一瞬の浮遊感ののち景色は変わり、とある一室に場所が移される。
どうやら転移の魔道具が使われたことはすぐに理解できた。だが場所を移した先で目にした光景に、春一は困惑する。
ナーシル王子を筆頭に、シャティフル国の使節団の面々が並び、春一を目にした瞬間に深く頭を下げたからだ。
春一とともに転移してきた男も、いつの間にか仲間と並び同じ姿勢をとっている。
皆が両手を組み、下げた頭よりも手を高く掲げる。その姿は、彼らにとって最大級の謝意を表しているはずだ。
「手荒な手段でお呼びたてしてしまい、誠に申し訳ございません」
深く頭を下げたまま、ナーシルは続ける。
「あなたに危害を加えるつもりは一切ありません。ただ、どうしてもこちらにお越しいただき、我々の話を聞いていただきたかったのです」
春一は何も答えないまま、背後の扉に向かった。
ドアノブに手をかけて回すと、かちゃりと音がする。それはナーシルにも聞こえているはずだが、彼は顔を上げるどころか、引き留める素振りすらも見せない。
このまま出ていくことで、春一の答えを示せるだろう。強引な手段でここに呼び込んだおまえたちの話を聞く気は一切ないと。
傷つけていないからといって、国の庇護下にある人間を無断で移動させたことは当然問題のある行為だ。下手をすれば外交に影響する事態に発展しかねない。
話すことはないし、攫うようにつれてきた無礼を許すこともない。彼らの暴挙に毅然とした態度を示すことが肝要だ。
そう、わかっている。
「……頭を上げてください」
どうすればいいかわかっていたが、言い訳もしないまま頭を下げ続けるナーシルたちの話を聞かないまま立ち去ることができなかった。
それが甘い判断だとわかっていても、たとえ相手が春一のそうした性格を熟知している上の行動だったとしても。
「こんなことをしでかしてまで私をつれてきた理由を、お聞かせ願いますか」
どうやらここはシャティフルの使節団にあてがわれた一室のようだ。
祖国から持参したであろう見慣れない調度品が並ぶが、内装は見覚えのある王宮内のものだった。
王弟宮ではないが、同じ城内の敷地にある。思っていたよりも離れた場所に来たわけではないことにそっと安堵した。
城内には魔法による移動を制限する結界が張られている。一部認可を受けた人物以外は、魔法によって外から中に入ることも、反対に出ていくこともできない。移動のための魔法陣がおかれた場所もあるが、どれも広い城内を行き来するためで、行ける先も同じく魔法陣がおかれた場所のみ。かつ魔法陣利用の許可証の所持が必要で、その許可証によって行ける先の魔法陣も制限されているため、やはり自由な移動は許されていない。
仮に強引な手段で転移魔法を使った場合は即座に警報が鳴って警備に伝わるという。春一を攫った瞬間を子どもたちに見られていることからも、どれほど騒ぎが大きくなるだろうか。
もしかしたらあえてそうすることで、ナーシルたちは春一に危害を加えるつもりはないという意思を見せたいのかもしれない。
ここに調査が入るのも時間の問題だ。だがその短い時間をナーシルがどうしても得たかった理由が知りたかった。
「ご慈悲に感謝いたします。――アジーズを、ここへ」
部下の一人が別室から両手に柔らかそうなクッションを乗せてやってくる。
その上に、埋もれるようにして小さな生き物がいることに気がついた。
細い身体に、小さな頭。粒のような小さく丸い耳は人間のように横についており、全身が短い砂色の毛に覆われていた。きゅっと尖った鼻は春一の前につれてこられた時に一度ひくりと動いたがそれだけで、黒い毛に縁どられた目は深く閉じたままだ。
「これは……ギサル、ですよね?」
「そのとおりです」
以前、図鑑にあった挿絵で確認した姿にそっくりだったのですぐわかった。
図鑑を見た時も思ったが、初めて本物を見て確信する。見覚えがあると思っていたが、やはりもといた世界の動物のミーアキャットによく似た姿をしていた。
違いといえば尾の長さが身体より長く、先が平たくなっているというところだ。それを傘のようにして日陰を作るのだという。
本来は非常に警戒心が強く、姿を見るのも稀と聞くが、見知らぬ春一が近くにいても起きる気配がない。
ナーシルが連れてきたギサルは弱っていると聞いていたが、話は本当だったようだ。鼻を動かしていたことから春一には気がついたようだから、眠っているわけではなく、警戒する気力すらないのだろう。
「魔力過多症の弟のことをお話したのを覚えていらっしゃいますか」
「ええ。その……フェリクス殿下にも報告しましたが、そのような話は入ってきていないと言っていました」
それと目の前のギサルがどう関係するのか。正直に答えながら戸惑っていると、ナーシルはぐったりとしているギサルの小さな頭をそっと撫でた。
「実は、その弟がこのギサルなのです。魔法で姿を変えており、本来は人間なのです」
ナーシルは魔力過多症で弱りきった弟を国においていくことができず、一緒につれてきたという。
