愛がゆえ

百万打御礼企画のアンケートで、岳里×真司の嫉妬話
※岳里三番隊隊長就任~八章までの間のお話。



 セイミアの使いでヴィルへ伝言をしに来れば。仕事のことで話している最中にも関わらず、どこからともなく現れた岳里がおれたちの間へと押し入った。
 突然目の前にできた広い背中の壁はさすがに見慣れて、冷静を欠くことなく尖った声を出してやる。

「おい、岳里……おまえ人が話してる時に割入ってくるなって言ってんだろっ」

 怒りを混ぜて怒鳴るように告げればあっさりと消える壁。怒られるのを承知でやってるんだからしょうもない。
また顔を合わせたヴィルは苦笑し、おれの隣に並んだ岳里を見て表情を和らげる。

「まあよいではないか、真司。別に岳里に聞かれても困る話ではないのだから」

 決して嫌味じゃないそれを顔に浮かべながらも、尖る唇をどうすることもできない。
 結局その後も岳里はヴィルとの話が終わるまで傍にいて、最後は医務室に戻るまで見送られて。
 仕事はどうしたって言っても心配するなだとか、頼りになる副隊長がいるだとか。その負担が全部ユユさんにいってるのかと思うと申し訳なさだけでなく頭まで痛くなる。またあとで謝っておかないと。
 人のいいユユさんに面倒を押し付けさせないようにしないととため息をつきながら、終始反省する様子を見せなかった岳里の背を見送り、医務室へと戻る――もう何度も繰り返していることだった。
 そんな風に戻った時には大体出迎えてくれたセイミアに作業の片手間ぶつぶつ愚痴を言うけれど、毎回のように鬱憤を溜める原因となるやつが自覚あるのに自粛してくれないせいであまり発散はできない。それにお互いやることもあるし、ただでさえ多忙なセイミアにあんまり付きあわせるわけにもいかない。
 今も扉を開け中に入るとすぐにセイミアが気づき、丁度治療を終えたらしい患者のもとから離れて歩み寄ってくる。

「おかえりなさい、真司さん」
「ただいま。ヴィルにはちゃんと伝えたから」
「ありがとうございます。……また、岳里さんがいらしたんですね」

 どうやらおれの疲れた顔から事情を悟ったらしいセイミアは、いつものように笑みを浮かべた。誰かと話している時に岳里がどこからともなく現れて乱入することは多く、セイミア自身も経験済みだからだ。

「まったく、あいつ本当に仕事してんのかよ」
「ちゃんとしていらっしゃるそうですよ。むしろ他の隊長の方々よりも仕事は早いそうで、終わればその後にはヴィルさんのもとで剣の鍛錬に励んでいるとか――ふふ、そんなこと真司さんもご存知でしたね」
「…………まあ、うん」

 意味ありげに笑うセイミアから目を逸らして頬を膨らませれば、今度は楽しいものとは違った穏やかな声で耳を撫でられる。

「さすが岳里さんですね。就任したばかりだというのにそつなく隊長職をこなしていらっしゃるそうですし、その上剣の腕前も着々と伸びていっています。かといってそれを鼻にかけることもなく自分をしっかりともっていらっしゃいますから、最近では彼を慕う者も現れ始めているそうですよ?」

