フェリクスと春一は男同士なので、罷り間違っても子どもはできない。それに想いは固く、別れることにはならないので、身持ちの価値云々は考えなくてもいいだろう。だが一般的には婚約とは男女の者で、結婚するまでは引き返せないようなことはすべきでないという考えがあってもおかしくはない。


「まあ、しないようにとはされていますね。婚約中に相手に瑕疵が見つかったり、より好条件の相手が見つかったりして破談になることもありますから。性交渉は一般的に結婚後がよしとされています」


 元いた世界でも聞いたことのある話なので戸惑いはない。ではフェリクスはそれに則り手を出さないだけかと思えたが、続くセオドアの言葉に肩を落とした。


「とはいえ、気の合う婚約者同士なら表沙汰にならないよう上手くやるものです。殿下とハル様の場合、致してしまって問題になるようなこともありませんし、控えることはないかと」

「じゃあ……やっぱり、おれが年上過ぎてその気にならない、とか……」

 自分から出した言葉なのに、情けなくも尻すぼみに消えていく。

 フェリクスの愛情を疑っているわけではない。春一が元の世界に戻ることになった場合、着実に追いかけられる算段をしていたくらいなのだから、余程の覚悟を持っていることを知っている。
 だが性交渉をするとなると、また話は変わってくるだろう。
 異性同士だって子作りの義務を果たすだけしか触れあわないこともあるように、同性同士も必ずしも深く交じり合うわけではないという。
 フェリクスは春一を抱きたいような発言をしていたが、いざ実際に肌のぬくもりを感じてみて、それ以上先のことはやはり不要と思ったのかもしれない。
 好きだけど――肉体的に興奮しない、とか。
 ただでさえ春一と年が離れているし、昔から知っている相手でもある。それは春一にも言えることで、ましてやこちらはフェリクスの無垢な幼い頃から知っている。その頃のフェリクスのあどけない顔や、親しくさせてもらっている兄王のことも頭にちらつかないわけでもない。
 フェリクスがしなくないのならそれでいいじゃないか。セックスしなくても間違いなく互いに好き合っているのはわかっているし、抱きしめあうだけでもぽやぽやとした幸福感に満たされる心地よさをちゃんと感じられている。愛情を感じていないわけでもないのだから、不安になることなんて何もないはず。
 ――そう、思おうともした。けれどもそれで満足できないのは春一のほうだった。
 フェリクスが隣に座るだけで落ち着かなくなる。身体が触れあえばそこから熱がさざ波のように広がり、それを気取られたくてつい多弁になってしまった。そして酒でも飲んだかのように浮かれて、思考がままならなくなる。実際に飲んでいるのは眠りを良くするためリラックスできるハーブティのはずなのに。
 指を絡ませ合えば、もう離したくない。目が合えば勝手に顔を寄せてしまう。キスをすれば、もっとしたい。苦しいほど心臓は高鳴っているのに、離れていく唇をつい名残惜しく見つめてしまう。
 隙間なく近くに行きたいと思うし、素肌にも触れたくなる。何より、フェリクスの熱を、手のひらをもっと感じたい。もっともっと、ただひたすらに彼が欲しくなる。
 つまり欲情して先に進みたいと願っているのは、春一なのだ。
 頭がどう理性的に考えようと、身体が勝手に反応してしまうのだからお手上げだ。
 だから、たとえフェリクスにその気がなくても、できることなら先に進みたいと思わずにはいられなかった。

「不躾な質問ではございますが、確認をさせていただきます。ハル様は殿下としたいですか」

「……したいですよ、おれとしては」

 思いのほか素直に答えたのが意外だったのだろう。セオドアは珍しいものを見るように片眉をわずかに持ち上げた。

 こんな情けない話を持ちかける前に、自分はフェリクスとどうなりたいのか散々悩んだ。だからセオドアの質問に対する答えはもう出ているし、自分の偽らざる気持ちとして認めている。
 正直に話すことは、内容としてもまったく羞恥がないわけではない。だが下手に取り繕ったり誤魔化したりして曖昧にするのは、それこそこんな話を聞かされているうえに時間を割いてくれているセオドアに失礼というものだ。

「なるほど。では、婚約期間中でも致すことに問題はないと確認された今、ハル様はどうされますか?」

「おれは……」

 自分の気持ちはもう確認している。セオドアに質問されて認めた時にもすんなり言えたのは、嘘偽りない本心だからだ。

 なら、これからすることはあれしかない。

「おれ、フェリクスを籠絡――いえ、誘惑します!」

「ほお、誘惑ですか」

 セオドアの口元が深い弧を描く。だがそれは嘲笑などではなく、まるでよくやったと、手柄を立てた犬をほめる飼い主のような満足げなものだった。


「フェリクスが何を思っているのか、正直わかりません。でももしかしたらあいつだって、おれが何を思っているのかわからないんじゃないかって思ったんです。このことについてまだちゃんと話せてないわけですしですし」


