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「春一っ」

 悲鳴のようなフェリクスの声が響くと同時に、春一と男との間に薄い膜が現れた。
 男の手は半透明の膜に遮られ、春一に触れることなく弾かれる。
 驚愕を露わにする男の顔を目の当たりにしながら、腕に着けていたバングルが熱を発していることに気がついた。
 ――フェリクスがくれたお守りだ。
 フェリクスが最初に作った魔道具。それは春一に身の危険が迫った時に防壁を張る、守護の魔術石を嵌め込んだ腕輪だった。
 どうか常に身につけておいてほしいと贈られてからというもの、フェリクスが定期的に魔力を補充してくれて常に使えるようにしてくれていた。城内の安全な王弟邸で大半を過ごしているのですっかりただの飾りのようになっていたが、ついに真価を発揮する時がきたのだ。
 物理的な攻撃や殺気のような強い悪意に反応して自動的に魔術が発動するようになっているそれが、強盗の魔の手から春一を守ってくれた。
 男は防壁を見るやいなや、再度人質を狙うこともなく店から飛び出した。
 守護の魔術石は非常に高度な術式を用いるため、高価な魔術石のなかでも飛びぬけた価値があるという。消耗される魔力量も日常利用の魔術石に比べて格段に多く、効力を維持するだけでも相応の財力が求められるものだ。
 つまり守護の魔術石の所持者は、守られるべき身分が高い者となる。
 男は春一が気軽に手を出してはいけない相手であることを正しく理解したのだ。
 守護の魔道具を持っているならば、護衛が傍にいる。さらにいえば守護の魔術石に魔力を補填できるだけの魔力の持ち主――魔法使いが傍にいる可能性も高いということに気がついたのだ。

「春一、大丈夫ですかっ?」


 今のなお周囲に張られている防壁をすり抜け、フェリクスが春一の頬に手を添えて顔を上げさせた。

 心配する顔に覗き込まれて、ようやく助かったことを実感する。

「うん。これって、おまえのくれた魔道具のおかげだよな? ありがとう」


 フェリクスの背後では、店内にいた護衛騎士と周りの客が人質にされていた婦人に声をかけていた。ひどく怯えてはいるが無事らしく、受け答えも問題なくできているようだ。

 よかった、とフェリクスの肩越しから覗き見て安堵していると、広い腕に抱きしめられた。

「……ごめんな。大人しくしてなきゃってわかってたんだけど。何もできないくせに前に出て」

「無事だったのなら、それで」

 搾り出すような掠れた声に、どれほど心配をかけてしまったのか訴えかけられているようだった。

 これなら無謀なことをするなと叱られたほうがよっぽどよかったと思う。
 息苦しいほどに強い抱擁に、宥めるように自らも腕を伸ばして応えてやる。
 魔法は素晴らしい自由な力ではあるが、万能なものではない。
 多少の傷なら癒すことはできるが致命傷は治すことはできないし、死んだ人間を蘇らせることもできない。想像力で使うものであるので思考する必要があり、咄嗟の動きに対応した発動も難しい。
 もし春一が守護の魔道具を持っていなかったら。
 いくら魔法を得意とするフェリクスがいても人質にされることは防げなかっただろうし、傷つけられれば程度によっては命をも落としかねなかっただろう。
 フェリクスの恐怖はそこにある。今回は防げたものの、一歩違えば悲惨な事態もありえたのだ。
 これほどまでに大事にされていることを、こんなことで実感したくはなかった。
 肩口に顔を埋めながら、もう一度ごめん、と口にする。
 その時、店の外のざわめきが大きくなった。
 フェリクスは抱擁を解き、出入り口に目を向ける。

「本当はここにいてほしいところですが、今は一緒のほうが安全です。春一、私から離れないで」

「わかった」

 走り出したフェリクスの後に続き春一も外に出ると、見知った護衛騎士たちがぐるりと周りを囲っていた。それに阻まれ、先程の強盗が苛立たしげな顔で辺りを睨みつけている。

 騎士たちの背後には騒ぎを聞きつけた市民たちが遠巻きにして様子を伺っているので人目は多く、仮に包囲網を突破できたとしてもこの人混みから逃げ出すのは難しいだろう。
 隅のほうでは強盗の仲間なのか、数人の男が縄に巻かれて見張られているのが確認できた。
 まだ捕まっていないのは、騎士と対峙する男だけ。けれども退路は絶たれているはずの男に諦めた様子はない。
 男が金品の入った袋から何か取り出す動きに、騎士たちが身構える。

「おまえら、邪魔なんだよっ」


 袋から勢いよく手を抜き取った男が腕を振るような動きをすると、それに合わせて風の刃が発生した。

 男は魔法使いだったらしく、どうやら入手した魔石の力を利用して魔法の力を強めたようだ。
 魔術石に加工する前の魔石でも魔力を増幅する力があり、男の持つ本来の力をより高める。市民に紛れるために軽装だった騎士たちは、帯剣こそしているものの盾はなく、風の刃を前になすすべもない。
 しかし騎士たちが無残に切り刻まれるよりも早く、フェリクスが魔法でそれを掻き消した。
 男が驚きの表情を作ったのは一瞬のことで、すぐに手を前に出したフェリクスが魔法を使ったことに気づいたらしい。
 春一にたちを振り返り、即座に魔石を握った腕を振り回して風の斬撃を放つ。

