ちびパラ!


三周年記念企画にて、735さまのリクエスト
・【Desire】のオールカプ(NLも含)
・ジャンアフィスの変な発明で各カプの攻・受どちからが幼児化
・ドタバタしつつ結局はラブラブな騒動に巻き込まれて振り回されるユユ視点。


 

「し、しまったぁああああッ!」

 ユユが廊下を歩いていると、ふとそんな絶叫がこだました。
 何事かと慌てて声のした方へ駆けると、見えてきたのはかの有名な十二番隊の、しかもその隊長であるジャンアフィスの研究室。
 しっかりと閉まる扉を前にし、ユユは急停止し開けることを迷った。
 迷いに迷い、散々苦悩した挙句、先程の悲鳴を思い出し、意を決し恐る恐る扉をノックした。
 つまりそこが分岐点。ユユは自ら面倒事を出迎えた。
例え、扉が開かれた瞬間逃げ出そうとしてももう遅いというわけだ。

 

 

 

 ジャンアフィスの私室にやってきたユユは、途方に暮れていた。

「なぜ、おれは今ここにいるんだろう……せっかく今日は午後から休暇で、買い物でもして、久しぶりに手間をかけ料理でもしようと、そう思っていただけなのに……」

 か細く震える声に、ありありと込められた後悔。あの扉を叩かなければきっと予定していたものを何の滞りもなくこなし、特になんの盛り上がりもないだろうが平穏な一日を過ごせるはずだった。
 だが、決して予定に組み込まれてはいなかった、予想もしていなかった面倒事に今巻き込まれている。これまでの自身の経験は、力なく今日の休暇はすでに終わったと肩を落としぐずついていた。
 特に、久しぶりの料理を心待ちにしていただけに、その落胆は大きかった。思わずため息をつき俯くと、ふと視界に、美しい金が入る。

「…………」

 小さく口を開けて、ユユを見上げる大きな瞳。ぷにっとした頬が健康的な朱に染まる姿が愛らしく、しかしながらその姿こそ今ユユを悩ませる存在でもあった。

「あ、申し訳ありませんコガネ隊長! そ、その……自分は、あの、一体どうすればいいのか……どうしよう」

 ユユの目の前にいる、コガネに頭を下げつつ、そのまま力なくしゃがみこむ。最後には素の自分をさらけると、不意にぽんと肩に手を置かれた。
 頭を抱えていた手を解き、視線を上げると、そこには僅かに眉を垂らしたコガネがいる。どうやらユユの様子を心配してくれたようだ。

「あ、ありがとうございます、コガネ隊長。ご自分の方が大変だと言うのに、わたしの心配をしてくださるとは! ご安心……はさせられないかもしれませんが、不肖ながらこのユユ、精一杯お世話させて――ぎゃふっ!」
「コガネさん! さっきジャスさんから連絡がきて、大丈夫ですか!?」

 ユユの言葉の途中、突然の乱入者の登場で扉が勢いよく開かれる。扉の前にいたユユは見事に開いたそれに直撃し背中を強打した。だがそんなことにも気づかない乱入者は扉を開く勢いを止めることなく開け放ちユユを前につんのめらせ、倒す。
 幸い目の前にいたコガネをつぶすことなく、そのすぐ脇に倒れた。

「こっ、コガネ、さん……?」
「…………だれだ、おまえは?」

 突っ伏すユユの隣では、そんな戸惑った二つの声が重なった。

 

 

 ユユはコガネの身に起きたことを、ジャンアフィスから聞いたまま、ノックもなしに部屋に飛び込できたヤマトへ説明した。
 ヤマトは嫌そうにするコガネを無理矢理己の膝の上に腰かけさせながら、困惑した様子でユユの話を聞き終えた。

「――つまり、またあのジャスさんの実験の失敗のせいで、巻き込まれたコガネさんが幼児化した、ということなのかな……?」
「はい、そのようです。自分もその時はその場にいなかったので詳細まではわかりかねますが、着いた時にはすでに、コガネ隊長は現在のお姿でした」

 そして今もその幼児化が解けず、すべてが幼い頃に戻ってしまったコガネは、居心地悪そうにヤマトの膝の上で大人しくしていた。
 時折ちらり、ちらりとユユの方を見てくるが、その視線が意図することはわからない。ただずっと困ったように眉を垂らす顔が気になった。

「えーっと……それで、今ジャスさんが治療薬を作っているんだよね」
「はい。それで、その間自分がコガネ隊長のお世話を任されました。あの研究室では危険なため、ジャンアフィス隊長のお部屋をお借りしました」

 効果がいつ解けるのか、それすらジャンアフィスは曖昧なようで、とにかく慌てた様子でユユと幼児化してしまったコガネを部屋から追い出した。薬をなるべくはやく作る、それまでわたしの部屋にいてくれと扉越しに言われたため、こうしてジャンアフィスの部屋へ訪れたのだ。

「ですがヤマト隊長がいらしてくださったのであればもうわたしは必要ありませんね。自分はこれにて失礼させていただきたく思います」
「ま、まって!」

 ヤマトの訪れをこれ幸いにと腰を浮かすユユに、慌てた様子の声がかけられた。
 思わず声の持ち主に振り向くと、幼いコガネがヤマトの膝から飛び降りこちらに駆け寄ってきた。そしてそのまま、ユユの足にしがみつく。

「こ、コガネさん……?」

 今度はヤマトが腰を浮かし、ユユにくっついたままのコガネに手を伸ばした。しかし、触れられまいとコガネはひっついたままくるりと位置を変え逃れてしまう。
 戸惑うヤマトに、幼いコガネが一言。

「こ、こわい……」
「怖いって……おれ、が? おれが怖いんですか、コガネさん……」

 ヤマトの問いに答えず、コガネはユユの影に顔を隠してしまう。
 その姿をみたヤマトは僅かに肩を揺らし俯き、ユユは慌ててコガネに手を添えた。

「な、何をおっしゃっていますかコガネ隊長! ヤマト隊長は、コガネ隊長の……」
「いや、構わない。今のコガネさんにとっておれは名前どころか顔さえ知らないただの他人……怖がってもそりゃしかたない」

 明らかに気落ちする声音に、ユユは慌ててコガネを前に出そうとする。だが、やはりいやいやと離れそうになく、そんなやりとりとヤマトは異様な眼力で見つめていた。

「しかたないつもり、だけど……なぜ君にはそんなに、くっついているんだろうね」
「ひっ……! そ、それは、あのっ、きっと今混乱してるんですよ! 本来ならヤマト隊長に向かうはずが、今は間違えてるだけです、そうですきっとそうです!」

