「うむ。正確にはわたしの目に、何も見えない。本来見えるはずの力、魔力も、治癒力も、どちらもだ」

 おれは魔力も、治癒力も、どっちも持っていない。そう言われても別に、今までならなんとも思わなかった。だって、おれはこの世界の人間じゃないから。
 でも、ならなんで――

「おれはセイミアに並ぶぐらいの治癒力を持ってるわけじゃないんですか?」

 おれにはセイミアと少なくとも同じくらいの治癒力を持ってなきゃ見えない光が見えた。だったら、つまりはおれにセイミアと同じくらいの治癒力があるということ。なのにおれのその力は、本来アロゥさんに見えるはずの力は、見えない。
 これが、アロゥさんの言っていた疑問というやつみたいだ。
 それってどういうことなんだと、ない頭で考えようとしたところで、すぐにアロゥさんがふふっと小さく笑った。

「そう気にすることでもない。単に質が違って見えぬだけなのかもしれない。真司は異界の者。その身体の、理が違ってもおかしくはない。話によると、君たちの世界にはそもそも魔術も治癒術も存在しないようだしな」
「あ……そうか。そうですよね。そもそもおれたちってこの世界の人間ではないから」
「うむ。だからわたしには見えないだけ、という可能性が高い。その点に関してはあまり気にせずとも良いだろう」

 頷き笑んでみせるアロゥさんにあっさりとおれの悩みは消し飛び、はっきりはしてなくても結論が出て安心する。

「はい。……ところで岳里の、魔力とか治癒力とかも、やっぱりおれと同じで見えませんか?」

 こんなおれに治癒術が扱えるなら、超人岳里ならばもっとすごい力がありそう。そう思ってアロゥさんに尋ね、ちらりと横の岳里を見ても相変わらず表情のない顔で話を聞いてるだけだった。

「――岳里のものも、わたしには見えぬな。セイミアの治癒術の光が見えぬ以上、恐らく治癒力はないとは思うが」

 答えはやっぱり想像してた通りのもので。わかってはいたけど、少し残念だ。
 すまぬな、というアロゥさんに首を振っていると、セイミアがおれを呼んだ。

「真司さん。わたしからの提案なのですが、少し、治癒術を学んでみませんか?」
「え、いいのか?」
「ええ、勿論です。真司さんさえ興味があれば。治癒術を会得することで損することは一切ありません。それよりも傷の治癒が行えるようになるので、いざという時など役立ちますよ」

 それに、そろそろ語学も学び終える頃でしょう、ならばちょうどよいのかと思いまして、と続けるセイミアにおれは少し考える。
 さっきアロゥさんが言った通り、おれたちはこの世界の人間じゃない。そんなおれがこの世界の、治癒術を学んでもいいものなんだろうか。――セイミアはいいって言ってくれてはいるけど、貴重な力みたいだし、興味本位で教えてもらうのはなんだか悪い気がする。
 おれが迷っていることの気が付いたのか、セイミアはまた口を開いた。

「今後岳里さんの訓練も激しくなり、怪我も増えるでしょう。ですが必ずしもわたしが怪我を診ることができるとも限りませんから、そんな時に真司さんが治癒術を扱えると助かる、っていうこともあるんですよ」
「あ……そっか、なら、教えてもらおうかな? 岳里なら無茶しそうだし」

 おれたちは“異界の人間”であり、それを知る人物以外とはあまり接触しないように、と言われている。それはつまり治療を受ける際もそうであり、治癒術を扱える人間の中でおれたちの正体を知るのはセイミアだけだ。怪我を診てくれるのも、診せることができるのも、セイミアのみ――七番隊で隊長であるセイミアは多忙であるし、そもそも治癒部隊自体が人が少なく常に動き回ってるそうだ。そんなセイミアにあんまり迷惑をかけることはできない。
 おれがもし治癒術を使えるようになったら、少しはその仕事を減らしてやることができるかもしれない。岳里の傷も、セイミアが忙しくて診せられない時でも治療してやれるかもしれない。
 セイミアの口ぶりからして、治癒術の習得はそこまで時間のかかるものでもないようだし、もしかかったとしてもおれならいつでも暇だから問題はない。それおれが治癒術を使えるようになって損なことは、言われた通り一切ないはずだ。
 もしそれを考えてセイミアが申し出てくれたなら、一度断ってしまって悪いことをしたな。

