弟子のフロゥに見守られ、アロゥは静かに息を引き取った。
 明け方に起きた偉大なる魔術師の逝去の知らせは瞬く間に伝わり、彼を深く信頼していた王や同僚だけではなく、国民まで深い悲しみに包まれた。
 三日かけて人々は別れを惜しみ、眠るように目を閉じる穏やかなアロゥの顔を見て涙した者も少なくはなかったという。
 そして速やかに葬儀は行われた。まるで世界も彼の死を悲しむかのように、しとしとと雨が朝から降り注いでいた日だった。
 国に貢献してきた方なのだから盛大にしよう、という声も多く上がったが、故人の気質からそれでは喜ばないだろうからと、規模の違いはあれども一般と然程変わらぬ質素な葬儀が執り行われた。
 間違えても獣が掘り起こさぬようにと深く掘った穴の中に遺体を横たえ、上から真白の布を全身に被せる。葬儀に参列した女たちが死者を弔うための白き花を埋め尽くすように投げ入れて、その上から男たちが土を被せていく。
 白い色が消え、彼の身体の分盛り上がった土の上に、最後は王が種を植える。
 それは国の樹の種。人格に優れ、国に大きく貢献した者にのみ与えられるものであった。

「アロゥ。おまえ喪失は、とても胸が痛むよ――……わたしはこの国の王として、おまえが築いてくれたこの国をこれからも存続させよう。そしてよりよい、理想の国へ導いて見せる」

 手が汚れるのも厭わずに、シュヴァル王はアロゥが眠る盛り土に、新しい命を収めた場所に掌を当てる。

「どうかこれからも、我らを見守っていてくれ……」

 誰よりも深くアロゥを信頼し、そして愛していたシュヴァル王は、涙をこらえて微笑んだ。

 

 

 

