昼食後はそれぞれ家に帰ったり、親の都合で残る子、自主学習をしたりするなど各々の予定に合わせて自由になる。

 春一は教室となる一室に留まり、残る子どもたちの見守り兼相手役を務めた。セオドアも引き続き傍に控え、他にも手伝いに手の空いている使用人たちが子どもの面倒を見にやって来る。いわば学童保育のようなものだ。
 セオドアが勉強を教えている隣で、春一は床に座り込んで子どもたちの人形遊びに巻き込まれていた。
 女の子たちの最近のブームは髪結い遊びらしく、人形の毛糸の髪を丁寧に梳かして色々な髪型に変えていく。それを見ていた男の子が一人興味を持ったらしくやりたがったが、空いている人形がなかったため春一が代わりを務めることになった。
 教える役の女の子と男の子が春一の背後に回り、短い指先でちょこちょこと髪に触れる。

「ハル先生の髪、真っ黒ね。先生の国では、みんなこんなに黒いの?」


 少女は手慣れているのか髪を梳く手が絡んで痛むなんてことはないが、その隣で要領が掴めずにいる少年にしょっちゅう頭皮ごと引っ張られる。

 内心ではイテテ、と呟いて抜け毛を心配しながら、かつて住んでいた故郷の景色を思い出した。

「そうだよ。みんな黒髪だった。でも染めている人もいたよ」

「染めるの? 先生のいた世界には魔法はないのにどうやって?」
「魔法はなかったけど、向こうはこっちの世界より別のもので色々と発展してたからね。ちょっと洗っただけじゃ簡単には落ちないように髪の色を染められるんだよ」
「いろんな色にできるの?」
「できたよ。先生みたいな黒髪でも、うまくやれば水の民みたいな水色にだってできたんだから」

 春一が名を上げた稀少な一族の鮮やかな髪色を思い起こした瞳が丸く見開かれる。


「すごいのね! でも、せっかくの黒髪なのにちょっともったいない気もする。先生の黒髪、私は好きよ」

「へへ、ありがとう」

 真っ直ぐな賛辞を素直に受け取ると、またもつんと髪を引っ張りながら少年が呻いた。


「でもなんかかたいよ。やりづらい」

「こらこら、人がせっかく提供しているんだから、文句は言わないの。いやなら貸さないぞ~」

 うりうり、と軽く頭を振ると、「じっとしてて!」と結び方を教えている少女に叱られてしまった。

 春一の髪は肩につくより少し長いが、後ろで軽くひとつに結べる程度しかない。毛量も多いわけではないし、髪質も柔らかいとは言い難いので子どもの手には扱いにくいだろう。セオドアが手入れをしてくれるのだがあまり期待するようにはならいらしいので、こればかりはしかたない。
 それでもここにきた十代の頃より、今のほうがよっぽと手に馴染むしっとり感があるのだからセオドアの努力が窺えた。何も飾り立てることもない男の頭など、そうも熱心にケアしなくてもいいのにとは思うが。
 思うようにできない少年がまた唸るので、彼が喜びそうな話題を教えてやった。

「先生の黒髪は、フェリクス殿下だって気に入ってくれてるんだぞ」


 王弟に憧れを持っている少年は、ぴたりと手を止める。


「そうなの?」

「そうだよ。初めてこの髪を褒めてくれたのはフェリクス殿下だったな」

 手間が増えるとわかっていて髪を少し長めにしているのは、実はフェリクスの言葉があったからだ。


『春一の髪は真っ黒なのですね。陽に当たれば艶やかになります。ぼくとは正反対です』


 中庭の木陰で涼みながら外の澄んだ空気を楽しんでいると、春一の腕の中に収まって暖をとっていたまだ幼い頃のフェリクスがそう言った。


『こっちでは珍しいんだよな。おれ以外に見ないし』

『他の国では黒髪が主なところもあるそうですが、ここではは金髪が茶髪が多いですね』
『怖いか?』

 生まれた時から染めたことのない地毛であるし、ありふれていたものなので気にかけたことはない。だがここでは淡い色が好まれるらしく、周りも見ても漆黒のものは見当たらず、余計に春一の黒髪が際立っていることに気がついていた。

 周りの風景に馴染まないこの世界では異質な黒に怯えさせてしまったかと不安に思ったが、しかしフェリクスは毅然と首を振った。 

『いいえ。怖さなんて、これっぽっちもありません』


 この世界に来たばかりの頃、春一は一目で珍しい外の人間だとわかる目立つ黒髪を布を被って隠していた。悪意があろうがなかろうが注がれる好奇の目から隠れるためで、布を外すのはフェリクスと二人きりの室内、もしくは彼にリラックスして欲しい瞬間だけ外でも外していた。

 だから今は木陰でひっそりと過ごす春一の髪を隠すものはない。
 春一に背を預けながら顎を上げて顔を見上げていたフェリクスは、腕を伸ばして当時はそれほど伸びてはいなかった春一の髪を一房指で掬うようになぞる。

『ぼくは春一の黒が好きです。あなたの髪だから』

『なんだそれ』

 よくわからない好きの理由に、それでも決して厭われているわけではないとわかった安堵に春一は小さく笑った。それを見たフェリクスも、どこか満足げに微笑んだのを不思議と今も覚えている。

