おれと十五の両親は、前にも話したことがある通り竜人と人間との盟約に結ばれた二人だ。
 父方となるのが盟約者、母方となるのが竜人と、父方は竜人母方は人間となることが多い盟約関係にああたる番たちの中では珍しい方ではあった。だがどちらがどちらの役割をしても問題はないし、あとは他の番らとなんら変わりない。
 両親の間にはすでに十五――本来の名をカマルドラという。二人の間にカマルドラが生まれてからしばらくが経っていた。
 カマルドラに手がかからなくなったこともあり、両親はもう一人、子を自分たちのもとへ迎え入れることを決めたんだ。それが今のおれの存在に繋がる。
 おまえも身をもって体験した通り、竜人の出産には両親ともども危険が伴う。人間の夫婦でも母親が命を懸け生むのとそう苦労が変わるわけではないが、時には儀式を見守る者にまで影響しかねないような、そうやすやすとできるものではない。
 だからこそ、竜人が番の間に子を持つとしたら一子だけというのが多かった。儀式を乗り越えての一人だ、それだけでも十分よくやったと一族からは褒め称えられるような誉れになる。
 だがそれでも両親は、すでに生まれているカマルドラの他にもう一人生むことを覚悟したんだ。
 二度目の生誕の儀式といえどもその危険性は変わるわけではない。一度目と等しく己の命を懸けるものだ。だが、悪い点というばかりでもない。
 すでに一子を迎えた二人には覚悟ができている。子をこの世に誕生させることへ問いかける儀式を再び乗り越える可能性は必然的と上がるんだ。
 危険性は変わらない。しかし、成功率は格段に上がっている。実際に過去に家族を増やした番たちは大半の者が無事儀式を終えていた。
 ――ああ、おまえの言う通り、すべてではない。だが想像しているような結末でもないぞ。
 第二子以降の儀式でも稀に失敗はある。だがそれは両親の覚悟が足りぬものでなく、生まれてくる子の方に問題があり、死産になってしまうんだ。これが第二子から始まる問題のひとつでもある。
 一人目は大抵丈夫な子が生まれ、死産などほとんどないとも言っていい。しかし何故か二人目以降となると死産の確率が三割となり、数を増やすごとにその確率も比例していく。そして必ず、五人目がこの世に生まれることはない。
 それに無事生まれてきた弟妹たちでさえ、必ずしも健康に育つとも限らないんだ。生まれつき身体が弱いことが多く、体力がないあまりに竜として空を飛べないまま生涯を過ごした者も中にはいたそうだ。
 だからこそ、番たちが迎える我が子は一人だけという理由のひとつになっている。
 あくまで竜族の中の言い伝えだが、竜自身そう個体数は多くない。だから我らもひとつひとつの生命力が強い代わりに子を得辛い身体になってしまったのだろう、とされている。
 まあ身体が弱いといえどもあくまでその基準は竜人であるから、少なくとも獣人ほどの強さはある。暮らしていくうえでそう不便もあるわけではないから気にしなくてもいい。
 ともかくおれの両親はそのことを我が子に背負わせることになっても責任を持つし、受け入れるとも決意したんだ。
 そして二人は一月をかけ生誕の儀の準備を終え、宝種であった卵を孵す日がやってきた。
 立会人は基本的に家族と族長のみとなる。おれが生まれる場には儀式を行う両親と、それを見守る族長としても家族としても見守ることになった長と、その番の竜人であるもう一人の祖父。それとまだ幼いカマルドラ。そして儀式後の傷を回復させるための治癒術師。その六人だった。儀式を行う時番の片方が人間である場合、必ず治癒術を用意する決まりになっている。
 生誕の儀はすぐに執り行われた。おまえも知っての通り、始まりの合図は台に宝種が置かれることだ。そうすると第一にどこからともなく突風が吹き身体がある程度まで飛ばされ、その後竜族が試練の風と呼ぶ、刃のような鋭い風巻き起こる――――。
 ……いや、大丈夫だ。すまない。話しを続ける。
 本来、最初に起こる試練の風ではまず誰かが死ぬことはない、と言ったのを覚えているか。卵に近づけば近づくほど、後々になって威力が増していき、台まで目前となった辺りで死人も出るほどになる。
 だが、おれが生まれる際――その第一風で治癒術師が死んだ。
 本来であれば風が及ばぬ範囲にいたはずのその人が、胴を上下に真っ二つにされたんだ。その上風は両親が近づいてさえいないのに、まだ出るはずのない威力で残った者たちを傷つけていった。
