春一誘拐騒動が内密に処理された日から十日後、異世界への転移魔法を実行する日がやってきた。
魔法研究所の一角で行われることになったが、世界でも類を見ない希少な魔法を見学に、関係者の他に何人かの魔法使いも見に来ている。
そのなかに、ナーシルと椅子に座ったアジールもいた。あれからいきなり全快とはいかないまでも、起きていられるくらいにはなったらしい。兄弟とは先日改めて顔を合わせたが、アジールは命が救われたことへの感謝とともに、兄がしでかしたこともあり恐縮している様子でなかなか緊張がとれなかったようだが、今はナーシルと何か話して笑い合っている。
穏やかな光景を微笑ましく見ていると、隣から声がかかった。
「春一、準備はいいですか?」
「できてるよ。じゃあこれを頼むな」
フェリクスに、大小二枚の重ねた封筒を差し出した。
大きな封筒の宛先には実家の住所と両親の名前が書いてある。こちらの世界の文字ではなく、日本語でだ。
忘れないよう時々使っていたが、久しぶりに書くせいかなんとなくへたな気もする。それでもなるべく丁寧になるよう心掛けたつもりだった。
小さな封筒には宛先ではなく、メモを書いた。
封筒の中に入れたお金で切手を貼り、手紙を出してほしいという旨だ。中には元の世界の紙幣が入っている。春一と一緒に異世界に来ることになってしまった財布にあったものだ。
切手の料金が変わっていることも考えて、少し多めに入れておいた。おつりは微々たるものだが、手間賃としてもらってほしいということも書き添えておく。
あとは親切な人が拾ってくれるのを祈るばかりだ。
どうか届いてほしい。そして両親に知ってほしい。
自分が、別の世界で生きていることを。
それなりの苦労もあったが、善き人たちに恵まれ、平穏無事に過ごしていること。
こちらの世界で教師になる夢を叶えられたこと。
一人の少年と出会い、彼がどれほど立派に成長したか。それが春一の誇りであること。
そして突然消えてしまったことへの謝罪と、こちらに留まる選択をした理由も正直に記した。愛する人がいるのだと。
帰りたい気持ちはある。両親の顔を見たい。突然姿を消した息子に、どれほどの気苦労をかけてしまったことだろうか。
でも、どうしても離れることのできない大切なものがこちらにできてしまった。
どうかそのことを許してほしい。そして、それだけ大事なものがあることを喜んでほしい。
自分と似てどこか楽観的な両親のことだ。息子が幸せにやっていると知れば、それなら仕方ないなあときっと受け止めてくれると思うし、そうであってほしいと願う。
「これからも転移魔法の研究を続けます。それで、いつか春一に里帰りできるようにしますから」
「ああ、約束だな。期待してるよ」
「はい。その時は、私にも春一のご両親に挨拶させてください」
それは責任を果たしてもらうためではない。罪悪感から背負ってもらうものでもない。
ただ、春一を喜ばせるための未来を創るためのものだ。
「はは、親父たち、フェリクスみたいな美形が突然現れたら腰を抜かすかも。ああ、なんなら両親をこっちに招待するのもいいかもな」
魔法があるこの世界を見て何を思うだろう。
でもなにより、このオルデニアを、春一が生きていくこの場所を知ってもらいたいと思う。
それがいつになるかはわからない。けれどきっと、フェリクスが叶えてくれると信じてその日を夢見よう。
「では、送りますね」
魔力を移動させるため、フェリクスが春一の右手を取る。
室内であるのにふわりと巻き起こった風に服がはためき、髪の毛先が踊るように揺れた。春一は魔力も魔法もさっぱりわからないが、周りにいる研究者や魔法使いからは「おお」と期待に満ちた声が零れていた。
フェリクスの左手にある手紙がぐにゃりと歪み、捻じれるように範囲を広げていく。
ただ場所を移動するだけの転移魔法は、瞬く間に消えて移動してしまうもののはず。しかし向かう先が異世界となると通常とは異なるようだった。
どこか懐かしさも感じる空間の歪みを見つめながら、心の中で呟く。
――いつか必ず、会いに行きます。
フェリクスが必ず魔法を完成させるから。だからそれまでどうか、待っていてください――。
やがて捻じれは巻き戻るように直り、何事もなかったかのように元に戻る。
ただ、春一の手にあった手紙だけが姿を消していた。
「いったのか」
「はい。春一がいた場所の近くに送られたはずです」
春一がこちらの世界にきた時、たまたま道端にあった石も巻き込んでいた。それに付着していた土が唯一向こうの世界の座標となるものになったらしく、当時春一が歩いていた道からそう外れることないところに転移できているはずらしい。
ただし他の春一の所持品は座標としては適合しなかったという。次に手紙を送ったとしても日本内には送れるものの、そのどこに届くかはわからないそうだ。人通りのある場所ならまだしも、山奥や水辺などもあり得る。切手代になる貨幣もそう潤沢にあるわけではないので、手紙を送ることはもうないだろう。
手紙が消えた手を見つめるフェリクスに、春一は抱き着いた。
どうかしたかと優し気に問いかけてくる瞳に、笑顔を向ける。
「フェリクス。おれ、おまえに出会えて本当によかった。ありがとう、ここに連れてきてくれて」
彼の負担にならないよう、伝えられなかった言葉。
手紙を送るということにより春一に対して長年抱いていた責任を下ろすことができた最愛の人へ、ようやく言うことができた。
これから本当の意味で、二人は対等に歩いていける。そう思うと未来が楽しみで仕方なかった。
「はる、いち……」
「ん? どうし――え、あ……えっ?」
目の前でぽろりと流れた涙に、慌てて両手を伸ばしてフェリクスの頭を抱きしめる。
