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 フェリクスの魔力値は平常時に戻ったが、一度枯渇状態になって倒れたこともあり、数日間は安静をするよう侍医から言い渡された。

 フェリクスがベッドにいる間、春一は授業に出る以外は常に傍にいて世話をやいた。
 もう大丈夫だとわかってはいても春一自身が落ち着けなかったせいだ。それをフェリクスも理解しているらしく、少し照れくさそうに笑いながらも受け入れてくれた。
 療養をはじめてすぐの頃はやはり身体に強い負担を強いていたのか、休めるよう眠り続けていた。しかし体力が回復してくると暇を持て余し始めたらしい。そのなかで読書を希望したフェリクスに、春一が本を持ってきてやることにした。
 フェリクスの侍従たちが行くと言ってくれたが、授業に使う資料の確認もしたかったので断った。それにずっと自分が傍にいては政務に関する報告なども受けられないだろうと、あえて時間を作るためにも離れることにしたのだ。
 今となってはその申し出を受け入れ、勝手に気を回すことなくフェリクスの傍にいればよかったと後悔する。
 フェリクスが希望したものが魔法の専門書だったため、王宮図書館に向かった。そこで書架から魔法書を探している時に、シャティフル国の第二王子ナーシルが現れたのだ。

「またお会いしましたね」


 いくつもの施設が建ち並ぶ広いこの王城内で、ほとんど王弟宮から出ることのない春一との遭遇率というのはどれほどだろう。

 春一の背後に控えたセオドアも、前にこそ出てはこないものの張り詰めた空気を出しているのがわかる。存在感を消すことに長けた彼の気配に春一が気づけているということは、あえて隠さないということで警戒を促しているのだ。

「――奇遇ですね、殿下」


 微笑んで見せるナーシルに、自分から言っておきながらこれを邂逅と呼ぶにはあまりに疑わしかった。

 同じように淡く笑みを浮かべたものの、そのぎこちなさにナーシルは気がついたようだ。

「さすがに二度目は偶然とは思ってはいただけませんか」


 その口ぶりは、困惑しているというよりも、こちらの反応を窺うような余裕を含んでいた。

 それで確信する。前回も今回も、ナーシルはあえて春一に会いにきたのだ。

「……私に何かご用が?」

「はい。実は、折り入ってあなたにお願いがあるのです」
「お願い、ですか」

 離れた大陸にある異国の王族が、稀人の春一に何があるというのか。

 オルデニア国の保護下にあるというだけで、権力や財力もあるわけではない。立場としてはただの居候に過ぎないというのに。
 ナーシルはちらりと春一の背後に目を向ける。

「そのことについて、詳しくお話するにあたってできれば人払いをお願いしたいのですが」


 もっとも近くにいるセオドアが外れるということは、今は壁のように沈黙している護衛たちも対象となる。


「彼らはフェリクス殿下より私の身柄の保護を命じられています。私が指示できる立場にありませんし、できたとしても離れてもらうつもりはありません」


 毅然と断った春一に、ナーシルは「では」と前置いた。


「これから話すことは、ここにいる者だけの話にしてもらえませんか」

「申し訳ありませんが、それもできかねます。私はフェリクス殿下の保護下にある身です。この身に起きたことはあの方に報告します」

 頷く振りをして密告することもできた。だが相手に誠実であるべく、春一は嘘偽りなく答える。

 ナーシルはしばし思案するように沈黙した。
 悩んでいるようだったが、何かを振り切ったように口を開いた。

「わかりました。では、せめてフェリクス殿下まで」

「それは……それも、私からはお約束はできません」
「かまいません。殿下にお伝えいただければ、それで」
「わかりました。それなら」

 フェリクスどころかそれ以上に話が広まる可能性をはっきりと明言してもなお、ナーシルは春一に聞かせたい話があるようだ。

 それとも秘匿したい内容であるとしておき、あえて春一を通じてフェリクスたちに広めたいのか。
 彼は一体何を話そうとしているのか。春一が緊張を高めるなか、ナーシルはようやくその内容に踏み込んだ。

「あなたはフェリクス殿下の魔力をその身に移せるとお聞きしました」


 異世界の人間であるという事実とともに、春一の特殊な力のことも公言されている。

 春一にとって幸いだったのは、反応する魔力がフェリクスのものだけということだ。そのため希少な体質ではあるがその価値が限定されており、保管能力目当ての誘拐などが起こりづらい。フェリクスの力を削ぐ目的ならあり得るだろうが、春一がいなくても彼は最強とさえ謳われる魔法使いだ。彼を敵に回してまで春一を害そうと画策しようとする者もなく、一種の牽制としてあえて公表されていた。
 ナーシルが春一の力を知っていても不思議はない。

「そのとおりです」

「それは本当に、フェリクス殿下の魔力だけですか?」
「何人もの魔法使いと試してみましたが、フェリクス殿下のみ反応します。魔力を預け入れられるのも、取り出せるのも、当人だけです。私自身はただ器で、自力で移動させることもできません」
「たとえば、殿下以外の魔力過多症の人間を相手にしたことはありませんか」
「魔力過多症の……?」