 さらに長の番と、盟約者である方の、人間である方の親が死んだ。すぐに翼を出しカマルドラを抱きその場から離れた長も腹に深い傷を負い、助けられたカマルドラも左目と首元に大きな傷を負った――。
 十五に今も残る傷たちは、おれがつけたものだ。あいつが声を失ったのも、その時の怪我が原因だ。
 唯一台の傍らで生き残っていた竜人の方の親も、もう助からないほどの重症になっていた。それでも最後の気力を振り絞り、竜の姿になってまで、尋常な試練の風が吹き荒れる中卵に触れたんだ。そしてその直後亡くなった。
 片割れだけとはいえ親が触れたことで、おれはこの世に生まれてくることになった。血に汚れた大地の中央で、皆の死体に囲まれながら、産声を上げたんだ。
 生き残ったのは長と、カマルドラだけ。だが二人とも生涯残る傷を得て、長は激しくは動けない身体になってしまった。そしてカマルドラは左目と声を失った。
 あの惨状を生み出し誕生したおれは、前例にないほどの異端な竜人としての強さも持つ者としての生も同時に与えられた。
 生まれて少し経てばすでに並みの、成人した竜人ほどの力があったんだ。力も制御できず、それは周りの同じ竜人でさえ傷つけ、痛みを与えてしまった。おれも自分の身体でさえ守れず自身の力で骨を折りもよくしていた。
 おれという存在を長も竜族の皆も持て余すほどだった。力の制御を覚える前は、常に赤子とはいえ逸脱した腕力で周りを傷つけ続けていたからな。
 だが見離しはしなかった。番を奪った立場のおれを、長は両親の代わりに育てあげ、カマルドラも多くを失ったというのによく面倒を見てくれたんだ。
 力の制御を覚えれば、自然と一人で生活できるようになった。そうすれば皆は遠目からおれをみるようになったが、やはり血の繋がった二人だけはおれから離れることはなかった。
 長も寡黙ながらもカマルドラとおれを育ててくれて、カマルドラも兄として接してくれたんだ。
 ――だが、おれ自身がそれを受け入れずにいた。
 何故かわからないが、おれは自身の出生について知っていた。誰に聞かされたわけでもないし、長たちはあえて隠し続けていた。だが知っていたんだ。
 おれは両親を殺し、祖父の一人をも、その場に立ち会った治癒術師さえも殺している。おれ自身が手を下していないとはいえ、結果としてはおれが殺したのに変わりない。そして二人に負わせた傷のこともわかっていた。
 だからこそ、二人の優しさが恐ろしかった。大切な番を、左目と声を奪ったおれが、優しくしてもらえる筋合いなどない。気にかけてもらえるのも、何事もなく家族として変わらず接せられるのも。
 二人が許してくれたとて、おれ自身がどうしてもそれを受け入れられなかったんだ。今思えば、家族が傍らにいてくれながらおれは孤独を感じていた。
 だからおれはよく里自体から離れ過ごすことが多くなった。あまり遅くならないうちに家にさえ戻れば何も言われないし、自由にしていた。それにその方が里の者たちは気も休まっただろう。
 近くの山を当てもなく彷徨ったこともあるし、滝を見に行ったことも、平原で眠りについたこともある。その中でも里のある山の麓の湖が一番好きな場所だった。
 竜族とその盟約者たちの亡骸がすべて沈められた、おれの両親も眠る湖。そして――おまえと出会うきっかけともなった、あの場所だ。
 ある日から湖に浮かぶようになったおまえを見つめるのが日課になった。あとはおまえの知る通りで、おれはあちらの世界に行くことになったんだ。
 今思えばあの映し出された風景も向こうの世界に召喚されたのも、いつもおまえが泣いている時だった。おまえの力が働き、だからこそおれたちは繋がることができたんだろう。
 おまえと出会い、盟約を交わし、そして別れを選んだ時。おまえの、おれに関する記憶を魔導具で消したな。
 あれは本来、おれ自身に使うようにとずっと前から長から持たされているものだった。
 記憶を消してしまえば、自分の出生のことも忘れることができる。おれにとって辛い思い出でしかないのなら、いっそのことすべて消し去り一からやり直せと、そう言われていたんだ。そうすればおれも新たな人生を明るく過ごして行けるだろうと。
 忘れるつもりなどなかったから、使うあてもなく言われるがまま持っていた。だがあの時おまえの記憶を消す時に使えたから、持っていてよかったと初めて思えたんだ。今思えば魔導具は向こうの世界に通用するものでよかった。そうでなければおれはおまえの記憶から消えることはできなかったからな。
 これが大方の、おまえと出会うまでのおれのことだ。
 ――おれのために泣いてくれるのか……――ありがとう。