 さっきとまるっきり同じ間と答えを返せば、この心情を理解してくれているセイミアは曖昧な返事に気に留めることはなかった。
 ――まあ、就任してすぐの頃は悪い印象ばかり先行していたからこそ、現状は素直に嬉しくは思う。
 少しずつではあるけれど岳里という男が周囲に広まって、本当にただの愛想のないやつだけだってわかってもらえていっている。頭もいいし、剣の実力もまだ始めてから浅いけれど天性の感覚で補っているし、本当に頑張ってるし。決して竜人の力の上に胡坐を掻いているわけでもない。
 まだぽっと出の経歴もないやつが隊長であることを不満に思う人もいるし、純粋に他を圧倒する実力に妬む人もいるけれど、おれが不安に思っていたよりはうんといい方向へと進んでいると思う。セイミアの言った通りぶれない岳里を尊敬する人も出始めているし。
 だからそれはいいんだ。いいことだと思ってる。――ただ、ちょっとだけ。これまでとはまた違った小さな不安がこの胸には生まれていた。
 誰にも気づかれないようそっと手を握り、思い返すのは一昨日のこと。セイミアの使いで三番隊隊長である岳里へと荷物を届けに行った時のことだ。
 前日にあらかじめ、まっすぐ岳里のところに行くから迎えにくるなと散々釘を刺していた。どうせ今回は岳里に会いに行くんだからいつもみたく邪魔する必要はないし、そうするよりだったら仕事に専念してほしかったから。
 さすがにきつく言えば岳里も理解を示してくれて、三番隊に与えられた執務室に向かうまで会うことはなかった。だから平穏無事に目的の場所まで辿り着けたわけだけれど。
 あの角を曲がれば執務室への扉が見える、というところを進んで角から顔を出たところで、おれは慌てて影に戻り隠れた。
 改めて顔だけをそろりと出して、そこからでも見える三番隊執務室の扉を覗き込む。ちょうど開いたそこには人が立っていて、それは岳里だった。でもあいつだけじゃなくて、その前にもう一人いて。
 初めて見る人だった。小柄で、この場所からだと背中ばかりしか見えないけれど、その腕にある腕章で十一番隊の隊員なのだと知った。
 十一番隊と言えばネルの率いる隊であり、王さま護衛であり、身の回りの世話をする部隊でもある。そのため非戦闘員も多く、身の回りの世話は主に十歳から十五歳までの子どもを使うそうだ。
 今あいつの前にいる、恐らく少年が護衛なのか世話役なのかはわからないけれど。おれと同じく、隊長である岳里に用があって来ているんだろうか。
 この場所からは何を話しているかは聞き取れない。ただ、岳里の手に封筒があるのでそう判断する。でもひとつ不思議なことがあった。
 ――いつまで、あの子はあそこにいるんだろう。渡すべきものは渡しているし、用は終わったんじゃないだろうか。
 口頭で伝えるべきものもあるんじゃないかと思ったけれど、それはあの子が上げた小さな笑い声で違うものだとわかる。
 あくまで上司に対して失礼じゃない程度に押さえられた、でも楽しげなそれ。仕事でそんな笑い声をあげるなんてないだろうから、なら雑談中なのか。でもあの岳里がまともに笑い話をできるとも思えない。隊長相手にも我を突き通すような男だし、多弁ではないし。
 だからこそ二人が今どういう状況下にあるのもまったくわからなかった。せめて断片的にでも話し声が聞こえれば、何かわかるかも――そこまで考えてはたと気が付く。
 なんでこそこそ隠れる必要があるんだ? 壁の影からこうしてあいつらを見て。
 だっておれは手伝いでここにきたんだ。ならさっさとそれを果たして医務室に戻るべきだし、何より岳里が誰と話していようが別に構わないじゃないか。ただ用を済ませるだけだ。
 とっとと顔を出して渡すもの渡せばいい。何も手間のかかることじゃないし、仕事なんだから話し相手もちょっと割り込まれたところで納得してくれるだろう。すぐ離れれば楽しい会話は再開できるわけだし。
 そう、思ってるのに。それでも踏み出すべきはずの足は動かず、固まったように影から二人を見つめるしかできなかった。
 小さな溜息をひとつ吐き、岳里たちから目を逸らす。完全に壁の影に隠れて、背中を預けながら天井を仰ぐようにまた溜息を洩らした。
 ――まん、ざらじゃない。そんな顔をしているように、見えた。
 話し相手が後ろ姿で誰かわらない代わりに、岳里の顔なら見える。相手に集中しているようでおれには気づかなかったみたいだ。気づいたんならきっと目を向けてくるだろうし。
 あいつと一緒にいる時間が長いからか、無表情ながらどんな風に感じているか多少ならわかるようになった。話に興味がある時とか、密かに楽しんでいる時とか。悲しい時とかちょっと怒ってる時とか。確実に判断できるわけじゃないけれどそれとなくなら。
 今の岳里が浮かべている表情は、どちらかといえば話に興味がある時の顔だった。
 正直なやつだから、例え話し相手が隊長や王さまでも興味がなければ話は聞いているけれどつまらなそうにすることもある。だから今僅かながらに顔に浮かべているその表情は嘘なんかじゃないだろう。
 あの十一番隊の子とは前から話したりしてるんだろうか。
 今や岳里は三番隊隊長。そりゃおれの知らないところで沢山の人と関わりあっているだろう。おれだって七番隊の手伝いとして岳里の知らない人と接しているのと同じで。別にわかっているし、それを気にしたことはない。
 それなのに今の話し相手が誰なのか気になってしかたがなかった。誰なんだろうとか、何話してるんだろうとか。岳里と仲がいいのか、それはいつからなのか。
 いつもおれが近くに行けばそれを察知して仕事を抜けてでも現れるのに。でもさっきは覗いていても気づきもしてなかった。それだけ話しているのが楽しいってことなのか。
 すっきりしない心を抱えながら、でも岳里たちの間に割入って用件を済ませることもできず、ただ陰で燻る。
 またひっそりと溜息をつきそうになったところで声がかけられた。

