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 倒れたフェリクスはそのまま目覚めることはなく、急ぎ城に戻り、すぐさま侍医に容態を診てもらった。
 途中までは王都の散策を問題なく楽しんでいたはずだ。何か原因があるとするなら強盗の一件だろうと、一連の出来事の経緯をなるべく細かく説明した。もちろん他の要因も考えられるので、食べたもの、近づいた場所もすべて報告をする。
 侍医に話をしながら、遅速性の毒の可能性もあることに気がついた。だがそれなら同じものを分け合って食べていたのだから、春一にだって何らかの影響が出ていてもおかしくはない。フェリクスだけに効くとうことはるのだろうか。
 様々な可能性を考えては、ただ不安を募らせていくしかできない。
 春一の説明とフェリクスの容態を確認した侍医の診察の結果は、春一のみならず、周囲も驚くものだった。

「どうやら殿下は魔力欠乏症のようですな」
「欠乏症……?」
「ええ。つまりは魔力不足です」

 魔力欠乏症とは、幼いフェリクスを苛んでいた魔力過多症と真逆のもので、生体維持に必要な分の魔力が足りない状態を示すものだ。
 主に限界を超えた魔力の使用によって起こるもので、まずはめまいや吐き気などの症状が現れる。そこで止めずに無理をすれば、動悸や息切れ、手足のしびれなどが出て、重度となると意識障害が起こることもある。
 今回のフェリクスの症状は重く、昏迷状態となっていた。
 完全に反応がないわけではないが、意識を保っているのは難しいらしい。先ほど一度ベッドに寝かせたときに目覚めたが、会話はできないまますぐに眠ってしまっていたのもそのせいだ。

「でも、それなら前にもあったはずです。こんな、意識がないなんて……」

 そう、フェリクスの魔力不足は今回が初めてではない。だから誰も魔力欠乏症を起こしていることに思い至らなかったのだ。
 侍医はうなるようにして頷いた。

「殿下であれば障壁程度なら問題となるほどの魔力の消費ではないはずですが……」

 意図的に魔力をしようしなければ魔力過多症によって体調に影響が出るほどには、フェリクスの保有する魔力というのは常人と比べてかなり多い。そのため日常生活において欠乏症になることはまずなかった。
 そんなフェリクスが魔力不足となるのは、国の有事に対応したときのことだ。
 実際に、過去には巨大な嵐という天災に立ち向かったことがある。地震のためにせめて建物の倒壊を防ごうと、国土全体にわたって補強魔法をかけたことも。大きな被害が見込まれるものを魔法で防ぐのだ。
 相手は自然だ。本来であれば人の手でどうにかできるものではなく、小手先程度の小さな魔法で散らすことはできない。それは人より多いフェリクスの魔力をもってしても足りないため、日頃から春一に溜めている魔力も使って対処していた。
 その際のフェリクスの負担は大きい。本来自分の体に留めておける魔力だけでは使うことのできない、大魔法を使うことになるためだ。
 春一に預けている自分の魔力とはいえ、減りゆく魔力を他から自身の体に流し込み使い続けるのだ。つまりは輸血をしながら出血を止めることをしないようなもので、その疲労は計り知れない。
 事が終われば倒れるように寝込むことがほとんどだった。大魔法は春一に溜めている魔力も底を尽きるほど消耗するらしく、魔力の回復に余力を残しておくこともできないため、体力の消費だけではなく魔力欠乏症を引き起こすことも珍しくはない。
 大魔法を使ったのは過去四回。どれもが国を揺るがす大事で、多くの命が危険にさらされたときのみ国王の判断で使用してきた。
 そのたびに春一は一人で国を救った英雄が苦しむ姿に、ただ介抱してやるしかできなかった。
 言われてみれば確かに、ベッドに眠っているフェリクスはその時の様子によく似ている気がする。
 魔力過多の時は発熱してつらそうだが、欠乏症はその反対で血の気が引く。普段は春一よりも高い体温のフェリクスの身体がひやりとするのだが、今回も触れた肌は冷たくなっていた。
 だがあくまでそれは常ならぬ事態を大魔法で解決した結果だ。
 今回魔法を使用したが、魔力の消費量はフェリクスの保有する魔力と比べると大した影響はないはずだ。多少気分が悪くなる程度であればまだしも、倒れるほどは異常である。
 何故フェリクスが魔力不足に陥っているのか、誰も心当たりがない。
 あるとすれば最近の魔法研究に関することが考えられる。だがぎりぎりまで魔力を消費するようなことはこれまでなかった。研究中の魔力使用はいつでも中断ができるものであるし、そのあたりの体調管理はしっかりしていたはずだ。
 なんにせよ、あとで本人に聞いてみるしかないだろう。