「頑張るから、よろしく頼むな」
「はい、任せてください。厳しく指導させていただきます」

 笑顔でそう言ってのけるセイミアに、おれも笑みを出して、怖いな、と返す。
 隣にいる岳里の視線を感じたけど、岳里へ目を向けることはできなかった。

「――さて、セイミア。そろそろ行こうか」
「はい。それではお二人とも、今日はゆっくりと休んでくださいね。特に岳里さん。今日だけは身体を休めてください」
「ありがとうございました、アロゥさん、セイミア」

 にこりと愛想よく微笑む二人におれだけが同じ笑顔を返し、軽く手を振る。岳里をちらりと横目で見るが、相変わらずの表情のない顔で動き出した二人を見つめていた。
 アロゥさんもいることだし、セイミアも何度も様子を見に来てくれてるし、せめて一言でも言わせたほうがいいな。
 なら二人が帰ってしまう前に早く、と岳里へ顔を向かせ口を開こうとしたところで、突然耳鳴りがした。

「……?」

 そう激しいわけではなかったけど思わず動きを止めてしまうと、それに素早くアロゥさんが気が付く。

「どうかしたかね、真司」
「あ、いえ。ちょっと耳鳴りがしただけです」

 おれが首を振れば、アロゥはそうか、と言っていつものように頷き、それから部屋を後にした。セイミアもひどくなるようだったら自分に言うようにと残し、去っていく。
 完全に扉が閉められるのを待ってから、おれはさっき言えなかったことを言おうと振り返れば、岳里はすでにベッドから立ち上がっていた。

「岳里、どこか行くのか?」

 言おうとしていた言葉はあっさり飛んでいき、別の言葉で尋ねる。
 岳里は一度おれに視線を向けただけで、そのまま何も言わず出てってしまった。

「あっ、待てよ!」

 おれの言葉はすでに扉を閉めた岳里へは届かず、追いかけようとも思ったがやめておいた。

「帰ってきてからでも、いいか」

 戻ってきたら注意しようと、おれはベッドへ寝そべり潜り込む。
 耳鳴りがまた鳴るかと構えていたが、あれっきり何もなく、おれはすぐにそのことを忘れて大きな欠伸をひとつした。

 

 

 

 部屋を出てそう間もなく、前にアロゥとセイミアの背が見えた。さらに足を速めようとしたところで、アロゥが先に立ち止り、おれに振り返る。

「――ふふ、セイミアに、今日は安静にしておれと言われたろうに。そんな恐ろしい目をしてはいけないよ。彼に、言うつもりかと聞きにきたのかね?」

 もうすでにおれの存在に――おれが、追いかけてくることを知っていたように、アロゥはほくそ笑む。
 彼の隣に立つセイミアはアロゥの言葉の意味がわからないのだろう、戸惑い気味におれとアロゥを交互に見ては声をかけようとし、やめる。けれど瞳は何かを聞きたげにこちらを見つめた。
 その二人の姿をそれぞれ目に映してから、アロゥの言葉に頷いて見せる。すると彼は相変わらずの人の良さげな穏やかな笑みを浮かべた。

「いいや、言いはしない。彼が――真司が、治癒術だけでなく魔術すら扱える可能性など」

 その言葉に大きな反応を見せたのはセイミアだった。ただでさえ大きな瞳がさらに見開かれ、驚いたようにアロゥへ振り返る。そして口を開こうとしたが、その前にアロゥが話を続ける。

「治癒術は癒しの力。もし暴発しようとも誰に被害があるわけでもない。だが、魔術は違う。もし彼が半端に力を使いこなせるようになったとして、魔術を暴発させれば。どれほど被害が出るか、想像もつかない。恐らく、わたしとて彼を止めることはできないだろう」
「アロゥさま、もですか……?」
「うむ。真司の魔力も治癒力もわたしには見えなかった。セイミアも、彼の治癒力は見えなかったろう?」
「え、ええ……本来治癒力は、魔力とは違い制御できないうちは垂れ流しにされるものです。なので治癒力を治癒術として扱えない方の力は、常に身体が発光し見られる状況にあります。けれど、真司さんのは……」