「フェリクス!」


 先ほど余計なことをして悲しませたばかりだというのに、性懲りもなく再び春一の身体は動いてフェリクスの前に出た。

 防御壁は基となる魔力が底を尽きてすでに消滅している。風の刃を防ぐ術など持ち合わせてはないし、身体で盾になろうにも春一よりも大きなフェリクスの身体を隠せるわけもない。
 またも考えなしに前に出てしまったところを、背後から抱え込まれた。
 片腕にしっかりと春一を抱きながらフェリクスが手を前に出すと、再び風の刃は掻き消される。
 害のないそよ風がふわりと頬を撫でていくのと同時に、耳元で溜息をつかれた。

「無事ならそれでとは言いましたが、少しくらいはお説教したほうがいいですか?」


 耳元で囁かれ、こんな時だと言うのにくすぐったいようなぞくりとした甘いしびれが背筋を走る。

 鼓膜に直接流し込まれた憂いの滲む声に、たとえそれが呆れが多分に含まれていたとしても思わず力が抜けそうになった。
 気をつけるつもりが思わず身体が動き、さらには守るつもりが守られて。

「ご、ごめん……」


 無駄にフェリクスの手間を増やしてしまっていることは間違いないので、本気で反省する。

 男も魔法が使えるようだが、魔力の差は歴然としていた。
 いよいよ逃げ出すことが叶わないと悟った男は激しく悪態をつきながら、手にしていた袋も放り出して顔を掻きむしり出した。

「くそ、くそ! もう後がないってのに、ちくしょう、なんで! なんでなんだ!」


 自らに爪を立て肌を裂いていく。容赦のない力に血が流れるが、男は頭を振り乱して叫び続けていく。

 明らかに異様な光景に、思わず身体に回るフェリクスの腕にしがみついた。

「――まずいな」

 ぼそりとフェリクスが呟く。
 一人でのた打ち回るように暴れていた男の周りが、不意にぐにゃりと歪んで見えた。

「彼から離れろ! 魔力暴走が起きる!」


 フェリクスが声を張り上げると、騎士たちが一斉に動いた。

 近くにいる市民を下がらせ、自分たちも距離を置く。何人かが春一たちのもとに駆け寄ろうとしたのをフェリクスが手で制した。

「春一、私から絶対に離れないで」

「う、うん」

 魔力暴走はかつて春一がこの世界に来ることになった原因でもある、力の暴走だ。

 魔法が使えるだけの魔力の持ち主の精神不安や身体的問題によって引き起こされるもので、どのような現象が引き起こされるのかはわかっていない。
 フェリクスも過去に異世界との道を繋いでしまった他にも、周囲を氷漬けにしたり、建物を破壊しかねない衝撃波を発したこともあったりしたという。
 春一が来てからは魔力が安定して暴走することはなかったので、実際に魔力暴走の現場を見たことはなかった。
 男の魔力は大して強くはないようだが、追い詰められ、明らかに精神的に不安定になっているのがわかる。

「くそ、くそったれめ、こんなところで……!」


 男が呻いて頭を抱え込み背中を丸めると、その体から影のように黒い槍のようなものが飛び出した。

 槍は四方に伸びて、無差別に人を襲おうとする。
 人々が悲鳴を上げるなか、フェリクスは冷静に手を翳した。
 男の周りが円状の障壁で覆われる。魔力の槍は半透明の壁に触れると、貫くどころか弾かれていった。
 春一を守る防壁と似ているものではあるが、今は彼を閉じこめる檻としてすべてを外に通すことなく閉じ込めていく。
 すべての槍が跳ね返されて、それに突かれて男は苦痛に絶叫した。それでもなお魔力の槍を身体から放出しては、やはりひとつの刺突も通ることなく魔力の基たる者へ返されていく。
 間もなく、男の声が途切れた。
 どうやら気を失ったらしく、障壁の中で倒れていた。意識を失ったことで魔力の暴走も収まったようで黒い槍も消えている。

「おわった、のか……?」


 おそるおそる縮めていた首を伸ばして様子を見る。

 男はぴくぴくと痙攣して身体を震わせているものの、怪我をしている様子はなく流血もないようだった。
 自分の魔力が跳ね返ったからなのか、それとももともと殺傷能力はなかったのか。わからないが、死んではいないようだ。
 フェリクスが張った障壁が消滅すると、騎士たちが男を取り囲み拘束する。魔石も回収していたので、ひとまず収集がついただろう。

「よかった……なんとなったみたいだな。フェリクスのお手柄だぞ」


 声をかけてやると、肩に顎が乗せられる。もたれかかられるように重みが加わり、思わず足がふらついた。


「なんだよ、疲れたのか? でもちょっと、おもた――フェリクス?」


 ふざけているのかと思ったが、様子がおかしいことに気がついた。

 どうにか身体を支えながら振り返る。フェリクスは顔を真っ青にして目を閉じていた。

「フェリクス?」

「すま、ない……立って、られな……」

 すべてを言い切ることなく、フェリクスの身体から力が抜けていき春一では支えきれなくなる。


「フェリクスっ? どうした、フェリクス! なあ、おい!」

「どうしました、ハルさま。フェリクスさまはいったいどうされたのです?」
「わ、わかんないんだ。突然、立っていられないって、倒れちゃって……!」

 騎士たちに手伝ってもらいながらフェリクスの身体を横にしてやる。

 頭を膝に置いて何度も声をかけるが、フェリクスは完全に意識を失ってしまったらしく反応することはなかった。



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