 ヤマトとコガネの関係は、周知のことである。勿論ユユも二人が恋人であることは聞き及んでいたし、何度も実際仲睦まじくささやかな触れ合いをしているところを目撃したこともある。――そして実は、その目撃はヤマトがしくんだことであり、あえて周りに見せつけることで牽制しているとのうわさもある。
 それはコガネが美しいあまりにいいよる者が後を絶たなかった、というかつての話もあろうが何より。ヤマトが恐ろしいまでに嫉妬深いのだ。
 隊長であるが故コガネの周りに人があつまりやすい。その点では堪えているようだが、もし、仕事の用事でもなく、たんなる世間話でもなく、下心を多少なりとも見えるように近づいたその暁には――――。
 ユユはごくりと生唾を飲み込んだ。
 確かにコガネは美しい人だとは思うが、それだけだ。それよりも流れるような剣技に目が行くし、配下にも気配りを忘れない心持に好意は寄せても、よこしまな思いは一切ない。

「こっ、コガネ隊長、ほら、ヤマト隊長ですよ、わたしのことなど気になさらずどうかヤマト隊長のもとへ行ってください」

 お願いですから、ヤマト隊長に目をつけられたらもうこの城での平穏はないですから。
 心の中では懇願するも、コガネはちらりとヤマトを見上げるだけで向かおうとはしなかった。

「ゆ、ゆ……レードゥとヴィルハートはどこだ……? ふたりにあいたい」

 吐息のような声で呼ばれたユユは、同じく名の挙がった二人を思い出した。
 レードゥ、ヴィルハート、コガネの三人は同時期に隊長に就任した同期であり、幼い頃から共に切磋琢磨しあった幼馴染でもある。
 そのふたりならば今のコガネのことを知っているだろうし、この幼いコガネも落ち着くのではないだろうか。
 そう思い立ったユユはそれをヤマトに進言しようと、希望を見出し無意識に明るくなった視線を渡そうと顔を上げると、そこにあった顔に思わず喉が引きつる。

「ひッ! や、やややヤマト隊長、どど、どうかなさったので、すかっ!?」
「――なんでおれの名前は知らないのに、君の名前は知ってるんだ」
「おお、おれのっ、なま、名前ですかっ?」

 目を細めじとっとこちらを見つめ、どす黒いオーラを放つヤマト。あまりに鋭すぎる眼光に怯えながら、ユユは冷や汗を流しながら、どうして彼がそうなってしまったのか必死に考えた。
 名前、というのは先ほどコガネがユユを呼んだからだろうか。

「それは、ですね……何度もお、自分をジャンアフィス隊長が名で呼んでいたので、それを聞いて覚えてくださったのではないでしょう、か……」
「へえ? でもさっきから君はおれの名前を呼んでいるよね? でもコガネさんは、呼んでくれない……なんで……」

 地を這うような低い声に、ユユは勿論、未だユユにひっつくコガネにまでその邪念当てられたように怯えていた。

「や、ヤマト隊長落ち着いてください! コガネ隊長、あの人はヤマト隊長です、ヤマト隊長、さっ呼んでみてください!」
「――――こわ、い」

 どうにかヤマトの名を呼ばし落ち着かせようにも、今の彼を見たらもはや大人でも怖い。コガネの口からそう出るのもうなずける状況だ。
 しかし、うんうんと首を縦に振っている場合ではない。むしろユユはその言葉を聞いて、そしてギギギと首がさび付いたように動かしヤマトの顔を見て、死を覚悟した。
 だがその瞬間、ぽんっと軽快な音がして煙が立つ。
 その煙が晴れた瞬間、そこにいたのは本来の姿である青年のコガネだった。だがその姿を見たユユの解放感はすぐに絶望に変わる。
 なぜかコガネが全裸だったのだ。
 突然のことに反応が遅れたユユは、しっかりとその一糸まとわぬ白い肌を見てしまう。慌てて顔を逸らした頃には、前方にいたヤマトがコガネに飛びついた。

「コガネさん……!」
「っ、ヤマト、か? なぜここに――な、なんだこの格好は!」

 いつも冷静なコガネでさえ、やはり突然の状況には戸惑いを露わにし、ましてや自分の状況に声を荒げた。
 無意識にユユの身体は動き、ジャンアフィスのベッドへ手を伸ばし毛布をひっつかみ、それを後ろを見ないままコガネのいるであろう方向に投げる。
 無事渡ったか不安ではあったが、未だに困惑しつつもこちらに礼を言うコガネの声に安堵し、ようやく振り返ることができた。
 そこにいたコガネは顎まですっぽり毛布で覆い、ヤマトに抱きしめられていた。

「ヤマト、離してくれ。まず状況を教えてほしいのだが」
「コガネさんおれが分かりますか、怖くないですか?」
「は? いったい何を言っているんだ、ヤマト。頭でも打ったか?」
「わかるんですね、よかった……今日はもう手放すつもりはありませんから、そのつもりでお願いします」

 かみ合わない会話をしながら、ヤマトはコガネの髪を撫でた。
 いつもは高く結われているが、今は全裸になったのと同じようにまっすぐに落ちて流れている。きっと普段の日常で今のコガネの髪を見たら感動するであろうが、今はそんな余裕すらない。

「ヤマト隊長、コガネ隊長、どうかお部屋にお戻りください。あとのことは自分がやっておきますので」

 どうにか自分を奮い立たせそう進言すれば、ゆっくりとコガネを抱いたままこちらに顔を向けるヤマト。その表情はコガネに向けているときには収まっていた黒いオーラが再びただよっていて、ユユは身体を震わせる。

「見て、ないよね?」

 何を、とまで言われなくてもすぐに分かった。慌てて首を振り、なななんのことでしょうかっ? と声を裏返しながら答えれば、ヤマトは優しく微笑み、コガネを横抱きにして去っていった。
 ぱたん、と扉が閉められ、ようやくユユは全身から力を抜き床にへたりこんだ。

