残されたおれたちは互いに口を閉ざして、重苦しい雰囲気とともに長い沈黙が訪れる。けれどその圧迫感をはねのけ、どうにか乾いた口を開かした。

「いつから、起きてたんだ」
「――悟史の体質について話し始めた頃だ」

 なら、ディザイアと話した肝心な部分から聞いていたということか。
 岳里と目を合わせられないまま、質問を重ねる。

「起きて大丈夫、なのかよ」
「問題はない。まだ動けはしないが話すことくらいはできる」
「――――」

 会話が途切れればすぐにでも始まる沈黙に、どう切り出せばいいのかわからずにいた。
 聞きたいことがある。それを岳里もわかっている。だからこうして今、二人だけになったんだ。なら単刀直入に尋ねてしまえばいいのに、それなのにそれができない。
 また長く続きそうになった静かな時間を、踏み込めずにいるおれに代わって今度は岳里が打ち破った。

「おまえは知りたいのか」

 これまで岳里がはぐらかしていたはずのものに、ついに岳里の方から触れてきた。それに返す答えは心の中で決まってたはずなのに、けれど何故かすぐに頷くことができない。
 散々時間をかけようやくしぼり出た声は、緊張からか微かに枯れた。

「おれの力は、なんなんだ……? 何が、あるっていうんだよ」
「おまえにとって酷なものだ。それでも知りたいか」

 求める気持ちとは裏腹に、弱々しい情けない声。
 そんなおれに対し岳里は念を押すけど、でも今度こそその目を見て浅く頷く。
 岳里は一度深く息を吐くと、立ったままでいたおれに椅子を促した。言われた通りに腰かけたところで、岳里はついに本題へと切りこむ。

「おまえは自分自身に魔力と治癒力が合わさった力があるだけでなく、それが膨大な量だということはもう理解しているな」
「ああ。正直、未だに信じられないけどさ。みんなから言われてるし、一応わかってはいるつもりだ」
「ならおまえが意図して使える力はその末端だけいうのも」

 あくまでおれがどこまで理解してるか確認した岳里は、そうか、と呟き、そしておれから顔を逸らす。それから口を閉ざしたから、もうこれ以上聞いておくことはないんだろうとなんとなく察した。
 ついに話されるのかと思わず肩を強張らせても、未だ躊躇う素振りを見せる姿に、おれの胸に巣食う不安は増々膨らんでいく。
 そうまでして、岳里が語りたくないおれの力。それは、それは本当に――

「知りたい、んだ。おれの力が、父さんと母さんを」

 殺したのか。
 そう続けるつもりだったのにどうしても声が出なくて、言葉は半端に区切れる。けれど十分岳里も後に続くものを予想できたんだろう。一度ゆっくりと瞬きをしたから。
 最後にエイリアスが言い残した言葉が、ずっと頭から消えなかった。そのことをおれが気にしているのを岳里が気づかないわけがない。
 いつもの無表情ながら、でもどこか沈痛な顔で口を開いた。

「間接的に、ではあるが。おまえの力が目覚めた影響で、それが両親の死につながったのは、本当だ」

 ようやく岳里が告げたものをどこか心の奥底ではわかっていたはずなのに。
 心臓が止まったかと思うほどにおれのすべてが一度静止する。
 岳里はおれから目を逸らしたまま、さらに続けた。

「おまえの持つ混合の力は神と同格の力であり、さらに有する量も並みの魔術師どもと比べても桁外れに高い。それこそ、神の次に力を持つ者と称されてもおかしくないほどだ。そんなおまえの力は自身が意図して使うには、人である身だからか。制限がかかって、扱えるのはほんの末端だけになる」

 そして岳里はこう言った。
 おれの持つ固有の力というのが、とある条件を満たした時。普段あるという制限を一切無視し、混合の力を引き出して術として発動できるものだという。ふたつの力が合わさるから、魔術とも治癒術とも言えないものだとも。
 だけど厄介なことに、条件に当てはまることさえしてしまえば意志とは関係なしに勝手に術が発動してしまうそうだ。そしてもたらされる効果もある程度条件を満たした状況によって予測はつくものの、実際目にするまでわからないらしい。

