あばんじゃさん2

とあるお礼として、下記の設定を指定していただき書いたものです。

・エロはあってもなくても。ドラゴンは話せないほうがいい。
・契約有。お互いの気持ちがざっくりであるけど、何となく察することができるとなおよし。
・ドラゴンは黒。金の瞳。人間はただの農民。年齢は20代前半
・契約により、馴染むまで人間側が苦しむが、少し頑丈になる。ドラゴンは少しばかり弱くなる。



『竜血の契約』

 納屋の中に敷いた藁のベッドの上で、青年は全身を丸くして身のうちにうねる衝撃を受け止めようと努める。腹の底に煮えたぎる熱が渦巻き、指先まで波のように広がっては、ほんの少し引いてまた広がって。詰めた息を吐き出す際も、まるで火をふくような喉がやける錯覚に陥るほどだ。
 頭もまるで警笛が鳴るように激しく痛み、横になっていても頭の中がかき混ぜられているかのようにくわんくわんと揺れるような目眩が続いている。
 身体が作り替えられていく感覚は何度経験しようとも慣れず、楽になることもない。玉のような汗が全身から吹き出し、髪がぐっしょりと濡れて額に張り付いている。身体に藁が張り付こうとも、それらを剥がすゆとりすらない。
 不意に生暖かい風が肌を撫でた。赤く点滅していた瞼を持ち上げると、ゆらゆらうるんだ視界のなかに黒い影を見つける。
 それは納屋の戸から上半身をねじ込み青年を見つめる、巨大な黒竜の顔だった。
 翼を折りたたみ、窮屈そうにしている。これでも竜の為に戸を大きくするなどして納屋を改造しているのだが、彼の身体が大きすぎて全身を入れてやることはできなかったので、なにかあれば今のように顔だけを伸ばすのだ。
 青年はぼやける金の粒のような瞳に手を伸ばす。しかし、固く握りしめていた拳は解くことができず、そのまま岩のようにごつごつとした、だが温もりのある黒竜の頬に押し付けた。

「大丈夫……大丈夫、もう少ししたら、たぶん落ち着くから」

 絞り出すように出された青年のひどくかすれた震える声は、きちんと彼に届いただろうか。たとえ言葉でわからなくても、触れるこの手が、応えようとするこの心が、きっと彼に想い伝えてくれることだろう。
 自分の腕さえ支えられず落ちた手に、青年の頭より大きな鼻先を押し当て匂いを嗅ぐように息を吸い込み、裂けたように大きな口をわずかに開けて舌先を伸ばして手を舐める。
 そのまま舌先は、流れる汗も、戻してしまったもので汚れた口の端も、肌に貼り付く藁でさえ気にせず青年の顔を撫でていく。今度は彼のよだれでべっとりになるが、火照る肌が宥められていくような心地よさがあった。それに、彼に触れられていると少し体調も落ち着くような気がした。
 それはこの苦しみの原因たる存在からか、それとも、自分の心の拠り所であるからなのか。竜の生態について無知な青年にはわからない。間違いないのは、黒竜は青年とっては、名実ともに半身のようなかけがえのない者になっているということだ。
 この身のうちにうねる熱は変化である。ただの人の身でありながら受け入れた竜の血が、身体が徐々に作り替えられていっているのだ。
 どこにでもいるような農夫であった青年は、竜の血を繰り返し受け取ったことで、その肌はもとの柔らかさを持ちつつも鎧をまとっているかのように頑丈となった。砂利道で転んでも肌は裂けず、弓矢なども完全に防げるわけではないがすこしばかり刺さるだけでごく軽傷で済んでしまう。毒などへの耐性もつき、体力や腕力も以前と比べれば格段に跳ね上がった。
 だが、ただ竜の血を飲めばそのような変化があるというわけではない。それには竜の意識と、そして竜と人との間に契約が必要である。
 竜血の契約と呼ばれるもので、竜と何者かが契約することを言う。竜が己の力をその血に混ぜ、対象となる者にわけ与える行為に人間が勝手に名称をつけたものだ。
 竜が明確な己の意思を持って相手に血を飲ませる。その血を受けた者は身体の変化に激しい苦痛が伴うこととなる。時として急激な変化に身体が追い付かず、命を落とす者もいたと、青年は契約を交わしたあとになって知った。黒竜もそれを恐れているのだろう。本来は一度で終わる契約だが、与える血の量を少なくして時間をかけることで青年の身体の負担を減らしているのだ。一口だけでもこれほどの苦痛が伴うのだ、杯に並々と注いだ量を一気に仰いだあとに待つものは、青年の想像を絶するものだ。
 だが、その苦痛を乗り越えた先で契約者は人ならざる運命を手に入れることになるのだ。
 契約者は間違いなく、力を与えた竜の寵愛を受けていることになるので、まず害をなそうとする者が現れることはない。竜の契約者に仇なすことはつまり、竜そのものもを敵に回すということであるからだ。
 同じ竜でもない限りは傷を付けることでさえ困難な強固な甲殻に、他の追随を許さぬ速度で、何者であっても届かぬ高みへ飛ぶ強靭な翼。頑丈な爪や角に、丸太のように太く逞しい尾。
 何人たりとも寄りつけぬその強さを持つ竜と敵対したい者など、そういるものではない。
 竜の契約者である者は世界中でも片手にも満たないほど希少な存在である。竜自体が千にも満たないほどの数ではあるが、契約者になれる者は竜にとってそれだけ重要となる存在なのだ。
 竜は己の力を契約者にわけあたえるということはすなわち、契約者が肉体的に強くなっていくのに対し、それに反比例して竜はの身体は弱まることになる。
 とはいえ、人の身を変えるにも限界がある。脆弱な人の身に竜の力は余るため、然程譲渡はできず、竜の力が弱まるといっても甲殻がほんの少し刃物でも削れるようになるくらいではある。
 人間と違い、能力が落ちることに対して竜に苦痛がないことだけは幸いであったかもしれない、と青年は自分をじっと見つめる金色の瞳に思う。
 だが、すべてがよしというわけでもない。竜が弱体化したところを狙う狩人もいる。竜の血肉は万能薬となるという迷信が未だ強く残っていることもあるし、角や爪が高値で取引をされたり、単に己の名誉にしたい者も、竜が狙われる理由は様々だ。
 黒竜も、そして青年も、それでもお互いに多くの困難を与えることになるこの契約を止めるつもりなどない。
 青年がもがくほどに黒竜は心配そうに顔を寄せ、肌を舐めていく。
 苦痛に苛まれる中で青年は小さく微笑んだ。