身長差があるので精一杯背伸びしても届かないが、フェリクスは自ら腰をかがめて春一の肩口に顔を埋めた。
まだ観客は残っている。誰もが歴史的瞬間に立ち会った興奮で歓喜しているようだが、王弟の突然の涙に気がついた者がいたかもしれない。
だが今は周りを気にしている余裕はなかった。
「どうしたんだよ、フェリクス」
感謝を伝えたかっただけで、泣かすつもりなんてまったくなかったのに。
おそらくは状況的には感動してしまったということだと思うが、それほどまでに先ほどの言葉はフェリクスにとって胸に深く響くものだったのだろうか。
困惑しつつもよしよしと広い背を擦ってやると、肩口に頭を置いたまま、フェリクスが言った。
「春一」
「ん?」
「私と結婚してください」
予想外の言葉に驚いたが、それよりもこの年下の青年があまりに可愛らしくて、いじらしくて。
なにより、愛おしくて。
きっと後ですねられるとわかっていても、春一はたまらず声を上げて笑ってしまった。
そして子どものような弾ける笑顔のまま、ぎゅっとフェリクスに抱きつく腕に力を込めた。
「いいよ、結婚しよう!」
それまで様子を窺っていた周囲が春一の言葉に察したらしくざわつき始めるが、お構いなしにフェリクスが抱きしめ返した。
「わ、ちょっ、足浮いてるっ」
不安定な姿勢に抗議すると、フェリクスはぐっとその身体を持ち上げてしっかりと抱え上げ直す。
離してくれるつもりはないらしい。うっすら涙がにじむ目元を拭ってやると、濡れた指先を追いかけてキスされる。
最初に手を叩いたのはナーシルとアジールだった。それから周りも呼応するように拍手の波が、笑顔が広がっていく。
壁際に控えていたセオドアもやれやれといったように肩を竦めながらも、抱きしめ合う二人を淡い笑みで見守りながら手を叩いた。
「愛しています、春一。大好きです!」
「わかった、わかったから、もう下ろせって!」
ようやく周りのことを思い出した春一がじたばたするが、かつての非力な彼はどこへやら。鍛えられたフェリクスの肉体に敵うことはなく、危うげもなく抱えられたままだ。
こんな浮かれたフェリクスを見られるなんて思わなかった。
きっとこれからも、もっとたくさんの、知らなかった彼を見つけていくことになるだろう。
そしてきっと、これまで知らなかった自分もそこにいるのだろう。
「――フェリクス、おれの宝物」
盛り上がっている周りには聞こえないよう、そっと彼にだけ囁く。
フェリクスの隣に春一がいる。そんな当たり前が続くことが、ただただ嬉しい。
自分も随分浮かれているのだと気づいた時には、フェリクスからの口づけを受け入れていた。
おしまい
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あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
思っていた以上に時間がかかりましたが、ようやく完結です。
自分で先に突っ込ませてもらうと、春一全然籠絡しようとしてなくない……?
やったことはせいぜい思い出語りと街デートでのジンクス巡り(しかも端折った部分)という。いやほぼ何にもできてない……。
完全な言い訳ですが、この作品は私には珍しくほぼ内容が決まらないうちにタイトルができました。で、いざ中身を考えていくと、ところどろこ籠絡作戦(思い出の品を見ながら語る、セオドアにそそのかされてえっちなマッサージ、ナージルを使って嫉妬作戦、夜食づくり、春一の体質に隠されたもう一つの可能性等々)を練りこんでいたのですが、物語の進行と春一の性格上消えてゆきました。
ナーシルなんて春一の嫉妬心を煽るフェリクスの婚約者候補なんてのも考えたのですが、フェリクスは春一以外眼中にないし、春一が悩んだところでセオドアが報告するからすぐに誤解を解きに飛んできちゃうだろうし……。
途中でタイトルを変えるべきかとかなり悩みましたが、他に思い浮かばず、すっかり愛着も沸いていたのでできませんでした。
むしろ籠絡をしかけていたのはフェリクス側だったような。実は春一から残りたいと言ってくれないかと彼は彼で密かに思っていました。でもあくまで望み薄な希望で、フェリクスは本当に春一が帰りたがっていると思っており、しばらく会えなくなる春一をしっかり自分の記憶に刻み込んでいただけです。
春一はすんなり受け止めていましたが、実は激重なフェリクス。春一以外には隠そうともしていなかったので、周囲は春一に対するフェリクスの想いを知っていました。
もちろんセオドアもフェリクスの気持ちを知っていましたし、春一のフェリクスに対する想いがどんなものであるか一人だけ気がついていました。
教えてあげたり、明確なヒントを出すこともできましたが、でしゃばることなく成り行きを見守りつつ、さりげなくフェリクスをからかって――援護をしていたのです。
ええ、すけすけ寝着もそのひとつ……紐パンははたして……。
その答えを知ってもらうためにも、タイトル回収のためにも、春一には改めて番外編の初夜にて頑張ってもらおうと思っています。
本編にそこまで組み込むことも考えたのですが、ちょっと収まりが悪いので一旦ここで完結とさせていただきました。
番外編はいつ完成するか……気長にお待ちいただければと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
コメントなどいただけましたらとても嬉しいです。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
2026.01.25
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