「もし……その条件を満たして、術が出たら。一体どんなことが起こり得るんだよ?」
「おまえはこれまでに何度か、その固有の力である術を発動させている。どんなことだかわかるか」

 震える言葉で問いかければ、返ってくるのは感情の読めない平坦な声。それに首を振れば、岳里はようやくおれに顔を向ける。
 過去に何度か発動させていたらしい術についての結果を、いくつか挙げてくれた。
 雨を降らしたこと。植物を急成長させ、さらには巨大化させたこと。傷を癒したこと。結界を破壊したこと。
 中にはおれの見えない場所での変化もあると言った上で、岳里はそれらを口に出す。
 そして、だが、とさらに続けた。

「これまで発動された術は、実際の力を考えればお遊び程度のものだ。最大限にまでおまえの中のものをすべて解放させれば、天と地をひっくり返すような大災害も可能になる。――神に次いで、と言ったが、力を取り戻しきっていないディザイアの現状を考えれば今は同等の量を持っているかもしれない」

 それほどまでに何でもできて、持っている混合の力も量が多い。
 あまりに今のおれとかけ離れたものに、ただ呆然と話を聞き続けるしかなかった。
 膨大な、魔力と治癒力の合わさった力がおれにはあるとは言われていた。それはみんなが言うから知っただけで実感したことは一度もない。それなのに力を失った状態のとは言えディザイアと同じだけって。おれには、大災害を起こすほどの力があるって。
 岳里の言葉を信じてないわけじゃないけれど、信じ難いのが本音だった。戸惑いが大きくて、整理が追いつかない。

「これでおまえがどれほどの価値ある存在かわかっただろう。エイリアスがおまえを求めたのにも納得がいったはずだ。力を集めているやつにとって、これほどまでに手に入れたいものはなかっただろうからな」

 確かに、まだ理解しきれてはいないけれど、それほどのものがおれにあるというならエイリアスが欲しがるのはわかる気がする。神を引き合いに出せるほどなら、本来であれば人間何人から奪わなくちゃいけない力をおれの存在だけで補えてしまうということ。
 やつが何をしようとしているのかはわからない。けれど力を集めている以上、より多くを効率よく集められた方がいいだろう。
 一旦は話に区切りがついたところで、今度はおれから切り出す。

「――なあ、その術が発動される“条件”っていうのは、なんなんだ」

 多分岳里が、おれの余計な混乱を避けるためにあえて省いていた部分。
 それを尋ねれば、岳里はゆっくりと口を開きそして答える。

「涙だ」
「なみ、だ?」

 思わず言葉を繰り返したおれに、浅い頷きが返ってくる。

「そう。だがただの涙ではない。おまえが大きく感情を揺さぶられ時のもの。それが流れた時に力が解放される」

 そして岳里は、淡々と続けた。
 悲しみに泣けば気持ちを表すように雨が降り。
 身の危機に泣けば植物が守ろうと成長をし。
 助けたいと泣けば大治癒が起きてすべてが癒され。
 痛みに泣けば、破壊がもたらされる。
 その時の、涙を溢れさせた時の感情によって、発動される術も大まかにではあるけれど変わってくるそうだ。
 そこまで聞いておれはようやく、その制限が外れた術を出せた時のことをいく場面か思い出した。それは主に治癒術を発動した時だ。
 岳里の獣化騒ぎがあった時、傷ついていた手を癒した。当時のおれにはその怪我を完治させることはできないはずだったのに、突然涙が出たと思ったら完全に傷跡を消すことができていたんだ。
 それにりゅうが生まれた時のこと。儀式によって起きた風の刃によって、傷ついたおれたちの身体。気づけばおれは泣いていて、お互いの手の甲、今も痕になって残っているひとつの傷を残してそれ以外の傷がいつの間にかすべてが癒えていたこともあった。
 あとはおれが覚えてないだけで、知らなかっただけで、他にもおれの力の影響で何かが起きていたことはあったんだろう。よくも悪くも、この世界で泣いたことは多いから。
 そういえば涙した時に雨が降っていたことも多かったっけ。
 そんなことをぼんやりと思い返しながら、胸の奥でくすぶり続けていたものを口に出す。