「た、助かった……コガネ隊長があの瞬間でもどらなければおれはどうなっていたんだろう……」

 考えるだけでも恐ろしい、と言わんばかりに無意識に身体が震えた。
 とにかくだ。コガネは元の姿に戻ったのならそれをジャンアフィスに報告しなければならない。もう治療薬など必要ないのだから。
 未だに脱力したままの身体をどうにか起こし、ジャンアフィスの部屋から出たその時、目の前をとことこと、さきほどのコガネほどの大きさをした幼児が歩いていた。
 とことこ、とことこ……その少年はユユの目の前を通過し、そのままどこか遠くへ向かう。その後ろ姿を眺めて、一拍置いてから慌ててユユは後を追いかけた。
 この城に、そもそも城下町にさえあれほど幼い子供がいるわけがない。幼児はみな国に保護されここではない安全な場所にいるからだ。
 となれば、もしかしなくても、だ。それにあの姿には見覚えがある。追いかけ、少年の方に手をかけた。
 振り返ると、蒼い色の瞳が不思議そうにこちらを見上げた。その顔を見て、やはりとユユはその名を呼んだ。

「アヴィル隊長っ!」
「むっ、おまえ、なんでおれのなまえをしってるんだ」

 少年は顔を訝しめ、怪しい者を見る目つきでユユを見る。さらには、どこか高圧的な幼い顔には到底似合わない言葉が小さな口から紡がれる。
 これは紛れもなくアヴィルだ。ユユは幼い彼の前でがっくりと床に両手両膝をついてうなだれた。

「ど、どうしたんだ……? ぐあい、わるいか。どうにかしてやりたいが、ぼくはいま、じぶんがいるばしょさえ、わからない……ううっ、げんきをだしてくれ」

 恐らく、いいや間違いなく、これはジャンアフィスのしでかした研究の失敗の影響を受けたのだろう。詳しい事情はわからないが、でないと説明がつかない。
 だがそれ以前に自身の現状さえ飲み込めていないはずのアヴィルは、脱力したユユの体調が優れないと思ったらしい、心配しているのか上ずった声がかけられる。
 ゆっくりと顔を挙げれば、ちょうど子供のアヴィルと同じ目線になった。

「とにかく、やすむといい。なんならぼくがつきあってやろう」
「アヴィル隊長……」

 どこかしたったらずな声で懸命に話すアヴィルを見つめ、ユユはようやくその場から立ち上がることができた。

「げんき、でたのか?」
「はい、ご心配おかけしてしまい申し訳ありません」
「あやまらなくてもいいさ。むりはしないほうがいいぞ」

 普段のアヴィルはとてつもなく厳しい人だ。服装、髪の乱れさえ厳重に注意され、仕事中も多少の息抜きすらいい顔をしないし、とてつもなく酷使されぼろぼろになる。幸いユユは彼の配下の隊でないからその影響は多少しか受けないが、同期の悲惨にやつれた姿を見れば彼の下にだけはつきたくないと思ったものだ。しかし、アヴィルは決して周りに嫌われることはなかった。
 厳しいのは国の為。彼は誰よりも国を愛しているからこそ、自ら進んで問題を片付けていくのだ。決して他人任せなどしない。熱意が有り余りすぎているだけで、そのひたむきさは彼を見ていれば誰にも伝わった。そしてなによりだ。

「どうした、はんのうがにぶいぞ。やっぱりまだ、つらいか?」
「いえ、もう本当に大丈夫です」

 出会いの蔑んだような瞳などどこへ行ったか、今は困ったようにおろおろとユユを見上げる姿は、もともと容姿がいいのも相まって、ぎゅっとだきしめ転げまわりたくなるほど愛らしかった。
 そう、時々見せるこの姿が何よりも支持されている理由だった。
 普段はツンと澄ましているのに、たとえば部下の一人が体調が悪かったら。体調管理を怠るな! とげきを飛ばしつつも、辛いなら休んでいろ、と言ったりする。つまりはだ。鞭が多ければ多いほどほんのわずかに与えられる飴が驚くほど甘くなる。普段ぶっすりとした面構えの子が不意に笑えば可愛かった、というものに近い。
 それは幼い頃からすでにアヴィルのなかにあったようで、見事にユユは心臓を打ち抜かれた、そんな気持ちだった。
 不意に訪れた暖かな気持ちに、ユユは人知れず癒されていると、ふと服の端を引かれる。
 視線を落とし随分低いところにあるアヴィルの顔へ目を向ければ、彼とは目は合わず、俯きがちに両膝を摺合せ、もじもじとしていた。
 どうかしたのだろう、と単純にユユが首を傾げれば、僅かに潤んだ瞳と目が合った。

「その……なんだ。げんきになったというなら、わるいが……おしえてもらいたい、ばしょがだな」
「教えてもらいたい場所ですか?」
「――も、もう、げんかい、なんだ……」

 恥ずかしそうにアヴィルが告げたその場所を聞いたユユは、幼い身体を脇に抱え、その目的の場所まで全力で疾走した。

 

 

 

 どうにか間に合い、出口でアヴィルが出てくるのを待っていると、丁度その前にミズキが現れた。
 特に忙しそうな様子はなく、のんびり機嫌よさげな表情で歩くミズキをユユは慌てて呼び止めた。

「あら、ユユ。どうかしたのかしら?」
「お止めしてしまい申し訳ありません。実は、アヴィル隊長のことなのですが……」

 詳しい事情を説明し終えたところで、アヴィルが手をびしょびしょに濡らしたまま出てきた。

「ユユ、わるいがなにかふくものを……」
「あら、それならわたしが貸してあげるわ。はい」

 すっと手拭を手渡したのはミズキだった。新たに登場した人物に多少アヴィルは難しい顔をしながらも、素直にそれを受け取る。
 手を拭き、僅かに乱れたそれを畳み直しミズキに返した。

「ありがとう、たすかった」
「どういたしまして。――ふふ、なんだ、あまり子供のころと変わらないのね」

 それが誰と名が挙がらずとも十分理解したユユは、優しく少年に微笑みかけるミズキに安堵する。
 アヴィルの獣人であるミズキだが、主である彼に特に辛辣にあたることで有名だった。だが、やはり相手はアヴィルであっても幼いアヴィルだということもあるのか、その片鱗さえ見えない。

「おまえはだれだ?」
「わたし? わたしはミズキよ。あなたの獣人の」
「ぼく、の……?」

 アヴィルがミズキを召喚したのはそう遠い昔の話ではない。勿論、今のアヴィルにとっては全く身に覚えのない事だろう。
 現にアヴィルは、困惑したような瞳でミズキを見上げていた。

