だから、笑って


三周年記念企画にて、高松さまのリクエスト
【Desire】
・岳里視点
・乱暴を受け気を失っている真司の身体の世話しながら、岳里が考えていたこと
――とのことで、今回は頂いたお題通りの内容になりますので、少し暗いお話です。苦手な方はご注意ください。


 

 おれがその場に顔を出すと、すでに準備を済ませていたらしいセイミアが出迎えた。

「話はヴィルハートさんからの使いから窺っています。どうぞ、こちらへ」

 そう案内されたのはセイミア個人に与えられた医療室だった。簡易ベッドが二つ並んだ奥側に、示されるがままあいつを横たえさせる。うつぶせにそっと、刺激を与えないようにしたつもりだが、それでも微かな動きでさえ鋭い痛みを走らせる今、あまり効果は出ず。意識のないはずのあいつは顔を苦痛に歪ませ、さらに小さく声を漏らす。
 それにめまいがしそうなほどの激情がおれを襲うが、拳を握り正気を保った。

「すみません岳里さん、少し離れていてください。今から真司さんに治癒術を施します。――いきますよ、ルゥニィラ」
「はい、セイミア隊長」

 セイミアの後ろにそれまで付き従っていた七番隊副隊長であるルゥニィラという名の男が、動いた。
 ふたりはあいつを両脇から挟む位置に立ち、お互い横たわるあいつの身体の上に手をかざした。
 ほぼ同時に、二人の掌から光が零れる。治癒術の発動だ。
 手から溢れる光は柔らかくも強く輝き、あいつの全身を照らす。
 目を薄めつつもその様子を見守っていれば、あいつの身体に刻まれた傷が、徐々にふさがっていく。
 手足の首にすりついた戒めの痕や、殴られた頬、強く拳を握ったせいでできた掌の爪痕。それらが固まった血は残しつつも、消えていく。
 だが一向にあいつの顔から苦痛の色が取り除かれることはなかった。
 次第に光は収束し、完全に途絶えるとセイミアと副隊長は手を下す。
 セイミアはすぐさま次の準備に取り掛かった。

「ルゥニィラ、頼んでおいたお湯をもらってきてください。ニヤリガとトルナにそれぞれ頼んだ服と布も、あなたがここへ運んでください。それと、この部屋には隊長とあなた以外入ってはならないと、もう一度隊員たちに確認を」
「かしこまりました」

 副隊長はすぐさま部屋を後にし、おれとセイミア、そしてあいつだけが残される。

「すべての、傷は癒せたのか」
「――いいえ、すべてではありません。打撲、擦傷等、ほぼ全身にわたしとルゥニィラで治癒術を施させていただいたので、おおむね傷は癒えたことでしょう。しかし……臀部の傷は、わたしどもではどうすることもできません」

 すみません、と消え入りそうな声で謝り、セイミアは僅かに顔を俯かせる。右耳にかかる長い髪が一房落ち、それがなおさら、今セイミアに浮かぶ表情を暗く見せた。

「そもそも治癒術を施した際に、治癒術を受けた箇所は一時的に皮膚や筋肉が多少硬直します。なので手首などに術をかけられたとしても、心臓や……排泄する器官である箇所等はかけることができないのです。真司さんの、傷は……むごい、状態ではありますが、薬を用いた自然治癒に頼るしかありません」

 僅かながらに震える声音は、己を責めるからなのか。横目で一度見たセイミアの瞳は、あいつの惨状による憐れみと、己の不甲斐なさへの憤りが入り混じっているように思えた。
 必然的な静寂が部屋に訪れるも、すぐにそれはノックの音に終わりを告げる。

「セイミア隊長、ルゥニィラです。頼まれたものを用意いたしました」
「はい、今開けます」

 セイミアは一度あいつの顔に目を向けてから、踵替えし扉へ向かう。すぐには戻ってこず、何か副隊長と言葉を交わしていた。
 未だ覚めないあいつに目を向ける。口の端から垂れる血が見え、思わず手を伸ばすが、己の手の穢れを思い出し触れる前に指先を丸めて拳を握った。
 そこへセイミアが、両手で抱えるほどの湯の入った桶を持ってきた。一度それを机に置き、また扉の方へ戻り今度は大量の布と、あいつとおれの替えの服を持ちやってくる。だがさらにもう一度もどり、今度は片腕で作れる輪ほどの大きさの、湯の入った桶を持ってきた。

