28

 

 今度は途中で逃げ出さない。その意思を伝えるためにも、フェリクスに穏やかに問いかける。


「私は、ただ……もう一度あなたに会いたかった」

「おれに?」
「……この魔道具は目印なんです。春一が元の世界に帰っても、これに宿した魔力をもとに異世界にいるあなたを探し出すつもりでした」
「探して、どうするつもりだったんだ?」
「言ったでしょう。もう一度あなたに会うと」

 それからフェリクスが語った計画は驚くものだった。

 転移魔法は魔力消費量が多く、フェリクスが通常時に使用できる量を大きく上回る。しかも送り出すのもせいぜい一人分の質量が限界だ。
 魔法は複数人で行うこともできるが、その場合魔法に綻びが出やすくなってしまう。不安定な魔法が転移中に壊れることがあっては転移者の身が危ないので、一人の魔力でやるしかなかった。
 魔力は春一に蓄えている分を引き出せば容易に解決する。問題は質量を変えることができないことだ。

「本当なら、私も春一とともにあなたの世界に行きたかった」


 だが転移できるのは一人だけ。そして転移の核となる春一がいなくなれば、次に同じ魔法を使えるのはいつになるかわからない。今度は魔力不足が課題になるためだ。

 そこでフェリクスは春一の代替品を用意することにした。
 春一を先に帰してしまっても、魔力さえ溜まれば後を追いかけることができる。時間はかかるが異世界への行き方は確立しているので問題はない。
 フェリクスが転移するにあたって、春一がどこにいるか把握している必要があった。
 あちらでも魔法が使えるのかわからないし、何よりフェリクスにとってはまったく別の世界だ。春一から聞いた程度の知識で一人で動き回るのはあまりにリスクが高い。
 せっかく同じ世界に立ったとしても、会えなければ意味がない。そこで確実に春一の居場所を知るために目印となる魔道具を作る必要があった。
 ペンダント型の魔道具に蓄えた魔力を転移魔法の行き先に設定すれば、それを辿って間違いなく春一と再会できる。だがその魔力をどうもたせるかが問題だった。
 春一の代用品の用意はそう難しいことではない。魔石さえ確保できれば、あとはそこにフェリクスの潤沢な魔力を入れておけばいいし、流出を防ぐための保護魔法なら他の魔法使いでもかけることができる。
 だが春一に持たせるものには保護魔法をかけ直すことができない。そして計算上では異世界への転移を再度行う場合に必要な魔力を溜めるのに五年以上はかかるうえに、その間にもし国に緊急事態が起きればフェリクスは対応に魔力を使わなければいけない。
 再び春一に会えるのがいつになるかわからない。だが再会を果たすまでに魔道具に込めた魔力を尽きさせるわけにはいかない。フェリクスを悩ませたのは一度かけたら何十年ももつ保護魔法だったのだ。そしてそれの構築が完了し、無事魔石に術式として定着できたのが今回だったという。
 春一を元の世界に帰した後、フェリクスは再び魔力が溜まるのを待つ。そして時が来れば、春一に持たせている魔道具を目印にしてあちらの世界に行く――それが、フェリクスが長い時をかけて進行していた計画だった。
 フェリクスが魔力不足を起こした理由もここにあったようだ。
 春一はフェリクスの魔力を吸収してしまう性質で、直接かけられた魔法は無力化してしまう。さらに身体に触れない防壁のようなものでも、手の届く範囲にあればそれも徐々に吸収してしまうことも判明していた。
 目印の魔道具に魔力流出を防ぐ結界を張ったとしても、それが春一に少しずつ吸収され、蓄えた魔力が減っていってしまう。そのことも計算に入れて魔石に魔力を蓄えていた。
 だがもし想定よりも吸収が早くなり、途中で魔術石が効力を失ったら。
 魔石の魔力が尽きるということは春一を見失うということだ。同じ世界にいれば再会の可能性は残されるとしても、かなり難しくなるのは間違いない。
 その不安から、フェリクスは魔石に魔力を込めずにはいられなかった。
 そうして予定を超える過剰なほどの魔力を注ぎ込んでいるところに、予想外の魔法を使ったことで魔力が足りなくなり、そして倒れてしまったというのが真相だったらしい。
 倒れるまで無理をして、と注意したくなる気持ちもあるが、今はそれよりも、それほどまでに春一の所在を見失いたくないという熱意に驚く。

「なんで、そうまでしてあっちの世界に行きたいんだ?」


 おそらくは、春一がこちらに馴染む以上の苦労があるだろう。

 こちらの世界での立場があり、魔法研究という心血を注ぐ価値があるものもあるのに、あちらに行けばすべてが通用しない。文化も存在する技術もすべてが違うことは教えてあったはずだ。

