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「……実は、外出は中止しようかと考えているんです」
「お二人とも楽しみにしていらっしゃったのでは?」
「そうなんですけどね。でも最近、フェリクスの調子がよくないみたいなんです。だから取りやめてしっかりと休ませたほうがいいかと思って」

 少し前から、フェリクスの疲労が日に日に濃くなっていることが気がかりだった。
 本人はうまく隠しているつもりで、実際のところ周囲に気取られている様子もない。だがフェリクスを幼い頃から見守ってきた春一は、疲れが溜まった時の癖などが出ていることに気がついていた。
 それは転移魔法の完成を告げたあたりからだっただろうか。
 当初は、これまで心血を注いできた大魔法の完成という大局を乗り越えた疲れが出たのだろうと思った。しかし研究の大詰めにフェリクス同様に根を詰めていた部下たちが、肉体的にも心理的な重圧からも解放され、一人ひとり喜びと達成感に満たされて生気を取り戻していくなかで、フェリクスだけが違った。
 まるでまだ魔法は完成していない、終わってはいないのだと。道の続きをひた走っているように春一には見えた。
 以前から、その瞳には世界を渡る魔法への執念のようなものが見え隠れしていた。それがまだ失われずに奥で燻っているように感じるのは、気のせいではないのかもしれない。むしろ一段階ついたはずの今において、瞳の奥に覗く感情が強くなっている気がする。そしてそれが強まるほどに春一との別れの日は迫り、フェリクスの疲労が澱のように溜まっていくようだった。

「確かに、ここ最近はハル様とお会いになられる以外は研究所に籠っているそうで、日課の鍛練にも出ていないと聞いてはおりましたが……」

 セオドアも言われるまで気がついていなかったようだ。しかし誰よりもフェリクスの変化に聡い春一の言葉を疑うことはしなかった。

「それとなく忙しいか聞いてみたんです。そしたら詳しくは教えてはくれなかったんですけど、何か別のことに取りかかっているらしくて」

 フェリクスと春一が顔を合わせている時間は以前より確実に増えている。
 思い出作りに時間を割いてくれている一方で、代わりに休息の時間が削られているらしいことはフェリクスの側近からもそれとなく聞き出していた。仕事の量も変わっていないという。
 何をそんなにも急いているのか。部外者である自分が尋ねていいのかもわからず、これまで様子見を続けていた。だがいよいよフェリクスの様子が不安になり、折角捻出したという休暇で街を練り歩いて楽しむことより、ゆっくり休んでほしい気持ちが強くなった。
 城下は賑わっていて人も多く、気疲れしてしまうだろう。夜のように穏やかに話をするだけでも満たされるのだから、それでいいのではないか。

「ハル様のご心配はごもっともでしょうが、殿下が何も言わず隠してさえいるのであれば、こちらは見て見ぬふりをしましょう」
「でも、見ているとなんだか苦しそうで……」
「ご自身の不調がどれだけ周りに気を使わせるのか、あの方はご存知です。無理をして倒れることにでもなれば、迷惑がかかることもよくご理解されておりますよ」

 フェリクスは魔力過多症が落ち着き動けるようになってきた頃、同年代の基礎的な体力に追いつくべく、隠れて行動していたことがあった。
 胃に負担がかかるような食事量、身体の悲鳴を無視した筋力作り、睡眠を削って詰め込む知識――発覚すれば止められることがわかっていたのだろう、表面上は周りの指示に従いつつ、見えない場所で無茶を重ねていた。
 しかし生まれながらに魔力の負荷に晒された身体は、フェリクスの望みを叶えるだけの基盤がまだできていなかった。ついに限界で倒れたフェリクスはこんこんと眠り続け、目覚めるまで春一は生きた心地がしなかった。
 目覚めてからしばらくは誰もフェリクスに無理をさせないよう、うわべだけでは穏やかにしながらも誰しも神経をとがらせていたと思う。春一も不安で、その頃には数を減らしていた同衾も一時復活させて、夜は見張るように一緒に眠った。
 周りに大層心配をかけ、医者からも注意を受けたフェリクスは、それ以降無理はせず身の丈に合った範疇で行動をするようになった。時には少々不摂生することもあったが、あれから一度も倒れたことはないし、自身の体力の限界も知っているから限度を超えた無茶をすることもない。
 研究に根を詰めても適度に身体を動かす習慣は続け、しっかりと食事を摂り、睡眠を確保することで健康的な生活を可能な限り努力し続けてきた。
 そのフェリクスが、無理を通しながらも春一に何も言わずにいる。ならばそれを信じようとセオドアは言った。