「――それで。そんな力がどうして、父さんたちと関係、あるんだ?」

 両親の死は車両事故が原因だった。反対車線を走っていたトラックが直線の広い道だったにも関わらずはみ出してきて、おれたち家族の乗る乗用車と正面衝突したんだ。車は互いに大破して炎上した後、最後には爆発してすべてが壊れてしまった。
 事故が起きた時にシートベルトを締めていなかったおれは、景色をよりよく眺めるために全開に開けていた窓から、事故の衝撃で身体が外に放り出された。幸いなことに身体を打ち付けて多少血が出ただけで、大きな怪我もなく軽傷で済んだ。けど一緒に後部座席に乗っていた兄ちゃんは、大きくひしゃげてしまった車に閉じ込められてしまって。その後何とか自力で脱出したけれど腕を十三針縫ったり、足は骨折したりとひどい大怪我を負った。
 そして前部座席に座っていた両親は、恐らく即死であったと、そう聞かされている。
 恐らく、というのは、事故の直後車が爆発を起こしたからだ。そのせいで中に残っていた両親も、相手の運転手も身体が大きく破損し酷い焼け跡も負ってしまって、判断するのが難しい状態だったそう。だから必ずしも即死、とは言い切れないらしい。
 おれはそう、事故については聞かされていた。実際いくらかは褪せたといっても十分すぎるほどあの時のことは覚えている。
 家族で遊園地に行く予定で、何に乗ろうかとみんなで楽しく話している時だった。突然強い衝撃があって、気づけばおれは外で。顔を上げれば、黒い煙を上げながら互いに大破したふたつの車両に、ガソリンに引火したのか燃え上がった炎。
 何度も家族の名前を呼んだ。泣きながら、見えない姿を探した。でも誰も見つけられないまま、幼かった当時のおれの小さな身体は起きた爆発の風圧で倒れて――
 思い出せば無意識に震える身体を押さえ、いつの間にか下げていた顔を上げて岳里を見る。眼差しで求めるものを訴えれば、やがて岳里は静かに口を開いた。

「――おれも、初めはただの事故だと思っていた。単なる相手側の不注意による衝突事故。ひとつ不可解な疑問が残ったが、それ以外にない、はずだった」
「不可解な、疑問?」

 思わず聞き返せば浅く頷いて、だけどまだそれには触れずにさらに言葉を続ける。

「だがエイリアス言葉を聞いてようやくその答えがわかった。おれもすべてを知るわけでないから確かなものとはいえないが、恐らく外れてはいないと思う」

 そう前置き、岳里はようやくおれの求め続けていたものへ踏み込んだ。

「事故の直後に起きた爆発。それは、真司。おまえが起こしたものだ」
「……おれ、が?」
「そう。本来ただの衝突事故で、漏れたガソリンに引火し火が出ることはあってもまず爆発など、それも車の原型を失わせるほどのものが起きるはずがないんだ。おれがおまえたちの事故について調べ疑問に思ったのがその点だった」

 例え車内に中身のあるスプレー缶があったとしても、あの事故後に起きたような大爆発ほどの威力はないと、岳里は言う。
 そして事故の相手であるトラックも運んでいたのはガスの類でなく、荷台に積まれたのはすべて衣類が詰まった段ボール。到底爆発につながることもなく、事故について調べた警察もついにはその原因をつきとめられずに終わっているそうだ。
 そんな話を、兄ちゃんから聞かされたことはなかった。父さんたちのことも、事故の状態についても、自分の目でみたものとあとは兄ちゃんから話されたことだけ。それくらいの知識しかおれにはない。当時は新聞やテレビのニュースなんかもあえて避けていたから、当事者であるおれは周りから情報が入ってくる状況になかったんだ。
 それに車に詳しくないおれは、爆発があり得ないものだとも知らなかった。

「――固有の力は、先天性のものと後天性のものにわけられる。遥斗は先天性で生まれ持った力だったと言われているし、ヴィルのものは反対に後天性のものと言われている。そしておまえは恐らく、後天性に部類されるだろう」