 葬儀は滞りなく終わり、湿っぽい顔ばかりの人ごみからハヤテは逃げるように自室へ戻った。
 フロゥも連れてきてやろうとしたが、泣きはらした目をしっかりと開いて、国民への対応のために残ることを選んだ。いずれはアロゥを継ぐ身であると自覚してのことなのだろう。
 アロゥは国外を跋扈する魔物から国を守るために、たった一人で防御壁の結界を張ってしまえるほどの優秀な術者であった。国の守護は彼に一任されていたのだ。
 彼を失った今、他に魔術師は残ってはいるが同じ質の結界を張れる人間はいなくなってしまった。鉄壁の守りと言われたこの国であるが、アロゥの死によりついに守護に綻びが生じたのだ。その不安をいずれは解消しなければならない立場にあるのは王ではなく、後継者たるフロゥである。
 人々もそれを知っていた。だからこそ彼に、アロゥと同じだけの期待をかけずにはいられない。そしてフロゥ自身も自覚があるからこそ、そんな彼らの不安を、幼い彼なりに受け入れようと懸命に努めていた。
 本来であればフロゥの獣人として彼を支えとならねばならないのだろう。だがハヤテがいるとどうも快く思わない者たちが多く、またそのきつい眼差しから人々は怯えてしまう。不遜な態度も不安を煽るしかなく、それならばと早々に去ったのだ。フロゥもハヤテの性分を知っているからこそ引き留めはしなかったのだろう。
 まだ頼りない幼い主に甘えてばかりのハヤテに、おまえもしっかりしろよ、と叱る声が聞こえた気がした。だが、そんなはずはない。その声の持ち主はもうこの世にいないのだから。
 寝台に腰を下ろし、小さく息を吐いてから背中から倒れ込む。
 いない間に新しい敷布に取り換えられていたのだろう。いつもであれば日の匂いがするのだが、ここ最近曇りがちだったからかどことなく湿っぽい匂いがした。
 アロゥの死により、国が失ったものは大きい――消えたのはアロゥだけではなく、彼がもたらしたもうひとつの大きな恩恵、獣人のジィグンも同じだった。
 契約者が死ねば獣人は強制的に元いた世界、獣人たちが眠るプレイに送還される。ジィグンもその限りで、アロゥが息を引き取ると同時にこの世界から消えたのだ。
 ハヤテと激しくまぐわった後だというのに、ぐちゃぐちゃの敷布に飛び散る残滓はハヤテのもののみだった。ジィグンののこしたものは匂いすらなかった。目覚めたときに感じた違和感の正体はそれだったのだ。
 ハヤテの部屋だけではなく、ジィグンの部屋でもあったアロゥの部屋にも、彼が頻繁に出入りしていた九番隊の執務室にも、ジィグンの匂いはすべて消えていた。今ではどこにも、毛髪の一本さえ落ちてはいないだろう。
 彼自身のものはすべて残らずプレイに返されてしまったが、記憶や傷痕、残した功績までが消えるわけではない。ジィグンは送還されただけで死んではいないため、葬儀が行われることはないが、皆密かに彼の存在までなくなってしまったことを悲しんでいた。
 ジィグンは表立った華やかな記録は残してはいないが、それらの陰には必ずといっていいほど彼の存在があった。民には気のいいアロゥの獣人、という程度でしか知られてはいなかったが、城の者たちはいかに彼がこの国を影ながら支えていたかを知っている。
 ハヤテ自身も彼にフォローされていた者の一人だ。できないと逃げ出した執務で、隊長自らが行わなければならないもの以外のほとんどを他の隊の副隊長であるジィグンが代行していた。
 アロゥの弟子であるフロゥの獣人のよしみだからと、仕方なく世話をしてやるんだと周りには言っていたそうだ。自由でさぼり癖のある隊長に手を焼いていたハヤテの部下たちは、これからの職務の不安も、世話になった人がいなくなった事実にも苦しんでいるようだった。
 アロゥももう年であったし、獣人とて永久の命ではないので皆覚悟はしていた。けれども実際現実が突きつけられると、わかっていても言葉を失うほどに気持ちは沈み込んでしまうようだ。
 だがハヤテにはよくわからない感情だった。
 近い将来亡くなることがわかっていたのに、なにをそんなに悲しむ必要があるというのだろう。いなくなってしまうものは仕方がない。まだある程度心の準備ができていただけよかったのではないだろうか。
 人はいつ死ぬかわからない。ましてや国に使える軍人であればなおさらだ。ハヤテが乱暴にジィグンを抱いたあの日だって、外で見回りをしていた十番隊の者が魔物に遭遇して一人命を落とした。まだ入隊して日が浅かった若い男だった。それだって、彼と最も親しかった男は覚悟していたことだから、と涙を堪えて受け入れていた。
 天寿を全うしたアロゥは、とても恵まれていたほうであっただろう。そして彼とともにいなくなるはずだったジィグンも、決して不幸ではなかったはずだ。
 だが――
 穏やかなアロゥの顔は、悔いのない人生であったことを物語っていた。
 これまでハヤテが見てきた苦悶に歪む死に顔とあまりにも違かった。本当にただ眠っているようで、死んでいるとはとても思えなかった。だからなのだろうか。頭では理解しているつもりなのに、どうにも実感がわかないのは。
 今にも土の中から、おどろいたかな、と食えない顔をして出てくるのではないかと思う。
 彼の胸元に、鼠姿で潜んでいたジィグンも得意顔で姿を現して。おふざけが過ぎているとみんな悲しみの涙を安堵に変えて、笑顔で怒るのだ。
 ありえない妄想を鼻で笑い飛ばす。らしくもない考えだ。いつからそんな冗談を思い浮かべることができるようになったのだろう。
 そういえばヤマトから呼び出されていたことを思い出す。葬儀の終わった後に今後の話をしたいと言っていたが、どうせまだ参列者の相手をしているだろうし、明日でもいいだろう。ハヤテの性格をよく知る彼のことだ、どうせ今日中に来そうもないことは薄々勘付いていることだろう。
 どのみち起き上がる気力の湧かないハヤテは、そのまま眠ってしまうことにした。
 どうにも夜寝つけず、休憩場所の隠れ場でも寝入ることができずに寝不足が続いているのだ。
 目を閉じるも、一向に眠りにつく気配はない。瞼は重く、もう持ち上げるのも億劫なのに、眠気で頭はぼうっとするのに、それでも意識だけが冴えわたっているようだ。
 こうしてだらけていると、その度に叱咤するようにハヤテを呼ぶジィグンの声が聞こえる気がした。
 ハヤテがどこにいても見つけ出す男のせいで、いつもの隠れ場休んでいても、仕事に戻れと言われたような気がする。鬱陶しいほどこのうえないのに、もういないとわかっているのに、つい振り返ってしまう。
 彼が呼びに来るのでは、とありもしないことを考えるとやはりいつものように寝ていられない。
 消えてもなお、その存在が振り払えない。事実は受けているはずなのに、うるさいやつがいなくなったと思ったはずなのに、それなのにまだ彼がそこにいる気がする。
 ハヤテは無意識に首筋を擦る。そこにある赤い痕は、四日前のものということもありほとんど消えかけてしまっていた。
 この痕が消えてしまえば、煩わしい幻聴もなくなるだろうか。

