離れたくないので王弟殿下を誘惑します!

 

「セオドアさん、質問してもいいですか?」

 いつもは読書を楽しんでいる時間をしばらくぼうっと過ごしていた春一は、思い切って声を上げた。

 唐突だったはずなのに、まるで見計らったようにお茶を淹れ終わったセオドアは、春一の手前にカップを置きながらにこりと肯定の笑みを見せる。 

「はい、お伺いしましょう。ですがまずは喉を潤されてはいかがですか」


 勧められるがままお茶を一口含む。温かいが熱くはなく、息を吹きかけ冷まさなくてもすっと飲み込むことができた。

 ほんのりとした甘味は、少量のはちみつが入っているからだろう。まさにこれから話をするために、喉を労わるような、心を安らがせるためのような配慮だ。
 顔に出したつもりはまるでなかったが、セオドアはなんでもお見通しらしい。
 一息つくと、ふっと全身から力が抜けていくのがわかった。

「ご質問というのは?」

「……フェリクスとのことが関係しているんですけど」

 つい二月ほど前、結婚の約束をした恋人のことを持ち出した。

 セオドアからしてみればフェリクスは雇い主であり、春一は侍従として身の回りの面倒をみる相手だ。 フェリクスの片思いも長く見守っていたらしく、春一たちが無事結ばれたことを一番喜んでくれた。セオドアいわく、春一は自覚していなかっただけでフェリクスに十分気があることに気づいていたが、自分たちで先に進めなければ意味がないと、時折助言めいたものを伝えるだけで必要以上の口出しはしないようにしていたという。
 そんな二人のことをよく知っている相手だからこそ、他の誰にも相談できそうにないこの悩みを打ち明けることにした。

「その……おれたち付き合うというか、もう婚約者なわけなんですけど」

「はい。陛下もお認めになった正真正銘の、結婚秒読み婚約ですね」

 この国では婚約期間を半年から一年設け、その期間内に気持ちが変わらなければ結婚に至る。一年後に結婚の意思が片方にでもなければ婚約期間更新とはならず一旦契約は白紙になる。反対に、どんなに二人の意思が固いものだとしても最低半年は婚約者でいる必要があった。

 春一とフェリクスは婚約期間まっただ中で、半年が明ければすぐに結婚することが決まっている。そのことで春一にも異存は一切ない。フェリクスはすぐにでも結婚したがったが、さすがにそこまでの特例は認められないから半年くらい待ちなさい、と兄王にたしなめられていたくらいだ。
 稀人であるだけで爵位もなければ男である春一と、王族である王弟フェリクスの結婚は本来認められるものではなかった。しかしフェリクスの魔法研究への功績や、春一自身もフェリクス専用の魔力保管庫という能力からの貢献などを評価され、例外的に認められたという婚約だ。
 といってもそれは周囲に向けた建前であって、本当はフェリクスの執念に弟に甘い兄王が折れただけの話である。国王としても本音は優秀な魔法使いの血を継いでほしい、弟の子を見たいと思っているのだろうが、本人が春一以外はいらないというのだから仕方ない。
 つまりフェリクスと春一は自他共に認める、結婚を控えた間柄なのだ。しかも王侯貴族の宿命ともいえる政略的なものではなく、お互い好き合った者同士でもある。
 ――だが、だからこその悩みがあった。

「その……おれたち、してないんですよ」

「してない、とは」

 思わず俯いてしまった春一の顔色は見えないはずだが、耳が真っ赤になっていることと、言いにくくしていることでセオドアは察したらしい。


「ああ、性交渉のことですか」


 濁したものをはっきりと言葉にして突き付けられ、思わずぐっと喉が鳴る。だが自分から持ちかけた相談だ。逃げるわけにもいかず、浅く頷いた。

 思い切って話に出したが、おそらくセオドアは知っていただろう。
 春一とフェリクスの部屋のベッドメイキングは他の者に任せているが、そのとりまとめをしているのはセオドアだ。彼のもとには、毎朝取り換えられるシーツに特別な乱れがなく汚れもない、という情報が入っているはずだった。

「確認させていただきますが、お二人は毎夜ご一緒に過ごされておりますよね?」

「はい」
「私は下がらせていただいているので、夜のお二人がどう過ごされているか知りません。よろしければお話いただいても?」

 以前は「元の世界に帰ってほしくない」という台詞をフェリクスから引き出すため、籠絡作戦の一環で一緒の寝台に寝ていた。同衾できるくらいの仲であったのだから次に進むのもきっと早いと思っていたわけなのだけれども。