 言い淀むセイミアの言葉の続きは安易に想像ができた。
 相当の治癒力を持っているはずの真司。真司に説明はされていなかったが、治癒力は魔力と違い、術として扱えないうちは制御が利かず、その力は常に体外へ放出され続ける。極端なたとえを出すなら、常時微量の治癒術を使用し続けているようなものだ。だから治癒術使用の際にだけ見えるはずの浮遊する光や身体の発光が見える。しかし厳密には術を使ってはいないためそれは誰にでも見れるものでなく、同じ治癒術を扱える者であり、さらにはその持つ力が同等もしくは上の者にしか見えない。
 だからまだ治癒術を得ていない真司は、現時点では常に体外に力を放出し続けている状態でなければならない。
 ――セイミアはあえて、自分と同等かそれ以上の力があると真司に伝えた。それは真司がセイミアの治癒術を見た際、セイミアと同等かそれ以上の力がある者しか見えない光を見たからだ。だが、そのセイミアには現在常に真司が放出しているはずの治癒力が見えない。
 それはつまり、真司がセイミア以上の治癒力を秘めているということになるのだ。だがその事実を濁し真司に伝えた。恐らく誰かがその事実を隠すようセイミアに命じていたのだろう。
 出会ってわずかな期間ではあるが、セイミアは正直すぎるところがある。自分の意志だけで話すのであれば、真司が己以上の才があることを手放しに褒めていたことだろう。だがそこが第三者の考えに制され、真司に伝えられなかった。
 真司の治癒力は見えなかった。その言葉を飲み込み戸惑いを強く表したまま、セイミアはアロゥを見つめる。アロゥは、ただ静かに頷いた。

「そう、つまりはそういうことなのだ」

 小首を傾げるセイミアに、アロゥは言葉を続ける。

「わたしに見えぬ魔力。セイミアに見えぬ治癒力。――真司は双方の実力ともに、我らよりも上だ」
「そ、んな……まさかっ」

 刻々と告げたアロゥとは反対に、セイミアは明らかに顔色を変え、珍しく声を荒げる。それほどまでに突きつけられた事実がセイミア自身信じがたいものであると伝えていた。

「わたしの治癒力はともかく、アロゥさまの魔力はこの国だけに留まらず、この世界で最高峰のお方です。そのアロゥさまを、真司さんは抜くとおっしゃるのですかっ」
「――セイミア。きみには先程の音が、聞こえなかったろう」
「音、ですか……?」

 見当がつかないのか、セイミアは首を振る。

「うむ。わたしが魔術を用い鳴らした、わたしと同等かもしくはそれ以上の実力の者しか聞こえぬ音だ。――いや、音というのは違うかもしれぬ。“耳鳴り”として、感じるものだ」

 アロゥの言葉に、セイミアは一度口を閉ざし思考する。そして、すぐに思い出したのだろう。退室間際にしかけたアロゥの魔術に反応を見せた真司のことを。

「まさか、真司さんの言っていた“耳鳴り”は……」

 自分の考えを思わず口に出してしまったような、小さなセイミアの声音にアロゥは頷く。

「うむ。真司は音を聞いていた。そんな彼の魔力がわたしには見えない。――その意味は、わかるだろう?」

 深く考えるセイミアから視線を外すと、アロゥはおれに目を向けた。
 ――魔力は、魔術をある程度扱えなければ見えない。誰しも大なり小なりもつものだが、魔力が見えるのは高位の魔術師くらいになる。さらには見えるようになっても制限があり、それは治癒術の、術者よりも強い力を持った者しか見えぬ光のようなもので、魔力が見れるようになったとしても己の実力以下の者の内にあるものしか見ることはできない。
 証拠も揃えた上で、真司は最高峰と謳われる魔術師であるアロゥの魔力を凌いでいる。その事実は確実なものであると、アロゥは言っているのだ。

「でも、そんな……あ、アロゥさまも、おっしゃったではありませんか。真司さんは異世界の方です。有する魔力の質が、わたしたちと異なり見えないだけなのかもしれないと。それに、です。もしアロゥさまのお話が真実であるとするならば、真司さんは魔力も、治癒力も、どちらも持つことになるではありませんか」