「おい」
「うわあっ! ――が、岳里?」

 完全に意識を別の方へ向けていて油断していたから、驚きのあまり身体を飛び跳ねさせるだけじゃなく悲鳴まで上げる。
 ばくばくと早く高鳴る心臓を抑えながら振り返れば、そこにはさっきまで部屋の前で話していたはずの岳里がいた。
 あまりの驚きようにさすがに面食らったのか、その眉間に少しだけ皺が寄る。けれどそれもすぐに解かれた。けれどこっちまではそうもいかない。

「なん、話、えっ」
「落ち着け」

 冷静な声に、深呼吸でもしろと続けられ、言われるがままに落ち着くために息を吐く。
 ようやく一呼吸したところで、改めて向き合った。

「……あの、話してたんじゃ」
「終わった。おまえがすぐ傍にいるのになかなか来ないから迎えにきた」
「え、あっ、気づ、いて?」
「当たり前だろう」

 まるで首を傾げているような声に、何故だか深く沈んでいたはずの心が少しだけ浮き上がる。その感覚に自分のことながらに戸惑いも心の中で頭を振った。
 考えてることを悟られまいと顔を引き締めつつ、躊躇いながら尋ねる。

「あの、さ。さっき何、話してたんだ? あ、いや別に話してくれなくてもいいんだけど、なんとなく気になったっていうか。いや別にそんな興味あるってわけじゃないんだけどさ」

 言い訳がましい言葉を使った自覚があり、目を逸らす。けれど視界の端で岳里が笑ったのが見えた。
 思わず目を戻せば、見間違えでなく確かに小さな笑みを浮かべる岳里と目が合う。どこか楽しげなもので。
 なんで笑ってるんだろう。そんな風になる瞬間はどこにもなかったはずなのに。ただ、聞いただけなのに。
 内心で混乱するおれを余所に手を伸ばしてきた岳里は、ぽんと頭を撫でて笑みを残したまま口を開く。

「秘密だ」

 細やかなものであれども珍しい笑顔に、柔らかい声に。岳里の機嫌はすこぶるいいんだと思う。でも出されたその言葉はまるでおれを突き放したかのように、思えて。
 ――そんなことがこの間にあったばかりだった。たぶんあの時感じたものが、今の不安のような何かに繋がってるんだと思う。
 それがなんなのか。あの後何度も考えた。でもわからなかった。何を不安に思うのかも、どうしてそう感じるのかさえも。
 岳里が周りと仲良くできるのならおれはそれを応援すべきだ。隊長になったのならなおさら周りとの信頼は大事だと思うし、他の隊長ばかりでなく自分の隊ばかりでなく、他に所属する人にも目を向けるべきだ。
 そもそも知らなかっただけで案外岳里はうまくやってたのかもしれない。あの時談笑していた子とのように、実はいろんな人と仲良く、してるのかもしれない。
 いいことだ。いいことじゃないか。――なのに、なんでこんな胸がざわつくんだろう。
 思い出すのはあの十一番隊の少年と話していた時の岳里の顔。あれもあまりあいつが見せることのない表情のひとつだった。親しい人にも稀にしか向けないのに、あの時はそれをその子に見せてまで話しを聞いて。
 それでいて、その話の内容は楽しそうに秘密と言われてしまった。

