懐かしい夢を見た。
春一がこの世界に来たばかりの、フェリクスがまだ魔力過多症に苦しんでいた頃のものだ。
食事も受けつけないほど衰弱したフェリクスの身体は、転べば折れてしまいそうなほど薄く、自力でベッドから起き上がるのも困難なほどだった。
それなのにフェリクスはベッドから抜け出す際に転げ落ち、床に這いつくばったまま春一に頭を下げた。
『ごめんなさい、ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまって、こちらに引きずりこんでしまって……ごめんなさい』
ごめんなさい、と泣きじゃくりながら謝罪を繰り返した。
泣くことにも体力を使うせいか、嗚咽だけでなく疲労にぜいぜいと息をしている。そのまま力を振り絞って消えそうだった。
突然こちらの世界に引きずり込まれた春一の存在は、しばらくの間フェリクスに伏せられていた。彼の生真面目な気質を考えれば、自責の念に駆られることは間違いないというのが周囲の判断だった。
春一も納得したうえで、症状が落ち着いたらすべてを話すと決めていた。しかし使用人の一人がうっかり、春一が異世界人であることをフェリクスに漏らしてしまった。当時から聡明だったフェリクスには言い訳は通用せず、春一がこの世界に来た経緯をごまかすことはできずに真実を話さざるを得なかった。
そうしてすべてを聞き終えたフェリクスは顔をくしゃくしゃに歪め、春一に謝罪したのだ。
後にも先にも、あれほど感情を露わにした彼を見ることはなかった。
それまでどんなに身体がつらくても、いつ死ぬかもしれない恐怖があっても、気丈に振舞っていたフェリクスの涙を春一は忘れることはないだろう。
フェリクスをまったく恨まないわけではない。
魔力暴走の事故であったし、致し方ない事情だったというのは理解している。
でも来てすぐは言葉もわからず混乱したし、ようやく魔法で言葉が通じるようになっても、帰ることはできないと言われて頭が真っ白になった。実際に苦しむフェリクスを見ても、この子さえいなければと思ったこともある。
それでも、わけがわからないままフェリクスの傍にいてほしいと周囲に乞われ、寝込む彼と手を繋いでいるうちに情が湧いた。
いつも熱に浮かされているように苦しげな表情が、春一が手を握ってやると少しだけ緩んだ。自分がいれば多少症状が緩和されるが、離れてしまえばすぐにでも儚く消えてしまいそうで、怖くて、春一はずっと傍にいた。。
死にかけているというのに、それでもフェリクスは自分の生まれも身体も、周囲を恨むことさえもなかった。
ただひたすらに苦痛の日々に耐え、懸命に前を向いて生きようとしていた。
調子が良ければ勉学に励み、面倒を見てくれる周囲に気遣いを忘れず、時には主人として彼らを労う。そして常に明るく笑みを絶やさないよう務めていた。
そんな姿を目の当たりにして、いつまでもふてくされてなどいられるわけがない。
春一は怪我や病気もなく、五体満足に生きている。これまでの生活も人との縁もすべてを失ったが、新しい世界では生活の保障をされている。周りは誰もが親切だ。怖いことはなく、なんと恵まれていることだろう。
帰りたいと願う気持ちは消せるものではないが、どんなに帰郷を願おうともここで生きていくしかない。なら今、自分ができることをしよう。それはまずフェリクスを助けてやることだ。
魔力が多いことは本人のせいではないし、魔力暴走もわざとではない。だから春一はフェリクスを責めるつもりは一切なかった。
ただ真実を知ったフェリクスだけが激しく己を責め立てた。
『ごめんなさい』
必要以上に卑屈にはならないよう王族として教育を受けていたはずなのに。
感情の自制も学び、ほぼ完璧に振舞っていたのに。
『ごめんなさい、春一……』
これまで抑えてきた不安を爆発させるように、フェリクスは慟哭する。
そこで春一はようやく気がついた。
王族という立場に恥じないよう泰然と振舞っていたが、フェリクスはまだ七つの子どもなのだ。
わかっていたはずなのに、あまりにもフェリクスが成熟しているように見えていて、どこかで彼を大人たちと同等に扱ってしまっていた。
その内面では、いつ死ぬかもしれない自分に怯えていたのではないだろうか。「きっと大丈夫ですよ。必ず元気になれますからね」と笑いかけてくる周囲の言葉に、健康にならなければならないという重圧があったかもしれない。
でもきっと、周りがフェリクスを失う恐怖を抱いていることを理解し、彼らを安心させるよう振舞っていただけだったのだろう。自分が取り乱しては彼らも動揺してしまうことがわかっていたから。だから。
――なんと優しい子なのだろう。
自分の命が助かることよりも、春一のために感情を爆発させるフェリクスを見てそう思った。
そしてこれまでの気丈に振舞っていたことを理解し、なんと強い子なのだろうとも思った。
そして自責の念に押しつぶされる姿に、なんと危ういのだろうとも感じた。
守ってやらねばならない。
力の抜き方を知らず、誰に甘えることもない彼を。子どもでいられない彼を。
その命だけではない。彼の心を守るために、きっと自分はここに呼ばれた。
ただフェリクスに同情し、帰ることができないという事実への諦観と失ったものへの虚無を抱いて、流されるままに過ごすのはもうやめよう。
そう密かに覚悟を決めて、一向に泣き止まないフェリクスを抱き上げた。
背中を撫でてやるうちに、疲れ果てたのか春一の腕の中で眠ってしまった。七歳にしてはあまりに軽く細い身体に切なくなった。
次に目覚めた時、フェリクスは春一に誓ったのだ。
『春一が元の世界に帰れるよう、ぼくが道を作ります。だから、待っていてください』
―――――