 これはあくまでおれの推測だが、と付け加えた上で岳里は、押し黙ったおれから目を逸らしてさらに続ける。
 後天性が力を目覚めさせるには、みっつ、状況があるそうだ。
時期が来れば自然に出てくるものと、激しく感情が揺さぶられた時と、強い痛みを与えられた時。
 おれはそのうちの、感情か痛みに反応したんだろう、と岳里は言った。
 そして、力が目覚めた瞬間が事故に遭った時であろう、とも。

「本来、おまえたちの世界に魔術治癒術は存在しないため、魔力治癒力を人が持っていたとしても術として形づくられることはない。それはいくら強力なものを持つおまえといえどもあてはまることだ」

 そのことを証明にするためにと岳里は、竜人である自分自身をひとつの例として挙げた。
 本来竜人は契約に縛られる獣人と違って、誰にも依存することなく生きていける。けれど盟約を交わすと同時に相手によって生かされる状況になってしまう。三十日に一度、盟約者の体液を口に含まなければ心臓が止まり、死んでしまう身体になってしまうからだ。
 岳里はおれと盟約を結び、それから少し経っておれの記憶を奪い、そして傍から離れて影ながら見守ることを選択している。その間この世界に呼びだされるまで、一度も岳里は接触をしてこなかった。だからおれも岳里という存在を知ってはいても話したことさえないと思っていたんだ。
 ――でもそれなら、本当なら盟約によって生を縛られる岳里は、どうしておれから離れて生きていけたのか。
 その答えがその世界ごとに存在する法則だった。
 ディザイアでは術があっても、おれのいた世界にはない。だから発動させることもできない。そのため岳里を縛るはずの盟約も効力が消え、三十日に一度盟約者の体液を含まなければ死ぬ、という条件も無視できてしまえたんだ。
 そういうことで岳里もわざわざおれに接触する必要もなく、何の問題もなくあっちの世界で暮らしていけたらしい。
 だから、本来だったら向こうの世界で術自体を発動するのも無理な話のはずだったんだ。

「だが、事故はおまえにとって衝撃が強すぎるものだった。その本来の法則さえ捻じ曲げて、あの世界で術を発動させ、そして爆発につながった。それさえもおまえなら可能であるし、後天性の力が目覚めるには相当の感情の揺さぶり、もしくは痛みが必要となる。おまえの力は感情の強さによって威力を増すものだから」

 歯切れ悪く終わった岳里の言葉に、ただ呆然と聞き入れるしかなかった。
 事故による即死と断定しきれなかった以上、直後にはまだ二人に息があったかもしれない。まだ、生きてたのかもしれない。でもおれの力が目覚めたのなら、それが引き起こしたものが、二人の死の本当の原因だったとしたのなら。
 もしそうなら、やっぱりおれが、おれが――

「父さんと母さんを、殺した……おれが、殺した」
「っ、だがそれは――」
「おれが殺したんだよ!」

 岳里の言葉を遮り、ようやくこっちを向いた目から今度はおれが顔を逸らした。

「そんなつもりなかったとしても、それでもおれの力がやったことだろ!? だったらおれが二人を殺したんじゃないかよ!」

 だってそうだろ。そこに自分の意思が関係してなくても、結果としてはおれがしたことだ。おれが引き起こしたことだ。
 そうとも知らずに今まで事故で死んだと思い込んで。親を奪われた被害者ぶって。この手が汚れたことないなんて、思い込んで。
 何も知らなかっただけで、おれは笑ってた。エイリアスの言った通り失った痛みが少しでも薄れてしまえば、忘れたわけではないけど笑っていたんだ。兄ちゃんと二人でなんとか暮らして、この世界にきてもみんなに支えられて。
 父さんと母さんの命を奪ったのも知らずに幸せを増やしていって。
 なんて、馬鹿なんだろう。なんて、最低なやつなんだろう。
 そしてまたそれを繰り返そうとしている。