「ありがとよ……おまえのおかげで、楽になるよ。あとはもう、熱が引くの待つだけだから」

 ぐぐぐ、とまるで地割れのような低い音が腹に響く。青年の言葉に応えた竜の声である。
 青年の言葉を竜は理解しているらしく、時として今のように反応をくれるのだ。
 黒竜の言葉を青年はわからないが、契約を交わした影響か、なんとなくではあるが互いの気持ちが伝わるようになったので、契約もなにもなかった関係よりは意思疏通ができていると思っている。
 いつか、彼の言葉がわかるようになるだろうか。
 このまま血を受け入れていけば、契約が完了すれば、もっと彼に近付くことができれば、ただの腹に響く音でしかないその声が持つ意味を知ることができるだろうか。

(だけどその時、おれはどうなっているだろう)

 人の形を保った何者であるのか、それとも――背中に生え始めた鱗が全身を覆うのか。
 自分以外にも契約者は、数が少ないながらも存在することは知っている。だが、誰も彼らが契約者となった瞬間は知らず、また、その後の行方も誰も知らないという。
 竜とともに平穏に生きるため人里を離れたか。それとも、その姿を人でないものに変え、消えていったか。それとも――
 黒竜の鼻息に濡れた肌が撫でられる。その心地よさに身を任せていれば、ゆっくりと熱が引いていき、呼吸が楽になっていく。
 青年は特別な力など、そんなものはなにもないただの男でしかなくて。
 だが、黒竜に選ばれ、そして青年も人ならざる者となる道を選んだ。
 それでも、住む世界は果てなく違う。ほんの少し距離が縮まったところで、どうしようにも埋まらぬ差が黒竜と青年との間にはある。――ともに生きれる時間でさえちがうのだ。
 だがそれでも彼らは選んだ。
 この先、青年の今まで過ごしてきた平凡な人生では、ただの農夫では体験するはずのなかったことに触れていくだろう。
 それは奇跡のように輝かしいものであったり、瞳を逸らすことのできぬ興奮や、腹の底からわき上がる喜びがあることだろう。だが、絶望のような泥にのみこまれそうになったり、目を覆いたくなるような恐ろしいことも、すべてを忘れなにも知らぬ頃に戻りたくなるような突き刺さる現実もあることだろう。
 だがきっと、後悔はない。
 竜である彼に出会い、そして心を捕らわれたあの日、あの瞬間から。ただ前だけを、黒竜の姿だけを見つめてきたのだから、これから先もずっとそうであるのだという確信が不思議の青年の胸にはあるのだ。

「なあ――」

 竜の名を呼べば、金の瞳がわずかに細められる。顔が寄せられ、青年も応えて顔をすり合わせる。竜の、つがいへの愛情表現のひとつだ。本来は角を擦り合わせるのだが、青年はそれを持たないので顔全体を黒竜へ押し付ける。
 なんだっていいと、そう思う。
 彼が傍に居てくれるのならこの先なにがあろうとも、どんな運命が待ち受けていようとも。あるがままに受け入れ、そして生きて行こうと、青年はとうに覚悟を決めたのだ。でなければもとより契約などかわすはずがない。
 それでも時々、揺らぐことはある。だがそんなときでも、彼がいてくれさえすればそれでいいのだ。
 青年の瞳から、どんな身体の変化に伴う苦痛を受けても流さなかった涙がほろりと落ちる。
 それは痛みでも悲しみでもない。胸に溢れる幸福感だ。
 腕をあげて竜の鼻先に抱きついた。片鼻を胸が塞いでしまったせいで黒竜の呼吸が少し苦しげになってしまったが、さらに強く抱きしめて腕いっぱいに彼を感じる。

「わるい。ちょっとだけ、こうさせて……」

 黒竜は背を浮かせた青年が楽になるよう、自分の頭を下げて藁の上にしっかり身体がつくように体勢を直してくれた。
 笑うような黒竜の鳴き声が、直接重ねた身体から伝わってくる。
 その穏やかな揺れは心地よく、疲れきっていたこともあり、黒竜を抱いたまま青年は眠りについた。

 

おしまい

2018.7.12