「――真司さん?」
「あ……ごめん、ちょっと考えごとしちまった」

 気づけば心配そうな顔でセイミアが目を向けてきていた。

「なんだか顔色がよくないように見えます。体調が悪いのですか?」
「違うよ、ただぼうっとしちゃっただけだからさ」

 笑顔を向けてみてもセイミアの目は疑いを持っていて、どうしたものかと頭を掻いたところで来室者が現れた。
 開かれた扉から現れたのは、二人の怪我人。どちらも血の流れる傷を作っている。
 セイミアはそれ以上追及しようとはせず、片方の人をおれに任せて、それぞれ仕事を再開した。

 

 

 

 心配したセイミアに、いつもよりも早く手伝いを切り上げさせられた。
 大丈夫だって言ったんだけど聞き入れてはもらえず挙句には、なんにせよゆっくりしてくださいだなんて言われたらもう頷くしかない。
 もしかしたら変なことに頭を悶々とさせていたことに気づかれたのかもしれない。でも反対に、だからこそ考えなくていいように手を動かしていたかった気もする。
 ともあれあの部屋の主人ともいえる隊長にもういいと言われてしまえば、所詮手伝いはそれに従うしかない。
 ただでさえ忙しいのに余計な心配をかけさせてしまったととぼとぼと廊下を歩く。
 ふと廊下の角を曲がった時、つい最近見たばかりの光景をまた見つけてしまい、咄嗟に壁の影に隠れた。
 あの時もこうしていたと頭の端でどこかそう考えながら、そっと角から顔を覗かせて先の廊下を覗き込む。
 道の端に寄って岳里がいた。そしてもう一人、おれの知らない兵士が向かい合うように立っていて。それで嫌でも思い起こすのは一昨日の、あの十一番隊隊員と楽しげに話をする岳里のことで。
 どうやら今度の相手は六番隊の人らしい。腕章を見てそう判断する。
 向かい合った二人、相手は手にした書類を示しながら何か言っていた。真面目な顔をしているし、多分仕事の話だろう。
 細々と声は聞こえてくるけれど、途中から聞いたこともあって話の内容はよくわからなかった。ただ時々、道や国、六番隊隊長であるライミィの名前が出てきている。
 二人が真面目に話をする傍らで壁に手をつけ、なんで隠れてしまったんだろうと内心で後悔していた。
 確かに話に割入れば邪魔になるけれど、別に部屋に戻ろうとしてただけだし。二人の横を通らなくちゃいけないとはいえ静かにしてればいいだけのことで、いくら岳里だっておれを気にして目の前の仕事を放り出すようなやつじゃない。だからこそ堂々と脇を歩けばよかったのに、前みたいにあいつに用があるわけでもないのになんでまた隠れてるのか。
 一度こうして隠れたからには、今更知らない顔して行動することはできないような気がする。この状況を継続して、二人の話に区切りがつくまで待つしかないだろう。立ち話をしているというところをみるとそこまで長くかかるわけでもないだろうし。
 でも時間がかかりそうだったらその時は覚悟を決めよう、そう決めると同時にちょうど話は終わったようだった。
 逸らしていた目をそこへ向ければ、六番隊の人は生真面目な顔を崩さないまま岳里の目を見つめていた。

「ではまた後ほど、ライミィ隊長の方からお話があると思いますので、お時間がある時にこの資料に目を通しておいていただけますか。あくまで簡易的な説明でしたので」
「わかった」

 隊員は手にした資料を岳里の向きに合わせて持ち直し、それを両手で渡す。岳里もそれを受け取るために片手を伸ばし紙の束を掴んだところで、二人の手がちょこんと触れ合った。
 おれのところから見えたそれは、本当に指先同士か擦った程度。でもそれに、六番隊の人が大きく反応を見せた。
 ぼんっと音がするかのように一瞬にして頬を染め上げると、短い悲鳴のような声を上げて手にした資料を放り投げてしまった。