もとよりシャティフルの者は環境変化に対する結界魔法を得意としてる。厳重にアジーズを魔法で保護して、移動による負担を軽減したのだという。
オルデニアの警備で荷を確認されたものの、本当に弱っているギサルに対する調査は最低限で済まされたため、変身魔法に気がつけなかったようだ。
「弟君のことは本当だったのですね……」
「我が国では、魔力過多症は死の病とされています。ただでさえ厳しい自然環境の中で、衰弱した身では生き残ることができないためです。生まれたばかりの頃は魔力過多症が判明していなかったため、王子としての存在は公表されていますが、その詳細は秘匿されていました。お恥ずかしい話ではありますが、どうせ死ぬならと、弟は冷遇されていたのです……」
本当なら慣れた環境である故郷で療養させてやるべきだろう。それをしなかったのは、死を待つだけと判断されている少年が、どういう扱いを受けるかわからなかったのではないか。それなら危険を押してでも自分の目の届くところにおきたいと考えたのもわかる気がした。
「事情はわかりました。でも、どうしてこんな強引な手段に出たんですか? フェリクス殿下であれば、きっとナーシル殿下の事情をわかってくださったはずです」
「――私も最初は、この国に滞在できる間にあなたと親交を深めていき、アジーズの存在を理解してもらうつもりでした。アジールを連れ出していることは内密ですので、まずはシャティフルにお招きして弟に会っていただこうと。ですが昨日、ハル殿が近日中に元の世界に帰ってしまうという話を耳にしまして……」
具体的な日にちはわからなかったものの、フェリクスの魔力が溜まり次第に決行されるという。詳細を聞き出そうにも部外者である彼らは教えてもらえず、そして悩んだ。
このままではアジールに唯一残された希望かもしれない春一がいなくなってしまう。春一がアジールの魔力に反応しない可能性は捨てきれないが、それでも試してもいないのに諦めることができない。
もうアジールの体力も限界だった。起きていられる時間が日に日に少なくなっていき、ここ数日は食事はおろか水分をとることさえ難しくなってきている。
時間が残されていないことに焦ったナーシルは、二度の接触で確信した温厚な春一の人柄を信じて、とにかく二人を会わせることにした。
無礼は承知の上で、春一がアジールの手を取ってくれることに賭けたのだ。
実際のところ春一はこの世界に留まるつもりでいたが、まだセオドア以外には話していない。そんな状況をナーシルが知らないのも無理はなかった。
再び頭を下げようとするナーシルに、首を振って制止する。
「……わかりました。アジール殿下に近づいてもよろしいですか?」
「も、もちろんです。感謝いたします、ハル殿」
確認しやすいよう、アジールを乗せたクッションが机の上に置かれる。
覗き込み小さな身体を見つめた。
やはり目を開けることはなく、浅い息を繰り返している。単純に小動物の姿になっているからそう思えるだけかもしれないが、どことなく苦し気に見える気がする。
「――触れますね」
聞こえているかわからないが、アジールに声をかけてからそっとお腹に手を置く。
フェリクスの場合、素肌に触れるだけで魔力を移すことができた。微々たる量ではあるがそれが彼の命を救う結果となったわけだが、残念ながら春一には魔力の移動を感知することはできない。
使節団のほとんどは魔法使いで構成されている。ナーシルもその一人ということで魔力の流れを見てもらおうと振り返りかけて、ふと違和感を覚えた。
春一が魔力の流れを感じられないことを知らないナーシルは、触れあった結果を聞きたげにしていたが、春一はまったく別のことを口にした。
「あの、アジール殿下を人の姿に戻すことはできますか? このままではよくわからないことがあって」
「わかりました」
アジールを元の姿に戻すため、一同は隣室の寝室へと移動した。
小さな身体をベッドに移してやり、ナーシルが魔法を解除する。
一瞬の発光の後、ギサルの姿が七歳の少年のものに変わっていた。
ナーシルや周りにいる同郷の者たちと同じく銀色の髪をしたアジールは、目を閉じていても小綺麗な顔立ちをしていることがわかる。しかし今はやつれて、薄い身体がかつてのフェリクスを思い出させて胸が苦しくなった。
「どうでしょうか」
「――ありがとうございます。これでよくわかりました」
触れずとも、違和感の正体に確信を持った。
「ひとつお尋ねしますが……アジール殿下は、本当に魔力過多症なのですか?」
「もちろんです。医者がそう診断しました。宰相が手配した者ですので、間違いはないかと。」
アジールの腕をとったナーシルは、細い腕に嵌められた腕輪を見せる。
「その者の指示で、こうして症状を緩和させるために魔力を吸収し放出させるという宝珠をつけています」
黒い小さな球が連なったもので、魔力過多症とわかったその日に渡されたという。フェリクスの周りでは見たことがないものだ。
