11

 

 鼻にかかったような間抜けな音に慌てて口を塞ぐと、じっとこちらを見つめるフェリクスと目が合った。


「……すみません、強かったですか?」

「あ、いや、そうじゃないよ。ちょっとくすぐったかっただけ。へ、変な声出してごめんな」
「それはいいんです。でも、私以外の誰にもこれをさせないでくださいね」

 思いがけず真剣な様子に、春一は首を傾げる。


「王弟殿下にさせてるのに?」

「ええ、私はいいんです。王弟ですからね。あなたに触れられるのは私の特権です」
「なんだそれ。そんな特権振りかざすのなんてフェリクスくらいだな」
「春一はすごい人ですから。特権を使わないと、みんなにとられてしまいます」

 隙あらば過剰に褒めてくる男に、冗談だとわかっているのにいつも気恥ずかしさにむず痒くなる。


「子どもたちとちょっと走り回ったくらいで、こんなに身体ががたついてるのに?」

「子どもたちを楽しませようとするあなたは素敵ですから」

 その言葉が本当だといいと願ってしまう。そうして、自分でも知らない良さでフェリクスを振り向かせられたらいいのに。

 とられたくないと本当に思うなら、もとの世界に送り返さないで。ずっとこのままでいさせて――言えない台詞を飲み込み、春一は目を伏せて小さく笑った。

「春一」

「ん……?」
「眠いなら寝てもいいですよ。もう少ししたらセオドアが戻ってくるでしょうから、それまで目を閉じているだけでも」

 目を伏せたことで、瞼を重たく感じているのだと思わせてしまったようだ。


「んー、そうだなあ」


 疲労はあるが、眠気はない。

 けれど今はただフェリクスの優しい指先をもっと感じたくて、春一は素直に目を閉じる。
 フェリクスからすれば、これも思い出作りのひとつなのかもしれない。
 年上を労わり、これまでの感謝を指先に籠めているのかも。
 お疲れさまでしたとさっぱりと見送られるように、出来る限りの親切をしたいのかもしれない。
 胸の底でちりりと感じる痛みのような焦燥を覚えながらも、それでも確かに心地よい今の時間を眠ってしまうのはもったいないと思う。
 眠るな、と自分に言い聞かせているうちに、ふと子供たちとの会話が頭に過った。

「そういえば今、シャティフル国からの使節団が来てるだろ。フェリクスは彼らがつれてきているギサルを見たんだよな?」

「はい。挨拶のときにちらりと目にしたくらいですが」
「子どもたちが見たいって言ってるんだけど、やっぱり難しいかな」
「そうですね……ここに来てからもずっと体調は芳しくないようです」

 ギサルがつれてこられたのには理由がある。それは世界的に珍しい国の固有種を紹介するためではなく、彼らが可愛がっているギサルは生まれつき身体が丈夫ではなく、国許に残していくのが不安だったから連れて来ざるをえなかったという。

 事前に同行の許可を求めており、体調によっては王族相手でも公開することはできないとも説明があった。彼らが得意とする防壁魔法で過ごしやすい環境を整えてやれるので移動の負担はそれほどないらしく、むしろ体調に急変があっても対処できるよう手元に置いておきたいのだという。
 シャティフルの魔法の知識を欲するオルデニアは問題ないと快く承諾したが、さすがに素通りさせるわけにはいかない。入国時に他の荷物とともに検めることになり、そこにフェリクスが立ち合った。
 本来は群れで暮らすギサルは、形成する群れの仲間と常にともに行動する。警戒心が非常に強く周囲の気配に敏感で、仲間以外が近づくとすぐに巣となる穴倉の中に引っ込んでしまうという。しかしフェリクスが見たのは、専用に設えられた籠のなかで隠れることもせずにぐったりと横たわるだけの、痩せて毛並みも乱れた小柄なギサルの姿だった。
 ギサルの飼い主であり、今回の使節団の長であるシャティフルの第二王子の呼びかけにも反応が薄く、荷を改めている間も誰かは傍にいて手厚く面倒を見ていたという。
 それらの様子からフェリクスは真っ先にギサルを調べてすぐさま解放してやり、部屋で休ませてやるよう伝えると、相手からは随分と感謝されたそうだ。

「部屋からはまだ一度も出せていないそうです」

「そっか。ギサルって確か砂漠の砂地に生息しているんだったよな。日光浴が好きらしいし、元気が出てきたら教室の中庭とか砂場で遊ばせてあげるのもいいかも。あ、興味が子供たちには悪いけどもちろん貸切な」