「あっ……! すすっ、すすすみません!」

 六番隊の人は顔を真っ赤にして耳どころか首の方まで染まりながら、床に散らばってしまったそれらを拾い上げる。集めたものを岳里に押し付けるように渡し、最後に一礼してから風のように走りさってしまった。風圧に、僅かに岳里の髪が揺れる。
 あからさまな好意を示す態度に岳里はただ消え去った後ろ姿を無感情な目で見送り、それから何もなかったかのように手に持つ資料に目を落とした。どうやら集められた時紙の向きが直されなかったらしく、それをひとつひとつ戻している。
 ただそれを見つめ、動けずにいた。頭の中では目まぐるしく色々な情報が錯綜する。
 さっき見たばかりの、相手の真っ赤になった顔とか。一昨日に見た十一番隊の子やその時の岳里の表情。これまでに見てきた岳里を見つめる人たちの目。そんなもののなかに紛れるこの世界の常識。
 同性同士の恋愛が、主流だってこと。
 この世界ディザイアは男女の出生率に差があるために、女の人は男と離され暮らしている。だから必然的に周りは同性ばっかりになって、恋愛する相手もそうなる。男女は恋愛というよりも、命を生むために会うそうだ。
 理解していたし、知ってる。でもついふとした瞬間忘れることも多かった。それはおれが、もともと男女が主流、の世界から来たせいもあるんだろう。
 だから忘れる。同じ男でもそういった意味の好意を抱きあうこと。岳里も、そういう対象として見られること。
 ましてやああいうやつだ。確かに愛想はないけれどしっかりしているし、話せば悪いやつじゃないって伝わる。顔もいいし仕事も早いし、剣の腕前も着実に上がっている。だからこそ、もといた世界でもそうだったようにこっちの世界でも好かれやすい。
 例えその周りに集まるのが女の人じゃなかったとしても。岳里にそういう好きを抱いて傍にいる男だって、いるんだ。
 呆然と岳里を見つめていれば、やっぱりおれの存在に気づいていたらしく、資料を整えると顔を上げた。まっすぐにこっちを見て歩み寄ってくる。
 すぐ傍らへとやってきた岳里が手を伸ばす。自分から距離を詰めることも、身動きさえもできずただかたまってただけなのに、その手が肩に触れようとした時に咄嗟に身体が動いた。

「っ、さわんな!」

 ぱしん、と乾いた音が響き、目に映ったのは少し眉を寄せ驚いた顔を作った岳里だった。
 眉間の皺はすぐに解かれていつもの無表情へと戻る。そこでようやく自分がしでかしたことに気づき、顔からさあっと血の気が失せた。

「あ……おれ、っ――ごめん」
「いや、いい。声もかけず触れようとしたおれが悪かった」

 落ち着いた声に、動揺のあまり言葉がうまく出ない。首を振るしかできなかった。
 岳里が悪いわけない。触るとわかっていたのに、あの手を見守っていたのに。それなのに直前になって突然拒否したおれが悪い。
 わかってるだろう、岳里も自分に非がないことくらい。でもそれでも、きっとおかしいおれの様子を見て気遣ってくれる。
 あんな顔、させちまったのに。手を叩いたのに。
 耐えられず俯き、拳を握る。

「ごめん、部屋、戻って頭冷やす」
「ああ。今日は少し遅くなる」
「ん。わかった。気を付けてな」

 先に歩き出したのは岳里の方だった。おれが来た道を進んでいく。
 それを見送ることもできず、ただその優しさに顔を下げたまま感謝するしかできなかった。

 

 

 部屋に帰ってからずっと頭から毛布を被りその中で膝を抱えていた。ようやく様々な用事を済ませた岳里が戻ってきても指先すら動かせない。
 真っ黒な一人の世界で唇を噛んでいれば、丸めた背中に重みが加わる。

「さっきはどうしたんだ」

 聞こえるのは穏やかな声。あの時のことを怒ってなんていないとも伝えてくる。
 応えられずにいれば、さらに優しげに、どこか寂しげに声をかけられた。

「おれは、何かおまえの気に障るようなことをしてしまったか」
「――……岳里は、悪くない」

 どうにか出せた声は、とても小さく掠れたものだった。それでも竜人の聴覚はそんな毛布に覆われた微かでくぐもる声もしっかりと聞きとる。静かに、それの先に続くおれの言葉を待ってくれる。
 背中から、布越しでも感じる岳里の熱。それに励まされるよう、未だ拭いきれない自分自身への戸惑いを感じながらも、そっと息を吐いた。