「ぼくはこんな、きれいなえがおのじゅうじんをもっていないぞ」
「まあ、嬉しい事言ってくれるわね。やっぱり小さなころはあの捻くれ堅物も少しはましだってことね。素直でよろしいわ」

 言葉通り、本当に喜んでいるらしいミズキは、ふわりと笑んだ。普段笑みを絶やさないミズキであるが、それとはまた別格の、優しいもの。
 その喜びからか、ミズキはアヴィルの頭に手を伸ばす。そして撫でようと頭に触れる直前で、聞き覚えのあるあの軽快な音と、そしてどこからともなくのぼった煙がアヴィルの身体を包んだ。
 ユユがしまった、と思い辺りを見回しても、人一人を覆えるほどの布は見当たらない。そうして一人慌てているうちにやがて煙は晴れていき、諦めたユユは両目を覆い顔を背けた。

「っ、ん? ここは……み、ミズキ、どうしてそんな顔を……?」
「ちょっと、そんなことより早くそのお粗末なものしまいなさいよ。いい歳こいてぶらぶらさせていて恥ずかしくないの?」
「お粗末……ぶらぶら、って――う、うぁああああ!?」

 態度が一変し冷たい声音に変わったミズキに、そして悲鳴を上げるアヴィル。ユユはただ小さく身を潜め存在を消すことで精いっぱいだった。

 

 

 

 動揺し混乱するアヴィルを見ないようにしながら、トイレで待機してもらい、ユユが持ってきた服を着てもらった。その後に事情を説明し、なんだかんだと着替えるまで待っていたミズキと共にアヴィルはふらふらしながらも自室へ向っていった。
 多少慌ただしかったものの、どうにかまた一難去り、今度こそ大丈夫だろうとジャンアフィスのもとへ向かう途中、またも遭遇してしまう。

「ぐぬぬっ、なんと愛らしきことだ! おおううレードゥううっ」
「ぐっ、だれだよおまえ! はなせよおっ!」

 廊下の途中で遭ってしまったのは、幼児化してしまい幼い姿となったレードゥと、そしてその姿を目にし暴走したヴィルハートだった。ヴィルハートは嫌がるレードゥを無理矢理抱え上げ、その柔肌に頬ずりしている。
 正直、逃げ出したかった。だが、そうできるわけもなく、ユユは恐る恐る騒ぐ二人へ近づいた。

「ああ、食らいついてしまいたいほど柔らかな頬だのう。ちっと、ちーっとだけ、噛みついてもいいか?」
「ひっ、はなせへんたいぃいいっ!」

 泣き出しそうになりながら懸命に拒絶するレードゥに、涎を垂らしそうな勢いで鼻息さえも荒くし、さらには目を血走らせるヴィルハートは最早変態にしか見えない。
 本気で今のヴィルハートに声をかけたくないと思ったが、もう本格的に泣き出しつつあるレードゥが哀れで堪らなく、意を決し一言かける。

「あ、あの、ヴィルハート隊長……」
「そうだったな、この頃おぬしは煩わしいという理由で髪が短かった。今では同じ煩わしいでも長い。ふふ、なんだか新鮮だ。毛質もまだ柔らかくふわふわしているし、色もなんだか――」

 ユユが名を呼んでも、ヴィルハートはぶつぶつと何かを言っていて聞こえていない様子だ。
 その間にもユユの存在に気づいたらしいレードゥが、大きな瞳に薄ら涙をためて、助けを求めてこちらを見つめていた。

「あの、ですね、ヴィルハート隊長」
「そしてこのぷにぷにの手首。そうだったな、幼いレードゥはどちらかといえば多少ふくよかだったか。ああ懐かしい。あの頃はわしが抱擁を求めたら素直に返してくれて、なおかつ頬に――」

 またもユユの声を無視したヴィルハートは頬を緩ましながら、今にも涙をこぼしそうな幼いレードゥを間近で見つめる。うっとりと自分の世界に入ってしまっているその瞳に、レードゥはまだしも、ユユが映らないのも当然だ。
 どうにかしないと、と本気で嫌がるそぶりを見せる幼いレードゥにユユが必死で考え、もうあれしかないと思い切って唯一思い浮かんだその案を口にした。

「れ、レードゥ隊長の全裸を見れる方法があるんですが!」
「なんだと!?」

 それまでユユの方を見向きもしなかったヴィルハートが、ぐりんを首を周り振り返る。その勢いに気圧されながら、ユユはようやく自分に意識が向いたことにほっと胸を撫で下ろし、まずレードゥが幼児化している理由から説明をした。
 すべてを聞き得たヴィルハートは、最後にようやく全裸になるにあたる件を聞き、再び暴走し出す。

「なんだと、ならば早うどこかに身を移さねば! こやつの裸を晒しなどさせるものか。うむ、わしの部屋がよいな、行くぞレードゥ!」
「うわあああん! いい加減離してくれよおっ!」

 結局最後までヴィルハートはレードゥを抱いたまま、ユユへの別れも程々に風のようにその場から走り去ってしまった。
 幼いレードゥの悲痛な叫び声が遠ざかっていく。本当にあのままヴィルハートに少年を預けてよかったものかと悩んだが、ふいに少年の高い声音の悲鳴が、本来のレードゥのものに変わった。
 すでに大分離れた場所で聞こえてくるが、レードゥはもうもとの姿に戻ったのだろう。
 ならば自力でどうにかできるだろうと安堵し、今度こそジャンアフィスの研究室へと向かう。
 歩いているうちにふと、とある言葉を思い出す。
 『二度あることは三度ある』――というが、まさかもうないよな。
 そう辺りをうかがいつつ足を進めれば、角を曲がったその時、ユユの腹に何かがぶつかった。

「ぐふっ!」
「ひゃっ」

 ぶつかってきた塊もユユの身体に跳ね返り、悲鳴を上げながら倒れそうになる。慌ててユユが手を伸ばし支え事なきを得たが、その姿を見て無意識のうちにがっくりと肩を落とした。
 胸の内を知られぬよう隠すように曖昧な笑顔を浮かべ、小さな身体のネルの目線に合うようしゃがみこむ。