「あちらの世界に行きたいのではなく、春一と離れたくなかったんです」

「おれと……?」
「私が、春一のことを愛しているから。だからあなたの傍にいたいのです。保護者でもなく、友人でもなく、一人の男としてあなたを好いています」

 愛していると、フェリクスは言った。

 すべてを捨て、異世界に飛び込んでもいいと思えるほどの愛があるのだと。
 そのために長年にわたる綿密な計画を遂行するだけの強い意思があったのだと。
 瞬きも忘れて言葉を失う春一に、フェリクスは縋るよう言い募る。

「応えてほしいとは言いません。もとより言うつもりはなかった……」


 春一が元の世界に帰り会えなくなる長い間に、自分の気持ちにけりをつけるつもりだったという。想いはきっと消えることはない。だが歳をとればきっと悟られることもないような穏やかない愛となるだろう。

 そう思っていたのに、春一は帰らないことを決めた。
 この世界にいるというのなら、会える場所にいるというのなら。
 でもこのまま近くにいれば、間違いなく自分は春一への想いを募らせるばかりで、いつか気づかれてしまう日がくるだろう。
 それならば今すべてを打ち明けて、そのうえで春一に願い出たいと考えた。

「私を傍においてください。春一が帰らなくてもいいと決めたのなら遠慮はしません。ここにいてくれる理由となるなら、私は何度だって乞います。いくらでも甘えてください。春一がそうしてくれるならむしろ本望です」


 こんなに一方的に語りかけてくるのは初めてのことだった。いつもは春一の話を聞いてくれることが多く、受け手側に回りがちだった。

 フェリクスも緊張しているのか、心なしかいつもよりも早口のような気がする。

「フェリクス」

「はい」
「その、くどいようで悪いけど。本当にその、おれのことが好きなのか? だって、歳だって離れているし」

 最近は疲れやすさを感じるし、十歳以上離れているフェリクスの肌の輝きには若さを思うこともあるというのに。


「もちろんです。むしろ私のほうが未だに子どもにしか見られていないと思いますが、それでもいいです」

「それに、王弟としてそれって大丈夫なのか?」
「かまいません。春一以外娶る気はないと、それでいいと陛下からの許しも得ています」
「め、めと……」
「当然です。ですが無理強いするつもりはないですし、友人として傍においてくれるだけで十分です。私は生涯独身を貫きますが、春一が気に病む必要はありません。近くにいれるだけでいいのですから」

 それなのに恋情を明かしたのは、いつかそれが隠し切れなくなり、不本意なかたちで露見して春一を困らせてしないためだけだ。すべてを知ったうえで、友人でいいから一緒にいてほしいという。


「この想いを打ち明けたからと言って、襲いかかるつもりはありませんのでご安心を」

「お、おそ……そ、それって、おれを、抱きたいのか……?」
「許されるなら」

 浮かぶ疑問はことごとく明快に跳ね返される。

 春一を追いかける計画や、国王にまで想い人の存在を伝えていることなどから、随分周到に準備をしていたことがわかる。どうりで婚約者の噂さえ聞こえなかったわけだ。
 もしかしたらフェリクスの思いを知らなかったのは自分だけだったのでは、とさえ思える。

「だって、そんな素振り……い、いつから?」

「はっきりとは覚えていませんが、春一と出会ってすぐですよ」
「す、すぐっ!? だっておまえ、まだ子どもで……」

 出会いは七歳だ。すぐというなら、年齢が二桁を超えてもいない頃というのか。


「春一のような優しい人を、好きにならずにはいられませんでした。あなたはいつだって私に心を砕いてくれていた。それが誰にでも向ける優しさだったとしても、そんなあなただからこそ好きになった。ですから遅かれ早かれ、そういった意味であなたに惹かれていたと思いますよ」


 二人の思い出を振り返ったところで、そんなに持ち上げられるほどのことをしたつもりは一切ない。

 命を救われた恩を感じたための錯覚ではないかとも思ったが、勘違いが続くにしては十七年の歳月は長すぎる。
 ならば、本当に?

「――ところで春一」

「ひゃい」

 考えが追いつかず、間抜けな返事をしてしまう。

 フェリクスはそれを笑わず、怖いくらいに真剣な眼差しを向けた。いっそ茶化してほしいくらいなのに。いつもの紳士然とした余裕ある微笑みもどこにいってしまったのか。

「今度は私から、質問してもいいですか」

「な、なんでしょう……?」

 何を聞かれるのか、予想がつかず、またフェリクスから感じる圧のようなものにごくりと生唾を飲み込む。


「春一のことだから、想いを打ち明けられたとしても、困るとしても嫌われることはないと思っていました。そして、やんわり断られると――でもその……先ほどから春一の様子を見ていると、どうにも期待しそうになるのですが」