「……悪いのはおれ、だ。だって、こんな……」

 ぽつりぽつりと、一昨日のことから順に話した。あの十一番隊の子と話しているのを見て、和やかに話せるのはいいことだとわかっているに何故だか心は晴れなくて。秘密にされたのが、何故だか不安になって。さっき見た六番隊の人とのやり取り後のことも、本当に他意はなく、無意識のうちにしてしまったと改めて謝る。
 今も申し訳ない気持ちでいっぱいだった。岳里に対してだけじゃなく、あの二人にも。
 どうして岳里たちのやりとりを見て不安に思ったのか、触れようとしてくれた手を叩いてしまったのか。何がそんなにすっきりしなくてもやもやするのか。
 その理由を本当は知っていた。初めからわかっていたんだ。でも認めたくなくて、そのせいで変に岳里を傷つけてしまって。
 今でもまだその気持ちを認め切れてない。――だって、こんな感情。こんな暗い想いを抱くべきじゃない。
 わかってるけど――嫉妬、したんだ。岳里と仲好さそうに秘密の話をしている相手に、岳里に憧れている相手に。身勝手な独占欲を感じて、岳里はおれのなのに、って。そんなわけないのに。
 いくら岳里がおれを好きだと思ってくれていても、いくら随分と長い間思い続けてくれていたとしても、それがずっと終わらないとも限らない。いつか別の人に目を向ける日が来るかもしれない。
 もし、その時が来たら。おれなんか眼中にしなくなるくらいいい人が前に現れてしまったら。
 それが、その時が怖い。
 だって未だに岳里はおれのどこをそんなにいいと思っているのかわからない。自分でもそう魅力のある人間じゃないと思うし、よくもわるくも可もなく不可もなく、な普通の人間だ。
 岳里はなんでもできて、すごくて。本当ならごくごく普通のおれが釣り合うわけもない相手で。
 岳里の想いを信じてないわけじゃないけれど、たまに。おれじゃない人のもとへと行っちゃうじゃないかと思う時がある。最近起こったふたつはその不安を容赦なく突いてきた。
 嫉妬だとわかっておきながら気づかない振りして知らない振りして、そのくせ見過ごすことができずにうじうじ悩んで。たったあれだけのことで妬んで勝手に不安になって。
 男なんだからどんと構えられればいい。潔く岳里の一挙手一投足を気にせず、去るなら去れと。でもそれができない。女の子ならまだ可愛い嫉妬で許されるだろうけれど、でも男のおれがそんな風に影で考えていれば、ただ情けないだけだ。
 見せたくない。こんな姿、見てほしくない。
 ただでさえ自信なんてないのに、これ以上自分に不安を持ちたくない。こんな醜い感情にうだうだと悩み振り回されてるなんて知られたくない。――でも、ここから離れられなかった。
 なんてことないように気分でも変えるからと言って部屋を出てけばいいのに、背中に感じる体温から離れたくない。
 どうすることもできず、謝り終えればそれ以上何か伝える言葉も浮かばずに口を閉ざす。岳里も何も言わなくてただ気まずい沈黙だけが残される。
 真っ暗中、背中の体温だけが存在を教える。声も聞こえない、姿も見えない。だから今あいつがどんな顔をしているのかはわからなかった。
 いつもの無表情なんだろうか。それとも呆れてるんだろうか。
 岳里のことだ。ただ軽くその時感じたものを話しただけでおれの気持ちが嫉妬だと気づいたことだろう。それでも何も言ってこないんだからやっぱり呆れたんだろうか。
 そうだよな、そりゃそうだ。ただ楽しそうに話しているだけで、ただ憧れていただけで、それだけで。我ながらなんて心が狭いんだと思う。
 愛想つかされる前にどうにか変わらなきゃ。変われなくても、上手に隠せるようにならなくちゃ。
 そう考えながらも思わず膝を抱える腕に力を込める。あいつならきっとそれにさえ気づくんだろう。
 岳里相手に隠すのは難しそうだと諦めの境地で深く鼻で息を吐いた時、ふいに背中の重みが消えた。

「真司」
「…………」
「真司、顔が見たい」

 いや、だ。
 きっと情けない顔をしているだろうし、正直顔を見るのが怖い。でもこのままってわけにもいかないだろう。
 気持ちを声で返せないまま、そっと腕を解いて身体を起こす。頭に被っていた毛布は剥がされてしまう。
 俯いていた顔をそろりと上げる。するどこにも想像していた無表情もなく呆れ顔もなく。
 はにかむように、小さく笑う岳里がそこにいた。