「ひとまず魔力増強薬をお出ししましょう。起きたら飲ませてくだされ。ただし気休めでしかないので、とにかく今はゆっくり養生されるようになさるのがよろしいです」
「わかりました。伝えておきます」

 魔力は、血液と少し似ているのかもしれない。
 ゲームのように一晩寝たら全回復というわけにはいかず、体内で生成されて少しずつ溜められていく。身体を動かすにも魔力の増減が影響し、肉体の保持に必要な分以上の魔力を消費すると活動が困難となり、最悪の場合には死に至ることもある。決して軽視できる問題ではなかった。
 侍医が帰り、部屋には眠るフェリクスの他、春一とセオドアだけが残る。

「もしかして、おれをもとの世界に戻すために、無理して魔力を溜めているんでしょうか」

 大量の魔力消費。考えられるのはまずそこだろう。
 転移魔法には大量の魔力が必要ということはわかっている。すでに春一に溜めている分から多少の不足があるとは聞いていたが、実はまったく足りていなかったのではないか。

「それはないのではないかと考えます。足りないのなら時間をかければいいだけですから、無理をする必要はありません。なにより体調を悪くするような、ハルさまを心配させることをするとは思えません」

 自分で言い出しておきながら、春一もそう思った。
 フェリクスの性格を考えれば、もし必要な魔力が全然足りていないならたとえ魔法が完成していても帰れるようになったと言い出さなかっただろう。具体的に目途が経ち、間違いなくそれが遂行できると判断したから明かしたはずだ。

「まずは殿下の回復を待ち、ゆっくり話せるようになれば事情をお伺いしましょう」「そうですね……」

 もしかしたら王都を歩いているときも、本当は具合が悪いのを隠して付き合ってくれていたのかもしれない。
 最近調子が良くなさそうなことに気がついていたのに、楽しくてついそのことが頭からすり抜けていた。
 やはり外出は取りやめるべきだったのではないか。
 ちゃんと休みをとらせておくべきだったのでは。
 話を聞いておくべきだったのでは――
 後悔ばかりが押し寄せて、どんどん気持ちが沈んでいく。
 フェリクスはきっと自分が行くと決めたのだと言うだろう。
 それでも、彼が倒れずに済む選択肢があったのではないかと考えてしまう。

「フェリクスの魔力ならここにあるのに」


 春一のなかには日頃からフェリクスが溜めている魔力があるはずだ。

 自覚はないので具体的にどの程度の量があるかはわからないが、春一を帰すための魔法を使うために今もそれなりにあるのは間違いない。
 フェリクスの意識さえはっきりすれば、本人の意思で魔力を引き出すことができる。だがそこまで回復するのにどれだけ待たなければならないのだろう。