 短時間で考えたものを、同じ時間の中で冷静を取り戻したセイミアは口する。ぐっと顔を引き締める姿は懸命に混乱を抑えているようにも見えた。
 アロゥはその言葉を想定していたのだろう。そう間を開けることなく、淀みなく言葉を紡ぐ。

「――以前、真司が三人の男に襲われた時のこと。その建物の周囲の植物のみが急成長した上でさらに巨大化したことがあったな。セイミア、覚えているかい?」
「はい。隊長は全員確認するよう指示を受けておりましたし、わたしも現地に赴き目にいたしましたが――わたしの背丈などゆうに超すほどのもので、建物に巻きつき、その原因は未だ不明。異常が発見されたのはその場所だけとのことでしたよね」

 セイミアが確認にと口に出した内容にアロゥは頷く。

「あくまでわたしの考えてあるのだが、恐らくそれは、真司が恐怖心から無意識に発動した魔術だと思う」
「無意識に発動した、魔術……」
「うむ。あくまで想像でしかないが、もし真司がわたしを凌ぐ魔力の持ち主であるならばありえない話ではない。そして、それ以外に植物たちに起きた異常を説明でない。セイミアも知っておろう。真司の受けた仕打ちを。その痛み、恐怖ははかり知れぬ。そしてそれが魔術を使えぬはずの真司に何らかの影響を及ぼし、魔術を――いや、魔術と治癒術とを併せた力を発動させたのだろう」

 セイミアは沈黙した。その姿を変わらぬ穏やかな瞳で見つめながら、アロゥは目をつむる。

「植物を成長させることも、大小変化させることも、大魔術師と呼ばれるわたしといえどもできはしない。そして、それは魔術で可能な範囲からは外れている。もちろん治癒術とも。――しかし、その二つを併せた力ならば、可能なものとなるだろう。あくまでわたしの予想でしかないが、それしか真司が襲われた時の植物たちの異変の原因は見当たらない」

 アロゥが一度口を閉ざしても、セイミアは深く思考したままうつむいていた。ゆっくりと瞳を開けたアロゥは、おれを見る。

「すべてが可能性の話であり、予想の域をでない。しかしながら、真司の“役割”も判明しておらぬ以上、彼には十分な注意と警戒が必要だ。今回新たに出たこの可能性、王にもご報告する」
「――――」
「いいかい、岳里。ひとつ覚えていてくれ。この世界の人間は魔力か治癒力、どちからしか持っていない。しかし真司はどちらも持っている可能性が極めて高い。そして、異世界の人間でもある以上、貴重な人材だ。だがそれ以上に、危険な人物となる。――彼は、真司はいい子だ。それはわたしだけでなく、彼と触れ合った皆が思っていること。しかし事態に変化が訪れ、それがこの国にとって災いとなるならば。我らはそこに私情を挟むことはない」

 言葉を終え、ゆっくりとした瞬きを二度すると、アロゥは再び口元に笑みを戻す。いつもの、穏やかな表情であり、毒を持たないような。無害そうな笑み。しかしおれを見る瞳は僅かな険が残っている気がした。

「――岳里さんは、どうなのですか?」

 不意に、セイミアがぼそりと呟いた。そちらへ目を向ければ、困惑を残した表情のままこちらを見ていた。
 おれと目を合わせてから一拍を置き、言葉を続ける。

「真司さんに特別な力があるとおっしゃるのなら、同じ異世界の住人である岳里さんにも、同じく特別な――」

 そこまでを聞き、おれは首を振る。
 真司にある力。この世界の者ならざる真司にある力。それは、おれにはないもの。
 セイミアは答えを見ると、再び口を閉ざす。沈黙した彼の肩に、アロゥはそっと手を置いた。

「さあ行こうセイミア」
「……はい、アロゥさん」

 アロゥに従い、二人はおれに背を向ける。しかし、一歩を踏み出す前にアロゥが振り返った。

「――岳里、きみはもう限界がきているようだな。いずれは知れること。傷は、浅いうちがいいと思うぞ」

 セイミアがアロゥを見上げるが、アロゥはおれに目を向けたまま。薄茶色の瞳はおれを離さぬまま、さらに口を開く。

「きみが望まぬ限り、わたしから周りに告げることはしない。わたしと同じように“きみを知る者”もきみを思い沈黙し続けるだろう。しかし、やむを得ぬ場合は迷わず口を開くぞ」

