ふと目が覚めると、おれがソファの上、隣に座っていた岳里の肩に寄りかかっていた。
おれがつけたままにしていたテレビは消され、ただ岳里が本のページを捲る音が静かに響く。それが心地よくて、再びうとうとと瞼が閉じようとする。けれど、頭上からそれを制する声が降ってきた。
「夜寝られなくなるぞ」
「……わかってる」
お前はおれの母か、と思いながらも、おれは改めてあくびをした。それから岳里に身体を押しつけ唸りながら、背筋を伸ばした。
「う、ぉ~っ」
おれがどんなに岳里へ身を預けたとしても、決してぶれることがないその肩に寄りかかり直す。
どんなにおれが隣で動いてたとしても、岳里がページの進み具合が変わることもなく、けれども少し崩れた髪を耳にかけ直していた。
そんな岳里の姿を間近で見上げながら、おれはこの空間を壊さない程度の声音で呼び掛けた。
「なあ、岳里」
「なんだ」
「好きだよ」
本から目をそらすことなく呼びかけに応じた岳里だったけれども、おれの次の言葉には、さすがにこちらを向いた。
若干右の眉が上がっている。これは、純粋に驚いている時の表情だ。
普通本読んでたらそっちに集中して返事は適当になるはずなのに、どうやらこいつはしっかりと聞いていたようだ。
ちっ、聞き流せばいいものを……。と、おれは心の中で悪態をついた。
「どうしたんだ、急に」
「なんか言いたくなったんだよ。悪いか」
素直な疑問を口にする岳里のその目と見詰め合うことに耐えかねたおれ、は視線を前へと戻し、床につけていた足をソファへと上げ、膝を折り曲げて足首の辺りで手を組んだ。そして少し雑に岳里に答え、もう何も話すものかという意思を表すために、自分の膝に顔をうずめた。
なるべくあっさりとした感じで言ったつもりだけど、本当はもの凄く恥ずかしい。おれがそんなことを滅多に言わないから、岳里だってこうして驚いてるんだし。
でも、どうしても伝えたくなった。特に理由はないし、伝える必要もない。けれど時折どうしてもこんなことを言いたくなるんだ。
――いつ、唐突な変化が来るか分からない。もしかしたら明日、もしかしたら一時間後に、とんでもないことが起こるかもしれない。それはいいことだけでなく勿論悪いこともあって、起きてみなくちゃわからないことだ。だからこそおれは、後悔のないように生きていこうと思っている。実際そんなの難しいことで、後悔のない人生なんてありえない。でも、少しでも心残りというものをなくしておきたいと思うから。だからきっと、伝えたくなったんだと思う。……それと、きっとおれはまだ寝ぼけてるんだ。そうに違いない。
膝に顔をうずめながら、おれはゆらゆらと身体を揺らした。明らかに岳里の視線が逸らされていないことに気づいているからこそ、顔を上げられなかった。
けれど岳里には、おれのこんな些細な事情など構ってられないようだ。
「別に悪くない。――真司」
僅かに弾む声音に気づいてしまい、おれは名前を呼ばれても返事もせず、ただゆらゆらと前後に揺れる動きを止めただけだった。しかし、もう一度、先ほどよりもわかりやすく嬉しそうな声音で名前を呼ばれれば、さすがに無視もできまい。
しぶしぶ顔を上げ岳里へ向けるも、視線はどうも言うことをきてはくれず、無意識に斜め下を見た。
「真っ赤」
「うるせ」
「――真司」
三度名前を呼ばれ、それでもおれは目線を合わせられない。そっと、頬に岳里の右手が添えられたと思ったら、そのまま口づけされた。
「んっ」
触れるだけのそれを何度か繰り返すだけのものでも、思わずおれは今まで組んでいた手を解き、膝の上に彷徨わせる。すると岳里が頬に添えていた手をそのまま顎に滑らせ、そこを掴みおれに口を開けるよう促してきた。岳里の舌も、入れさせろと言わんばかりに、ぴったりと閉じるおれの唇をつついてくる。おれが小さく閉ざしていたそこを開けば、狭い隙間にぬるりとした岳里としたが押し入ってきた。
「っ、ふ……ぁ」
洩れる声すら逃がさないかというように、呼吸もすべて奪われる。ぐいぐいと押され、次第に体勢も崩され、おれは後ろに押し倒された。
ばさり、と本が床に落ちる音が聞こえるも、全く気にしない様子で岳里はおれの口内をまさぐる。けれど、いつものようにおれに限界が来た。
いい加減苦しいぐらいに酸素が足りなくなったおれが岳里の背中を殴って、ようやく僅かに顔が離れた。おれが荒い息を繰り返す中、岳里はほんの少し呼吸が速くなる程度。
おれの口の端へと追い出されたよだれを岳里が自分の服の裾で拭った。
まだ余韻に浸りぼうっと目を滲ますおれに、近すぎて少し顔がぼやけるほどの距離で、岳里がそっと微笑んだ。
「愛している、真司」
そう言って、おれの返事も反応も見る前に、岳里はまた唇を重ね合わせてくる。
しゃあねえなあ、とでかい図体しながらも甘えてくる岳里の首の裏に手を回し、たくさんの愛と一緒に受け入れた。
本当は、どうして想いを口にしたかなんてわかりきってる。
後悔したくないのもあるし、もしかしたら本当に寝ぼけてるのかもしれない。
でもきっと――
生きているから、伝えたくなったんだ。
おしまい
2011/03/28