「おれのせいで父さんたちは死んだ! おれのせいで、おれのせいで今度は兄ちゃんまで……っ!」

 今もきっとセイミアたちが懸命に手術しているであろう兄ちゃん。特異体質のせいで治癒術を一切受け付けない身体は、医療技術はそこまで発展していないこの世界で助かる可能性はどれほどあるんだろうか。
 兄ちゃんを刺したのはおれだ。傷を負わせたのはおれだ。岳里の案におれ自身が頷いて、自分で選択をしてそれを決めた。なら責任はここにある。
 おれのせいでみんなが死んでいく。父さんも母さんも、兄ちゃんまでも。おれだけが残って、みんな。
 この力が周りを不幸にするというならいずれは岳里にも、りゅうにも影響が及ぶかもしれない。二人までもが危険な目に遭うかもしれない。
 おれのせいで、みんなおれのせいで、いなくなってしまうかもしれない。
 今ある幸せが崩れ去るのは、手に入れた大切な存在が消えてしまうのは、何より恐ろしい。
 だからこそおれは奪う側なのに、もう奪ったことがあるのに身勝手に叫ぶ。

「こんな力、いらなかった! こんな、こんな……っなんでこんな力があんだよ!」

 この世界に来てから、ずっと強くなりたいと思っていたんだ。みんなみたいに、岳里みたいに。一人でも立っていられるように、隣に立って肩を並べられるように。
 力が、欲しかったんだ。おれには手に入らないものとわかっていたから、焦がれてもいた。届かなくても手を伸ばさずにはいられなくて。
 ――けれど、身に余る力をおれはずっと前から持っていた。欲しかったはずの、大災害を起こすこともできてしまうくらいのすさまじい力があったんだ。
 それなのにその力は父さんたちを殺して。この先、周りのみんなをも巻き添えにすることも十分あり得る危険なもので。
 欲しかったのは、守るための力だったのに。これじゃあおれはみんなを、岳里を、りゅうを兄ちゃんを、父さんたちの二の舞にしてしまう。
 エイリアスにとっては価値があるかもしれないおれの存在。でもみんなを危ない目に遭わすなら。父さんたちみたくしてしまうなら。

「おれなんて、いなけりゃよかった……!」

 吐き捨てた言葉に岳里が表情を崩し大きく顔を歪めたのにも気づかないまま、おれは呪いを吐くように続ける。

「父さんたちを殺しといて、兄ちゃんに自分を犠牲にしてもらってまで育ててもらった。この世界にきてもみんなによくしてもらった、岳里には何度も助けられたっ。でもおれはみんなにしてきてもらったことを返せないどころか、不幸にするかもしれない。今まで大丈夫だったかもしれないけど、いつまた父さんたちみたく――っ」

 胸の奥からこみ上げた苦しい思いが喉を詰まらせる。一度止まってしまえばもう言葉は飛び出ることはなく、きつく唇を噛んだ。
 岳里の顔を見ることさえできないまま椅子から立ち上がり、扉へ向かおうとする。けれど一歩を踏み出す前に岳里が腕を取り、そのまま自分の方へ引っ張った。
 身体は引かれるがまま後ろに倒れ、途中反転して岳里の胸に飛び込む形になる。慌てて離れようとすると、それを制するように背中に腕が回った。
 大きくて、あったかい手の平が背中に触れる。冷え震える身体を宥めるような熱が怖くて、無意識のうちに突っぱねた。

「いやだ……!」

 肩を全力で押すも、回された腕が解かれることはない。むしろ反対にさらに力が込められたのがわかる。岳里が本気を出すまでもなく、おれが力で敵うわけがない。
 それでも暴れた。胸を叩いて、爪を立ても、髪を引っ張ったりもした。でも手の甲が頬に顎に当たったりしても、それでも岳里は離してくれない。止めようとさえもしなかった。
 ただじっと拒絶に耐え、何も言わないままおれの身体をこの場に繋ぎ続ける。
 やがて抵抗も弱まり力なく腕が下げれば、岳里はそっと、残っていた僅かな距離を詰めておれを抱きしめた。