「おれから移してやれればいいのに」


 意識して出し入れできるのはフェリクスのみ。他の魔法使いであっても代わりはできない。

 肌を直接触れ合わせることで流すこともできるが、フェリクスから春一にいくことはあってもその逆はないと聞いている。

「――相性のいい者同士であれば、魔法使いでなくても魔力の譲渡を行えると聞いたことがあります」


 これまで沈黙を続けていたセオドアが、ぽつりと言った。


「本当ですかっ?」


 思いがけず光明が見えて喜色を露わにする春一に、セオドアは珍しく言葉に悩むように続けた。


「あくまで噂ですので、本当かどうか定かではありません。ハルさまにあるのは殿下本人の魔力ですので、相性の問題はないとは思いますが……」

「フェリクスに危険が及ぶことがなければ試してみたいです。どうすればいいですか?」
「方法はそのものは非常に簡単です。魔力を移したい相手に体液を与えるだけで構いません」
「…………たいえき?」

 意味も理解できないまま、ただ言葉を繰り返してみる。

 いや思い浮かんだものはひとつあった。だが頭がそれを受けつけなかったのだ。

「体液、つまりは血液や唾液などですね」


 どうやら春一の想像したものと一致していたらしい。

 セオドアが言い渋ったのは不確定な情報というのもあるだろうが、その方法も理由としてあるのだろう。

「魔力は身体に宿るといいます。魔力を含んだ身体の一部が取り込まれることで、結果として渡すことができるのでしょう。ただそのような話はほとんど聞かないので、ただの噂だったのか、もしくはよほど魔力の相性が合わなければできないのだと思われます」


 血液はともかく、たとえば舌を絡めるような深い口づけなら恋人とするだろう。性交をすれば精液を取り込むこともあるし、これまでの人々の営みのなかで体液の交換というのは往々にして行われてきたはずだ。

 それでも魔力の往来についてセオドアが確信を持てないということは、非常に稀な例であるか、もしくはただの噂でしかないのかもしれない。

「魔力の相性は問題ないでしょう。ただしハルさまの場合、どのようにして殿下の魔力を収められているのかわかりません。ハルさまの体液に魔力が含まれていないのであれば仮にこの方法が有効であっても意味はないですし、とにかく実際に試してみないと効果があるかわかりません」

「つまりおれの体液を、何かしらの方法でフェリクスに取り込んでもらう必要があると」
「はい、おっしゃる通りです」
「でもそれって……王族相手にいいんでしょうか?」
「無理矢理すれば死罪ものでしょうが、まあこの状況下ですし、治療行為の一環としてみなされるかと思われます。なにより殿下本人が不問とされれば構わないでしょう」

 やるとするなら経口摂取だ。それはいいとして、春一の体液を飲ませるという事実に抵抗がある。

 でも今はどうにかして、少しでも早くフェリクスを楽にしてやりたい。
 血液はどこかに傷を作る必要がある。指先を少し切るくらい春一は気にしないが、フェリクスが知ればきっと悲しい顔をするだろう。大した傷でなくても、自分のために怪我をさせたことを後悔させてしまうかもしれない。
 他にも思いつく体液はあるが、仮にフェリクスが受け入れたとしても春一自身が与えたいとは到底思えないものばかり。
 色々と考えて、やり方によってはぎりぎり許容できそうなものをひとつだけに絞り込む。

「……唾液って、たとえば水を口移しとかするついでに混ざっちゃうくらいでも、いいでしょうか」

「含有量に変わりはないので、いけるかと」

 水で薄めるかそのままかの違いでしかなく、あくまで気持ち的な問題だ。それでも直接飲ませるよりはよほどいい。


「…………やってみます」

「ありがとうございます! 殿下のためによくご決断くださいました」
「ただし、ちゃんとフェリクスに許可をとりますから! もし自分で魔力を取り出すことができるならそれまでということで」
「もちろんでございます」

 やるもやらないも春一の判断で、セオドアが異を唱えることはない。そして春一がやらないと言うこともない。

 でも、本当に口移しするのか。
 苦しむフェリクスの隣でどんな顔をしたらいいのかわからない。だから今はいったんそれを横に置き、今はただ一瞬の意識の浮上を見逃さないように心を切り替えた。


 ―――――
 

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