 その症状を引き起こすのは幼い子どもだ。魔力が非常に強いことが条件のため発症例は極めて少なく、数十年に一人現れる程度だと聞く。

 実際にオルデニア国でも魔力過多症だった子どもはフェリクスの前だと三十年ほど遡るという。

「それは、試したことがありません」


 三十年前にいたという魔力過多症の少女は体力が尽きて亡くなったと聞いている。他に国内で生存する罹患経験者はフェリクスを除いていなかった。

 なぜそんなことを聞いてくるのか。その答えを、初めて目を伏せたナーシルが語る。

「……実は、私の弟は魔力過多症なのです」


 魔力過多症には未だに有効な治療法がなく、死亡率の高い疾患だ。十歳ほどになると自然と魔力操作を覚えて体外に魔力を放出することで快癒していくが、それまで本人の体力が持つかは半々だとされている。

 ナーシルの弟は七歳だという。
 シャティフル国内でも治療法は見つかっておらず、今はただ無事に時が過ぎゆくのを待つばかりだそうだ。しかし少年の体力の限界を迎えており、一刻も早く対処しなければこのままでは命を落としてしまう。

「ハル殿。どうか、私の国に来ていただけませんか」


 ナーシルの瞳は言葉よりも雄弁に、切迫した状況にあることを物語っていた。


「フェリクス殿下も魔力過多症だったのが、あなたのおかげで回復したと聞きます。どうか私の弟にも会っていただけませんか」

「あなたの願いはわかりました。でも、本当に他の人の魔力には反応しないのです」
「ですが殿下と同じ魔力過多症の人間はまだ試されていないというではありませんか」
「それは、そうですが……」

 ナーシルの望むことはわかる。死の淵にある弟を救うために必死なのだろう。切実な眼差しは嘘を言っているようには思えない。

 七歳といえば、フェリクスが春一と出会ったのと同じ歳だ。いやでも当時のことを思い出してしまう。
 もし本当に彼の弟が苦しんでいて、自分にできることがあるならしてやりたいと思う。
 だが春一も立場上すぐに頷くわけにはいかない。

「もう打つ手がないのです。弟は日に日に弱っていくばかり。もちろん他に何か方法がないか模索していますが、可能性のひとつとしてぜひ協力いただきたいのです」


 今にも縋りついてきそうな勢いに気圧されて、思わず身を引いてしまう。


「他の者とは合わなかったとしても、フェリクス殿下と同じ苦しみを持つ我が弟ならばあり得るかもしれない。彼はもう自分で魔力制御ができるのですし、離れても問題はないでしょう? 観光の片手間で構いません。費用も道中の安全もすべてこちらで万全を期して手配しますので、弟と会ってやってはくれませんか。それで駄目だったのなら諦めます。結果がどうであれ感謝いたします。とにかく一度試させてください。どうか……どうかお願いします」


 気力を尽くすよう言い切ると、ナージルは春一に頭を下げた。背後に控える従者たちも彼に倣い、皆一様に深々と頭を下げる。

 驚かずにはいられなかった。
 王族は気軽に頭を下げることはしない。それが非公式な場であっても王室の権威を損なうものであり、ましてや春一のような異世界人というだけの平民に対して行うなど信じられなかった。
 それだけ弟が深刻な状況にあり、それを打破するための希望として春一に最大の敬意を示している。

「……頭を上げてください」


 春一の声掛けに、素直にナーシルは顔を上げた。しかし彼の従者たちは腰を折ったままの姿勢を崩すことはない。


「事情はわかりました。ですが、すみません。どうであれ今はこの場での回答はできません。一度フェリクス殿下と相談させてもらえませんか」

「もちろんです。ご一考いただけるだけで十分です。必要があれば、私からフェリクス殿下に説明に上がります。ですのでどうぞ、よろしくお願いいたします」

 再び深く頭を下げると、ナーシルは去っていった。

 彼らの気配が完全に消えた後、春一は深く息を吐く。

「さっきのナージル殿下のお話、本当だと思いますか?」

「そうですね……ナーシル殿下の弟というとおそらく母君が同じ第五王子のことかと思います。仲がいいという話は入ってきていますが、魔力過多症とは初耳ですね」

 ただ、第五王子は身体が弱く、公の場に場にほとんど姿を現したことがないのだという。虚弱の原因が魔力過多症であるとするなら筋は通る。


「七歳というと……」


 生存率がぐっと下がる頃だ。

 通常、身体の成長とともに魔力も強くなる。魔力過多症の者は魔力の上昇が著しく、さらに症状が悪化していく。だからナージルも焦っているのだろう。

「嘘かどうかはわかりません。まずは殿下に報告してみましょう。何か情報を得ているかもしれません」


 セオドアも情報通ではあるが、報告が集まる先にいるフェリクスには適わない。シャティフルから使節団を招き入れることが決まってからある程度の調査を行っているというし、ナーシルの話の真偽がわかるといいが。


「少なくともいま判明している事実は、ナーシル殿下はハル様を国に呼びたがっているということです。そしてあなたを国に招くために二度も接触をしてきたということは忘れてはなりません」


 弟を思う姿は悪い人には見えなかったが、フェリクスの立場では用心を重ねるぐらいでないとその身を守ることができない。春一を足掛かりとしてフェリクスを狙っているとも限らないので、確証を得るまでは身動きは取れないだろう。

 ただ果たして、それまで少年の命が持つのか――
 ふと、まさにこれがいい機会なのかもしれないと春一は思った。
 

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