「――っ、う……ううっ」

 岳里の胸の中、押し殺そうとしても食いしばった歯の隙間から声が漏れる。

「うぁ、う……っく……」

 気づけばおれも岳里の背に腕を回して、ぎゅうっと抱きついていた。目の前の胸板に顔を押し付けると、溢れた涙が触れた素肌に吸い込まれることなく流れていく。治療のためにと脱がしたままだった上半身は直に熱を与えきた。
 岳里は何も言わずただ、背中においていた手でそっとそこを撫でてくれる。その優しさにこみ上げる思いは止まらない。
 知らなかったんだ。何にも、知らなかったんだ。
 事故のこと。力のこと。ふたつが絡まってしまったせいで、父さんと母さんが死んだなんて。
 結局おれは何ひとつ知っちゃいなかった。やつの言った通り、知らないからっておれは、原因であるくせに父さんたちのことを乗り越えたと思って笑っていたんだ。
 そんな自分が許せなくて。おれのせいだなんて本当は思いたくなくて。でもそう思うことこそ罰せられるべきことで。
 怒りとか、悲しみとか、混乱とか恐怖だとか、いろんな感情がぐるぐると中で混ざり合う胸が苦しくてたまらない。痛くて、張り裂けそうで。
 どうしたらいいのかわからない。話された事実を全部受け入れればいんだろうか。それともおれがしてしまったことを償えばいいんだろうか。聞いてしまった以上、知らなかったはもうできないししたくはない。でもどうすればいいかもわからない。
 今は何もわからないまま、ただ岳里の腕の中で声を押し殺し泣き続ける。
 嗚咽に混じり、ぽつぽつ窓を叩く音が聞こえてきた。雨が降ってきたんだろう、おれが泣いたから。
 本当におれが泣けば何かが起きてしまうんだ。それがなんだがおかしく思えるのに、それでも出てくるのは涙ばかりで。呼応するように増々雨足は強くなって窓に打ち付ける音も激しさを増す。
おれはしばらく泣き続けた。その間にも岳里はただひたすらあやすように背中を撫で続ける。
 時間がどれほどか経ち、出し続けた涙がようやく落ち着きを見せ始めた頃。岳里は手を止めないままようやく口を開いた。

「おまえが両親を殺したわけではないし、なにひとつ悪いことなんてしていない」
「――……でも、おれの力が」

 湿った鼻を啜りながら、熱い息を吐いて言葉を返す。
 だけど岳里はそれを否定しないまま、けれど肯定もせず淡々と続ける。

「確かに、あの時におまえの力は目覚めたのかもしれない。事故の後の爆発に関係しているかもしれない。だが、それさえもあのエイリアスが仕組んだことだとしたら、おまえは誰に罪があると思う」
「あいつ、が……?」

 思わず押し付けていた額を離し、涙と鼻水でぐちゃぐちゃのままの顔を上げれば岳里と目が合う。
 岳里は片腕だけを外し、親指でおれの涙を拭いながら続けた。

「そうだ。エイリアスがあの事故に干渉している可能性は高いと、おれはそう思っている」
「――なんで、そう思うんだ?」

 鼻を啜りながらも少しは冷静を取り戻した頭で問えば、岳里は何故か顔を和らげる。でもすぐに表情を戻し、質問の答えを告げた。

「やつは両親の死の原因はおまえ自身にあると、その力にあると匂わした。だがそれは悟史の身体に乗り移り見られる記憶を覗いたところで得られる情報ではない。そもそも事故に遭った時点では、まだおまえたち兄弟は力の存在など知る由もないのだから。だからこそエイリアスがこの中核を詳しく知っていると判断した」

 エイリアスは乗り移った人間の記憶も思考も読むことができると、以前本人がそう口にしていた。実際ほぼ完璧に兄ちゃんを演じていて弟であるおれでもすぐに気づけなかったほどだ。しかも正体を見破ったのは、兄ちゃん自身が普段やっていた無意識の行動によるもので、実際それさえも忠実に行動されていたら別人だなんてわからなかっただろう。
 だけどそうだとしたら、岳里の言う通りエイリアスが事故のことを兄ちゃんを通じて知っていても、でもそのあとの爆発についてはわかるはずもない。
 おれたちの世界には術が存在しないというのは、記憶を覗いて知ってるだろう。それにいくら車が事故に遭っただけで爆発しないとは言え、兄ちゃん自身もそう車に詳しい人じゃないから記憶を見たところで車の構造自体、やつはわからないだろう。それならならそういうものと思い込むはずだ。
 でもエイリアスは、少なくともあの爆発を可能性ではなく、断定したようにおれが原因だとほのめかしていた。事故だけは偶然起こったものだったはずなのに、それなのに。
 口を開けるもただ唇を震わせるだけのおれに、岳里は静かに自分の中で辿り着いた結論を告げる。