 フェリクスの片思いを、春一は傍にいたはずなのに気づくことはなかった。

 今でこそ両想いで婚約者として落ち着けたが、一歩違えればフェリクスの想いを知らず、自分の気持ちにも気がつくことなく、春一はこの地から旅立っていたのかもしれなかったのだ。
 もしくは元の世界に帰ってしまう道もあったかもしれない。だがそうすることによって、その後を追いかけようとしていたフェリクスの人生は滅茶苦茶なものになってしまっていただろう。
 そうならなかったのは互いに打ち明け合ったからだ。ちゃんと話をして、自分の気持ちを伝えたから。だから春一もいつのまにか抱えていたらしいフェリクスへの恋心を見つけることができた。

「私が背中を押す必要はありませんでしたね」


 春一に悩みがあればセオドアはいつだって一緒になって考えてくれた。彼の助言や、時には気持ちを軽くするための軽口に、どれだけ救われたかはわからない。

 だがいい加減、その優しさに甘えずに進みたいと思った。
 セオドアがこれまでかけてくれた言葉は着実に春一に積み重なり、それは今こうして踏み出すための勇気を与えてくれる。

「……きっと、今までのおれなら、ただ悶々と受け身で待っていたことだと思います。それで、フェリクスがしたくないならそれでもいいやって、自分の気持ちには蓋をしていたんだろうなって」

「でも今回は違うのですね」
「はい。だっておれたち、夫婦になるわけですし」

 もう庇護下にある稀人ではない。フェリクスの伴侶として、その隣に立つことになる。

 だから変わりたいと思った。寄りかかるばかりではなく、頼ってもらえるように、もっとたくさん甘えてもらえるように、対等になりたい。
 その一歩が夜の事情というのもどうなのかという気持ちもあるが、それが春一の第一歩だった。

「それにフェリクスだって同じかもしれませんしね。おれのことを思って、こっちからの誘いを待っているのかもしれないし」

「だから誘惑されるのですね」
「そうです! もちろん無理強いするつもりはないですよ。ただもし遠慮とか、緊張でできないそうにないっていうなら、年上としておれが先導してやるべきだなって思うんですよ」

 セオドアが噴き出しかけたことに気づかないまま、春一はやる気に満ちて力こぶを握った。


「それにおれとしては、できるならそっちの報告に誘導したいので。その気になってもらえるように、おれなりに努力するつもりです」

「籠絡作戦の時よりも気合が入っていますね」
「実は、それの再挑戦でもあるんです。あの時はおれが煮え切らなかったせいで大したことはできていなかったし」

 想いが通い合う前、まだ帰る帰らないでもだもだとしていた時、春一はフェリクスを籠絡して帰らないでほしいという言葉を引き出そうとしていた。けれども結局のところ小細工はちょこちょことしていたが、これといって駆け引きができた記憶はない。

 あの頃はそれにフェリクスは春一を帰したがっていると思い込んでしまっていたし、周囲への遠慮もあった。フェリクスに何かして尽くそうとしても、彼の立場を思えば専門の者に任せたほうがいいという考えが先に立った。居候という立場の負い目が、きっと自分が思う以上にあったのだろう。そのせいで積極的になれず、最後はうまくまとまったものの、作戦自体は結果に無関係のまま不燃焼で終わってしまっていた。

「セオドアさんにも、また協力してほしいことがあって」

「もちろん惜しみませんとも。喜んで協力させていただきます。それで、いつから誘惑は始められるのですか?」

 すっかりセオドアもその気になったらしい。最初に籠絡作戦を持ち出したのは彼なので、春一たちが仲良くする分には大歓迎なのだ。

 涼し気な顔には出さないものの、前のめり気味の圧を感じる。それに押されないよう、そして気を抜けば顔を出しそうな臆病な自分に負けないよう、高らかに宣伝した。

「こ、今夜にでも! やってやりますとも!」

「素晴らしいです、ハル様! 勢いは大事ですよ!」
「はいっ! ――あ、まずはフェリクスに確認をとらなきゃですけど」

 最近は仕事も落ち着いているらしく、定時で帰ることがほとんどだ。ただ時々遅くなることもあり、いくらこちらが気合満タンとはいえども疲れている時に迫るような真似はしたくなかった。

 何より初めて二人が繋がるかもしれない夜――少しは雰囲気も大事にしたいと思う。

「――ふむ、ちょうどあちらは休憩に入られる頃合いですね。早速、向かいますか?」

「はい!」

 やったるぞ! と鼻息を荒くして勇んで部屋を出た春一と、表情を露わににこにこのセオドアという珍しい二人の姿を見た周りの人間は、何事かと首を傾げたのだった。


―――――


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