「でも、おかしいんです」
「おかしい?」
「フェリクス殿下を見てきたので、どのような苦しみがあるかある程度わかっているつもりです。でも、アジール殿下の様子は……」
今度は被毛越しではなく、人間の肌に触れてみる。
それで思うことはやはり同じで、明らかに体温が低いのだ。
フェリクスはひどく汗を掻き、常に熱にうなされていた。このまま茹るように死んでしまうのではないかと不安で、なんとしても体温を下げてやる必要があった。
氷枕を頭につけ、まめに身体を清拭した。脱水症状を起こさせないようにするのが大変で、衰弱した身体が受けようとしなくても無理にでも水分を取らせた。
だがアジールは違う。顔は青ざめ、唇も色をなくしていた。体温は低く、肌もかさついている。
魔力過多症とは明らかに正反対の状況だ。
そして春一はつい先日、これによく似た症状を見ている。
アジールを診断したのは春一のような素人ではなく医者だ。ましてや王族を診るのだからそれなりに実績があるはずで、その人の判断を安易に否定してよいものだろうかと悩む。
「あの、一度フェリクス殿下に――」
相談してもいいかと続けようとしたが、それは激しい轟音に遮られた。
音は続き間になっていて部屋への出入り口もある隣室から聞こえたようだ。
すぐさま厳戒態勢となりナーシルたちを護衛が取り囲んだところで、騒ぎの元凶となった男が姿を現す。
「フェリクス……!」
隣の部屋からは誰かが「扉が! 陛下に怒られる!」と叫ぶ悲痛な声が聞こえたので、先ほどの音はフェリクスが扉を吹き飛ばしたか何かしたものだったのだろう。
本来なら思わず駆け寄っていたところだが、春一はその場で固まる。というのも、フェリクスから凄まじい怒りの気配を感じたからだ。
普段の穏やかな雰囲気はなく、感情を削ぎ落した顔は整っているせいか迫力がある。あまりの圧に誰しも言葉を失っていた。
フェリクスは部屋にいる春一を一瞥すると、無表情のまま剣を抜く。
切っ先がナーシルに向けられそうになったところで、ようやく春一の身体は動き出した。
「ま、待て待て! 剣なんか抜いてなにするつもりだっ」
人前だということも忘れて、慌ててフェリクスに縋りついた。
フェリクスは春一の腰を抱きとめるが、剣先をナーシルへと向ける。
「止めないでください。私の春一をかどわかしたのです。許されるわけがない。この国への攻撃とみなします」
「だから待て! 落ち着け!」
「私は十分冷静です」
フェリクスの静かな怒りに気圧されていた場の雰囲気が、ぐっとさらに重くなる。
始めは気のせいかと思ったが、シャティフルの面々が呻きながらその場に膝を突き出したことで、フェリクスが大量の魔力を解放していることに気がついた。
普通ならば魔力を放出するだけでは大して周囲に影響はない。しかしフェリクスの常人とはかけ離れたあまりに濃密で重厚な魔力の質量が、圧力をかけているのだ。
自身もある程度の魔力を持ち耐性があるはずの魔法使いたちがばたばたと倒れていく様子に、春一は必死で訴える。
「やめろ! 死んでしまう!」
「――このくらいでは」
「よく見ろ、あの子のことだ!」
春一が指差した先を見て、初めてベッドに子どもが寝かされていることに気がついたのだろう。
アジールも魔力圧の影響を受けて、苦し気に呻いている。ただでさえ弱っている身体にどれほどの負担となるのか。
ふっと空気が変わる。一斉に周りの者たちが大きく息を吸い出し、ぜいぜいとした呼吸が部屋のあちこちで聞こえてきた。どうやら力を緩めてくれたらしい。
「フェリクス。確かにいきなりつれてこられたけど、でも人前で攫ったんだからすぐにおまえに話がいっただろう? 彼らはあえてそうしたんだよ。ここに連れてこられた時、おれが自分から出ていこうとしても止められなかったし」
「でもすぐに助けを求めなかったようですが?」
「彼らから話を聞いてたからだよ。ただ、無事だっていう伝言を頼まなかったのは悪かった。心配かけてごめんな」
責めるようにじとりと春一を見ていた瞳が、一瞬ゆらりと揺れたのがわかった。
腰に回していた片腕でぎゅっと強く春一を抱きしめる。髪に鼻先を埋め、深く息を吸う。
息苦しいとか、人前だとか、言いたいことはあったが今はぐっと我慢して好きなようにさせてやった。
春一が攫われたと聞き、すぐに探してくれたのだろう。
よほど急いでくれたのが乱れた髪でわかる。
どれほど不安にさせてしまったのか、身体に巻きつく腕の強さが教えてくれる。
保険のはずの守護の魔術石が力を失っているタイミングだったので、なおさら焦らせてしまったのだろう。
「おれは大丈夫だから。何もされてない。だから安心してくれ」
手を伸ばして頭を撫でてやると、少しずつ春一を抱く腕の力が緩まっていく。
やがて落ち着いたフェリクスは、呆然としているナーシルたちに目を向けることもなく、春一に一言「説明を」と言った。
―――――