「……てめえはおれの、なんだったんだよ」

 ぽつりと、誰に言うでもなく呟く。
 知るかよ、と答える声が聞こえた気がした。

 

 

 

 欠伸を噛みしめていると、背後から小走りで近づいてくる気配に気がついた。それでも足を止めずにいると、気配の主が追いつき肩を並べた。

「もう、昨日話があるって言っただろう」

 ため息交じりでそう言ったのは、同じ獣人でありジィグンの上司にあたる九番隊隊長のヤマトだ。

「どうせ話す暇なんてなかっただろ」
「まあ、そうだけどさ」

 あてずっぽうに言ったが、どうやら当たっていたらしい。ならば責められるいわれはないと、小さく苛立つ。

「それで、なんだよ今後の話って」
「ジィグンからの伝言だよ」

 予想していなかった名が上がり、思わず足を止めた。
 一歩だけ先に進んだヤマトも立ち止り、ハヤテに振り返る。

「――あいつが、なんだって」
「これからはちゃんと仕事をしろよ、だってさ」
「それだけかよ」
「うん」
「はっ……くだらねえ説教かよ」

 再び歩きはじめたハヤテは、先程よりもいくらか歩幅が大きくなっていることに気がつかない。
 慌ててヤマトが後を追いかけてきた。

「ごめん嘘だよ。本当はもう少しだけ続きがある」
「説教の続きなら聞かねえぞ」
「『おまえが頭を使うのを苦手としているのは仕方がない。でも、できる範囲でいいから頑張れよ。ちゃんと周りには話しつけて、理解してもらってあるから、頼ってやってくれよ』――ってさ」

 ありのままの言葉であるのだろう。それをヤマトに告げているジィグンの声が、聞いたこともないはずなのに滑らかに頭に流れていく。

「ジィグンは以前から自分が消えた後のことを考えて、仕事を整理しながらやってくれていたんだ。だからおれの隊も、ジィグン頼っていた部分が多かったのにそれほど混乱は起きなかったよ。でも最後まできみのことが気がかりで仕方がなかったみたいでさ」
「……結局、説教みたいなもんじゃねえか」

 他人にそんな言葉を託すほどハヤテは頼りなかったのだろう。だが実際、それだけの態度であったことは自覚している。
 いつも口にしている台詞を、今更残すのか。もっと他になにかなかったのか――

(なにかって、他になにがあんだよ)

 自分の考えに内心で自嘲する。どんな言葉をもらったところで変わるものはないというのに、なんだったらよかったというのだろう。

「話はそんだけだろ。ならもう放っておけ」

 そんな言葉を吐き捨てて、ハヤテは立ち止ってしまったヤマトを置いて歩き去っていった。

 

 

 

 ノックもなしに部屋に入ると、それまで言葉が行き交っていた部屋がしんと静まり返る。誰もが不躾な来訪者に視線を向けて、その人を見るとさらに驚きに目を見開いていた。
 それもそうだろう。いつもであればジィグンに引きずられしぶしぶやってくる八番隊の執務室に、さぼり魔のハヤテが自ら現れたのだ。これまで一度としてなかった珍事を目の当たりにして、皆幻ではないかと疑っているほどだった。
 居心地の悪い眼差しに晒されながら、ハヤテは正面奥にある自席に真っ直ぐ進んだ。
 その途中で席に座っていた一人の男が慌てて立ち上がり、ハヤテのもとに駆け寄ってくる。