「私も気にかけるようにいたします。ですので今は楽しいことを考えましょう」
「――うん、そうします。あ、そうだ! 買い物の時に癒されるような道具とか買ってあげるのはどうでしょう。セオドアさん何かいいの知っていますか?」
「殿下の癒しになるもので、ハル様以上に効果があるものはないと思われますが……」
「こんな年上の面白みもないやつが癒しになるのなら、なんだって効果は出ますよ」

 いつもの冗談を受け流しつつ、何かないかと思い浮かべてみる。

「あ、抱き枕とかどうでしょう。温石を仕込めるやつとか」

 疲れを癒すのにはやはり良質な睡眠――いつも春一を抱きしめて寝ているところからの発想とまでは言い出せなかったが、口にしてみて案外悪くないアイディアだと思った。

「魔術石を仕込んでもいいかも。ぼわっと人肌程度に温まるくらいのやつ。あと綿をしっかり詰めこんで、多少重みをつけてみっちりした抱き締め心地にしてみるのもどうでしょう」

 最初は寒がった春一を温めるための対応策だったが、抱き締められてぬくぬくとしている春一はもちろんのこと、フェリクスも朝までぐっすりと眠れているようだった。
 毎日の寝起きの様子を見ているので間違いないはずだ。少なくとも眠りの妨げにはなっていないし、やはり温いものは落ち着くだろう。
 春一自身も夜のお供として欠かせなかった抱き枕なしで寝ることに不安があったのに、フェリクスに後ろからしっかりと抱きしめられるととても安心する。多少身動きがとりづらくなるのと、眠りにつくまでは髪を揺らす吐息や、みっしりと筋肉が詰まった理想の身体を意識してしまうのが難点だが、背中から広がる自分よりも高い体温にじんわりと全身が染まりきる頃にはぐっすりだ。
 抱き枕なら春一も愛用している。抱き枕使用者であることはフェリクスには内緒にしていたが、これを機に打ち明けてその良さをアピールするのもいいかもしれない。
 春一が今後どうなるにしろ、今のように二人で眠ることがなくなることだけは確かだ。フェリクスはきっと一人寝に戻っても変わりないかもしれないが、少しでも質のいい睡眠をとってしっかりと休息してほしい。

「それはいいかもしれませんね。ハル様の枕をお作りした店に連絡を入れておきましょう」
「ありがとうございます。確か枕の中身や生地だけじゃなくて、形とかも希望どおりに作ってくれるんですよね。フェリクスはどんなのが好きかな」

 春一が今持っているものはセオドアに好みを伝えて用意してもらった既製品だが、その販売店ではオーダーメイド品もあるという。職人と相談をしながらひとつひとつ好みの素材を選んでいくので、満足できるものが仕上がることだろう。
 フェリクスのものを見るついでに、自分用の抱き枕を新調するのもいいかもしれない。
 定期的に中身の綿を入れ替えて管理しつつ、何年も同じ抱き枕を使い続けてきた。愛着はあるので夜の相棒を手放すつもりはまったくないので、それとは別に追加するかたちだ。
 抱くのではなく、抱きしめるように包み込んでくれる抱かれ枕なんて存在しないだろうか。
 抱きしめる時はふわふわとした柔らかな感触がいいが、抱き締められるのならやはり人肌の温もりがほしい。それでいてみっりと詰まっていて、ほどよい弾力があり、脚も絡めるように下は二股になるようにして。大きさは春一よりも頭一ひとつ分は大きくて、胸の前にかけられた腕には重みがあって――
 理想を思い浮かべれば結局のところフェリクス本人が出てきてしまい、内心で笑ってしまう。
 世界で一番の枕屋だって、生身の人間に近いものなど作れはしないのに。

「抱き枕もいいですが、私はやはり春一が一緒に寝てくれるほうが温まるし嬉しいですけどね」
「ひえっ!?」

 セオドアと二人きりと思っていた室内に、聞き慣れた第三者の声が聞こえて思わず振り返る。
 いつからいたのか、口元を隠して笑うフェリクスの姿があった。

「い、いつの間に!?」

 フェリクスはいつも必ずノックをして、入室の許可を得てからしか中に入ってこない。音は聞こえなかったはずだし、仮に春一が聞き逃していてもセオドアが気がつかないはずがないのに。

