「ハルせんせ?」

 窓から差し込む日差しに和んでいると、名前を呼ばれて飛ばしかけていた意識が戻ってくる。

「どうしたの、ぼーっとして」

 別の声にも心配され、春一は取り繕うような笑顔を浮かべた。

「ごめんごめん、ぽかぽかの陽気につられてつい……」
「もー、ちゃんとして! じゅぎょうちゅうですよ!」
「ご、ごめんなさい……」

 自分の年齢の半分にも満たない少女から叱られて、言い返すこともできずに深々と頭を下げる。
 授業中です、とは集中力が切れて遊び出してしまう子どもたちによく春一がかけている言葉だ。これでは指導する立場なのに示しがつかないと、気を引き締める。
 王弟の客人として城に留まっている春一だが、フェリクスが健康になって手がかからなくなってもしばらくはこの世界を学ぶことに集中していた。しかし基本的な部分が終ってしまえば、今度は手持無沙汰に悩むことになった。
 巻き込まれた責任をとってもらっているとはいえ、健康で若い男が無職というのも気が引けた。そこで春一は頼み込んで仕事をもらったのだ。
 許可を得て、使用人たちの子どもを集めた学校兼学童のような預り所を始めた。春一は異世界の人間であったが、フェリクスに付き添って一緒に教師から学んだり、自身も本を読んだりするうちに、子どもに読み書きや歴史、簡単な計算など基礎学力や常識を教えられるくらいにはなっていたからだ。
 この世界に来たばかりの頃は言葉が通じなかったので翻訳の魔法をかけてもらっていたが、読み書きには適応されなかったのでこの国の言葉を覚えるのに努力をした。王族の家庭教師が指導してくれたおかげもあり、癖がなく手本のような正しさだと周囲から褒められたことが嬉しかったのも学び舎を始めようとしたきっかけのひとつだ。
 今では魔法に頼ることなく発音も聞き取りもできるし、咄嗟に出るのはむしろ日本語よりもこちらの国の言葉になったくらいには身体に馴染んでいる。
 春一が教師役を務めているが、預り所に賛同した周囲が手を貸してくれることもあり、日によって教師が変わることもあった。それは針子であったり、掃除や洗濯担当の者、給仕係、庭師、商人、知識人、馬丁、料理人といった様々な職種の者たちが自分たちの仕事を教えてくれた。国の花形でもある騎士が来てくれた時にはとくに子どもたちに喜ばれたものだ。
 侍従としてセオドアが教壇に立った時には、笑顔が少なく冷ややかな表情にとれる彼に子どもたちも緊張していた。いつも春一に付き添い、教室の後ろで影のように控えている存在は知っていたものの、直接かかわる機会もなく、いざ正面に立たれると威圧を感じてしまうようだった。
 だがそれも授業が始まれば徐々に軟化していった。
 セオドアが得意のハーブの効能を説明して実際にお茶を振る舞った頃には、一緒に焼き菓子も用意されていたこともあってすっかり懐かれていた。しかも復習として家族に淹れてあげましょうと、ハーブとそれに合う菓子の土産を持たせるというその家族の心も掴む抜け目のなさで。
 いわく、いつも春一がいるところにセオドアがいるので、存在に慣れてもらうに越したことはないそうだ。手っ取り早く人気をとりにいったという。
 春一から学びの様子を聞いたフェリクスが、子たちの適性を見て、ゆくゆくは彼らに合った仕事に就かせるのもいいと言った。それには春一も賛同したが、そのためにフェリクス自らが子どもたちと話してみると言った時は驚いたものだ。
 学び舎に通っていたのは掃除や洗濯など雑事を行う下級使用人の子どもたちで、立場は平民である。城に勤めている親たちでさえ王族どころか貴族からも直接声をかけられる機会などないのに、その子どもともなればフェリクスのことは名前しか知らない偉い人くらいな認識だ。
 王弟宮の日当たりのいい一室を学び場として提供してくれるだけでもありがたかったというのに、それでもフェリクスは春一が面倒見ている子だからという理由でずいぶんと気にかけてくれた。
 本人の意向も確認するが、春一の報告のもとに王弟から直々に面接され、その後の方針の打診を受けた子らは今のところ全員がはりきって勧められた職に就いている。
 セオドアの授業でハーブに興味を持った生徒は、薬草園の管理者に弟子入りして、春一がいつも飲むハーブを丹精込めて育ててくれていた。セオドアも出来を褒めていたので、成果も上々のようだ。
 フェリクスの采配も的確らしく、春一のところを巣立った子たちは今のところ適材適所でそれぞれ活躍してくれている。そのことを誰かが国王の耳に入れたらしく、春一が想定した以上に高く評価された。それがきっかけで王弟宮だけではなく、城内の他の場所でも下級使用人たちの子を集めて教えるようになった。
 そちらの指導もお願いできないかと打診は受けたが、春一は自分が請け負う子どもたちで精一杯だったので断った。春一は王弟宮の教室の担任として他の教室の先生と連携をとり、授業内容の共有や教育方針など相談するなどして今のところは順調に進んでいる。
 この国では貴族や裕福な商人の子どもが通う高等学校はあったが、庶民向けのものはなかった。それだって全員が通うわけではなく、個々に家庭教師を雇っていることが多いという。
 手厚く学ばせることは無理でも、読み書きや計算などの基礎的部分を学べば仕事の幅も広がるし、ひいては国民の生活の向上、すなわち国力の増力に繋がると考え、ゆくゆくは国営の庶民向けの学び所を作る計画も進んでいるという。
 しかしまだ整備が整わないので、城下では個人が経営する学び所の支援を先に始めている。近いうちに優秀な子のために特待生枠を作り、国が援助して学校に進学させることもするという。
 教育施設関連はフェリクスに一任されているそうで、忙しい研究の合間にもそちらも精力的に話を進めてくれているようだった。
 今は年齢に関係なく同じ授業を受けているが、さらに規模が大きくなった頃には、年齢もしくは学習速度に合わせた学級を用意することも春一は考えているが、それにもフェリクスは賛同してくれている。王族が庶民の教育に興味を持ってくれることは嬉しくて、国王も支援してくれるというのだから、国の未来は明るいだろうと信じられた。
 だからこそ春一は自分の手で回せる範囲ではあるが、常時いる下は五歳から上は十歳ほどまでの二十五人前後の子どもたちへの指導に手を抜くことなく、丁寧にやろうとなおのこと心がけている。
 主に使用人の子どもたちなので、親が働きに出ている間に預かり雑多なことを教える。授業は午前中には終わり、午後には働きに出たり家に帰ったりする子と、学童保育として引き続き面倒を見る子たちに別れる。
 遊びたい盛りの子どもの全力に春一とセオドアだけでは立ち向かえないが、手が空いた使用人たちが一緒に世話をしてくれるのでなんとかなっていた。春一が体調を崩した時なども代わりに教師役を務めてくれる者もいるので、これほどありがたい職場もそうないと思う。
 とにかく今はまだ授業中なのだからと気を引き締めた。

