心地よい眠りから浮かび上がったノノは、ふああと大きくあくびをしながら身体を起こした。
 寝転がっていた場所に手をつくと、かさかさとした手触りを感じる。視線を落とすと、眠る前には確かになかったはずの木の葉がわさわさと積まれていて、ノノを象るようにそこだけぽっかり空いていた。
 毛布も何もなくただ地面に丸まって眠ったはずが、どうやら葉が体温を守ってくれていたらしい。
 短い草がまばらに生えていたはずの地面も緑豊かになっている。いつのまにか天然のクッションまで作られていたらしく、道理で途中から寝苦しさが緩和されたわけだ。
 寝ている間に整えられていた寝床は随分快適だったようで、気を抜けばまたふらふらと柔らかな繭のようなそこへ戻ってしまいたくなる。
 寝起きは悪いほうではない。むしろ起きた直後でもさっと動けるように昔から自分なりに気を張ってきていたのだけれども、思いかけず深く寝入ってしまっていたらしい。
 もう少しゆったりと目を閉じていたかったと思う気持ちを振り払うよう、握った拳を振り上げてぐっと背中を伸ばす。
 ぐるりと何度か首を回して、ようやく意識がすっきりしてきた。

「わりいな、寝ちまって」

 また出てきたあくびを噛みしめながらノノは振り返る。
 そこには見上げるほどの大樹があり、ひとりの少年の姿があった。
 軽く詫びると、少年は普段と変わらずなんの感情も籠らない瞳を瞬かせる。
 彼が瞼を上下させるたびにいつも、長いまつ毛が重たそうだと思った。芽吹いたばかりの若葉のような瞳は爽やかそうであるはずなのに、気だるげな様子や緩慢な動きをしていることも相まってなおのことそう見えてしまうのだろう。
 声をかけたところで大して反応がないのはいつものことなので、応えがないことに気を悪くするでもなくノノは立ち上がり、もう一度大きく伸び上がる。
 地面を這うように植物のつるがするすると伸びてきて、髪に絡まっていた葉をそっと払った。肩や服などにも付いていたようで、いくつものつるが一枚ずつ丁寧に落としていく。
 ついでに寝癖を直そうと器用に髪を梳くよう動くので、そのくすぐったさに思わず口元が緩んだ。

「寝床を快適にしてくれるだけじゃなくて寝癖まで直してくれるとは、案外面倒見がいいじゃねえの。ありがとうな」
「――別に」

 ぽそりとした返事は、感謝の言葉に照れているとかではなく、本当にどうてもよさそうだ。
 だがその言葉のわりには、草のベッドを用意してくれたのも、毛布代わりに葉をかけてくれたのも、ノノの世話を焼くつるを伸ばしているのも、すべて大樹とともにいる少年、シュロンがしてくれていたことだった。
 シュロンはノノが今いる神殿地下の迷宮の主のようなもので、誰かがこの場所に近付けばすぐに察知することができる。そして物静かで感情が抜けた人形のようなこの少年はこちらから手を出さない限り何もしてくることはない。だからノノはこの場所で平然と寝こけることができたのだ。
 他人なんて信用できるものかと尖って生きてきた自分が、シュロンの傍では目を閉じて羽を休めることができる。それは彼が浮世離れしていて、なにより人間らしからない存在だからなのかもしれない。
 ノノが今いる地下迷宮の最奥に当たるこの場所の頭上は高く、いくつもの隙間があってそこから微かに光が射し込んでいる。岩が重なり合っているようだが、それらは絶妙な加減で互いを支え合い、地上で育った木の根などが絡み合って地下が空洞であってもうまく留まっているようだった。だが大きな地震や岩を支える植物たちが火事などで損傷することがあれば、一気に崩れ落ちそうな不安定さも感じる不思議な空間だ。
 ところどころから差し込む僅かな光に輪郭を照らされて厳かに存在する大樹。ぐっと見上げるほどの高い天井に届くほどの枝葉を伸ばした巨木は、薄暗い地下のなかでも力強く神秘的な生命力を感じさせる。
 何人もが手を伸ばしてようやく手が届くほど太い幹の、ちょうどノノの目線くらいの場所に、半身を埋めたシュロンがいた。
 細い肩を剥き出しにした半裸の姿はまるで匠が造り上げた石像のように滑らかな肌をしていて、まだ性別を感じさせない中性的で幼い顔立ちをしている。鼻立ちもよく、瞳は大きくくりっとしていて、淡い色の唇は小さく控えめで控えめで愛らしく、人々の理想を押し込めたかのうに整った容姿をしていた。
 けれども感情という名の熱を一切感じさせない表情は無機質で、それこそがシュロンをより命のない人形のように見せている。
 息をして、瞬きをして、確かにその鼓動は動いていて生きているのに。体温だってあるはずなのに、彼は本当に人間であるのだろうかと時折思ってしまう。さらにはその半身だけでなく両腕すらも背後の木に飲み込まれ動けない代わりに、近くの植物を自在に操る力があるのであればなおのことだ。

「植物のベッドも案外悪くないもんだな。草の香り結構好きだわ」

 寝床にされたせいですっかり押し潰されてぺったりと地面に横になってしまっている草に少し申し訳なさも感じたが、葉がだめになったわけでもないのでしばらくすれば逞しく復活してくれることだろう。
 それに、植物を操る力のあるシュロンが生やしたもの。生み出すことができるのなら、彼らを元気にすることもきっと簡単にできるはずだ。
 それでも感謝の気持ちを込めてよしよしとベッド代わりになってくれた草を掻くように持ち上げてやる。