「大丈夫ですか、ネル隊長」
「う、うん……」

 ネルは戸惑ったように、小さく頷いた。
 本来の姿もまだ成長途中にあるようなネルは、幼い姿になったと言えどもそう容姿に変化はない。髪が腰ほどあるぐらいで、あとはそのまま縮小したような感じだ。それにもともと男らしい骨太な線はなかったからか、やはりぱっと見そう違和感がない。しかし、纏う雰囲気、印象が大きく異なった。
 本来なら底抜けに明るく、飄々と掴みどころがないネルだが、今の幼少のネルは、どこかおどおどとし、容姿はそのままに近いのにどこか結びつかない。

「あの、ネル隊長……?」
「――ネルって、わたしのこと……?」
「ええ、そうですよ」

 戸惑うその声音に、ユユもまた困惑してしまう。

「わたし、ネルちがうよ? わたし、わたしは――」

 わたしは、ともう一度呟いたところでネルは口を閉ざした。そして僅かに俯き、顔が隠れてしまう。
 どうしたのだろうとユユが顔を覗き込むと、大きな瞳がしっとりと濡れていた。

「えっ、あっ……」
「し、んじ……しんじ、どこ? ぱぱは? ままは? さとし、は、みんなは、どこ……?」

 みんなどこいったの、とネルは泣き出してしまった。
 突然のことに、ユユはどうしていいかわからず、涙を見せるネルの肩のあたりで手を彷徨わせ眉を垂らす。

「あ、あの、泣かないでください。いったいどうなさったのですか?」
「しんじ、がっ……いな、いのっ」

 嗚咽に途切れる声で懸命にネルは訴えた。しんじがいない、と。
 しんじとは、今この城に招かれた客人であるあの真司なのだろうか。
 それならばネルを名前の出た真司に会わせるべきか、それとも主である王のもとへ連れて行くべきか。
 ぐずるネルはいつの間にか、小さな手で力いっぱいにユユの服の端を掴んでいた。

「…………」

 悩んだユユは行き先を決めると、幼いネルの手を取りゆっくりと歩幅を合わせ歩き出した。

 

 

 

 たどり着いた先は王の私室だった。警備兵に軽く事情を話し、証拠である幼くなったネルを見せればすぐに納得してもらえ、王に取り次いでもらうことができた。
 部屋から出てきた王は、泣きじゃくるネルを見るなり、ユユも一緒に二人を中へ招き入れた。
 初めて入る王の私室におののきながらも足を踏み入れると、一兵士であるだけのユユを王は歓迎してくれた。理由は勿論、今もしっかり腰にしがみついているネルであろうことは理解していたが、だがやはり崇敬する王に目を向けられただけでもユユにとっては息が止まるかと思うほど胸が躍った。
 言葉をつっかえながらも、どうにかネルの現状を説明したユユは、話し終えた頃にはもう緊張のあまり目が回りそうになる。

「なるほど、ジャスのせいというわけか。迷惑をかけたな」
「い、いえッ! むしろ自分に任せていただき光栄でした!」

 思わずユユが声を張ると、傍らのネルがびくりと肩を震わした。
 その姿を見て、ユユはしまった、と内心で膨らんでいた興奮が僅かにしぼみ反省する。

「あ、の……それではネル隊長をお送りできたので、自分は失礼いたします」
「……待ってくれ」

 一礼し、そのまま踵替えし部屋を出て行こうとしたところで王に呼び止められた。また、ネルも服の端を掴んだままだったらしく、こちらを無言で見上げ何かを訴えていた。
 何か自分に用があるのか、と思いつつユユが王の言葉を待っていると、シュヴァルは気まずげに頬を人差し指で軽く掻いた。

「その、だな。わたしは子供の面倒など見たことがない。ネルが本来の姿に戻るまで、おまえには悪いが傍にいてほしい」
「じっ、自分もあまり詳しくはありませんが……できる限りのことはいたしましょう」
「ああ、助かる」

 どこか安堵したような、少しだけ本来の、王でなくシュヴァルの顔を見たユユの気分はまたも大きく浮上する。
 嬉しさのあまり緩みそうになる頬を引き締めていると、くい、と服を引かれた。
 見ると涙を止めながらも目元を赤くしたネルがユユの服を引いたまま、王を見つめていた。

「あのひと、だれ……?」
「あのお方は王でございます。ネル隊長の主ですよ」
「おう? あるじ?」
「えっと……」
「よい、ユユ。――やあ、おれの名はシュヴァル。シュヴァルだ、呼んでみろ」

 ユユが言葉を選んでいると、それを王が制した。
 王は一歩踏み出すと、ネルの前で跪き目線の高さを合わせる。だがネルは顔をこわばらせると、さっとユユの影に隠れてしまう。
 しかし王は気に留める様子はなく、幼きネルに微笑んだ。
 王ではなく、シュヴァルとして。

「シュヴァル……?」
「ああそうだ」

 優しい顔のままシュヴァルが頷くと、ネルはおずおずと前に出てユユから手を離し、彼と向き合う。

「あの、ね……シュヴァル。わたしの、名前はね――」

 名を教えてもらったお返しにとネルが己の名を告げようとしたその時だった。
 ぽんっとあの軽快音が鳴り、小さな身体はどこからともなく上がった煙に包まれた。

「ま、まずい!」

 ユユが慌てて辺りを見回すと、王の寝台が目に入った。失礼します、と王の許可なく寝台に近寄りそこからシーツを剥がし、そのまま未だ煙に包まれるネルめがけて放り投げた。
 ばさっと音を立てて煙ごとネルがシーツに上から抑えられると、そう間も空けず聞きなれた間延びする声がした。

「なんだあ? 真っ暗でえ」

 しかもおれ裸じゃねえか! とシーツの中でごそごそと動くネルは、しばらくして顔だけ覗かせた。

「おう、シュヴァルかあ? おまえ、おれが寝てる間になんかやらしーことしたのかあよう?」
「ばっ、そんなわけなかろう! いいから、まだそれを脱ぐなよ」

 状況を飲み込めてないであろうネルは、けれどけらけら王をからかい笑った。そんなネルに王は僅かに頬を赤らめ、咳払いをひとつする。
 ちらりとユユに青い瞳を向ける。

「それでは自分は、失礼させていただきます」
「んーユユでねえかあ。よくわかんねえけどよう、じゃあなあ!」

 シーツから今度は白く細い素肌だけの手を出し、ネルは笑顔を見せひらひら振った。
 それに一礼し、改めて苦笑して見せる王に頭を下げ、それからユユはようやく王の私室から抜け出した。

 

 

 