「よしみんな、地図からシャティフルは見つけられたかな?」
「ここです!」
「これ! これでしょっ!?」

 机に広げた世界地図の一か所を、あちこちから伸びる小さな指が示す。砂漠地帯の北東から南に流れる大河の傍らに描かれたその場所には、春一が口に出した国名が書かれていた。

「正解、よく見つけられたな」
「わたしがいっちばんにみつけたのよ!」
「違うよ、私がここじゃないのって言ったの!」
「ちがうもん!」
「砂漠にあるって言ったのはぼくなのに……」

 口々に上がる声をいつものように宥めつつ、春一は手にした教鞭の先で豊かな緑に囲まれたひとつの都市を示した。

「ここが私たちが住んでいる国、オルデニア。ここから山脈を越え、ふたつの国を挟んだ先の砂漠がシャティフル国です。ちなみに、シャティフル国の東側を流れている大河の名前がわかる人はいるかな」

 皆が顔を見合わせるなか、おずおずと一人の少年が手を挙げる。

「はい。世界最大規模とされているハッダン川です。北の国にあるトレス湖を源流としていて、シャティフルの北東から東を通り、最後は南東の海に流れていきます」
「大正解! しかも細かいところまでよく覚えていたね」

 褒められた生徒は気恥ずかしそうにしながらも得意げに笑う。地理に興味があるらしく、暇さえあればいつも地図を眺めている子だ。地図は持ち出しを禁止しているが教室内であれば授業で使う以外の時間も自由に閲覧ができるようにしてあり、何度も地形をなぞっては名前を読んで覚えたのだろう。
 周りの子どもたちも笑顔で称賛と拍手を送った。

「シャティフル国は、首都ドゥンヤスラとこの大河を中心に国を作り栄えてきたんだ。砂漠地帯という厳しい環境だったため我が国よりも防御系の魔法や、水路を行き交うための魔法が発達しているんだよ」
「ハル先生」
「はい、なんでしょう」
「水路をわたるための移動魔法はわかるんですけど、どうして防御魔法も発達しているんですか?」
「砂漠なら水魔法を強化して緑をいっぱいにすればいいのに」
「さばくっておすなしかないんでしょう?」

