セオドアは春一から了承を得ると、すぐさまフェリクスとの面会を取りつけた。

 国王に報告を終えたばかりの彼の執務室に顔を出すと、やや緊張した面持ちで出迎えられる。

「春一、どうしたのですか?」

「どうしたのって、フェリクスこそ何かあったのか? なんだか落ち着きがないようだけど」

 自覚はなかったようで、指摘するとフェリクスははっとしたように軽く目を見開いた。


「もしかして、陛下への報告で何か……?」

「いえ、そういうわけではありません。陛下は褒めてくださいましたよ。ただ春一のほうから私に会いに来てくれるのが珍しいので、何事かとつい身構えてしまって」

 フェリクスが忙しくしていることを知っているので、春一から時間をとってほしいと願い出ることはほとんどない。あったとしても事前に用件を伝え、都合のいい時に声をかけてほしいと待つことが多かったせいで、どうやら深読みさせてしまったようだ。


「ごめんな、驚かせたみたいで。そんなたいしたことじゃないんだ」

「あなたに大事がなかったのならよかったです」

 ようやく肩の力が抜けたのか、フェリクスはいつもの微笑みを浮かべた。


「それで、私に話があると聞きましたがなんでしょう?」

「ああ、それなんだけど。その……」

 歯切れ悪く言い淀み、ついもじもじと両手の指を組んだり解したりしてしまう。

 それでも焦らず待ってくれるフェリクスに励まされ、意を決して口にした。

「その、フェリクス……おれと寝てくれないか?」


 俯き自分の手を揉んでいる春一は、ぴしりと音を立てそうに固まったフェリクスの様子には気づかない。

 相手からの返事は一向になく、不安になって顔を上げた先で表情を失くしたフェリクスを見つけた。
 そこで自分がとんでもないことを申し出たことを理解し、春一は慌てて首を振る。

「あ、いや、ごめんな。いやならいいんだ、無理にとは言わないから」

「すみません、違うんです。ちょっと驚いて……あの、寝るとはどういう意味ですか?」
「え? その、昔みたいにと思って。魔力を溜めなきゃなんだろ? それなら前みたく、一緒に寝て移していくのもいいかなって」

 フェリクスから春一に魔力を移すには二通りのやり方がある。フェリクスが魔力を操作して送り込むか、身体的な接触で渡すかだ。

 今でこそ魔力の操作に慣れたフェリクスは自分の判断で余力分を春一に送るようになったが、不慣れだった幼いうちには手を繋ぐことで魔力の譲渡をしていた。
 肌の接触では、一滴ずつ落すように時間がかかる。その代わり魔力の操作や集中力は必要ないため、体調も万全ではなかった昔はよく手をつないで一緒に寝ていたものだ。
 それも三年ほどしたらフェリクスから断るようになった。体力もつき、魔力の制御も覚えて自力で魔力を移すことができるようになったからだ。
 一緒に眠る理由はなくなり、それ以降は寝台をともにすることはなかった。

「――なるほど、そういうことでしたか」


 ようやく納得したらしいフェリクスは、それでもどこか困ったような戸惑いを残したままでいる。

 春一だって、一緒に寝ようなんて言うのはどうかと思った。
 もう魔力の譲渡に身体的な接触はいらない。「余分な労力をかけたくないから」なんて説明も考えたが、あまりに微々たる量だということを思えば苦しすぎる言い訳だ。接触面が多いほど一度に移せる量も増えるが、まさか裸で抱き合うわけにもいかないので効率は変えようがない。
 本当なら眠る前に少し話をするだけの時間を割いてもらえるだけで十分だった。だがセオドアが「絶対に一緒に眠るほうが親密度が上がります。殿下も昔を思い出して離れがたくなること間違いなしですね」などと力説するのでついうっかり乗せられてしまった。
 フェリクスはもう成人した立派な男で、精神的にも自立している。いまさら年上の男の添い寝を欲しがるわけがない。
 春一だって、たとえばセオドアと一緒に寝ようと言われても、もっともらしい理由があっても非常に微妙な心持ちになるだろう。

「久しぶりにフェリクスとゆっくり過ごす時間がほしかったんだよ。もうじき帰るわけだし、話がしたいけど昼間は忙しいだろうから、眠る前に少しならいいかなって思って」


 ついでのように話しながら、実のところこちらが本命であるとフェリクスも気づいたのだろう。


「いいですよ」


 表情を和らげると、あっさり頷いた。


「いいのか?」

「もちろんです」
「よかった。じゃあ、寝る前の話くらいは付き合ってくれよ」
「どうせならそのまま二人で寝ましょう。ベッドで話してそのまま眠れたほうが、わざわざ部屋に帰らなくて済むでしょう?」

 話を聞いた時の鈍い反応から、断られるとばかり思っていたのに。

 許されたことにゆるりと安堵が広がると同時に、少しの緊張も生まれた。
 魔力を移すために一緒に眠るというのは、いわばもろ刃の剣だ。フェリクスとの時間を得る代わりに、協力的な態度に帰郷に前向きだととられかねない。
 不安はあったが、それでも久しぶりにフェリクスとゆっくりできる時間が得られた喜びは大きかった。