 その言葉を残し、状況を飲み込めていないセイミアを連れアロゥは立ち去る。
 おれはしばらくその場に留まり、拳を強く握りめていた。

 

 


 セイミアは話の出た次の日に早速、おれに治癒術を教えてくれた。
 初めてでいきなりそうできるわけではないから、もしうまくいかなくても大丈夫だと最初に告げてから、セイミアの指導は開始された。一度覚えてしまえば後は案外簡単なんだそうだ。治癒術は一番初めが肝心なのだと、珍しく熱の籠った言葉で自分の治癒術を披露しながら説明をしてくれる。
 治癒術に必要なのは集中力と、そして気持ちだそうだ。治したいという気持ち、治してやりたいという思い。
 おれはそれに頷いて、手というよりも指先に、熱を帯びさせることを想像する。けれど一向に治癒術特有の発光は出なかった。それに悩んでいるとセイミアは、一番大切な人の苦しむ姿を想像するといいと教えてくれた。
 そうすれば気持ちが高まり、うまく術が発動するはずだとおれを励ましてくれる。その助言を聞いて、ある姿を頭に浮かべた。
 自分の中の現れた人物が、苦しんでいる――いや、ただじっと、おれを見つめている。何も言わず、もがく素振りすら見せずに。
 あいつの苦しむ表情なんて見たことないから想像できないのかもしれない。だってあいつは、何も言わない。言おうともしない。でもだから見つめてくるんだ。
 あの馬鹿を考えていると、不意に感極まったときにぐっと胸が詰まるような、熱くなるような、そんな感覚が全身を駆け巡る。思わず息を飲み目を閉じたその瞬間に、心の中で浮かぶあいつが、おれから目を逸らした。
 ――それが、きっかけだったのかはわからない。セイミアに名前を呼ばれて薄らと目を開けると、気づけばおれの手が淡く光を放っていた。
 思わず吃驚して集中力を途切れさせてしまうと、光はすっと消えてしまう。おれはそれに慌てたけれども、セイミアはとても喜んでくれた。
 セイミアが言うには、実は治癒術を使えるまでに少なくとも三日はかかると思っていたらしいんだ。というのも、遅い人では一週間近く使えるまでに時間がかかり、早い人でも二日はかかる。セイミア自身もほぼ丸一日かけてようやくできるようになったから、数時間程度でできてしまったおれに驚きと、そして素直に感動したらしいんだ。
 でもおれはそういうのを全く知らなかったから、戸惑いのほうが大きかった。というよりもさっきのが本当に治癒術だったのか、いまいち実感がないっていうのが本音だ。
 なにせ、おれはセイミアの治癒術を何回か見せてもらっただけだし、実際に傷を治癒術を使って癒すところは一度だけ。それにさっきおれがした治癒術は、傷を癒すためでなくただ術を発動しただけで。傷が消えただとか見たわけでもないし、まだよくわからない。
 そんなおれの考えが顔に出ていたのか、セイミアは微笑んで、そのうち作るであろう岳里の傷に治癒術をかけてみるといいと言ってくれた。
 セイミアが岳里の剣の師をしているヴィルから聞いたそうなのだが、そろそろ本格的に岳里に剣を教えるそうだ。今までのは剣に慣れるまでの準備期間だったらしく、怪我が増えるだろうから治癒をよろしくと、ヴィルから頼まれたらしい。
 おれがさっきできた治癒術の威力はかすり傷を治せる程度の、治癒術師なら誰しも使える初歩的なものみたいで、岳里なら気兼ねなく練習台に使えるしちょうどいいだろうとセイミアは言った。
 これから、使えば使うほど精度が増し、強力な治癒術が扱えるようになるそうだ。おれはかなりのものを使えるようになるから、暇なときにでも術を使用して早く慣れるといいともセイミアは言ってくれた。
 セイミアに促されるまま、おれはもう一度治癒術を使ってみる。すると、今度は指先に熱を集めるのを想像しただけでほのかに手が光った。その後も何度やっても、ちゃんとうまく術ができる。それにようやく、じわじわと治癒術を使ってるんだと実感がわき出したおれに、何故だかセイミアが首を傾げていた。その姿に戸惑ってしまい、つい何か変なのかと聞けば、セイミアも同じく困った顔をする。
 セイミアが首を傾げた理由。それは、何度治癒術を使ってもおれの術の効果が変わらないことだった。
 使えば使うほど精度が増すはずの治癒術。しかもおれの治癒力は多く、その変化がわかりやすく起こると思っていたらしい。確かに今日はじめて使い出したとはいえ、おれならば、とセイミアは踏んでいたようだ。けれど、いつまで経ってもおれの治癒術の程度はかすり傷を癒せるくらいのもので、それを不思議がっているようだった。
 その後、毎回治癒術発動は一度も失敗することなくうまくいったけれど、けれど威力も上がることはなく。セイミアは少しアロゥと相談してみると言って、また今度訓練しようと微笑みながら部屋を出て行った。
 ――と、ここまでを色々かいつまんで、風呂から帰ってきた岳里に話した。