 春一の纏う黒が好きだと言われ、隠すために布を被るのをやめた。そしてそのやりとりは妙に心に残り、春一は髪を伸ばすようになった。
 伸ばして欲しいと乞われたわけではないし、好きと言ってくれても周りと違う春一に不安を与えないようフェリクスなりの配慮であったのではないかと、今では考えることもできる。それでも伸ばしたのは、どんな裏があったとしてもフェリクスの言葉がただ嬉しかったからだ。
 自分でも単純だとは思う。とはいえいくらセオドアが面倒をみるから任せろと言ってくれても、いざというとき自分で管理できないほどでは困るし、長すぎても邪魔なので、軽く結わえられるくらいの今の長さに落ち着いた。
 もう何年もこの長さで過ごしてきているが、あちらの世界では男の長髪はそれほど見かけるものではなかった。
 この髪も戻る時には切らなければならないだろうか。

「できた!」

「ぼくもできた!」

 またも仄暗い思考の波にさらわれそうになったとき、耳元で叫ばれて大袈裟なほど肩が跳ねた。

 子どもたちはそれに気づいてはいないらしく、ふうう、と達成感のある充足の息を吐く。

「終わった?」

「うん! あんまうまくはできなかったけど……」
「まあ初めてなんだからそんなものね。筋はいいわよ」
「ほんとっ?」

 一歳年上の少女はできるお姉さん気分でふふんと鼻を鳴らしつつ、次のためのアドバイスをしていた。

 これはこのまま練習台続行だろうか。
 続くのであれば次はもうちょっと優しくしてもらおう。でないと今度こそ毛根ごと持っていかれるかも……と切ない気持ちになっていると、別で遊んでいた三人組の子どもが春一のもとに駆け寄ってくる。
 今の教え子の中の最年長の少年と、その双子の弟と妹だ。

「ねえせんせえ、おそといこう!」

「はなかんむり、おしえてください! このまえせんせい、わたしにつくってくれたでしょ? おばあちゃんにつくってあげたいの!」
「おねがいします!」

 双子に両腕を掴まれて椅子から引き上げられそうになる。ちらりと後ろを振り返れば、二人とも頷いて順番を譲ってくれた。


「ふたりとも、また今度練習に付き合うから。声をかけてね」


 三人組も二人にお礼を言って、春一の手を引き教室から出て行ける中庭に駆けだした。

 教室を出てすぐの中庭には、庭師が色とりどりの花を植えてくれている。あえて雑草も残し、まるで自然の中にある小さな花畑のように造り出されたそれは、子どもたちが遊んでもいいようにとフェリクスが指示を出してくれたためだ。
 毒となるような草花や棘を持つものなどは丁寧に取り除かれている。端には砂の遊び場も用意されていた。
 教室から見える一角だけは子どもたちが自由に遊んでいいことになっており、花を摘んでも怒られることはない。ただし植物も生きているのだから、むやみに踏み荒らしたり傷つけてはいけないと言い聞かせているので、節度を持って緑と触れ合っている。
 花畑の中央に春一を中心に座りこみ、この間せがまれ作った花冠の作り方を教えてやった。
 どうやら前回持ち帰った花冠を見た祖母が、自分も子どもの頃によく作ったと大層懐かしんだものの、脚を悪くして花畑まで行くことは叶わずもう作れないと言っていたのを聞いたそうだ。
 そんな祖母の寂しそうな顔を見た生徒は、自分が連れて行ってあげることはできないけれど、彼女のための花冠なら作ってあげられると思い、春一に協力を申し出たようだ。それを聞いた双子たちも兄の提案に賛同したようだった。
 心優しい子どもたちのためにも張り切って教えていると、近くで別に遊んでいた子どもたちから歓喜の声が上がって手元から顔を上げた。

「わあ、こっち見た!」

「あっ、あくびしてる」

 子どもたちの視線の先には一匹の黒猫がいた。

 どうやら勝手にこのあたりに住みついているらしく、こうしてまれに現れることがある。
 大きく伸びをして、そのまま日当たりのいい場所でころりと寝そべった。子どもたちは遊びたくてうずうずしているようだが、我慢して羨ましそうに日向ぼっこする猫を眺めている。無防備な姿を晒しているが、誰かが近づけば一目散に逃げていくだろうことがわかっているからだ。
 時折姿を現す猫は生徒からはねこちゃん先生と呼ばれている。実際のところは猫なので何も指導はしていないが、春一の髪と同じく全身が黒いからという理由だけでそう呼ばれていた。
 動物好きの春一としても、あまり懐いてくれているとはいえない状況であっても目の保養になってくれるだけありがたい。
 これまでに動物を飼いたいと思わないこともなかったが、世話になっている身ではなかなか言い出せなかったし、なによりいつ元の世界に帰るかわからなかったのでただ指をくわえて眺めるしかできなかった。
 これ見よがしに愛らしい姿を見せつけてくる存在に抗うことができずについ手を止めて魅入っていたが、一人がふと思い出したように言った。


 

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