 フェリクスに頼めば温度や湿度などは魔法で調整もできる。

 部屋から出られるかはギサルの体力次第だが、本来の住処に近い環境は息抜きにもなるだろうと思っての提案だった。

「それはいいと思います。彼らはあのギサルをとても大切にしているので、きっとその気持ちだけでも喜んでもらえると思いますよ」
「ならいいな。あ、その時にはフェリクスにも砂場に清浄魔法とかお願いするけど、頼むよ。汚いわけじゃないけど、普段子供たちが思いっきり遊んでるところだしな。ギサルには何が毒になるかもわからないし、ただでさえ弱ってるし……あ、もちろんおれができるところは、ちゃんとやるから!」

 まだどうなるか確定してはいないが、はりきる春一をフェリクスは穏やかな眼差しで見つめる。その視線に調子づいていたことに、こほんと誤魔化しの咳払いをひとつして取り繕った。


「――あの、春一。使節団のことでお願いがあります」

「お願い?」

 フェリクスがなにかを願い出るのは珍しい。

 ギサルの話をしているあいだも擦ってもらっていた足を自分のもとへ戻し、椅子に座り直した。

「彼らとなるべく接触しないよう、気をつけていただきたいのです」


 これまでに国から異世界人、もとい稀人として顔合わせを、いわゆる接待をしてほしいと請われたことが稀にあった。世界で例を見ない異世界の人間に興味を持つ者は多く、春一を一目見てみたい、話をしてみたいと申し出があるらしい。

 春一自身はもとの世界ではごくごく一般的な一市民でしかないが、それだけ稀人という付加価値は高いということなのだろう。
 こちらに引き摺り込まれた当初に、春一の意思に反する政治的利用は一切しないという約束をした。
 オルデニアで保護していることは周辺国には知れ渡っており、秘匿されているわけではない稀人に会わせろと言う声をすべて突っぱねるのは難しい。
 拒否したとしてもそれが国の不利益に直結することはないが、避けられる不興は避けたほうがいいはずだ。それでもこの国は約束を守り、春一が嫌だということは決してさせることはしなかった。
 巻き込まれてしまったとはいえ、自分は優しい国王のもとに保護されたと思う。
 その感謝もあり、フェリクスの魔力過多症が落ち着いた頃に、春一から挨拶や立ち話の範疇程度ならと申し出たのだ。むしろその程度しかできないが、それくらいでもいいならオルデニアに報いたいという気持ちも生まれていた。
 春一に会いたいという相手も、稀人というその物珍しさに興味があるだけだ。
 珍獣を見てみたいという気持ちとさほど変わらない。同列に扱われていないがために多少の教養不足での不作法も許される。会話をするにしても異世界のことを質問されるばかりなので、王侯貴族に対して何を話していいか困ることがないというのは救いだった。
 これまでにも稀人への興味が強すぎる者などには警戒をすることがあった。その場合には王室の働きかけでうまく面会を避けると同時に、相手が強硬な手段に出て万一にでも春一に危害が及ぶことのないよう、念頭に置いておくよう通達がある。
 春一には侍従としてセオドアがつけられているほか、常に護衛も傍らに控えているし、不安を感じたことはない。
 シャティフルの使節団と顔合わせをしてほしいといった要請は国王から出ていないが、反対に会わないようにと注意する言葉もなかった。
 他国の人に春一から会いにいくことはまずないが、行動が制限されているわけでもないので自分からの接触はしようと思えばできる。
 だからこれは国からではなくフェリクス個人としての判断であり、だからお願いとして口にしたのだろう。

「あちらの王子があなたに興味を持っています。熱心というほどではないのですが、会いたがっていて……」


 フェリクスからは、泰然とした様子の第二王子を筆頭にシャティフルの面々は礼節を弁え、不遜な態度をとることもないと聞いている。こちらの国をよく学んでおり、礼儀作法もオルデニアに合わせているところも見受けられたそうだ。

 それを聞くと警戒をする対象とは思えないが、フェリクスは何かを感じ取っているようだ。

「今回は王宮への滞在期間もそれなりに長いですし、一応気をつけていたほうがいいかと思いまして」


 彼らの滞在期間も三週間。いくら仕事があると言っても、長期滞在の間の自由時間も多い。

 春一と会いたがる理由はよくある稀人だから会ってみたいと言っているそうだが、フェリクスにはどうもそれが本心ではないと感じているという。

「わかった。気をつけるよ。セオドアさんにも伝えておく」


 生活も仕事もほとんどが王弟の離宮で済んでしまう春一が、王宮に滞在しているうえに研究室に籠るであろう彼らと会う可能性は低いが、用心するに越したことはない。仮に春一がうっかりな行動をしても、同行しているであろうセオドアならうまく対処してくれるだろう。

 ――それに、彼らが去る頃にはもうここにいないかもしれないし。
 解してもらった身体は足元から温まっているが、どこか薄ら寒さが肌を撫でる気がした。
 またあの手に擦ってほしい。労わり、甘やかしてほしいと思ってしまう。
 そんな気持ちに蓋をする。
 ちょうどよく戻ってきたセオドアに、さっそくフェリクスからのお願いの話をした。


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