「てか葉っぱかけてくれたってことは、おまえも寒さを感じたりするのか?」

 纏うものもなく晒されるシュロンの剥き出しの肩を見て疑問を口にする。

「感じない」
「ふうん。見てるこっちが寒そうだけどな」

 地上から差し込む光で洞窟内は見渡すことができるが十分ではなく、地の底の空気は冷えている。
 ノノは十分に着込んでいるからそれほど支障はないが、裸のシュロンに問題がないのはやはり人ではないからなのかもしれない。
 初めてシュロンを見たとき、彼を怪物だと思った。今でも身体の半分が木に埋まっているシュロンが何者であるのかよくわからないし、面と向かって尋ねることもできずにいる。
 本当なら、得体の知れないものには関わらないことが一番だ。幸いシュロンは攻撃的でないし、話しかけなければそれこそ本物の植物のようにただじっとそこにいるだけのやたら見目のいい置物でしかないが、それだってやはり半分が木に埋まりながら生きているだなんて普通ではない。
 けれどもノノはこの普通でない少年に、どうしても会わざるを得ない理由があった。

「なあ、おまえと出会って結構経つよな」

 聞いているのかいないのか、シュロンは答えない。
 口数が極端に少ないのはいつものことなので、気にすることもなくノノは親しげな笑みを向けた。

「そろそろ、ちょっとくらいお宝わけてくれたってよくないか?」
「だめ」

 精巧な人形のような表情は瞳さえ揺れず、淡く色づく小さな唇だけが無機質に動いた。

「ほんとちょっとだって。どうせたんまり隠されてるんだろ? 少しくらいなくなってもやつら気づきはしないだろうし、おまえが叱られることもないって」
「だめ」
「まあまあそう言わず、悪いようにはしないからさあ」
「だめ」

 こんな時ばかり即座に拒絶されるのは想定の範囲内だ。
 すでに幾度も繰り返されている問答にそれ以上食い下がることはせず、ちぇっとわざとらしく口に出してノノは唇を尖らせて見せる。
 あえて茶目っ気を見せて空気を柔らかくし、親しみを覚えてもらおうという演技だが、相手にはまるで効果がないようでぼんやりとした眼差しが向けられたままだった。
 貧乏で金に困っているのだと憐れみを誘っても、うまくやって分け前を用意してやると囁いてもこの様子。もので釣ろうが言葉で唆そうが興味を引けた試しがない。
 ちょっと刃物をちらつかせて脅した時だけ、両手両足を植物に拘束されて宙ぶらりんにさせられた。前後に揺られてすぐに根を上げて下ろしてもらってから、それ以降力に訴え出るような真似はしないようにしている。
 強引な手段にさえ出なければ何を騒ごうともシュロンは気にしない。
 大樹と繋がるこの少年は、神殿地下に根を張るように広がる迷宮の守護者だ。ここに隠された財宝を守り侵入者を排除するのが彼の仕事で、そしてノノはまさにその対象である盗人だった。
 ふたりの出会いは半年ほど前、ノノがこの地下に忍び込んだことから始まった。
 王都から離れた場所にある古びた神殿。人々から忘れ去られて久しく、手入れをされることもなく長い歳月放置された場所はすっかり風化してしまい朽ち果てていた。
 かつては荘厳で美しい白亜の神殿として大事にされ、神聖なるこの場所には多くの人々が祈りを捧げに訪れていたというが、今ではあちこちに藻が茂り陰鬱な空気を溜め込んでいる。立ち並ぶ石柱の多くに植物が絡まり、中には倒壊しているものもあった。
 当時は磨き上げられていた大理石の床も飛ばされてきた砂でくすみ、清浄な気配はどこにも感じられない。半壊とまではいかないが、いつ崩れ落ちてもおかしくはない不安定な状態だった。
 盗賊にも荒らし尽くされ、とうに誰にも見向きもされなくなった朽ちた神殿。雨風をしのぐのでさえ不安を覚えるような場所に、夜な夜な高名な聖職者が人目を忍んで足を運んでいるという話を聞いてしまえば、そこに何かあると考えるのは当然だろう。彼らが神殿に入る前には腕に抱えていた荷物が、しばらくして戻ってくるとなくなっていると聞けば尚更だ。
 人目に触れたくない大切なものを、誰も寄り付かないここに隠していることはまず間違いない。
 しかもその聖職者というのが、王国の東地区をまとめる司教だという。
 表向きには敬虔な信徒としてお手本のような善人の振りをしているが、裏の界隈では業突く張りとして有名なその司教と、彼の言いなりになっている司祭がふたり。それと彼らの護衛をする数名だけで出入りをしているというのだから俄然興味がわくというもの。
 おそらく彼らの違法な手段によって蓄えられた人には言えない後ろめたい財産を、この神殿のどこかに隠しているのだろう。
 そう考えて忍び込んだ神殿の中で、最奥の祭壇の下に隠された階段を見つけた。
 地下へと続く階段の先には地上にある神殿よりもはるかに広大な地下迷宮が広がっていたのだが、地下には植物の根が張り巡らされており、ほとんどの道がその根やつるなどで塞がれてしまっていた。
 持っていたナイフで植物を裂いて強引に通ろうと思えば行けないこともなかったが、その時はまず道なりに進むことを決めた。
 そして慎重に歩みを進めた先の開けた場所で、とても不思議な光景を目にしたのだ。



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