「実は、私からも声をかけようと思っていました」

「フェリクスからも?」
「ええ。別れの時はそう遠くありませんから」
「……そうだな」

 同じ考えを持って言い出したことなのに、晴れやかに送り出したいフェリクスと、引きとめてもらいたい春一では、こんなにも言葉の裏側が違う。

 意識したわけでもなく口元に小さく笑みが浮かんだのは、友人として大切にしてくれようとしているフェリクスへの感謝なのか。それとも、ほんの一瞬でも別れを惜しんでもらえるのではと早くも期待してしまった自分への嘲笑だったのか。答えは自分でもよくわからなかった。

「それでは春一さえよければ、私の寝室に来てくれますか?」

「いいよ。さっそく今夜行ってもいいか?」
「もちろん歓迎します。少し遅れるかもしれませんので、先に寝ていてもいいですから」
「ちゃんと待つよ。だからフェリクスも、あんまり仕事ばっかしないで早く帰ってきてくれよ」

 言外に身体を労われと告げれば、隠していたいたずらがばれたような、どこか気恥ずかしそうな笑みが頷きの代わりに返ってくる。

 それを見ると、胸の底に淀みそうになっていた澱がすうっと昇華された気がした。

「でないとベッドの上で大の字になって寝ちゃうぞ。おまえの寝る場所なんてなくなっちゃうんだからな」

「その時は春一の足もとにでも寝かせてもらいます」

 まだ一緒に寝ていた頃、最初こそ寝返りをうつ体力すらなかったフェリクスだが、体調が安定してくるとその反動のように寝相が大胆になっていた頃があった。

 とある朝には、いつもなら隣にいるはずのフェリクスがいないことがあった。春一の足元にあったこんもりとした小さな山の中身が、子犬のように丸くなって眠るフェリクスだと気がついた時には、見つけられた安堵とともについ笑い声をあげたものだ。
 寝相の悪さは一時的なものだったが、それからも毛布の中深くに潜り込んでいたことはよくあった。身体を丸めて頭まですっぽりと隠れて、春一の腰に抱きついていたこともあり、どうやら暗く狭いところが落ち着くらしい。
 今も寝相は変わらないのかと尋ねてみようと思ったが、どうせ答えは明日の朝にでもわかるので止めておいた。

「では、夜に」

「ああ。待ってるな」

 壁際で存在感を消していたセオドアが開けてくれた扉から部屋を出る。


「殿下も同じようなお考えだったとは、幸先が良さそうではありませんか」


 自室に戻る道すがら、先導していたセオドアは穏やかに言った。


「どうでしょうね。そうだといいんですけど」

「さて、私も腕が鳴ります」

 喜び薄く呟いた春一に対し、珍しくセオドアが気合いを入れるように語気を強める。


「え、どうしてです?」

「お二人が同衾なさるなんて久しぶりですからね」
「ど、どうき……」

 間違ってはいない。一緒のベッドで寝るつもりなのだから。でもせめて、添い寝とか言ってくれないだろうか。たとえ同じ意味だったとしても春一の心の穏やかさが違ってくる。


「実はこんなこともあろうかと備えていたのです。たとえそれが今夜であろうとも準備はできておりますよ」

「準備って、ただ一緒に寝るだけですよ?」

 いったい何を構える必要があるのかと首を捻り、ふと思い当たった。


「あ、もしかしてあれですか」


 身を寄せ合うようにして眠ることに慣れた春一は、フェリクスの自立に快く寝所を別にしたものの、思いもよらない弊害に直面した。眠る時にいつもフェリクスを抱いて寝ていたので、ぽっかり空いてしまった腕の中の寒々しさにひどく寝つきが悪くなってしまったのだ。

 春一自身は眠れなくなってしまった理由がまったくわからなかったが、セオドアがいち早く原因に思い当り、抱き枕を用意してくれたことで改善した。
 以来、ずっと寝る時には愛用の抱き枕が欠かせない。
 三十歳を超えた今になっても継続しているわけだが、フェリクスの前で使うのはさすがに憚られる。
 フェリクスなら春一がどんな風に寝ていようが気にしないだろうが、一人寝を怖がる幼子のようにぎゅうっと枕を抱きしめる姿は晒したくはない。これまでも散々頼りないところを見られているとはいえ、年上としての矜持はまだかろうじて残っている。
 セオドアの準備というのは、抱き枕対策ではないだろうか。それがなくてもうまく春一の見栄を守るために考えてくれていたのなら、なんと用意周到で頼りになる侍従だろう。

「ふふ、部屋にお戻りになられてからのお楽しみということで」


 明言はされなかったが思い込みからすっかり感謝する春一が、セオドアが優秀な人材であるとともに時には厄介な相手であることを思い出したのは、それから間もなくのことだった。




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