「お待ちしておりました、ハヤテ隊長!」

 うるさいくらいの声量に笑顔を見せるのは、八番隊副隊長だ。戦うばかりのハヤテの代わりに、事務の方を専門にまとめるのが彼の主だった役割だった。頻繁にハヤテがさぼっていることで、もっとも被害を被っていた人物でもある。
 隊長の席に腰を下ろし、横に立つ副隊長にぼそりと尋ねる。

「仕事は」

 どうにか平静を取り戻した隊員たちが、再び目を丸くしてハヤテを見た。仕方がない。これまで一度たりともハヤテの口から仕事を気にかける言葉が出たことなどなかったのだから。

「ではこちら右側の書類をご確認の上、内容がよろしければ隊長の判を押してください」

 広い席の両端に書類の山がある。ただ目を通すだけでも相当時間がかかるだろうが、左側はまた別の案件であるだろうからそれも片づけなければならないだろう。
 自分の仕事とはいえ、今から気が滅入りそうだった。それでものろのろ書類の一番上に手を伸ばし紙面に描かれる文字の羅列を目にするが、びっしりと書かれたそれがなかなか頭に入ってこない。
 早々に匙を投げだしたくなったところで、副隊長から声がかかった。

「ハヤテ隊長。ご紹介したい者がおります」

 顔を上げると、いつの間にか副隊長の隣に一人の男が立っていた。柔和そうな顔の痩身の男で、いかにも文官のなりをしているが、なかなかしなやかな芯を持っているような雰囲気がある。

「彼は九番隊からうちの隊に転属してきた者です。ハヤテ隊長の執務の補助を専門に仕事を致します」
「お初にお目にかかります、ハヤテ隊長。サハテと申します。なんなりとお申しつけください」

 ハヤテが目を向けると大抵初対面の者はその顔のいかつさに怯えるが、男は愛想よく笑って見せた。 

「ひとまず、こちらの書類の大体に目を通してありますので、わたしの方から内容をご説明させていただきたく思います。よろしいでしょうか?」

 先程見た蟻の行進のような文字を思い出し、逡巡した後、手にした紙をサハテに差し出す。
 受け取ったサハテは軽く紙面に目を通し、噛み砕いた説明をして、あとはハヤテに許可をするか否かを任せる。
 自分で文字を読み取ることが苦手なハヤテにとってサハテの存在はとてもありがたく、なめらかとはいかないまでもいつもよりも早く仕事をこなしていくことができた。
 二人の様子を心配げに見守っていた周りの隊員たちも、有能で気遣いのできるサハテが上手くハヤテを操っている姿を見て安堵したらしく、止まりがちだった手もそれぞれ動き出す。
 ときにハヤテの情報の容量が越えてつい眉間のしわを深くすると、目敏く気づいたサハテが休憩にしてくれたり、お茶を用意したりと気遣ったため、癇癪を起すこともなくハヤテは午前中いっぱい椅子に座り続けることができたのだった。
 鐘がなり、皆が昼休憩に入る準備をするなか、ハヤテも作業をいったん止める。
 それを見て離れようとするサハテに、ぼそりと声をかけた。

「あのくそおやじの差し金だろ」

 一度は背を向けたサハテはくるりと向かい直り、いかにも人の良さげな笑みを見せた。

「はい。わたしならハヤテ隊長の手助けができると判断されたそうです。ジィグン副隊長がいなくなった際、わたしがこちらに配属される手はずは以前からなされておりました」

 やっぱりな、とこの状況が腑に落ちた。
 ヤマトからのジィグンの伝言がなくとも、これまでのようにふらふら歩いていれば今まで以上の非難が上がっただろう。これまではジィグンがハヤテに代わり処理していた仕事だったが、その彼がいなくなったのだからハヤテがきちんと仕事をこなさなければ支障が出ることは必須で、そうならないためにもサハテを手配していたのだ。
 今回は気が向いたから来てみたものの、あんまりにも仕事を放棄し続けていれば椅子に括りつけられることもあり得る。だからといってハヤテの頭脳がよくなるわけでもないので、サハテの存在には悔しいが助けられた。