 

 

 

 おれは何も言うことができず、ただ手にした手巾をきつく握りしめて嗚咽を噛みしめた。
 静かな岳里の言葉に、さらに涙は流れていく。
 すべてを話し終えた岳里はようやく、ずっと向けていた背を反転させておれを向き直った。

「おまえはおれの両親の死を、おれのせいと言うか」
「そんなわけ、ないだろ……! おまえは何も、悪くなんかっ! ただ生まれてきただけで――」
「ああ、そうだ。おれは生まれてきただけだ。両親と他の者の命を奪い、この世に。だがそこにおれの意思が反映されているわけではなし、しかたのないことだったと言える。それが分かっているからこそ長も十五もおれを責めることは一切しなかったたし、恨みさえされなかった」

 嗚咽に阻まれ不安定に声を揺らすおれとは対照的に、語り続けていた時と同じように岳里は淡々と言う。でもその心が何を思ってこの話をしてくれたのかわからないわけじゃない。
 だって、岳里はずっとおれに背を向け続けていた。時々思いに詰まったように口を閉ざした時もある。肩を震わした時も。
 いつも押し殺してきた感情を今もその無表情の下に隠して。辛いのに、悲しいのに、なんてことないとでもいうような振りして。
 知らなかった。岳里に、そんな過去があったこと。でも知ってしまったからにはもうこの胸は痛まずにはいられない。
 両親を殺してしまったという自責の念も、幼い身ながらも感じていたんであろう疎外感も。与えられる優しさを受け取れなかったことも、どうしても拭いきれない孤独も。許せなかった自分自身のことも。全部が、苦しい。苦しくて涙が止まらない。

「真司。おまえはおれを、何も悪くないと言ったな。だったらおまえも何も悪くない」
「っ、あ……」
「中心にいたかもしれないが、おまえが両親を殺したわけではない。似た立場にあったおれをそう思ってくれたように、言いたいことはわかるだろう」

 顔を上げて岳里を見れば、どこか困ったように微笑んで手を伸ばしてくる。一度は綺麗にしてくれたのにまた汚れた顔を指で拭ってくれた。
 ――ああそうか。岳里は、おれのために話してくれたのか。
 自分の意思で使うことのできない力が影響して、そのせいでおれの両親は死んだ。
 生まれてくる時の尋常な試練の風が原因になり、そのせいで岳里の両親は死んだ。
 おれたちは、似たような理由で親を失っていたんだ。
 あの事故はおれのせいだったと、自分を責めた。でも岳里自身の状況を教えてもらって、おれは自分のことを客観的に見ることができた。
 いや、そうさせるために岳里は話してくれたんだ。思い出すのも辛いはずの過去を、伝えてくれたんだ。
 ようやく心に垂れた重い暗雲が少しだけ晴れた気がする。

