。
「――ぷっ、ヴィル何やってんだ! そんなんじゃ一本取られちまうぞ!」
「うぐ、見事な蹴りだ……」
そう呻きながら、ヴィルは腹を押さえよろけた。岳里はふん、とその様子を一瞥する。
「なあレードゥ、あれで一本じゃないのか?」
「いいや、一本取るのは剣でのみだ。でなくちゃあんまりにもヴィルが可哀想だしな」
「なるほど……」
おれの意識がそれている間に、がん、がん、と連発して激しい音が響いた。
慌てて視線を戻せば、激しく打ち合うふたりの姿が目に入る。
一度交えては離して角度を変え、またぶつかりあう。それを何度も繰り返し、岳里がヴィルを追い詰めていく。
全力の力を込められる岳里と、片腕分の力しか出せないヴィル。いくらヴィルが化け物並みの力の持ち主であっても、相手もそうであれば必然的に押されるのは決まってくる。
じりじりと後退しつつあるヴィルに、レードゥが叫んだ。
「そのままじゃ場外だぞ!」
そこでおれはふたりばかりに注目していた視線をようやく逸らして地面に目を向けると、だんだんヴィルが枠の線に近付いていることに気がついた。
どうすんだ、なんて野次を飛ばすレードゥは、ヴィルのほう分が悪いっていうのにとても楽しそうで。その姿を見て、押されるヴィルをみて、申し訳ないとは思いつつおれも声を張り上げる。
「岳里! 頑張れー!」
応援するならやっぱり、おれは岳里のほうだ。おれの声に続いて、レードゥも岳里の名前を出して応援する。
それに反応したのは名前を呼ばれもしないヴィルだった。
「せめてレードゥはわしをっ、わしの名を!」
「わかってるって! ――岳里、とっととヴィルを倒しちまえ!」
あ、そういう風に出すんだ。
本格的に可哀想かな、なんて思っているうちに、ヴィルの背後にまで線は迫っていた。
このままいけば場外。けれど、そう簡単にいくわけがない。
ヴィルはふっと笑顔を見せると、剣を下ろし、そのまま地面を転がり岳里の攻撃から逃れると、そのまますぐに体制を立て直して片膝をついた状態になる。そして剣を地面に埋める岳里の空いた腰を、とんと木刀で叩いた。
「二本目だ」
岳里の反応は早かった。すぐさま地面から引き抜くと、それをしゃがんだヴィルめがけ振り下ろす。
今度もヴィルは避けてしまうと思っていたけど、なぜだかその場から動こうとはしない。おれが声を上げる間もなく、再び岳里の剣は激しい音を立てた。
「まったく、躊躇いもないとは」
恐ろしいやつよと笑ったのは、ヴィルだ。岳里の剣は地面へぶつかり、めくりあがった地面がぱらぱらと宙に舞う。
退かなかったヴィルは自分の剣を取り出すと、振り下ろされる岳里の刃めがけ横からそれをぶつけたんだ。そして軌道を逸らさせ、自分はそれから動くことなく避けてみせた。
決しておれなんかじゃできない業で、きっとある程度訓練した兵士の人でもそんなことできないと思う。
そもそも力強く振りおろされた刃の動きをずらすだけでも相当な力がいるだろうし、ましてや自分の身体分逸らさなくちゃいけない。これは多分、化け物って言われるヴィルじゃなきゃできない荒技なんじゃないかな。力が弱ければそこまでの幅を動かすことなんてできやしないと思う。それにタイミングが少しでもずれれば、あのまま岳里の剣はヴィルを殴っていたに違いない。
おれの読みはあたりなのか、さっきまでおれと一緒に叫んでいたレードゥがぴたりと口を閉ざしていた。ちらりとその表情を伺えば真剣な眼差しでふたりを見ている。その真意まではわからないけど、とてもじゃないけど声をかけられる様子じゃない。
おれも口を閉じて、ふたりを見守った。
いつまでも余裕なヴィルに、岳里はどうするんだろう。
岳里は再び切っ先を下にし、その場にぴんとした背で立った。ヴィルも立ち上がり、剣を片手で構えて、空いたもう片方の手を腰の裏に回す。
岳里の剣は土にまみれてて、ヴィルも服を汚していたけど、それ以外はすべて最初に戻ったようだった。