「へ? き、期待?」
「――顔、真っ赤ですよ」

 指摘されて、慌てて顔に触れる。勢いがあまりべちんといくが、痛みを感じるよりその頬の熱さに驚いた。

 両頬を触って固まる春一に、フェリクスがずいっと距離を詰めてきた。

「友人としてでいいと言いましたが、もちろん応えてくれるのならそれほど嬉しいことはありません」


 国宝級の整った顔が迫る。心なしかフェリクスの頬も赤くなっているのは気のせいだろうか。


「春一が好きです。あなたを手放さないためなら、他の何もいりません。もしこの気持ちに応えてくれるというのなら、私の生涯をかけてあなたを幸せにします。私を選んでくれたことを決して後悔させません」


 その言葉の重みは、もう充分に知った。春一を追いかけて異世界に行くつもりだったのだから、嘘偽りないフェリクスの本心だ。

 では、自分はどうだろう。
 フェリクスのことをどう思っているのか。
 それを頭で考えるより先に、ぽろりと零れる。

「――好き」


 そう、大好きだ。

 ずっと見守ってきた、可愛いフェリクス。その成長を支えていられることが誇りで、誰よりも懐かれて嬉しかった。彼の安らぎであれることが、喜びだった。
 でも、それだけか。

「――愛してる」


 その言葉を口に出して、ようやくすとんと胸に落ちる。

 そうだ。そうだった。
 フェリクスのことが、ずっと好きで、大好きで、愛していた。
 保護者であり、友人であり、一人の男として。きっと、ずっと前から。
 その事実を受け入れるとともに、急に涙が溢れてきた。
 自分でもまったく予想しなかった涙に驚くが、止めることができない。
 顎から滴り落ちる雫をフェリクスが受け止めてくれた。それが何故か、とても嬉しい。

「おれも、フェリクスのこと、好きだったみたい……」


 年齢が違うから、立場が違うから。性別が同じで、自分は保護者であって、フェリクスは責任にとらわれているから――いろいろなしがらみに、自分の心を縛りつけていた。

 いつからかはわからない。でも彼を愛おしく思う気持ちはとっくに芽生えていたのだろう。そして目をそらす春一の陰で咲いて、いつか日の目を浴びることをずっと待っていた。
 フェリクスの言葉を借りるとするなら、彼のようにひたむきで誠実な人を好きにならずにはいられなかった、だろうか。
 春一の濡れた眦を、フェリクスの指先が優しく拭う。

「いま気づいたんですか?」

「うん……おまえに好きって言われるのも、触られるのもいやじゃなかった」

 一緒に眠るのも、手を繋ぐのも。魔力譲渡のためとはいえ、キスをしたのも、むしろドキドキと胸を高鳴らせていた。フェリクスがどう思うか不安に感じることはあっても、触れ合うことに違和感も嫌悪も覚えたことはなかった。

 心も身体もとっくにフェリクスを受け入れていたのだろう。あとは頭で理解するだけだった。

「ご、ごめんな。鈍いって自覚はあったんだけど、自分のことまでとは……」

「いいんです。いいんです、そんなことは……ありがとう、春一」

 そっと開かれた腕に捕らわれて、素直にその胸に身をゆだねる。

 春一よりも高いフェリクスの体温に包まれ、ほっと息が漏れた。どうしてこんなに安心できる場所から抜け出せると思ったのだろう。
 感謝すべきは春一のほうだ。追いかけようとしてくれた。離れないでくれた。そして、気づかせてくれた。
 そのどれもが欠けても、きっとこの場所にはいられなかっただろう。
 旅に出ても、魔力のことがあるからこの国に戻ってくる。その理由があれば会いにいく口実になる。
 決してフェリクスとの縁は切れない。それなら、見える場所から彼を見守れる――結局は春一も、その計画の密度には違いがあるが、似たようなことをしてたのかもしれない。
 帰りたくない理由はいろいろ並べた。
 時間が経ちすぎたから、ここでの生活に慣れすぎたから。今更むこうに行っても不安しかないから、友人たちを失いたくないから――けれどなにより、あちらにはフェリクスがいないから。
 本当に鈍いにもほどがある。

「キスしても?」

「……ん」

 目を閉じると、ちゅと唇が肌に触れる。


「――あなたは、私の未来」


 柔らかな感触があった目尻に触れると、いたずらが成功した子どものようにフェリクスが笑う。

 てっきり口にされると思ったのに。
 勘違いでちょっとだけ唇を突き出してしまった自分が恥ずかしく、逃げようとしたところをフェリクスに捕まる。
 顔を両手で包まれ、上を向かされた。
 そして今度は額に落ちてくる。

「私の安寧」


 頬に。


「私の在処」


 鼻先に。


「私の、幸福のすべて」


 そして、唇が重なり合う。

 触れるだけの、穏やかなもの。けれども息苦しいほどの感情が溢れ出す。

「――おれも。おれもだよ。ずっと一緒に……離れたくない……」


 まだ滲み出した涙が掬われる。

 次から次に溢れるそれが止まるまで、フェリクスは優しく春一をなだめてくれた。


 ―――――
 

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