 王の目に留まっただけでも興奮するユユは、ジャンアフィスの失敗に巻き込まれてよかったと今日初めて思うことができた。

「あとは、もう誰も幼児化なんてしてないといいんだけどな……」

 一人廊下を歩くユユの呟きは誰の耳にも届かない。だからこそ、ぼそりと言えるわけではあるが。
 それにしても、先程のネルにはいささか疑問が残っていた。
 そもそも獣人はこの世界に召喚された時の姿のまま、生涯それ以上老いることはない。つまり召喚されたその日が彼らにとって生まれた日であり、記憶が刻まれだす瞬間である。
 しかし、ならなぜネルはまるで幼い頃があったかのような記憶を持っていたのだろう。本来ならば、考えられるとして召喚された初日に記憶が戻るとかするのではないのか。
 ジャンアフィスの研究室へ向かいながら頭を捻らせてみるが、よくはわからなかった。
 ネル以外の獣人の幼児化が見ることができれば少しはその疑問も解されるかもしれないが――そこまで考え、ユユは慌てて首を振った。もう面倒事はこりごりだ。しかも今まで隊長位ばかりがその被害に遭っている。いくら幼い姿になってしまっているとはいえ、どうも萎縮してしまう。
 もう本当に、何事もなく無事研究室へたどり着けますように、と内心で強く祈る。本当に強く念じていたためそれに意識が集中し、だから目の前に小さな人影が現れてもユユは気づくことができなかった。

「おい、ユユ」
「もう本当にご勘弁してください。神よ、せめて残りの時間はゆっくり過ごさせてください」
「ユユ?」
「子供は愛らしいとは思いますがおれの手には負えませ――」
「ユユ!」
「ひゃい!?」

 名を呼ばれたユユは声を裏返しながら無意識に応えた。
 慌てて辺りを見回すが、誰の姿もない。見間違いだったのだろうか、と小首を傾げると、服の裾がひかれる。
 目線を落としてみるとそこには、ひとりの少年がこちらを見上げ立っていた。

「…………」
「おいユユ、おれだ、ジィグンだよ。九番隊副隊長の」

 ちょこんと足元に立っていたのは、短く刈られた髪をがしがしと掻く幼い姿をしたジィグンだった。
 いつもの無精ひげもなく、顔に刻まれた皺の一本もない。これまであった中で一番本来の年齢の差が大きいからか一目見てすぐにはわからなかったが、よくよく見てみると目元がジィグンそのものだった。
 子供には似つかわしくない落ち着いた色があり、またユユの名を呼んだということは、恐らく記憶が残っているのだろう。
 まだ幼児化した人物と出会ってしまったユユは思わず思考がとまる。

「なんでだか気付いたらこんな姿になってたんだ。ったく、小さくて不便な身体だ」
「あー……それは、ですね」
「なんだ、おまえ何か知ってるのか?」

 いつもの少ししゃがれた声が、今は変声期を迎えていない少年のものということで澄んでおり、しかし話し方はそのままジィグンだ。多少戸惑いながらも、ユユは自分が知る限りの情報をジィグンへ提供する。

「まったく、またか……まあ、時間が経てば戻るんだよな?」
「はい、これまでジィグン副隊長と同じ症状の隊長方は、時間は不揃いながらも一刻経たないうちに戻っていました」
「とんでもねえ失敗だな、今回も。部屋で大人しくしてんのが一番ってことか」

 ため息混じりで頷いたジィグンは、体格に大きな差があるユユを改めて見上げた。

「悪いがユユ、念のためおれについてきてくれねえか? この姿じゃできることも限られるからな」

 ジィグンの言葉にユユはすぐに頷き返事をする。だが内心ではほんの少し、これまできた道を戻る恐怖心と、何かが起こるのではないか、という予感があった。
 ユユの悪い予感もどうやら杞憂に終わりそうだ。
 特に誰とすれ違うわけでもなく、何か問題が発生するでもなく、無事部屋の前までたどり着いた。

「付き合ってもらって悪かったな、ユユ。もう大丈夫だ」

 もう大丈夫だとジィグンが言い、それにユユが返事をし、あとは失礼しますと言ってこの場を離れればいいだけだった。それさえ済めば終わりだったのだ。
 だが、最後の最後でその人物は現れた。
 先に気づいたジィグンが顔をしかめ声を上げた。

「げっ」
「あ?」

 ジィグンの声に返ってきたのは、相変わらず声だけだと言うのに威圧があるあの人物のものだ。その、聞こえた一文字だけで十分、顔を見ずとも誰がそこにいるのかわかった。
 恐る恐るユユが振り向くと、そこにはやはりあのハヤテがいた。相変わらずの目力に気圧されるも、彼が見ているのはユユではない。

「――おいそこの餓鬼、てめえくそおやじか」
「……たっく、なんでこんな時に現れるんだかな」

 ハヤテの言葉にジィグンは頷くわけでなく、しかし否定もしないまま溜息をついた。その姿と言葉にハヤテも確信したのだろう、珍しく意地わるげに口元を歪ます。
 本来の目つきの悪さも重なり、凶悪な面になるハヤテにユユは怯えるも、ジィグンは見慣れているのか、顔色を変えることさえなかった。しかし次のハヤテの発言に、その表情は一変する。

「はっ、なんで餓鬼なんぞになってるかは知らねえが、大して変わらねえじゃねえか。小せえままだな」
「な、なんだと!? よくその腐った目ん玉かっぽじって見やがれ、全然違うだろう、全然!」

 確かに大人の姿のおれがそうでかいとはいはない、だが子供の頃と比べれば話は別だ、そうジィグンは声を荒げると、つかつかとユユの隣を横切りハヤテに歩み寄った。

「これでてめえの悪い目ぇでもよく見えるだろ!」
「どう目を凝らしても、変わらねえな。おい話すならせめて背伸びでもしやがれ。視界に入らない」
「なっ――!」

 ジィグンは顔を真っ赤にしてハヤテに掴みかかろうとするも、首もとまで届かず小さな手は空を切る。
 それにハヤテか再び鼻で笑ったものだから、さらに少年の顔は険しくなった。