「あん、がと……岳里」

 自分から胸に飛び込み濡れた頬を押し付ければ、そっと背中に回されるよく知った手。

「――ああ。おれもおまえに救われたんだ。ありがとう、真司」

 鼻を啜っていれば耳元でささやかれる、感謝の言葉。今ならそれがどういう意味かも知ったおれは、胸に埋まりながらも頷きを返した。
 きっと、岳里もわかっているだろうけど。結局はおれたちが両親を殺した、という自責の念自体がなくなったわけじゃない。でも今少しは気持ちが軽くなったんだ。
 自分のせいじゃないと否定する気も、だからなんだと開き直るつもりもない。
 これから、少しずつ受け入れていこう。その事実を。受け入れて何があるというわけでもその先に待つものもわからないけど、でも。
 岳里が隣にいてくれるなら。こうして支えてくれるなら。いつか、この問題を乗り越えられると思うんだ。
 しばらくしてようやく収まった涙にそろりと顔を上げれば、岳里と目が合った。

「もう大丈夫か」
「――ああ、大丈夫だよ。あんがとな」

 それでもまだ湿っぽい鼻を啜り、ようやくおれは岳里の身体から離れる。

「岳里、本当にありがとう。まだ体力も戻りきってないだろうし、寝てていいぞ。おれはりゅうの迎え行ってくるから」

 ベッドから降りようと足を下したところで腕を捕まれた。
 まだ目尻に残っていた涙を拭ってから岳里に振り返れば、おれから目を逸らす姿が見える。

「大丈夫だって。もう落ち着いたし、すぐ帰ってくるよ」
「――――」
「……岳里?」

 まだおれを心配してくれてのことかと思い、安心してもらえるよう言葉を選ぶ。でも岳里は腕を離してくれなくて、それどころかもう少しだけ手に力が込められた。
 思わず名前を呼べば、ようやくおれの方を見る。もう一度呼ぼうとしたところで口を開けば、そこからあがったのは悲鳴で。

「ひえっ!?」

 裏返った声をあげているうちに、ベッドの上で胡坐を掻いたままの岳里の腕に横に抱えられていた。しっかりと膝と背中を支えながら岳里は何も言わないまま立ち上り、そのまま隣に並ぶおれのベッドへ向かう。
 すぐに辿り着けば、足で整えられた毛布を蹴散らし、端の方へおれを置いてから岳里も隣にもぐりこんできた。
 一度は足先に追いやった毛布を引き上げ、戸惑うおれを背中から抱きしめ、岳里はもぞもぞと動きながら眠る体勢を整えていく。
 やがて動きが止まったことを確認し、それから声をかけた。

「岳里、あの。りゅうの迎え行かないと。帰ってきたらおれもここで寝るしさ」

 ディザイアに預けているりゅう。もしかしたら今にも目覚めてしまっているかもしれない。傍に誰かいてくれても、おれたちの姿を探すかもしれない。
 なら早く迎えにいってやらないと。寂しい思いをさせてやった分、触れてやらないと。
 それを岳里もわかっているだろうに、それなのに身体に回された腕が解かれることはない。
 何故こんなことになっているのかわからないまま、とにかく説得しなくちゃともう一度口を開いた時、岳里が先に声を出した。

「ディザイアが、おれたちが寝ている間に連れてくる。気配がするから盗み聞きでもしているんだろう」
「盗み聞きっておまえ……まあ、岳里がそう言うんなら甘えてみるか」

 おれの言葉に、そうしろ、とだけ返し再び口を閉ざした。おれも前に回された岳里の腕に手をかけ、一息、胸に溜まったものを吐きだす。
 うなじにかかる岳里の息を感じながら、触れる腕に微かに力を込めながら、小さな声を震わした。