「殿下の気配がしましたので、私がお部屋にお通ししました」
「セオドアはさすがだね。扉を開けるとき音のひとつもたてなかった」
「なるほど、どおりで……じゃなくて! いつからそこにいたんだよ!」
「抱き枕の話が始まったくらいですよ。春一が可愛らしい提案をしてくれていたので、つい声をかけそびれました」
「か、可愛らしいって……三十を超えた男に似つかわしくない言葉だろうが」

 春一の否定を笑顔で流したフェリクスは、春一の隣に腰を下ろした。
 背後ではフェリクスのためにセオドアがお茶の準備を始める。

「まったく、聞いちゃったのかよ。連れて行って驚かせようと思ったのに」

 口にはそう出しつつ、聞かれたのがそれだけのようで内心安堵する。
 もう少し前に来ていたら、フェリクスの体調を相談していたことが知られてしまうところだった。
 心配しているのは本心だが、今はまだフェリクスを信じて様子をみようと決めたばかりだ。本人が隠そうとしていることを無理に暴くような真似はしたくなかった。

「いろいろと考えてくれてありがとうございます。でも抱き枕もいいですが、さっきも言ったとおり春一が一緒に寝てくれるほうが安眠できます」
「またそんなこと言って。いつまでも一緒に寝るわけじゃないんだろ」
「そうですけどね。でも作るなら、春一に似せることはできないですかね」

 春一も同じように思ったことをフェリクスが口に出すので、たとえ冗談だとわかっていても思わず笑ってしまった。
 多少なりとも二人の夜が、互いに安心を与えてくれるものであるのなら嬉しく思う。

「店ではそんなこと言うなよ。ここの人たちは事情を知ってるからいいけど、普通いい年した男が添い寝しているなんて気軽に打ち明けることじゃないんだからな。お店の人も吃驚しちゃうだろ」
「いっそあなたと限りなく近くしたもの、と頼みたいくらいですけどね」
「絶対だめ」
「残念です。春一でないなら代わりにするのはどれも変わらないですね。むしろ寄せ過ぎたらよけいに腕にいるのが春一じゃないと比べてしまって、寂しくなるかもしれません」
「ならふわふわなのとかいいかもな」
「いいですね。お店に行ったらそのあたりを試してみます」

 話の区切りがいいところで、フェリクスはセオドアが用意してくれたお茶の入ったカップを手に取る。

「ところで、こんな時間に来るなんて何か用があったのか?」
「ええ。シャティフルの第二王子が接触してきたと報告を受けたので、様子を見に」

 春一に何かあれば即座にフェリクスに連絡が行くようになっていることは知っていたが、今回の書庫での遭遇は、数日に一度の割合で行われているという春一に関する定期報告にまとめられると思っていた。
 まさか緊急時と同じ対応がされるとは。恐らくフェリクスがシャティフル関連は早く報告するよう指示していたのだろうが、春一が予想していたよりも警戒しているようだ。
 フェリクスへの連絡の必要性はセオドアに判断が一任されているというが、今までずっと一緒にいてだらだらと話していたはずなのに、いったいいつの間に使いを出していたのかも疑問だった。後で本人に聞いたところで、きっと適当にはぐらかされてしまうのだろう。

「接触っていうか、偶然会っただけだよ。部屋に誘われたけど断ったらそれ以上しつこくもしてこなかったし、稀人の顔を実際に見てこんなもんかって満足してくれたんじゃないかな」
「そうであればいいのですが。念のため、セオドアに彼の様子を詳しく聞いておきたいので、少しお借りしてもいいですか?」
「それならおれが部屋を移るよ。隣に行くくらいでいい?」

 報告を聞きがてら、淹れてもらったばかりの温かいお茶を飲んでゆっくりしてほしい。
 そんな願いも込めた申し出は受け入れられて、春一は隣室に移動した。
 部屋の造りはしっかりしているので、部屋を繋げる扉をしっかり締めれば耳をそばだてたところで二人の会話は聞こえない。
 終わるのを待つ間、今度遊びにいく城下町でやる験担ぎリストを作ることにしてペンを手に取った。


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