 想いが通じ合った、それももういい歳をした大人が二人だ。誰にも邪魔されることなく密室で夜に二人きりともなればしっとりとした雰囲気にもなる。ましてやフェリクスは許されるなら春一を抱きたいと思っていることも認めている。すぐにでも手を出されるだろうと、落ち着かない気持ちで夜を待っていた。
 けれど――両想いになって二か月、二人はまだキス止まりだ。
 寝る前の時間は引き続きともに過ごして、寝酒に代わってハーブティを二人で楽しみつつ、他愛ない話をした。それでも以前にはあった二人の間の距離がなくなり、身を寄り添いあうようにしてくっつくようになった。
 会話が途切れた時、ふと目が合い、そしてそっとフェリクスが顔を寄せてくる。触れるだけの口づけを交わし、そのまま長椅子に押し倒されるかと思いきや、フェリクスはにこやかに話題を振ってくる。
 ではいざ寝ようかという時間になれば、春一は腰を抱かれるようにしてフェリクスの寝室――ではなく、その隣の部屋に連れていかれる。
 王弟宮の主たるフェリクスの寝室から続く隣のもうひとつの寝室は、その奥方が過ごす場所。つまりは伴侶の部屋だ。
 実は以前に春一はこの部屋を使っていたことがある。フェリクスが魔力過多症に苦しんでいた頃で、すぐにでも彼のもとに駆けつけられるよう部屋は近くのほうがいいと考えられたためだ。
 つきっきりで介抱していたので実際のところほとんど使うことはなかった。症状が落ち着き、体調も回復して間もなく、春一は部屋の移動を申し出て場所を移った。
 そして再び、伴侶の部屋が春一に与えられることになった。その言葉通りの立場となり、正式に春一が使うべき場所だとされたからだ。
 慣れ親しんだ自室から離れるのは少し寂しさもあったが、贅沢なことにその部屋を書斎として引き続き使っていいと言ってくれたフェリクスの配慮が嬉しかった。それに以前は本来は別に主がいる部屋と思って落ち着けなかった伴侶の部屋が、正式に自分の場所となることは面映ゆい気持ちとなり、本当にフェリクスと結婚するのだという実感を覚える役割を果たしてくれた。
 ――結婚の承諾をした次の日には、部屋の引っ越しをすることになったのにはさすがに驚いたが。
 しかも久しぶりに足を踏み入れた伴侶の部屋が春一好みの落ち着いた色合いで整えられており、以前から用意だけはされていたことを知った。
 春一がもしもこの部屋を使うとするなら、と想像したフェリクスが考えるだけでは我慢できずに手配したという。そして時々春一好みの、けれども当人はいない部屋で一人くつろいでいたそうだ。
 結ばれた二人が過ごす日々の妄想に耽りつつ、けれどいつか元の世界に帰ってしまう春一に叶わない夢だという寂寥も感じていたという。それを喜べばいいのかそれとも呆れればいいのか、笑えばいいのか切なくなればいいのか。その話を聞いた春一はなんともいえない表情をしたものだ。
 フェリクスの寝台の大きさには敵わないが、伴侶の部屋の寝台も二人が寝るのに十分な広さがある。
 ではこちらの寝台で一緒に寝るかというと、そうではなく、フェリクスは健全に春一が横になるまで見守るだけだった。

『おやすみなさい、春一』


 ちゃんと肩まで毛布を引き上げるのを見届けると、春一の額に唇をそっと落し、甘い声を残して自室へと帰っていく。

 隣り合った部屋を隔てる扉はぱたんと閉められると、もう翌朝まで開かれることはない。
 言葉通り抱きしめ合ったり、キスをしたりはする。けれどそれ以上のことはなく、健全な意味でも寝台をともにすることさえなくなってしまったのだ。これでは前進しているのか後退しているのかわからない。
 春一には経験こそないが、まるっきり初心というわけではない。こちらの世界に来る前はそれなりに興味があったし、来るべきその時のためにネットでこっそり知識を蓄えたりしていた。男同士のやり方を詳しく調べたことはないが、どうすればいいかくらいなんとなくわかる。
 フェリクスは春一に想いを寄せて長いとも聞いていたし、まだ二十代だ。性欲が衰えるどころか盛っているだろうし、だからこそ、それこそ両想いになってすぐに押し倒されるくらいは覚悟していたのに。
 ぽつぽつと状況を語り終え、お茶で不安な気持ちを流し込む。セオドアが丹精に淹れてくれたのに、よく味わうことができないのが申し訳なかった。

「おれが知らないだけで、婚約中はしちゃいけないとかあるんでしょうか?」

 長い前置きを置いたが、聞きたいのはそのことだった。

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