「兄ちゃん、大丈夫だよな」

 おれがごたついている間にも、こうして落ち着いている間にも、兄ちゃんは未だ手術中だ。きっと終わり次第連絡されるだろうけれど、待つしかないとわかっていても不安で焦りが生まれる。
 さっきまではおれ自身のことで精一杯だったけれど、それが一段落着いた今、胸に占めるのは兄ちゃんのことばかり。
 苦しげな表情が、呻かれた声が頭から離れない。兄ちゃんを搬入する時に見せたセイミアたちの緊張した面持ちさえ思い出す。そして、ただじっと兄ちゃんを見つめる十五さん。

「大丈夫だ。七番隊のやつらを信じて待てばいい」
「――ん」

 完全に不安が消えるわけじゃないけど。岳里が大丈夫って言ってくれたら、少しだけ安心する。
 もぞもぞと腕の中で動けば少しだけ腕の力を緩めてくれた。その間に身体を反転させて、向かい合う形に落ち着ける。
 おれからも手を伸ばし、岳里の腰あたりにゆるく手を乗せ胸に頭を預けた。
 精神的に疲れたのか、それとも失った力が回復しきっていないかはわからないが、身体はひどく重たい。それなのに目を閉じてもどうしても兄ちゃんのことが気がかりでなかなか寝付けないでいると、背中がそっと擦られる。
 岳里自身もまだ体力が戻りきっているわけもなくその身体は辛いはずだ。それなのにおればかりに気をかけてくれる。それが少し嬉しくもあり、ありがたくもあり、腹立たしくも思えた。
 おれも同じように岳里の身体を擦っているうちに、上半身は何も纏っていない素肌だからなのか、その熱がすぐに手の平に移ってくる。
 身体全体にも温もりは広まっていて、それは芯の方まで伝わった。
 その頃にはおれは、動かし続けていた手も止まり。岳里の腕の中で静かに眠りについていた。

 

 


「――んじ、真司」
「ん……?」

 岳里の声に薄らと目を開けると、視界いっぱいにりゅうの姿が映った。

「ぴぅう!」

 嬉しそうに上がる声に、無意識のうちにいつものように手を伸ばして頭を撫でてやれば、気持ちよさげに細くなる目。その表情におれも頬を緩めていた。
 それからあくびをひとつして身体を起こす。寝起きでまだ少し霞む視界に目を擦りながら辺りを見回せば、身支度を整えている岳里が目に映った。
 見る限り、少なくとも体調が悪そうには見えないし、辛そうでもない。その立ち姿はいつもの岳里と謙遜なく、完全とはまではいかないだろうけれど体力が大分戻ったんであろうことを察せた。
 よかった、と胸を撫で下ろしていると、おれが起きたことに気づいた岳里がいつもの無表情のまま告げる。

「悟史の手術が終わったそうだ。行くぞ、準備しろ」

 なんてことないように言ってのけた岳里の代わりに、おれは言葉を失う。それでもどうにか気持ちを落ち着かせ、手に絡んでくるりゅうを好きにさせてやったまま震える声を出した。

「――無事、終わったのか?」
「ああ。もう心配はいらない」

 感情を押し殺して伝えたおれとは対照な、いつもの調子のその声に。ただ呆然と、岳里のことを見つめてしまう。
 そんなおれを気にかける素振りはなく着々と着替えを終えた岳里はベッドの傍らにやってきた。

「いくぞ。りゅうもつれていく」
「――っあ、ああ……わ、かった。りゅう、おいで」

 その言葉に我を取り戻し、未だ手にじゃれついていたりゅうを抱え上げ肩へと運ぶ。その時になってようやく、急がなくちゃ、と思えた。
 急いで行かなくちゃ、早く、顔を。
 そう思ってつい慌ててしまえば、ベッドから降りようとしたところで身体に力が入らず倒れかける。けれど膝を床に打ち付けてしまう前に岳里が支えてくれた。

「慌てるな」
「わ、悪い……」

 幸い肩に乗っていたりゅうも落ちることなく、支えてくれた身体から起き上がる。
 それでもまた数十秒後に似たようなことを繰り返したおれを、岳里は無言で抱え上げ部屋から運んだ。

 

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