「――ヴィルに制限付け過ぎて、なかなか決着がつかないな」
向かい合うふたりを見ながらレードゥが呟いた。
「なあ、レードゥ。レードゥはふたりのうち、どっちが勝つと思う?」
そんなの、普通に考えれば隊長を務める騎士のヴィルだろう。いくらハンデがいくつもつけられているとはいえ、相手は剣にド素人の岳里だ。運動神経どうこうの話じゃないんだから、おれは絶対にヴィルが勝つんだと思った。
でも、それも結局は素人の見解だ。ヴィルと同じ立場のレードゥならなんて答えるかが気になって、気づけば尋ねていた。
レードゥもヴィルと答えるとばかり思ってたけど、けれどおれの予想は外れる。
「――このままヴィルが気づかなきゃ、岳里だな。気づいてたらヴィルの勝ち」
「気づく?」
「ま、見てればわかるさ。何事も客観的にみているときのほうが気づくことは多い。でも、それが主観になるとつい見逃しがちになる。普段のヴィルならそんなことないけど、あいつ今日ちょっと変だからな」
ますますなんのことだかわからなくなっておれが首を傾げると、おまえは気づいてなくても許される、なんてレードゥは笑っておれの頭をがしがし撫でてきた。
「レードゥ! 浮気は許さぬぞ!」
「…………」
いつの間にかヴィルは目の前の岳里から視線を逸らし、おれたちに向かって叫んでいた。そして岳里も、無言でおれたちを見ている。けれどどこかその目には不機嫌そうな色が浮かんでいた。
「うるせーよ! さっさと続きやれ!」
レードゥの言葉に、しぶしぶと言った様子でふたりは向き直る。
中途半端に切れた集中で大丈夫か、なんておれの心配も杞憂に終わり、再び少し前の真剣な空気に戻った。
おれもそれを見つめ、さっきのレードゥの言葉を思い起こす。
レードゥは岳里に勝つ可能性を感じていた。その鍵は、ヴィルが気づくか気づかないか。
一体何を、とは思うけど、やっぱりおれには気づくことができないのかわからなかった。
おれがそうして考えている間にも、岳里が動く。片手で大剣を構え、ヴィルの顔めがけて横に薙ぎ払った。
ぶん、と風を殴る音がおれのもとにまで届くほど威力があり、そして早い攻撃。それをヴィルはのけぞり避ける。その顔にはやはり余裕があったけど、次の瞬間驚きに目が見開かれた。間髪一切開けずに、次なる岳里の攻撃がヴィルに襲いかかったからだ。
岳里は大きく振った剣を、宙で一旦手放し、それを左手で受け取りそのまま次へと繋げたんだ。
隣のレードゥが息を飲んだのがわかった。
今度は縦に振りおろされた刃を、ヴィルは背を反らした体制のまま横へ崩れる。さすがにその表情に余裕はなく、むしろ剣士として鋭くなった眼差しを覗かせていた。
けど、岳里の追撃はまたも間を空けることなく続いた。
左手で掴んでいた木刀を手放すと、地に突き刺さったそれを再び右手に取る。けれど今度は、持ち方が違った。剣を、逆手に持ったんだ。抜かれた切っ先がくるりと弧を描き、まっすぐに伸びた岳里の腕に並行するように空を刺す。
ぐっと肘を曲げると、岳里は未だ体制の整わないヴィルへ叩きつけるように刃を押し出した。
「っ――!」
ヴィルはまた転がって逃れるが、岳里は更に追う。
またも途中で持ち方を変え、手首を捻って掌を上に向けながら通常に持ち手を握った岳里は、くるっと手の甲を上に向ける。その際に剣も大きく動き、切っ先が半円を描いた。
そして体制を立て直し、片膝をついてしゃがむヴィルへ休む暇も与えずに斜めに斬りに行く。
ヴィルはそれを受け止めはじいた。そして間合いを空けるために飛びのく。
それを見た岳里が、小さく笑った。
「ぬぅ!?」
地面へ着地した瞬間、ヴィルの身体が大きく傾いた。ヴィル自身も予想してなかったのか、驚いた声が響く。そしてそのままばたんと背中から倒れてしまったヴィルの首に、岳里は木刀の切っ先をつきだす。
「一本」
静かなその岳里の声が、決着を告げた。