「やっぱ、おれにはそんなに治癒力ってないんじゃないかって思うんだよなあ。セイミアのが見れたのも、単なる偶然かもしれないし」

 岳里はじっとおれの話を聞きながら、ユユさんに持ってきてもらった紅茶を口にした。

「でもそんなに強力な治癒力を使えなくても、おれは別にいいなって思う。だって、今まで治癒術っての自体なく暮らしてきたわけだし。岳里だったら、使えるようになりたいか?」

 一度考えるように手に持つカップに目を向け、おれに視線を戻し、岳里は首を振った。
 おれはその姿を見て、ついつい眉を寄せてしまう。

「……あのさ、岳里。なんで昨日からなんもしゃべんないんだよ。具合、悪いのか?」

 岳里はおれの言葉に首を振るだけで、結局口は開かない。それを訝しみながらも、自分も机に置かれた紅茶の入った器に手を伸ばす。
 ずっと、岳里はこんな調子だった。話しかけても、問いかけても、首を左右上下どっちかに動かすだけで口は開かない。しかも、昨日岳里が目覚めてからずっとだ。気づけば岳里が話してなくて、今回の治癒術の話をしている時にそれを確信した。
 確かに岳里はそう口数が多いほうじゃない。むしろ無口で、もともとおればかりが話してる時がある。それでも相槌は入れてくれるし、意見を言ってくれることもあるし、尋ねればちゃんと言葉で返してくれた。なのに今は全部首の動きだけ。もしくは目で語りやがる。
 はじめは具合でも悪いのかと思ったけど、相変わらずの食欲を披露してくれるし、剣の稽古もばりばりやってるみたいだし、顔色も悪くないし行動も怪しいところはない。
 具合が悪くない、ってのは本当なんだろうけど、でもならなんで、しゃべらないんだろう。
 じっと岳里を睨むように見ても、平然とおれを見返す。相変わらず読めない瞳。
 結局はおれが先に根負けし、目を逸らした。

「おれと、話したくないのか?」

 それからつい零れたのは、そんな弱音だった。
 色々迷惑とか、心配ばっかかけるおれに、岳里は疲れたんだろうか。だから、おれと話さないんだろうか。
 口の中でもごもごしているような、そんな小さな声だったのに。耳のいい岳里にはしっかり聞こえていたらしい。
 つい俯いてしまったおれの視線を向かわせるためか。一度机を爪でこんこんと叩いて、おれの目を自分へ向けさせてから岳里は首を振る。
 違う。そう、言いたいのはわかる。でも――

「――なら、なんで話さないんだよ」

 いくら待っても、岳里からの答えはやっぱりなかった。

「っ、風呂行ってくる」

 おれは椅子から立ち上がり、岳里から目を逸らして部屋から出て行っていく。
 返事は、なかった。だけど岳里はおれをずっと見ていた。じっと、まっすぐ。何かを訴えるように。
 けれどおれには岳里が何を言いたいのかわからなくて、その目から逃げたくて、だから実際逃げ出した。
 本当に、なんなんだよ。
 歩きながらおれは拳を強く握りしめた。

 

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