「おまえな、自分が馬鹿みたいにでかいからって調子にのってるといつか痛い目みるぞ!」
「いつか、な」

 あくまで小馬鹿にした態度のままのハヤテに、幼い顔に似合わない苛立ちを露わにするジィグンに、ユユはようやく顔を青くしながらも口を開いた。

「あ、あの、お二人とも、落ち着いてください。人が、集まりますから……」

 主に声を荒げるのはジィグンだけだが、それでも隊長の部屋があるこの場で騒ぎが起きるのは決して見過ごすことはできない。
 それにジャンアフィスから、なるべく騒ぎを大きくしないよう懇願されていたこともあり、震える声をどうにか絞り出す。
 しかしハヤテもジィグンも小さなユユの願いなど聞こえもせず、人目もはばからない声音で互いに噛みつき合う。

「ど、どうしよう」

 ユユの独り言もふたりの 耳には届かず。二人を止めることができるほどの声を出す勇気も、納得させる言葉も思いつかない。
 困り果て端でただただ呆然と、怒る少年と珍しく上機嫌に笑う青年を見つめ悩んでいたその時、本日何度目かになるあの音が響いた。その瞬間にそれまで怒鳴り声をあげていたジィグンが煙に包まれる。

「わっ、なんだなんだ!?」

 煙の中からジィグンの悲鳴があがる。
 その傍らのハヤテは片眉をあげ、ジィグンのいるであろう場所を見つめるが動きはしなかった。だが、ユユは大いに慌てた。
 人一人を隠せるほどの布を探し、右に左に視線を彷徨わせるが見えるのは廊下やら扉やら、布自体が見当たらない。冷静になればそれもそうだろう、なにせ廊下だと思い、すぐ傍にあるジィグンか、もしくはジャンアフィスの部屋に行けば身を覆うものなどいくらでもみつかるだろう。
 しかし動揺からかユユの考えは浅く、戸惑うばかりしかできない。そんな間にもジィグンにかかる煙は晴れ、先程の少年の姿はなくかわりに本来のジィグンがいた。むろんその姿はこれまで同様、全裸だ。

「あーなんだ、戻った、の、か……」

 始めは自分の手を見つめ握ったりもし感触を確かめていると、次第に状況を理解したのか発した言葉は尻すぼみに、歯切れ悪く途切れる。
 次の瞬間上がった悲鳴に、ユユはただどうすることもできず顔を隠し逸らすだけだった。

「なっ、なんだこりゃ!? 服はどこにいった!?」
「…………」

 目を塞いだユユには今ジィグンがどんな体制をしているか、表情をしているか、そんなものは何一つわからない。だがなんとなく予想ができ、またハヤテの沈黙に、どうするべきなのか空回りする頭で精いっぱい考える。
 しかし、答えが出るまえにまたジィグンの悲鳴が聞こえた。

「わ、わわっ! ばっ、離せ! どこつれてく気だっ」
「んな恰好するてめえが悪いんだろう」
「す、好きでなってるわけじゃねえ!」

 ぎゃいぎゃいとした二人の言い合いは、ばたんと扉が閉められた音と同時に小さくなる。
 ユユがそっと辺りを見回すと二人の姿はなく、代わりに荒々しい音が八番隊隊長に与えられた部屋から聞こえていた。

「……おれには何も聞こえない、おれには何も聞こえない」

 ユユは念仏のようにその言葉をつぶやき聞こえてくる声たちをかき消し、とにかくもう誰にも会わないうちにジャンアフィスのもとへ行こうと踏み出したそのときだ。

「おい、ユユ」
「――あ、ヌーズ先輩」

 ユユを呼び止めたのは同じ三番隊所属のヌーズだった。どうやら彼は本日の三の部屋、つまりは三番隊隊長に与えられる部屋であり、今は真司たちが使用している部屋当番だったらしい。その扉の脇に立ちながら、こちらに手招きしていた。
 どうやら彼もジィグンとの一部始終を見ていたらしく、苦笑いを浮かべている。

「どうかなさいましたか?」
「ああ、それなんだがな――」

 さっそく本題に入ったヌーズの口から聞かされた言葉に、ユユは頭でそれを要約し、繰り返す。

「つまり、少しの間先輩の代わりにここにいろというわけですか?」
「ああ、すまないが頼む。ほら、さっきハヤテ隊長いたろう? アロゥ隊長から見かけたら即報告するよう頼まれてたんだ。すぐ戻ってくるからその間頼む」
「わかりました。なら先輩はアロゥ隊長のもとへ行ってください」

 ヌーズはもう一度すまないな、と言い残し、足早にこの場を去った。
 彼の代わりに扉脇に立ちながら、ユユはぼうっと目の前の壁を眺める。
 本来ならさっさとジャンアフィスのもとへ向かっておきたかったところだが、移動しないのなら特に誰かに会うわけもないだろう。きっともう、なにも起こらないはずだ。というよりも起こらないでほしい。

 

 

 

 疲れが出たのか、無意識に出そうになる溜息をどうにか飲み込んでいると、不意に背後の扉が小さく軋んだ音を立て薄く開いた。
 ユユが振り返ると、そこには扉の隙間からちょこっと顔を出した少年が、じっと見つめていた。

「…………」

 お互い無言で見つめ合う。それからしばらくしてようやく、ユユが口を開いた。

「も、しや……真司さまでございますか?」
「真司は、ぼくだけど……えっと、だれ?」

 こてんと小首を傾げる真司に、ユユは内心で頭を抱えた。
 とりあえず部屋に入り、ユユは改めて幼い姿になった真司と向き合う。

「ねえ、ここどこ?」
「ここはお城です」
「おしろ!? なんでぼくおしろにいるの?」
「え、それはですね……」

 さっそく言葉を詰まらせたユユを気に掛ける様子もなく、真司はきょろきょろと周りを見回した。

「お父さんとお母さんは?」
「――真司さまには父上さまと母上さまがいらっしゃるのですか?」
「……ユユにはいないの?」

 ユユも純粋な疑問だったが、真司のそれもまた同じものだった。
 この世界ディザイアでは、女性は数が少ないため必然的に保護されている。城となれば女性と子供たちだけを安全な場所で生活をさせるが、村などでは男も女も待遇の差はあれども同じ区間で暮らしているのだ。そして生まれた子らはみなまとめて育てられるという。
 だから親子という絆は、そう滅多に存在しない。あったとして父と子だけのもので、さらには辺境の、よほど人数の少ない村くらいだろう。
 だが城に手厚いもてなしを受ける真司が辺境の村の出とは考えにくい。
 ましてや彼は、父だけでなく母の名まで出した。