 行儀よく手を挙げた最年長の少年の疑問に、他の生徒たちも不思議に思ったようだ。

「水の魔法は空気中の水分を凝縮して扱うものだから、乾燥している砂漠では半分の力も出せないんだよ。魔法は使用者の魔力の量によって規模が変わるけれど、その場の環境も大きく影響するんだ。無から有を生み出せるわけではないからね」

 反対に水辺であったり、湿った場所であれば少ない魔力でも十分な力を発揮できると言えば納得してくれたようだ。

「じゃあ、防御の魔法はどうして?」
「砂漠では砂嵐というものが発生することがあって、一日に何度も起こることもあれば、ひどいときには数日続くこともあるそうだんだ」
「すなあらし?」
「水じゃなくて、風で巻き上がった砂が嵐になるんだって」
「えーっ? そんなのたいへんじゃない」

 砂嵐を知らない子どもに知っている子どもが教えてやり、わいわいと話が盛り上がる。
 彼らの会話をある程度は自由にさせながらも、脱線しないように流れを制御するのが春一の役割だ。

「すぐに止むこともあるけどね。でも、なにせ砂だから目や口に入ったら健康に良くないし、ひとつは小さな砂粒だって当たれば痛い。身動きもとれなくなるし、家から出られないのはそれこそ大変だろう?」
「あっ、それで魔法で嵐をおさえるの?」
「おしい。自然現象の嵐を抑えるほどの魔法はうちの王弟殿下くらいの力量がないと難しいし、それだって頻度が高いと魔力があっという間に空になっちゃう。だから嵐を制御するのではなくて、自分たちの身を守れるだけの小規模の防壁を張ることを選んだんだ」

 それなら外は砂嵐で荒れていても防壁内に干渉しないため、砂塵による視界不良を除けば歩き回ることができる。王都全体を覆うほどの防壁はそう気軽に張れないので個々が必要に応じて行うが、砂嵐が数日続くことがあれば国のほうで適宜防壁の魔法を施すそうだ。
 さらにシャティフルでは防壁の中の温度の変化を鈍らせることができるという。細かい調整を自ら行うことはできないまでも、日較差が激しい砂漠には十分に重宝される魔法だ。
 他にも防壁は陽射しや紫外線も阻むことができるため、シャティフルの人々は砂漠の移動をものともしないという。他国の者が砂漠に入る際は必ずシャティフルの魔法使いを案内に入れるというのが常識となっていた。
 春一は魔法は扱えないが、贅沢にも魔法研究の最先端にいるフェリクスからの講義を受けているので、実演こそできないが説明だけならできる。
 子どもたちは感心したように各々声をあげていた。

「すごいね、シャティフルの人たちって」
「ねえねえ、ハルせんせー。いまきている、あのひとたち……し、しつだだん?」
「使節団ね」
「しせつだんのひとたちも、すなあらしへいきなの?」
「きっとね。彼らは砂漠を越えてここまで来たから」
「すごーい!」

 今日の授業で何故離れた場所にあるシャティフル国をピンポイントで学ばせているかといえば、ここにかの国の使節団がやってきているからだった。
 子どもたちと直接かかわることはないが、他国を学ぶ教材としてちょうどよかった。緑豊かで水源もしっかりとしているオルデニアと、国土の大半が砂漠という環境がまったく違う国の特色を説明できるのも都合がいい。

「使節団の人って、何しにこの国に来たんですか?」
「魔法の知識や技術の情報交換みたい。といっても今回はその前段階の挨拶みたいなものだけどね」

 実際には挨拶だけでなく、どこまで互いの情報を明け渡すか、場合によっては相応の対価として金品の用意などがあり、その交渉のためだ。オルデニア以外にも周るそうだが、滞在期間は三週間とやや長めにとられている。

「うちは王弟殿下のおかげで転移魔法がかなり発達しているだろう? 向こうはそれが知りたいらしくて、その代わりに防御魔法の技術を教えてくれるんだって」

 防御魔法によってより安定した移動を行えるほか、移動先の環境が著しく異なる場所でも身体が適応できるまで魔法で保護できないか、フェリクスは考えているという。
 移動した先が一面熱砂が広がる砂丘の頂きだとしたら、問題なく辿り着いたとしても暑さに慣れていない身体が先に参ってしまうだろう。もしくは極寒の雪が高く積もる閉ざされた氷の森か、はたまた誤って海の真上に放り出されてしまうかもしれない。転移先の環境が安全とも限らないのだから、危険を減らすためにも防御魔法は有益なものとなる。
 次にシャティフルの服装の話をしてるうちに、昼を告げる鐘が鳴り響いた。

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