「――ジィグン副隊長は、わたしがハヤテ隊長に憧れていることを知っていたんですよ。わたしは身体が弱いので、ハヤテ隊長の力強く戦う姿が羨ましく、そして励みにしておりました。わたしもいつか肩を並べられたらといつも思っていたのです。そして副隊長はその機会を戦場でなくともここで与えてくださった。……ハヤテ隊長の獣人であるが故の性は存じております。だからこそ誰よりも身体を張って前線で戦っていらっしゃる。わたしはそんなハヤテ隊長を尊敬しております」

 初めて面と向かって言われた真っ直ぐで純粋な言葉に、ハヤテはどう返していいかわからず、そのまま席を立ち、サハテに見送られたまま部屋を後にした。
 獣人は強さを持てば持つほど、欠けていくものがある。それが賢さだ。
 文字を読むことや事務的な作業を苦手とするのは、確かに性分もあるが、獣人の性でもあったのだ。
 ハヤテは無双者と呼ばれるほどの兵である代わりに、知性がない。戦いに置いては直感で乗り切っていたに過ぎず、頭はほとんど空にしていた。それでも数々の魔物との切り抜けられたのは、細かな策略を凌駕した天性の才だった。
 獣人を従える者には獣人の武力と知性の比例は有名な話ではあるが、しかし目に見えぬその事実を知る者は少なかった。
 ハヤテにとっては苦行でしかない執務から逃げ出すことが許されているのも、ジィグンが処理をしていた以前にそうした事情があるが、知らぬ者からすれば傲慢な怠惰者にしか見えないのだ。
 ハヤテ自身あえて訂正もせず、言いたい奴は言わせておけと自らも自由奔放に振る舞うためにより多くの誤解を生む結果となっていた。
 そのことについてジィグンが影で根回しをしていたことを知っていたが、それすらもハヤテには関係のないものだった。しかしこうして今、彼の気遣いに救われている自分がいる。
 昼食を摂る気にはなれず、いつもの休憩している避難場所に向いながら、ハヤテは首筋に手を当て、どこかむずかゆい胸に落ち着けずにいた。

 

 

 

 やはり慣れぬ作業に耐えかねで、午後からは一度抜け出してしまったものの、いやいや戻ってきてまた仕事をこなした。明日は外回りですから、という励ましのおかげもあっただろう。
 自分がすべきはずの仕事をしただけではあるが、終わったと同時に疲労がどっと増した。頭が鈍く痛み、目も疲れていて歩きながら揉みほぐした。
 いつもよりも心なしか猫背になりながら部屋に戻ると、先にもどってきていたらしいフロゥが笑顔で出迎える。

「おかえりハヤテ。副隊長さんから聞いたよ。今日はちゃんとお仕事したんだって?」
「口が軽いやつだな」
「ふふ、とても喜んでいたよ。ジィグンさまのおかげだーって」

 それまで楽しげに微笑んでいたフロゥはふと笑みを消し、幼い表情に陰を落とした。 

「ハヤテも、二人がいなくてもちゃんとしているんだね……ぼくもしっかりしなくちゃ」

 信頼していた師を失い、フロゥは四番隊に入隊をすることが決まった。
 入隊は一か月後と猶予が与えられているが、ゆくゆくは副隊長となり、そして隊長として魔術師たちを引き連れることを期待されている。将来の話であるが、あのアロゥの弟子というだけで、周囲の期待は鉛のようにのしかかっていることだろう。
 ハヤテは慰めの言葉を口にすることもできず、寄り添うような優しさも持っていない。だからただ、幼く無垢な主にこれまで通り接するしかできない。
 頭をぽんぽんと叩くと、フロゥはゆっくり顔を上げた。

「風呂、いくか」
「――うん!」

 手が伸ばされる。軽い身体を腕に抱え上げ、ハヤテたちは部屋を後にした。

 

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