「真司さまには、親がいらっしゃるのですか?」
「兄ちゃんもいるよ」
「そうなのですか。みな、お優しいですか?」

 父親、母親に続き聞くことなど滅多にない兄弟のことまで持ち出す真司に深くは考えず、ユユは問うた。すると幼い顔にはぱっと笑顔が咲く。

「うん! おとうさんもおかあさんもやさしいよ! にいちゃんも、みんなだいすき!」
「そうですか、それはようございます。皆さまも真司さまが大好きでいらっしゃるのですね」

 ユユが思わず感化され優しく笑むと、真司のものもさらに深まる。だがそれはすぐに、色を変えた。

「……みんなどこにいっちゃったんだろう。ねえユユ、おとうさんたちもここにいる?」
「こちらにはいらっしゃいません」

 真実を告げれば、真司の顔は曇る。
 親、家族というものを知らないユユには、少年がなぜそう不安げな顔をするのか理解できず、何か言ってはならないことを伝えてしまったのかと慌てた。

「あの、ですね……」

 なんて言ったらいいのかわからないユユは膝を折り、真司の背丈に目線を合わせる。だが視線を合わせることはできず彷徨わせていると、不意に真司がその脇をすり抜けた。

「あっ」

 そのまま扉の外へ向かおうとした真司は扉を押し開ける。
 ――だが、押す力が思いのほか強かったようで、扉はすっと開き、ノブを離すタイミングがそれてしまった真司はそのまま前に倒れてしまった。
 ユユが慌てて駆け寄ってももう遅く、鼻を赤くした真司の目には一杯の涙が堪っていた。そして声をかける暇もなく、大きく口を開き息を吸い込み。怪獣のような、泣き声を上げた。
 小さいその身体のどこからそんな声が出るのか。間近で聞いてしまったユユは慌てて耳を押さえるも、真司は泣きやむ様子を一切見せない。
 そろりと手を離し、真司をあやそうとしたその時。不意に、その幼い身体が持ち上げられた。

「えっ、ぅ、ううっ……」
「痛むか?」

 抱き上げられた真司はろくに相手の顔を見上げることもせず、ただその胸に顔を押し付け泣き声を殺す。
 腕に収まる真司の小さな背を撫でながら、その人物はもう一度声をかける。

「大丈夫だ。痛みは時期ひいていく。ゆっくり息を吸ってみろ」

 嗚咽に呼吸が乱れる少年に、ユユのように慌てた様子もなく冷静に指示をした。
 真司はその時初めて自分を抱く人物の顔を見て、また俯くが、その言葉の通りに行動をする。
 それを何度か繰り返すうちに落ち着いたようで、真司は最後にすんと鼻を鳴らした。

「もう痛くはないか?」
「うん」

 まだ目じりに残る涙を、真司を片腕で抱き直し、親指で拭う。するとようやく、真司は小さな笑みを浮かべる。
 その姿を確認し、ようやく安心できたユユは状況を変えてくれた、岳人に頭を下げた。

「ありがとうございます、岳里さま。助かりました」
「――別に。それより、どうしてこいつがこんな姿になっているのか簡易的で構わないから説明しろ」
「はい。実は、ジャンアフィス隊長がですね――」

 話を聞き終えた岳人は何を言うわけでもなく、ただ深い溜息をついた。だがそれだけで、ジャンアフィスに抱いた思いの片鱗は見え、ユユはただ曖昧に笑うしかできない。

「ねえ、なまえなんていうの?」
「……おれか?」
「うん。ぼくはしんじ」

 未だ腕に抱かれる真司は、落ち着きを取り戻し、どこか楽しげに岳人を見つめた。その視線から逃れるように僅かに岳人は顔を逸らしながらも、その問いに答える。

「岳里、岳人」
「がくと? わー、ガオレンジャーのブラックとおなじなまえだ! かっこいい!」
「そうか」
「うん! おにいちゃんににあってる!」

 真司の口から出た言葉はユユには全くわからなかったが、岳人を見れば彼にはきちんと伝わっているのであろうことがわかった。
 これまで滅多に顔を動かしたことのないあの岳人が、僅かに頬を緩めていたからだ。
 ユユにとっては初めて見る岳人の柔らかな表情に、嬉しそうに笑う真司に、つられてユユの口元もほころぶ。
だが、のどかな雰囲気はそう長くは続かなかった。
 またあのぽんっと軽い音が響き、岳人の腕に収まる真司の身体が煙に包まれる。
 岳人は慌てはしなかったが、その分ユユが飛び上がるほどの反応を見せた。

「あっ、やっ……すみません!」

 言いたいことがうまく口から出ず、最終的にユユは行動に出た。
 岳人の後ろにまわり、開いたままになっていた扉から部屋にぐっと身体を押し込める。抵抗しなかったが岳人はむしろ自ら進んで部屋に入り、ユユは完全に岳人の身体が中に入ったことを確認してから扉を閉めた。
 ばんっと音がする勢いで確実に閉まったことを確認し、扉を背にし荒い息を吐く。ちょうどその時、視線の先からヌーズが片手をあげてこちらにむかっていた。

「おーユユ、悪かったな。もうだいじょ――」
「すみませんそれでは失礼します!」

 先輩であるヌーズの言葉を遮ったユユは勢いよく頭を下げると、そのまま彼の脇を走り抜けた。
 直後聞こえる真司の悲鳴は聞こえないふりをし、もう限界だ、と内心で叫びながらジャンアフィスの研究室まで走り抜ける。
 ――その後無事に、幼児化した人間に出会うことなく研究室にたどり着いたユユはジャンアフィスから症状の詳細を教えられた。
 なんでも幼児化は空気感染するらしく、ひとりが治るとまた別のひとりが幼児化する症状にかかるものだったらしい。
 それに対する薬があと少しで完成する、と教えられたユユは、ようやく一息つくことができた。
 だが彼が安心するのは早かった。
 ジャンアフィスの薬の完成は、被害者たちの、主に心通わせた相手たちに報いを受けるために遅れるのだ。
 そしてのちに最後の感染者となり、もっとも長く幼児化する羽目になるのが自分であり、さらには集まった隊長位の人間たちに存分に可愛がられることになるとを、今安堵に胸を撫で下ろすユユはまだ知らないのである。

 おしまい

だから、笑って main ネルの一日


 
今回は公開されているカプ六組で書かせていただきました
それぞれ楽しんでいただけたでしょうか?

735さま、今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします^^

2012/12/17