「恐らく事故自体を引き起こしたのはエイリアスだろう」
「あいつ、が……あの事故を――」
「あくまで予想だが。おまえのその力を発露させるための引き金として、事故を利用したのではないかと」

 黙り込んだおれに、岳里はついに背中を撫でる手を止めた。じっと様子を見つめ待ってくれる。
 もし本当に、エイリアスがあの事故を引き起こしたのなら。それでやつの目論み通りおれが力を目覚めさせたんだとしたら。
 岳里も言った通りこれは全部、あくまで岳里の推測したものだ。けれどこれが外れているとは到底思えなくて。本当のことのような、気がして。
 ――でも結局のところ、根本は変わらない。

「元凶はエイリアス、って言いたいのかもしれないけどさ。その話が実際だったとしてもでもやっぱり、おれがいたから父さんたちは目をつけられたんだろ。おれのせいには、変わんねえよ……」

 もしエイリアスが関わってたとして、でも狙いがおれだったのならこの存在がやっぱり父さんたちを殺した。たとえやつが関係なくても、結局はおれが。
 またこみ上げそうになるものに耐え、緩く岳里の背中に回し一度手に力を込める。
 胸に顔を押し付け大きく一息を吐き、それから抱きついていた腕を離した。おれが離れていくと岳里も回していた腕を解いてくれて、お互いの間に距離ができる。
 なんだか目を合わせられなくて下を向けば、岳里も似たような感じなんだろうか。沈黙が訪れ、おれは傍らから離れることもできず、でも何も行動もできずじっとしていた。
 やがて、岳里がすうっとした、どこか密やかな声で静寂を破る。

「――おまえに、話しておきたいことがある」
「話……?」

 顔を上げれば、岳里は正面を向いてるけれど目を合わせようとしない。おれの視線を受け口が開くも、躊躇っているのか声が聞こえない。
 それでも岳里の言葉を待っていると、口を真横に結び背中を向かれてしまった。
 まだ拭いていないそこが見えれば、いやでもあの惨状の痕が目の前に晒される。でも岳里はそれにさえ気づいていないのか、真っ赤な背中を向けたまままた話を再開した。

「すまないが、このままで話しをさせてほしい」
「ああ、構わない。でもその代わり、岳里が話している間背中を拭いてもいいか?」

 そこでようやく岳里もそのことを思い出したんだろう。少しの間を置いて、でも許しをくれた。
 ついでにお湯を取り換えることも了承してもらい、岳里に待ってもらってる間に新しい手巾も合わせて、外に待機してくれている七番隊の隊員に準備をお願いした。
 快く仕事を引き受けてくれたその人はすぐに用意してくれて、同じ場所に新しいお湯の入った桶を置き直す。そこに沈ませた手巾を絞って、もういいと岳里に伝えてからその背にこびりついた血を擦り落とし初める。
 岳里はしばらく沈黙を続けたまま、やがてぽつりぽつりと話し始めた。

「エイリアスの言葉――おれが仲間にさえ恐れられている竜人であると、そうやつが言ったのを覚えているか」
「ああ、覚えてる」

 思わず止まりそうになった手をどうにか動かし続けたまま、その言葉に答える。
 するとまた岳里は少しの間口を閉ざしてしまった。
 黙って待ち続けていれば、また歯切れ悪く言葉が並べられていく。

「おれは、竜人の中でも特に、より濃く竜の血を継いでいるそうだ。そのため竜族でおれは一人だけ抜きんでた強さを持つことになった」

 ゆっくりと、どこか苦しげに。
 岳里は初めて自分から、過去のことを語ってくれた。

 

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