「真司さんのことはわたしがしていますから、岳里さんも汚れを落としてください。……そのお姿では、いつ真司さんが目覚めたとしても驚いてしまわれるでしょうから」

 そう言って、小さい方の桶を示し、その後に布を何枚かをおれに手渡す。
 もう一度目を閉ざすあいつの顔を見てから、おれは自分の手を映し、セイミアの言葉通りに行動した。
 ぬるま湯で拳についた血を洗い流し、布をそこに浸し絞り、顔についた返り血を拭う。
 一通り全身を力強くこするように拭いてから、用意された上の服だけを羽織った。それからすぐに振り返り、あいつの右手を持ち上げ手首辺りを濡れた布で拭うセイミアへ声をかける。

「あとはおれがやる」
「――はい、お任せします。わたしは真司さんの部屋の準備等ありますので、少しの間この場を離れさせていただきます。部屋の外の扉にはルゥニィラをつけてありますので、何かありましたら彼におっしゃってください」
「わかった」

 それでは失礼します、とセイミアはおれにそれまで手にしていた布を手渡し、部屋を去る。
 渡された布に目を向ければ、あいつの血が湿り気にぼかされそこに存在していた。
 一度桶に溜まる湯に揉み出すと、血が溶けていく。あいつの血が、姿を隠す。けれど落ち切れない血は布に残っていた。
 それを絞り、あいつを見る。すでにセイミアがほとんど拭ったらしく、今見える範囲では口元意外に赤は見れない。
 そこへ手を伸ばし血を拭い、おれは視線を下げる。
 まだ、セイミアも処理していないであろう場所。
 新しい布を用意してから、そこをなるべく刺激しないよう、慎重に行動した。
 どれほどの恐怖が、あったのだろうか。
 どれほどの痛みがあったのだろうか。
 決して問うことのできない言葉を胸の奥底に仕舞うも、何度も浮き上がってこようとする。それを押しこめているうちに今度は別の言葉が悔やんでいた。
 なぜおれはあいつから目を離してしまったのか。
 なぜ見つけ出すことができなかったのか。
 なぜ己の力を過信してしまったのか。
 ――守ることができなかった。一瞬の油断で、傷つけてしまった。その身も、心も。
 今は気を失い、目覚める気配はない。だがいずれは目を覚ますだろう。その時あいつは果たして、どうなっているのか。
 壊れてしまわないか、恐ろしい。
 きっと、吹けば倒れてしまうほど不安定になるであろうあいつを、おれは支えることができるのか。守り抜けなかったこのおれが、傍にいていいのだろうか。
 さまざまな疑問に、言いしれぬ不安に、消えぬ後悔に。
 目の前の惨状に、目覚めぬあいつに。
 おれは何もしてやれない。
 用意された服に着替えさせ、あまり傷に触らぬよう体制を整えてやり、その上に薄い毛布をかける。
 目覚めは恐ろしいが、それ以上にもう目覚めないことの方が恐ろしかった。
 まだ目覚めない。血の気を失い、怯えた表情のまま、浅めの息を繰り返している。
 気づけば、拭ったはずの涙が目じりから新たに流れていた。

「――真司」

 小さな声で、あいつの名を呼ぶ。当然返ってくるものは何もない。今は死んだように眠るだけ。

「真司」

 真司、しんじ。
 うつ伏せに横たわるあいつの顔の傍に置いたその右手を、そっと手に取る。冷え切った指先すら、普段のあいつの姿を見せてはくれない。

「真司」

 冷たいあいつの手を握る力を強めるも、返事はない。温もりも戻らない。そっと、両手であいつの手を包む。

「もう決して、おまえから目を離しはしない。二度とおまえにこんな、こんな苦しみも恐怖も与えはしない。守って見せる、おれのすべてを懸けて」

 だから、だからまた――

「――真司」

 返事はない。
 ただ静寂だけが、おれの誓いを見守っていた。

 おしまい

デキてる二人? main ちびパラ!


    

実はこの場面は、本編で組み込もうか悩んだシーンでもあります(笑)
この場で書く機会を与えてくださり、ありがとうございました!
タイトルですが、あれは今作中に含まれる、最後のページの岳里の言葉の続きになります。
『だから、だからまた――』で、途切れた場所ですね。

高松さま、今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします

2012/12/09