「え……」

 思わず声を漏らせば、僅かに笑みを深くさせながらおれの腰に手を回して抱き寄せた。引かれるがまま胡坐を掻いた岳里の上に膝を割るよう乗せられる。
 気づけば、少しだけ高い場所から見下ろしていた。相変わらず見える表情は嬉しそうで混乱は解けないままだ。

「なん、で。なんで、笑ってるんだ? 呆れてるんじゃ」
「呆れるわけがあるか。おまえはつまりあの二人に嫉妬したんだろう。ならそれはおれにとって嬉しいことだ」
「うれ、しい……? いやじゃないのか?」

 いつもは少し経てば引っ込む笑みを浮かべたまま頷く。

「ああ。おれをなんとも思っていないのならば決して生まれない感情だ。おまえに愛されているのだと実感できるのに何を嫌うことがある。嬉しい、もっとしてくれ」

 笑う、というだけでも随分な予想外なのに、まさかもっと嫉妬しろと求められるとは思ってもみなかった。
 こんな時に嘘つくようなやつじゃないし、場を取り繕うために笑ったりもしない。なら、きっと今見えるものが本心で。
 気づけば強張っていたおれの顔を少しずつ緩んでいった。

「なんだよ、それ……悩んでたのがあほらしいじゃんかよ」

 身体を支えてくれるために腰に肩に触れている場所がとても温かい。そこから熱が全体に広まり、背中だけが温かかったのが変わっていく。
 心まで染みわたり、数日前からあれだけ悶々と抱え続けていた黒いものま溶かされていく。

「悩んでくれることさえ嬉しいが、考えたとしてもあまり不安を感じるな。おれの愛が逸れることはない。おまえはただそれをわかってさえいればいい」
「岳里……」

 頷くことはできなかった。でも岳里は応えられなかったおれを責めることも、確認させることもしない。
 わかってるんだろう。きっとまた同じことを繰り返さないとも限らないことを。おれ自身自分に誓うことができないから、だから返事をできないでいることを。
 この前だってそう簡単に変わるような心の持ち主なんかじゃないと知っていて、それでももしかしたらと嫉妬して不安になった。だからきっとおれはまた同じように感じることがくるんだろう。
でも、ちゃんと胸の奥には仕舞い込んだ。なるべく揺らがずにいいように、不安を感じたらまた思い出せるように。

「岳里、目瞑ってくれ」

 言われるがままに理由も聞かず、おれを見上げたままに目を閉じた。恥ずかしげもなく晒せるだけの顔を持つ相手に何故かこっちが照れつつも、それまで肩に置いていた手を持ち上げ両頬を包む。
 そっと顔を下し、岳里の唇と自分のものとを重ねる。一度離れてもう一度触れ合わせれば、閉ざされていたはずの目が金色になって輝いていた。
 頬から手を離して顔も持ち上げても、岳里の目はまっすぐに見つめてくる。あまりにも強い視線に耐え切れず目を逸らした。
 唇に残る感触に心臓を高鳴らせながら、熱い息を吐きだす。

「嫉妬されるなんかよりずっと、おれの、その……あ、愛を、さ。これなら感じただろ?」

 嫉妬で愛されていると実感できる、と岳里は言っていた。でもおれからしてみればそんなもので感じてなんてほしくない。おれだって、岳里のこと好きなんだから。
 でもそんな何度も言葉になんてしてられないし、これまでおれからの行動なんて滅多にしたことはなかった。今のも、自分からするなんて、初めてで。
 こういったもので少しでもこの気持ちがより岳里に伝わるなら嬉しいと、そう思う。

「――もう一度。もう一度だ」
「っ、今日はもうしない!」
「なら明日か」
「し、しばらくしない……っ」

 色々悩んだけれど、その時間も無駄なんかじゃなかった。
 こうやって時々変にすれ違ったりして確かめ合えるのであれば、嫉妬も、そう悪いものなんかじゃないのかもしれない。そりゃあできればしたくないし、広い心を持とうとは、そう思うけれど。
 しつこくもう一度をねだる岳里の上から飛びのき、また頭からすっぽり毛布を被る。
 真っ暗な世界で頬を熱くしながら、のしかかってきた重さについ頬を緩めた。

 おしまい

 



三人称、岳里視点。
真司が覗いていた、岳里と十一番隊隊員の会話。

 ネルの使いとして資料を持ってきた隊員は、去る前にふと思い出したように口を開いた。

「岳里隊長は、あの七番隊のお手伝いさんと仲がよろしいんですよね?」

 その問いに岳人が頷けば、彼は楽しそうに顔を明るくさせ笑みを浮かべた。

「やっぱり! この前、ぼく見てしまったんです」

 嬉しそうにまだ幼い隊員が語ったのはつい先日あった、岳人も身に覚えのある出来事のこと。どうやらちょうどその場にいたらしい彼はどうしても、自身より位の高い岳人を私用で呼び止めてしまうほどに伝えたいことがあったらしい。
 それは、岳人がヴィルハートの剣の鍛錬中に怪我をしてしまった時のことだ。
 ヴィルハートの剣を避けきれず額に受けてしまった。大した怪我ではなかったが出血がひどく、周りから医務室に行くようにと促されたため向かったのだ。
 医務室へ訪れれば岳人の把握していた通り真司がそこで七番隊の手伝いとして怪我人たちの手当てに当たっていた。しかし部屋を訪れてみるなりその時相手にしていた怪我人を放り出し、ひどく慌てた様子で扉へ突っ立つ岳人へと駆け寄ってきたのだ。
 すぐに処置へと導くわけでもなく、ひたすらに右往左往し激しく動揺し、額の怪我ということもあり出血も多く、真司の顔は真っ青だった。
 結局その時在室していたセイミアが真司に代わり岳人の治療に当たった。真司は最後まで傍らで言葉を失ったようにひどく不安げに岳人を見つめるだけで、それはセイミアに促されるまま早々に医務室を立ち去る際になっても落ち着きを見せないままだった。
 その後夜自室にて再会した真司は普段と変わらぬ様子へと戻っていたため岳人は特に気に留めなかったが、十一番隊の少年によればそこには裏話があったらしい。
 岳人が医務室を去った後、真司はまずセイミアに叱られたそうだ。治療に当たっていた怪我人を放り出してしまったことは勿論、動揺するばかりで何にもできないような有様に冷静を欠いたこと。
 普段は人畜無害そうな人のいい笑みを浮かべているセイミアであるが、仕事に関すればその穏やかさはなりを潜める。命を扱う仕事であるため、その責任を誰よりも知っているからだろう。
 手伝いとはいえ見逃せないことを注意された後、真司は落ち込み本来相手していた負傷者のもとへ戻り仕事を続けたそうだ。しかしそれが終われば扉を気にし、仕事の合間合間にずっと時間があればそこを眺めていたらしい。
 恐らく、ではあるが。岳人が心配だったのではないだろうか、と隊員は言う。何故なら扉を見る真司の目があまりにも不安そうだったから。
 そして今岳人に真司との関係を確認し、確信したらしい。
 想い人であるならばあれほどまでに動揺し、そして心配するのは当然だろう、と。
 普段の真司であればあの時の岳人の怪我程度であればもう手慣れたものだとも、ちょうどその時自分の治療に当たってくれていた七番隊の隊員に教えてもらったとも続けた。
 その話は岳人にとって、内心ではとてつもなく喜ばしいものであった。
 真司が己の怪我にひどく狼狽し、そしてその後も治癒術によって傷は完治したというのに心配し続け。それを嬉しく思わないわけがない。
 顔に億尾も出さないまでもひどく浮かれていれば、ふと、今までにないほどに変な顔をした真司が角からこちらを覗いていることに気がついた。
 岳人は浮かれるあまりに油断し一度視線ごとそちらに向けてしまったが、どうやら向こうはそれに気づかなかったらしく、壁の影からこちらの様子を窺っている。
 話すことに夢中な隊員も岳人の意識が別の方へ向けられているのに気づかないまま話を続けた。

「職務上怪我をすることは避けて通れない道ではありますが、あんな悲しげな顔されてしまうと岳里隊長もうかうか怪我をしていられませんね」
「――そうだな」

 緩みそうになる頬を引き締めることに苦労しながら、岳人は優しげな瞳をしながら頷いた。

 おしまい


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頂いたコメントの数が多かったので嫉妬話も書かせていただきました!
ご投票、ありがとうございました!